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長門 の変更点


 |CENTER:218|CENTER:90|CENTER:90|CENTER:90|CENTER:90|c
 |>|>|>|>|~No.001|
 |&attachref(./001_2nd.jpg,nolink,私が、戦艦長門だ。よろしく頼むぞ。敵戦艦との殴り合いなら任せておけ。);|>|長門(ながと)|>|長門型 1番艦 戦艦|
 |~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
 |~|~耐久|80|~火力|82 / 99|
 |~|~装甲|75 / 89|~雷装|0|
 |~|~回避|24 / 49|~対空|31 / 89|
 |~|~搭載|12 |~対潜|0|
 |~|~速力|低速|~索敵|12 / 39|
 |~|~射程|長|~運|20 / 79|
 |~|>|>|>|~最大消費量|
 |~|~燃料|100|~弾薬|130|
 |~|~搭載|>|>|~装備|
 |~|3|>|>|[[41cm連装砲]]|
 |~|3|>|>|[[14cm単装砲]]|
 |~|3|>|>|[[零式水上偵察機]]|
 |~|3|>|>|未装備|
 |>|>|>|>|~改造チャート|
 |>|>|>|>|''長門'' → [[長門改]](Lv30) → [[長門改二]](Lv88+[[改装設計図>改造]]) |
 |>|>|>|>|~図鑑説明|
 |>|>|>|>|LEFT:八八艦隊計画の第一号艦として生まれた、長門型戦艦のネームシップ、長門だ。&br;大和型が就役するまで、連合艦隊旗艦も務めていたさ。&br;世界のビッグ7と云われてもいたな。|
 ※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
 
 #region(CV:佐倉綾音、イラストレーター:しずまよしのり (クリックするとセリフ一覧が開きます))
 |セリフ|CV:佐倉綾音、イラストレーター:しずまよしのり|
 |入手/ログイン|私が、戦艦長門だ。よろしく頼むぞ。敵戦艦との殴り合いなら任せておけ。|
 |母港/詳細閲覧|なんだ?|
 |~|私の顔に何かついているのか?|
 |~|あまり艤装には触らないでもらいたいものだな……。|
 |母港/詳細閲覧【Xmas】|これが、クリスマスか。ふうん……そうか。|
 |~|提督、いつもお疲れ様だな。今日くらいは一緒に飲もう。|
 |母港/詳細閲覧&br;【2014年始】|二〇一四年か、胸が熱いな。|
 |~|謹賀新年か、胸が熱いな。|
 |母港/詳細閲覧(五周年)|なんだと!? もう艦隊は五周年だというのか!? そうか……胸が、熱いな。ありがとう。|
 |母港/詳細閲覧(梅雨)|陸奥……なんだ、傘か? ……ああ、有り難い。梅雨の雨か……ま、たまにはこんな落ち着いた日も、悪くはないな……|
 |母港/詳細閲覧【2015夏】|よし、夏だな…艦隊、水着で浜辺に集合だ!演習、びぃちばれぇというのをやるぞ!チーム分けはこの長門が考えておいた!|
 |母港/詳細閲覧【秋刀魚】|ふ、秋刀魚漁か。任せておけ。なぜか漁業支援には身体が動くんだ。うん、この長門の力、見せてやるぞ!|
 |母港/詳細閲覧(2015年末年始)|もう師走か、1年はあっという間だな…ん、なんだ陸奥?え、大掃除?私もやるのか?ああ仕方ないな、どれ、雑巾がけだ!|
 |母港/詳細閲覧(節分)|節分、か。鬼役を買って出てもいいが……いや、これは角ではないぞ! ……たっ、くっ、こら、もう投げてる駆逐艦が……仕方ないな……がおー!|
 |ケッコンカッコカリ(反転)|&color(#F0F8FF){なんだろう? 記憶の彼方にある、あの光景は? 敵味方の艦たち、そしてあの巨大な光…。疲れているのか…な、提督。};|
 |ケッコン後母港(反転)|&color(#F0F8FF){大丈夫……私はあなたと共にある。};|
 |編成|戦艦長門、出撃する!|
 |出撃|第一戦隊、出撃するぞ!|
 |~|戦艦長門、出撃する!|
 |遠征選択時|いいだろう。|
 |アイテム発見|いいだろう。|
 |開戦|ビッグ7の力、侮るなよ。|
 |航空戦開始時||
 |~||
 |夜戦開始|よし!艦隊、この長門に続け!|
 |攻撃|待ちに待った艦隊決戦か。胸が熱いな。|
 |~|ビッグ7の力、侮るなよ。|
 |連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃|全主砲、斉射!て――ッ!!|
 |小破|フッ、効かぬわ。|
 |小破/旗艦大破|長門型の装甲は伊達ではないよ。|
 |中破/大破|っ…敵艦隊もなかなかやるな…|
 |勝利MVP|連合艦隊旗艦を務めた栄光に比べれば微々たるものだが、貰っておこう…か。|
 |帰投|作戦終了だ、艦隊が帰投したぞ。|
 |補給|ありがたい。これなら奴とも戦えるな。|
 //|補給|そうだな。食える時に食っておかねばな。|(長門改専用ボイスのため、長門改のページへ)
 |改装/改修/改造|ありがたい。これなら奴とも戦えるな。|
 |~|近代化改修か…私には必要ないのだが。|
 |~|いいだろう。|
 |入渠(小破以下)|少し整備が必要だな。|
 |入渠(中破以上)|艦隊決戦は万全の状態で戦いたいからな。|
 |建造完了|新たな仲間が進水したようだ、楽しみだな。|
 |戦績表示|司令部から連絡だ|
 |轟沈(反転)|&color(#F0F8FF){戦いの中で沈むのだ…あの光ではなく…本望だな…。};|
 |時報||
 |~||
 |~||
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 |放置時||
 //|放置時|ん?何...別に時間を持て余しているわけではないぞ。あぁそうだ、忙しいな...|(長門改専用ボイスのため、長門改のページへ)
 |入手/ログイン&br;【2014年始】|謹賀新年か、胸が熱いな。|
 |母港/詳細閲覧&br;【Xmas】|これが、クリスマスか。ふうん……そうか。|
 |~|提督、いつもお疲れ様だな。今日くらいは一緒に飲もう。|
 |母港/詳細閲覧&br;【2014年始】|二〇一四年か、胸が熱いな。|
 |母港/詳細閲覧&br;【2015年始】|謹賀新年か、胸が熱いな。|
 |母港/詳細閲覧&br;【2015夏真っ盛り】|よし夏だな、艦隊水着で浜辺に集合だ。演習ビーチバレーというのをやるぞ。チーム分けはこの長門が考えておいた。|
 #endregion
 
