小説/サイドストーリー/新しい世界

Last-modified: 2023-07-08 (土) 09:43:43

新しい世界

第0話

 私立次郎勢学園入学式前夜。一人の少女は布団の中で不安の渦に呑まれていた。昨日まではどんな先生が待っているのか、友達はできるか、授業は面白いのか、と期待に満ち溢れていた。しかし直前になって彼女の心には暗雲が漂っていた、薄暗いこの寝室のように。
「ん……」
 ゆっくりと、目を擦りながら、彼女は自分の机へ向かう。用意されてからかなりの時間がたったがようやくこれから使われる勉強机。座りなれない椅子に腰を降ろし卓上ライトを点ける。少し眩しかったのか一瞬顔を背ける。目が光に慣れてきたので、机の上のあるものへ手を延ばす。
 22枚の彼女の手のひらより少し大きいカード。病院生活でのお守り。惑花の母親がプレゼントしてくれたもの、タロットカード。それを机の上に広げて混ぜる。入学への準備でしばらく触れられなかったが、カードの擦れる音が手に馴染んだ感覚を取り戻していき、平静を取り戻していく。方式はワンオラクル、占うのは「わたしのこれからの学園生活」。
 一枚のカードを手に取る。ふぅ、と一呼吸置きカードをめくる。開かれたのは「正位置の世界」、タロットカードの中で強い力を持つと言われているもの。
「そっか……」
 結果を見た彼女は小さく笑っていた。
「何かあるかもしれないけどでも大丈夫。うまくいく、きっと」
 それは独り言のような、自身に言い聞かせるような、そんな言葉だった。机のライトを消し、タロットカードを片付け、鞄へ入れる。そして彼女は再びベッドへ向かう。布団へ包まれた彼女はしばらくしないうちに夢の中へ入っていった。明日からの彼女の未来ではどんな新しい世界が待っているのだろうか。

第1話

「やっと、やっと着いたぁ……」
 家から歩いて数十分。わがままで行き帰りの送迎を断っちゃったけど、やっぱり病み上がりでこの距離は厳しかったかもしれない…… 肩で息をしながら顔を上げ、目の前の建物を見る。
「校舎……思ってたより小さいな……」
 去年まで大きな病院で暮らしていたせいもあって、正直この校舎が大きいとはあまり思えない。でも県の病院と変わらないぐらいと思えば、もしかしたらすごいのかも? ……さて、ちょっと休んでから体育館に行こうかな。

 

 *

 

 この体育館広くない?
 むしろ広すぎない?
 それにしても人多いな……ガヤガヤしてる……
 ちょっと頭痛くなってきちゃった……
 どうしよう……
 でも入学式を途中退場する訳には……
 あっ! せんせー来た、ナイス!
 ふう、これで静かになった……
 校長先生かぁ、どんな人なんだろう
 あれ? なんでザワザワし始めるの?
 なんで? 校長先生の話聞こうよ!
 ごごごっほん!?
 せんせー風邪? 大丈夫?
 ていうかわざわざ「かっこ、かっことじ」って言わなくても……
 この人が校長先生?
 想像してた感じと全然違う……
 あと先生の話グダグダだし……
 「 コ ン フ リ ク ト 」 っ て 何
 な ん で 歌 う の
 あ、終わった。
 続 け な い で
 今度こそ……
 三  回  目
 こ、これが次郎勢学園……?
 な、なんか色々あって気分悪くなってきちゃった……

 

 *

 

「んぅ……あれ? ここは……」
 ゆっくりと起き上がり、瞬きをして辺りを見渡す。
「夢だったのかな?」
 すると突然シャアアッとカーテンが開く。
「あわわわわわわわわわっ」
「だ、大丈夫……?」
「あ、え、ここはっ、どちら様ですかっ!?」
「お、落ち着いて、ここは保健室。私は保健室の先生。あなた、入学式の最中に気を失って椅子から滑り落ちて、それで……」
「あれ……そうだっけ?」
 そうだ、なんかついていけなくちゃって……
「ええ、それであなたをここまで連れてきて寝かせてたの」
「そ、そうだったんですか……ありがとうございます……」
「いえいえ、でもあまり無理はしないようにね」
「は、はーい」
 しばらくは行き帰りは送迎になるなぁ、あはは……
「さて、落ち着いてきたみたいだし改めて自己紹介するわね」
「よ、よろしくお願いしますっ!」
「そう堅くならないで大丈夫よ。私は月岡 水琴。保健室の先生だからこれからよろしく」
「はい! えと、わたしは神崎 惑花です! こちらこそよろしくお願いします!」
「神崎さんね、前もってお話は聞いているわ」
「そうなんですか?」
「そうね。持病の事、その治療で去年まで入院していた事も聞いているわ」
「そ、それで今年から学校に通うことになって……」
「うんうん、で、今日から『送迎』で登校……」
「あっ…………」
「どうしたの?」
 学校に『送迎』って事伝わってたんだ…… 先生からちょっと目線をそらす。
「いえ、そのぉ……実を言うと……」
 カクカクシカジカ。
「神崎さん。もうちょっと自分の体を労わってね……」
「ご、ごめんなさい……」
「確かに気分は弾んじゃうけど、まだまだ無理は禁物よ。自分の身体は大事にしなきゃ」
「はい……」
「帰りは親御さんに連絡するわね。それと……入学式もう終わってクラス開示がされたんだけど、あなたのクラスは一年五組だから覚えておいてね」
「一年五組ですね、分かりました!」
「じゃあ連絡するから少しここで待っててね」
「はい」
 月岡先生が保健室から出ようとする。
「えと……先生」
「どうしたの?」
「この学校って普通ですよね? おかしかったのは入学式だけですよね?」
「あ~えっと、普通とはかけ離れてる……むしろ普通じゃないことが多いかもね」
「え」
 先生の言葉に思わず声が漏れてしまう。
「まあじきに慣れるわ。わ、私だってそうだったから」
 その後に今もついていけないけど、と聞こえたのは多分気のせい、気のせい。
「それじゃあまた何かあれば他の先生に言ってね」
「分かりました」
 そう言って月岡先生は保健室から出ていった。 あーあー、学校で倒れたなんて聞かれたらお母さんもお父さんも怒っちゃうな~、やだな~やだな~。でも無理しちゃったわけだし……仕方ないかな。
 それよりこの学園って普通じゃないんだ……確かに案内にはよく分からない事が書いてあったけど、あれも全部本当なのかな? え~大丈夫かな~、まあでも占いではいい結果だったし問題ないのかな~。ちょっと不安。
 そんな事を考えている内に先生が戻ってきた。
「あ、神崎さん。親御さんと連絡ついたからもうすぐ来られるそうよ」
「あ、ありがとうございます……」
「それと一応私、神崎さんをサポートするように任されてるから何かあったら遠慮なく相談してね。」
「ありがとうございます……あの、入学式初日から色々迷惑かけてごめんなさい……」
「いいのよ、神崎さん。私は保健室の先生だし、具合が悪くなった人を助けるのが私の仕事だから」
「か、かっこいい……」
「そ、そうかしら……少し照れるわ……」
「そう思います!」
 そう言ってわたしは全力で笑ってみせた。
「うふふ、嬉しいわ。じゃあそろそろエントランスへ向かいましょうか」
「はい、分かりました」
 それからしばらくしてお母さんが迎えに来た。そして案の定車の中ではお母さんに、家に帰ってからお父さんに叱られた。
「これから気をつけます…………」

