小説/サイドストーリー/其は雪ひとひらの如き微かな時

Last-modified: 2022-04-29 (金) 11:27:34

Day 1

凍えるような乾いた風が吹き渡る季節。顔を洗い着替えた抄雪は再び寝室の扉を開く。

「美其……美其、起きて。もう8時だよ……」
「……ん~??あと10分で起きますから、もうちょっと……」
掛け布団にしがみつく美其を引きずりながら、抄雪は居間へと向かった。

「朝はパンでも焼いておくから。急がないと学校遅れるよ」
しかし、美其はきょとんとした表情。
「お、おねえさま?今日は祝日でありますよ……?」
「…………え」
トースターにパンを挿す直前で抄雪の手は止まり、そのまましばらく動かなかった。

━美其メモ━
○月×日
今日を平日と勘違いしていたおねえさまに起こされた。気づいた瞬間顔を真っ赤にして黙り込むおねえさま。かわいい。二度寝して夢の中でじっくり鑑賞するであります。

Day 2

日も暮れかかった頃、玄関のドアがゆっくりと開く。
「あっおねえさま、おかえりなさいであります」
「ん、ただいま」

抄雪が居間へ向かうと、ご飯が詰められた木桶を運ぶ美其とすれ違う。

「美其、それどうしたの……?」
「おねえさま、今日は節分でありますよ!これは恵方巻きの準備であります」
「あ、そっか……今年は2月2日が節分の日なんだよね」
「その通りであります!準備はバッチリでありますよ!」
テーブルの上には既に、焼き海苔にかんぴょう、卵焼き、しいたけ、キュウリ……恵方巻きに欠かせない具材が揃えられていた。
「具材を巻いて……今年の方角は……あっちね。食べ終わるまで、喋っちゃダメだからね?」
「ふふふ、おねえさまの得意分野ですわね♪」
「……もう……別に好きでやってるわけじゃないんだから……」

部屋の中を静寂が包み込む。自分の願いが叶いますように……そんな真剣な表情で抄雪が恵方巻きを食べる一方、テーブルを挟んだ反対側に座る美其はというと……
顔を恵方の方角に向けたまま、その目は抄雪の後ろ姿をロックオンしているのであった。

━美其メモ━
2月2日
今日は節分。出来合いのものを買うより、やっぱり手作りのほうがめでたい気持ちになるでありますな。
美其の願いはもちろん、おねえさまとずっといっしょにいることでありますよ!

Day 3

夏の終わり、日が落ちても街には熱気が漂っていた。
だが、それは夏の暑さのせいだけではない。今夜は地域の夏祭りが開催されている日だった。
「……おねえさま、本当に行かなくてよかったのでありますか?」
抄雪と美其は祭りの音色が微かに届く居間で、いつもと変わらぬ一日を過ごしていた。
「いいの。まだちょっと、騒がしい場所は苦手だから」
「……」
美其は険しい表情で黙りこんでしまう。抄雪にも夏祭りを楽しんでもらいたかった。何かできることはないだろうか。

「―――それじゃあおねえさま、今日はふたりだけの夏祭りにするでありますよ!」
そう言って美其は庭へ続く窓を開け、玄関に飾ってあった風鈴を吊す。

遠くのぼんやり光る提灯の灯りと人々の喧騒だけでなく、夏の虫たちのさえずる声や風鈴の涼しげな音もふたりを包んでいた。
「不思議……たくさんの音に包まれているのに、静けさを感じる」
ヒューーーー……ドォォォォン……
「あっ、見てくださいおねえさま!ちょうど花火が上がりましたよ!」
見上げれば色とりどりの花火が、暗く深い夏の夜空をライトアップしていた。
「美其、ありがとう……とても、素敵な夏祭り」
「ふふふ、でも来年はふたりで一緒にお祭りに行くでありますよ?」