 *ゲームにおいて [#qa0f4da0]
 -栄えある図鑑No.1。通常の建造ないし通常作戦海域でのドロップで出現する艦娘として、最強と云えるパワーを誇る戦艦娘。
 --2014年3月28日実装の[[霧島改二]]の登場で火力が2番手に落ちた。しかし差は僅か5でその他の性能ではこちらが上なのでさほどは気にならないが。
 ---大口径主砲のフィットを考慮すると長門型は41cm砲を命中上昇効果付きで扱える(金剛型は35.6cmが適合)ため、フィット砲のみでの運用だとこちらに軍配が上がることになる。
 しかし、長門型に41cm系の主砲を載せても、フィットによる命中上昇量が統計的に検出出来たり出来なかったりする程の微量である。
 一方、金剛型に35.6cm系・38cm系の主砲を載せた場合は、フィットによる命中上昇量が一度の上方修正を受け非常に大きくなっている。同じフィットと言っても、命中と火力を単純に比較出来ないので注意が必要。
 ---また長門型は改にすれば[[試製51cm連装砲]](火力+30)の装備が可能となる。この主砲を装備できる戦艦は大和型と長門型改のみしかない。しかも、この主砲によるフィットによる命中低下は大和型も長門型改も無く、ペナルティ無しで使える。
 [[Roma]]、[[Iowa]]、[[Warspite]]など、長門型改を超える高火力の戦艦が次々と実装されるなかで、この[[試製51cm連装砲]]を命中低下ペナルティ無しで使えるというのは、これらのライバルと戦う上での強力な利点となっている。
 しかし、[[試製51cm連装砲]]は戦果上位褒賞とイベント配布しか16年9月現在入手手段が無く、この主砲を持って居ない人は、長門型の大きな利点を利用出来ないのと同義であり、プレイヤー間で実質的な性能差が付いてしまっている。任務配布などでの本実装が待ち望まれる。
 