第2話

 今日から予定通り送迎だ。昨日は迷惑かけちゃったし仕方ない…… 
「うまくいくかな……」
「惑花なら大丈夫よ」
 運転席のお母さんが言う。
「そうかな……そうだよね」
「それに困ったら誰かに助けて貰えばいいのよ」
「うん……」
 おととい引いた「世界」を心にとどめながらも、どうしてもこれからが気にかかる。初日から散々だったしな~。クラス開示で挨拶とか自己紹介とかしたかったのに~! わたしのバカバカバカ~!
「惑花、着いたわよ」
 窓からは校舎が見える。車の窓から見ると割と大きい。
「じゃあ、いってきまーす」
「いってらっしゃい、惑花」
 そう言ってお母さんに手を振り校門へ向かう。昨日も通ったけど、玄関までが無駄に遠い。その道中では花畑や噴水が見えた。時間があったら行ってみようかな…… 玄関につき、鞄から地図を取り出す。高校一年五組は四階、疲れそう。本当は昨日確認することだったんだけどな~、仕方ない。ざっと地図を見ているととあることに気づいた。学年が上がれば階が下になるんだ。学年が高いと偉いから? それを言うと職員室が一階なのは確かに間違ってない…… そうこう考えながら歩いている内に教室に到着。コソッと教室を覗く。ちょっと入りづらい。みんなは昨日顔を合わせてるけど、わたしだけは初対面なんだよねー嫌だーヤダー。それにちょっと話してる人もいるし……うー…………
「ねぇ」
「はひーっ!? あわわわわわわわわわ」
「うっさいわね、あんた誰よ?」
「えと、あの、わたしっ、ここのクラスで……」
「ああそう。とりあえず邪魔だから退いてくれない? それかとっとと入って」
「あの、えっと、す、すみません……」
 身体を動かそうにも、足がすくんで動けない。なんだろう、怖い……
「ねえ話聞いてる? 目障りなの、いいから、早く」
「だから、その、えと…………ど、どけますから……あの…………」
「おい、やめてやれ」
 声がした方を振り返ると一人の男子がそこに居た。
「は、はうぅ……」
 足に力が入らなくなり、その場に座り込んでしまう。
「何よ、あんた」
「渡辺……だったっけか? 初対面の相手に向かってその態度はどうかと思う」
「だってまともに説明も出来てなかったじゃない!」
「いきなり詰め寄られたら流石にビビるだろ」
「誰かも分からない人間がクラスの扉にいたら邪魔でしょ!?」
「ならちゃんとそう言えば――」
「ごめんなさいっっっ!!!!!」
 今までに出した事のない声量の謝罪。
「あの、わたしが教室に入るのを邪魔してしまってごめんなさい……だから……だから……」
 涙が落ちそうなほど目が熱い。だけどわたしが悪いんだ。わたしがちゃんとしてれば……何も……
「お、おい、大丈夫か」
「は、はい……すみません、どけます……」
 わたしがドアから離れると、さっきの女の人が早足で歩いていくのが横目に見えた。通りすがりに舌打ちが聞こえたような気がした。
「いや、そうじゃなくて……顔色悪いから」
「大丈夫……大丈夫ですよ……」
 少しの沈黙。大丈夫とは言ったけど、正直心臓がバクバクしてる。苦しい。
「ちょっと大丈夫そうには見えないけど……保健室、行くか?」
 断ろうと思った時、ふとお母さんの言葉を思い出した。
――それに困ったら誰かに助けて貰えばいいのよ
「あの…………お願いします…………」
「分かった、案内するよ。とりあえず深呼吸して」
 息をゆっくり、吸って、吐いて、男の人に肩を貸してもらいながら立ち上がって、保健室へ向かう。今日もまた人に迷惑をかけてしまった。さっきの渡辺って人、凄く怒ってた……
「なあ、さっきの、あんまり気にすんなよ」
「え?」
「あの、なんだ、渡辺……って奴は昨日からあんな感じで……だからなんというか、昔からなのかもしれん……いや、去年まであいつは居なかったから憶測でしかないが……」
「いえ……そんな、元々扉の前でゴソゴソしてたのが……」
「仕方ないだろ、初対面しかいない教室にいきなり入るのはなかなかに勇気がいる。それに、一応昨日話はあったんだ。今は保健室で休んでるけどもう一人このクラスに生徒が居るってことは」
「そ、そうだったんだ……」
「そういえば、名前何だっけ。カミキ?」
「かっ、神崎っ! 神崎 惑花ですっ! あなたもあなたで失礼じゃないですか!?」
「す、すまない。どうも名前を覚えられんくてだな……」
「あの、あなたのお名前は何ですか?」
「俺か? 勝浦 博だ」
「そのまま勝浦、でいいんですかね?」
「いやどういうことだ」
「漢字の話です」
「あ~それは座席表を見といてくれ。百聞は一見にしかずだ。そうそうしてるうちに保健室着くぞ」
「あ、ありがとうございます、勝浦さん。ご迷惑をおかけしてすみません」
「あ、おう、どういたしまして。別にこの程度気にしなくていいぞ、カミナリさん」
「神崎ですって!」
「すまないすまない……」
 勝浦さん、優しい人だったな……名前間違えること以外…………

第3話

 教室の窓から空を見上げる。今日は少し雲が多い。病院でもベッドからこうしてたっけな…… 学園生活開始からはや三日。時に優しく、時に辛くもあった少し前の生活が懐かしくなった。入学早々二日続けて問題を起こしてしまったわたしはここに馴染めない雰囲気が出てきている。嫌だな……もっと皆と仲良くなりたいのに…… そうだ、こういう時こそ占いだ! 何を占おう……やっぱりここでの人間関係……かな。鞄からタロットカードを取り出し、占いの準備をする。
 心を落ち着けて深呼吸。目をつぶってカードを一枚引く。目を開けカードをめくる。引いたのは逆位置の隠者。カードの意味を思い出し、そこから解釈を掴んでいく。導かれたのは孤立? 当たってる……どうすればいい? 改善する鍵はその場所に長い間身を置いている人……? それって――
「おーい、カンナヅキさん。何してるんだ?」
「あわわわわわわわわわっ!?」
 突然話しかけられて、大きな声を出してしまった。
「び、びっくりしましたよ…… それとわたしは神崎です!」
「申し訳ない……」
「何回目ですか……もう……」
「どうにも名前を覚えられなくてな……話してたら思い出せるんだが……」
「そうなんですか?」
 何か理由があるのかな……? でも早く覚えてほしいな。
「そういえばさっきから何してたんだ?」
「あ……占いをしてて……」
「もしかして邪魔したか?」
「いえ、もう結果はある程度見えたので」
 本当はもうちょっと考えたかったけど……多分大丈夫。
「そうか。ところで何を占ってたんだ?」
「えっと……学園での人間関係……です」
「あぁ」
「あんまり良い結果じゃなくて、どうすればいいかなって……」
 勝浦さんは少し考えた素振りをしてからこう言った。
「じゃあ一回俺の事、占ってくれないか?」
「え? 良いですけど、何を占いますか?」
 急な提案にわたしは少し驚いた。勝浦さんも興味あるのかな……?
「じゃあ……次の休日に釣りに行くんだが、その成果かな」
「わ、分かりました!」
 カードを切っていると勝浦さんが質問をしてきた。
「神崎さんは……いつから占いを始めたんだ?」
「入院中に何か新しい事はできないかなって思って始めたんです。まだまだ未熟ですけどね」
「そうなんだ」
「自分以外を占うのは久しぶりだな~」
 そんな独り言を呟いて、占いに集中する。勝浦さんはそれを察したのか静かに待ってくれている。ただ逆にちょっと緊張しちゃう。盤面が整ったので一枚のカードを引いて、めくる。
「これは?」
「正位置の戦車ですね」
 落ち着いてカードの意味から解釈を考える。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと結果を伝える。
「早朝から行くぐらい積極的に行った方が良さそうです。あとはちゃんと計画を立てるとなおよし……て感じです」
「け、計画かぁ……なるほど」
「素人なのであんまり鵜呑みにしないでいただけると……」
「いやありがとう、試してみるよ」
「が、頑張ってください!」
 ふぅ、とため息をつく。他の人を占うのってかなり緊張する。解釈の教え漏れとかしてそうでやだな~。そんな考え事をしていると、周りが少し騒がしくなってきた。
「神崎さん……だっけ、占いできるの?」
「さっきの見てたなら分かるだろ~」
「私も占って欲しい……」
 えっ、ちょっ、ひ、人多すぎ!
「ちょっと皆さんどうしたんですか!?」
「さっきの俺を見て、皆も占って欲しくなったんだと思う」
「え、え、あの……大盛況すぎないですか!?」
 そんな簡単に!? 待ってまだ心の準備が……
「おーい、皆あんまり騒がないでやってくれ。カンダさんが困ってる」
「だからわたしは神崎ですって……!」
「も、申し訳ない……」
「えっと、あの、その、いきなりこんな人数は……」
 嬉しいけど人も多いしうるさくてちょっと辛い…… 勝浦さんは……皆を説得してるみたい。声はかけづらそう……
「あれ、神崎さん。大丈夫? 顔色悪いけど……」
 声をかけられた気がしたのでそちらに振り返る。相手は眼鏡をかけた男の人だった。
「あの、すみません……人が多くて……少し気分が悪くなっちゃって…………」
「分かった。じゃあ、保健室に行こう」
「ごめんなさい、迷惑かけちゃって」
「大丈夫。ゆっくりでいいから、歩こう」

 

 *

 

 保健室のベッドの上。月岡先生が心配そうに話してきた。
「神崎さん……大丈夫?」
「大丈夫です、多分」
「三日連続でここに来てるけど、本当に大丈夫?」
「は、はい……無理はしてないんですけど……」
「まあただでさえ突飛な場所なのに、神崎さんに取っては初めての生活だから慣れてないのかもしれないわ。無意識に無理しちゃってるのかも」
「もしかしたらそうかもしれませんね……」
「今日もゆっくり休んでね。二、三日ぐらいなら授業遅れても取り返せるから」
「分かりました……またお世話になります……」
 ベッドに寝転び、改めて占いの解釈について考える。そういえば先生もここに長くいる人なのかな。余裕があったら相談、してみようかな――
 目を閉じようとして一つ気になった事があった。
「そういえば先生」
「どうしたの?」
「今日ここに連れてきてくれた人の名前……分かりませんか? 同じクラスの人なんですけど、まだ名前を知らなくて」
「名護 肇君よ」
「あ、ありがとうございます」
 名護さん……背が高くて眼鏡をかけた、勝浦さんと同じように優しい人だったな。教室に戻ったらお礼しなきゃ。

