名取 の変更点

|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.044|
|&nobr{&attachref(./044_2nd.jpg,nolink,ふえぇ? 燃えてる? 助けて~);};|>|名取(なとり)|>|長良型 3番艦 軽巡洋艦|
|&attachref(./044_2nd.jpg,nolink,ふえぇ? 燃えてる? 助けて~);|>|名取(なとり)|>|長良型 3番艦 軽巡洋艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|26|~火力|14 / 39|
|~|~装甲|10 / 29|~雷装|24 / 79|
|~|~回避|37 / 69|~対空|13 / 49|
|~|~搭載|2|~対潜|20 / 59|
|~|~速力|高速|~索敵|8 / 39|
|~|~射程|中|~運|10 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|25|~弾薬|25|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|1|>|>|[[14cm単装砲]]|
|~|1|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''名取'' → [[名取改]](Lv20)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:長良型3番艦の名取です。&br;ちょっと古いモデルっていわれるけれど、高速軽巡洋艦として使い方はあるはず…&br;そ、そう、水雷戦隊には、ぜひ配属してくださいね。&br;が、頑張りますから!|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:井口裕香、イラストレーター:くーろくろ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
|セリフ|CV:井口裕香、イラストレーター:くーろくろ|
|入手/ログイン|名取といいます。ご迷惑をおかけしないように、が、頑張ります。|
|母港/詳細閲覧|はっ!?な、何でしょうか…|
|~|こ、これは…気合を入れろっていうことですよね。頑張ります!提督さん!|
|~|!?命令ですか?|
|母港/詳細閲覧【新春ボイス2017】|提督さん、新年、明けましておめでとうございます。ほ、本年も、艦隊を……どうぞ、よろしくお願い申し上げます。|
|母港/詳細閲覧【節分】|豆撒きですね。五水戦の鬼役は……っ、ふぁっ! あ、私? あ、やだっ、いたっ、痛い! 痛いからぁ。や、やめてぇ! ふぇぇ、たすけてぇ~!!|
|母港/詳細閲覧【バレンタイン2017】|あ、あの……あの……提督さん、こちらを! あの、私作ってみたので……あの……。|
|母港/詳細閲覧【ホワイトデー2017】|て、提督さん? これは……あの……チョコレートのお返し、わぁ~! あの、ありがとうございます! た、大切に……いただきます!|
|母港/詳細閲覧【4周年】|艦隊は、4周年を迎えました。提督……さん、いつも、本当にありがとうございます。私……がんばります! はい!|
|母港/詳細閲覧【5周年】|艦隊は……艦隊は、5周年を迎えました。提督さん、いつも、本当にありがとうございます。私……これからも、がんばります! はい!|
|母港/詳細閲覧【周年記念】|提督さん、いつもお疲れさまです。今日は私達、艦隊にとって特別な日。ご一緒できて、私、しあわ……光栄です!|
|母港/詳細閲覧【Xmas2016】|ほんとにケーキ、美味しい。あ、五十鈴姉。これ、食べてみた? って、ああ…結構食べてるのね。え、ふぇぇ?! 大丈夫?|
|ケッコンカッコカリ(反転)|&color(#F0F8FF){提督さんも、本当は戦いが好きじゃないんですね、安心しました。提督…いえ…ぁ、あなたのために…もっと、がんばります。};|
|ケッコン後母港(反転)|&color(#F0F8FF){!!やりました!では、私はこれで…};|
|編成|私に呼び出しがかかるなんて…え?出撃!?|
|出撃|私に呼び出しがかかるなんて…え?出撃!?|
|~|水雷戦隊のみなさん、しゅ、出撃です!|
|遠征選択時|!!やりました!では、私はこれで…|
|アイテム発見|!!やりました!では、私はこれで…|
