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二式大艇 の変更点


 |CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
 |>|>|>|>|~No.138|
 |&attachref(装備カード一覧/weapon138.png,nolink);|>|二式大艇|>|大型飛行艇|
 |~|>|>|>|~装備ステータス|
 |~|~火力||~雷装||
 |~|~爆装||~対空||
 |~|~対潜|+1|~索敵|+12|
 |~|~命中|+1|~回避||
 |~|~[[戦闘行動半径>基地航空隊]]|20|>|BGCOLOR(#ccc):|
 |~|>|>|>|~装備可能艦種|
 |~|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):駆逐艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):軽巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):重巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):戦艦|
 |~|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):軽空母|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):正規空母|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):水上機母艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):航空戦艦|
 |~|>|>|>|~備考|
 |~|>|>|>|開発不可能&br;[[秋津洲]]/[[改>秋津洲改]]・[[神威改母]]・[[日進改]]/[[甲>日進甲]]にのみ装備可能&br;[[秋津洲改]]の初期装備&br;2015年春イベントE-5、甲作戦突破報酬&br;2015年春イベントE-6、甲、乙作戦突破報酬&br;期間限定任務『[[主計科任務【おにぎりを振舞おう!】>任務#ieb8b6bf]]』選択報酬|
 |>|>|>|>|LEFT:四発の大型飛行艇「二式大型飛行艇」、通称「二式大艇」です。&br;巨大な翼と船のような構造を持つ機体で、長距離偵察や司令部要員の移動等に用いられました。&br;同時代の世界水準を大きく超えた傑作機で、今の時代もその後継は空に海に活躍しています。|
 
 *ゲームにおいて [#about]
 -2015年春イベント「[[発令!第十一号作戦]]」にて、[[秋津洲]]とともに新規実装された装備。
 --同イベントで[[秋津洲改]]の初期装備と合わせて最大3つ入手でき、秋津洲改の3スロットにちょうど収まる。
 -[[秋津洲]]とその改型、2017年5月2日実装の[[神威改母]]、2018年12月27日実装の[[日進]]の改造後に本装備を装備可能。(改造前の[[神威改]]、[[日進]]には装備できない。)
 --水上機母艦の千歳型や[[瑞穂]]、[[Commandant Teste]]などには装備できない。図鑑の装備可能艦種にも「水上機母艦」は含まれていない。
 --かつてはこの装備を装備できる艦を所持していない場合ロックする手段が無かったが、[[基地航空隊]]の実装により陸上機同様にロックできるようになった。
 ---2018年12月7日アップデートで装備リストのソートフィルターに【全装備】が追加実装されたため、誰でもロックできるようになった(ただしブラウザ版のみ。Android版は【全装備】未実装)。
 -非常に高い索敵値を持つが、水上艦への攻撃能力は無い。下記の小ネタにも書かれているように、本来ならば爆装や雷装を搭載できる強力な攻撃機なのだが、兵装を外しているのか偵察機止まりの性能になっている。
 --水偵に限りなく近い装備だが、水偵ではない。ルート制御の際の索敵値に補正は無く(それでも水観と同等)、弾着観測射撃も出来ない。
 -一方、水偵には出来ない対潜攻撃が可能。水爆と違って航空戦で撃墜されないのが強み。ただ、爆雷とソナーも一緒に搭載しないとまともな威力は出ない。
 --対潜値+1が付いているがその扱いは水偵と同様で、ダメージ計算上は装備対潜値として扱われない、艦娘の素の対潜値にも加算されない。
 -制空権争いや爆撃に参加しない二式大艇ではあるが、偵察フェーズで「索敵機未帰還」になり、対潜攻撃が出来なくなる場合がある。
 敵編成に空母が有り味方に空母が無い状況で起きやすい。
 --なおバグか艦種特性かは不明だが秋津洲に限らず水上機母艦の場合、水偵のみ搭載し、艦隊で他に航空機を運用しない状況を作ると
 偵察機や二式大艇が未帰還機となってしまっても母港に戻るとなぜか復活する。熟練度も減少しない。
 水上爆撃機と水上偵察機を混在させた状況ならばそうした謎現象は発生せず、偵察機未帰還になれば母港でも損失している。
 ---二式大艇を載せた → なぜか対潜攻撃しない → 母港に戻ると搭載数1のまま熟練度もそのまま → ? の原因はこの仕様。
 -6-3や15夏イベントE5に存在する資源探索マスでも二式大艇を用いると、大成功の確率が上がる。
 -ちなみに航空戦では何もしない((触接は行うが、艦上偵察機や水上偵察機は触接時も飛んで行かないのでこれが理由では無いようだ))のに他の水爆等と一緒に飛んで行く。[[カ号観測機]]みたいなポジション。
 -偵察機であるが、艦爆・艦攻・水爆同様''熟練度クリティカル補正が適用され、航空戦と対潜攻撃のクリティカル倍率が上昇する''(PBY-5A Catalinaも同様)。
 --ただし秋津洲自体は各スロットに1機ずつしか装備できないため航空戦における素の威力はお察しで、
 対潜攻撃も大型飛行艇の装備対潜値が計算されないためソナーや爆雷を装備しなければダメージ上昇は実感できない。
 ---通常砲撃については艦載機を使わないためか熟練度クリティカル補正の対象外。
 &br;
 -航空戦での触接開始率は優秀。制空権確保で+48%、航空優勢で+28.8%。制空権を取れる空母と連携すれば開幕爆撃の威力上昇が期待できる。
 --ちなみに二式大艇自身も触接する。命中+1の他の艦載機と同じく航空戦威力+12%の模様。
 -恐らく最も真価を発揮するのは[[基地航空隊]]での行動範囲の延長。
 --本機の行動半径は驚愕の''20''。本機を組み込んだ航空隊は、行動半径が「''+3''」される。本来到達しえない距離にも基地航空隊を向かわせることが可能。
 ---実際二式大艇が無いと基地航空隊が到達できないマップがあった(半径11マス)
 ---[[PBY-5A Catalina]] は行動半径「+2」かつ10マスまで。このため11マス以上の延長は二式大艇のみ可能。
 --配置コストは''25''。[[PBY-5A Catalina]]に倍近い差をつけて堂々のトップである((偵察機系統は1スロットあたりの配備数が少ないので、1スロット単位で比較した場合はより高コストの機体もある))。ご利用は計画的に。
 -%%[[変形はしません>https://twitter.com/M_ars/status/599214865295626243]]%%お前は何を言っているんだ?&color(Silver){はっきり言っておもしろかっこいいぜ!};
 *小ネタ [#trivia]
 -飛行艇の%%バケモノ%%傑作として知られる[[川西航空機H8K 二式飛行艇>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BC%8F%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E8%89%87]]である。連合軍によるコードネームは「Emily」。
 --「二式大艇」「二式大型飛行艇」等の俗称がある。
 読みは秋津洲が言う通り「にしきたいてい」で良いのだが、帝国海軍では「大」を「だい」と濁らせて読むことが多く(大佐=「だいさ」等)、二式大艇もまた「にしきだいてい」とも読まれていた。&color(Silver){漢字変換ではだいていのほうで出る};
 --飛行艇は海面から離着水を行うために、「船(艇)」と「飛行機」との両方の性質を併せ持たねばならず、本来は陸上機より太い胴体を要求され空力的に不利である。((陸上機に必要な重量を支える強靭な降着装置、すなわち車輪が必要ないという利点や、滑水距離に制限がなく大型化が容易という利点はあった。海軍の陸上機だと滑走600m縛りが多く要求され、後の「連山」でも700mで離陸するよう要求されている。))
 しかし二式大艇を計画するにあたり、海軍側が川西航空機に要求した性能は、前任機並みの攻撃力を備え、さらに大航続力をもった高速機という、当時の飛行艇の水準をはるかに超える過酷なものであった。
 ---艦船の対米劣勢を基地機の充実で覆すつもりであり、大型陸上攻撃機「深山」も同時期に要求された陸上機版ライバルと言える存在であったが、こちらは凡庸な性能となって計画中止。試作された機体は輸送機に転用された。
 