第4話

 学園生活五日目、黒板に羅列された部活の種類を頬杖をついて眺めていた。今はまだ激しく動けないから運動部は無理だし、文化部は名前だけを見てもよく分からないものが多い。
「はぁ~、わたしでも出来るような部活……」
 そんな溜息混じりの独り言を呟いた。
「……先に体験行けばいいんじゃないのか?」
「ふぇぇっ!? 勝浦さん居たんですか!?」
「そんなに驚く事か……?」
「背後にいるなんて思わないですよ……」
 最近、勝浦さんに驚かされることが多い気がする。もしかしたらわたしが気づいていないだけなのかもしれないけど。
「神威……じゃない神崎さん」
「あ、また言い間違えた」
「す、すまない。どうせなら一緒に回らないか? どれにするか困ってるみたいだし」
「え、いいんですか?」
「いや、嫌だったら別に構わないんだが……」
「お願いします!」
 手を合わせてお願いする。勝浦さんと一緒ならついでに他の教室の場所も教えてもらえるかもしれない。
「分かった、じゃあ行くか」
「わかりました!」
 教室から出ると廊下にイリーナさんとオレンジ色の髪の女の子を見かけた。
「あの、勝浦さん?」
「なんだ?」
「あそこのお二人、お誘いしませんか?」
「そうだな、二人ともその場に留まってるし」
「あのーすみません!」
「えっ、えっ、な、なんですか!?」
 二人に声をかけると、イリーナさんの隣にいた子が驚いた様子で返事をする。
「今から部活体験に行くんだけど一緒にどうかな、って」
「えっ、えっと、わ、私はいいですけど……イリーナは?」
「イイ、ヨ……」
 イリーナさんはロシアからの留学生。日本語に慣れてなくて口数も少ないけど、これを機に仲良くできたらいいな。
「オッケー……かな? えと、最初はどこ行きますか?」
「写真部はどうだ? 俺が所属してる部活だし場所もここから近い」
「じゃあそこから!」
 ということで写真部の活動場所、一年二組の教室に向かう。
「サバゲー部ってマジでサバゲーすんのかな? だったらめちゃくちゃヤバくね?」
「次郎部って何するんだろう?」
「僕は帰宅部かな、家が遠いし」
 通り過ぎる人達はみんな部活の話をしてる。話を聞いてるだけでもちょっと面白そう。少し歩くともう写真部に着いていた。
「中に人は居ないし入れるな」
 勝浦さんから順に三人は教室に入っていくけど、他のクラスに入るのってすごく緊張する……自分のクラスに入る時も緊張したのに……
「し、失礼します……」
「緊張してるみたいだが……大丈夫か?」
「だい、大丈夫ですっ!」
「まぁなんだ、うちの部で撮った写真を壁に掲示してるからそれ見て落ち着いてもらえれば」
 言われるがまま壁の方をみる。そこには花にとまる蝶の写真、最初見た時は大きく見えなかった校舎の写真、読書している誰かの横顔の写真、どれもこれも美しかった……
「き、綺麗……」
「実は全国大会にも出た事あるんだ」
「そ、そうなんですか!?」
「まあ、昔の話だが……」
「凄いですよ、それでも!」
 しばらく掲示されている写真を見る。その中で一枚気になる写真があった。
「これ……うさぎさんですか?」
「ああ、学園にいるうさぎだ。人の好き嫌いがはっきりしてて撮ろうにも撮れないことが多かったけど、何とか撮れた一枚だ」
「可愛いですね、見てみたいなぁ……」
 学園での楽しみが一つ増えた。もふもふしてみたい。
 写真を見ながら勝浦さんと少し話してるとあることに気づいた。
「さっきからわたしと勝浦さんしか会話してない気が……」
「言われてみれば、そうだな……二人には悪い事をした」
「あ、えと、いいですよ……大丈夫です……」
 茶髪の留学生の子から返事はあったけど緊張してるのかな……でも私も最初はこんな感じだったな~……
「せっかくだしお互い自己紹介でもしようか? 神崎さんとイリーナさんは一応同じクラスだが」
「分かりました、じゃあわたしから」
 一番手を名乗ったけどとても緊張する……でも頑張らないと。
「えっと、一年五組の神崎 惑花です。去年まで病気で入院したんですけど退院して、学校生活を過ごしてみたかったのでここに来ました。趣味はタロット占いです、まだまだ素人ですけど…… よろしくお願いします!」
「次は俺かな。同じく一年五組の勝浦 博だ。実は中学からこの学園にいる。部活は知っての通り写真部、趣味は魚釣りだ。よろしく」
「中学から居たんですか!?」
「そうだな。所謂内部進学……話してなかったっけ?」
「も、もしかしたら忘れてたのかも……ごめんなさい」
「いやいいよ、確か保健室に連れて行った時にちょっと話したぐらいだし」
 そういえばそんな話をしていた……かも?
「次はどうする?」
 勝浦さんの言葉を聞いてイリーナさんともう一人の留学生さんは顔を合わせている。緊張しているのか少しの沈黙を挟んで、イリーナさんが口を開いた。
「イリーナ……Ирина Алексеевна Левитана……ロシアカラ……」
「えと、イリーナさん……よろしくね?」
 なんだか凄く気まずい感じになっちゃった……
「サイゴ……Aurora……」
「あ、あ、はいっ! ioはAurora De Angelisですっ! イタリアから留学してきてぇ……実はまだ日本怖くて……あのっっよろしくお願いしますっ!!」
「オーロラさんでいいのか? よろしく、困った事があればなんでも」
「あのっ、わたしもお手伝いしたいです。わたしも実は病院暮らしでちゃんと学校に通うのは今年から初めてで……えと、よろしくお願いします!」
「あっ、は、はいぃ!」
 あんまり仲良くなれたとは言えない……けど時間をかければきっと大丈夫……だよね? それとちょっと怖かったんだ……呼ばなかった方がよかったのかな……? といろいろ考えている間に教室には再び沈黙が訪れた。だけどそう時間が経たないうちに勝浦さんが沈黙を破った。
「なんかこう黙ってるのもアレだし、他の部を見に行かないか?」
「そっ、そっ、そうですねっ……」
「ここから近いのは軽音部、クイ研部、天文部、あとなんだっけな……」
「あのっ! 天文部に行きたいです!」
 部員募集のポスターで少し気になっていた部活だ。
「あそこか、屋上階にあるな」
「お、屋上……!」
 普段行けない場所に入れるというのはやっぱり興奮する!
「行きたいです! 行きましょう! 屋上!」
「天文部じゃないのか……あとここの屋上は常時開放してるからあんまり特別じゃ……」
「いいんです! 屋上ですよ屋上!」
 わたしを見て、三人はちょっと引いてる気がした。でもそんなの気にしない、だって屋上だよ!? 特別じゃん! こうして、わたしだけハイテンションで天文部室に向かう。
「あんまり張り切りすぎるなよ」
「大丈夫ですよ! この程度で倒れたりしませんから!」
「一昨日、占いした時の人混みでまたダウンしてたが……」
「あ、あの時は……無理しすぎちゃったかな……」
 浮かれていた事が恥ずかしくなり、徐々に声が小さくなってしまう。
「どうした?」
「な、なんでもないです! それより早く行きましょう!」
 わたし先頭で後ろに三人がついてくる状態になったけど、一つ問題が。
「天文部どこですか……?」
 学園を詳しく知らないわたしは部室が何処か検討ついていなかった。ただ広い屋上に出ただけ…………
「神崎さん、ここが天文部室だぞ」
 勝浦さんが手招きでこっちへ呼んでいる。二人もそこにいた。
「ごめんなさい、ちょっとわからなくて……」
「キヲツケテネ……」
「はい……ごめんなさい……」
 中に戻るとすぐそこが天文部だった。
「開けていいですか?」
「別に悪くないと思いますよ……」
 一応皆の確認を取って扉を開ける。すると先輩たちの優しい声が聞こえてきた。
「こんにちは! ようこそ、天文部へ!」
 こんにちは、と皆先輩たちに挨拶をする。
「はじめまして、私は部長の早乙女彩です。天文部では天体観測、天文学の勉強等をします。棚には宇宙関係の資料と私達天文部が書いたレポートがあります。隣の部屋にはプラネタリウムで今は特別でいつでも入れます」
「プラネタリウム……どうしようかな……」
「綺麗だからオススメですよ」
 眼鏡をかけた先輩からもオススメされる。
「三人でプラネタリウム行ってきたらどうだ?」
「勝浦さんは行かないんですか?」
「俺は知ってるから。その間こっちの資料とか読んでみようかなって」
「なるほど」
 そっか、中学の時からここにいるのもんね。
「イリーナさんとオーロラさんはどうしますか?」
「み……見たい……かな」
「ミタイ……」
 やったぁ、わたしたち三人でプラネタリウム鑑賞だね!
「では部長に変わって、私が案内するね」
 早乙女部長さんとバトンタッチで月原先輩が案内してくださるみたい。天文部で唯一眼鏡をかけてて、一番真面目そう。
「中へどうぞ」
 プラネタリウムの中は薄暗く、真ん中に大きくて凄そうな機械がある。とてもワクワクしちゃう!
「適当な席に座ってくださいね。私は別所でここの準備をしてきます」
 何処が見えやすいかは分からないけど、とりあえず目に付いた席に座る。
「と、隣どうですか?」
 イリーナさんとオーロラさんをこちらの席に誘う。二人は静かにわたしの隣に座った。しばらくすると照明が完全に落ちて、真っ暗になる。ちょっと怖い。でもそろそろ始まるのかな!

