大泊

Last-modified: 2025-03-18 (火) 21:47:08
No.595
595.png大泊(おおとまり)大泊型 砕氷艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久20火力2 / 8
装甲11 / 31雷装0
回避14 / --対空6 / 18
搭載0対潜12 / --
速力低速索敵7 / --
射程40 / 80
最大消費量
燃料15弾薬5
装備
7.7mm機銃
7.7mm機銃
装備不可
装備不可
改造チャート
大泊大泊改(Lv55)
図鑑説明
砕氷艦、大泊と申します。北方で起きた悲劇を契機に北の冷たい海を渡れる砕氷艦として日本で初めて建造されました。大湊を起点に、北方海域で活動する皆さんの支えとして、警備、救援、支援に努めました。
戦後はあの宗谷へと繋がっていきます。覚えていてくださいね。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:未発表、イラストレーター:未発表 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:未発表、イラストレーター:未発表*1

定型ボイス一覧?

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時報ボイス一覧?

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季節ボイス一覧?

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ゲームにおいて

  • 砕氷艦という艦種。内部的な仕様上は補給艦扱い。

アップデート履歴

キャラクター設定について

  • 川崎造船所で建造された神戸艦娘。隣では加賀鬼怒神通を建造していた。
    • 北方での活動がメインとはいえ、観艦式に何度か参加、良い位置に配置されている。太平洋戦争以前に就役していた日本の 艦娘 艦艇とは、みんな顔見知り。
  • 就役直後、日本陸軍を乗せての出動が『韃靼海峽氷原航海 大正十二年二月』として映画化されている*2。つまりL.d.S.D.d.Abruzziと同じく女優艦。

小ネタ

  • 日本海軍は創設以来、北洋警備の重要性に対する認識はあったものの、冬季に氷結する海域で航行するために必要な「砕氷」可能な艦艇を持つことが出来ていなかった。
    砕氷とは
    • 砕氷とは、冬季に氷結する海域を氷を砕きながら航行することで、それに特化した艦船を「砕氷艦」「砕氷船」と呼ぶ。
      • 手順としては、まず前進して氷に衝突して割る。ここまでなら普通の船でもできないことはないが、砕氷船はここからが違う。なんと氷の上に乗り上げるのだ。そして船の自重で割るのである。
      • このため、砕氷船の船首は「そり」のように緩やかな傾斜を描いている(乗り上げ「過ぎない」よう、途中から角度を変えた「スケグ」という構造を併せ持つ)。
      • 一度に割れる量に限りがあるため、何度も衝突と乗り上げを繰り返さねばならないことから、前進と後退を素早く行えるよう、機関部にも手が加えられ、また船体の姿勢を安定させるため、船内の燃料を移動させてバランスを取る。
    • 北極圏の海域で冬季に発生する氷は、実は船舶にとってはとてつもなく大きな脅威であり、かの有名なタイタニック号も処女航海で氷山と衝突して沈没していることからも、どれだけ危険なものかということが分かる。
      • タイタニック号が衝突したのは氷山であり、あくまで氷の塊でしかなかった。しかし、凍結した北極海はその氷山や流氷が海面を見渡す限り覆い尽くしているという船乗りにとっては、最悪と言っても過言ではない状態なのだ。
    • 世界初の実用的な砕氷船は1871年、ドイツのハンブルクで造られた「アイスフックス*3」で、第二次世界大戦後の1956年まで運用されている。
    • 最近では、この砕氷艦の機能を駆逐艦に取り入れようとする研究がアメリカで進められている。
      • 計画としては、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の後継として現在開発中の次世代イージス艦DDG(X)の艦首を砕氷構造にすることで北極圏での活動を可能にするというものである。
  • 日露戦争後、日本海軍は日本海海戦等の勝利で多くのロシア艦艇を拿捕し自軍に組み込んだが、その中でもバルチック艦隊(バルト海艦隊)所属の艦艇は、元々ある程度自力で砕氷できるようになっている事から、砕氷艦への転用も期待できた。そして鹵獲艦の中の1隻、海防戦艦「アドミラル・セニャーヴィン」が海防艦「見島」と改名され、第一次世界大戦たけなわの1918年に砕氷艦に改造された*4
    • 内容は武装の一部変更*5、艦首の砕氷構造化、艦橋の耐寒令設備の設置等であったが、所詮は間に合わせの急造でしかなく、能力的には心もとないものであった。

