南スバラ国

Last-modified: 2021-09-01 (水) 09:27:33

目次
1 概要
2 国名 
3 行政区
4 歴史
5 政治
6 経済
7 文化

概要

太平洋南部に位置する独立国家である。6つの主要島と89の小島からなる。現在は主要島を中心に6つの行政区と1つの特別首都地域からなる連合体として行政が運営されている。
国歌 青き海
首都 スビヤ首都特別地域
人口 21,345,567人
面積 45,389㎢
国名 
スバラは、現地のスバ人の土地という意味を持っている。なお本島はスバヤ島であり、スバヤはスバ人の故郷という意味がある。

行政区

スビヤ特別首都地域

スバヤ地域

ワナイ地域

ホリス地域

イルカロース地域

タパヤノン地域

ケルバ地域

各地域には中央市が存在している。また、そのほかには郡、そしてその下には町村が存在している。スビヤ特別首都地域は住所録がすべて数字のみとなっている。

歴史

先史時代
この地に人類が到達したのは1万9000年前より以降とされている。諸島最北端のイルカロース島の二ホロ遺跡では1万5000年前のものと思われる打製石器が発見されており、少なくともこの時期から人類が生活していたと考えられている。

その後、各島で独自の土器デザインを作る 彩文土器時代 が訪れる。土器自体には各島で特色がみられるが、島間での交流も盛んであり、ワナイ島でホリス島の文様の土器が発見されるなどしている。このころは漁労と果実を中心とした採取生活を基本としており、平地やダンバと呼ばれる洞窟に集団で暮らしていた痕跡がみられる。また、タパヤノン島のガベンダンパとスバヤ島のユリオン集落跡からは、鈍器や骨角器を用いた槍のようなで殺害されたとみられるい骨が見つかっており、考古学者の間ではこの二つの島では何らかの対立があったとする声が強い。

戦闘民族時代
しばらくは、基本的に六島で緩やかな交流を持つ時代が続いたが、前2世紀ごろになると南方のケバロス地方から小麦やコメなどの栽培が伝わった。それに伴い、農耕の指揮にあたる人物を中心に島毎で競争が見られるようになった。この時代には、弓矢のほかに、スバヤ島ではケバロス地方からの移民によって伝えられた製鉄技術とカナバ山からとれる鉄を利用して、武器の生産が行われるようになった。このことから、島間もしくは島内でもべつの集団同士で戦闘が行われるようになったとみられている。特にスバヤ島のエンダロバ遺跡からは、100棟を超える住居や掘立柱式建造物、祭祀跡、さらには500を超える鉄剣が発見されていることから、スバヤ島は前一世紀にこの集落を中心に統一されたとされている。

また、エンダロバ遺跡からはタパヤノン島やケルバ島の土器やケルバ島系の人骨と首に巻かれた鎖のようなものが検出されていることから、二島とエンダロバ遺跡は従属関係にあったとみられる。1世紀ころになると、ケバロス語系のスバヤ語の原型となるスビヤデン文字を利用した木札や金石類が見られるようになり、文字の利用があったと考えられている。

スビヤデン神話と建国
スビヤデン神話は3世紀にまとめられた『ナンゴ伝記』と『ホパ伝記』の二冊からなる六島の神話伝承である。

前四世紀にスバヤ島をタナンア王が創造し、スバヤ王国を建国し、そして絶えることなく戦争をしていた残りの島々をまとめ上げ、現在のような国家として成り立ったとしている。ホリス征伐編では、ケバロス地方のカンバ(神庭)国が援軍として参加したと書かれており、古代からやはりケバロス地方との関係が深かったことが強調される。タナンア王は1世紀に息子ババウン一世に譲位しその日に崩御したとされている。なお、文献史学的な見解からは、スバヤ島を統一した王族について数代分の功績をまとめ、偉大な王の子孫であることを強調する狙いがあるという説が主流である。

