武田信繁

Last-modified: 2009-10-26 (月) 16:15:46

武田信繁(たけだのぶしげ)

官職である左馬助の唐名から「典厩」と呼ばれる。

生まれ

1525年、武田信虎の子として生まれる。
母は大井の方

どんな人?

性格は誠実で、しかも文武両道であった。

幼い頃から利発な少年ゆえに、父・武田信虎の愛情を一身に受け、ついには嫡男である晴信を廃嫡して信繁を嫡男としよう考えるも、当の信繁は、幼い頃から兄・晴信に対して絶対的ともいえる忠誠を尽くし、父が追放されてもそれは変わらず、いち早く兄に忠誠を誓った。

生涯年表

1525年1歳誕生!
1541年17歳父・信虎追放。
1542年18歳伊那侵攻に従軍。
1548年2月24歳上田原の戦いに従軍。
同年7月 塩尻峠の戦いに従軍。
1551年2月27歳1日。吉田氏の名跡を継ぐ。
1561年9月37歳10日。川中島の戦いにて、戦死。法名は松操院殿鶴山巣月大居士。

逸話

●愛用の鶴の鞭が典厩寺に残されている。
●第四次川中島の戦いにおいて、討死を覚悟し春日源之丞に形見を託している。
●その死を知った信玄は、人目を憚らず慟哭したという。

関連のある人々

武田信虎
武田信玄
村上義清・・・一説に信繁を討ち取ったと言われている。
望月信頼?
武田信豊
望月信永?

祐筆の人物批評

鱒「さわやかなイメージがあります。名将と言っても過言ではありませんね。」

祐筆

●一番手・・・鱒