 #region(海軍の大型機構想と二式大艇計画)
 -海軍軍縮条約締結後、日本海軍は一貫して米戦艦を戦略目標として漸減邀撃作戦を練り続けていた。
 
 -軍縮条約で艦船劣勢の中、日本海軍にとって大型飛行艇とは
 ・軍縮条約の枠外で増強できる戦力で
 ・基地建設が禁じられていた信託統治下の南洋諸島から出撃できる
 戦略的任務を帯び続けた爆撃機であり、陸上攻撃機((陸攻は運用にあたり、飛行艇より気象を選ばないメリットがあった。))と並び立つ「正面戦力として」期待され続けていた。
 
 -海軍が大正期に輸入した最初の飛行艇からして400kgの爆装が可能であったし、昭和初期の九〇式飛行艇は爆装1トンへと至っている。
 海軍は大型飛行艇に「攻撃兵力」として水平爆撃((急降下爆撃を大型機が行うのは困難である。ドイツ空軍機? あれは例外だ。))を中心に期待をかけていたのである。
 --現在でこそ対艦水平爆撃はダメだったということになっているが、当時は「他の手段も乏しかった」上に高い高度から投下される爆弾は急降下爆撃より貫徹力が期待できたのも事実である。短所としては「正確な高度、対地速度が得られないと照準そのものが正確にできない」「投弾誤差が急降下爆撃より大きくなる、投下高度が高いということは風にも流される」「目標の正確な未来位置を予測できないと当たらない」といったものになる。
 ---最大の問題である正確な高度に関しては大戦中に電波高度計の実用化でなんとかなったものの、正確な対地速度は最末期も末期、慣性誘導装置が完成した((ただしドイツにて。V2ミサイルに使われている))ところで戦争終結。間に合っていない。「当たる」水平爆撃の実現は戦後に持ち越されることになる。((ちなみに、アメリカもB-17やB-24、B-29で艦船への水平爆撃を行っているが、命中率は日本軍とどっこいだった。もっとも、物量にモノを言わせて命中率の低さを「強引に」補っていたのだが。))
 
 -そして完成した九七式飛行艇の高性能をもって海軍の期待は最高潮に達する。
 「これなら周辺艦艇削るどころか、対戦艦兵力として使えるんじゃね?」
 #region(九七式飛行艇とは)
 九試大艇計画で川西が作った四発飛行艇。つまりは二式大艇の前任機。
 最高速度385km/h、航続距離4940km、尾部20mmを含む防御機銃5丁に航空魚雷2本もしくは爆弾2t。
 -作られた時期から見ても、本来諸外国の飛行艇と比較されるべきは九七式飛行艇の方。%%二式大艇なんてバケモノと比べてはいけない。%%
 -開戦後、1941年12月に水上機母艦「ヘロン」に対し合計6機(雷装3機、爆装3機)で襲撃をかけ、命中弾なく雷撃隊長機が撃墜される返り討ちに遭っている。
 -珊瑚海海戦でも魚雷を搭載して捜索にあたったがF4Fにより数機が撃墜され、以降は哨戒と対潜警戒に従事、二式大艇の配備と共に前線から下げられた。
 -九七式には民間タイプの「川西式四発飛行艇」もあり、国策航空会社である大日本航空の手により横浜・パラオ便や横浜・バンコク便などで飛んでいた。
 南洋線の操縦士たち((彼らの多くは退役したパイロットであった、日米開戦で再び軍務につくのである))を描いた映画「南海の花束」にもこれらの機体が登場している。
 --なお大日本航空の四発飛行艇はいずれも気象用語に由来した名前がついており、ほぼ全機が海軍の駆逐艦の艦名とカブるのである。
 例を挙げると前述の南海の花束の出演機であるJ-BFOY号機は「[[漣]]号」、他にも[[綾波]]号などもいたそうな。
 #endregion
 
 -こうして1938年、海軍は中島に十三試大型攻撃機(後の「深山」)を、川西に十三試大型飛行艇(こいつが二式大艇となる)を''ほぼ同一仕様で要求''している。搭載量は九七式大艇と代わらないが、大幅な速力と航続力の向上が要求されていた。
 
 --「戦艦を撃沈できる兵装」としては[[41cm砲弾>41cm連装砲]]を改造した800kg[[徹甲>九一式徹甲弾]]爆弾((九九式徹甲爆弾。投下高度3000mから装甲150mmを貫徹。つまり長門の甲板を貫通でき、戦艦以外にはオーバースペックである。後には150番徹甲爆弾も試作されている。))が開発され、大攻と大艇は「対戦艦用攻撃機」としての期待は一層色濃いものとなった。
 --「戦艦に命中させる兵術」として編隊((横浜空等の飛行艇航空隊の定数が大体12~16機程である。))の一斉投下で散布界を構成して命中を期待する「編隊水平爆撃」が提唱され、これは後に中攻([[九六式陸攻]]、および[[一式陸攻]]のこと)がマレー沖海戦で実施。海戦最初の命中弾を得ている。
 #region(え、大艇といえば雷撃じゃないの?)
 -1938年当時、雷撃に関しては「当たればオイシイけど、撃ちこむことすら大変でしょ?」という感じである。
 なにせ、投下制限で低空低速を強いられていた。
 -高度30m以下、速度240km/h以下という数字はあるものの「遅ければ遅いほど魚雷は航走成績がよくなった」とあり、つまりはもっと速度を殺さないと故障しまくっていたのである。
 -そして1937年に実施した渡洋爆撃において対空砲火の被害が大きいことから「低空に侵入することは不可能になるかも」と「雷撃無用論」が出たくらいであり、あまり重視されていなかった。
 
 -この制限が大幅に緩むのは1941年夏、九一式魚雷改二に安定器がついて300km/h高度20mでの投下ができるようになってからだが、同年12月に九七式大艇がやらかして「やっぱりダメかも」という空気にかわり、珊瑚海海戦を最後に大艇は魚雷を積むことすらなくなってしまった。二式大艇の18号機以降は魚雷照準器さえも搭載していない。
 #endregion
 
 -中攻で諦められた対20ミリ防弾に関しても大攻と大艇で実施され、艦爆による空母破壊に先んじて敵艦隊を強襲するつもりだったことが伺える。
 -ここまで明確な使用意図と周到な準備をされた十三試大艇計画であったが、実機の制式前に最大の問題が発生していた。
 それは「漸減邀撃は諦められ、戦略目標の米戦艦が真珠湾で壊滅したこと」だったのである。%%なんという出オチ%%
 #endregion
 