見える景色、聞こえる音。その全てが夏の終わりを祝うかのように、眩しくふたりを照らしていた。

━美其メモ━
8月31日
ふたりだけのお祭り、おねえさまに喜んでもらえてよかったであります!
早くも来年の夏祭りが楽しみであります。おねえさまは何色の浴衣が似合うか……考える時間は一年でも足りないかもしれませんなぁ。

Day 4

新たな春を迎えたある日のこと。美其は来たる大型連休に向けて、抄雪と旅行に出かける計画を立てていた。
「お姉さま! ゴールデンウィークです!」
「そうね……美其はどこか行きたいとこがあるの?」
「美其は熱海に行ってみたいであります!海鮮丼を食べたり温泉に入ったりしてリフレッシュするでありますよ」
「そうね……それは良いかも」
「おねえさまはどこか行きたい場所はあるでありますか?」
「わたしは特にない。ゆっくり過ごせればそれで十分」
「ではでは、今回の旅行は美其全面プロデュースということで……早速準備に取りかかるでありますよ♪」
「えぇ」

……旅行当日……
「いやー!楽しみですね!おねえさま!」
「……そうね」
いつも通りの口調で答える抄雪だが、美其以外の前で喋れないことに不安を感じていた。
(よろしくね、ギン)
自分の肩にとまっているギンに、紗雪は優しく心の中で呟いた。
「では、いざ熱海へ!出発進行~♪」

新幹線でおよそ2時間半。目的地に到着した2人はまずは昼食をとることにした。
「おねえさまっ!ここの海鮮丼はとても美味しそうな匂いがするであります!」
『本当ね』
2人が選んだ店にはたくさんの新鮮な魚介類を使ったメニューがあったが、その中でも一際目を引くものがあった。
「こ、これはすごい量であります……」
大皿に乗った色とりどりのお刺身と大きなホタテ。それにマグロ、イクラなど豪華なトッピングも乗っている。
『豪華だけど、これはひとりじゃ全部食べきれないかも』
「それもそうでありますね……ハッ!?」
突如美其がその場で静止する。
『美其?』
「……おねえさま、ひとりじゃ食べきれないなら、ふたりでシェアするのであります」
『まあ、それなら大丈夫そうだけど』
「かしこまり~!店員さん、注文お願いするであります!」
美其の狙いはただひとつ。抄雪と海鮮丼をシェアすることで、合法的に抄雪にあ~んができるのだ。
(フッフッフ……このチャンスを逃す手はないでありますよ!)
美其の心の中の黒い笑みとは裏腹に、抄雪は無表情のまま料理を待つのだった。
「お待たせしました、こちら特盛海鮮丼でございます」
「おお~、これが実物の迫力……さっそくいただくでありますよ!」
『それじゃあ、私の分取り分「ではおねえさま、こちらを向いて……あぁ~~―――」
その刹那、強い視線を感じた美其の動きが止まる。抄雪の背後から、ギンが美其を警戒していたのだ。
「……ギン、あなた魚は食べないでしょ」
視線に気づいた抄雪が小声でギンを制止する。
「……あぁ~、そそそうでありますね!ギン用の食事は持ってきてますから、それを食べるでありますよ、あは、あはは……」
計画を阻まれた美其は、手に持ったスプーンで手早く抄雪の取り皿に海鮮丼を分けるのだった……

