摂津国
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
摂津滝山城 たきやま | 2.4 | 1100 | 5 | 細川典厩家 ほそかわてんきゅう | 兵庫は平安時代からの国際貿易港。応仁の乱で衰退し、畿内最大港の地位を堺に譲る。 | |
兵庫 ひょうご | ||||||
落葉山城 おちばやま | 4.6 | 900 | 5 | 赤松有馬家 あかまつありま | ◎有馬村秀(42,52231) 有馬重則(38,33321) | |
越水城 こしみず ⇒尼崎城 あまがさき | 3.6 | 1250 | 5 | 三好家 みよし | ◎三好康長(44,35431) 三好康俊(19,23231) 高山友照(23,34331) | 尼崎は淀川水運と瀬戸内海を結ぶ港。鎌倉時代以降複数の有力寺院が建てられ、その門前町として発展する。 |
尼崎 | ||||||
伊丹城 いたみ | 5.84 | 1000 | 6 | 伊丹家 いたみ (臣/細川京兆) | ◎伊丹親興(40,52331) | |
摂津池田城 いけだ | 6.0 | 1050 | 6 | 池田家 いけだ (臣/細川典厩) | ◎池田長正(38,53321) 荒木元清(24,42321) | |
摂津山下城 やました | 1.3 | 200 | 5 | 塩川家 しおかわ (従/細川京兆) | ◎塩川国満(28,45431) 塩川国良(19,32221) | |
地黄城 じおう | 1.2 | 150 | 5 | 能勢家 のせ | ◎能勢頼幸(24,22331) | |
摂津中島城 なかじま | 2.4 | 1250 | 5 | 細川典厩家 | 細川藤賢(33,23231) 三宅国村(50,42231) | |
茨木城 いばらき | 3.2 | 1150 | 5 | 細川京兆家 ほそかわけいちょう | 畠山在氏(42,33221) | |
芥川城 あくたがわ | 3.2 | 1250 | 6 | 三好家 | 芥川勝長(34,33321) | |
石山御坊 いしやまごぼう ⇒大坂城 おおさか | 9.6 | 5000 | 10 | 本願寺 ほんがんじ | ◎本願寺証如(34,27431) 願正寺蓮淳(86,48761) | 大坂は古代の難波津に始まる淀川河口の港。 |
大坂 |
河内国
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
津田城 つだ | 3.5 | 1000 | 5 | 三好家 みよし | 津田正明(45,42131) | |
交野城 かたの | 4.9 | 1000 | 5 | 河内守護代 (臣/河内畠山) | 安見友重(45,33321) | |
飯盛城 いいもり | 6.0 | 1750 | 5 | 河内守護代 (臣/河内畠山) | 安見直政(37,34531) | |
若江城 わかえ | 6.4 | 1250 | 5 | 河内畠山家 はたけやま | 遊佐長教(54,33531) 遊佐信教(22,33431) | |
高屋城 たかや | 6.0 | 2000 | 6 | 河内畠山家 | ◎畠山高政(23,23241) 畠山政国(50,43231) 畠山晴熙(45,33221) 丹下盛知(25,24331) |
和泉国
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
堺 さかい | 5.0 | 5000 | 8 | 堺町衆 さかいまちしゅう | ◎能登屋平久(37,17332) 紅屋宗陽(24,17232) 武野紹鴎(48,47432) 今井兼員(30,37532) 千宗易(28,38630) 津田宗及(22,37432) | 和泉・摂津にまたがる町で「境」が原義とされる。南北朝期、南朝の外港として発展し、室町期を通じて日明貿易の中心となった。ガスパル・ヴィレラは「耶蘇会士日本通信」の中で、ベニス市のように執政官が治めていると紹介している。このため、当時の世界地図に掲載されるほど、ヨーロッパ人の注目を浴びている。またヴィレラの後継であるルイス・フロイスも「日本史」の中で「東洋のベニス」と記した。港は三津七湊の一つで日本を代表する貿易港。大坂城が築かれると、堺からの大坂への移住が進み、徐々に衰退していった。 |
