佐竹義宣 の変更点

*生まれ [#h26c9cd8]

さたけよしのぶ
1570年 父は[[佐竹義重]]。母は[[伊達晴宗]]の女である


*どんな人? [#o3810e20]

久保田藩(現在の秋田県)の初代藩主になった人


*おいたち年表 [#r70c692c]

|1570年|0歳|常陸国太田城主の[[佐竹義重]]の嫡男として誕生|
|1570年|0歳|常陸国太田城主の佐竹義重の嫡男として誕生|
|1586年|17歳|[[伊達政宗]]と[[北条氏直]]に脅かされている頃、家督を譲られる  |
|1589年|20歳|[[窪田の戦い]]実弟の[[蘆名義広]]と連合を組み、[[伊達政宗]]と戦う。&br;[[摺上原の戦い]]で実弟の[[蘆名義広]]が敗北したため会津や黒川城を[[伊達政宗]]に奪われる  |
|1590年|21歳|仲良しの[[石田三成]]の忠告により[[豊臣秀吉]]の小田原城攻めに参陣したことから、&br;本領を安堵される   |
|1591年|22歳|常陸国南方の小領主33名を謀略でゲットし、常陸国での主導権を得る   |
|1594年|25歳|居城を水戸城に移す   |
|1596年|27歳|常陸国54万石の大大名になる   |
|1600年|31歳|[[関ヶ原の合戦]]。親友の[[石田三成]]がいる西軍に入る予定だった。&br;が、[[徳川家康]]が小山から引き返したため動けなくなりそのまま静観する  |
|1602年|33歳|[[関ヶ原の合戦]]時の曖昧な態度を[[徳川家康]]から怒られ、出羽国秋田18万石に転封される   |
|1604年|35歳|出羽国久保田に久保田城を築城。居城にする  |
|1614年|45歳|大坂冬の陣に参陣   |
|1615年|46歳|大坂夏の陣に参陣   |
|1633年|64歳|死去   |

*逸話 [#w64df6b6]




●家康による義宣評は「困った程の律儀者」であり、義理堅い所は評価されたらしい
●能や茶の湯が好きで、[[古田織部]]とも親しかった
●義宣が建築した久保田城は隠れた名城と言われ、義宣自身は「攻め込まれたら、城に火を放って打って出るより無い」と言ったが、久保田城の堅牢さは[[戊辰戦争]]の時に発揮された
●ちょっとお洒落な面もあったらしい
●秋田の名物の魚・ハタハタは元々は常陸の大洗沖に棲んでいたが、義宣が秋田に転封された時と同時に秋田に行ってしまったと言う。以後、常陸ではハタハタは獲れなくなった
●常陸国多賀郡(現在は多賀郡は消滅している)あたりでは金銀が採掘出来たが、義宣が秋田に転封されてからは金銀が石灰岩に変わったと言う


*関連のある人々 [#aa1dd765]



●[[佐竹義重]]・・・義宣の父
●[[蘆名義広]]・・・佐竹義重の次男。義宣の弟
●[[岩城貞隆]]・・・佐竹義重の三男。義宣の弟

*祐筆の人物批評 [#c34461e9]

●藤原義信・・・「伊達政宗とか長宗我部元親よりマイナーなんですけど、魅力はあると思います」

*祐筆 [#c34461e9]

●一番手・・・
●二番手・・・藤原義信「年表以外の所を書いただけです」