大墳時代
前三1世紀~4世紀にかけて諸島各地で特色のあるスバラ型大型墳丘が造営されるようになった。スバヤ島では四角錐型、ワナイ島では六角形型、ホリス島では五芒星型、イルカロース島では正方形型、タパヤノン島では長方形の方形周溝墓、ケルパ島では半球体のものが特徴的である。また三世紀から四世紀にかけてはスバヤ島以外では徐々に四角錐型の墳墓が多く見られるようになり、スバヤ島が諸島の盟主のような役割を果たしていたと考えられている。このころから、石造り建造物が見られるようになり、各島に石垣を持ったレン(城)が建設されるようになった。スバヤ島のタヤバンレンは3世紀末に造営された終末型石垣レンの現存する最古の遺跡であり、18世紀まで一部の増改築を繰り返しながら、タナンア王朝の城として利用された。

タヤンア王朝貴族時代
神話では前四世紀に統一されたとなっているが、ケバロス地方のヤンバ(屋葉)朝の正史『昴屋伝』では386年、7代王のぺルアンがイルカロース島を制圧したと記している。正史ではこの年を統一の年としている。ペアルンは従えた各島の諸王を処刑するのではなく王臣として各島の統治に利用し、その氏長者を貴族として王家に仕えさせた。これを「朝貢貴族制」という。この貴族たちは、各島および国の政治について合議し法律などの制定に努めると同時に、王に指定された量の米・魚・布及び奴婢を朝貢することで各島の権力を維持した。また、ペアルン二世時代の401年にタナンア法が定められると、税や王朝儀式についての規定が事細かに記されるようになった。さらに王を中心に、内政臣制がとられるようになり、内政臣を代表とした侯爵会議が王の諮問機関となり政治を行った。

カンバ一世時代の503年にスビアに都を建都を果たすと、その後500年間スビヤは王家の中心として栄え、貴族文化が花開くことになった。また、王は何代にもわたり、皇太子を除く諸王を各貴族に嫁がせ、また貴族は皇太子に自分の嫁を取らせる形で、権力維持を図った。特に娘が皇太子の正皇太子妃となった場合、その父親や親族が内政の中心を務めるようになった。特にケルバ島のエンワ家は11代~23代まで連続して皇太子妃を輩出し、内政臣を長く務め、実質的な権力をエンワ家が得たことから、この時期をエンワ内政臣時代ともいう。しかしエンワ内政臣時代に内政の集権化と苛政、腐敗が加速しウンタンナ王時代の809年、皇太子毒殺による嫌疑から始まった「イハン・レバの急変」により内政臣エンワ・カヤと軍臣エンワ・ロオ、そして皇太子妃のエンワ・パタが処刑され、エンワ族政権は終焉した。またケルバ島はそれ以降ウンタンナ王の二番目の子で、イルカロース家出身の第二王妃から生まれたエルバト王臣が統治し、実質的に母親の出身であるイルカロース家の統治下となった。エンワ内政時代の後は、イルカロース家と、ワナイ島のラ家がほぼ交互に皇太子妃を出しこの2家が内政権力を握った。

ワン・バラン戦争
ウレタンナ一世時代の1000年にケバロス地方の大艦富津帝国が従属を要求する「帝国求朝貢書状」を使者とともに王朝へ送った。しかしウレタンナ一世はこれを拒否した。それに伴い帝国王の富津強に怒りを買い、帝国からの侵略を恐れた王は大艦富津に近いスビヤを要塞都市に改築し、自身は1003年にスバヤ島南東のオウリ島のレンに王宮を建設。貴族たちもこれに従ったことからこれが実質的な遷都となった。その一方でスビヤでは防衛に伴う軍人が多くなり、王朝はなくなったものの経済の中心地として栄えた。また1006年に大艦富津帝国と内通していたとしてラ家のラ・ヨーバに嫌疑がかけられ、ワナイ島に対して軍4万が派兵された。ラ家は34日間ワナイ島の中心であるワンと島北部のバランレンで抗戦を続けたが、途中で一般市民がラ家の苛政に対する反乱を起こし、混乱状態となり降伏した。一方で、実際にはラ家は大艦富津とは内通しておらず、大艦富津帝国自体が内乱で1012年に崩壊したことからスバラは侵攻を受けることはなかった。

安定時代
大艦富津が崩壊した後も、ケバロス地方からの侵略を恐れたウレタンナ一世はオウリ島の王宮にとどまった。国政は、ワン・バラン戦争でほぼ権力を独占したいるかロース家を中心とした国王親政であった。スビヤの改築工事に伴う民衆の不満がたまっていたことなどを受けて、ウレタンナ一世は「免税3カ年法」を出し、3年間の農民や町人への課税をやめた。