|開戦|て、敵艦見ゆ!…って、ほんとに実戦!?|
|航空戦開始時||
|夜戦開始|や、夜戦だけは…得意なんです、私!|
|攻撃|あたってくださ~い! |
|~|て、敵艦見ゆ!…って、ほんとに実戦!?|
|~|砲雷撃戦…大丈夫、訓練はしてるし…|
|小破|ふわぁっ!やだぁ…|
|~|ふえぇ? 燃えてる? 助けて~|
|中破/大破|みんな、どこ行ったの…?ふえぇ~……。|
|勝利MVP|え!?一番頑張ったのが私ですか?褒めてもらってもいいの?…あ、ありがとう…|
|帰投|作戦終了した艦隊が帰投しました。じゃあ、私はこれで…|
|補給|あ、あの…。ありがとうございます。|
|改装/改修/改造|あ、あの…。ありがとうございます。|
|~|近代化改修…。す、すみません。古くって…|
|~|!!やりました!では、私はこれで…|
|入渠(小破以下)|少し、直してきますね。|
|入渠(中破以上)|たくさん、直してきますね。|
|建造完了|新しい仲間が…。それでは私はこれで…|
|戦績表示|提督に、ご連絡です。|
|轟沈(反転)|&color(#F0F8FF){私もたくさん沈めちゃったから…これは…仕方ないこと……よね…};|
|時報||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|~||
|放置時||
}}

* ゲームにおいて [#i6376230]
- 軽巡洋艦はいくつかの艦の能力が突出している。この艦は火力、雷装の最大値が他より10高く、攻撃面で優秀である。
他には[[長良]]、[[球磨]]が全体的に、[[川内]]が防御面で優秀。

&br;
-2015年9月7日のアップデートから期間限定で、浴衣姿の母港グラフィックが公開された。
これまでの他艦の限定グラフィックと同様に、浴衣姿のグラフィックも立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
--金魚と一緒におかしなものも捕まえた模様。
--艤装も通常絵とは異なり、魚雷発射管が旧式の八年式連装発射管に変更。
また中破絵では、右手に所持した艤装が艦橋前艦載機滑走台を模したものに替わり、この当時搭載されていた「一〇式艦上戦闘機」と思われる複葉機も確認できる。
---これは1930年頃の、近代化改装前の仕様となっている。
名取を含む5,500t型は、立体・イラスト問わず開戦時以降の仕様で描かれる場合が比較的多い。
その為、この仕様はあまり見られない珍しいものであったりする。
-
#fold(限定イラスト:秋季限定Ver.){{
&attachref(./044_Autumn.jpg,nolink,);
}}
* 小ネタ [#sf1ba136]
#fold(略歴){{
|CENTER:BGCOLOR(#ff0000):COLOR(#ffffff):40|CENTER:BGCOLOR(#ff9999):40|BGCOLOR(#ff9999):600|c
|1920|12.14|三菱造船長崎造船所において起工|
|1922|2.16|進水|
|~|9.15|竣工|
|~|12.1|第2艦隊第5戦隊所属|
|1927|12.1|第2艦隊第2水雷戦隊の旗艦となる|
|1933|5.20|第1艦隊第7戦隊に転籍|
|1936|12.1|第1艦隊第8戦隊に転籍|
|1938|12.15|第5艦隊第9戦隊に転籍|
|1939|9.25|予備艦となり、舞鶴で改修を受ける|
|1940|11.15|第2遣支艦隊第5水雷戦隊の旗艦となる|
|1941|4.10|第5水雷戦隊ごと第3艦隊に移籍|
|~|7.28|南部仏印進駐作戦に参加|
|~|12.8|太平洋作戦に参加|
|~|12.10|フィリピン諸島アパリでB-17に襲撃され損傷。死傷者22名|
|~|12.22|リンガエン湾上陸作戦に従事|
|1942|3.1|スンダ海峡海戦(バタビア沖海戦)。米軍重巡洋艦1隻((ヒューストン(USS Houston、CA-30)))を撃沈|
|~|3.10|第2南遣艦隊第16戦隊の旗艦となり、東インド方面の警戒任務に従事|
|1943|1.|~|
|~|1.9|米軍潜水艦((トートグ(USS Tautog、SS-199)))に雷撃され艦尾切断、死傷19名|
|>|>|CENTER:BGCOLOR(#ff0000):COLOR(#ffffff):シンガポールで応急処置後舞鶴へ帰投、1944年4月まで修理・改造を行った|
|1944|5.15|第3水雷戦隊に編入|