 --純粋なパワーは大和型の[[姉>大和]][[妹>武蔵]]の方が上回っているが、彼女たちは過去の[[イベント海域>南方海域強襲偵察!#area4]][[攻略報酬>決戦!鉄底海峡を抜けて!#area5]]か[[大型艦建造]]以外の入手方法が無い。
 --さらに、2015年4月のイベントで実装されたイタリア戦艦の[[Italia]]と[[Roma改]]も長門型改を上回る火力を持つ。特に後者は火力で霧島改二をも上回り、大和型に次ぐ火力の戦艦となった。ただし彼女たちもまた、イベント海域や、期間限定での通常作戦海域でのドロップでしか入手手段が無く、今後建造に追加される見通しは無い。
 -終戦まで生存したことへの評価か、運は初期値で20、改で30と高い。%%夜戦での一発に最も期待できる戦艦であり、これは大和型や金剛型改二にはない強み。%%まるゆ素材の改修によりさらにその長所を伸ばすのもよい。
 --ちなみにMAXは改造前は79だが、改造後は[[雪風]]同様の99まで上がる。
 --2014年7月28日に実装された[[榛名改二]](運41)の登場に続き、欧米艦で戦後まで長く現役に有ったIowa改(運40)や、幾多の逸話を持つWarspite改(運70)等の
 実装が為った事により、現状は4番手の位置に下がり改修に因る最大値でもWarspiteが上を行く為、以前ほどの優位性は無くなっている
 -火力の最大値は[[金剛]]型の98(霧島改二は104)に対し99と、あまりアドバンテージは無いが、対空・耐久については完全に凌駕している。
 -耐久の高さはカス当たりの被ダメ増加やフラ戦等にワンパン大破を貰った時の入渠コスト等にも繋がっている為、一概に高い方が良い訳ではないことは注意が必要。
 --火力・装甲は初期値がかなり高いため、近代化改修の余地がほとんど無かったりする。
 -レア度は現状二番手の6を誇り、その上ドロップ場所がボスのみと限られており非常に入手し辛い。
 //--ボスマスでドロップする海域は2-4、3-2、3-3、3-4、4-4、5-5、6-2。
 --狙える場所が少ないので、建造の方が早いのでは?との見解もある。
 --ちなみに大型建造の最低値でも建造可能である。開発資材は1or20で構わない。
 ---大和型を狙ったレシピにもれなく含まれるので、急がないなら大和型のついでにお迎えするのもあり。
 -また、出撃に要する燃料・弾薬のコストが非常に重いのも大きな特徴である。
 --特に弾薬については改造前で金剛型の18%増し、改で33%増しの消費量であり、入渠時の鋼材消費量もまさにビッグ7。
 計画して運用しないと%%提督諸氏の頭髪が禿げる%%他艦娘達の作戦行動や建造計画に支障が出るほどの資材を食う大食らい。
 改造前の方が燃費が良い事は有意であるため、改造前の状態でレベリングを行う事を検討してみても良いかも知れない。ご利用は計画的に。
 ---もっとも、それでもどこぞの[[姉>大和]][[妹>武蔵]]と比べれば燃費は半分程度であり、遠征や任務による最低限の資材確保を怠りさえしなければそうそう致命的な枯渇を招くことはない。
 結局は運用する提督の心掛け次第である。
 -[[一式徹甲弾>一式徹甲弾]]が入手できる「第二戦隊」の[[編成>任務#id-A42]]・[[出撃>任務#id-B31]]任務に必要である(長門改で可)。&color(Silver){長門旗艦だと第二戦隊の出撃任務なのに「第一戦隊、出撃するぞ!」の台詞で始まるというシュールな光景が見られる。};
 
 -艦これ起動時や読み込み時に表示される艦影(通称''ぷかぷか丸'')は形状から恐らく改装後の長門型だと思われる。
 また、艦これの本家ブラウザ版公式ロゴ背景にあるシルエットも長門型。
 その後TVアニメ版の大和型戦艦、プレイステーションVita版の翔鶴型空母&秋月型駆逐艦、アーケード版の伊勢型航空戦艦とメディア媒体ごとにロゴ背景で差別化が図られている。
 
 -コンプティーク2017年6月号で、改二のラフスケッチが公開。その後、同年5月22日のアップデートにて、ついに[[改二>長門改二]]が実装された。
 --改造可能Lvは88。サービス開始から四周年。五年目突入にして、''初のしずま艦改二''である。
 --世界のビッグ7の名に相応しい大幅な性能強化となったが、改造に&color(Red){''弾薬8800・鋼材9200+改装設計図''};という凄まじい量の資源を要する上に、かなり燃費が重くなる。
 ---長門を主力として多用する諸兄は、懐事情とよく相談してから改造しよう。
 