「いやー、とても美味しかったでありますね、海鮮丼!」
『そうだね まだ温泉宿に行くまで時間あるけど、これからどうするの?』
「もちろん、そこもバッチリ考えてありますよ!せっかく熱海まで来ましたからね、サンビーチでゆったりと過ごすであります」
『そうね 海を見ながらゆっくりするのは悪くないと思う』
「ではでは、パラソルとレジャーシートを借りてきますね!」
そう言って美其は海の家へ走っていった。
抄雪は砂浜に降りたあと、海をぼんやりと眺めていた。
(この広い海を見ていると、自分が悩んでいることも些細なことのように思えてくる。ずっと見ていたいなぁ……)
しばらくの間安らぎの時を過ごしていた抄雪だったが……
「ねぇ君、ひとり?俺らと一緒に遊ばない?」
抄雪のもとに若い2人の男がやってくる。
突然声をかけられ驚く抄雪だったが、すぐにメモを取り出し、返答をする。
『すみません、人を待っているんです』
「何このメモ?……君もしかして人見知り?大丈夫大丈夫、俺らとちょっと遊ぶだけで良いからさ~」
「ほら、行こうぜ」
「ちょっと待ったぁ~~!!!」
遠くからパラソルとレジャーシートを抱えた美其が、猛スピードで駆け寄ってくる。
「あなたたち、おねえさまに手を出したらこの美其!タダじゃおかないでありますよ!!」
「おねえさま?ってことは妹さんかな?いいじゃんか、君も一緒に遊ぼうよ」
「なっ……!?」
抄雪を颯爽と救出するつもりが、自身もナンパされてしまった美其。
(ま、まずいであります……!)
男たちが2人の肩に手をかけようとした、次の瞬間―――
バサバサバサッ!!
抄雪の肩にとまっていたギンが、男たちに襲いかかった。
「うわっ!?なんだこの鳩!?」
「いだだだだっ!顔をつつくな顔を!」
「い、今のうちに……退散でありますっ!」
ギンのおかげで、なんとか危機をまぬがれた美其たちであった。

「ごめんなさいおねえさま、美其が目を離したばっかりに……」
「気にしないで、駆けつけてくれてありがとう。それにギンも……」
ギンはいつもより胸を膨らませ、2人には少し自慢げな表情をしているようにうつっていた。
「美其にもギンにも助けられて……私って本当に……」
「おねえさま、そんなに自分を責めちゃダメでありますよ。美其たちはただ、おねえさまの力になりたいだけでありますから」
「……うん」
「あー、なんだかどっと疲れたでありますね!温泉に向かっちゃいましょう」

ふたりは温泉宿に到着した。
「おぉ~~!ここが噂の温泉宿でありますか!」
『確かここは源泉かけ流しの露天風呂があるんだよね』
受付で手続きを済ませた美其と抄雪は、荷物を持って部屋に向かう。
『綺麗なお部屋だね』
「部屋の大きさがちょっと心配でしたけど、2人でも問題ない広さで安心したであります」
『それじゃ、先にお風呂に入ってていいかな』
「どうぞどうぞ~、疲れを癒してくださいな~」

『ふう……』
身体を洗い終えた抄雪は、湯船に浸かりながら考え事をしていた。
(私は今までずっとひとりだった。だから自分の感情を表に出せなかった。ギンと出会って、美其も優しくしてくれて……それでようやく、自分を出すことができるようになった)
(私もその優しさを返せるように、ならないと……)
そう決意を固めた時だった。
ガラガラッ……!
「失礼するでありますよー!」
「きゃあっ!」
勢いよく扉を開けて入ってきたのは、タオル1枚だけを身につけた美其だった。
「ふっふっふ……はじめからついていってたら確実に警戒されてましたからね。さぁおねえさま!今こそ美其と裸の付き合いを―――」
バシャアッ!
抄雪は風呂桶いっぱいのお湯を美其に向かってぶちまける。
「あばばばばばばおっおねえさまっおぼっ溺れ」
「美其……もしかして私と温泉でイチャイチャするためにこの宿選んだでしょ」
「ギクッ!い、いやぁそれは……」
「……まぁ、今日は楽しかったから、別にいいけど」
そういって、抄雪は湯船の端へ身体を動かす。
「はっ!!お邪魔するであります!んふふふ~」
「スキンシップは禁止」
「……はい」
太陽が沈み始め、一面に広がる海が黄金色に輝く。
「綺麗だね」
「はい、とっても」
「……」
抄雪は、美其の顔を見つめる。
「あのさ、美其……」
「はい?」
「ありがとね」
「……こちらこそであります」

今はまだ、上手く話せないけど。
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声で想いを伝えられるように、がんばるから。
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