土田御前

Last-modified: 2009-11-20 (金) 21:45:17

生まれ

不詳

どんな人?

織田信秀の継室。信長の母である

おいたち年表

1534年信長を産む
1582年本能寺の変が起きる。その時、土田御前は安土城にいたが脱出し、日野城に匿われる
1590年織田信包のもとに引き取られる
1594年土田御前没。法名は報春院花屋寿永大禅尼

逸話

●別称は花屋夫人
●土田御前の『土田』は豪族の土田氏からきているが、読み方が二通りある。土田御前が美濃可児郡土田出身であれば『どた』。尾張清洲土田出身であれば『つちだ』の二通りであるがどちらが正しいかは不明である
●信長の母として有名であるが、可愛がったのは弟の信行(信勝)である

関連のある人々

土田政久?・・・土田御前の父
織田信秀・・・土田御前の夫
織田信長・・・土田御前の息子。嫡子だったため、母による愛情をあまりもらわなかった
織田信行(信勝)・・・土田御前の息子。母による愛情は深かったが、後に実兄の信長に殺される
織田秀孝・・・土田御前の息子
織田信包・・・土田御前の息子?土田御前や土田御前の娘と思われるお市の方の娘3人を引き取っている事から土田御前の息子ではないかと思われる
お市の方・・・土田御前の娘
お犬の方・・・土田御前の娘

祐筆の人物批評

●藤原義信「信長の母として有名なんですけど、可愛がったのは弟の信行だと言う所が贔屓していると思います」

●由衣「もう少し信長に愛情を注いでいれば、信長はあのような人格にならなかったかもしれませんよね。でも、だからこそ良かったのかもしれませんが」

祐筆

●一番手・・・藤原義信「土田御前の資料が少なくてちょっと大変でした」