|~|6.19|マリアナ沖海戦に参加|
|~|8.18|米軍潜水艦((ハードヘッド(USS Hardhead、SS-365)。))に雷撃され戦没。艦長以下550名戦死、183名の生存者は短艇で脱出|
|~|10.10|除籍|
}}
#fold(艦長){{
|CENTER:BGCOLOR(#ff0000):COLOR(#ffffff):55|BGCOLOR(#ff9999):150|BGCOLOR(#ff9999):270|c
|艤装員長|副島慶親 大佐|1922年2月16日~1922年9月15日|
|第1代|~|1922年9月15日~1922年12月1日|
|第2代|森田登 大佐|1922年12月1日~1923年11月20日|
|第3代|小倉泰造 大佐|1923年11月20日~1924年12月1日|
|第4代|井上四郎 大佐|1924年12月1日~1925年11月20日|
|第5代|加島次太郎 大佐|1925年11月20日~1926年5月20日|
|第6代|水城圭次 大佐|1926年5月20日~1926年11月1日|
|第7代|市来崎慶一 大佐((常磐(機雷敷設艦)艦長を兼任))|1926年11月1日~1926年12月1日|
|第8代|松本忠左 大佐|1926年12月1日~1927年8月20日|
|第9代|津田威彦 大佐|1927年8月20日~1927年11月15日|
|第10代|有地十五郎 大佐|1927年11月15日~1928年8月1日|
|第11代|日暮豊年 大佐|1928年8月1日~1928年12月10日|
|第12代|佐田健一 大佐|1928年12月10日~1929年11月30日|
|第13代|小山与四郎 大佐|1929年11月30日~1930年12月1日|
|第14代|三木太市 大佐|1930年12月1日~1931年4月5日|
|第15代|星野倉吉 大佐|1931年4月5日~1931年12月1日|
|第16代|坂部省三 大佐|1931年12月1日~1932年6月10日|
|第17代|後藤輝道 大佐(([[川内]]艦長兼任))|1932年6月10日~1932年12月1日|
|第18代|松木益吉 大佐|1932年12月1日~1933年11月15日|
|第19代|松浦永次郎 大佐|1933年11月15日~1934年11月15日|
|第20代|岸福治 大佐|1934年11月15日~1935年11月15日|
|第21代|岡村政夫 大佐|1935年11月15日~1936年12月1日|
|第22代|中原義正 大佐|1936年12月1日~1937年11月10日|
|第23代|中尾八郎 大佐|1937年11月10日~1938年12月5日|
|第24代|有賀武夫 大佐|1938年12月5日~1939年11月15日|
|第25代|松原寛三 大佐|1939年11月15日~1940年11月15日|
|第26代|山澄貞次郎 大佐|1940年11月15日~1941年7月28日|
|第27代|佐々木静吾 大佐|1941年7月28日~1942年7月1日|
|第28代|猪口敏平 大佐|1942年7月1日~1943年1月20日|
|第29代|植田弘之介 大佐|1943年1月20日~1943年7月20日|
|第30代|平井泰次 大佐((舞鶴港務部長兼任))|1943年7月20日~1944年3月18日|
|第31代|久保田智 大佐→(&color(Red){少将};)|1944年3月18日~1944年8月18日戦死|
}}
-艦名は宮城県の名取川から。[[北上]]川と[[阿武隈]]川の間を流域とし、3つの川は河口付近で日本最長の運河で結ばれている。
--2011年3月11日の東日本大震災において、仙台空港を飛び立ったNHK報道ヘリ((津波到達直前の仙台空港から離陸に成功した数少ないヘリの1機。ほかに海保仙台基地のヘリ2機と給油のため着陸していた毎日新聞報道ヘリ1機が離陸に成功している。))が撮影した名取川河口付近、左岸の仙台市若林区藤塚および右岸の名取市閖上~仙台東部道路名取インター付近が津波で壊滅するライブ映像が有名。
--なぜか御当地の筈の宮城県仙台の某ヲタショップでは、宮城由来の彼女ではなく、(「せんだい」つながりで)鹿児島由来の[[彼女>川内]]がイメージキャラ扱いされていた。
--艦内神社の分祀元は宮城県仙台の青葉神社(Not[[ワレアオバ>青葉]])。あの「独眼竜」伊達政宗を祭神とする神社である。
[[この>天龍]][[二人>木曾]]の様な眼帯中二病キャラの方がしっくり来たかも………??
