竹中重矩

Last-modified: 2009-10-21 (水) 11:24:53

生まれ

1546年
美濃国・菩提山領主竹中重元の子として生まれる

どんな人?

竹中半兵衛の2歳年下の実の弟
通称は久作

おいたち年表

1546年0歳誕生!
1562年17歳父親の竹中重元が死んだため竹中半兵衛が家督を継ぐ 
1564年19歳竹中家の主家である斎藤家に人質として入る  
1564年19歳兄の竹中半兵衛が斎藤家当主の斎藤龍興にいじめられまくり、
とうとうわずか16人で稲葉山城を乗っ取った。
で、織田信長から城の明け渡せ!と言われるんだけど、
のっとりは主君を諫めるためのものとして拒否し斎藤龍興に城を返す。
そして竹中半兵衛が引退してしまったため重矩が家督を継いだ
1567年22歳織田信長稲葉山城を攻め斎藤家が滅亡。そして秀吉に誘われ織田信長に仕える
1570年27歳姉川の合戦が始まる。
このとき、味方の振りをして信長を殺そうとした
浅井家家臣の遠藤直経に気づいて捕らえるという大功をたてる 
1582年39歳本能寺の変が起き、美濃国で一揆が起きる。その最中に死んでしまう

逸話

竹中半兵衛稲葉山城をのっとった16人のうちの一人

関連のある人々

竹中重元・・・父親
竹中半兵衛・・・兄

斎藤龍興・・・元主君
織田信長・・・主君

祐筆の人物批評

ハガクレ・・・お兄ちゃんと比べると地味ですな。最後土一揆で討死ってのももったいない

祐筆

●一番手・・・ハガクレ