艦歴

  • 大泊が建造された理由、それは自身が自己紹介で述べている北方で起きた悲劇「尼港事件」が契機であった。
  • 1920年(大正9年)1月24日、ニコラエフスク(尼港)に駐屯中の日本軍は、パルチザンの攻勢に対し海軍陸戦隊の派遣を要請してくる。これが「尼港事件」の始まりだった。
    尼港事件
    • 尼港はシベリア出兵により一時的に日本人統治下にあったアムール川の河口にある港町で、ロシア系、中国系、朝鮮系、そして日本人が雑居している12000人ほどの都市だった*6。ロシア革命後の治安悪化で日本軍が進出し、この時点では水戸歩兵第2連隊第3大隊の約300名と海軍関係者*7約40名、ソビエト政府と対立するコルチャーク政権白衛軍系の守備隊(約350名)が治安維持に努めていた。
    • 1919年11月、コルチャーク政権崩壊を受けハバロフスク地方アナスタシエフカ村で、沿アムール地方パルチザン部隊指揮官協議会が催され、ソビエト権力復活のためにアムール川下流地帯にパルチザン部隊を派遣することが決定する。ヤーコフ・イヴァノーヴィチ・トリャピーツィンを指揮官とするパルチサン(以後赤軍と表記)約4000名が組織され尼港方面に向けて進軍を始める。
      白軍の弱体化を受け、尼港防衛は日本側が中心に行う事になる。1920年1月10日には夜間外出禁止令が出され、1月23日には300人ほどのパルチザン部隊が氷結したアムール川の対岸から尼港を襲撃してくるがこれを撃退する。翌24日、副領事である石田虎松や三宅駸吾海軍少佐らの陸戦隊派遣要請を受け、尼港救援部隊の派遣が検討される事になる。
      • 陸軍戦力で尼港に一番近かったのはハバロフスクに駐屯していた第14師団主力*8であったがパルチザンが横行するようになった1919年の末ころから尼港との交通は困難になっていた。また、尼港の陸路の入り口を守るチヌイラフ要塞が赤軍側に占領*9されたことで尼港は完全に包囲されてしまう。
        海軍側は前述の砕氷艦「見島」と戦艦「三笠」を現地に派遣する事を決めた。三笠とは、日本海海戦で連合艦隊司令長官東郷平八郎大将と秋山真之参謀が座乗し、今は横須賀で記念艦となっている、あの「三笠」である。*10
      • が、尼港は堅氷に閉ざされて艦船の近接、上陸は不可能だった。結局、兵力の増援は延期され、これが悲劇の始まりとなる。
        • 結局尼港はこれ以上の戦闘による民間人への被害を考慮して2月28日正午に開城する。白軍側の武装解除及び住民も含めた生命の保証、資産と個人の安全保障等は行われたが、日本軍側は赤軍入城後も居留民保護のため武装駐留していた。
          だが赤軍側は駐留後に白軍将兵や出入り商人、企業家、資産家、立憲民主党員、公務員、知識人、聖職者、個人的にパルチザンの恨みを買っていた者など400名が、女性も年少の者も区別無く次々と投獄拷問され処刑までされ始めた。このため尼港はパニック状態となり、日本領事館に助けを求めてきた。また赤軍側が中国朝鮮系の住民を集めて日本側を攻撃するという風聞も流れた。
          末松副領事と守備隊長の歩兵第2連隊第3大隊長石川正雅少佐は3月10日、トリャピーツィンに暴虐行為をやめるように勧告したが、かえってトリャピーツィンは日本軍に武器弾薬全部の貸与方を要求して、翌12正午までの回答を迫った*11
    • 3月12日午前2時頃、追い詰められた日本軍側は遂に決起する。約150名ほどが二手に分かれて赤軍本部を襲撃、90名ほどが監獄を襲撃して捕らえられていた市民の開放を目指したものと考えられている。赤軍本部ではっ参謀長が戦死し、トリャピーツィンも足に負傷しつつも脱出に成功する。一方でラプタは司令部にいなかった事で難を逃れ、直ちに付近の赤軍を集めて反撃、日本側は石川少佐が戦死、監獄襲撃も失敗して多くの将兵が戦死した。
      3月14日、赤軍は日本領事館を包囲して火を放ち、ガトリング砲などで攻撃、石田副領事は赤軍説得中に銃撃を浴びて死亡、その妻子*12、領事館にいた在留邦人、軍関係者、その全てが皆殺しとなった。
      日本軍守備隊の壊滅に伴い、赤軍は生き残った将兵や在留居留民への逮捕、虐待、殺戮をエスカレートさせていった。彼らの行った残虐行為を書くことは控えるが、女子供関係なくほとんどの住民が虐殺され、生還者は10数名しかいなかった*13*14
      • 惨事を知った日本軍は、赤軍との妥協点は見いだせないと判断、4月4日、日本軍は軍事行動を起こしてウラジオストクの赤軍は瞬く間に降伏、6日にはハバロフスクの赤軍も武装解除され、同日にはウラジオストクに共和制の臨時政府が樹立される。極東共和国の樹立は、トリャピーツィンには想定外であり、彼らは住民を防御態勢の構築を行ったが、彼らの虐殺行為は中国系や朝鮮系、ロシア系の住民にも及び、しまいには「パルチザンとその家族をアムグン川上流のケルビ村に避難させ、残ったニコラエフスクの住民を絶滅し、町を焼きつくす」計画を実行しようとまでする。結局解氷後の6月3日に日本軍が尼港に到着するまでの間、赤軍は尼港を焦土にして、推定約6000名の住民*15が虐殺されていた。
        • 赤軍は日本軍到着前に撤退していた。当初ソビエト政府はトリャピーツィン側の主張「赤軍の正義と日本軍の裏切り」を言い立てていたが、尼港からの避難民が周辺都市にたどり着いて状況を伝え、尼港での住民虐殺が世に知られると、「日本人以外の住民も大量に殺されている」事を初期に壊滅した日本軍守備隊のせいにすることなどできるわけもなく、ソビエト政府もトリャピーツィン側の主張に疑いを向けだす。危機感を持ったソビエト代表団は、6月の終わりにアムグン地域に出向き、反トリャピーツィングループと接触する。そして7月3日の夜、ムグン川に停泊する蒸気船にあったトリャピーツィンの司令部を襲って彼らを逮捕して裁判にかける事になる。9日、人民裁判が行われトリャピーツィンと相棒のニーナ・レベデワ以下7名が銃殺となった。ソビエト政府は「ニコラエフスク管区赤軍司令官として在職中、ソビエト政治の方針に従わず、職権者を圧迫し、ロシア共和国政府のもとで活動していた労働者間の共産主義に対する信頼を傷つけた」ことを罪状に上げ、彼らを反逆者として処罰している。
  • この事件で、見島の応急的な砕氷能力では限界があること、本格的な砕氷能力を持つ船が無かったことで救援部隊を送れず、住民を見殺しにするしかなかった事から、大正9年度計画の能登呂型給油艦のうち1隻を砕氷艦に変更、大正10年度軍備補充費で建造されたのがこの大泊であった。
    • 竣工後、舞鶴鎮守府、次いで横須賀鎮守府に籍を置いた。春季から夏季にかけて函館や大湊、横須賀に帰投して修理や乗員の交代を行い、それ以外は一貫して北洋で行動した。日本海軍唯一の砕氷艦として、北方全般の警備、航路啓開、漁業の保護に多大な貢献を果たしている。その活躍ぶりはドキュメンタリー映画になった程である。
  • 太平洋戦争中は大湊警備府附属として宗谷海峡などで活動し、ソビエト船籍の船の臨検等を行っていたが、軍事行動に参加する事はなく、1945年7月20日、補修整備のため横須賀に入港し同地で終戦を迎えた。
    • 戦中、若葉も大泊のお世話になっている。詳しくは若葉の記事参照。
  • 1945年12月1日、横須賀地方復員局所管の特別輸送艦に指定された。復員船として使用する事が検討されたが老朽化していて使用に絶えず、岸壁に係留されたまま翌1946年には指定も解かれ、1949年10月から1950年3月にかけて解体された。
    • 本艦の退役により、日本は再び砕氷能力を持つ艦を失った。再び日本が本格的な砕氷能力を持つ艦を手に入れるのは1960年、海上保安庁の巡視船となり南極観測船として運用するべく砕氷能力を付与された宗谷まで待つことになる。
      • なお、宗谷はそもそも大泊の代艦として新造艦*16を建造するまでのつなぎとして北洋での輸送・測量任務を補助的に行わせるために民間海軍業者から購入され海軍入りしたという経緯がある。一説には日本海軍も宗谷を本格的な砕氷艦へと改装するつもりだったと言われているが、それが海軍が健在なうちに実現しなかったのは周知のとおりである。