13世紀になると、イルカロース家による単独政権に対してイルカロース島以外の島から不満が聞かれるようになった。そこで、ナパ二世の治世の1234年に各島の地区から代表を集め国政について合議させる「島代表合議制」が行われるようになった。これはあくまで、イルカロース家が合議の代表であり、意見の提言を行うまでしかできないものであったが、イルカロース家がケルバ島やワナイ島を実質的に統治しており、無視をすると反乱につながりかねないことから、この合議の発言力が強まった。この合議制以降、王宮の朝政も役職が増加し、官吏が多くなり、小さい島であったオワリ島は島全体が都市と化した。その町並みは世界遺産にも登録されている。そこから18世紀まで、「島代表合議制」とイルカロース家による内政臣制が並立した。

西欧列強の到来
1598年にスライン人のアルンソ・デ・ザザールがスバラ島に到達した。今までの南太平洋諸地域とは異なり、ケバロス地方の文字を持ち、中世都市まで形成していたことから、直接支配を免れた。ただし、スライン人が多く島に流入したことから、天然痘などの病気が流行し、1600年から1750年までの間に31万人近くが死亡した。スラインは、南太平洋のスバヤ王国という意味から南スバヤと呼ぶようになった。また、スバヤ王国を南太平洋の拠点とするため、不平等な要求を度々行っていた。このときに、スラインは王がオワリ島にこもっていることに大きな反発をしたため、1765年、765年ぶりに都をスビヤに還都した。その後もスラインは武力をちらつかせ、スバヤ王国を自治領として庇護下に置いた。このとき、島代表合議に出席していた各島の代表を侯爵とし、イルカロース家を摂政家とした。また、スラインとの関係を不平等に明記した『スバヤ王国憲法』を一方的に制定し、スバヤはスラインの植民地のような立ち位置となった。

近代化と世界大戦
スラインの実質的な自治領となった南スバラであったが、南スバラでは豊富な鉄資源があることから、島内に多くの近代施設が建設された。特に1811年に開通したスバラ鉄資源鉄道と、ケルバ製鉄所では当時の欧米でも最先端であった製鉄技術が用いられた。その一方で島民多くが採掘や建設に低賃金で半ば強制に従事させられ、少なくとも7万人が関連事業で亡くなったと試算されている。

1888年第一次スライン内戦に伴い、スライン政府は南スラバ国民に参戦を要求した。当時の国王ナンハエン王はこの要求を拒否し、スライン政府に反体制派につくことを宣言した。スバラ軍は当日の内にスライン政府機関、製鉄所、鉄道施設などを占拠し、スライン人上層部の7000人を国外追放とした。ただし、このとき国内にいたスライン人労働者や、他国の奴隷などは引き続き居住権を認め、その後はそれらの人々の力を借りて近代化が加速することとなった。

1889年 憲法改正、侯爵家と摂政家を名誉職とし、普通選挙による議会と首相を選出する議院内閣制が採用された。

1903年、第一次世界大戦が勃発した。南スバラは参戦しなかったが、ケバロス地方の大繁帝国が枢商国側で参戦し、武器の生産や販売により南スバラは大きな利益を得た。1906年に終戦。枢商国側が勝利し、南スバラは直接的な参戦はなかったものの、大繁帝国から1億6000万スバの報奨金を受け取った。この報奨金を元手に1912年には国内初の造船所が完成した。

1934年 第二次世界大戦が勃発した。南スバラは第一次と同じく参戦するつもりはなかったが、1935年の大日乃帝国による枢商国に対する宣戦布告に南スバラが含まれており、南スバラは世界大戦に参戦した。南スバラ軍は当時12万人の編成で主にイルカロース島など北部の島の防衛を行った。また志願者を大繁帝国軍の外国人部隊に参加させ、特に特別176部隊は大日乃帝国本土決戦で王城占拠の功績を挙げた。1943年の終戦後大日乃帝国が持っていたパウ諸島の50年間の管理権と30億スバヤの賠償金を得た。なお、南スバラは第二次世界大戦参加国で一番死者の少ない国であった。

