生まれ
きのしたのぶとし
1577年生まれ
1642年没
どんな人?
戦国時代の武将。
豊臣秀吉の正室・ねねの兄である木下家定の三男。
兄弟らとともに豊臣秀吉に仕えた。
関ヶ原の合戦では豊臣派でありながら、義兄の[細川忠興]]と仲が良かったため木下兄弟の中でただ一人東軍に入った。
そのため戦後、徳川家康から3万石を与えられた。
大阪の陣でも徳川方として参加。
こうして木下家は存続し、三男の木下俊治が跡を継いだ
逸話
●延俊が書いた(といっても、祐筆だけど)日記として「慶長日記」がある。
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関連のある人々
木下家定・・・父親
杉原家次の娘・・・母親
細川幽斎の娘・加賀・・・正室
細川忠興・・・義兄
木下勝俊・・・一番上のお兄さん
木下利房・・・二番目のお兄さん
子供たち
木下俊治?・・・三男
木下延次?・・・四男
木下俊之?・・・五男
木下俊重?・・・六男
娘(桜井松平忠重?の正室)
娘(木下利當?の正室)
他に娘が4人いる
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