100分日本史 テキスト3

Last-modified: 2020-05-17 (日) 13:54:11

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第十章 壬申の乱と天武天皇(続き)

正式な後継者を倒した天武天皇の権威up
 ⇒ 中央集権化改革が完成に向かう

 

死後、妻の持統天皇などもその改革を引き継ぐ。
694 中国風の立派な都・藤原京を建設(長期的に続く前提の都)
701 大宝律令の制定(中国の法律のアレンジ)
 ⇒ 中国モデルの中央集権国家(律令国家)が完成!

第十一章 律令国家のしくみ

官僚制度
天皇をトップに、役人たちをピラミット型にランク分け
(ごく一部の上位が「貴族」と呼ばれる)
家柄の要素は大きく残る =中国のような科挙(試験による登用)はなし

 

地方の支配
日本各地を「国」に分ける(今でいう都道府県)
 ⇒ 都から「国司」(今でいう県知事)を派遣する
「郡司」(今でいう市長)は、地元の有力者を任命

 

民衆の支配
朝廷(都の中央政府)が日本中の土地・人民を支配(公地公民)
すべての人民を「戸籍」に登録
 ⇒ 平等に土地を配り、平等に税を負担させる

※一般身分の男性の場合。女性や被差別身分は土地も税も少ない
 

税負担はイネ(租)、モノ(庸・調)、労働(雑徭)、
そして全員ではないが兵役など、様々な種類があった。

第十二章 奈良時代の政権

710 平城京に遷都 奈良時代の開始
奈良時代の政治の特徴
=天皇の下で、藤原氏皇族(出身者)が政治の主導権を奪い合う

  • ①藤原不比等 … 中臣鎌足の子。大宝律令制定に活躍
  • ②長屋王(皇族) … 天武天皇の孫。大豪邸で有名。藤原氏の陰謀で自殺
  • ③藤原四兄弟 … 不比等の子たち。新型ウイルス天然痘で全員死去
  • ④橘諸兄(元皇族) … 聖武天皇に信頼される
  • ⑤藤原仲麻呂 … 不比等の孫。橘諸兄の子を倒す。

第十三章 土地制度の変化

ところで8世紀半ば、早くも律令制度に問題点が…

  • 人口の増加もあり、配る土地が不足
  • 税負担が重く、土地を離れて負担を逃れる人続出
     

そこで743 墾田永年私財法
=たとえば貴族が逃げた農民などを雇い、新しい土地を開発してOK!
 そしたらあなたの私有地にしてOK!国に返さなくてOK!

 

これは公地公民制が崩れ始めたことを示す?
⇔ただし私有地の広さには地位による制限あり。
 また土地からの収穫に対して税は発生する

第十四章 天皇と仏教

奈良時代の政治は天皇仏教が最強すぎて振り回されることも。

 

聖武天皇と大仏
聖武天皇は橘諸兄や、唐への留学経験者を起用し意気込むが
天然痘の流行、火災、地震、九州で反乱 ⇒「私が悪いのだ…」

 

そして「仏教に頼るしかない!」
⇒ 743から都に大仏造立開始 また各地に国分寺などを建てる
まるでオリンピック招致(金とボランティアをつぎ込み、夢と希望を買った?)

 

孝謙上皇と道鏡
孝謙天皇は女性天皇で、既に位を譲り上皇(じょうこう)になる。
政治の主導権は、新天皇から信頼された藤原仲麻呂が握っていた(756~)
だが孝謙上皇は急に道鏡というただのお坊さんを強烈に推し始める

病を治してくれたかららしい。民間療法的なものか、あるいは
精神的な病気を治したという意味で、カウンセリング的なものかもしれません。
そして2人は恋仲になった可能性もある。精神的な支えだったのかも。


仲麻呂は対抗するが、支援者が多く亡くなったこともあり敗北
孝謙上皇がもう1度即位し、称徳天皇となる

「道鏡を天皇にすると良いって神様が言ったらしいわ」と言い出すが
宇佐八幡宮へ派遣された和気清麻呂の正直な報告によって阻止される

第十五章 桓武天皇の活動

さまざまな問題点(律令制度のほころび、仏教勢力の増大)
 ⇒ 桓武天皇は中国の皇帝のようなより強い天皇をめざし、国を改革

 

都作り
仏教勢力から遠ざかることなどを目的に京都へ
1度失敗 ⇒ 794 平安京への遷都に成功(1000年以上続く!)

 

東北遠征
東北地方には、朝廷に従わない蝦夷(えみし)と呼ばれる人々
 ⇒将軍・坂上田村麻呂を派遣して制圧していく
ただしこれら2大事業は民衆を苦しめており、805に停止を決断

 

律令制度改革
時代に合わない部分を変革
(例)国司が交代する時の不正防止策、民衆の兵役廃止など

 
動画では触れませんでしたが、最澄や空海による新しい仏教も保護します。
この天台宗や真言宗は、簡単に言うと都ではなく山に籠って修行するタイプで
桓武天皇の意思と合うものだったわけです。
(ただしこれまでの奈良の仏教も公式に保護され続けていきます。)

第十六章 嵯峨天皇の改革

薬子の変
3年だけ平城(へいぜい)天皇、病気になったので嵯峨天皇の時代に
しかし平城上皇「もう1度天皇になりたい、都を平城京に戻したい…」
 ⇒ 薬子の変発生、嵯峨天皇が鎮圧するも、危機感を持って改革

 

新しい役職の設置
810 蔵人頭(くろうどのとう=天皇が本当に信頼する人を秘書長に任命)
 ⇒ 藤原冬嗣などが任命される(藤原北家がこれを起点に一気に繁栄)
816 検非違使(けびいし=京都の警察)

 

その他の改革
また中国(唐)風にあこがれ、唐風の学問や漢詩などの能力が出世の条件に
 ⇒ 貴族たちは一族のための予備校(大学別曹)を設立
日本語の文学は流行らず(国風暗黒時代)

第十七章 藤原北家の台頭

良房の摂政就任
藤原冬嗣の子・藤原良房の、藤原氏らしい陰謀炸裂

  • 皇太子を廃止し、自分のおいっ子を皇太子につける(842承和の変)
  • ライバル貴族・伴善男を放火の犯人だとして追放(866応天門の変)

858(正式には866) 摂政に就任!
=幼い天皇の代理。皇族以外がなるのは史上初!

 

基経の関白就任
藤原良房の養子・藤原基経も摂政を引きつぐ
そして次の天皇に、もう天皇になれないと思っていた50代男性を推薦
 ⇒ 感謝感激されて、代理を依頼される!

 

つまり天皇が成人男性で、代理がいらないのに代理をまかされる
=884 史上初の関白誕生!