艦名について

  • 艦名の由来は樺太の玄関、大泊港。往時は稚泊連絡船などが発着し、稚内港と同様に鉄道が桟橋まで乗り付け、活況を呈していた。
  • 艦名としての読みは「おほとまり」*17であり、同様に地名としての読みも内務省に「おほとまり」*18と布告されてそう読まれたのだが、地名は「おおどまり」と濁って読まれることも多かった。
    • なお艦名の由来を載せている『日本海軍艦船名考』には艦名が「おほどまり」と記載されている。
      • これは誤記なのかそれとも俗にそう呼ばれていたのか。詳しい方がいたら是非ここを追記修正してほしい
  • 艦これ収録の艦名としては間宮鈴谷に次ぐ三艦目の樺太地名に因んだものである。
    • そして鈴谷、神威夕張などの例に漏れずこの名もまたアイヌ語由来である。
      アイヌ語名は「ポロアントマリ」、大きな港という意味。(ポロ=大、アン=ある、トマリ=港)
      他の艦娘の由来地名の例に反して音訳ではなく意訳である。(日本語において泊は港の意)
      • 何故かトマリ→泊の部分だけ意味も音もすんなりハマるなと思わなかっただろうか?
        それもそのはず、アイヌ語のトマリという言葉は日本語の泊からの借用語である。
  • なお、大泊の露名は現在コルサコフであるがこれは直ちにコルサコフとアイヌ語地名のポロアントマリが対応することを意味するものではない。
    • 大泊(広義)に対応するのがコルサコフ(広義)であり、大泊(狭義)に対応するのがポロアントマリなのである。

