可部線

Last-modified: 2017-02-13 (月) 00:08:06

路線概要

全線電化されており、現在は広島市の都市近郊路線となっている。かつては広島市内への通勤輸送とともに三段峡への観光輸送路線としての役割を担っていたが、乗客数などの減少により2003年12月1日に可部駅 - 三段峡駅間が廃止された。

運行形態

広島駅を起点に運転されており、一部の列車は山陽本線・呉線へ乗り入れを行っている。全区間を通して運転する列車のほか朝、夕方時間帯を中心に緑井駅または梅林駅で折り返す区間列車が設定されている。普通列車のみの運転で日中は1時間に3本(20分間隔)で運行されている。全列車に車掌が乗務しており、ワンマン運転は行われておらず、車両の夜間滞泊は可部駅のみで行っている。

使用されている車両

113系?
115系?
105系?
227系?

過去の運転形態

元々は横川駅を起点とする私鉄だったこともあり、かつては横川駅を起点に運転され、電留線も横川駅にあった。しかし、駅の移転・山陽本線電化等で一部の列車が広島駅に乗り入れるようになり乗り入れ数は増えていった。ついには全列車が広島駅に乗り入れとなったが、横川駅の電留線は留置する電車が無くなった後もしばらく存在していた。しかしのちに撤去され、中国ジェイアールバスの停泊基地と、マンションになっている。
電化区間の区間列車はかつては古市橋駅までの運行であったが、緑井駅に行き違い施設が新設されたことにより緑井駅まで延長になった。1996年9月2日には、朝の一部列車がさらに梅林駅まで延長された。
2004年10月16日のダイヤ改正より、夕方に下り広島発可部行きのみ快速「通勤ライナー」が運転されていたが、2012年3月17日のダイヤ改正をもって廃止されたが可部線内は普通列車で山陽本線・呉線内は快速運転となる列車は現在も存在する。
なお、貨物列車の運行は1984年に廃止されている。

廃線区間の状況

可部駅 - 三段峡駅間の非電化区間は2003年に廃止された。廃止当時の運行は、可部駅 - 加計駅間で1日8往復(2時間に1本程度)だったが、三段峡駅までは5往復で4時間ほど運行されない時間帯があった。ここの区間は何度か廃止議論が起こった区間であり、赤字83線のひとつでもあったが、地元議会の反対や、当時建設中だった加計駅~三段峡駅間の建設中であったこと、山陰とを結ぶ今福線構想もあったため廃止されず、三段峡駅 ~7浜田駅間の建設を開始した。(のちに建設中止となっている)
1984年に、再び可部線非電化区間は廃止の議論に上ったがその中で可部駅~河戸駅間に関して電化して存続する案が示された。しかし、ここでも広島市を含む沿線5市町村が『国鉄可部線対策協議会』を結成し反対運動を行ったことで、廃止にはならず1987年に国鉄は分割民営化され、JR西日本に移行した。しかし、JR西日本に継承されても1997年当時の収支が可部駅 - 三段峡駅間が収入1億4000万円に対して経費7億4000万円で6億の赤字であることを重く見たJR西日本は翌年に正式に可部駅~三段峡駅間の廃止・バス移行の方針を打ち出した。これに対して可部線沿線住民は利便性が高まれば利用者は増えると主張し、河戸駅周辺住民による存続・復活運動や津浪駅の駅名と当時のヒット曲を掛けた存続運動、地元役所の出張に可部線を使うなど、存続活動が行われた。そしてJR西日本は地元の存続運動に応える形で2000年11月からの104日間と2001年4月からの1年間の2回、列車の試験増発を行った。しかし、結果、乗客が増えたのは臨時快速「三段峡観光号」のみであり、地元の利用客である定期利用客はほとんど増えなかった。また、JR西日本が設定した存続の条件・輸送密度800人/日には達しなかったため正式に廃止が決定した。その後地元自治体を中心とする第三セクターへの移行も検討されたが2002年に断念された。そしてJR西日本は同年11月29日、廃止届を提出。翌2003年11月30日、廃止となった。
廃止後は代替バスに転換され、鉄道施設・線路跡についてはJR西日本から各沿線自治体に無償で譲渡され、各自治体は跡地の活用についての検討に入った。その一方で廃止後も廃止区間を鉄道として再生しようという動きがあり、住民グループ「太田川流域鉄道再生協会」が結成され、駅舎・線路や踏切などの鉄道施設の撤去に反対する運動が行われた。このグループは会社を設立し、観光鉄道としての復活を目標に動き始めた。しかし住民グループの地域おこし企画程度の内容であり、路線調査や集会などは開催したものの大口の出資者は全く無かった。このため協会は「太田川流域鉄道再生基金」と称する基金を設立し、地域のテレビ番組やウェブサイト等で募金を呼びかけ、その募金を基に観光鉄道としての運行再開を目指したが集まった募金はわずか700万円ほどで工事費はおろか開業時の運転資金にすら遠く及ばない額であった。そのため安芸太田町は鉄道の復活が不可能と判断し、線路、枕木の撤去や駅舎解体などを始めた。その結果太田川流域鉄道再生協会は活動を断念。集まった支援金の返還を決めた。
そのほか、可部線の広島市内の廃線跡の処置については、2006年3月に広島市がビジョンを公表している。これによれば、河戸駅の先、長井・荒下地区までは電化再生、それ以外の区間は道路拡幅用地や自転車道、公園などへの整備が謳われている。また、長井・荒下地区までの区間についてもスケジュールや費用負担などの具体的な言明は一切なく、現状の再確認にとどまっている。その上で当面は廃線跡にヒマワリを植える計画であり、市として復活関連の事業は、その時のビジョンでは当面何も行わないことを事実上明らかにしていた。
可部駅 - 三段峡駅間の廃止後、順次線路や枕木などが撤去されていったが、可部駅 - 河戸駅間 は今後復活する可能性があることから広島市とJR側で協定が結ばれ、ほとんどの部分でそのまま残された。
広島市内の区間については可部駅 - 河戸駅間以外は2007年度中に線路・枕木が撤去されたが、可部駅から新設されるあき亀山駅間(1.6km)は延伸開業に向けてあき亀山駅以南の廃線跡を残し一度全て撤去されたうえで踏切が再設置され、線路やバラストが敷き直された。
現在はほとんどの区間で廃線跡にあったレールや枕木、駅舎などは一部を除いて撤去されたが、三段峡駅跡地は交流施設となっている。加計駅跡地には体験交流館「かけはし」が整備され、ホームには気動車が静態保存されている.