 -そして出来上がったのがこの%% 軍艦 %%飛行艇。当時の日本の技術の粋を集めて開発された、''世界屈指の性能を誇った傑作飛行艇''である。
 --大型飛行艇としては前例のない、偵察過荷状態で8,223km(一二型)という長大な航続距離と最大約24時間の滞空性能、465km/hの高速性能を併せ持っていた。
 ---エンジンは当時の日本で最強クラスの三菱・火星を選択。
 薄く、前後幅に対して左右幅の広い主翼に、巧妙なフラップ機構を組み合わせることで、ただ速く飛ぶだけでなく、経済的な巡航性能や低速時の安定性も同時に実現させていた。
 この他、構造設計や材質にも航空機として優れたものが用いられており、これらの要素を積み重ねた結果の性能だった。
 --その一方で、高性能を実現するために離水時の安定性をギリギリまで削り込んだ結果、配備初期は「離水操縦をマニュアル通り行わなかった為の事故」も多発している。
 ---先にも少し触れられているが、船としての安定性と、航空機としての飛行性能は、概ねトレードオフの関係にある。
 本機は空中での性能を最優先し、従来の飛行艇よりも横幅を抑えた、陸上機に近いスマートな艇体を採用している。
 その副作用として、
 1.水上滑走中はピッチ軸の安定性が悪く、いいかげんな操縦をおこなうと急激な機首上げ・機首下げが連続して発生する傾向(ポーポイズ癖)
 2.鋭い艇体が蹴立てる盛大な波しぶきが、尾翼やプロペラを直撃して損傷させる問題
 を抱えることになった。
 ---ポーポイズ癖への対処として、操縦席の風防ガラスに細い横線を描き入れ、加えて風防の前に立つピトー管の支柱に小さな横棒(通称「かんざし」)を取り付けた。
 これらと水平線を目安に操縦することで、滑走に最適なピッチ角((一説には機首上げ5°±1°以内。繊細な操縦が求められたようである。))を維持して離水速度まで加速、あるいは安全に着水することができた&color(Silver){のだが、操縦マニュアルがなかなか前線まで浸透せず・・・};
 ---波しぶきへは、艇体の前部底面左右に「カツオブシ」と称される波抑え用の張り出しを設け、発生した波を叩き消すことで対処した。((後述のUS-1・US-2の艇体前部にも、カツオブシと同じ原理ながら、より洗練された波消し装置が設けられている。))
 --海軍側の要求仕様と、爆弾倉を設けず簡潔にまとめられた設計などの要因で、投下兵装の搭載量はこの規模の機体としては少ない。爆弾なら最大2t((60kg×16発、または250kg×8発、または800kg×2発))である。搭載するだけなら航空魚雷2本も積める((フラップに設けた魚雷避けの切り欠きは継続されているため18号機以降も搭載自体はできたと思われる))が、18号機以降魚雷照準器を搭載していないためほとんどの二式大艇は雷撃不可である。
 代わりに凄まじいのが燃料の搭載量だった。実際には飛行計画によって変動するが、一般的な哨戒・偵察では8000~12000リットル、過荷重で15000リットル。諸々無理して限界まで積むと18000リットルまで届いたという。
 --燃料タンクにはゴム被膜による被弾時の防漏措置が施されており、さらに火の気がある部位には自動消火装置が設けられている。
 当時の日本軍機としては異例の受動的防御性能であり、世界の大型四発機の水準に並ぶダメージコントロール能力を備えていた。
 ---特筆すべきは防御火力で、7.7mm機銃×4機に加え、20mm機関砲×5門を装備していた。
 「弾幕を張って寄せ付けない・敵機が攻撃態勢に入ることを阻止する」ことを第一目的として小口径銃を多数装備するのが一般的な中、小型機どころか大型機にさえ致命弾が見込める威力の機関砲を装備したのである。
 弾薬の重量があり嵩張ることや、発射レートの遅さから弾幕が薄くなる、などの欠点があったが、相対する敵機のパイロットへ与えるプレッシャーは大きかった。
 --機内には指揮官(複数機が出撃することもあるので、各々の機体では機長と呼ばれた)や操縦員(通常は2名、機長が操縦員の場合は3名乗り込んだ)、偵察員(ナビゲーションや爆撃を担当)、電信員(無線担当)、電探員(レーダー担当)、搭乗整備員(フライトエンジニア)など、艦艇と同様にそれぞれが役割を分担して乗組んでいた。
 ---長距離飛行を行う乗員達を支えるため、機内には休憩スペースや寝台、便座、電気冷蔵庫や空調も完備されていた。&color(Silver){%%二式大艇[[ホテル>大和]]%%};
 だが気化ガソリンへの引火の恐れがあるため、喫煙は厳禁だったという。
 
 //--ただし大型飛行艇というニッチの中では同世代がいないからこその孤高という面もある。初飛行が1~2年遅れで概ね1世代後の機体であるXPB2M(JRM)の場合、搭載量や航続距離で本機を大幅に上回る。
 //XPB2M(JRM)は全装備重量では二式飛行艇を上回るものの武装はされておらず、最高速度は356km/h、航続距離7,960kmと二式飛行艇を下回っているため、上記の表示を消しました。
 
 -上部折りたたみの中にあるとおり、二式大艇が制式化されるころには、すでに漸減作戦という戦略に見切りが付けられていた。
 その戦略下で攻撃機として計画された二式大艇は、確かに高性能ではあったが、ともすればオーバースペックと言えるのも事実だった。
 製造時の必要資材が多い、飛行時の燃料消費量が少なくないなど、当時の日本の国情を考えると手に余る要素もいくらかあった。
 現場においては、構造材の疲労((アルミ合金の一種である超々ジュラルミンを広範囲に採用していたが、これは決して腐食に強い材質では無い。航空機用としては優秀だが、船舶に用いるには向かないのだ。))やコーキング材の粗悪さから水漏れに悩まされ、溜まった海水を日々バケツで汲み出す作業が必須だった。その他、大型で複雑な構造は、維持整備に関して面倒な点を少なからず抱えていた。
 --それでも「諸島戦域での作戦には高性能な水上機・飛行艇が有用である」という発想の合理性には確かなものがあった。
 飛行艇として一般的な、哨戒や輸送・連絡、救難といった任務に十分に対応し得る汎用性も、二式大艇は持ち合わせていた。
 中でも長距離偵察任務では、生まれ持った抜群の航続距離と、いざというときの防御力を遺憾なく発揮したのである。
 ---偵察・哨戒先で、自身と同様の任務に就いていた米軍哨戒爆撃機と遭遇した際には、四発の大型機同士で空中戦を演じることもしばしばあった。
 場合によっては、二式大艇のほうから積極的に攻撃を仕掛けていくことさえあったという。&color(Silver){%%君、飛行艇だよね…?%%};
 追撃を無事に振り切り、あるいは敵機をボコボコにして帰って来たはいいが、なまじ空中で撃墜されないために乗員も気づかないうちに艇体が穴だらけにされており、一晩置いといたら沈没していた、という珍事もあったそうな。
 ---一方で、細身の艇体は、輸送機として用いる場合に収容力の点で不満が残った。
 これに対して川西が出した回答が、機内の区画配置を見直し、背の高さを生かして2層床構造とすることで積載に有効な床面積を稼ぎ、空間効率を改善した輸送機型の開発だった。
 さらに機内を隔壁で5ないし3に区切り、1区画ごとに兵員用のベンチ席、将官用のソファ席、貨物用の平床の3仕様へ、容易に設備換装できるよう配慮された。
 こうして誕生し、少数が量産された二式輸送飛行艇「晴空」は、胴体内タンクの撤去に伴う航続距離の半減や、防御火器の減少、大型貨物の搭載ができないという弱点もあったが、快速は元設計ゆずりであり、諸島間を高速で結べる輸送艇として重宝されることになった。
 
