英東南洋皇国

Last-modified: 2019-04-13 (土) 14:46:19

基本情報

えいとうなんようこうこく
英東南洋皇国
Eito nanyang imperial
《現在は存在しない国》
国旗国章
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目次
公用語日本語 エテクゥワル語
首都神浜市
総人口1億2253万1919人
(2017年8月推計)
面積35万6320km²;
建国日1950年2月11日
崩壊時の皇帝二代目 日本皇室 明仁殿下 (永文帝)
政府君主制中央政府主義国家
崩壊時の首相宇垣嶺
国歌祖国を思ふ(旧歌詞)
軍歌天地革命
国軍(崩壊時)皇軍英洋兵 常備兵253万人 予備兵40万人
憲法大英東南洋皇国憲法
通貨英洋円 (¥)
使用暦西暦 英東暦 皇暦
時間帯UTC+9 (DST なし)
国際電話番号+81

概要

地理

日本列島の南東約10km以南に位置するローマンチスタ島(本島)をはじめ、北はスカンジナビア半島の1部や樺太、南はエテクヮル諸島群(南洋諸島)、セルモアサンドラース諸島そして西はカンサコフニアが主な領土。
本土では鉄道業が発展しており国民の過半数が鉄道を通勤通学に必ず利用していた。

歴史

英東国の歴史を参照

崩壊原因

主な崩壊原因はやはり独裁からのものであろう。
1980年代からの本格的なデモクラシーで外の世界を知った人間による近代化革命、また民族自決主義を唱え始めた植民地のデモなどである。しかし一旦政府も改革を行い、民衆の同意も得られたものの、革命時より弱体化していた経済基盤にリーマンショックがさらに打撃を与え、破綻した。こうして崩壊したわけである。
また末期の政府と軍の意見違いも大きく関係しているという見方もあり、これまた有力なのである。