この艦娘についてのコメント

  • まだ改情報が出ないという事はよほど改レベルが高いのかみんな育ててないのか。 -- 2025-03-12 (水) 13:15:05
    • 要求レベル88だってよ -- 2025-03-12 (水) 13:46:44
    • 海外艦これWikiによると改造は55ですね -- 2025-03-12 (水) 13:59:39
      • 育てにくい艦だから55でも遠いね。 当面は演習旗艦育成かな。 -- 2025-03-12 (水) 14:50:16
  • 砕氷艦ねぇ。せっかく艦娘になって足が生えたんだから、別にわざわざ氷なんか割らなくても氷の上を歩いて移動すればいいんじゃないか? -- 2025-03-12 (水) 14:50:20
    • 艤装つけたまま歩けば薄いところ踏み抜いても大丈夫そう。ジャンプで海面から港に上がれるんだから歩くくらい余裕だよね -- 2025-03-12 (水) 19:37:52
  • E2道中で出てビビった -- 2025-03-12 (水) 16:04:38
    • わかる! -- 2025-03-12 (水) 20:37:38
    • ほとんど全域配置のようなので攻略中に落ちましたって提督が珍しくない感じになりそう -- 2025-03-13 (木) 19:26:54
    • こういうドロップ配置は初めてなのかな? 記憶にないのですが -- 2025-03-16 (日) 00:18:26
      • 玉波がボスマスでもない所で一番最初にドロップする可能性があった。しかもその海域の最終ボスのモチーフかつ非報酬艦 -- 2025-03-16 (日) 13:22:57
  • (おい、よつ…なあよつ あれ、おまえのお姉さんだろ?紹介してくれよ頼むよ…1年間間宮アイス食べ放題にしてやるから、たのむ、この通り!) -- 2025-03-12 (水) 19:33:06
    • 「いや あれはママだ」「なぜでしょう」「私がそう判断したからだ」 -- 2025-03-12 (水) 23:05:22
      • 大佐いけません -- 2025-03-13 (木) 07:55:58
    • ほづか艦で神威似コスと来たら限定グラ連打は確実!2隻持ちで改と通常のグラ違いに備えたいけど、2隻目ドロップの報告はまだ無いのか… -- 2025-03-17 (月) 02:20:11
  • 艦これの既存のCVのような感じがするけど、誰だって言われると思い浮かばない -- 2025-03-13 (木) 09:22:04
    • ものすごく平安丸っぽいけど自信は無い... -- 2025-03-13 (木) 17:26:18
  • オートバイ… -- 2025-03-13 (木) 21:01:10
  • 2時間程E1に籠って先ほどお迎え。甲難易度でも支援無しで周回出来るから楽なMAPで助かる。大泊の燃料は『石炭』なのか。だったら朝潮改二の時報で言及されてる給炭艦『野島』の実装へ繋げれそうかな?名前は呼ばれてるのに実装されてないとさんざん揚げ足取りしてくる連中が鬱陶しいから実装に繋がって欲しい。 -- 2025-03-14 (金) 02:34:57
  • 目が♡に見える… もうそうとしか見えない! -- 2025-03-14 (金) 03:43:09
  • ボルトガンダムのガイアクラッシャーみたいな感じで、拳で氷を叩き割るのかと思ってたんだけどどうやら違うみたいね -- 2025-03-14 (金) 10:25:29
  • そろそろ来てください。ボス攻略よりキツイです -- 2025-03-14 (金) 13:36:03
  • 童顔のお姉さんは好きですか? -- 2025-03-14 (金) 22:50:02
  • E1甲削り中にお迎えした。なんか知らない娘だな~って。 -- 2025-03-14 (金) 23:43:29
  • 今から次のイベントのことを話すのは鬼怒も笑うが、欧州での海域があるなら、ボスマスへのルート開放ギミックを北極海航路の開設にすれば、大泊も活躍できるのでは? 行く手を阻むのは深海棲艦ではなく北極海の分厚い氷の海、とか。 -- 2025-03-15 (土) 01:20:15
    • 前々から「ソ連砕氷巡洋艦でルート制御」なんて雑談ネタになってたけど大泊を皮切りに実現するかもね -- 2025-03-16 (日) 00:03:58
  • この船ができた理由が壮絶すぎて絶句なんだが -- 2025-03-15 (土) 21:16:57