 --1942年には大航続力を生かして2機で真珠湾を再空襲している(K作戦)。
 ---攻撃前に北西ハワイ諸島のフレンチフリゲート礁付近に着水し、[[伊19]]と伊15から給油をしてもらっている。その日の夕方頃に離水し、ハワイへ向かった。
 3月4日夜間、オアフ島沖へ到着。それぞれ4発の250kg爆弾を投下し帰途についたものの、上空の視界の悪さなどが災いし、爆弾は真珠湾内の目標を外れて周辺の道路などに落下。アメリカ側の被害は軽微だった。
 --その後、ミッドウェー海戦に際し、米艦隊の動向を探るためのハワイ偵察作戦(第二次K作戦)が発動された・・・・が
 ---先のハワイ夜間空襲で米軍は神経を尖らせており、日本軍がフレンチフリゲート礁を補給拠点にしていた疑いを持たれ、米軍は水上機母艦を派遣。
 補給担当の潜水艦が接近できない事態となり、ハワイ偵察は中止されてしまう。その後のミッドウェー海戦の顛末は誰しもが知るところであろう。
 ---この偵察が失敗したことは連合艦隊司令部から南雲機動部隊に伝えられず、機動部隊では「連絡がないということは、敵空母は予定通り真珠湾にいる」という敵情予測を補強させてしまった。
 この事前偵察の中止とその通達が無かったことが、現在ではミッドウェー海戦大敗の主因の一つと分析されている。
 ---[[''それは何か違うかも!''>秋津洲]] 第二次K作戦の中止は航空索敵の担当だった二十四航空戦隊司令部から南雲機動部隊司令部に直接伝達されている。以下、戦史叢書からの抜粋。
 >六月一日は晴天であった。(中略)前日ウェークからの哨戒を開始した二十四航戦は、ミッドウェーの六○○浬圏付近で敵の潜水艦や飛行艇と会敵したことを報じ、敵の警戒が厳重なことを示した。
 またK作戦の中止が報じられた。''しかし第一機動部隊首脳部は大した問題とは考えなかった''。
 
 ---はい慢心です。人のせいにしてはいけません。
 確かに当時無線封鎖をしていたので、連合艦隊司令部からは南雲機動部隊にK作戦中止を伝えてはいない。
 しかしこの情報は上記の通り第二十四航空戦隊司令部から報じられたものである。連合艦隊司令部が伝えなかった=南雲機動部隊に伝わっていないではない。
 この後、連合艦隊司令部が米空母の呼び出し符号を傍受した事を南雲機動部隊に伝えなかった経緯があるので、ドサクサ紛れに他の情報まで伝わらなかった事にしている著書があったりするのだが、'' 大艇ちゃんがミッドウェー海戦大敗の主因だなんてほんっと失礼かも! ''
 
 #region(第二次K作戦についてちょっと補足しよう。)
 -日本軍が第二次K作戦の行動を開始したのは5月30日。一方の米空母部隊は5月27日に真珠湾を出撃していたので、たとえ二式大艇が無理を押して出撃しても偵察は空振りに終わった。
 --さて、「真珠湾に敵空母は不在」―もし二式大艇が真珠湾を偵察して、この情報を突き止めていた場合、海軍上層部はどう判断しただろう?
 ---「『ミッドウェー島の攻略中に敵空母は現れない』という先入観を改め作戦の見直しを図った」と主張する評論家もいる。当事者である南雲機動部隊司令部の中にもそう主張する人はいた。
 が、防衛庁戦史叢書の編纂部は当時の海軍上層部の敵情予測の甘さを元に「''『敵空母は別の海域に出撃したきり戻って来ていない』と更に油断しただろう''」
 とバッサリ切り捨てている。
 --防衛庁の辛辣な分析も無理はない。ミッドウェー海戦前、[[山口多聞>雑学#Tamon]]などの一部の例外を除き、海軍上層部は「敵空母はミッドウェー島の攻撃中に出現しない」とすっかり思い込んでいた。
 ---出撃前日の打合せの一コマ。
 |>|>|>|>|LEFT:[[多聞丸>雑学#Tamon]]「この索敵機の数では敵艦隊を発見できない。もっと増やせ」&br;航空参謀「攻撃機を偵察に割いてまで索敵機数を増やすなんて馬鹿らしい」&br;多聞丸「''インド洋作戦で敵を見逃して赤城が被弾しかけたのを忘れたのか''」&br;航空参謀「''どうせ敵の空母は出て来ませんから''」|
  
 ---ミッドウェー海戦当日の一コマ。
 |>|>|>|>|LEFT:南雲中将『(予令)''本日敵空母出撃の見込みなし''((南雲司令部が油断していた証拠を隠蔽したため、この一文は一航戦の戦闘詳報には書かれていない。))。第二次攻撃隊は第四編成(全攻撃隊をミッドウェー島攻撃に向ける事)で実施予定』&br; ⋮ &br;加賀艦攻隊分隊長「上からこんな命令出てますけど攻撃隊の半数は対艦用装備でしょ?敵空母が出たら反撃できませんよ?」&br;加賀飛行長「そういうな、これは命令だ」|
  
 --この有様である。これで「二式大艇による偵察が成功していたら先入観を取り払えた」と言われても…ねえ?
 #br
 -「敵艦隊は来ない」と油断した挙句ミッドウェーで大敗した偉い人たちは''それはもうみっともないくらい責任逃れに走った''。
 偉い人は有名だからシンパもどんどん責任転嫁に加わり、押し付けられる相手なら誰にでも責任を押し付けた。
 --押し付けられたのは偉くもなく有名でもない兵士である。有名じゃないのをいい事にある事ない事吹聴された。
 |>|>|>|>|LEFT:''偵察が失敗した事を伝えなかった(&color(Red){嘘};)ので南雲機動部隊司令部は「敵空母は予定通り真珠湾にいる」という敵情予測を補強させてしまった。'' |
  
 --この言い掛かりもそんな責任逃れのひとつである。二式大艇が活躍する機会はなかったが、偵察部隊が何もしなかったわけではない。
 「ハワイ方面は偵察できねーくらい警戒レベル上がっててヤベーぞ」と言う重要な情報を得て、ちゃんと連絡もしてる。
 言う事を聞かずに油断したのを、言われた事自体なかった事にして「お前らが失敗したことを隠しやがったから油断したんだぞ」にするのだから酷い。
 --これはインターネット掲示板の書き込みではない。こんな言い掛かりを書いた戦記物は今でも書店に並んでいる。
 縦社会の軍隊の悲しい構図は戦後70年経っても末端の兵士を責め続けているのだ。
 -そんなわけなので、危険を冒して二式大艇で偵察を行い、運よく「敵空母はハワイにいない」と調べられたとしても、
 防衛庁の分析通り、海軍上層部は逆に甘々の判断に突き進んだであろう事は想像に難くない。
 偵察を強行すれば撃墜される可能性も高かったわけで、パイロットの命と二式大艇を失わずに済んでよかったのかもしれない。
 #endregion
 
 -また戦況の推移は、二式大艇がその性能をいつまでも持て余すことを許さなかった。
 対艦攻撃機としての設計に由来する高速・高防御力は、しかし当初の艦隊強襲という想定よりもさらに過酷な環境で、その真価を問われることになった。
 すなわち大戦後期、敵制空権下・敵制海権上の南洋諸島における強行輸送・救命任務である。
 --いかに大型・高性能と言えど所詮は航空機であり、艦船に比べれば積める量には限度がある。前線で飢えに苦しむ将兵の数を考えると、食糧を満載して何往復しようが焼け石に水だった。
 二式大艇自体も、P-51をはじめとする高速・長航続距離、かつ多数の新鋭戦闘機による波状攻撃にはさすがに耐えられず、多くの機体が乗員もろとも次々と失われていった。着水停泊中に空襲で沈められるケースも激増した。
 資材事情・燃料事情は日に日に逼迫していき、さらに川西が局地戦・[[紫電改>紫電改二]]の生産に集中したことで機体の供給量が極端に低下((1945年にはわずか2機しか生産されなかった。))し、まともな補填・補給も望めなかった。
 --そんな絶望的な状況の中、それでも諸島の間を飛び石を渡るかのように駆けまわり、多くの人間を飢えから救い、また戦線後方まで送り届けることに尽力し、成果を残している。
 
 //このへんにウルシーでの梓隊のエピソードや、本土~トラック島間の彩雲用増槽の強行輸送に関するお話を組み込めたらいいな・・・  書いてもいいのかな?
 