--海軍・海自では他にこの艦名は使われていないが、海保では2度使われている。
1度目はまつうら型巡視船4番船(PS63、1966年就役、1995年退役)。
2度目はびほろ型巡視船16番船(PM88、1977年就役)「くろべ」が2006年に福島海上保安部に配属される際に「なとり」に改名した。こちらは2008年に「あぶくま」と交替で退役している。
-実は就役翌年の大正12年3月12日、まだ新造間もない頃、トラック島からサイパン島へ航行中に缶が蒸気漏れを起こし、その修理中に蒸気管のバルブが突然破裂。
高温高圧の蒸気が噴き出し、修理にあたっていた機関中尉以下10名全員が全身熱傷で殉職するという大事故を起こしている。
--第四号缶が蒸気漏洩を起こし、その修理中に青銅製の補助バルブが突然爆発、一瞬にして高温蒸気が充満したのだった。修理にあたっていた10名の逃げる間もなかったという。
そのなか、汽醸下士官の大熊一兵曹は重度の全身熱傷を負いながらもとっさに上甲板に飛び出して重油の緊急停止バルブを締め、さらに再び事故現場に戻ろうとして力尽きた。
大熊兵曹は救助されたものの、治療の甲斐なく命を落とした。しかし、この的確な処置により缶の緊急消火がなされ、被害拡大が防がれたのだった。
--現場担当者全員が殉職したため原因は不明なものの、軍艦機関部の青銅バルブはより頑丈な鋳鋼製のものへと一斉交換された。その後、同種の事故が発生することはなかった。
--この事故の慰霊碑として、佐世保海軍墓地に「軍艦名取殉難諸士之碑」が建立されている。事故から100年近くが経つ今でも香華が絶えないという。
-前述の事故は機関主要機械部ではなかったこともあり、修理後は何事もなく元どおりの快速軽巡洋艦へと復帰を果たした。
昭和2年には最新鋭・最高練度艦の証でもある第二水雷戦隊旗艦に抜擢されている。
--なお、まるでぼっち艦のようなことを言ってるが、その後第二水雷戦隊を離れてから予備艦となっていたせいかも。
[[長良]]なら髀肉がついてしまったと嘆いただろうが。
-史実では戦争前に第五水雷戦隊に配属され、仏印進駐から姉妹と共に活躍していたりする。
--五水戦時代の部下は第五駆逐隊の[[朝風]]、[[春風]]、[[松風]]、[[旗風]]と第二十二駆逐隊の[[皐月]]、[[水無月]]、[[文月]]、[[長月]]
-艦尾の飛行機作業台が他の姉妹と違ってなぜか反対になっている。
-クリスマス島攻略作戦で姉の[[長良]]と共に(第十六戦隊、司令官原顕三郎少将)攻略主隊を率いた。この時警戒隊の旗艦であった[[艦隊のアイドル>那珂]]が[[アンチ>敵艦船]]に狙われて大けがを負ってしまい、彼女をジャワ島まで曳航した。
-第二水雷戦隊旗艦時代の二水戦司令官は館明次郎少将。後に''帝国海軍水雷術史''を編纂する程の水雷戦の権威であった。
--ちなみに、彼女が旗艦のときに睦月型全12隻が二水戦に所属している。睦月型勢ぞろいの二水戦は後にも先にもこの時だけである。
-艦長には後の戦艦「[[武蔵]]」艦長猪口敏平がいる。だが「奇人」有地十五郎 、「南洋王」中原義正なども…個性的すぎ。
-更に水上偵察機搭乗員には後に夜襲特化の航空部隊「芙蓉部隊」の指揮官となる美濃部正も乗艦していた。
艦長の命令により、[[零式水上偵察機]]で仏印駐留の仏軍基地航空兵力を侵入調査していた。
彼女の「や、夜戦だけは…得意なんです、私!」というのはある意味、今後の彼女の活躍を示唆しているのかもしれない。
