生まれ
つだせいゆう
生年没不明
どんな人?
戦国時代の武将
尾張で生まれ、幼い頃から織田信長に仕えていた
が、理由は不明だが18歳の時に浪人となる
阿部正勝を頼り、徳川家康に10年ほど仕えるが、その後また織田信長に仕える
本能寺の変が起きると、またも浪人になるが、伏見で徳川家康に再会し、仕事先を紹介してもらう
そして関ヶ原の合戦が始まる
信澄は三成の居城・佐和山城を守っており、息子の津田重氏?とともに襲い掛かってきた小早川秀秋と戦った
そして徳川家康が和議を申し出てきたため、城を出て交渉役となる
そこで本戦で西軍が敗北したことを知った
徳川家康の和議の条件は石田三成の父・石田正継らは自刃。その代わり城にいる兵や女性らの命は助けるというものだった
三成の父・正澄はその条件を承諾し、翌日城の引渡しが決定した
が、その日の早朝、城内に裏切り者が出てしまい、城が放火されてしまった
小早川秀秋・脇坂安治・小川祐忠・田中吉政らは城へ攻撃を開始し、佐和山城は落城してしまった
清幽は脇坂安治の家臣を人質にとり、城を出ようとしたところを徳川家康に呼び止められた
そして清幽らを助命し、さらに仕官先まで見つけてあげた
さらにさらに、清幽は「翌日城を明け渡すはずだったのに攻撃するとは不義である」と訴え、石田三成の息子の命を助けるよう約束までさせた
三成の三男は助命となり、高野山に行くこととなった
その後、徳川家康は駿府城に清幽を呼びだし、徳川義直に仕えるように命令した
そして90歳で死んだといわれている
逸話
●ある日家康が平岩親吉に「清幽を疑うな」と言い渡した。清幽は涙したと言われている
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関連のある人々
父親・・・織田信氏
祐筆の人物批評
ハガクレ・・・すごい人物ですな!佐和山城を守っていながら助命され、家康に仕え天寿を全うできるなんてなかなかの人物ですな~
祐筆
●一番手・・・ハガクレ