廃線区間の復活

1998年9月にJR西日本が廃止の意向を明らかにした以降も活動は活発に行われていた。2003年の部分廃止の時には、廃線は免れなかったものの、可部駅 - 河戸駅間に関してはJR西日本と広島市の間で「市から電化延伸の協議があれば応じる」と確約を取り付けたが、費用については地元負担を原則にしていたため緑井駅 - 可部駅間のすれ違い施設を含め30億から40億円かかることで廃線まで河戸駅間電化に関する具体的な動きはなかった。廃線後も、広島市と旧河戸駅周辺住民による「JR可部線電化延伸等連絡会」が月1回開かれていた。転機が訪れたのは2008年であり、国の補助対象に選ばれ、計画が具体化したしたことである。そのため広島市・JR西日本のほか、バス会社やオブサーバーとして国土交通省が参加し翌年の活性化素案には電化延伸を盛り込む意向が明らかになった。
こうして2011年2月3日に広島市は可部線で廃止された区間のうち可部駅から廃止区間にある河戸駅西方約400メートル付近に設置される予定の新駅までの約2Kを電化して復活させることを明らかにした。計画では、広島市と国が建設費の大半を負担して、2013年度中の完成を目指して2011年度中に着工する意向を示した。しかし、同年9月にJR西日本の広島支社長は、国土交通省が安全面から新線への設置を認めていない踏切を住民の要望で3カ所復活させるため、同省中国運輸局との調整が必要となったこと、線路など鉄道施設の耐久性の問題などを理由に、同年9月末の最終決定を事実上先送りすることを明らかにした。
その後総事業費は約27億円と見積もられたため、国から3分の1の補助を受けて広島市が負担することとなった。駅舎や路線などは広島市が整備し、JR西日本は運行や保線経費を受け持つこととし、2015年3月のダイヤ改正時を開業目標とした。しかし、踏切に関する調整に時間が掛かったことからJR西日本が夏に行う予定であった国土交通省への事業許可申請が遅延したため。2015年3月の開業は困難な見通しとなっていることなり、開業は1年遅れの2016年3月になる見込みとなった。
2014年2月25日、JR西日本が鉄道事業許可を取得したものの、広島市による駅建設用地取得の手続きが遅れていることから延伸開業がさらに2014年春に延期すると決まった。地権者毎に土地の境界を確定する作業に予定より時間がかかったため、予定していた2014年内の用地取得が半年ずれる見込みで2016年のダイヤ改正に間に合わず、さらに次の改正時期まで延期となった。よって延伸区間の開業日が2017年3月4日となった。

路線の改良

広島市はJR可部線活性化協議会での検討内容や市民意見などを踏まえ、2010年2月に「JR可部線活性化連携計画」を作成し、以下の2つ計画がされ、1つは実現している。

列車交換設備の追加と可部変電所の増強

梅林駅 - 可部駅間は2駅連続で列車交換が不可能であることによって梅林駅と可部駅で列車待ち合わせが長時間化しており、これ以上の増発が行われると列車の運行に支障をため、上八木駅に列車交換設備の追加が検討されているとともに、列車が増発できるようになることから変電所の増強が検討されている。

  • 分岐器の改良
    通過速度を向上させるためより高い番数への分岐器の取り替えが検討されている。
    横川駅の線形改良
    駅構内の山陽本線と可部線との接続が単線であることにより、可部線ホームでの列車待ち合わせと可部線への進入出による山陽本線の遮断が長時間化し、運行間隔と山陽本線に悪影響を与えているため、2015年のダイヤ改正時に複線化が行われた。

ドアカット

かつては七軒茶屋駅と上八木駅のホームが3両編成までしか対応していなかったため4両編成列車は長らく広島側の1両のドアカットを行い残り3両のみドアを開閉していた。
しかし、車掌の取り扱い不注意による4両目のドアを開扉する事故を防止するために2005年10月1日のダイヤ改正から七軒茶屋駅 - 可部駅間のすべての駅で広島側の1両のドアカットを行うようになった。
ところが、2007年9月7日に七軒茶屋駅において車掌のミスにより、4両編成の全車両のドアを開扉する事故が発生した。これを重く見たJR西日本は安全対策4両編成対応工事をすることを発表し、2008年3月15日のダイヤ改正から七軒茶屋駅は南に移設された新ホームとなり、上八木駅もホームが延伸され、全駅が4両編成対応となったため可部線におけるドアカットは解消された。

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