渋沢篤二

Last-modified: 2022-06-19 (日) 09:16:26

渋沢篤二(しぶさわとくじ、1872年-1932年)。
1872年、渋沢栄一の嫡男として生まれる。1882年、10歳で母の千代を亡くす。その後は姉の歌子夫妻に育てられる。1895年、公家の橋本家の娘敦子と結婚し、敬三、信雄、智雄の3人の子供をもうける。しかし、1911年に玉蝶との不倫スキャンダルが新聞に報じられ、渋沢同族会の決定により廃嫡となる。そのため栄一の後継者は篤二の嫡男(長男)の敬三となった。その後も渋沢同族会との親戚付き合いは続いた。1925年の孫の雅英誕生の際には栄一、篤二、敬三、雅英の渋沢4代が写る写真が取られてる。1932年に59歳で死去した