現地チケほしかった

Last-modified: 2022-07-03 (日) 19:58:48

日中、静かな事務所で黙々と書類仕事ができる時間はとても貴重だ。
かかってくる電話は橋本さんが取ってくれるし、学生メンバーの授業中はメッセも入らないから手が止まることもあまりない。
とはいえ、橋本さんも電話対応中の場合は俺が取るしかないわけで、その時はこっちで対応をすることになる。
…そろそろみんなが事務所に到着してくる時間だ。集中しているとあっという間だな。
と、執務室の外から橋本さんの声が聞こえてきた。

「あっ!おっつかれ様でー…って、大丈夫ですか!?」

…何だ?気になって目線を上げると、丁度扉がノックされるところだ。あのシルエットは…雫か。
いつも通りの控えめなノックの音。

「はい、どうぞ」

ゆっくりと開かれた扉から、ひょっこりと顔を覗かせる。

「お疲れ様…です」

橋本さんの言葉の通り、雫の表情は晴れない。
最近はハッキリと話ができるようになってきていたが、声も明らかに小さくなっている。

「だ、大丈夫か!?体調が悪いなら無理せず休んで…それとも、まさかどこかケガを…」

俺は慌てて立ち上がって駆け寄ろうとしたが…

「ん、体は大丈夫。そういうのじゃない…です」

元気元気、と身振り手振りで示してくれた。

「大丈夫ならいいが…なら、どうしたんだ?元気が無いように見えるけど」
「ん…前にお休み取りたいって言った日、覚えてる?」
「ああ、確か最近注目のアイドルのライブがあるって…あっ」

まさか。

「チケット、取れなかった…凄く楽しみにしてたのに…。それに、ライブのこと、牧野さんとお話したかった…」
「雫でも取れないほどか…それは確かに気になってくるな」

確か、大手の事務所だったな。

「配信とかライブビューイングとかは?」
「ん…今のところは告知なし。ただ、ネットでも結構騒がれてるから…可能性は、あるかも」
「なるほどな…」

こんなに残念そうにしているのを見せられると、なんとかライブ見れるようになってほしいが…。
とりあえず、ここは話題を変えた方がよさそうだ。

「その日は他に予定無いのか?例えば千紗と予定合わせてどこかに出かけるとか…」
「千紗ちゃん…。あ、それなら…」

少し考える素振りを見せた後、びしっとポーズを決めながら、

「星見プロダクション22歳男性マネージャー1名に聞きました」
「何かコーナーが始まった…」
「下着はカワイイのとセクシーなの、どっちがいい?」
「下着かぁ…下着!?」

思わず大声を出してしまった。橋本さんには…よかった、聞かれてなさそうだ。

「いきなり何なんだ…」

声のトーンを落として、尋ねる。

「ん、しまった…大事なことが抜けた。私のじゃなくて、沙季ちゃんの、ね」
「それはそれでおかしいからな!?一体どういうことなんだ…?」
「そう、あれは月ストのみんながいなかったある日の寮でのこと…。
 残ってたメンバーで、掃除とか、洗濯とか、溜まったのを片付けていた時に、起こった。
 洗濯機から取り出した洗濯物をみんなで仕分けしていると、いた」
「いた、って何が?…まさか」
「そう、あの白い猫ちゃんの、下着。しかも、バックプリント」
「お、おお…」
「それも1枚や2枚ではない…。次々と発掘される猫ちゃんにみんなが硬直してたら、千紗ちゃんも周りの様子がおかしいことに気付いて…」

その状況を想像してはいけないよな、と思ったが…目に浮かぶようだ…。

「みんな、無言で千紗ちゃんにぱんつを差し出すしか無くて…。千紗ちゃんは真っ青になってぱんつを掴んで逃げるように部屋に走っていった」
「ああうん…それは辛いというかなんというか…」

俺には何も言えないぞ…。

「だから、千紗ちゃんと一緒に沙季ちゃんの下着を買いに行く」
「話が戻って来たな…。というか、俺に意見を求められても困るんだが…」
「実物見てもらうわけじゃないし、気軽に選んでくれていい」
「いや、ダメだから!千紗と決めなさい!」
「ん、仕方ない」

そう言いながら、表情には笑顔が戻って来た。

「慌ててる牧野さん、ちょっと可愛かった」
「からかわないでくれ…。元気、出てきたみたいだな」
「うん、お話ししてたら、気分転換できた。ありがとう、ございます」
「いいよ、困ったことがあったら言ってくれ。ああでも、さっきみたいなのは勘弁してくれ…」
「ん、わかった」

話が落ち着いたところで、他の子達も事務所に到着したようだ。
俺は雫に打ち合わせスペースに行っててもらうように伝えると、資料をまとめて執務室を後にした。

後日、雫が見たがっていたライブはライブビューイングが行われることが決まり、千紗の分と合わせてチケットを入手できたそうだ。
凄く嬉しそうにしていたし、話を聞くのが楽しみだな。

終わり