大ファトリ連合

Last-modified: 2024-09-24 (火) 18:26:12
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国章
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国旗
 
Magna Fatori Union
Great Fatorri Union
 
基本情報
項目内容
作者ドルディ
世界線N.O線
国歌共に進め、ダロマベルクの民よ
国の標語神は我らと共に
公用語ラテン語
準公用語ドイツ語
首都ファトリ
最大都市ファトリ
建国672年
人種ラテン系ドイツ人
宗教ダロマック教
面積60,238km²
人口320,359人
金の単位新テーラン
国内安定度(%)43.2/100
政府
経済体制資本主義
政治思想・立場中道左派、民主主義
政府連邦進歩党
指導者カルファイ・アルズス
現上院議長コルマリン・ダンマルク
現下院議長シュルターネ・クドリュツ
国内軍事用予算割合2.7/100
国民状態
国民対外戦争協力度88.1%
国民内戦協力度41.1%
 

連邦は永遠だ!
詳細

連邦は永遠だ!


 
 

目 次


概要

ダロマベルク連邦共和国は、アルニア合衆国の南に位置する連邦制の共和制国家。産業は航空機を中心としており、空軍力は世界でも有数とされている。また、経済力・軍事力ともに列強と呼んでも差し支えないほどに発展しており、中央諸国から離れた大国として認識されている。魔法文明は全くと言って良いほど発達していないが、この地でははるか昔からドラゴンの改良が進み、犬のように小さめで人間に従順な種類へ進化した。またこれによりドラゴンに騎乗する騎士団がおり(現在は政府の下での儀礼の一つとなっている)、この国の象徴の一つとなっている。


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予備


予備

国名

日本語:ダロマベルク連邦共和国(ダロマベルクレンポウキョウワコク)

漢字:舵浪馬別瑠玖連邦共和国(舵:)

公用語(ラテン語): Respublica foederalis Daromaberg(レスパブリカ フォーデラリス ダロマベルク)

英語: Federal Republic of Daromaberg(フェデラル リーパブリック オブ ダロマベルク)
この名称は、ダロマニア王国初代の王ダロミヌス一世に由来し、オストベルク帝国がダロマニア王国の後継を名乗る時、宮殿のあった地にちなみ、「ダロミヌスの丘」を意味するダロマベルクとした。
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歴史

国家成立以前~ダロマニア王国の最盛期

この地には紀元前21世紀ごろから文明が存在し、紀元前19世紀には小さな都市国家が現れ始めた。この都市国家の中で最も繁栄したのはファトリで、現在も首都として栄えている。しかし、この時代は都市国家同士の戦争が絶えず、平和とはとても言えない状況だった。しかし、1743年に成立し支配者の家系の権力の下拡大を始めたダロマニア王国が拡大し、軍にドラゴンを取り入れる(後のダローマ騎士団)など前衛的な改革を進め、強国となっていった。しかし、そう簡単にはいかなかった。ダロマニア王国には古くからのライバルとも言える国、ラタニア共和国という民主主義の進んだ共和政国家がいたのだ。しかし、4度にわたる戦争の結果、遂にラタニア共和国を平定することに成功。ちなみに、ダロマベルク連邦時代の国旗である現在の国旗の左側の星は、第三次ダロマニア=ラタニア戦争の際、ダロマニア王国の将軍が戦いの前夜一番星を見、その戦いに勝ったと言うエピソードが由来である。この戦争の後、多くの都市国家がダロマニア王国を恐れ、無血で服属するようになったことから、王国の最盛期は、「無血の栄光」と呼ばれている。そして、ついには紀元34年、大陸を平定するなど当時の大国に肩を並べるほど成長していた。この時代は国王の下で平和が続き、「パクス・ダロマニア」と呼ばれ、海外(特に隣り合っていたエルンシュタット=ダフネリア帝国)との貿易で栄え、貴族文化や商業の最盛期であった。しかし、紀元前1233年、南東部で発生した一つの反乱により南部で次々と反乱、離脱が進み、王国は衰退していく。

ダロマニア王国の分裂~小国の乱立

大陸北部の地域は離反が少なかったものの、王国の最盛期は終わりをつげた。それでもなお、ダロマニア王国は大陸一の国として繁栄したが、政治は安定せず、政変や国王の暗殺などが頻繁に起こった。そして、紀元前1159年頃から王国へのゲルマン人の侵入が進み、紀元前1147年、ダロマニア帝国は皇太子が暗殺され、分裂。さまざまな小国が乱立する時代となった。この小国群の中でとても有名なのは、テザキア公国であろう。この国は、さまざまな物語に登場する王国(正確には公国なのだが)のモデルとなったとされ、特に有名なのは、大公セランティウス3世が自らの大切な酒瓶を盗まれ、五人の人物に疑いをかけたが決着がつかず、結局全員処刑したところ、なんと犯人はその五人の内誰でもなく、使用人だったことがのちになって発覚したと言う事件。なんとテザキア公国はこの事件のあとわずか11年で滅び、発覚は国が滅んでからだった。大陸南部では紀元前1225年にズューデン連邦が成立したが、紀元前1123年に国内での対立が進み、解体されてしまった。

