徳川忠長

Last-modified: 2020-08-14 (金) 07:28:41

生まれ

ふりがな、とくがわただなが、幼名国松、国千代、通称駿河大納言
生没年1606年-1633年

どんな人?

徳川家光の弟だが、兄より優秀であったため一時は将軍候補に。家光が将軍になってから反抗的な態度をとり家光の命令によって切腹させられた。

おいたち年表

1606年0歳誕生!
1620年 15歳元服 名前を忠長に改める 

1623|年| 18歳| 駿河55万石を与えられ駿府城主に |

1626年 21歳  母おごう死去享年54。母を失った悲しみから乱行に走るようになる 
1631年 26歳 乱行により駿河55万石没収。甲斐国(山梨県)に閉じ込められる  
1633年28 歳 兄徳川家光の命令により切腹  

逸話



関連のある人々

●徳川秀忠(父)1579年-1632年
●徳川家光(兄)1604年-1651年

祐筆の人物批評

素直に兄従っていればこうはならなかったのに

祐筆

●一番手・・・歴史大好き人間