|CENTER:218|CENTER:90|CENTER:90|CENTER:90|CENTER:90|c
|>|>|>|>|~No.444|
|&attachref(./444_2.png,nolink,"駆逐隊のアイドル、桃! 現場はいりま~す!");|>|桃(もも)|>|松型 4番艦 駆逐艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|14|~火力|5 / 23|
|~|~装甲|5 / 22|~雷装|16 / 57|
|~|~回避|31 / 69|~対空|18 / 61|
|~|~搭載|0|~対潜|27 / 76|
|~|~速力|高速|~索敵|8 / 24|
|~|~射程|短|~運|8 / 48|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|15|~弾薬|15|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[12.7cm単装高角砲(後期型)]]|
|~|>|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''桃'' → [[桃改]](Lv48) |
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:丁型のアイドル、桃だよ☆&br;そう、松型駆逐艦の四番艦、松型四隻で第四三駆逐隊を編成したよ。&br;そして、スーパーユニット第三一戦隊のメンバーになったんだ!&br;もうお仕事は大変!護衛と輸送とか休む暇なく…うん…大変だった!|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:石橋桃、イラストレーター:渡辺明夫(クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:石橋桃、イラストレーター:渡辺明夫
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>桃/定型ボイス]])
#table_edit(桃/定型ボイス)
~
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#table_edit(桃/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>桃/季節ボイス]])
#table_edit(桃/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2021/05/08、令和三年度春イベント『[[激突!ルンガ沖夜戦]]』[[E-1>激突!ルンガ沖夜戦/E1]]突破報酬として実装。
**キャラクター設定について [#character]
-自称「駆逐隊のアイドル」。まさかの[[那珂]]ちゃんの後輩。
キャラ被りでライバル化か…と思いきや、最初こそ面識が無かった(後述の戦歴も参照)ものの那珂ちゃんを非常に尊敬しており、良い関係を築いているようだ。
ついでに改装レベルも48と先輩の改二と同じ。これも彼女をリスペクトしたのだろうか。
-中破時の表情が特徴的。><
-服装はぱっと見[[松]]と同じだが、上着を腹部の重ね着の中にしまっている姉に対し外に出していたり、腰の浮き輪は右手首にブレスレットのようにつけているなど細部が変更されている。
足回りも松や[[竹]]がストッキングなのに対し、ガーターベルトつきの白いニーソックスになっている。ニーソの模様は本人がよく口にする「キラッキラ」のイメージだろうか。
また、腰のスカーフは松と共通だが、リボン形状になったうえで大きくしたものを背中につけている。
-艤装はほぼ同じだが、左膝のガードが無い。
-よく見ると瞳のハイライトもキラッキラ☆な星形である。
-偶然か狙ってか、声の妖精さんの名前も「石橋''桃''」女史である。
*小ネタ [#trivia]
-松型駆逐艦の4番艦「桃」。
