津田清幽

Last-modified: 2010-02-17 (水) 14:01:35

生まれ

つだせいゆう
生年没不明

どんな人?

戦国時代の武将

織田信氏の次男
石田三成の重臣

尾張で生まれ、幼い頃から織田信長に仕えていた

が、理由は不明だが18歳の時に浪人となる

阿部正勝を頼り、徳川家康に10年ほど仕えるが、その後また織田信長に仕える

本能寺の変が起きると、またも浪人になるが、伏見で徳川家康に再会し、仕事先を紹介してもらう

仕官先は堺奉行だった石田三成の兄・石田正澄だった

そして関ヶ原の合戦が始まる

信澄は三成の居城・佐和山城を守っており、息子の津田重氏?とともに襲い掛かってきた小早川秀秋と戦った

そして徳川家康が和議を申し出てきたため、城を出て交渉役となる

そこで本戦で西軍が敗北したことを知った

徳川家康の和議の条件は石田三成の父・石田正継らは自刃。その代わり城にいる兵や女性らの命は助けるというものだった

三成の父・正澄はその条件を承諾し、翌日城の引渡しが決定した

が、その日の早朝、城内に裏切り者が出てしまい、城が放火されてしまった

小早川秀秋脇坂安治小川祐忠田中吉政らは城へ攻撃を開始し、佐和山城は落城してしまった

清幽は脇坂安治の家臣を人質にとり、城を出ようとしたところを徳川家康に呼び止められた

そして清幽らを助命し、さらに仕官先まで見つけてあげた

さらにさらに、清幽は「翌日城を明け渡すはずだったのに攻撃するとは不義である」と訴え、石田三成の息子の命を助けるよう約束までさせた

三成の三男は助命となり、高野山に行くこととなった

その後、徳川家康は駿府城に清幽を呼びだし、徳川義直に仕えるように命令した

そして90歳で死んだといわれている

逸話

●ある日家康が平岩親吉に「清幽を疑うな」と言い渡した。清幽は涙したと言われている

関連のある人々

主君・・・織田信長徳川家康石田三成徳川家康徳川義直

父親・・・織田信氏

祐筆の人物批評

ハガクレ・・・すごい人物ですな!佐和山城を守っていながら助命され、家康に仕え天寿を全うできるなんてなかなかの人物ですな~

祐筆

●一番手・・・ハガクレ