 -ところで、そんな二式大艇のことを、敵方である連合軍側はどのように考えていたのだろうか。しばしば登場するのが「フォーミダブル」、恐るべき機体、というニュアンスの表現である。
 --特に1944年以降、既に有効な編隊を組む事すら難しくなっていた日本軍多発機の中にあって、防御性能の高かった二式大艇は、連合軍機にとって一筋縄ではいかない存在だった。
 ---当時の連合国戦闘機の主流であった多連装の小口径銃という装備では、防漏タンクと消火装置のせいでなかなか致命傷を与えられない。
 ならばと接近してコックピットやエンジン、主翼外側といった急所を狙おうとすれば、20mmの砲口が多数待ち構えている。
 唯一、飛行艇の必然として銃塔などを設けることができない機体の真下には死角があったが、気付かれて低空に逃げられてしまうと簡単には狙えない。
 そのうえ逃げ足が飛行艇としては段違いに速く陸上四発機並みで、さらに航続距離も長いため、追撃できる機種が限られる。
 挙句の果てに、油断しているとあちら側から空戦を仕掛けてくるケースまである。
 ・・・とまあ、とにかくイヤな挙動をしてくるわけである。それも、飛行艇が。
 --「少なくとも半端な機種・機数で安易に近づくのは非常に危険だ」と認識された機であり、同時に「飛行艇で実現できる空中性能などたかが知れている」という常識に風穴を開ける存在でもあった。
 --戦後、二式大艇の調査に同乗した米海軍シルバー中尉は、その高性能に驚嘆して「日本は戦争には負けたが、飛行艇では世界に勝った」と賞賛の言葉を送っている。
 
 //偵察中に遭遇したB-25ミッチェルやB-17といった米軍大型爆撃機((これらの大半は爆撃任務ではなく、洋上哨戒任務のため低空を飛行していた機である。))と空中戦を行い撃墜したという逸話も残っている。
 //P-38戦闘機3機の攻撃を受けた時は、230箇所もの被弾に遭いながらも1機を撃墜、そのまま飛行して帰還に成功している。
 //---その反面、当たり前だがB-24やB-17に食われた二式大艇も多い。あくまでも"日本機の中では"タフで火力があったということ。
 //---防御上の数少ない弱点が、飛行艇の必然として銃塔などを設けることができず、監視が難しく有効な弾幕も張れない機体の真下であった。爆弾倉の存在から、同様に直下の視野に限りがあり防御火力が比較的薄い米大型哨戒機((と言っても水平方向や背面側に対しての話で、例えばB-24系などは爆弾倉直後に戦略爆撃任務由来の引き込み式銃塔を装備するタイプが多く、油断すると・・・発展型のPB4Y-2では下部銃塔こそ撤去されたが、今度は上部と側面にターレットがてんこ盛りに・・・))との遭遇戦では、先に気付いた側がこっそりと相手の下側に回り込むように機動し、互いに存在が露呈した後は下方の取り合いを経て、低高度でのドツキ合いに発展したようである。
 //---他にも、敵をボコボコにして帰って来たはいいが、なまじ空中で撃墜されないために乗員も気づかないうちに穴だらけにされており、一晩置いといたら沈没してたなんて事態も。
 //---また、欠点として製造に大量の資材が必要であり、さらにこの巨体が長距離を飛行するとなればそれ相応の燃料も消費するという、運用する上での難しさがあった。
 //川西航空機が[[紫電改>紫電改二]]の生産に集中するようになると生産数がさらに低下、1945年にはわずか2機しか生産されなかった。
 //戦況が悪化して制空権が奪われると、停止中に空襲で破壊されたり、敵戦闘機の攻撃が多数に増えると自慢の重防御でもさすがに耐え切れず、補充も燃料も望めない中で機体は次々に失われていくことになる。
 
 -167機生産されたが、終戦時に残存していたのは11機のみ。そして現在、世界で唯一の現存機(二式飛行艇12型H8K2)が鹿屋航空基地史料館にて保存されている。((この機体は上記のアメリカでの性能確認試験に使用された426号機(詫間31号機)で、試験終了後ノーフォーク海軍基地に保管されていたが、アメリカでの保管終了と日本側の返還運動により1979年に日本に返還され、その後2004年4月まで東京・臨海副都心にある「船の科学館」にて屋外展示されていた。))
 //終戦時の稼働機って3~4機しかなかったのではないかな?
 