 

 *

 

 あっ、あっー、マイク入ってますね。
 ようこそ天文部へ。今回の司会を務めさせていただきます高校三年の月原 さてらです。
 改めてよろしくお願いいたします。
 まず、天文部に興味を持ってくださってありがとうございます。
 改めて活動内容について説明します。天文学の資料をまとめたレポートの作成や、夜まで残って屋上で天体観測、また一番大きなものですと文化祭に向けて部員全員協力したスピーチの作成をしています。
 説明はこれぐらいにして、早速ここのプラネタリウムを起動してみましょう。
 今回はあちらを北の空とします。
 あっ、一つ星が見えますね。
 北の空に輝く一等星。ご存知の通り、北極星です。
 そしてそこから少し南に行くと柄杓の形をした七つの星が見えますね。
 あれが北斗七星です。
 今が旬の星座なので夜に天気が良ければ、北に見えるかもしれませんね。
 また北極星はこぐま座を、北斗七星はおおぐま座という星座を一部構成している星です。探して見るのも面白いと思います。
 では、今回は短めですがここで締めようと思います。最後までご清聴ありがとうございました。

 

 *

 

 プラネタリウムから戻ってくると襟川先輩が迎えてくださった。この人は副部長らしい。
「プラネタリウムどうでしたか?」
「すっごく綺麗でした! 学校にプラネタリウムがあるって凄いですね!」
「よ……よかったです……」
「Хорошо」
 イリーナさんがロシア語を話した事でちょっとガヤガヤしてる。確かにびっくりしちゃうよね。
「とりあえずプラネタリウムが好評だったのはよかった。これから四人はドウシマスカ?」
 少し落ち着いた所で天文部唯一男の先輩が声をかけてきた。
「まだまだ他を回りたいですね」
「それもそうか、興味があったらマタキテクレ-。ジャアマタコンドー」
 なんか凄く棒読みだったな今の人……
「えっと、ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
「あぅ……ありがとう……ございますぅ……」
「Спасибо」
 こうしてわたしたちは天文部を後にした。
「さっきの銀髪の人……も部員ですかね?」
「一応部員だと思うけど」
「なんかめんどくさそうにしてましたね……」
「オーロラさん!」
「ひぃ!?」
「きっと勘違いですよ! きっと何かしら意図が!」
「そうだといいが……」
 多分勘違い。あの先輩の目が死んでた気がするのは、きっと気のせい。
「他に気になる部活はあるか?」
「あの……えと……」
 オーロラさんが何か言いたげだ。
「家庭科部に……行ってみたいです…………」
「わかった、となると一階だな」
 勝浦さんが先頭で階段を降りていく。黙っているのも仕方ないし少しだけ皆に話題を振ってみる。
「皆って料理できるんですか?」
「まあぼちぼち、魚を捌いたりもするかな」
「……イタリアにいた頃はピザ、作ったり」
「凄い! 料理人みたいですね!」
「ワタシハ、アンマリカナ……」
「イリーナさんはそうなんですね。わたしは料理したことないんですけど……」
「これから頑張ればいいさ」
「じゃあ家庭科部で練習してみようかな~」
 と気ままに会話を楽しんでいる内に一階へついた。家庭科部ではミシンの実践をやっていた。話題に上げていた料理は今日はやっていないらしく、少し残念だった。見学時間終了が迫っていたので、後の時間はすぐに見れる部活を回っていった。帰り際ではお互い少しづつだけど会話も出来るようにはなっていた。
「ところで今日はどうだった?」
 勝浦さんが振り返って聞いてくる。
「良かったです! それともうわたしは天文部に入ろうかなって!」
「マダ、ワカラナイ……」
「ioは家庭科部気になったけど……」
 勝浦さんの質問にそれぞれ答える。
「イリーナさんはまだ決まってないって言ってたけど、いずれ入りたいっていうのは見つかると思う」
「そうですね! 個性的なのも多いですし迷ってても大丈夫ですよ!」
「……Спасибо」
「えと……スパシーバ?」
「確かロシア語で『ありがとう』って……」
「おー、オーロラさんありがとう! イリーナさんこちらこそ一緒に回ってくれてありがとう!」
 予鈴がなったのでそれぞれ挨拶を交わして今日は解散した。帰りに職員室に行って入部届を提出。明日から天文部! 楽しみだな~、帰ったら色んな事お母さんとお父さんに話そうっと!

第5話

 神崎が学園に通い始めてはや数週間。到着した送迎の車から彼女は降り、母親へ手を振る。校門へ向かう彼女の足取りは普段より軽く、それでいてやけに上機嫌だった。
「おはよーございまーす!」
 さながら小学生の様な挨拶をして神崎は教室に入っていく。その声を聞いたクラスメイトは彼女を一瞥するも、すぐに興味を失い視線を逸らす。神崎は周囲の冷たい反応を気にも留めず、席に着くなり鞄の中の教科書を取り出し、勢いよく机の中にしまい込んだ。今の彼女は端から見ると少し落ち着きが無い。
「神崎さん、今日はずいぶんと楽しそうだね?」
 そんな彼女に話しかけたのは近くの席の男子生徒――勝浦だった。
「おはようございます、勝浦さん!」
「うん、おはよう」
 元気いっぱいに挨拶をする神崎に対して、勝浦は優しく返す。神崎のキラキラとした瞳と笑顔からは何か話したげな様子が見て取れる。
「今日はどうしたんだ?」
「えっとですね……実はですね!!」
 重大発表があるかの如く言葉を溜めて、それから神崎は大きく息を吸い込む。そして……
「わたしの誕生日なんです!」
 そう言い放った後で、満面の笑みを浮かべた。
「そうなんだ、おめでとう神崎さん」
「ありがとうございます! それでですね~」
 興奮が止まらない様子で、鞄の中から薄い直方体を取り出した。そのフォルムは今時なら誰でも持っている"アレ"だった。
「スマホ買って貰ったんです! 入院中ず~っと欲しかったので、とっても嬉しくて!」
「良かったな。せっかくだしグループ招待するか」
「グループ?」
 不思議そうにする神崎に勝浦は一つずつ説明していく。神崎は勝浦のレクチャーを受けながら、グループチャットの設定やら何やらを済ませていく。
「これで皆さんとお話しできるんですね~」
 満面の笑みを浮かべる神崎を見て、勝浦もまたつられて笑顔になる。
「そうだ、一応俺と『友だち』になっておくか」
「『友だち』……?」
 神崎はその言葉に違和感を覚えた。彼女にとって勝浦は既に友達で、改めて"『友だち』になる"事がよく分からなかった。ここで言う"『友だち』になる"は単なるアプリ内用語の派生に過ぎないのだが、彼女は勝浦とまだ一定の距離があったと思ってしまったのだ。
「えと……どういう事ですか?」
「ああ、登録すれば連絡先を交換しなくてもメッセージを送ったり出来るようになるぞ。申請しておくから後で追加しておいてくれ」
「な、なるほど……」
 理解を示す神崎だったが、彼女の中でまだ『友だち』が引っかかっていた。ただ勝浦に聞く間もなく朝のホームルームが始まり、答えが出ないまま神崎の頭の中で『友だち』という言葉がぐるぐると回っていた。

 

 *

 