堺津 | ||||||
岸和田城 きしわだ | 6.7 | 1500 | 6 | 三好家 みよし | ||
根福寺城 こんぷくじ | 2.0 | 750 | 5 | 根来衆 ねごろしゅう | 松浦守(51,44333) | |
千石堀 せんごくほり | 3.0 | 350 | 8 | 根来衆 |
山城国
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
比叡山 ひえいざん | 2.4 | 750 | 10 | 延暦寺 えんりゃくじ | ◎堯尊法親王(35,13311) | 京都の鬼門にあたる北東の標高848mの山に延暦寺が建立されたのが始まり。堅固な山城としての面もあり、京都に戦乱が起こると天皇らが比叡山に避難することもしばしばあった。元亀2(1571)年、織田信長による焼き討ちにより全山焼亡する。元亀法難後、生き残った僧らの尽力により再興運動が展開され、江戸幕府の支援で再建が始まる。寛永19(1643)年に根本中堂が竣工。平成6(1994)年、「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録される。 |
中尾城 なかお | 4.0 | 2000 | 5 | 足利将軍家 (臣/細川京兆) | 天文19(1550)年11月、三好長慶の攻撃により自焼落城。鉄砲を意識した防備が施されていたことが史料上確認できる。 | |
洛中 らくちゅう | 4.0 | 4000 | 3 | 三好家 みよし | ◎三好長慶(22,48761) 三好長逸(35,43541) 松永久秀(40,47951) 松永長頼(39,53451) 十河一存(18,72351) | |
勝龍寺城 しょうりゅうじ | 4.8 | 2000 | 5 | 三好家 | 岩成友通(22,53431) | 天正10(1582)年、山崎の戦いで落城し一時荒廃。寛永10(1633)年、永井氏の入封により修築される。慶安2(1649)年、永井氏の転封により廃城。 |
淀城 よど | 4.0 | 1900 | 5 | 細川典厩家 ほそかわてんきゅう | ◎細川氏綱(50,23221) | 水陸交通の要衝として槇島城と並ぶ洛南の二大軍事拠点。宇治・木津・桂川の合流点にあり、また城の東には巨椋池(おぐらいけ)が広がり、三面を水に囲まれた天然の要害だった。文禄4(1595)年、木村常陸介の改易に伴い廃城。城の資材は伏見城築城に流用された。文和9(1623)年、伏見城の廃城に伴い、古城の南側に新たに築城。築城には伏見城の資材が流用された。 |
淀津 | 京都の外港で、古代からの河港都市。大坂から淀川を遡上する物資の陸揚げ港として一大商業拠点となった。 | |||||
槇島城 まきしま ⇒伏見城 ふしみ | 2.4 | 1250 | 5 | 三好家 | 槇島城:承久の乱に際し上皇方の武士が築城したのが始まり。槇島は巨椋池に浮かぶ島であり、宇治川の渡河点として京都の南側の要衝である。元亀4(1573)年、足利義昭はこの城に籠って織田信長と戦うが、敗れて京都を追われる。一般的にはこの時をもって室町幕府は滅亡したとされる。廃城時期は不明だが、少なくとも天正11(1583)年までは存在していたようである。 伏見城:天正20(1592)年、指月山に築城されたが、地震で倒壊した。慶長元(1596)年、500mほど離れた木幡山に再建された。慶長3(1598)年、豊臣秀吉がこの城で没した。慶長5(1600)年、伏見城の戦いで鳥居元忠が石田三成と戦い全焼、城は焼失した。慶長6(1601)年、徳川家康によって木幡山に再建された。慶長8(1603)年、将軍宣下の儀式にために使われる。だが大坂城陥落後は役割が薄れ、寛永2(1625)年、廃城。 |
近江国南部
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