 -2018年2月17日、[[冬イベント>捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)]]開始と同時に、【エンガノ岬決戦】差分modeが実装された。無印・改と改二で別々に用意されている。
 通常の立ち絵は他の限定グラフィック同様、冬イベント終了後に図鑑に格納されたものの、
 通例は併せて格納されるはずの、カード状態に加工されたイラスト及び中破立ち絵は何故か図鑑に格納されていない。
 
 //*史実 [#w687631f]
 //|CENTER:80|CENTER:100|CENTER:80|CENTER:240|c
 //|~排水量(トン)|39,210|~兵装|41cm連装砲4基/14cm単装砲18門/25mm連装機銃10基(後に大幅増)ほか|
 //|~全長(m)|224.94|~その他|搭載機/水上機3機|
 //|~全幅(m)|34.59|~起工|1917年8月28日|
 //|~馬力|82,000|~進水|1919年11月9日|
 //|~最大速(ノット)|24.5(公試)|~竣工|1920年11月25日|
 //|~航続距離(浬)|8,650(16ノット)|~喪失||
 //|~乗員(名)|13,68|~除籍|1945年9月15日|
 //|>|~処分|>|1946年7月29日 第二次原爆実験艦となり沈没|
 //角川公式本「艦これ白書」より。
 //詳細は[[Wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%96%80_(%E6%88%A6%E8%89%A6)]]等参照。
 //要目一覧は[[提案意見掲示板]]で「無しでいい」という意見に異論でなかったんで一度COで除去
 //異論あれば提案意見掲示板へお願いします
 *小ネタ  [#e1d9b6fb]
 -大和型戦艦に次ぐ日本を代表する超弩級戦艦長門型のネームシップ。軍艦の大整備計画である八八艦隊計画の一番艦であり、日本を一流の海軍国足らしめた主力戦艦である。
 そして第二次世界大戦開戦前まで世界に7隻しかなかった16インチ砲戦艦の1隻で、「世界のビッグ7」と称される。
 --ビッグ7は、日本から長門と陸奥、アメリカからコロラド、メリーランド、ウェストバージニア、イギリスから[[ネルソン>Nelson]]、ロドニーの計7隻を指す。
 --この7隻が当時最強格の戦艦だったのは紛れもない事実だが、「ビッグ7」という括りは主に日本国内で言われたものであり、世界的に使われていたものではない。((こういった世界◯大云々というような言い回しは、だいたいは日本国内のみでしか通用しない物がほとんど。例えば帝国海軍・海上自衛隊で使用されている有名な行進曲「軍艦」を含む「世界三大マーチ」も然りである。))((ちなみにアメリカ海軍では、軍縮条約の時代に自らが保有する戦艦の中で、16インチ砲戦艦のコロラド級3隻とそれに準じた防御力を持つ14インチ砲戦艦のテネシー級2隻を「ビッグファイブ」と称していた。))
 -いかにもリーダー然とした武人的なキャラクター。
 …のはずの彼女だが、実は二度しか海戦をしたことがない。%%[[赤城]]たち空母に出番を取られてしまった。%%
 -その容姿のせいか、艦これの話題で対魔忍or対魔艦という言葉が出たらほぼ確実に長門のことを指す。%%元ネタの名前は赤城の方が近いのに。%% %%雪風なんてそのまま。%%
 -ゲーム内の家具「鎮守府カウンターバー」において、全戦艦で唯一の「ジュース勢」であり、21時以降は撤収扱いにある。
 この扱いは戦艦どころか、重巡・空母以上の大型艦でも長門だけであり、他のジュース勢は軽巡2隻と駆逐艦のみ(ちなみにジュース勢軽巡の片割れは、長門と因縁の深い[[酒匂]])。
 由来については諸説あるが、有力視されているのは「開戦時に長門を旗艦としていた連合艦隊司令長官・山本五十六が下戸で大の甘党だったから」説((山本は下戸として知られていた。海軍士官たちと飲み交わすときも、自分だけお銚子に入れた番茶やカルピスを頼んでいたという(カルピスは傍目には濁り酒にも見えるため、酒宴での付き合いが必須な日本では下戸に重用された)。そして、飲まない割には宴会の盛り上げ方が非常に上手かったという。しかし全く酒が飲めなかったわけではなく、敢えて人前では飲まなかったともいわれている。))。
 -余談だが、長門の副砲は「[[吹雪]]」同様、wargamingが運営している「world of tanks」に出てくる[[「Type 5 Heavy」>http://wikiwiki.jp/wotanks/?Type%205%20Heavy]]の主砲である。
 -艦名の由来は、本州の南西端にあり現在の山口県一帯を含む「長門国」。明治以降、数々の有名政治家を輩出した長州藩が存在していた場所でもある。
 --本州北東端にあり津軽海峡を有する青森県他の旧名「[[陸奥]]」と対になっている。
 実は、彼女らの命名には大日本帝国海軍創生期の複雑な事情が絡んでいた。
 #region(長門と陸奥の命名)
 