ヴィマルデン同盟の最盛期

その頃大陸北西部では、すでに力をつけ始めた国家がいくつかあった。そのうちのサリキア王国、カドテリア王国、マラタット王国が紀元前839年、ヴィマルデン会議によりヴィマルデン同盟を結成した。そしてヴィマルデン同盟はその後しばらく戦争のない時代が続き、商業や工業が発展していき、また他国との自由貿易で栄えていた。そしてヴィマルデン同盟は海外に目をつけ始める。そして大陸周辺の島々に拡大を続け、平定し終えると、さらに大陸から離れた場所にある島を目指すようになる。しかし、到着したのは拒みの海。ヴィマルデン同盟はここを目指し何度も航海したが、8回目の航海失敗後、拒みの海を目指すことはなくなった。そして、ヴィマルデン同盟は、現在にも受け継がれているとても高度な航海技術を発達させていくこととなる。

ヴィマルデン同盟の終焉

6~7世紀にかけて自由貿易で莫大な利益を上げていたヴィマルデン同盟だが、紀元前720年、マラタット王国が離脱したことにより終わりを迎える。マラタット王国は同盟で1、2番目に大きな港を有しており、自らが独立することで利益を独占しようとしたのだ。もちろんサリキア王国とカドテリア王国は猛反対したが、マラタット王国はもともと同盟内で1番広く、豊かな国だったため、あまり強く出ることはできず、ヴィマルデン同盟はあっさりと終焉を迎えた。そして、残された2カ国は大陸北東部で栄えつつあったバコフセン王国に接近し、友好を深めることとなっていった。しかし、2カ国の思惑とは裏腹に、紀元前688年、バコフセン王国はダロマニア復古政府に敗れ、723年にこの2カ国も敗れてしまった。そして再びダロマニアの支配が進むと思われたが、復古王政はうまくいかずにわずか2週間で崩壊。北部はまた混沌とした地域に戻ってしまい、南からは紀元前743年に成立した社会主義国家であるシュターテン・レーテ連邦が進出してきていた。

170年戦争

シュターテン・レーテ連邦の脅威は、分裂した小国の誰もが認識していた。それもそのはず、シュターテン・レーテ連邦は建国当初から拡大を続け、大陸最大の国になり、社会主義である傀儡国も多数存在していたからだ。そこで、小国群は紀元前656年、北部連合を立ち上げ、対社会主義を謳ったのである。しかし、シュターテン・レーテ連邦は気にせず拡大を続け、2年後、遂に北部連合はシュターテン・レーテ連邦に宣戦布告。長い戦争が始まった。初めの方は、シュターテン・レーテ連邦が優勢だった。北部連合は上手く統率が取れず、士気も低かった。また、大規模な恐慌が発生し、経済に大打撃を与えたからである。その後もシュターテン・レーテ連邦が優勢なまま、各地で小競り合いの続く泥沼の戦いが繰り広げられていた。しかし、一気に形勢は逆転した。その理由は、統率がうまくいくようになったからだけではない。何を隠そう、英雄ムルゲン・フォリュアが軍に加わったからである。彼は敵の要塞を次々に攻略し、仲間を鼓舞した。彼は愛するドラゴン、ヒューゲルダーホフヌン号に乗り、シュターテン・レーテ連邦の都市を瞬く間に占領し、紀元前488年、シュターテン・レーテ連邦は降伏、解体された。しかし、団結していた北部連合も、最大の敵がいなくなったことで対立が深まり、同年解体された。

帝国の栄華

その後、旧シュターテン・レーテ共和国北東部に位置する小さな国、オストベルク王国が力をつけ始める。周りの国々を次々に占領、旧北部連合の国々にも侵攻し始めた。オストベルク王国はさらに拡大、紀元前398年に北西部で勢力を拡大していたノルトシュタット共和国を破ると、オストベルク王国はダロマニア王国の後継者を名乗り、ダロマベルク帝国と国名を変え、大陸北部一帯を制圧。民族が多く統治のしづらい南部には攻め込まなかった。また、ダローマ騎士団を復活、公認し、兵役や税務官、警察などの仕事をさせて経済を回した。これにより、ダロマベルク第一帝政は空前の栄華を極め、民衆の支持を集めた。そして、紀元前976年にダロマベルク第一帝政はヴィマルデン同盟以来の悲願であった海外進出を達成した。紀元前339年から100年に渡り王室改革を行い、権力を安定させると、紀元前244年から大規模な経済改革の下、超スピードの経済成長を達成。これは、第一次高度経済成長期と呼ばれ、およそ70年間続いた。その後、科学魔法大戦では大華平帝国を支援し、多少の被害はあったものの、華平への支援によって特需景気が起き、景気がよくなった。