**戦歴 [#i4036ca3]
-1943年11月5日起工、1944年3月25日進水、同年6月10日竣工。起工日には空母[[サラトガ>Saratoga]]らによるラバウル空襲が起きている((その2回めのラバウル空襲で石橋桃女史が担当するもう一人の艦娘[[涼波]]が戦没している。))。
--ちなみに引き合いに出される[[艦隊のアイドル>那珂]]は、「桃」の竣工前に沈んでいる((11月5日の空襲を受けトラック泊地に後退、その後44年2月17日の泊地空襲で撃沈されてしまった))ため、一切面識がない。
-「桃」の名は日本海軍としては二代目。初代は桃型駆逐艦1番艦「桃」で、同型艦3隻と共に第15駆逐隊を編成。第一次世界大戦たけなわの1917年8月に、地中海で活動する第二特務艦隊への増援として参加。連合国側商船からドイツ海軍のUボートの攻撃から守るため、その護衛任務に従事する。第一次世界大戦終結後も1932年の第一次上海事件で出動するなど活躍していて、1940年4月1日に除籍となる。
--なお、4番艦の「柳」は、「桃」と同日に除籍され、以後は佐世保海兵団の練習船として使用され、そのまま太平洋戦争も生き抜き終戦を迎えている。そして、同じく生き抜いた秋月型駆逐艦「[[涼月]]」「[[冬月]]」と共に北九州市若松港(現在の北九州港)で防波堤として使われる事になり、1948年6月から7月にかけて工事が行われ、防波堤として利用されている。
この時点では船体内も入れるようになっていて、観光名所となっていたが、台風の被害や老朽化で崩壊の危険が指摘され、コンクリートで覆われてしまい、現在に至っている。しかし「柳」の船体の一部はコンクリートに覆われず残っており、今現在も見る事が出来るようになっている。
-「桃」は竣役後、第十一水雷戦隊に所属。7月15日には姉たち(([[松]]、[[竹]]、[[梅]]))と共に第43駆逐隊(司令:菅間良吉中佐、旗艦は「梅」)を編成する。しかし長姉の「松」は直後に硫黄島方面への輸送船団の護衛に出撃し、そのまま帰ってくることはなかった。
-8月20日、第43駆逐隊は、新設の第三十一戦隊(司令官:江戸兵太郎少将)に所属する。第三十一戦隊は、敵潜水艦が活動する海域に積極的に展開してこれを狩る「ハンターキラー」部隊として設立されたが、能力の不足や戦局の逼迫で、船団護衛に従事する事が多く、実際「桃」ら第43駆逐隊の面々は台湾~フィリピン~シンガポールにかけての広大な海域で、船団護衛に従事していくことになる。
-9月10日、これまで艦長として「桃」の訓練を指揮していた益満行孝少佐が呉鎮守府付に異動となり、新艦長に皆川芳雄少佐が着任する。新艦長を迎えた「桃」は引き続き訓練を継続していたが、10月に入ると米軍の侵攻が本格化する。10月12日以降、台湾~南西諸島沖で米機動部隊による空襲と、それに対して日本海軍基地航空部隊による反攻、所謂「台湾沖航空戦」が発生し、続いて17日には米海軍の大船団がレイテ湾口付近に出現、レイテ島侵攻と連動してレイテ沖海戦が発生する。
--レイテ沖海戦では「桃」の所属する第三十一戦隊は小沢機動部隊に所属して参加する事になる。元々小沢艦隊には護衛戦力として第五艦隊を基幹とする「第二遊撃部隊」(通称:志摩艦隊)が加わる筈だったが、台湾沖航空戦で残敵掃討のために出動していて合流が難しく、代替えの戦力として選ばれたのが第三十一戦隊であった。戦隊は旗艦をそれまでの「[[五十鈴]]」から、「[[大淀]]」に一時的に変更し、参加できる戦力をかき集めて参加したが、「桃」には初任務として、「梅」「樅」「榧」と共に、フィリピンで航空戦を展開している第二航空艦隊向けの物資を台湾まで輸送((この時点まで、第二航空艦隊は拠点を台湾に置いていたため。尚直後に捷一号作戦のため、フィリピン、マニラへ部隊を異動させている))する空母「[[神鷹]]」「[[龍鳳]]」の護衛という任務があったため、参加は見送られた。
---因みにそれまでの旗艦だった「五十鈴」は、第十一水雷戦隊から参加した「[[多摩]]」と共に巡洋艦部隊を編成して、第三十一戦隊と共に小沢艦隊に参加して出動している。
