生まれ
さなだのぶただ
1547年生まれ
1632年没
どんな人?
戦国時代の武将
武田信玄の家臣だった真田幸隆の四男として生まれる。
真田幸村の叔父さんにあたる。
主君の武田信玄の命令で加津野昌世の養子になり、名門の加津野家をあとを継いだ。
そして信玄の息子・武田勝頼に仕えていたんだけど、武田家が滅亡してしまったため北条家に仕える。
その後徳川家康に仕え、加増してもらうんだけど「そんなに働いていないから」といって徳川家を出て行ってしまう。
その後は池田輝政の紹介で蒲生氏郷に仕えるんだけど、氏郷が死ぬとまたも徳川家へ。
関ヶ原の合戦や大阪の陣にも参加した
逸話
●武田家が滅亡した後は、真田の本家とは別行動してたんだけど、裏では必死で真田本家が生き残る方法を考え、行動していた
●大阪の陣の時、徳川家康は真田幸村が欲しくなって信尹にスカウトさせたが断られた
●大阪の陣の時、真田幸村の首を確認したのはこの人
●信尹の家は明治まで続いた
関連のある人々
●主君 武田信玄→武田勝頼→北条氏直→徳川家康→蒲生氏郷→徳川家康
父・・・真田幸隆
母・・・恭雲院
兄弟
真田信綱
真田昌輝
真田昌幸
金井高勝
妻・・・馬場氏勝の娘
子
真田幸政
真田信勝
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