坂本 さかもと ⇒坂本城 寺:堅田本福寺 かただほんぷくじ | 4.0 | 1500 | 5 | 細川京兆家 ほそかわけいちょう | ◎細川晴元(36,34531) 細川元常(68,42331) 三好政康(22,53251) 三好政勝(14,54441) 茨木長隆(44,27431) 足利義晴(39,32321) ◎足利義輝(14,64321) 三淵晴員(50,25321) ◎香西元成(32,52434) | 延暦寺・日吉大社の門前町。琵琶湖水運によって京都に運ばれる物資の陸揚げ港であり、物資の運送や保管に携わる業者が多数集まっていた。 |
坂本・堅田 さかもと・かたた | ||||||
大津 おおつ ⇒大津城 | 3.8 | 1750 | 4 | 細川京兆家 | 園城寺・石山寺の門前町。琵琶湖水運で運ばれる物資の陸揚げ港として、坂本同様に流通の要衝だった。 | |
大津 | ||||||
朽木谷城 くつきだに | 1.5 | 400 | 5 | 朽木家 くつき (臣/細川京兆) | ◎朽木晴綱(32,42231) | |
新庄城 しんじょう | 3.0 | 1000 | 5 | 新庄家 しんじょう | ◎新庄直頼(12,32331) | 今津は若狭と京都を結ぶ水運拠点。北から運び込まれた物資を大津・坂本方面に送った。 |
今津 いまづ | ||||||
近江海津城 かいづ | 4.0 | 750 | 5 | 浅井家 あざい | 田屋明政(38,43121) | 海津は北陸と京都を結ぶ湖上水運の拠点。大津方面に船が往還していた。 |
海津 | ||||||
瀬田城 せた | 4.0 | 1100 | 6 | 山岡家 やまおか (従/佐々木六角) | ◎山岡景隆(24,43431) 山岡景佐(19,33121) 山岡景猶(16,33321) | |
永原城 ながはら 寺:金ヶ森御坊 かながもりごぼう | 5.0 | 1150 | 5 | 佐々木六角家 ささきろっかく | 進藤定治(50,37531) 進藤賢盛(37,34221) | 草津は大津と並ぶ商業都市で、東海・東山道の交通の要衝。対岸の坂本の発展に伴い、水運拠点としての重要性が高まる。 |
草津 くさつ | ||||||
長光寺城 ちょうこうじ ⇒近江八幡城 はちまん | 5.0 | 900 | 5 | 佐々木六角家 | 後藤賢豊(37,56531) | |
観音寺城 かんのんじ ⇒安土城 あづち | 8.0 | 3500 | 7 | 佐々木六角家 | 六角定頼(55,47531) 六角義賢(29,44441) 六角義秀(18,24221) 六角義郷(15,24111) 布施公雄(34,24331) 平井定武(44,44331) | 常楽寺は観音寺城の外港。美濃~京都間の街道の宿場町でもあり、織田信長は元亀元(1570)年ここで相撲大会を行った。 |
常楽寺 じょうらくじ | ||||||
佐和山城 さわやま ⇒彦根城 ひこね | 6.0 | 1500 | 7 | 佐々木六角家 | ||
鯰江城 なまずえ | 5.5 | 900 | 5 | 佐々木六角家 | ||
日野城 ひの | 4.0 | 1100 | 5 | 近江蒲生家 がもう (臣/佐々木六角) | ◎蒲生定秀(42,46331) | |
三雲城 みくも | 4.0 | 900 | 5 | 三雲家 みくも (臣/佐々木六角) | ◎三雲定持(34,33421) | |
植城 うえ | 4.0 | 750 | 5 | 甲賀衆 こうかしゅう (従/佐々木六角) | 山中久俊(37,34321) 山中俊好(32,43321) 山中為俊(27,43321) | |
小川城 おがわ | 2.5 | 600 | 5 | 甲賀衆 (従/佐々木六角) | ◎望月吉棟(60,54731) 多羅尾光吉(74,43621) 多羅尾光俊(42,43621) |
大和国
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
信貴山城 しぎさん | 6.5 | 1150 | 6 | 筒井家 つつい | ||