--10月25日、まさにフィリピン周辺ではスリガオ海峡夜戦で西村艦隊が壊滅し、エンガノ岬沖海戦で小沢艦隊も大損害を被り、サマール沖海戦で栗田艦隊が米護送空母部隊と死闘を演じた上、レイテ湾前で反転を余儀なくされたこの日。桃らは船団を護衛して佐世保を出撃。攻撃を受ける事も無く27日には台湾基隆に到着して物資を揚陸、その後無事に内地に戻る事に成功する。しかしフィリピンでの一連の海戦は日本の敗北に終わり、第三十一戦隊も内地に帰還。「桃」らは戦隊に合流し、小沢艦隊残余の艦を中心に南方輸送部隊「H部隊」((戦艦「[[日向]]」「[[伊勢]]」を基幹に軽巡洋艦「五十鈴」駆逐艦「霜月」「桑」「桐」「杉」「桃」「梅」で編成))を編成、最前線のフィリピンにむけて出撃する事になる。
-船団は11月14日に南沙諸島に到着、ここで二手に分かれ、「五十鈴」以下第三十一戦隊の「桃」「桑」「杉」は引き続きフィリピン・マニラに向かうべく17日に出撃する。ところが19日に米潜水艦の攻撃を受け「五十鈴」が損傷、「桃」は「五十鈴」を護衛してシンガポールまで撤退する。
シンガポールでは先行していた駆逐艦「霜月」がいた。ここで第三十一戦隊司令部は旗艦を「五十鈴」から「霜月」に変更し、11月24日に改めてマニラに向けて出撃、「桃」もこれに同行する。
--しかいここで再び米潜水艦の攻撃を受けてしまう。出撃まもない25日未明。待ち伏せしていた米潜水艦「カヴァラ」((同年6月に発生したマリアナ沖海戦で空母「[[翔鶴]]」を撃沈した潜水艦))の攻撃を受け、「霜月」は撃沈、第三十一戦隊司令部全員と霜月の所属する第41駆逐隊司令、そして艦長以下乗員の大半が戦死し、「桃」はわずかな生存者((46名といわれる))を救助してマニラ迄撤退した。
-司令部が全滅した第三十一戦隊は新たに鶴岡信道少将が着任し、新体制を構築する。そのころ戦隊はフィリピンで作戦を展開していた第二遊撃部隊(第五艦隊基幹)に所属していたが、「桃」もマニラ進出後、レイテ島への増援輸送作戦「多号作戦」に参加する。
- 12月5日、第八次多号作戦に参加する事になった「桃」は、姉妹の「梅」「杉」、第11号輸送艦、駆潜艇2隻((第18号駆潜艇、第38号駆潜艇))、輸送船4隻((赤城山丸、白馬丸、第五真盛丸、日祥丸))、SS艇3隻((6号、7号、9号))と共にマニラを出撃、増援の第68旅団約4000名他、各部隊合わせて約6900名もの将兵を乗せ、船団はレイテ島オルモック湾に向かった。しかし進撃途上、米輸送船団がオルモック南方に接近、上陸作戦を開始した。
--指揮をする第43駆逐隊司令の菅間大佐はオルモック湾への接近は危険と判断、レイテ島西岸北方のサン・イシドロに目的地を変更する。船団は7日午前9時ごろに同地に到着。しかし同地には本格的な物資揚陸設備はなく、兵員の揚陸は出来たが重火器の陸揚げはできなかった。また、船団上空を約25機の海軍機が護衛していたが、それでも来襲する米軍機を全て追い払うことは出来ず、輸送船は1隻が撃沈され、残りも擱座炎上して放棄された。護衛艦艇は「杉」が損傷し、「桃」も暗礁に乗り上げたが、離礁する事に成功し大事には至らなかった。
--なお、上陸した第68旅団は、元々は満州公主嶺にあった「陸軍公主嶺学校」((関東軍の歩兵大隊・中隊長の実兵指揮教育、歩・砲・工各科連隊長の召集教育、諸兵種協同作戦に関する総合研究と戦車戦術教育実施を行い、各兵科の教導連隊を隷下に置く学校教導団を唯一持っていた、実施学校の教導組織としては陸軍最大規模を誇る学校だった))を戦局の悪化に伴い閉鎖し、学校付きの教導部隊を動員・実戦部隊化した旅団である。
教導部隊でもあり、設立当初は「精鋭部隊」として期待する声もあったが、開戦後は徴兵され、実戦経験も殆どない者が入校していたりと、留守師団の補充隊のような普通に新兵教育を担う場となっており、実態はかけ離れた部隊であった。
---このため、参謀本部や方面軍の中には、第68旅団を「師団に相当する能力を持つ精鋭部隊」と、本当に信じ込んでいる参謀もいたようで、そういった過度の期待をかけられた第68旅団の方では、旅団参謀が閉口していたという証言もある。
