有馬豊氏

Last-modified: 2009-11-11 (水) 14:01:58

生まれ

ありまとようじ

1569年
1642年

どんな人?

播磨国赤松氏の庶流の生まれ。
最初は渡瀬繁詮の家老をしていた

が、繁詮が豊臣秀次の事件に連座して改易され、さらに切腹となってしまう。

豊氏は渡瀬繁詮の所領と家臣を全て引き継ぎ、豊臣秀吉に仕えることとなった。

秀吉死後は徳川家康に接近し、関ヶ原の合戦では東軍に入る。
岐阜城攻めと関ヶ原本戦に参加した

戦後、徳川家康から加増される。

そのあとは徳川氏の家臣として仕え、駿府城江戸城の普請も行った。
大阪の陣にも参加し、その功績から国持ち大名にまで上り詰めた。

さらに1637年に起こった島原の乱にも参戦し、功を立てた。
地味だけど、ほんと色々出てる(笑)

そして74歳で死去した

逸話

●筑後国久留米藩初代藩主になった
●茶道も嗜む文化人で、利休七哲の一人に数えられることも

関連のある人々

父・・・有馬則頼
母・・・別所忠治の娘
兄弟 ・・・有馬則氏?有馬豊氏有馬則次?有馬豊長?
妻・・・松平康直の娘・蓮姫?

子供たち
有馬忠頼
有馬信堅?
有馬頼次?
娘(鳥居忠房正室)
娘(小出吉重正室)
娘(水野守信正室)

祐筆の人物批評

ハガクレ・・・主君の所領をそのままもらえるなんて、タナボタ大名ですなっ

祐筆

●一番手・・・ハガクレ