細川忠隆

Last-modified: 2009-11-24 (火) 10:27:29

生まれ

ほそかわただたか
1580年生まれ
1646年没

どんな人?

戦国時代~江戸時代の武将

細川忠興細川ガラシャの長男として生まれる。
生まれた頃から賢い子で、武芸にも優れていたため、おじいちゃんの細川幽斎もめっちゃ可愛がっていた

[前田利家]]の娘を正室にむかえ、順調に跡継ぎとして育っていったんだけど、事件がおきてしまう

20歳で関ヶ原の合戦にお父さんと一緒に出陣することとなり、上杉景勝討伐に行く為会津へ行っていた頃、大阪で石田三成が挙兵し、大阪にいる武将の妻達を人質にとっていた。
そのとき、母の細川ガラシャは人質になることを嫌がり自害した。

で、忠隆の妻・前田千世はお姉さんの豪姫宇喜多秀家の妻)のとこへ逃げた。

それが問題になってしまう

とゆーのも、宇喜多秀家は西軍の主力武将だったから、

お父さんの忠興は自分の妻・ガラシャが自害したのに、息子の妻は敵のもとへ逃げたことをものすごく怒り、離縁して前田利家のもとへ妻を追い出せ!と言った。

忠隆はそれになっとくできず、千世をかばいまくった

そのため、忠興はとうとう忠隆を勘当してしまった。で、廃嫡してしまったのでした。

忠隆は千世と長男を釣れ、京都で暮らすことに。

生活はおじいちゃんの細川幽斎が支えた。

ちなみに25年後、細川忠興は勘当を解くんだけど、もはや細川家は三男が継いでた。

でもって、いつまでも京都にいないで、城と領地をあげるからおいで!というんだけど、忠隆はそれを拒否した

逸話

●三男で細川家をついだ忠利は、自分が兄を差し置いて家督を受け継いだことをすごく悪く思っていて、つねに忠隆のことを気にしてた
●京都では公卿たちと仲良しだった

関連のある人々

父・・・細川忠興
母・・・細川ガラシャ

細川興秋
細川忠利
おちょう(前野景定室)
こほ(松井興長室)
たら(稲葉一通正室)
まん(烏丸光賢室)

正室・・・前田利家の娘・千世
継室・・・長谷川求馬の娘

熊千代
徳(西園寺実晴?室)
吉、
福(久世通武?室)

長岡忠恒(次男)
長岡忠春(三男)

祐筆の人物批評

ハガクレ・・・忠隆の妻は前田家なので、徳川家康からにらまれてた家だから、忠興としてはどーしても縁をきっておきたかったんでしょうねぇ。でも、忠隆は見捨てなかったトコがいいですねぇ

祐筆

●一番手・・・ハガクレ