川中島の合戦

Last-modified: 2009-11-18 (水) 10:50:38

川中島の合戦は、実は5回あったんです
その中でも有名なのが4回目の川中島の合戦!
ふつー川中島の合戦っていうと、4回目のことを言うんですね~

さてさて、信玄は村上義清を倒し、北上するつもりでいました
村上義清上杉謙信に助けを求めに行き、謙信の方も「これ以上信玄がこっちに来たらまずいな」ってことで、信玄と戦うことを決めたのです

が、3回戦ってもお互い引き分け
四回目の今度こそ!と、お互い決着をつけようと挑んだのでした

謙信は妻女山に陣を引きました

信玄も近くの梅津城に入り、不気味な対陣が10日ほど続きました

そして信玄の軍師である山本勘助が提案した「啄木鳥の法」を使うことに
啄木鳥の法とは、軍勢を二手に分け、一方が妻女山に夜討をかける
上杉軍は夜襲に勝っても負けても必ず下山して川中島へ向かうであろう
そこをもう一方の本陣が待ちうけ、謙信を討ち取ろうという作戦です

妻女山を襲う攻撃隊は、飯富兵部・馬場信春真田幸隆ら12000の兵

川中島にて迎え撃つ本陣は、信玄を先頭に弟の武田信繁山本勘助ら8000の兵

ちなみに川中島とは霧がよく発生する場所で、両者ともこの霧に乗じて攻撃を考えていました

そしてとうとう川中島が深い霧に覆われた。時は熟したのであります

信玄は、啄木鳥作戦の実行を開始!

が、謙信はあがった狼煙を見逃しませんでした

謙信はこの霧に乗じて信玄らは絶対襲ってくるだろうと予想してたのです
夜襲される前に妻女山を下って妻女山にはわずかな兵を残すことに

武田軍をあざむくためにかがり火を焚いて、上杉軍がまだ妻女山にいるかのように見せかけたのです

信玄らはこの戦略を見破ることができませんでした

啄木鳥の作戦を決行中の武田軍

朝6時、霧が晴れてくると突如謙信の軍旗が見えたので信玄はめちゃくちゃ驚きました

上杉軍は1万人武田軍は8000人

しかも意表を突かれたので、武田軍は押されてしまったのです

信玄の弟信繁は、「わが隊は、全員玉砕するつもりで敵を防ぐので、援軍の必要にはこなくてもいい!兄、信玄の勝利を願う!」と使者を出し、上杉軍に討たれてしまったのです

のち、信玄は弟信繁の遺体にすがって泣き崩れました

山本勘助は、啄木鳥作戦を見破られコトを知り「みなワシの責任じゃ」と敵の中に突撃し討ち死にしてしまいました

謙信は怒涛の勢いで信玄の本陣に迫り、月毛の馬にまたがり三太刀七太刀で信玄を斬りつけたのです

それを信玄軍配で防ぎました

その時、近くにいた家臣らが謙信を槍で斬りつけようとしたところ、謙信の乗った馬のお尻を刺してしまい、馬は驚き駆け出したのです

信玄は危ういところで謙信の太刀から逃れたのです

夜襲隊はというと、行ってみたら妻女山はもぬけの殻
慌てて引き返しました

最初は、押していた上杉軍でしたが、夜襲隊が引き返してきたことにより今度は押され、敗走していきました

信玄軍は追撃をせず、ここに第四回の川中島の合戦は終わったのです

どっちが勝ったの?

ちなみに信玄も謙信もお互い「俺が勝った」と言いふらしてました~
で、信玄はというと、「もう上杉とやるのめんどっちいよ。桶狭間で織田信長に負けた今川がボロボロになってるからターゲットをそっちに代えよっと」ってことになりました

武田軍武将

総大将・・・武田信玄

穴山信君

浅利信種
今福善九郎

飯富昌景

武田信繁
武田義信
武田信廉
武田義勝

内藤昌豊

原昌胤
跡部勝資?
諸角虎定

山本勘助

●妻女山へ行った別隊

甘利昌忠

相木昌朝
芦田信守

飯富虎昌
小山田信茂

小山田昌辰
小幡憲重

高坂昌信

真田幸隆

馬場信房

上杉軍武将

総大将・・・上杉謙信

甘粕景持(殿(しんがり))

荒川伊豆守?
宇佐美定満

柿崎景家

加地春綱
斎藤朝信
本庄実乃
色部勝長

直江実綱

新発田重家
長尾政景
中条藤資

高梨政頼

北条高広
村上義清
山吉豊守
安田長秀