郡山城 こおりやま | 7.0 | 1250 | 6 | 筒井家 | ||
奈良 なら | 6.7 | 900 | 5 | 興福寺 こうふくじ | ◎興福寺兼継(76,13310) 多聞院英俊(32,15410) | 多聞山城 |
柳生城 やぎゅう | 1.0 | 250 | 5 | 柳生家 やぎゅう (従/筒井) | ◎柳生家厳(52,43321) 柳生宗厳(23,73331) | |
筒井城 つつい | 3.0 | 1000 | 6 | 筒井家 | ◎筒井順昭(27,54331) 筒井順政(25,33231) | |
大和高田城 たかだ | 5.0 | 650 | 5 | 当麻高田家 とうまたかだ | ◎高田為国(59,43231) 高田為業(34,31211) | |
十市城 とおおち | 5.0 | 950 | 5 | 十市家 とおおち (従/筒井) | ◎十市遠勝(24,52321) | |
越智城 おち | 3.0 | 650 | 6 | 越智家 おち | ◎越智家広(72,43231) 越智家盛(45,22321) | |
高取城 たかとり | 4.0 | 600 | 6 | 越智家 | 越智家益(45,33131) | |
秋山城 あきやま | 3.5 | 450 | 6 | 秋山家 あきやま (従/伊勢北畠) | ◎秋山国堅(48,43131) 秋山教家(24,32221) 秋山直国(17,33221) |
紀伊国西部
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
根来寺 ねごろじ | 6.0 | 1000 | 7 | 根来衆 ねごろしゅう | ◎津田算長(50,73433) 津田算正(17,53323) 津田明算(40,61323) | 高野山から分裂してできた新義真言宗の本山。時代が下るにつれて勢力を強め、それに比例して寺の規模も拡大する。戦国時代には寺域一帯が商業都市の様相を呈すると共に、強力な城塞に進化した。天正13(1585)年、羽柴秀吉の攻撃により陥落、焼亡する。江戸時代には再建された。 |
霜山城 しもやま | 3.0 | 400 | 5 | 河内畠山家 はたけやま | 築城者の隅田党は、紀伊岩倉城を本拠とする隅田氏を始めとする複数の一族が一揆を組んだ党である。 | |
高野山 こうやさん | 3.0 | 300 | 7 | 高野山 こうやさん | ◎高野山門徒衆(?,23221) | 高野山の周囲の山々には、境内を守るように多数の砦が築かれている。これらの砦は織田信長の攻撃の備えてさらに増強され、いわゆる「高野七砦」を中心に防備を備えた。天正9(1581)年10月から翌年にかけて、織田軍による高野攻めが行われるが、地元の武士や僧兵らが防戦する間に本能寺の変が発生したため織田軍は退却した。天正13(1585)年4月、秀吉の紀州攻めにおいては戦わずして降り、以後は武装解除された。平成16(2004)年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録される。 |
岩室城 いわむろ | 3.0 | 300 | 5 | 河内畠山家 | 畠山政尚(17,13221) | |
紀伊太田城 おおた | 2.5 | 1000 | 7 | 太田雑賀衆 おおたさいかしゅう (従/根来衆) | ◎太田定久(24,71133) 太田二郎左衛門(15,62123) | 雑賀五組のうち社家郷(宮郷)の代表的な城。城と呼ばれてはいるが、その構造は町の周囲に土塁や濠を巡らせたものであり、紀ノ川とその支流を某りょに利用していた。フロイスは「一つの市の如きもの」と書いている。天正13(1585)年に羽柴秀吉の水攻めによって落城、その後廃城になったと思われる。 |
雑賀城 さいか ⇒和歌山城 わかやま | 6.0 | 1550 | 8 | 雑賀衆 さいかしゅう | ◎雑賀孫一(?,81775) 土橋重隆(27,52333) 的場源四郎(20,72331) | 雑賀城は雑賀五組のうち雑賀荘の代表的な城。遅くとも天正13(1585)年、羽柴秀吉の紀州攻めの後には廃城となったと思われる。その後1585年、羽柴秀長によって和歌山城が築城される。 |
