前橋藩 まえばしはん
現在の群馬県前橋市にあった藩
厩橋藩(うまやばしはん)とも呼ぶ
藩の成立
1590年に徳川家康が豊臣秀吉に命令され関東に行くことになりました。
その時に徳川家康が家臣の平岩親吉にこの地に3万3千石を与えた
1600年に関ヶ原の合戦があり、徳川家?が勝利すると、平岩親吉は甲府藩?へ転封される。
そして酒井重忠がこの地にやってきた。
それまでこの地は厩橋と呼ばれていたが、酒井家?が入った時前橋という名称になった。
江戸時代の前橋藩の様子
●三代目藩主となった酒井忠清は、将軍・徳川家綱の時代に大老に抜擢され、大活躍した。
忠清は江戸幕府に仕えていたため、ほとんど前橋藩の藩政を行うことが無かった。
●九代目藩主の酒井忠恭?が江戸幕府において老中首座となった。その際に播磨国?の姫路藩?に転封となり、新たに姫路から越前松平家が前橋藩の藩主となった
●1699年に水害があり、城が半壊してしまう。財政難のため城を修復することができず、一時は廃藩にまでなってしまった。
が、1863年に再び修復が始まり、前橋藩が復活した
●廃藩置県によって前橋県となり、その後群馬県に編入となった。
居城
前橋城?
1699年にものすごい水害にあってしまい、利根川が氾濫し城の半分が壊れてしまった。
歴代藩主
一代目・・・酒井重忠(さかいしげただ)
二代目・・・酒井忠世(ただよ)大老になる
三代目・・・酒井忠行?(ただゆき)
四代目・・・酒井忠清(ただきよ)大老になる
五代目・・・酒井忠挙?(ただたか)
六代目・・・酒井忠相?(ただみ)
七代目・・・酒井親愛?(ちかよし)
八代目・・・酒井親本?(ちかもと)
九代目・・・酒井忠恭?(ただずみ)老中首座になる
十代目・・・松平朝矩?(まつだいらとものり)
十一代目・・・松平直克?(なおかつ)
十二代目・最後の藩主・・・松平直方?(なおかた)
祐筆
愛