 
 -海軍は所謂薩摩閥であり、長州閥の陸軍との対立が長い間続いていた……のは''皆さんご存知のとおり''である。
 だが八八艦隊計画という国家の存亡をかけたプロジェクトを前に、陸軍に足を引っ張られるのは何としても避けたい。
 そこで栄えある1番艦に、長州の別名ともいえる「長門」を命名したのである。
 -しかし、薩摩が長州のご機嫌取りをすると今度は旧会津藩が機嫌を悪くする。
 会津は戊辰戦争で最後まで徳川幕府側につき、明治維新以降はそれが原因で冷や飯ぐらいをさせられていたため、
 薩長には並々ならぬ反感を抱いていた。
 さらにこの頃、ある事情から東北地方は投資が後回しにされており、会津の怒りは東北全体の怒りでもあった。
 そこで東北全体の別名でもある「[[陸奥]]」を2番艦として、反発を和らげたのである。
 --実際に東北地方が薩長に対して初めて溜飲を下せるのは、時代もずーっと下って昭和57年6月の東北新幹線開業まで待たなくてはならない。
 この時初めて、「薩長の方角より新しくて、高性能なモノ」が東北地方にもたらされたのである。
 #endregion()
 **長門型戦艦の特徴 [#cf680dfc]
 -彼女の特徴はなんと言っても当時の戦艦の水準を軽く上回る26.5ノットもの速度をたたき出す健脚であった。だが抑止力の観点からその速度は隠匿され、公式には23ノットとされていた。
 -が、煙突の大きさから機関出力はかなり正確に推測でき、長門型の速力はほぼバレていた。
 --1923年(大正12年)9月1日11時58分の関東大震災発生時、長門は朝鮮半島沖で演習中であった。
 大地震発生の報を聞き、演習を中止して救援物資を満載して帝都へ最大戦速で急行した。
 --その途中、遠州灘を航行中にイギリスの軽巡「ディスパッチ」に見つかり、軍機だった最大戦速がバレてはいけないと速力を落とした。しかし、ディスパッチは礼砲を撃ってからその場を去った。
 ---もっとも、前述のように各国には半ばバレかけていた時期だったので、表だった反応は特になかったらしい。
 -長門型のもう一つの特徴は、竣工当時は世界最大クラスの主砲の[[41cm連装砲]]である(同主砲の概要については装備のページを参照)。
 この連装砲塔を艦の前後に各二基ずつ配置したことにより、扶桑型や伊勢型に比べて二基減少した分、艦上や艦内の艤装スペースにゆとりがもてるようになった。
 --おかげで艦内の一人当たりの居住スペースも広くなり、乗員からの評価も良いという恩恵もあったという。&color(Gray){居住性は大和ホテル&武蔵御殿でさらに進歩するのだが、それはまた後の話。};
 -防御面でも、ジュットランド沖海戦(ユトランド沖海戦)の戦訓を可能な限り取り入れ、集中防御化と高落角の砲弾に耐えうる水平防御の大幅な強化がなされて伊勢型以前の戦艦より大幅に向上している。
 --しかし残念ながら、長門型は設計期間や工期の関係で防御の改正はこれでも不十分とされた。((いわゆる「陸奥変体」案など、せめて二番艦陸奥だけでも砲力や防御のさらなる強化を施そうという案も平賀造船官から主張されたが、竣工遅延の懸念や長門と陸奥は仕様を揃えることが運用上望ましいという事情などから却下された。))
 帝国海軍は次の加賀型戦艦を、ジュットランド沖海戦の戦訓を完全に反映した防御を備える、真の「ポスト・ジュットランド」型戦艦とする…はずだったのだが。
 
 #region(長門の妹たち)
 