雑賀港(紀之湊) きのみなと | 雑賀荘の中心的な港であり、根来寺・高野山の外港の役割も果たす。関東や土佐、薩摩方面と盛んに交易を行っていた。 | |||||
有田城 ありた | 2.0 | 250 | 7 | 紀伊神保家 きいじんぼう (従/河内畠山) | ◎神保茂定(17,32131) |
紀伊国東部
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
紀伊亀山城 かめやま | 4.0 | 300 | 7 | 湯川家 ゆかわ (従/河内畠山) | ◎湯川直光(35,51121) | |
手取城 てどり | 1.8 | 200 | 7 | 玉置家 たまき (従/河内畠山) | ◎玉置直和(19,32231) | |
龍松山城 りゅうしょうざん | 2.5 | 200 | 7 | 山本家 やまもと (臣/河内畠山) | ◎山本忠麻(29,32231) | |
安宅本城 あたぎほん | 1.7 | 500 | 7 | 紀伊安宅家 あたぎ (従/河内畠山) | ◎安宅安定(39,32334) 安宅光定(32,32234) | 安宅は日置川上流の山林資源などの積出港か。安宅荘からは備前焼が大量に出土していることから、備前との交易があったと思われる。また、東へと向かう海運ルートの重要拠点であったとも考えられる。 |
安宅 | ||||||
紀伊勝山城 かつやま | 2.0 | 250 | 7 | 汐崎家 しおざき | ◎汐崎重盛(20,33133) | |
新宮城 しんぐう | 4.0 | 350 | 7 | 堀内家 ほりうち | ◎堀内氏虎(30,42224) | 熊野速玉大社の門前町。熊野神人は各地で海運を担って活躍した。 |
新宮 | ||||||
九鬼城 くき | 2.0 | 150 | 7 | 九鬼家 くき | 熊野水軍九鬼氏の根拠地。 | |
九鬼・尾鷲 くき・おわせ | ||||||
紀伊長島城 ながしま | 1.5 | 150 | 5 | 伊勢北畠家 きたばたけ | 向井正重(17,41224) | 天正4(1576)年10月27日、城主加藤甚五郎が堀内氏善に敗れ、落城。 |
伊勢国
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
多気城 たき | 4.0 | 500 | 5 | 伊勢北畠家 きたばたけ | ◎北畠晴具(47,43331) 北畠具教(22,53231) 吉田兼房(24,52321) 芝山秀定(24,42221) | |
大河内城 おおこうち | 5.0 | 1000 | 5 | 伊勢北畠家 | ||
田丸城 たまる | 5.5 | 500 | 5 | 田丸家 たまる (臣/伊勢北畠) | ◎田丸具忠(40,32221) | |
大湊 おおみなと | 3.5 | 2500 | 7 | 大湊町衆 おおみなとまちしゅう (臣/伊勢北畠) | ◎角屋元秀(31,26425) 鳥屋尾満栄(20,44533) | 伊勢神宮の外港。東国各地と交易を行っていた。 |
星合城 ほしあい ⇒松ヶ島城 まつがしま ⇒松阪城 まつざか | 5.5 | 700 | 5 | 星合家 ほしあい (臣/伊勢北畠) | ◎星合具種(24,33221) 大宮含忍斎(26,33431) | 細汲は伊勢湾海運の拠点であり、また三度川の渡し場。鎌倉時代からの港。永禄年間に北畠氏によって松ヶ島城が築かれ、後に織田信雄の居城となった。 |
細汲(松ヶ島) ほそくみ(まつがしま) | ||||||
木造城 こつくり | 5.0 | 500 | 5 | 木造家 こつくり (臣/伊勢北畠) | ◎木造具政(21,43231) 木造具康(34,52231) 柘植保重(28,41421) | |
