生まれ
ありまとようじ
1569年
1642年
どんな人?
播磨国赤松氏の庶流の生まれ。
最初は渡瀬繁詮の家老をしていた
が、繁詮が豊臣秀次の事件に連座して改易され、さらに切腹となってしまう。
豊氏は渡瀬繁詮の所領と家臣を全て引き継ぎ、豊臣秀吉に仕えることとなった。
秀吉死後は徳川家康に接近し、関ヶ原の合戦では東軍に入る。
岐阜城攻めと関ヶ原本戦に参加した
戦後、徳川家康から加増される。
そのあとは徳川氏の家臣として仕え、駿府城や江戸城の普請も行った。
大阪の陣にも参加し、その功績から国持ち大名にまで上り詰めた。
さらに1637年に起こった島原の乱にも参戦し、功を立てた。
地味だけど、ほんと色々出てる(笑)
そして74歳で死去した
逸話
●筑後国久留米藩初代藩主になった
●茶道も嗜む文化人で、利休七哲の一人に数えられることも
●
関連のある人々
父・・・有馬則頼
母・・・別所忠治の娘
兄弟 ・・・有馬則氏?・有馬豊氏・有馬則次?・有馬豊長?
妻・・・松平康直の娘・蓮姫?
子供たち
有馬忠頼
有馬信堅?
有馬頼次?
娘(鳥居忠房正室)
娘(小出吉重正室)
娘(水野守信正室)
祐筆の人物批評
ハガクレ・・・主君の所領をそのままもらえるなんて、タナボタ大名ですなっ
祐筆
●一番手・・・ハガクレ