-数多くの輸送船、陸軍船を沈め、米軍潜水艦の敵艦撃沈数ランキングで第1位(撃沈トン数ランキングでは4位)の座を受けた「トートグ」に襲われ艦尾を失うも、14cm砲でトートグの潜望鏡を破壊し撃退。後日また襲われるも、再び14cm砲で海面を撃ちまくって追い返した。
潜水艦相手にわりと敢闘しているのである。
--ちなみにこのとき襲われた[[損傷の修理時の写真が残っている>http://www7b.biglobe.ne.jp/momo120/gallery/350abukuma/350abukuma_1.html]]。
--しかし、この損傷の修理を行った際に、それまでの乗員は総員転勤。全員新しい乗員に入れ替わった。
そのため練度の大幅低下に加え、長年勤務し名取の表も裏も知り尽くした古参下士官兵もいなくなってしまい、爾後の練度向上にも大きな障害となった。
修理完成後の訓練も3ヶ月を必要とするのに上層部命令で1ヶ月で切り上げたため、損傷修理後の名取の練度はガタ落ちのありさまだったという。
-1944年8月18日、米潜水艦ハードヘッド(Hardhead,SS-365)の雷撃を受け被雷。
この時も、損傷直後にかかわらず発見潜望鏡に対し高角砲と機銃を即座に連射、それ以上の攻撃を断念させるなど、なかなかの武闘派ぶりを見せている。
しかし被雷直後はまだ後進6ノットで航行が可能だったが、浸水は徐々に増大。ついに機関も停止するに及んで総員離艦が命ぜられた。
乗員たちは軍艦名取万歳と天皇陛下万歳を三唱し脱出。7時05分、名取は艦首から逆立ちするかのように沈んでいった。
[[長良]]が8月7日に戦没してからわずか11日。まるでその後を追うかのごとく、そして姉の最期と同じく敵潜水艦へ砲戦を挑むという奮戦の末に海底へと姿を消したのだった。
--艦長久保田智大佐以下550名が戦死。艦長は純白の第二種軍装と軍刀に威儀を正し、艦長休憩室に鍵をかけ従容として運命をともにした。
---副長や軍医長らは内火艇で脱出したのだが、沈みつつある名取へ風波に押し流され接近。
不運にも艦尾のスクリューに艇を引っ掛けられ沈んでしまった。同内火艇に乗っていた人たちは誰も浮かんでこなかったという。
--183名の生存者は3隻のカッターに乗り込み、13日間300海里を漕ぎ続け生還した。
この模様については松永市郎大尉が戦後、『先任将校 軍艦名取短艇隊帰投せり』という著書を書いている。
---その中のある士官は[[五十鈴]]と[[足柄]]にも乗り込むが撃沈され漂流、しかし鮫の出る海域を泳ぎ切って生還。
戦後は警察幹部や会社社長にまでなるが…彼女達はこの士官に運を吸い取られていたのではないのだろうか
---また、松永大尉の著書によって名取短艇隊の奮闘と奇跡の生還劇はアメリカにも伝わり、巡り巡って潜水艦ハードヘッドの元艦長の知るところとなった。
これをきっかけにハードヘッド元艦長と松永氏は文通する仲となり、その交流から『米潜水艦ハードヘッドvs軍艦名取短艇隊』『次席将校―「先任将校」アメリカを行く』の2冊が出版されている。
名取もまた、戦没後に不思議な縁を紡いだ艦だった。
--名取沈没直後の1944年8月20日、第三水雷戦隊を対潜掃討部隊に改編した第三十一戦隊が編制された。
三水戦所属の名取が第三十一戦隊旗艦に就任する予定だったのだが、名取が沈没してしまったために五十鈴が代わりに旗艦を務めることになった。