1948年 国際連盟に加盟。それと同時に南太平洋諸国連合を設立し、スバヤにその本部が置かれた。

1952年 スバヤ特別首都地域及び諸地域における行政区域を設置。各島出身者から議員を必ず10人選出する「島別特別議員採用制」を導入した。

1973年 スバヤ島から全島へつながる高速道路が開通。 

1974年 タパヤノン地域南部のダガ島近海で石油が採掘された。埋蔵量は世界7位で南太平洋では1位であった。

1982年 鉄資源と石油の輸出に伴いGDPが世界4位となった。

1988年 スバヤ首都特別地域に地下鉄が開通。首都高速道路も同年に竣工した。

1990年 オワリ島古都保護区が「オワリ島の歴史的景観と文化」の名称の元世界文化遺産に登録された

1994年 ケルバ地域のヨキュウ島が「ヨキュウ島の原生林と固有種の海」の名称で世界自然遺産に登録された。

2001年 ワナイ地域のファラン島でハンバス教徒による独立運動が勃発し、政府は内戦状態と判断し緊急事態宣言を発令した。

2005年 スバヤ首都特別地域の中心部でハンバス教徒によるテロがこの年続発した。特に第2地区地下鉄爆破事件では459人が死亡した。これに伴い南スバラ政府はファラン島を政府直轄地とし、地域本島以外で初めての陸軍基地を建設した。

2007年 ハンバス教徒の過激組織「ハンバス解放戦線」の代表オ・ス・デンハを政府軍特別部隊が殺害した。これにより実質的な独立運動は終了した。

2014年 現在の首相ジャハ・イングースが当選。

2016年 ソルン王国が南太平洋諸国連合を離脱し南スバラに宣戦布告。

2017年 ジャパカ海戦に勝利しソルン王国が降伏した。ソルン王国を傀儡政権化した。

2019年 世界陸上競技大会開催

2020年 サッカーW杯初出場

政治

南スバラ国民主憲法を最高法規として、国会が制定する法律、内閣令、省令、庁令、さらに各自行政地域が地域特別法令を定めている。

司法・行政・国会を分離した三権分立としている。

国会

南スバラでは議院内閣制を採用している

下院 88人

上院 45人

選挙は全島比例代表が下院30人上院15人。下院ではそのほかに小選挙区制を採用し各島から最低十人が当選する仕組みとなっている。

上院でも同様で小選挙区制を導入し、各島から5人が当選する。

政党

現在政党は17団体が認められており、国会で議席を獲得しているのは12団体である。

単独過半数の政党がないため、スバラ民主党、ケルバ民主党、タパヤノン民主党、ホリス民主党の民主党系による連立政権が樹立している。

首相はスバラ民主党 バン・ガダン

野党は民和党と憲真党がもともと同じ政党であったためこの2党が中心に野党会派を立ち上げている。

政党名 上院議席数 下院議席数
スバラ民主党 22 41
民和党 4 8
憲真党 6 7
社会共産党 3 5
文化党 2 2
ワナイ島民会議 0 3
ケルバ民主党 1 2
タパヤノン民主党 1 3
首都改進党 2 5
イルカロース島民会議 2 5
ホリス人民会議 1 3
ホリス民主党 1 4
省庁
南スバラ政府の省庁は以下のとおりである。

内政省 王城庁  

財務省 税務庁

外務省

交通省 鉄道庁 船舶庁 道路庁 航空庁

資源省 鉄管理庁 水産庁 農務庁 

厚生省 保健庁 労働庁

教育省 学校庁 世界遺産管理庁 歴史庁 

科学省 理学庁 文化庁 スポーツ庁

国防省 陸軍 海軍 空軍

法務省

司法

司法権は民事・刑事裁判に関しては各種裁判所、軍事裁判に関しては国防省が持っている

裁判所
最高裁判所

地域高裁判所

郡地方裁判所

利権裁判所

軍法裁判
国防省最高裁判機関

駐屯地簡易裁判機関

大師団裁判機関

摂政、侯爵

現在は政治的権限を持たない。ただし選挙権、被選挙権ともに認められている。

国王

現国王 ダウン・ジャオウル

軍の最高指揮権を所有し、第一級法律の新設改正の際には国王調印の必要が憲法で定められている。

ただし先代のバウマン二世以降有事以外の内政不干渉を方針としている。なお、現国王は国営南スバラ鉄資源会社のCEOである。

南スバラでは、陸海空軍を持ち合わせている。徴兵制は1998年に撤廃された。軍費は2020年時点で55億3000万スバであった。最高司令官は国王であり、国防省大臣でもある総合参謀本部長官が実際の指揮を執る。