共和国の成立

帝国の下で大規模な経済成長を遂げ、繁栄を極めたダロマベルク第一帝政には、平和な時代が約300年続いた。この間に発生した反乱の数は、なんと僅か2回だけである。しかし、紀元50年、火山の噴火や悪天候などが重なり、史上最大規模の大飢饉が発生する。政府は事態を収束させるため、徳政令を発布し、農家に援助、海外から農産物を大量に輸入するなど対策を練ったが、その努力の甲斐なく、大規模なインフレが発生。市民は政府に不信感を募らせ、72年、市民が一斉に蜂起。世界最大希望の革命とも呼ばれる、ダロマベルク革命が発生した。革命は21年間続き、宮殿が占拠されると、ついに帝国軍は降伏。革命は成功し、ダロマベルク共和国の成立が宣言された。

帝政の復活と第二共和国

そうして成立した第一共和国は、長く続かなかった。150年代から約30年間も続いた不況により、国民は政府に不信感を募らせていった。そこでダロマベルク臨時帝政が帝政の復活を図り、第一共和国全土で絶大な支持を受け、ついには国家を掌握。198年にダロマベルク第二帝政が成立する。その後100年ほど平和な時代が続き、帝国は安泰かと思われた201年、史上最大規模の地震が発生。これは帝都ファトリに大打撃を与え、まもなく政府は機能不全に。皇帝の後継が生まれなかったこともあり、第二帝政は崩壊。230年になんとか市民の手でダロマベルク第二共和国が成立し、復興を急いだ。

連邦の成立と完成

ダロマベルク第二共和国が45年かけて国内の復興を完了させると、しばらくは平和が続いた。しかし国内のラテン人とゲルマン人が対立し始め、共和国の連邦構想が生まれた。そうして307年にダロマベルク連邦共和国が成立。そして国家プロジェクトとして魔法を使用しない航空機の研究を進め、共和国成立から30年後の337年、ついに世界初の魔法未使用航空機、ヒューゲルダーホフヌン号が完成し、世界中から注目を浴びた。ダロマベルク連邦共和国の成立後、真のダロマニア王国の継承者となるには、大陸北西部を統一したフェランテ共和国が連邦の一員となるべきという思想が両国の民衆の間で広まり、352年、フェランテ共和国がアルバノ州、コルコタン州、シェトー州として連邦に加盟した。化学技術の発展していたフェランテ共和国が連邦に加盟したことで、物理学に特化していた我が国の技術に革新をもたらした。その後政府が経済中心の政策を続け、また国内に中規模油田が発見されたことで急速に経済が成長する時期があり、これを第二次高度経済成長期という。しかし40年ほど後感染症の流行により安定成長期へと移行した。その後政権が安定しない時期が20年ほど続いたが、しばらくして安定し、平和になった。しかし、460年に極右団体のクーデターによりダロマベルク帝政移行臨時政府の成立が宣言。40年ほど「帝政の復活への準備期間」という名目で独裁政治が行われた。その後国民が政府に不信感を覚え、密かに政府打倒の準備を進めていた。そして504年、政府は倒れ、連邦共和国の復活が宣言された。

国土

本土

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本土地図

赤=首都(ファトリ)
水色=州都

 

場所

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国内

人種

ラテン人が人口の5割ほどを占めており、人口の4割を占めるゲルマン人と共に主民族となっている。他には人口の5分ほどマジャール人が少数民族として生活している。しかし、獣人やエルフ、ドワーフなどは海外から最近になり移住してきたもの以外生活していない。

政治

政府

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党旗
政党一覧

政党名称

※横棒がついている政党は過去の政党または不許可とされ解散した政党。
・社会民主党(第1党、69.2%)
・連邦進歩党(第1野党、20.1%)
・以下略

省庁

省名称

庁名称

憲法

憲法内容

軍事

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軍旗
軍標語
In nomine superbi milites
(翻訳:誇り高き騎士団の名の下に)
 
戦歴
・戦歴

各軍について

ダロマベルク連邦共和国は陸上攻勢隊、海上攻勢隊、航空攻勢隊、宇宙攻勢隊、情報作戦隊合わせて45万人の国民が職業軍人または副業軍人で、それに大多数の国民が徴兵されている。
職業(副業)軍人の内訳としては、
・連邦陸上攻勢隊   9万人
・連邦海上攻勢隊   9万人
・連邦航空攻勢隊   9万人
・連邦宇宙攻勢隊  9万人
・連邦情報作戦隊   4万人
となっている。

核について

核兵器は攻勢隊それぞれ30発ずつ、120発を保有している。これまで実験以外で自国内、または海外に投下したことはない。

在舵他国軍

他国軍の我が国への駐留はない。

軍写真館

外交関係

国交樹立国


国家承認のみ
なし

締結済み条約など

  通常の外交レベル
  同盟国・重要なパートナーシップ
<ボタン名> 協定など名称(国名-国名間)

外交レベル

数値の最大は10位、最小0位(-)です

国名関係外交レベル外交重要度外交危険度国民人気度特筆事項
予備用予備用-位-位-位-位予備

お問い合わせ

雑談用

単純な雑談やこのページに関する注意(Yamaさんしか需要ない)などはここに


外交用

もし国交樹立や宣戦布告、その他外交があればこちらによろしくお願いします。




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参考資料
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