後藤賢豊

Last-modified: 2009-11-13 (金) 11:22:22

生まれ

ごとうかたとよ

どんな人?

戦国時代の武将
後藤家は代々六角家の宿老をつとめてきた家

進藤貞治の進藤家とともに「六角氏の両藤」と呼ばれて重用された。
そんな中でも賢豊は智勇に優れた武将だった。
六角義賢に従って数々の戦いに参加。
内政面でも主家にかわって采配を振るっていた

とても人望が厚かったといわれている。

が、賢豊の存在を疎ましく思った六角義賢の子・六角義治によって暗殺されてしまう。
この事件が観音寺騒動で、以後六角家は衰退していってしまう

逸話



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六角義賢
次男・・・後藤高治(家督を継いだ)

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