 ホームルームの後、神崎のクラスはPC室へ移動していた。今日だけ授業の1~4時間目を埋めている『次郎』と呼ばれる授業は移動先の教室で行われるのだが、当日まで内容不明という異質なものだった。到着したPC室では白衣を着た教師がコーヒーを飲んでいた。
「こんにちは、君達が1年5組の生徒かな? じゃあ早速だがPCに振ってある末尾2桁の番号が自分の出席番号と合う席へ座ってくれ」
 そう言われ、各自割り振られた席へ着く。神崎は何処に自分の席があるか迷っていたが、勝浦の手招きで彼女は自分の座席に辿り着いた。勝浦と神崎の出席番号が近いため、二人は隣同士だったのだ。
「さて、初めまして皆さん。俺は畑山次郎。一応この学園で教師をしている。担当科目は言わずもがな『次郎』、だ。早速今日の授業について説明しよう。なんせkou長の粋な計らいで、君達は今日までこの時間で何をやるか知らされていないからな」
 そう畑山が言うと、各生徒のPCに画面共有がされた。
「今日から君たちには『次郎』の時間で『太鼓さん次郎』について学んで貰う」
 その言葉に生徒達はざわついた。次郎を知らないものは困惑し、知っているものは疑念を抱き、教室は不穏な空気になる。
「先生、質問です」
 真っ先に手を挙げたのは眼鏡をかけた生徒、名護だった。
「なんだ、えーっと名護」
「何故、太鼓さん次郎の授業を、する事になったんですか」
「理由は簡単。こいつを使って譜面を作ってもらうからだ」
「俺たちが、作るんですか」
 教室がざわめく中、畑山は気にせず話を続けた。
「そうだ。まぁ流石にいきなりは難しいだろうから、まずは簡単に操作方法を説明していく」
「待ってください、まだ納得が、いきません」
 名護が抗議するも、畑山の口からこう告げられる。
「kou長が決めた事だ。それに今日まで内容を伏せていたが、伏せていなくても同じ結果になっていたと思うぞ?」
「……分かりました」
 名護は渋々引き下がり、他の生徒のざわめきも静まっていく。この学園においてkou長の決定は、幾ら突飛なものでも覆すのが難しいされている。このクラスでもその共通認識が広まっていたのだ。
「よし、じゃあ始めるか」
 こうして5組の生徒は畑山から太鼓さん次郎の操作方法を教えられた。彼の教え方は、今までPCを触ったことのない生徒でもすんなり受け入れられる程丁寧で分かりやすかった。
「こんな感じだ。全員が譜面を見終わったら、譜面製作について説明していくぞ」
 次に指示されたのは、次郎譜面の根幹とも言えるtjaファイルの記述方法、それから音源ファイルを使うにあたっての注意点などだった。特にこの部分では、畑山が実際に自作した例を用いて詳しく解説がなされた。
「以上が俺からの簡単な説明になる。何か質問はあればいつでも受け付ける。あとは皆、譜面製作に取り組んでくれ」
 畑山の指示で生徒は各々のペースで曲を探し、譜面を作り始めた。製作開始の号令から数十分後、勝浦は神崎のPCを覗き込みながら尋ねた。
「なあ神崎、どんな感じだ?」
「うーん、曲が決まらなくて……」
 神崎は困り顔を浮かべていた。
「そっか。神崎は馴染みのある音楽は何かないのか?」
「ク、クラシックとかで……最近の曲はよく知らないです……」
「なるほどな~」
 神崎の知っている曲が少ないのは仕方ない。これまで入院生活中心で、テレビを見る機会はあっても音楽を積極的に聴く機会が歌番組ぐらいしか無かったのだから。
「勝浦さんは決まってるんですか?」
「ああ、決まったけど神崎さんは知らないかも。『天ノ弱』っていうんだけど……」
「し、知らないかも……」
 そんな会話をしながら神崎は曲を探そうとした時、畑山から話しかけられる。
「神崎さん、曲で迷ってるのかい?」
「え!? あ、はい」
「いきなり話しかけてすまない。もし良ければ手伝おうかなと思ってね」
「い、良いんですか?」
「遠慮はいらないよ。俺が教えられる事なら何でも教えるつもりだ、それで曲ジャンルはクラシックを良く聴いていたのかな?」
「はい、でもどの曲にしようかなって」
「うーむ、クラシックはちょっと譜面を作りにくいからな~。 音ゲー用にアレンジされたものだったら楽なんだが……」
「新しいアレンジってことですかね?」
 神崎は興味津々といった表情を見せた。
「そうだな、気になったら実際に音ゲーに触れてみてくれ。なんせ学園内にあるからな。さて閑話休題。神崎さん、この曲はどうかな?」
 雑談の間に畑山は曲を選んでいたらしく、神崎のPCからは『天国と地獄』の名で知られる、オペレッタ『地獄のオルフェ』の序曲の第3部が流れていた。
「お~これなら知ってます! たまにテレビとかで流れてますよね」
「神崎さんの納得がいく曲があって良かった。では早速譜面に起こしてみよう、後は説明しなくても大丈夫だな」
「はい! ありがとうございます!」
 畑山はそう言って、また見回りに戻った。
「畑山先生、良い先生ですね」
「そうだな、教え方も上手いし。さて、俺達も譜面作るか」
「頑張りましょう!」
 そして2人は再び作業に取り掛かった。先生のレクチャーから数十分。神崎の顔色が少し悪くなりつつあった。
「あれ、神崎さん? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですよ……」
「もしかして……うるさい?」
 神崎は静かに頷く。今PC室では生徒達が譜面制作の過程に入っている。その為各PCから様々な音が漏れていたのだ。勝浦は畑山を呼び止めると神崎の事情を伝えた。すると畑山先生は疾風の如く教卓へ行き、手に何かを持って戻ってきた。
「遮音性の高いヘッドホンだ。使ってくれ」
「あ、ありがとうございます……」
 神崎は申し訳なさそうに礼を言い、受け取った。その後彼女はヘッドホンをつけて作業をできたお陰か、本来の顔色を取り戻した。全員が作譜作業で時間を忘れそうになった頃、特徴的なチャイムが鳴った。
「よし、今日の作業はここまでとする。各自忘れ物が無いように帰ってくれ。ただ、譜面が一つも完成していない人は後日放課後来てもらうように連絡をするから把握しておいてくれ。ちょっと諸事情で一つは作ってもらわないといけないんだ」
 若干意味深な台詞を言いつつ、畑山先生の号令で生徒達は教室に戻っていった。帰る生徒の流れが収まるまで勝浦と神崎は少しだけ会話し、止んだ後神崎は畑山の元へ向かった。
「あの、先生!」
「なんだ?」
「ありがとうございます、ヘッドホンお返しします」
「ありがとう」
「すみません、なんてお礼を言ったらいいか……」
「お礼なんて必要は無いさ。俺は教師として当たり前のことをしたまでだよ」
「それでも……本当に助かりました」
「どういたしまして。じゃあ気を付けて帰るんだよ」
 神崎は満足そうな笑顔で去っていった。
「おまたせしました、勝浦さん」
「大丈夫、じゃあ戻ろうか」
 勝浦と神崎は同じ歩幅でクラスへ帰って行った。

 

 *

 