    • 艦これの戦闘…深海相手のガチバトル/艦隊決戦に出てくるような船じゃないとはいえ、元バルチック艦隊のロシアうまれ海防戦艦や、日本海海戦で運を使い果たした戦艦「三笠」の後半生に関わってるとか、色々と背景の深い艦。 -- 2025-03-16 (日) 00:38:57
    • 尼港事件が共産革命とは、共産主義者とは、いかなる種の鬼畜どもなのかというのを日本人に大きく印象付けたともいえます。 -- 2025-03-18 (火) 09:21:17
  • 肌色の配色が明るいせいか顔部分だけ別パーツに見えてしまった・・・ -- 2025-03-15 (土) 21:35:42
  • この艦娘はE1で掘ればいいのかE2で攻略中にドロップすることに賭けたほうがいいのかどっちがいいんだろう? -- 2025-03-15 (土) 21:53:28
  • 浅学にして『尼港事件』のことを初めて知ったが、今このタイミングでこの船を出してきたのは運営が「戦争とはこういうものだ」と改めて突きつけてきたのかなと思った。 -- 2025-03-16 (日) 01:32:07
    • 大学で近代史を専攻してたのもあってか知識はあったけど、この事件は何度聞いても悲惨過ぎて涙が出てしまう。いざという時に自国民を助けられないというのは、本当にはあってはならない事だと心から思うよ -- 2025-03-16 (日) 02:50:02
      • イランイラク戦争でも邦人が戦火が迫る中イラン、テヘラン空港に取り残されるって事態が起こったけど、この時はトルコ航空が救助の手を差し伸べてくれたから大事には至らなかった。もしそれがなかったら数百人の日本人が戦火に巻き込まれて大惨事が起こっていたかもしれない。ほんと自国民救助を実力行使してでも出来るようにしないと、いざというときに大変なことになるよ -- 2025-03-18 (火) 09:28:21
  • E1甲クリア後の掘り出撃70回目でようやくお出迎えできました。 -- 2025-03-16 (日) 10:16:50
  • さっそく大泊ちゃんとお泊りデートしてくる -- 2025-03-16 (日) 11:04:01
  • 何ができる娘なの?ラウンディングクラッシュ? -- 2025-03-16 (日) 15:02:27
  • E2-1ボス・E1ボスを延々と周回してようやく出た。正直攻略するより資材を消費したけど、どこで育成したらいいんだ? -- 2025-03-16 (日) 17:00:33
    • 現状お誂え向きなレベル上げスポットがあるって情報もなさそうだし、演習旗艦以外にないと思う。 -- 2025-03-16 (日) 17:21:17
    • 一応、E3-3の連合札で1戦目対潜レベリングは出来るけども、流石に札つけるのは早計すぎるねぇ… -- 2025-03-18 (火) 21:47:08
  • E1甲10Sの後のA勝利にてお迎え。だめだと思ってたからびっくり -- 2025-03-16 (日) 19:03:24
    • 私もE1攻略中にお迎えできたので びっくり!! -- 2025-03-16 (日) 21:36:40
  • E1クリア後堀してたけど来ず;E2の事を考えて泣く泣く明日からE2へいってきます;E2で来てくれることを祈りつつ;;; -- 2025-03-17 (月) 01:43:17
  • 今回みたいな3-6が追加されたり今回みたいな寒い地方とかでルート確保に必要とかなのかなあ -- 2025-03-17 (月) 01:48:27
  • 改二で、ガリンコ号のようなドリルが装備されます。 -- 2025-03-17 (月) 13:10:06
  • 5%とは思えない…あ号ろ号が終わってしまった… -- 2025-03-17 (月) 17:49:56
  • E2で大泊入れると羅針盤が制御できるとか何とか -- 2025-03-17 (月) 19:14:06
    • なにそれ詳しく -- 2025-03-18 (火) 09:32:59
  • 攻略中にゲット! 自己紹介で何気に「北方で起きた悲劇を契機に」作られたと語ってるけど、史実を聞いたら「悲劇」というよりも「惨劇」だと感じたよ( ノД`)シクシク… -- 2025-03-18 (火) 09:30:53
  • E2-2ボスマスS勝利で泥しました -- 2025-03-18 (火) 10:03:04
  • E-1のゲージを割った瞬間にこんにちはでした。空気の読める娘だ・・・ -- 2025-03-18 (火) 18:03:18
    • おめでとう。こっちも同じタイミングで来たよ -- 2025-03-18 (火) 18:35:31
    • 榧のんはE3割ったと同時に来たけど、掘っても掘っても大泊さんは影も形もない -- 2025-03-18 (火) 19:34:05

