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淀殿 の変更点


 *生まれ [#h26c9cd8]
 
 1567年(永禄10年)
 
 *どんな人? [#o3810e20]
 
 [[浅井長政>浅井長政]]・[[お市の方>お市]]の長女
 幼名は茶々
 
 *おいたち年表 [#r70c692c]
 
 |1567年|0歳|近江国[[小谷城>小谷城]]の[[浅井長政>浅井長政]]の長女として誕生|
 |1573年|7歳|叔父である[[織田信長>織田信長]]が[[小谷城>小谷城]]を攻める。父の[[浅井長政>浅井長政]]は自害し、&br;[[お市>お市]]と、2人の妹とともに[[小谷城>小谷城]]を出る |
 |1582年|16歳|母・[[お市>お市]]が[[柴田勝家>柴田勝家]]再婚。茶々と2人の妹は[[柴田勝家>柴田勝家]]の居城・[[北ノ庄城>北ノ庄城]]へ |
 |1583年|17歳|[[柴田勝家>柴田勝家]]と[[羽柴秀吉>豊臣秀吉]]が争い、敗北。[[柴田勝家>柴田勝家]]と[[お市>お市]]は自刃。&br;茶々と妹達は[[秀吉>豊臣秀吉]]の元へ行く|
 |1583年|17歳|[[秀吉>豊臣秀吉]]の側室となる  |
 |1589年|23歳|長男・鶴松を出産   |
 |1589年|23歳|[[秀吉>豊臣秀吉]]が茶々のために淀城という城を造る。以後、淀殿と呼ばれる |
 |1591年|25歳|鶴松が死去  |
 |1593年|27歳|拾(のちの[[豊臣秀頼>豊臣秀頼]])を出産   |
 |1598年|33歳|[[秀吉>豊臣秀吉]]死去。淀殿は[[秀頼>豊臣秀吉]]と大阪城に入る |
 |1600年|35歳|関ヶ原の戦い。[[秀頼>豊臣秀吉]]の領地が[[徳川家康>徳川家康]]によって減らされる |
 |1603年|38歳|[[徳川家康>徳川家康]]の孫で妹・[[お江>江]]の娘・[[千姫>千姫]]と[[秀頼>豊臣秀頼]]が結婚|
 |1605年|40歳|[[徳川家康>徳川家康]]の三男・[[徳川秀忠>徳川秀忠]]が二代目の征夷大将軍となる |
 |1614年|49歳|方広寺鐘銘事件が起きる   |
 |1614年|49歳|大阪冬の陣   |
 |1615年|50歳|大阪夏の陣。[[秀頼>豊臣秀頼]]とともに自刃する |
 *逸話やその他の情報 [#w64df6b6]
 
 ●淀君(よどぎみ)という呼び方は江戸時代になってから。悪意をこめた呼び方
 ●[[秀吉>豊臣秀吉]]は[[お市の方>お市]]が好きだったので、[[お市の方>お市]]に一番似ている茶々を側室にした。
 ●[[秀頼>豊臣秀頼]]は、淀殿と乳兄弟だった[[大野治長>大野治長]]との間に出来た子供ではないかと言われている
 ●母・[[お市の方>お市]]は戦国一の美女と言われており、淀殿も美女だったといわれている
 ●[[秀吉>豊臣秀吉]]の正妻[[ねね>ねね]]とは仲が悪かった
 ●京都三宝寺の秀頼・国松・淀殿三人の供養塔が「縁結びの塔」となっている
 ●大阪城で自刃しておらず、薩摩に落ち延びた生存伝説もある
 ●関西地方には淀殿が直したお寺がものすごく多い
 ●かなりのヘビースモーカー
 ●身長168センチという説がある
 ●清洲城に住んでいた時、疱瘡(天然痘)にかかり、あばた顔になってしまったという説もある。そのため、私が側室になるから妹たちは側室にしないでちゃんとしたところに嫁がせてほしいといったらしい。
 ●生年には異説もある
 *関連のある人々 [#aa1dd765]
 
 
 
 [[浅井長政>浅井長政]]・・・父親
 [[お市の方>お市]]・・・母親
 
 
 
 [[初>初]]・・・2番目の妹 [[京極高次>京極高次]]の妻
 [[お江>江]]・・・三番目の妹 [[徳川秀忠>徳川秀忠]]の妻
 
 [[豊臣秀吉>豊臣秀吉]]・・・夫
 
 
 鶴松・・・長男(死亡)
 [[豊臣秀頼>豊臣秀頼]]・・・次男
 
 その他
 
 [[織田信長>織田信長]]・・・叔父
 
 [[ねね>ねね]]・・・秀吉の正妻
 
 
 [[松の丸殿>松の丸殿]]・・・秀吉の側室
 
 
 [[大野治長>大野治長]]・・・乳兄弟
 
 
 [[石田三成>石田三成]]・・・家臣
 
 
 [[片桐且元>片桐且元]]・・・家臣
 *祐筆の人物批評 [#c34461e9]
 
 
 愛・・・悲劇の女性というイメージがあったんですが、文献などを見ているうちに強い女性というイメージが出てきました
 *祐筆 [#c34461e9]
 
 ●一番手・・・愛「はまってしまい、2時間くらいかかってしまいました」