 昼休み後、担任から一週間後に宿泊研修へ行くと告知された。そもそも事前に存在の告知すら無かったが、担任曰く"さっき決まった事"らしい。そして名前も決まっており、『機械に頼らずcontrysideで自給自足をしよう宿泊研修』というイベント名で進行するとの事。クラスメイトは突然の発表に騒然としており、中では名前より研修の存在を先に明らかにしろと野次が飛んだ。神崎も同様に驚きを隠せなかったが、勝浦が言うには午前の『次郎』も同じ様に学園は何かと出来事を隠したがるらしい。クラス内で学園への不信感が募る中、今日中に4人班を確定、班長の決定、研修の準備を進めなければならず、5組の険悪ムードを一層加速させていた。それでも担任は生徒をなだめ、5時間目の1/4を使ってようやく最初のくじ引きへ移行した。
 前の席の勝浦がくじを引いた後、神崎は回ってきた箱から恐る恐るくじを引く。くじを掴んだ神崎は心の奥底で出来れば勝浦と同じ班になりたい、と思っていた。彼女にはどうしても他のクラスメイトが良い風に映らなかったのだ。仮に他の人と当たっても、実は良い人達で抱えている不安は杞憂だったと思わせて欲しい、そんな願いを込めてくじを引いた。その結果は――。
「4……班です……」
「俺と一緒の班だな」
「ほんとですか! よかったぁ……」
 神崎は胸を撫で下ろし、安堵の声を漏らす。
「俺達以外はまだ決まってないみたいだな」
 周りを見渡すと皆手探り状態で同じ番号の相手を探している最中だった。中には既に4人決まったグループもいる。
「早く決まらないかな……」
「まあ焦らなくても」
 その時、二人へ声がかけられた。振り向くとそこには黒髪で眼鏡をかけた男子がいた。彼の表情は眼鏡でよく見えず、神崎は少し強張った。
「えっと、4班って、ここでいいのかな」
「そ、そうです……よ?」
 神崎は依然として緊張したまま返事をする。
「君は確か……次郎の授業で質問をしていた……ナスか」
「名護だよ……」
「わ、悪い、名護か。よろしく」
「勝浦さん……また人の名前間違えてますよ…… 名護さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、ところで君の名前は?」
「神崎惑花と言います……あれ?」
 神崎は『名護』と聞いて重要な事を思い出した。
「な、名護さん! 先日はありがとうございました! 気分が悪くなっちゃった所を保健室まで連れて行って貰っちゃって……」
 「ああ……別に大したことじゃないから気にしないでくれ。それにしても偶然だね、まさか僕達の班の人だったなんて」
「そうですね、私もびっくりしました」
「それはそうと、もうすぐ全員決まるんじゃないかな?」
 名護と話し始めた時点でくじは全員分回り切り、4つの島が出来つつあった。そんな中一人だけ離れ小島になっている少女がいた。
「もしかして……4人目って、イリーナさんじゃ?」
「もしかしたらそうかもしれませんね、独りだけグループになってませんし……」
「イリーナさん、おーい4班ならこっちだぞー」
 イリーナは勝浦の呼びかけに気づくとゆっくりと歩いてきて片言な日本語でヨロシク、と一言挨拶するのみだった。
「よし、これで全員か……何だか見知った同士なのは運が良いのか悪いのか……」
「きっと良いんですよ!」
 思わず神崎は大声で言ってしまった。すると周りのクラスメイト数名から鋭い目線が向けられる。変な奴だな、さっきからずっとあんな感じ、あいつらだけ幸せそうじゃね、などと言った言葉が聞こえてくる。
「神崎さん、あんまり大きい声、出さないほうがいいかも」
「あっ、いえっ……すみません……あははっ……ははっ」
 名護が神崎を静止すると生徒の注目は神崎から外れた。神崎は今この一瞬で、学級に溶け込む自信を失った。
「神崎さん、あんまり気にすんなよ」
 勝浦からのフォローが入るが、彼女は余計に悲しくなって俯いた。
 その後班長を決める流れになり、勝浦が立候補し、3人から異論はなかったので4班はそのまま決まった。だが他班は例外でまるで責任の押し付け合いのように言い争いを始めた。どの班も話が平行線で最終的に全班平等にくじ引きとなり、勝浦の立候補した意味が無くなってしまったが勝浦が班長のくじを引き当て、奇跡的に役職は変わらなかった。そして終礼のチャイムが鳴り響く――。結局予定していた研修の準備は放課後時間が空いている者に回され、簡単に宿泊研修当日の流れが説明された後、下校となった。その他畑山先生の呼び出しの詳細や明日以降の予定の連絡も絡んだため、実際5組が開放されたのは本来の下校時刻から10分も遅れた時間だった。

 

 *

 

(このクラスって本当に大丈夫なのかな……)
 そんな不安を抱えながら神崎は宿泊研修の作業をしていた。今日は天文部が休みの為、終礼で告知された通り居残りで準備をすることになったのだ。ただ幸運にも神崎独りで取り組む訳では無かった。勝浦は写真部が偶然休みで、名護とイリーナは部活も未定で放課後予定が無かった為、手伝ってくれることになった。ちらほら他のクラスメイト達も作業をしているが、大半はそれぞれ用事があるらしく帰っていった。「みんなありがとう、助かるよ」
「まぁな、俺たちは班だし当然だよ」
「ワタシモ、テツダウ」
3人は快く受け入れてくれた。イリーナは相変わらず無表情だったが、どことなく嬉しそうなオーラが出ている気がした。ただ作業量は本来クラス全員16名でこなす物を半分以下の人数でやっているため、作業は思った以上に進まなかった。
「これ、終わった後に何かお礼とかした方が良いかな……?」
「別にそこまでしなくても。そういえば神崎さんは親に連絡した?」
「大丈夫です、さっきメッセージ送っておきました」
「そっか、それなら良かった」
 神崎は早速スマホを使いこなしていた。
「カンザキサン、コレドウ?」
イリーナは神崎に段ボール箱を手渡すとそのまま中身の説明をする。中には神崎が頼んでいたものが入っていた。
「あ、ありがとうございます! これでバッチリですよ!」
「ソウ、ヨカッタ」
 それからしばらく黙々と作業を続けていると、勝浦と名護は何気ない会話をしながら準備を進める中、ふと神崎が呟いた。
「わたし、こんな風に友達と作業するなんて初めてで……ちょっと楽しいかもしれないですね……」
「神崎さん……そうだね」
「あの、一つ勝浦さんに聞き忘れてたんですけど」
 少し神妙な面持ちで神崎は言った。
「えっと……朝言っていた『友だち』になるってなんなのかな~って」
「え? 難しい事じゃないよ。メッセージアプリでそうしておけば気軽に連絡出来るってだけで……」
「いや、あの、なんだろう…… 『友だち』っていうか、えと……?」
 彼女の質問の意図が分からず戸惑う勝浦。その様子を見て名護が助け舟を出す。
「神崎さん、多分、勝浦君はそういう意味で言ったんじゃ無いと思う」
「神崎さんは、勝浦君とは元々友人同士なのに、改めて友達になるって、意味が分からなかった。でも、そういう意味じゃなくて、アプリの用語がそのまま派生して、『友だち』になるってことだと思う」
「あー、なるほど」
「あ、あははっ……」
 神崎は苦笑いしながら理解を示した。朝彼女が感じた勝浦との距離は、同じ言葉を使っていた故の思い違いだったのだ。
「俺もちょっと言葉足らずだったかも。ごめん」
「いえ、こちらこそすみません。わたしちょっと変なこと聞いちゃいましたよね」
 2人のやり取りを見て、名護は微笑んだ。
「……名護さん、今笑いました?」
「まだ学園が、始まって間もないのに、二人は仲がいいなって」
「仲がいい、ですか……?」
「ナカヨシ、ワルクナイ」
 神崎は若干照れていたが、勝浦は気にしていない様子だった。そして数十分後、作業が一段落すると、4人は帰宅準備を始める。
「大変だ、もうお母さん迎えに来てる! 急がないと!」
「じゃあ、気をつけてね。急いでるからって、廊下は走っちゃだめだよ」
 名護は慌ただしく出ていく神崎に優しく忠告した。
「そ、そうでしたね。ではまた明日」
「お疲れ様」
「オツカレサマ」
 教室を後にする神崎を見送った後、3人もそれぞれの帰路につくのであった。

第6話

 一週間後、学園の高1生は宿泊研修へ行く。生徒へは先日告知され、保護者へも生徒を通じて伝達される。ただ大半の保護者は唐突な告知に驚きを隠せないだろう。まず一般的な学校であれば、年度始めに"宿泊"研修を持って来ない、あっても日帰りだ。それに事前連絡も無くつい今日決まったような話で、しかも親元へ直接の連絡や案内はほぼなし。当然不審がる親がいてもおかしくはなく、現にこの異常事態に物申そうと一本の問い合わせが学園へと入った。