-立ち絵が%%筋肉モリモリマッチョマンの変態である%%元コマンドー部隊所属の彼に似てるのは恐らくたまたま。&color(Silver){名取クス};
-アメリカの報道の中でのみ語られた日本艦「戦艦ヒラヌマ(Hiranuma)」。この名の艦は帝国海軍には存在せず、名取への攻撃の誤認が独り歩きした結果ではないかと言われている。
--1941年12月のフィリピン攻略作戦の時、「B-17爆撃機隊の攻撃で戦艦ヒラヌマ炎上】と報道された。大々的に報道されたものではなかったが、誤報と確認された後も新聞などで戦艦ヒラヌマの名は存在しつづけた。
---同年12月10日にコリン・ケリーJr.大尉が機長を務めるB-17がフィリピンのアパリ沖に停泊中だった日本艦船の攻撃。名取に対して至近弾を与えた((この至近弾で名取乗員24名が死傷。))が、その復路に日本海軍の戦闘機隊に捕捉され、撃墜。機体からの脱出に失敗したケリー大尉は戦死してしまった。
---ところがケリー機の生還したクルーは名取を「戦艦」、至近弾を受けたのを「撃沈」と誤認しており、この報告が記録されてしまう。
更に幕僚がクルーの証言から撃沈した戦艦を[[榛名]]((ちなみに本物の榛名はこの日遠く離れたマレー沖にいた。))と認定。「ケリー大尉は榛名撃沈後、無念の戦死を遂げた」という誤った事実がフィリピンの米軍名義で本国へと渡ってしまったのであった。
---更に情報が軍からメディアに渡った際に伝言ゲームが発生して、幾つかの新聞が「榛名」ではなく軍の報告にすら存在しない「ヒラヌマ」という架空の戦艦を撃沈したとの報道を行う。
ケリー大尉の死も「機体を戦艦榛名の煙突に体当りさせて、これを撃沈した」などと、事実と大きく食い違った美談に改変され、世に広められてしまったのである。
ヒラヌマ誤報は当初から一部の大新聞が誤報ではないかと疑い、その後すぐにフェードアウトしたが、一方でケリー大尉の美談はアメリカ版「肉弾三勇士」とも言えるほど語り継がれ、方方に影響を与えた。
--一説によると、「空の要塞」と呼ばれたB-17の初の撃墜による士気の低下を恐れた米軍が、コリン大尉搭乗機の戦果を「戦艦[[榛名]]へ体当たりし撃沈」と(宣伝目的として)脚色された報道をし、またB-17爆撃機隊の戦果として名取(と思われる艦艇。姉妹艦の[[長良]]とも言われている)への至近弾を「戦艦ヒラヌマを撃沈」と報道することで士気の低下、国民の不安を拭い去ったと言われている。((日本海軍の撃墜王といわれた坂井三郎氏の説から。アメリカの報道とは多少異なる部分もある。))
--また最期のときも、潜水艦バードヘッドから戦艦クラスと誤認されていたりもする。
仕留めた相手をより大きく、より格上に感じてしまうのは戦場の常ではあるが、それにしても長良型は三本煙突のわかりやすいシルエットのはずである。
何か戦艦のようなオーラでも放ってたんだろうか。&color(Silver){たしかに胸部装甲は戦艦並みだが。};
-彼女が入渠中の時間つぶしには[[Google:山形新聞 軽巡名取 深水黎一郎]]をググって画像検索をお勧めする。&color(Silver){コラムは2つあり。};
**参考資料・書籍 [#od08d007]
-'''先任将校―軍艦名取短艇隊帰投せり''' 松永市郎 光人社NF文庫
*この艦娘についてのコメント [#f9df2551]
#fold(過去ログ){{
#ls
}}
#pcomment(./コメント2,reply,15)