 
 -八八艦隊計画で建造された他の艦は妹の[[陸奥]]、長門型3番艦の[[加賀]]と4番艦の土佐(後に2隻とも加賀型戦艦に変更)、天城型巡洋戦艦の天城・[[赤城]]。
 --[[赤城]]と天城はワシントン軍縮条約によって空母へ改装される予定だったが、関東大震災の影響で天城が大破・回復不能の損傷を負ったため、
 同じく軍縮条約にて廃艦の予定だった[[加賀]]が代役として空母に改装された。
 ---加賀の妹の土佐は進水式のわずか3ヶ月後に廃艦、[[砲弾>九一式徹甲弾]]などの各種実験に供用された後、高知・宿毛湾沖にて自沈処分。
 --そのため見方によっては長門と加賀は血の繋がった姉妹と考えることもできる。%%どっちも大飯食らいだし。%%
 もし戦艦として就役していたら、主砲を一基増やして防御もジュットランド沖海戦の戦訓を完全に反映した、長門型の改良強化版といった性能になる予定だった。%%姉より優れた妹などいない。%%
 -このほかに、加賀型に続く戦艦として天城型の防御を改正した紀伊型4隻、天城型に続く巡洋戦艦として仮称第八号巡戦型(13号型巡洋戦艦とも)4隻が建造されるはずだったが、これらも軍縮条約によって流産してしまった。
 --八号巡戦が福井静夫造船官により13号型巡洋戦艦と解説された艦型予想図では、[[46センチ連装砲>試製46cm連装砲]]4基8門を装備しており、そのシルエットは46センチ砲戦艦にスケールアップした長門型というべきものであった。
 ---この予想図は長年「46センチ砲搭載巡洋戦艦13号艦」の根拠とされてきたが、当時の状況から建造時期がよほど遅れて46センチ砲の量産体制が整わない限り、41センチ砲搭載戦艦になったであろうと、最近では否定されている模様である。
 
 -本来ならば、長門型は性能面でこれらの八八艦隊計画艦たちに超えられるただの通過点、過度期の存在に終わるはずだった。
 しかし強大な妹たちがことごとく幻に終わったことにより、結果的に長門型は帝国海軍、ひいては世界でも最強クラスの存在として長く君臨することになる。
 
 
 #endregion()
 
 
 -就役当初の長門型は天龍型や5,500t型のようなスプーン艦首を採用していた。
 これは一号機雷という特殊な連繋機雷を艦隊決戦で使用する際に、誤って引っかけないようにするための措置だった。
 しかしこの艦首形状は、荒天下では前甲板が波を被って主砲発射に支障をきたすなど問題が多く、後に変更されることになる。
 -長門型の操艦は日本海軍の戦艦で一番容易だった、という当時の現場評価がある。
 翻って、直進性が低かったため針路保針が難しかった[[伊勢]][[型>日向]]や直進性が良い代わりに舵の効きが悪く、回頭時の惰性力が大きい[[大和]]型の操艦は難しいとされていた。((実用上は何の問題も無かった。))
 --一般論としてイギリス式の軍艦設計では、操舵反応が重視される。戦場での行動を考えれば当然で、直進性を最初から妥協しているのだ。その意味では、長門はイギリス式設計からの脱却ともいえる。
 -計画時に前部マストは三脚型であったが、ある砲術士官の強い要望で(最終的には設計担当の平賀譲中佐と大激論の末に)、より強固な七脚式のものに変更された。
 要望した士官の名は金田秀太郎大佐。あの金田50万トン戦艦計画の生みの親である。
 -長門の建造費は大正5年の価値で4,390万円、現在換算で大体3,000億円強となる。
 だが、問題はこの当時の日本の国家予算が6億円程度だったという事。この頃の日本の経済規模では、まさに国家の存亡がかかるプロジェクトだったのだ。
 今の日本であれば、長門型や大和型の1隻や2隻建造したところで、すぐに国が傾くことはない。参考までにいうと、こんごう型・あたご型の調達価格が予備のイージスシステム込みで約2,200億円である。
 
 
 #region(長門型の容姿について)
 
 
 -新造時や開戦時は戦艦らしいプロポーションを誇るが、一時期妙な煙突配置に改装されたことがある。通称「長靴」。しかし、これはこれで当時の子供達に人気があったらしい。
 --ウォーターラインシリーズで屈曲煙突時代の艦これモデルが発売された際、「ヤング長門」としてイラストが描き下ろされている。後に、ねんどろいどとして立体化された。
 --これは、当時2本あった煙突の設計が悪かったため、前部煙突の排煙が艦橋方向に逆流してしまったことが理由。階級が上の人ほど煙でススまみれになるという異常事態だったそうな。
 ---この屈曲煙突案は当初艦政本部の藤本喜久雄造船官が提案したのだが、上司の平賀譲造船官は「格好悪い」と一蹴。
 ところが平賀が提案した第一煙突のファンネルキャップ((第一煙突につけ爪のようなキャップを設け、物理的に排煙を遮断しようとした。))は排煙を完全に遮断できず、結局平賀は藤本に無断で屈曲煙突案をパクって解決させたのだ。
 これが、後々まで艦政本部で問題となった平賀と藤本の対立の原因の一つとなったともされている。
 