「ありがとうございます。こちら私立次郎勢学園の畑山がお受けしております」
「もしもし、すみません。わたくし、高校1年5組の神崎惑花の母親なのですが……お世話になっております」
「はい、お世話になっております。本日はどういったご要件でしょうか?」
「あの、娘から一週間後に宿泊研修に行くと聞きまして。宿泊研修と言われましても、こちらとしてはあまりにもいきなり過ぎますし、それにわたくしの方から事前に娘の状態を伝えていたはずで、まだ不安が残ると言いますか……」
「そうですね……確かにその点は私どもの不手際です。しかし今回は何分急な決定でもありました故、ご理解頂けるとありがたいのですが……」
「そ、それはあまりに急すぎますよ! それに泊りがけだなんて……それにもし何かあったらどうするんですか!?」
「落ち着いてください奥様、大丈夫ですよ。生徒の皆さんの安全面は管理致します。娘さん含め我々職員一同、生徒の身の安全はできる限り保証いたします」
「そ、そんな……それでは困ります! 100%保証しないんですか!?」
「申し訳ありませんが、こちらも仕事ですので。それに例え宿泊研修といっても二泊三日です。そう長くはないですから大丈夫ですよ」
「し、しかし……」
「とにかく安心して待っていて下さい。決して悪いようにはなりませんから」
「いえ、でも娘は高校生ではあるんですがまだ小さい子供みたいなものですし、親としては不安しかないんですよ。貴方様がた学園が娘のいわゆる『学校生活』の初めての場所でして……それに以前にもお伝えしましたが惑花は昔から体が弱く、今は快復しておりますがそれでもいきなり8時間ハイキングは厳しいと思うんですよ……」
「はい、もちろん承知しています。ただ今回のハイキングは生徒間の交友関係を深めたり、経済的スキルや芸術性を高めるたり、更には駆け引きといったゲーム性も含まれていまして、むしろハイキングはおまけみたいなものです」
「待ってください。経済的スキル? 芸術性? 駆け引き? 一体ハイキングとどういう関係があるんですか!?」
「それは当日、生徒達へのお楽しみですのでこれ以上は……」
「いえ、内容に全く理解できる要素がありませんでしたよ!?」
「お母様の疑問もよくわかります。しかし、ここは学園の方針に従っていただきたく……」
「ちょっと何を言ってるのかわからないですけど!? そもそも貴方方がわたくし共の娘を預かる立場でしょう!? それをどうしてわたくし達が指示されなければいけないんですか!?」
「これは失礼しました。ただご安心ください。生徒の安全は出来る限り保証します。もしできなければ訴えていただいて構いません。それで慰謝料も払わせていただきますので」
「いや、訴えるとかそういう事ではなくて……!」
「お母様、どうか分かって頂きたい。我々学園側は貴女の愛娘である神崎惑花さんを大事にします。もちろん他の生徒も例外なくそうさせていただきますが、生徒の安全は私が命をかけて保障いたしますので安心して下さい」
「本当に大丈夫なんですか!?」
「はい、問題ありません。我々を信じてください」
「正直納得がいきません。せめてもう少し説明をお願いします」
「申し訳ございません。ですがこれ以上は機密事項でございますので……では失礼致します」
「ちょ、まっ――」
 菫玲は切られた電話を持ったまま、大きなため息をつく。
「どうしたんだ菫玲、まさか学園に電話したのか?」
「当たり前じゃない! 惑花が言うには一週間後から旅行だなんて! 告知もしないなんて学校としてありえないわよ!」
 萩人は妻の剣幕に押され、黙り込む。
「いくらなんでも急すぎるわ。それに私達は親なのよ。親が子供を心配しないわけがないでしょ」
「まあ落ち着け。学園だって事情があるかもしれないだろう」
「じゃあどんな理由があったら、こんな急な話になるのよ! 普通に考えておかしいでしょ!?」
「うーん……確かにそうだが……」
「それに惑花ったら、あんなに楽しそうな顔して……きっと友達と一緒だから嬉しいんでしょうね。でも親からすれば心配しかないわ」
「でもやっぱり惑花が楽しめるんだったら別に良いんじゃないかな? それに安全は保証してくれてるんだろ?」
「でも電話口の人は『出来る限り』って言ってたわ! 絶対に安全だっていう証拠にはならないわ」
「いや、それは流石に言い過ぎじゃないか?」
「いいえ、私は絶対信用できないわ。大体昨日だっていきなり遅くなるって…………ああもうっ!! どうしてこうなるのよ!!」
「まあまあ、予定が変わって帰るのが遅くなるのぐらいあるって。それに班のみんなが手伝ってくれてたって逆に嬉しそうだったじゃないか」
「わざわざ迎えに来てる身にもなりなさいよ! 普通は時間丁度で授業は終わるものでしょ!?」
「はぁ……またこれか……」
 萩人は小声で呟き、頭を抱える。普段なら菫玲はここまで感情的にならない。いつもは冷静沈着で、落ち着いているのだが、娘の事になるとどうしても過保護になってしまう。
「……何よ、その反応」
「いや、でもなぁ……」
 萩人は迷っていた。自分の考えを菫玲にぶつけるべきか。喧嘩になれば長期戦は必至で、そんな両親の姿を娘の惑花には見せたくはない。けれど今の彼女にはストッパーもいない。
「惑花も16なんだしさ、それに学校の事情もあるだろ?」
「でもいきなり年度始めで宿泊研修はおかしいでしょ!? それにカヌーだとかハイキングだとか、疲れて倒れちゃったらどうするのよ!?」
「それは僕も思うけどさ……でも仕方ない部分もあるんじゃないのか?」
「……どういうこと?」
「惑花は体が弱いから今回の宿泊研修、本当は参加させるべきなのか僕も悩んだんだよ。けど本人がとても行きたがってたからさ……」
「それは貴方が勝手に考えただけでしょ? 惑花は強制されて嫌々行く羽目になったって可能性もあるじゃない」
「それは違うよ。あの子はちゃんと自分で考えて、やりたい事を言ってきたんだ。だから僕はそれに応えようと思っただけ。それよりよっぽど心配してる菫玲の方こそ、惑花のことを否定してるよね?」
「どういう事よ」
「何の根拠もなしに、僕から話を聞いただけで強制されて嫌々行く羽目~って。酷いにもほどがあるだろ? そもそも本当に行かせたくないんだったら、学校側に抗議すべきだ。それをせずに、ただ文句を言うだけだなんて、子供のことを全然思ってなさすぎだよ」
「なっ!?」
「それに何度言ったか忘れたけど、最初に届いた招待状に返事をしたのは惑花本人だろ? そもそも彼女は学校へ行きたい、楽しみたいって思ってるんだ! なのに君が否定したら意味ないじゃないか!」
「分かってるわよ……でも、あまりにも不自然すぎるわ。まだこの学園の事もよく知らないのに、一週間後だなんて。それに惑花の体調だって心配よ」
「でも学園側が安全を保障してくれるって言ってたし、ここは信じても……」
「貴方は惑花のことになると、すぐ甘くなって。もっと色々考えるべきよ」
「いや、君だって惑花の事になるとすぐ熱くなるんだからさ……」
「うるさい! とにかく私は納得いかないのよ」
「はぁ……これはまた長引くぞ」
「何か言った?」
「いや何も」
「お、お母さん……お父さん……?」
 二人の会話を聞いて、困惑している惑花がそこにいた。
「ま、惑花! ごめんなさいね、こんな所見せてしまって」
「う、うん……大丈夫……」
「ごめんな惑花」
 退院してから惑花は二人の喧嘩を見る機会が多くなった。病院でずっとベッドの上で過ごしていた時間も辛かったより、両親とのコミュニケーションが取れずにいる時間の方がより寂しく辛いものだったが、今はこうして毎日のように両親が自分と会話してくることが嬉しかった。しかし同時に自分の事で互いに意見の食い違う両親の口喧嘩を見聞きするのは嫌だった。
「二人ともケンカばっかりしないでね……?」
「そ、そうね……気をつけるわ」
「ああ、そうだな」
 惑花の一言でとりあえず二人は落ち着きを取り戻す。
「でもね、惑花……私達はあなたの事が心配なの。惑花だって一週間後の旅行の話はつい昨日聞いたところなんでしょ?」
「う、うん……」
「ならやっぱり急過ぎると思うの。それにカヌーとかハイキングだとか、きっと疲れてしまうわ」
「えっと……」
「まあまあ、ちょっと落ち着こう。惑花自身は実際の所、行きたいのかい?」
萩人は優しく問い掛ける。すると惑花はハッキリとした口調で答えた。
「うん、わたし行きたい。行ってみたい」
「全く、菫玲は少し過保護になり過ぎだよ」
「分かったわ。惑花がそこまで言うんだったら……」
「でもね……」
 惑花は菫玲の言葉を遮るように呟いた。彼女の顔は少し不安げで、両親は娘の話に耳を傾ける。
「本当は怖い。もし何かあったらどうしようって…… お母さんの言う通り、予告もなかったし……」
 惑花の言葉に菫玲が反応しかけたが、萩人が止めて代わりに答える。
「まあ確かに不安かもしれない。けど今は学園を信じることにする。もし何かあったらすぐに僕らや先生に連絡すればいい。それにほら一度しかない学生生活のビッグイベントだし、まずは楽しみにしておいてもバチは当たらないんじゃないか?」
「そう……かな?」
「ああ、勿論さ。菫玲も……そう思わないか?」
「……そうね、楽しむべきだわ。私も惑花の気持ちも分かるし同じ気持ちだけど、今回は学園を信じてみましょうか」
 とすっかり二人は萩人に説得されてしまった。それからは一週間後の宿泊研修の荷造りを進めていった。
「最近、学校はどう?」
 準備を手伝っていた菫玲が惑花に尋ねる。
「楽しいよ、友達もできたし。でも授業はちょっと慣れないかも」
「まあ、学生の本分は勉強だからね」
 今度は萩人も加わる。
「ところで、その友達とは仲良くやってるの?」
「うん、確か前に話した勝浦さんって言うんだけど……」
「ああ、あの子ね。いつも惑花の世話をしてくれてる……」
「世話って! そんな子供みたいな……」
「まぁまぁ、それで勝浦くんがどうかしたのかい?」
「うん、色々心配してくれたりして……良い人なんだ~ それに研修の班も偶然一緒になったから」
「それは頼もしいわね。惑花からの話を聞く限りしっかりしてそうな人だもの」
「へぇー、その彼には感謝しないとな。でもその内、逆に勝浦君を支えられるように惑花もしっかりしないとな」
「う、うん……頑張る!」
「それじゃ、もう遅いから寝ようか。できなかった分は明日に回せばいいし」
「今日はこの辺で終わりにしましょうか」
「おやすみなさい」
 そう言って、それぞれ就寝する三人であった。