提案意見掲示板からのお知らせ

  • ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、wiki内神社というページが設置されました!ぜひご利用ください。

  • 建造成果の報告は建造レシピ内にあるコメント欄に、
    ドロップ報告に関しては出撃ドロップ内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。

*1 CVやイラストレーター加筆時はそれぞれCV・イラストレーターに出典を記載
*2 国立映画アーカイブ歴史映像ポータルで閲覧可能。大泊の雄姿が堪能できる。すっごく寒そう…
*3 意味はホッキョクキツネ
*4 シベリア出兵を視野に入れての砕氷艦への改造であった
*5 前部主砲の撤去
*6 事件前年の1919年6月時点で領事以下353人(男169人、女184人)の日本人が居住していた
*7 無線電信隊が常駐していた
*8 もともと水戸歩兵第2連隊は同師団所属である
*9 兵力的に差があったのと、都市部と寸断され孤立するのを恐れた等もあって日本側が撤収した
*10 敷島型戦艦の末妹(長女:敷島、次女:朝日、三女:初瀬、四女:三笠)。ちなみに大泊と朝日は観艦式で幾度か対面している
*11 『ニコラエフスクの破壊』の著者アナトリイ・ヤコフレビッチ・グートマンはトリャピーツィンにとって日本軍は邪魔だったので、挑発して片付けてしまうことを目論み、武装解除と武器引渡しを求める最後通牒をつきつけたとしえいる
*12 妻と長男、次女の2児。なお長女のみ小学校就学のため日本の祖母の元にいたので惨劇から免れた
*13 領事館が焼失した事により、この時点で尼港に日本人が何人いたのか正確な記録はない。石塚経二『尼港事件秘録 アムールのささやき』では軍属を含む陸軍関係者336名、海軍関係者44名、石田領事とその家族4名、判明している民間人347名。合計731名が犠牲になったと推測しているが、これ以上の日本人が犠牲になっている可能性もある。
*14 生還者の人数についても諸説あるが、命からがら尼港から脱出した毛皮商人の男性1名、避難する中国人の一団に匿われて共に脱出した子女16名のみ判明している。また郊外に住んでいた日本人の中にもトリャピーツィンの勢力から逃れるロシア人に保護されて、後に日本軍に保護された夫婦2名も判明している
*15 日本人だけでなく中国系、朝鮮系、ユダヤ系、ポーランド系などの多国籍な住民も虐殺された
*16 1942年の改⑤計画にて大型砕氷艦「恵山」の建造が計画され設計までは行われていたものの、建造にまでは至らなかった。
*17 旧仮名遣い。実際の読みは「おおとまり」でよい。
*18 前項に同じ。