 -金剛型と同じく主砲が連装4基で容姿が多少似ている。
 開戦時の見分け方は金剛型が煙突が2本で三番砲塔と四番砲塔の間に航空艤装があり離れていて、長門型は煙突が1本で後艦橋と三番砲塔の間に航空艤装があり、三番砲塔と四番砲塔が背負い式で隣り合ってること。
 また、艦首の形状が水面に向かって弧を描いているのが長門型、水面に対し直角になっているのが金剛型である。
 ただし、近代化改装前の長門は後期の金剛と同じく二本煙突だったりするので注意(とはいえ、長門型は特徴的な艦首や艦橋で簡単に見分けられる)。
 
 -艦娘長門の&color(Red){角状のヘアバンド};は、長門型戦艦の''前艦橋上部にあった旗旒信号用の張り出し''を模したもの。前艦橋の下後部の旗旒甲板からこの突起まで信号旗用ロープが張ってあり、状況に応じた旗を掲揚していた。
 --ちなみに同じ高さの甲板に測距儀が置かれているのだが、(普通は測距儀の位置は固定されているのに対し)なんと艦橋主柱を中心とするレールの上を&color(Red){''測距儀そのものが移動しながら旋回する''};。
 測距儀が縦に二段重ねになっていたり変な例は数あれど、測距儀そのものが移動するのは長門型を始めとする八八艦隊計画戦艦くらいのものである。
 
 
 #endregion()
 
 -1934-1936年の近代化大改装において砲戦においては後の新型戦艦群に対抗可能な戦闘能力を獲得。誰が呼んだか「最強の旧世代戦艦」。
 
 #region(長門型の近代化改装について)
 
 
 -ビッグ7として建造当時は十分とされる防御力を有していたが、各国戦艦の主砲の改良により次第に陳腐化してしまった。とはいえ軍縮条約の規定上、舷側装甲を増強する事は出来ない。
 そのため日本海軍は舷側装甲の内側にある甲板装甲及び傾斜部にさらに大量の装甲板を追加し、砲塔と弾薬庫の防御力の大幅な強化を図った。
 その結果主砲周りは後に登場した新型戦艦をもってしても貫徹する事は困難という極めて堅固なものとなっている。ただし重量や速力の問題から重要区画すべての装甲を強化する事は出来ず、
 機関周りの装甲は第二次大戦においては対14インチ砲程度のものとなっていた。日本近海での決戦を前提にしていたとはいえ、かなりピーキーな防御特性であったと言えよう。
 -主砲も[[加賀]]に搭載される予定であった新型砲塔に換装。さらに新型の砲弾の採用により攻撃能力も飛躍的に向上した。貫徹力で比較するなら、換装前は距離20キロでの垂直装甲貫徹力は271mm。
 換装後は同じ距離でなんと454mm。この数値は16インチ級艦載砲としては長砲身とSHS砲弾を有するアイオワ級に次ぐ強力なものであった。
 --アイオワ級の前級となるサウスダコタ級、ノースカロライナ級は水平装甲に対する貫徹力が非常に高い代わりに垂直装甲に対する貫徹力はやや低下している。
 英国のビッグ7であるネルソン級は徹甲弾に高初速軽量弾を使用する設計であったため、相対距離20km以上の遠距離砲戦では砲弾貫徹力が落ちる欠点を持っていた
 米国のビッグ7であるコロラド級は改良型の主砲弾により長門型とほぼ同等の貫通力を有したとされる。
 -大改装時に船体を延長し、機関も重油専燃になったせいか機関強化がされなかったにもかかわらず、ほとんど速度が落ちなかったという逸話が残っている。((実戦に近い燃料2/3搭載時の過負荷全力運転では、新造時の長門型で25.5~25.9ノット。改装後は同条件で25.3~25.8ノットと誤差の範囲。))
 最大速力で2ノット以上の差がある大和とレイテ沖を2時間半にわたって駆け回って落伍しなかったあたり、スペック以上の速度を平然と出せたようだ。
 尤も、大和が第四戦速24ノット、第五戦速26ノットを主用した((合計で18時間10分が24~26ノット。なお最大戦速は1分間、それ以上の「一杯」は9分間のみである。))のに対して長門は最大戦速となっているので、大和に同行する為にかなり無理をしている。((榛名が26kt、羽黒が28ktであった事から実際には26kt以下だった可能性もある。))((逆に速度的に下のはずの[[扶桑]]・[[山城]]の乗組員が長門についていくのに苦労したという話はほとんど残っていない。))
 --無論これにもちゃんと根拠はある。長門は当初より連合艦隊旗艦として建造されたため、特に機関の強度等に気を使った設計がされていたことによる。
 この点は「過負荷全力ならば28~9ノットは出せる」ともされる大和型もほぼ同様だった。分厚い装甲で覆われた戦艦の機関部の大規模修繕工事などそう簡単にできるものではないからだ。
 -重巡洋艦と同等の機関に積み替え、29ノット級の高速戦艦化する話はあったものの予算不足でボツ。
 