安濃津城 あのつ | 4.5 | 1200 | 5 | 長野工藤家 ながのくどう | 細野藤光(39,32221) | 三津七湊の一で、日本三津の市。室町時代の海陸の要衝。町には年貢負担がなく、関銭が領主の収入の中心だった。明応7(1498)年の地震で壊滅的打撃を受け、以降推戴した。以降も船の往来はあったものの往年の港湾機能が戻ることはなく、参宮街道を中心とする陸路にとって代わられた。 |
安濃津 | ||||||
長野城 ながの | 8.0 | 750 | 7 | 長野工藤家 | ◎長野稙藤(46,33221) 長野藤定(24,33221) 分部光高(17,43231) | |
伊勢亀山城 かめやま | 5.5 | 1000 | 5 | 関家 せき | ◎関盛信(37,53231) 関盛光(26,33321) | |
神戸城 かんべ | 5.5 | 1200 | 5 | 神戸家 かんべ | ◎神戸具盛(52,42221) 神戸長盛(33,23121) | 楠は伊勢湾沿岸各港との水運が盛ん。大野、篠島への渡航拠点。 |
楠 くすのき | ||||||
千種城 ちぐさ | 4.0 | 750 | 5 | 千種家 ちぐさ | ◎千種忠治(32,33331) | |
梅戸城 うめど | 3.0 | 750 | 5 | 梅戸家 うめど (従/佐々木六角) | ◎梅戸高実(48,33231) | |
伊勢長島城 ながしま 寺:長島願証寺 がんしょうじ ⇒桑名城 くわな | 6.0 | 1000 | 5 | 本願寺 ほんがんじ | 服部友貞(35,43244) | 桑名は永正7(1510)年に永野工藤氏が制圧するが、天文5(1536)年以降六角氏の後援を得た梅戸氏が奪取を図り、周辺国人衆や長島願証寺を巻き込んだ争いの末梅戸氏が勝利した。 |
桑名 |
伊賀国・志摩国
城名/外港名 | 石高 | 経済 | 城規 | 家 | 主な武将 (年,武政智統水) | 城・外港解説 |
龍口城 たつくち | 2.0 | 250 | 9 | 伊賀衆 いがしゅう | 伊賀龍口と大和龍口の境界上にある。伊賀忍者の里といわれ、百地三太夫が幼少時から近くの滝で修業したと伝えられる。 | |
掛田城 かけだ | 2.0 | 250 | 8 | 伊賀衆 | 天正7(1579)年9月、伊賀衆は当城に拠って織田信雄の侵攻を撃退した。だが同9(1581)年9月の天正伊賀の乱において、再度侵攻した信雄の大軍の前に落城した。 | |
仁木館 にっき ⇒上野城 うえの | 3.0 | 500 | 5 | 仁木家 にっき | ◎仁木長頼(22,23231) | 仁木館の詳細は不詳。現在は三田寺境内として土塁や空堀が残っている。上野城は天正13(1585)年に筒井定次が築城し、慶長16(1611)年、藤堂高虎が大規模な改修を加えて、江戸時代を通じて津藩の支城として存続した。改修工事中に天守が倒壊した上、豊臣氏滅亡のため、天守再建はされなかった。明治になって大部分が破却解体されたが、現在は公園となって模擬天守が建てられている。現在の天守は正式には「伊賀文化産業城」であり、上野城ではない。 |
福地城 ふくち | 3.0 | 250 | 9 | 伊賀衆 | ◎藤林長門(35,61731) 百地丹波(39,81931) 柘植小四郎(28,81921) 伊賀崎道順(34,71821) 城戸弥左衛門(31,71821) | 天正9(1581)年の織田信長の侵攻(天正伊賀の乱)に際し、城主福地伊予守は織田方に寝返って所領を守った。だがその結果福地氏は地元の人心を失い、城を捨てて他国へ移住した。現在本丸跡は福地一族出身の松尾芭蕉にちなみ芭蕉公園となっている。 |
波切城 なきり ⇒鳥羽城 とば | 2.0 | 750 | 7 | 九鬼家 くき | ◎九鬼浄隆(47,42238) 九鬼澄隆(20,32126) 九鬼光隆(17,32326) 九鬼泰隆(48,43238) 九鬼定隆(30,33227) | 波切城は文禄3(1594)年、九鬼嘉隆の鳥羽城移転に伴い廃城。現在、城跡近くには大王崎灯台がある。鳥羽城は文禄3(1594)年に築城された。 |
答志・鳥羽・波切 とうし、とば、なきり | 鳥羽近くの答志島は伊勢湾海運の拠点。明応7(1498)年の地震で大きな被害を受けたが、元亀年間には志摩を代表する港に復興していた。 |