---但し、教導部隊という事もあり、戦術研究のため最新兵器を優先的に配備されていたので、重火器は充実していた。しかしそれも上記のように揚陸が殆どできず、結局揚陸できたのは火砲4門、しかもその後の移動手段がなく、結局放棄する事になった。連隊砲・大隊砲などの軽砲や機関銃は大部分、弾薬は8割が揚陸できたので、部隊は第一師団への合流を目指し、12月25日に合流。カンギポット山付近に転進し戦闘に参加するが米軍の侵攻の前に次々と消耗し、7月20日以降は旅団の消息も絶え「消滅」してしまっている((厚生省援護局調査課(旧第一復員局)による戦後の調査では、第68旅団総兵力は6,392名、うち戦没者は6,302名で生還者は90名。しかし台湾~ルソン島間の海上輸送で負傷・入院し、後に帰還した者が殆どで、レイテ島に上陸して生還した生還者は10名にも満たない。その僅かな生還者も7月20日以前に旅団から逸れた者のため、それ以降の旅団の動きは全く分かっていない。第68旅団に関わらず、カンギポット山付近に転進して戦った部隊の殆どが、生還者が殆どいない状況のため、他部隊生存者からの証言もない))。
-マニラに帰還した「桃」たちであったが、ここももはや安全な地帯ではなかった。12月14日、米機動部隊がマニラ湾一帯を空襲、「桃」は2発の直撃弾と多数の至近弾により第二缶室と前部機械室、通信装置、水測兵器が使用不能となって最大速力は14ノットに低下、一時は火災が発生して誘爆を防ぐため魚雷は投棄され、戦死者30名と負傷者102名を出してしまった。修理の為馬公に向かう事になった「桃」は、同じく損傷を受けた「梅」と共に出航する事になるが、出航直後に捕虜輸送船「鴨緑丸」護衛の任を受け「梅」と分離((なお、梅は馬公ではなく香港での修理を命じられ目的地を変更している))し、12月13日夕刻に「鴨緑丸」とマニラを出港する。港外で1泊したうえで14日から航行を開始するが米軍機の空襲を受け「鴨緑丸」は航行を開始して間もなかった事もあり、近くのスービック湾内に退避して生存者を揚陸後沈没。「桃」はこれらを見届けると、本来の目的である修理を受けるために香港に向けて15日に出港する。
--しかしその夜、「桃」は米潜水艦の待ち伏せを受ける。待ち伏せていたのはバラオ級潜水艦「ホークビル」。後にシンガポール沖で駆逐艦「[[神風]]」と死闘を演じる事になる潜水艦である。
レーダーで二つの目標((「桃」と護衛の第60号駆潜艇))を発見した「ホークビル」は19時27分に2つの目標に対して魚雷を3本ずつ発射、魚雷は「桃」の第二缶室に命中し沈没。艦長の皆川中佐他多くの乗員が戦死したという((記録によっては総員戦死としているものもある))。1945年2月10日除籍。
-戦後、1958年に公開されたアメリカ映画『深く静かに潜航せよ』において、主人公の指揮する潜水艦がタンカーを護衛する日本駆逐艦を撃沈するシーンが登場する。この駆逐艦の名前は本艦と同じ「桃」であった((ただし、同映画の時代設定は1943年であり、松型駆逐艦「桃」の進水以前である。単に英語圏でも発音しやすい名前という事で選ばれただけなのかもしれない。))。
--なお、その映画で主人公が乗艦していた潜水艦の艦名は「ナーカ」((なお、「ナーカ」という名のアメリカ潜水艦はホークビルと同じバラオ級潜水艦の1隻に割り当てられていたものの、起工前に建造認可が取り消され未成となっている。))であった。&color(Silver){まさか桃のアイドル路線の由来はこの那珂ちゃんならぬナーカちゃんだとでもいうのか?};
*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
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#pcomment(./コメント1,reply,30)
&size(13){''&color(Red){建造成果の報告は[[建造レシピ]]内にあるコメント欄に、&br;ドロップ報告に関しては[[出撃ドロップ]]内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。};''};