生まれ
ごとうかたとよ
どんな人?
戦国時代の武将
後藤家は代々六角家の宿老をつとめてきた家
進藤貞治の進藤家とともに「六角氏の両藤」と呼ばれて重用された。
そんな中でも賢豊は智勇に優れた武将だった。
六角義賢に従って数々の戦いに参加。
内政面でも主家にかわって采配を振るっていた
とても人望が厚かったといわれている。
が、賢豊の存在を疎ましく思った六角義賢の子・六角義治によって暗殺されてしまう。
この事件が観音寺騒動で、以後六角家は衰退していってしまう
逸話
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●一番手・・・ハガクレ