 #region(Q.諸外国の飛行艇事情はどうなっていたの?)
 ''Q.諸外国の飛行艇事情はどうなっていたの?''
 -A.攻撃用としてはそこまで性能を追求する必要がなかったので、むしろ哨戒や輸送、救難などの補助任務を主眼に開発・運用されていました。
 -日本海軍は米国に比べて不足する戦力を埋めることが先決であり、潜水艦まで正面戦力として計画し%%そして戦後にニミッツ提督に呆れられ%%ていたぐらいである。基地化を禁じられた南洋諸島を出撃拠点とできる飛行艇にも「艦隊漸減」を期待し、どこにくるかわからない敵艦隊を捕捉するための航続力、迅速に戦力をかき集める為の速力が求められていた。
 -一方の諸外国は、小島を舞台とした戦争を経験していなかったので攻撃機としての有用性を認識していなかった。おまけに水上機は陸上の航空基地とは別個に水上機基地を用意して物資や人員を割かなければならず、整備や補給、運用面で無駄が出るという点も問題があった。ただ、米国には高い建設能力があり短時間で飛行場を建設できるためつなぎの必要が無いという特徴があった。
 -以下、米・英・独の飛行艇についてその数種類を紹介。
 --まずアメリカでは数種類の哨戒・爆撃が可能な飛行艇が開発されていた。
 ---第二次大戦時には既に旧式だった[[PBYカタリナ飛行艇>PBY-5A Catalina]]((抜群の使い勝手の良さを誇る、二式大艇とはまた違った方向性の傑作飛行艇である。最終的には対潜レーダーまで装備され、浅深度潜航中にシュノーケルを用いていたUボートの捕捉に活躍。戦後は多数が民間に払い下げられ、消防機などとして余生を送った・・・というか、相当な長寿機となった。因みに生産途中から引き込み脚を装備して水陸両用機に進化してたりする))や沿岸警備隊のJ2Fダック((複葉機で、一見するとフロート履きの水上機にも見える艇体が特徴。機体サイズの割に広い胴体内空間を生かした積載能力や、空母対応の降着輪&着艦フックを備えた万能小型機だった。))が、哨戒や捜索救難、機雷敷設等で活用されていた。これらの機体は陸上基地との連絡や補給・整備を容易にするために、引き込み脚をつけた水陸両用機としても運用されている。
 ---他に、本土沿岸およびハワイ周辺の防衛を担うものとしてJRMマーズ(二式大艇すら凌ぐサイズの巨大飛行艇)であった。が、これは試作のスケジュールが遅れ、初飛行の時点では既に「基地を作って陸上機で運用すればいいじゃん」という認識になっており、長距離輸送艇に設計を変更された。また、エンジンの出力不足に所定の性能を発揮できなかったPB2Yコロナドも輸送用飛行艇に転用されている。
 ---陸上機による洋上哨戒任務には、初期にはB-17系、その後は重武装のB-25G/H型や、より航続力に秀でたB-24系が用いられた。B-24の海軍仕様PB4Y-1に、低空での長距離哨戒に特化して最終的な改良をおこなった機体としてはPB4Y-2プライバティアの例がある。
 ---PB2Yコロナドと同規模の機体ながら、より強力なエンジンの双発を選んだのがPBMマリナーであった。搭載量・爆装量はPB2Yより若干少ないものの、速度は同等、航続距離に関してはより長くなっていた。大戦中期以降の米軍主力飛行艇として、輸送任務以外でもそれなりの活躍を見せたいたことからも本気の優秀性が窺える。
 みなさんご存じ、お家芸のチート級生産能力を発揮して、ちゃっかり1000機以上増備している点にも注目してほしい。&color(Silver){陸上機でいいんじゃなかったのかよ・・・};
 &color(Silver){米:飛行艇いらない、とは言ってねーぞ? そもそもこいつはPBYの更新用だからな。};
 ---上記のJRMマーズをしのぐ大型飛行艇として生まれたのがヒューズH-4ハーキュリーズ((機体が木製であったことからスプルース・グース(トウヒ製のガチョウ)の別名もあった))。
 20世紀を代表する億万長者で実業家のハワード・ヒューズと、「週刊軽空母」「40日で補給船1隻」と言われる脅威の建造能力を見せつけた造船界の傑物ヘンリー・カイザーがタッグを組んで生まれたこの巨大飛行艇はJRMマーズの3倍もの大きさを誇ったが、マーズでさえ持て余しているのにこれ以上の大きさの飛行艇に将来性は無く、最後はヒューズが自腹を切って意地で1機だけ完成させた(カイザーは途中で脱落)。
 1947年に初「飛行」が行われた。実は当初は滑水だけの予定だったのだが操縦桿を握ったヒューズが「人を驚かせたかった」ということで予告なしに離水・飛行させてしまったのである。ただ、飛行と言っても高度は25mほどであり、飛行距離も1マイルほどであったのだが・・・。また、この飛行時に機体の強度など様々な不具合が発生したこともあって、その後この巨大なヘラクレス(ハーキュリーズはヘラクレスの英語読み)が空を舞うことは二度と無かった。
 ちなみに、このH-4は米・オレゴン州のエバーグリーン航空博物館で保存・展示されていて、今もその巨大な雄姿を見ることが出来る。なにしろ、現在でも世界最大を誇る翼幅(スパン)は97.5mもあり、睦月型駆逐艦(全長102.7m)が翼の上にほぼ乗ってしまうくらいのデカさなのだ。
 
 --次に、英国飛行艇としては大型で哨戒用として開発されたサンダーランドが著名である。敵方からは重武装ぶりを指して「空飛ぶヤマアラシ」と呼ばれ、特にUボート乗りたちからめちゃくちゃ恐れられていた。
 ---Q.飛行艇に爆弾倉を設けたいけれど、底面に扉をつけると水密に問題が出る。あなたならどうする?
 英国紳士:主翼下のボムラックを引き込み式にすればいいんだ。主翼の下表面にガイドレールを設けて、主翼直下の胴体側面にボムベイ・ドアをつける。
 Uボートを見つけたらドアを外して、片側4つのボムをラックごとこう、ガラガラっとレールを滑らせて機外に出して、リリースする。補給の時はラックをクレーン代わりに使い、予備のボムを機内に運び入れるんだよ。
 主翼内に引き込むわけじゃないからフューエルタンクの容量も削らずに済むし、滑走中の波しぶきからボムを守れる。飛行中の再装填も可能だ。実に合理的じゃないか、クールだろう?
 ---・・・紳士のコメントはさておき。
 欧州戦線の最前方、ドイツ本土爆撃とその護衛に奔走する連合軍機のパイロットたちにとって、Uボート乗りたちの見方とは対称的に、この機体は救いの女神だった。海上への不時着機発生の報を受けたサンダーランドは一目散に飛んでいき、海面の状態が許せばそのまま着水して搭乗員たちを拾い上げ、たとえ着水できないときでも各種サバイバル用品を投下して、生き残るための行動を支援したのである。
 //---民間機仕様のサンドリンガムも生産され、タヒチあたりで60年代まで使用されていたんだ
 
 --一方のドイツ空軍は、洋上哨戒任務に陸上機Fw200を充てていた。
 旅客機を母体とした四発の哨戒爆撃機で、船団攻撃で計35万トンもの英商船を沈めた大戦初期の暴れっぷりや、哨戒機としてUボートの誘導を担ったことから「大西洋の疫病神」とまで呼ばれた・・・が、生産配備が遅々として進まず、稼働機数が揃わない。((41年夏までに引き渡されたのは30機弱とされる。元が旅客機ゆえに防御力や耐久性にも難があり、大戦中期以降は大半の機が本分とも言える輸送任務に回された。))
 ドイツ空軍の飛行艇はこのFw200を補完し、一般的な哨戒・偵察、捜索救難や輸送に加え、Uボートとの連携、索敵能力に欠ける潜水艦隊の目となることが任務のひとつだった。大戦初期は通商破壊に貢献。中期以降はCAMシップや護衛空母の投入、陸上戦闘機の航続距離延伸によって制空権が奪われゆく中、多様な任務に奔走した。
 主力となったのは中型の三発飛行艇。代表格がBV138((本機は航空用ディーゼル機関、ユンカース・ユモ205を採用していた。これは当時、重航空機用としては数少ない、実用に耐える信頼性を持ったディーゼルエンジンだった。低燃費による航続距離の延伸効果もあったが、高い技術力を持つ一方で燃料事情が良くなかったドイツの国情が見え隠れしている。))とDo24である。整備補給と運用効率化のため、これらを''運搬し、射出する能力を持つ''ブッサート級カタパルト艦も建造された。&color(Silver){中型とはいえ全備で15トン以上はあるんだぜ・・・重量制限とか無かったのか?};
 ---なおBV138の派生型BV138MS(掃海型)の存在も注目される。&color(Silver){なんだよこのUFO・・・というか、磁場の乱れを作り出して磁気感応機雷を爆破除去するって・・・え、他の航空機にもこの仕様があったの?};
 ---他、双発のDo18は開戦時には旧式化していたものの洗練された機であり、救難機として終戦まで運用された。
 --試作のみだがブローム・ウント・フォスBV238という機体が開発されていた。これがまた二式大艇と並んでバケモノ級なのである。
 ---まずは翼幅97.54m、全長66.65mというその巨体。これは二式大艇どころかあのB-29でさえも上回る。そして爆弾搭載量は驚異の5t。さらに防護機銃は13㎜4連装機銃4基、20㎜連装機関砲2基を備え、実戦投入されていたならばこれに近づいた戦闘機はおそらく一瞬にして蜂の巣にされたことだろう。&color(Silver){Gaijin社の戦争オンラインゲームWarThunderにおいても零戦のみならず多くの戦闘機がこれを迎撃しようとして蜂の巣にされたという報告が挙がっている。};
 --&color(Silver){超マイナーな存在として、たった1機の試作機ながら流麗な機体を持ち、解放後に実戦投入もされたフランス海軍のPotez-CAMS 141飛行艇があった。どうか忘れないであげてください・・・};
 #endregion
 
