年末年始の慌ただしさも一段落付いた頃。
各グループのメンバーは普段のペースの仕事に戻って、橋本さんも送迎やレッスンの立ち合いで事務所には俺一人。
年末からずっと誰かと一緒にいたような気がする。こんなに静かなのはいつ以来だろう。
時折来るメッセに目を通しながら黙々と仕事をしていると、事務所の扉が開く音がした。
2人分の足音が、俺がいる執務室に向かってくる。
「お疲れ様です、牧野さん!」
「お疲れ様、です」
並んで顔を覗かせるのは、雫と奥山さんだった。
「お疲れ様。珍しい組み合わせだな」
「はい!駅で一緒になって、せっかくなのでお話ししながら来ました!」
「緊張して、ちゃんと話せなかった…かも」
「いえいえ、最近の注目アイドルの話、すごく面白かったです!事務所までの道じゃ時間が全然足りませんでした!」
雫も奥山さん…というか、トリエルの?ファンみたいだからな…。
今後現場で一緒になることもあるだろうし、免疫を付けておく必要はあるかもな。
「みんなが戻ってくるまで、ゆっくり話してきていいぞ」
と、気を回したつもりだったのだが。
「それなら、牧野さんも一緒がいいです!」
「ん、私も」
どうするかな。
ちらり、と時計を見る。思ったよりも集中していたようで、今出ている現場もそろそろ終わりになる時間だ。
そう遠からずメンバーも揃うだろうし、少し休憩にするか。
「じゃあ俺も少し休憩しようかな」
やったー!と飛び上がる奥山さんと、微笑む雫。表現に差はあれど、喜んでくれているなら何よりだ。
ノートPCを閉じて立ち上がると、伴って事務所の休憩スペースへ向かう。
自販機で自分用のコーヒーと、二人にはジュースを買ってあげることにした。
「そんな、悪いですよ!自分で出しますから!」
奥山さんはそう言って遠慮したが、
「この間の件のお詫びもあるから」
と言うと、申し訳なさそうにしながらも受け取ってくれた。
「…この間の件?」
雫が不思議そうな顔をしたので、説明した方がいいだろうか。
奥山さんに目配せすると。
「えっとですね、実はクリスマスライブの時に…」
ところどころぼかしながらではあるが、あの時のことを説明してくれた。
「ファンとしては最高のライブが見れたから良かったけど…約束忘れるのは、ダメ」
めっ!と、優しくも窘めるように叱られてしまった。
それにしても、雫も年末忙しかったはずなのにあのライブ見に行ってたのか…。
「反省してるよ…」
「私も…ううん、他のみんなも、大事な約束破られたら、悲しい」
我が事のように思ったのか、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「そうだよな。もっとしっかりしないと」
「ん…牧野さんのこと、信じてる」
そう言って、頭を撫でてくれた。
「なんだか、照れ臭いな」
そう言って頬を掻いていると。
「むむむ…!」
「お、奥山さん…?」
奥山さんが凄い顔でこっちを見ていた。
「なんだか雫ちゃんの方がお姉さんみたいです!お兄ちゃんは、妹より姉派の人なんですか!?」
何やらとんでもないことを言いだした。
「え、いやそういうわけでは」
「ほんとですか?なんかいい雰囲気まで出してました!」
ぷんすかしながら詰め寄ってくる奥山さん。怒った顔もかわいいな…ってそうじゃなくて。
「もー!ほんとに反省してるんですか!」
「してる!してるから!雫ー!見てないで助け…雫?」
「…お兄ちゃん?」
雫が怪訝そうな顔でこっちを見ていた。
あ。俺と奥山さんは、お互いに顔を見合わせる。
「えーとそれはですね」
奥山さんがざっくりと事情を説明してくれた。
「納得。すみれちゃんは一人で実家を離れてお仕事してるから、偉い…です」
雫は奥山さんの頭も撫でてあげた。
「い、いえいえそんな!」
「いや、実際凄いと思うよ」
「も、もう牧野さんまで!」
どうやら怒りは収まってくれたらしい。
「それで、その…すみれちゃんに、お願い、ある」
「はい?なんですか?」
「わ、私も…お姉ちゃんって呼んで、もらえますか…?」
雫…欲望がダダ漏れだぞ…。
「ええ、いいですよ!雫お姉ちゃん!」
「…ぐはぁ!!!!!」
「「雫(ちゃん)!?」」
俺と奥山さんの声が重なる中、雫が鼻血やらいろいろ吹き出しながら、失神した。
「だ、大丈夫か雫…?」
「えーと、ティッシュとか濡れタオルとか持ってきます!」
「すまない、頼む!」
二人でバタバタと雫を介抱していると、10分ほどで意識を取り戻した。
「…ハッ!?」
「あ、雫ちゃん起きました!」
「無理に起き上らなくていいぞ」
そう言ってソファーに寝かせた雫の髪を軽く撫でて整えた。
「ん…大丈夫、復活した」
雫は立ち上がると、謎のポーズを決めた。
「…何だ?それ」
「さくらちゃん直伝、完全復活のポーズ」
…またさくらがよくわからないものを流行らせようとしているのだろうか。深くはツッコまないことにした。
「なんだか清々しい気分…魂が浄化された…?」
「それはわからないけど、確かに大丈夫そうだな」
「定期的に摂取したら、寿命が10年くらい延びる可能性も…?」
「それは無いんじゃないかな…」
「ん、残念」
雫流の冗談を流していると、スマホのメッセ音が鳴った。
「あ、私のですね!…瑠依ちゃんたち、そろそろ事務所に着くみたいです。ちょっと下まで迎えに行ってきますね!」
「ああ。それじゃ、そろそろ休憩も終わりかな」
走っていく奥山さんの背中を見送りつつ頭を仕事モードに切り替えながら、ゴミ箱に空き缶を捨てる。
「資料取りに戻るから、雫も打ち合わせの準備しておいてくれ」
「ん、わかった」
雫も続けて缶を捨てると、ロッカールームへ戻っていった。
さて、今日も忙しくなりそうだ。
『お兄ちゃん』。すみれちゃんの口からその単語を聞いた時、ちょっとだけ、胸がざわついた…?
私も呼んでみたら、その理由、わかるかな…?
『お兄ちゃん』?『兄さん』?ん…なんだか、こそばゆい…。
今度鑑賞会する時に、試してみよう。
終わり