中嶋悟

Last-modified: 2020-02-06 (木) 00:35:29

プロフィール Edit

1953年 愛知県生まれ

 

小柄な身体に人一倍の負けん気と根気強さを秘めた少年は、クルマへのあくなき憧れを抱き、
レーシングカートからスポーツとしてのドライビングを学習する。
(中嶋レーシングオフィシャルウェブサイトより引用)
長男の中嶋一貴、次男の中嶋大祐もF1レーサー

来歴 Edit

国内ドライバー時代 (1973~1986)
国内トップカテゴリーF2シリーズで5回のチャンピオンを獲得。
ホンダエンジンの開発にも参加して、F1テストドライバーも務める。

  • 1983年 自らの会社、中嶋企画を設立し、F1参戦の準備を始める。
  • 1973年 鈴鹿シルバーカップデビュー
  • 1977年 F2シリーズ3位 FJチャンピオン
  • 1978年 鈴鹿F2チャンピオン 英国F3参加
  • 1979年 GCシリーズ チャンピオン
  • 1981年・1982年 F2チャンピオン
  • 1984年 F2チャンピオン ホンダF1テストドライバー
  • 1985年 F2チャンピオン ル・マン24時間参戦
  • 1986年 F2チャンピオン ヨーロッパF3000参戦
     

F1参戦 (1987~1991)
34歳で念願のF1フル参戦ドライバーとして、名門チームロータスよりホンダエンジンでデビュー。
この年より鈴鹿日本GPも開催され、F1が爆発的な人気となる。

  • 1987年 チームロータス シリーズ11位
  • 1988年 チームロータス シリーズ16位
  • 1989年 チームロータス シリーズ21位 (オーストラリアGP ファステストラップ)
  • 1990年 ティレルレーシング シリーズ15位
  • 1991年 ティレルレーシング シリーズ15位
     

チーム監督(1992~
91年にドライバーを引退。
中嶋レーシングの総監督として、新しい活動を展開する。
チーム総指揮として、チーム運営を含め、国内レースの活性化など、レース界での役割も重要な仕事となってくる。

参加レースは、国内トップフォーミュラーへの参戦、メーカーがしのぎを削るハコレースの耐久など、多岐に渡る。
国内外の若手ドライバーにチャンスを与え、ドライバー育成にも力を注ぐ。

有限会社中嶋企画代表取締役社長、日本レースプロモーション会長、鈴鹿サーキットレーシングスクール校長
(中嶋レーシングオフィシャルウェブサイトより引用)

概要 Edit

元々はヒテッマン氏の動画で、「中嶋悟 F-1ヒーロー」にてアドバイスをしてくれる人物として登場していた。
そのきっかけとなった名言「フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ」が、
バグプレイであそぼう! その30、バグ色デイズ 7で再現された。

この「フフフフフ」の文字列は、ジャンボ尾崎における
0の羅列同様、中嶋の代名詞として定着している。1行あたり15字だが尾崎先生と違って改行含め4行以上言っている。

 

夢のバグプレイ その10では、「フ」や「ス」がところどころに割り込みつつも説明が続いた結果、
「フンプル」「コーフス」「フマシフスフスフスフスフス」などの迷言が誕生し、
最終的に中嶋悟の口にまで「フ」が付いてしまうことになった。

 

もちろん、中嶋悟が登場する動画は他にもたくさんあるが、詳細は だれか かわってくんない?

関連項目 Edit

中嶋悟のまち
フフフタイプ
ジャンボ尾崎
谷川浩司
エモやん?
古舘伊知郎