第7話

「あ、あの、ありがとうございます……用務員さん」
 これぐらい大した事じゃないさ、と"用務員さん"は神崎のキャリーケースを余裕そうに運ぶ。宿泊研修当日も神崎は普段通り両親の車で登校した。校門に降りたった神崎は荷物を校庭へ運ぼうとしたが、逆に彼女が荷物の重量に引っ張られてしまっていた。事前に両親と相談して荷物の軽量化を図っていたがそれでも細身な彼女の力では厳しいものがあり、エントランスで途方に暮れていた。その様子を見かねて手を差し伸べたのは学園の用務員、通称"用務員さん"だった。
「二泊三日って言うには荷物が少し重いような気がするけど、一体何が入ってるんだい?」
 "用務員さん"は神崎に不思議そうに問いかけると、彼女は慌てて鞄の中の説明を始めた。"用務員さん"は神崎が丁寧に一つ一つ指を折りながら詳細を語るのを頷きながら聞き、計上が両手の復路に入りかけた所でストップをかけた。
「オーケーオーケー、色々準備してたんだな」
「これでも少なくした方なんですけど、お母さんがあれもこれもって……」
 "用務員さん"はそれを聞いてクスリと笑う。
「それだけ大事にされてるって事だな」
 神崎はその言葉を聞いて恥ずかしくなり頬を染めてしまった。暫く俯いていたが、とある声で前へ向き直る。
「神崎さん。おはよう、早いね」
「おはようございます。名護さん」
 名護は片手を見せ神崎に挨拶する。集合時間にはまだ30分も早く生徒も少数しか集まってなかったが、既に彼は校庭で待機していたのだ。
「じゃあ荷物は置いておくから何かあったら声をかけてくれ」
 去っていく"用務員さん"にお礼を言い、改めて名護と顔を合わせる。
「おはよう。荷物、大きいね」
「ちょっとは軽くしたんですけどね……」
「怪しいものとか、持ってきてないよね?」
 むしろ何を持ってくるんですか? と疑問を隠せない神崎の台詞を聞いて名護は安心したように言う。
「邪な考えを、持ってた、俺の方が、悪かったよ」
 彼曰く、神崎の肌感に合わない大荷物が気になってしまい、校則違反なものや、しおりに記載されて無いものを持ってきたのかと疑ってしまったらしい。名護の話を聞き、"用務員さん"が荷物について聞いてきた意図を理解した。その上で彼女にとって規則を破る人間の存在は驚きだった。
「あ、でも……」
 しかし神崎自身に思い当たる節があるのか、少し申し訳なさそうに話を切り出す。
「実はタロットカード、持ってきちゃったんですよね……」
 名護の話で神崎は規範意識が過剰に高くなってしまっており、自分は咎められるんじゃないかと恐れていたが、名護は少し笑って「神崎さん、占い好きだもんね」と好意的な反応を返した。予想外の反応にきょとんとする神崎に、名護は電子機器の持込以外の制限は特に無いと話し、自分自身も単語帳を持ってきていると自白した。
「しおりを見た所、案外自由なんだよね」
 神崎は苦笑いしながらも、肩の力は自然と抜けていた。それから二人はお互いの持ち物について語りあった。今回の研修旅行で初めて組むことになった彼女らだったが、会話に難があることは少なかった。神崎は名護の英単語の勉強方法を興味津々に聞き、逆に名護は神崎のタロットの話題を静かに傾聴していたので、互いのコミュニケーションは上手く行っていたのだ。
 校庭にいる生徒の塊が多くなってきた頃に、学園内で一番聞き馴染みのある声が神崎の耳に入る。
「おはよう神崎さん。それと……ナムコ、だっけ?」
「おっ……おはようございます、勝浦さん」
「おはよう、勝浦君……俺は名護だよ」
 いつもの勝浦の名前間違いが炸裂し、名護の若干溜息混じりの挨拶が返ってくる。
「申し訳ない、名護。気をつけるよ」
「ま、まあまあ、班行動してたら名前も覚えますって。勝浦さんもちゃんと覚えてくださいね?」
「ミスの一つや二つで、怒りはしないから、大丈夫だよ」
 彼の表情は眼鏡レンズの反射で読み取りにくかったが、特段腹を立ててる訳では無かったようで神崎は安心した。勝浦が来たことによって三人はより話しやすくなり適度に雑談を楽しんでいた。始めは神崎も二人と話す余裕があったのだが、徐々に口数が少なくなっていった。
「神崎……どうしたんだ? もっと話しても……」
 勝浦は無口になっていた神崎に話しかけるも、返ってきた反応は鈍かった。あまり快くなさそうな様子の神崎を見て、勝浦は彼女へかける言葉を変えた。
「一旦ここから離れるか?」
 だがそれに名護が返答する。あと10分程で集合時間なのに今から別行動をしてしまったら、クラスだけでなく学年全体に迷惑をかけてしまう、と。それに対し勝浦は名護の目を見て、神崎の事情について説明した。彼女は長期の病床生活で、人混みや雑音に慣れていない事を以前にもあった"次郎"の授業の出来事も混ぜながら話した。そして今回も周りのざわめきによって、気力が削られて思うように話せなっているのだとしたら、神崎が落ち着けるように別の場所で休ませたいと提案した。話を聞いた上で名護は神崎へ声をかけた。
「体調を崩したら、折角の研修旅行が、台無しだから、ちょっとぐらいなら、良いと思うよ」
 名護は神崎の状況を理解し、合わせて己の無知さの謝罪した。しかしその事について神崎は特に気にしておらず、むしろ今自分が休む事が皆に迷惑をかけるだろうと心配していた。そんな遠慮しがちな神崎に対し、勝浦は休息に自分が付き添うと改めて申し出た。勝浦は神崎の体調に関してクラスの中で一番分かっているので、例え遅れてしまっても教師へ問題なく説明出来るからだ。勝浦の態度が伝播したのか名護からは待ち合わせ場所で待機して、もし班員の状況を聞かれたら勝浦と同じ様に説明すると約束した。神崎はそれでも迷ったが、温かい言葉を無下にはできず二人に頼る事にした。
「名護さんも勝浦さんもありがとうございます……!」
 神崎と勝浦はグラウンドの声が届きにくい食堂前へ向かった。そこでは勝浦は何も話さず、ただ神崎が落ち着くのを静かに待った。
「わざわざありがとうございます。でもやっぱり迷惑でしたよね……?」
 神崎は改めて勝浦へ感謝を述べるが、同時に不安も押し寄せた。たが勝浦は普段のトーンで彼女を慰める。
「気にするなって。名護も言ってたけど、無理して気分悪くなったら本末転倒だしな。それに先生たちだって神崎さんの身体について知ってるだろうから、ある程度の自由が効くかもしれない」
 神崎はその言葉を聞いて、少しだけ安心した。言われてみれば、自分の身体についてある程度学園に認知されている。ただそれを理由に何かを要求するのは違うと思っていたのだ。
「そういう事……言ってもいいんですかね? わがまま、じゃないんですけど」
 程々なら、と勝浦は少し笑顔を作りながら返した。それを聞いて困ったとき、神崎はこれからは少しだけ誰かを頼ってみよう、と小さな決心をした。休んでいる中ふと時計を見ると時刻は集合時間数分前を指していた。神崎は慌てふためいたが、どうせ遅刻する人もいるし大丈夫だとフォローした。若干の早足で集合場所に戻ると、既に大多数の生徒が整列していた。大勢が集まっているにも関わらず話し声が少なかったのは、先生から「静粛に」との指示があったのだろうか。
「おかえり、二人とも」
「時間ちょっと過ぎちゃいました……」
「大丈夫。イリーナさんが、まだだけど」
 メンバーが揃っていない事に神崎の表情が曇る。
「なにか、あったんでしょうか……」
「いや、違うと、思う。イリーナさんは、寮生だから、そんな、大層なことは、起きないかな」
「まあ近い内に来るさ」
 心配性な神崎とは対称的に名護と勝浦は至って冷静だ。そして定刻から5分弱、寮の方面から上下ジャージのイリーナが小走りで到着した。
「オハヨウ」
「おはよう、イリーナさん。7分遅刻、だよ」
 名護の真面目さはここでも光っていて、どうやらこの班のタイムキーパーになるかもしれない。
「Извините……ゴメン」
 イリーナはロシア語と慣れない日本語で謝る。勝浦は次からは遅れないように柔らかく忠告し、名護からもさっき以上のお咎めは無かった。
「イリーナさん、なにかあったんですか?」
「ジュンビ、ジカンカカッタ」
 そういう事もありますよね、と事情があった神崎自身はあまり突っかからないようにした。
 それから程無くして生徒全員が集合し、点呼が終わり次第先生方からの挨拶や諸注意等を聞いて、遂に一年生一行は長野へ発つバスに乗り込んだ。出発の際は、また生徒も活気を取り戻し色々と会話を始めていた。神崎もそのうちの一人で、隣の席の勝浦と話しながら行先のイベントに心を躍らせていた。