 #region(二式大艇・性能論争の巻)
 -何を以って高性能とするか、という点はしばしば論争の種となる。 
 --というのもこの二式大艇、航続距離と速力に関しては、当時の飛行艇としてはあまりにも規格外の存在で、同規模の陸上大型機との比較でもそれなりにタメを張れてしまうのだ。
 --一方で同世代の飛行艇には、
 ・「機体規模や搭載能力を究極的にインフレさせる」
 ・「規模を抑えることで取り回しの良い機体を目指す」
 という2つのトレンドがあり、こと前者に関しては、二式大艇を凌ぐサイズや搭載量を誇る機が、試作機・量産機を合わせていくらか存在したのである。
 --さらに開発当初の目論見が戦略級のものだったことや、比較可能な陸上大型機の母体が戦略爆撃機というケースが多いせいで、実際の二式大艇がこなした任務とは乖離した文脈で議論が展開されることも多い。
 機体自体の性能だけに着目せず、それをどれだけの数生産・配備して運用できたか、という、国力を絡めた話になることもある。
 -世界の主力飛行艇・哨戒爆撃機 簡易比較表
 |国|機名|機体分類|エンジン数|乗員数|航続距離|最大速度|全幅|重量|防御兵装|投下兵装|各タイプ合計生産数|
 |日|九七式飛行艇二二型|飛行艇|4|9|6,580km|331km/h|40.0m|自重11.7t/最大21.5t|20mm×1,7.7mm×4|爆弾2t又は魚雷2本|179機|
 |日|二式飛行艇一二型|飛行艇|4|10|8,223km|465km/h|38.0m|自重18.38t/最大32.5t|20mm×5,7.7mm×4|爆弾2t又は魚雷2本|167機|
 |米|[[PBY-5Aカタリナ>PBY-5A Catalina]]|水陸両用|2|10|4,030km|314km/h|31.7m|自重9.5t/最大16t|7.62mm×3,12.7mm×2|爆弾/対潜爆雷1.8t|3,305機|
 |米|PB2Y-5コロナド|飛行艇|4|10|1,720km|310km/h|35.05m|自重18.53t/最大30t|12.7mm×8|爆弾5.4t又は魚雷2本|217機|
 |米|PBM-1マリナー|飛行艇|2|7|4,800km|330km/h|36m|自重15.048t/最大25.425t|12.7mm×8|爆弾/対潜爆雷1.8t又は魚雷2本|1,285機|
 |英|サンダーランド Mk.Ⅲ|飛行艇|4|9~11|2,848km|336km/h|34.39m|自重15.663t/最大26.332t|7.7mm×16,12.7mm×2|不明(爆弾・対潜爆雷搭載可能、爆弾架は片側450kgまで対応、飛行中再装填可能)|777機|
 |独|Fw200C-3/U4コンドル|陸上機|4|5|3,560km|360km/h|32.85m|自重17.005t/最大24.52t|13mm×4,20mm×1|爆弾5.4t|276機|
 |独|Do24T-1|飛行艇|3|6|2,700km|340km/h|27m|自重10.6t/最大18.4t|20mm×1,7.92mm×2|なし|279機|
 |独|BV138C-1|飛行艇|3|6|4,300km|285km/h|26.94m|自重11.77t/最大17.5t|20mm×2,13mm×1|爆弾300kg又は対潜爆雷600kg|297機|
 //|独|BV222Cヴィーキング|飛行艇|6|11~14+兵員92|6,100km|390km/h|46m|自重30.65t/最大49t|20mm×3,13mm×5|なし|13機|
 //|米|PB4Y-2プライバティア(B-24発展型)|陸上機|4|11|4,232km|482km/h|33.53m|自重12.467t/最大29.5t|12.7mm×12|爆弾5.8t(魚雷・機雷搭載可能)|739機|
 //|米|JRM-3マーズ(参考用)|飛行艇|4|4+交代要員+兵員133|7,964km|356km/h|60.96m|自重34.279t/最大74.843t|なし|なし|6機|
 //|独|BV238(V1実測値とV6予定値が混在・参考用)|飛行艇|6|12|6,620km|425km/h|60.17m|自重54.78t/最大100t|20mm×2,13mm×20|爆弾9t(魚雷・空対艦ミサイル・誘導爆弾搭載可能)|1機|
 //|米|B-29(参考用)|陸上機|4|11|5,230km|574km/h|43.06m|自重33.8t/最大60.56t|20mm×1,12.7mm×12|爆弾9t|3,970機|
 
 //↑主なデータはWikipediaより。
 //日本語版と英文版で数値が異なる場合は英文版を優先して記載していますが、
 //二式大艇一二型の航続距離に関してはどちらを採用するか迷ったため、最初の表のとおり8,223kmとしています。
 第二次大戦中に実戦投入されたものから抜粋。
 最大速度は飛行高度や大気条件などによって、また航続距離は巡航速度・高度や燃料と搭載物の重量比などによって大きく変動するため、諸条件が画一化されていないこの表では、厳密な比較はできないことに注意。
 --例えば爆装量に着目すると、二式の最大2トンに対し、ほぼ同じサイズのPB2Yは最大5トン以上、B-24系は3~6トンほど、ずっと小さい双発のPBYでも1.8トンの爆弾を搭載可能。
 この数値に各飛行艇の設計思想の違いや、戦略爆撃機を母体として生まれた米陸上哨戒機との差が表れているわけである。((投下物をすべて外装する二式に対し、PB2Yは主翼内に、PBMはエンジンナセル下に、サンダーランドは胴体側面に爆弾倉を設けていた。B-24系に関しては言わずもがな、であろう。))
 --ことさら巨大さが強調されがちな二式大艇であり、実際に大きな機種なのだが、それでも飛行艇というカテゴリの中では、いたずらに肥大化することを避けるトレンドに近い設計がなされていたと言える。
 さらに飛行には不要な要素を限界まで削ぎ落とすことで、陸上機とも比較できる性能を実現した点に、この機種の独自性があった。
 //↑陸上機との比較を歌うのであればプライバティアより元から陸上哨戒機として開発運用された機体を入れたほうが好ましいと思います。
 その重厚な印象とは裏腹に、必要にして十分な程度の装備を抱えて溢れんばかりのスタミナと俊足を武器に空を駆ける、軽騎兵のような存在だった。
 あえて「世界一」という表現を用いるならば、「世界で一番の性能を持っていた飛行艇」というよりは、「世界で唯一つの性格を持っていた飛行艇」という解釈が正しいのかもしれない。 
 ---・・・そのような見解を差し置いても、先達が苦労を重ねて獲得した平和な時代なのだ。ここは穏便に、誤解の除去と認識の協和に努めるべきだろう。
 少なくとも怪しい雲行きを感じたならば、素早く退避して様子を見るのが一番である。そう、二式大艇の快速のように。
 &color(Silver){その例えだと、むしろ積極的に殴り合いに参戦するんじゃないか、って? 細かいことを気にしてはいけないのです!};
 #endregion
 
