生まれ
ないとうただおき
1592年生まれ
1674年没
どんな人?
江戸時代初期の大名
徳川家康の家臣である内藤政長の長男として生まれる
22歳で大阪冬の陣があり、お父さんに留守を命令されたんだけど、忠興はいうコトを聞かず徳川家康の側近・本多正信に「俺も行かせてくれ!!」とお願い。
家康はそれをとっても喜び、井上正就の下につかせ、参陣を許した。
23歳の時に大阪冬の陣の功績を認められ、1万石を与えられる。
大阪夏の陣では酒井家次にしたがって出陣し、またも武功をあげさらに1万石もらった。
42歳の時に父が死去し、家督を譲られ陸奥磐城平の二代目藩主となる。
ちなみに自分が今まで持ってたとこは、弟の内藤政晴?に継がせた。
その後、藩政に全力投球し、かなり石高を豊かにさせた。
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逸話
●奥さんがめっちゃ強くて、浮気がバレた時、薙刀で追いかけまわされたらしい。忠興はこの事件以降は浮気を謹んで、何事も奥さんに相談した
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関連のある人々
父・・・内藤政長
母・・・三宅康貞の娘
兄弟
内藤忠興
内藤政次
内藤政重
内藤政晴
正室・・・酒井家次の娘
側室・・・小山田信茂の娘
子
内藤義概(長男)
内藤美興?(次男)
遠山政亮(三男)
娘・・・土方雄次の正室
娘・・・本堂親栄?の正室)
娘・・・武田信興の正室
養女・・・堀直景室
養女・・・諏訪忠晴室
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