陸軍は11万2000人海軍は9万2900人空軍は3万7800人である。また、2007年のファラン島独立運動以降では多国籍軍としてたびたび派兵している。

経済

石油や鉄資源により年間GDPは83億3600万ドルで、南太平洋諸国では大繁共和国に次いで二位である。主な産業は石油・鉄の採掘及び加工などの工業であるが、そのほかに金融、観光などの従事者も多い。

また、ガラス生産も盛んであり、大繁共和国で利用される72パーセントのガラスが南スバラ産である。

交通機関

国内にはスラインによる開発を発端に多くの交通機関が整備された。特にこの項では政府重要公共交通機関に指定されている事業者をまとめる。

鉄道
もともとは鉄資源の運搬に利用された。現在は旅客鉄道も併せて総遠距離は4,186キロに及ぶ。

官営鉄道
スバラ国営鉄道

スビヤ首都鉄道

スビヤ地下鉄

ワナイ鉄道

ホリス鉄道

イルカロース鉄道

イルカロース・カナイ地下鉄

タパヤノン鉄道

ケルバ鉄道

スバヤ鉄資源鉄道

国内環状神速鉄道

民鉄
スバヤ鉄道

オワリ観光鉄道

ニュラン鉄道

カダイ鉄道

デン鉄道

サンハ鉄道

キジャバ鉄道

ウンサ鉄道

航空
南スバヤには90以上の有人島が存在している。そのうち27島に空港が60島に飛行場が存在している。

ここでは政府が航空運営法に定める主要空港と航空会社についてまとめる。

国際空港
スビア国際空港

イルカロース国際空港

タパヤノン国際空港

主要空港
南部スバヤ空港

ワナイ空港

ホリス空港

ケルバ空港

オワリ空港

ダジャン空港

ウンサ空港

航空会社
スバヤ国営航空

イルカロース・エア

スバラ・エア

スバラ貨物航空

文化

南スバラでは数多くの島が存在しているため、それぞれ独自の文化を持っていることが多い。

特にスバヤ島では都であったことなどから、国際的な交流が盛んであり、国際色豊かな文化が特徴的である。

また、タパヤノン島南東部に位置するデバン島は先住民のデバン族が多く生活しており、現在も狩猟採集のみで生計を立てており、独自の彩文土器文化を受け継いでいる。

宗教
南スバラは他宗教国家である。もともとは自然などを神に例えるアニミズム信仰が盛んであったが、陀教がケバロス地方から流入すると一気に民衆間に信仰が広がった。またスライン人が持ち込んだポウトリハン教もスバヤ島を中心に信者が多い。詳しくは南スバラの宗教一覧

言語
ケバロス語系のスバヤ語が公用語である。また、スライン語を話すことのできる国民が70パーセントを占める。2020年現在での識字率は89.32%でこれは南太平洋諸国ではトップの数値である。

食文化
主な主食は雑穀米と小麦である。陀教の教義に基づき、魚はほとんど生食し、焼いたり煮たりすることに抵抗がある人が多い。また、国産の小麦を利用した文麺が南スバラの代表料理としてあげられる。

建築
国土の53%が森林であることから木造建築が盛んである。その一方で都市部では古い時代からイルカロース島で採れる石を利用した石造りの建築が多い。また近年は高層ビルなどの建設も進んでいる。

スポーツ
南スバラではスポーツに対する国家政策を2001年から推し進めている。

2010年には、バラバラな状態であったスポーツ界をまとめスポーツ庁の管轄に置いた。

王国国益財団によって、スバラプロ野球リーグ・スバラプロサッカーリーグ・スバラバスケリーグ・スバララグビーリーグなどが設置された。これにより選手の生活を保障し、競技に打ち込める環境を整備した。これらのリーグは国王リーグと言われ各島に代表チームが、また各郡に下部リーグのチームを置くようにした。