 #region(後継機と戦後の飛行艇たち)
 // ↓先代機の説明は上部に移動しました。
 // #region(先代機と後継機について)
 -図鑑にある「後継」とは海上自衛隊の運用する救難飛行艇「US-1」と「US-2」のこと。((直系の後継はUS-1ではなく、1967年に試作機PS-Xが初飛行した対潜哨戒飛行艇PS-1。))
 --これらは元・川西航空機である新明和工業が製造している。
 --ちなみにこの後継機たちもある種の怪物である。
 ---二式大艇の開発で培われた基礎設計のノウハウに、戦後研究された短距離離着水を可能とする新技術を融合。
 こうして開発された対潜哨戒飛行艇PS-1をベースに、水陸両用化や各種装備の改良をおこなった結果、離島の小さな飛行場や荒波の外洋でも運用可能((波高3mの条件下で離着水が可能である。))な、世界的にも稀な能力を持つ新たなバケモノが誕生した。
 「お前の飛び方はおかしい」と評される超低速飛行や、もはや冗談の域の短距離離着水の模様は必見である。
 [[「お前の飛び方はおかしい」と評される超低速飛行や、もはや冗談の域の短距離離着水の模様は必見である。>https://www.youtube.com/watch?v=8p8xcyaCf1o]]
 ---ただし、原型機となるPS-1は別の意味でも怪物であった。((PS-1は就役時から対潜哨戒能力がP-3C等最新の対潜哨戒機より劣り、また飛行性能も安定せずトラブル続きで事故が多かった(事故6件犠牲者約30名)ため早期に調達が打ち切られた。このPS-1の降着装置を強化して水陸両用化(PS-1は離着水能力のみしか持たず、滑走路への離着陸が出来なかった)すると共に、対潜哨戒機器の代りに救難機器を積んで多用途化し、その他多数の改良を行ったのが現在も運用される救難飛行艇US-1である。))世の未亡人製造機を僭称する機体達はPS-1様にひれ伏すべき。
 ---その一方で、PS-1は運用期間中に関係者の不断の努力によって改修に改修が重ねられ、常に信頼性の向上が図られていた。PS-1が最終的に優秀な飛行艇となったために、US-1へと日本飛行艇のバトンが繋がった。
 --奇しくも二式大艇が艦これに実装された2015年4月28日に、US-2は離着水訓練中に離水失敗で水没という事故を起こしてしまった。事故原因はマニュアルの不備。&color(Silver){あなたもマニュアルですか…};
 
 -「飛行艇を戦略攻撃機として使おう」という運用思想的な後継としては、米海軍の核爆弾搭載ジェット飛行艇、P6Mシーマスターが存在する。量産体制も整っていたが量産3機で計画中止。
 --実用上昇限度12,000m、最高速度1,010 km/h・マッハ0.9という高速を誇る。これを支えた細い艇体は1943年から50年台にかけてNACA((米航空諮問委員会。後のNASAである。%%那珂ちゃんとは関係ないよー!%%))で行われた膨大な研究の成果である。
 だが、大型艦上攻撃機と弾道ミサイル搭載原子力潜水艦が実用化されたことで、核運搬に運用が面倒くさい飛行艇を使う必要が無くなってしまった。
 
 -戦後生まれの飛行艇のうち、上記のP6Mを含め巡航速度や航続距離を重視して開発された機種には、
 「空力的に優れた細身の艇体を採用し、副作用として生じる水上特性の悪化は艇体設計の工夫でなんとかする」
 という設計上の傾向があった。これは二式大艇の設計思想そのものだった。
 --これに当てはまらない機種でも、特に荒天下での運用を意図して開発されたタイプには、離着水時の波浪対策を艇体に盛り込むことが一般的になった。
 それまでの水上機・飛行艇は、カタパルトによる発進を除けば、波の少ない海域や閉水域からの運用が前提で、救難に用いる場合でも海面が荒れていると着水できないケースがざらにあった。
 また二式大艇が持つカツオブシも、主に自身が立てる波を抑えることが目的の装備で、外部の波浪に対する効果は副次的なものだった。
 「実用的な救難用飛行艇」というジャンルは意外と新しく、その先触れとなったのがHU-16アルバトロス水陸両用艇((US-1の導入までは海上自衛隊でも救難任務に就いていた。PS-1の開発にあたり、製造元のグラマン社から1機が研究用として新明和工業に提供され、技術試験機UF-XSへと大改造を受けデータ収集に活躍した。この背景にはグラマン社やマーチン社からの(多分に打算的な)要請もあったようで、得られたデータへは複数国の企業が照会、果ては機体そのものの商談まで舞い込んだ。・・・ひょっとするとPS-1の直接的な母体はむしろUF-XSのほうで、二式大艇は祖母のような存在なのかも?))であり、究極的な姿がUS-2である。
 --これら新鋭の飛行艇たちと二式大艇との直接的な関連を証明する資料は、新明和工業製の機体群を除いて、無い。((二式大艇の設計主務で、戦後も新明和工業に所属した菊原静男技師がおこなった模型実験の結果を、米企業側が参照する機会はあったようだ。自社の機体を新技術のテストベッドとして改造するよう要請するあたり、技術単位では熱烈な関心を持っていたと見て間違いない。))
 が、戦後の飛行テスト結果への反応を見るに、これら―特にアメリカ開発―の飛行艇群に二式大艇の影響が皆無であると断ずるのも、また早計であろう。
 結果的に二式大艇の設計思想が、時流の一歩先を走っていたことは事実である。
 &color(Silver){上の折り畳みの中に書いてある飛行艇の2つのトレンドのうち、巨大化・大ペイロード化という方向性が、戦後の陸上機の性能向上、特にエンジンと高揚力装置の目覚ましい進化と、さらに大規模な陸上インフラの整備を可能にした土木技術の向上に負けて、消滅しちゃったという事情もあるのよね・・・カスピ海の怪物、もとい表面効果機も主流にはならなかったし・・・};
 -その一方で、旧式飛行艇の改造機や、カナダの地でライセンス生産されたPBYカタリナ、およびそれを昇華・発展させたCL-215水陸両用艇が「消防用飛行艇」という分野を開拓した。
 「ジェット化による陸上機並みの速力・高高度性能の追及」というアイデアは、P6Mの例のとおり西側では放棄されたが、東側で温められ、A-40アリバトロース水陸両用哨戒艇として結実した。
 現在もそれぞれの発展型、CL-415とBe-200が販売されているが、二式大艇の系譜から外れるため、詳しい話は割愛する。
 #endregion
 
 -二式大艇に限らず、飛行艇は海水面から離着水した場合、海水の成分によって機体が腐食するため、陸に上がったら直ちに機体全体を真水で洗浄しなければならない。((これは飛行艇だけではなく、哨戒機や水上偵察機・水上戦闘機など、海面スレスレを飛ぶ全ての航空機に必要な作業である。))そのため、飛行艇を運用している基地には、機体を高圧の水で洗浄する設備が必ず備え付けられている。海上自衛隊や海上保安庁の航空基地にはこの洗浄設備があり、何本もの高圧洗浄水が吹き上がって飛行艇を洗浄していく光景は、基地祭の名物の一つとなっている。&color(Silver){%%ケルヒャーなんか目じゃないぜ%%};
 -二式大艇に限らず、飛行艇は海水面から離着水した場合、海水の成分によって機体が腐食するため、陸に上がったら直ちに[[機体全体を真水で洗浄しなければならない。>https://www.youtube.com/watch?v=ybaB0AgelEc]]((これは飛行艇だけではなく、哨戒機や水上偵察機・水上戦闘機など、海面スレスレを飛ぶ全ての航空機に必要な作業である。))そのため、飛行艇を運用している基地には、機体を高圧の水で洗浄する設備が必ず備え付けられている。海上自衛隊や海上保安庁の航空基地にはこの洗浄設備があり、何本もの高圧洗浄水が吹き上がって飛行艇を洗浄していく光景は、基地祭の名物の一つとなっている。&color(Silver){%%ケルヒャーなんか目じゃないぜ%%};
 
 -ネット関連では一発変換ででよく出てくる「錦大帝」という名前が妙にマッチしていて、隠れたあだ名になっている
 -二式大艇の飛行シーンなどを捉えた当時の[[ニュース映画>https://www.youtube.com/watch?v=B1s6QoklgGc]](youtube)
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