 -これ以前にも、1924年には前述の長靴煙突への改正工事、1925~1926年にはスプーン艦首を「返し(フレア)」を取り付けたクリッパー艦首に変更する工事が施されている。いずれも就役後すぐに問題になった箇所の改正であった。
 --なお艦首の改造は姉妹艦の陸奥でも当然のごとく行われ、さらに同じくスプーン艦首で空母への改装工事中だった赤城や加賀にも採用されている。
 
 
 #endregion()
 
 -長門と陸奥の改装後の手っ取り早い見分け方は、副砲の不自然な穴があるかないか。改装時に副砲が20門から18門に減っているのだが、改装の予算の都合か
 なにやら明らかに副砲がついていた穴があってむずがゆい見た目をしているのが長門、ないのが陸奥。
 具体的には改装後の長門の側面前部に副砲が上3つ、下4つ並んでいるが、4つ並んだ手前に砲のあった跡のような穴があったら長門の方である。
 
 -竣工後の長門型は、艦隊から概ね高い評価を受けた。
 「ビッグ7」のライバルと長門型を比べると、アメリカのコロラド級は同等の主砲火力とより手堅い防御を持つが速力は劣り、イギリスのネルソン級も非常に重厚な装甲を備えていたが、やはり速力は劣る。
 「ビッグ7」のライバルと長門型を比べると、アメリカのコロラド級は同等の主砲火力とより手堅い防御を持つが速力は劣り、イギリスの[[ネルソン>Nelson]]級も非常に重厚な装甲を備えていたが、やはり速力は劣る。
 これは「新艦隊の一番艦」として建造された長門に対し、他国のビッグ7はあくまで「従来型戦艦と行動を共にする増強戦力」として建造されたためである。
 またビッグ7の枠外だが、世界最大の巡洋戦艦とされたイギリスのフッドは長門型以上の速力と長門に迫る火力、傾斜装甲による防御力を備えていたものの、十分な近代化改修が行われる事はなかった。
 つまり長門型は、軍縮条約に縛られた時代が終わって新世代の戦艦が現れるまでの間、攻・防・走の三要素のバランスが取れた世界最高クラスの戦艦だったのである。
 --そもそもコロラド級に関しては元々16インチ砲艦として計画されていたものではなく、14インチ砲艦に無理に16インチ砲を搭載しているようなもので、その船体の基本設計コンセプトはやや陳腐化していた。
 ネルソンにいたっては条約が足枷になり設計に関して大幅な妥協をせざるをえず、排水量に対して過大なスペックを盛り込んだ結果砲塔がすべて艦橋の前面に配置されるなど先進的過ぎるデザインで四苦八苦したり、
 運動性もクセがあり過ぎるなどイギリス海軍でもかなり不満が大きかったのである。((とはいえ、この限られた排水量内で最大のスペックを実現する手法はのちに各国の新戦艦でも程度の差こそあれ取り入れられた。戦艦大和もネルソン級を参考にしているのである。))元々16インチ砲艦は4万トン超えの排水量で作るつもりが3万トンクラスにまで減らされたので当然の結果といえるかもしれない。
 ネルソン級にいたっては条約が足枷になり設計に関して大幅な妥協をせざるをえず、排水量に対して過大なスペックを盛り込んだ結果砲塔がすべて艦橋の前面に配置されるなど先進的過ぎるデザインで四苦八苦したり、
 運動性もクセがあり過ぎるなどイギリス海軍でもかなり不満が大きかったのである。((とはいえ、この限られた排水量内で最大のスペックを実現する手法はのちに各国の新戦艦でも程度の差こそあれ取り入れられた。大和型もネルソン級を参考にしているのである。))元々16インチ砲艦は4万トン超えの排水量で作るつもりが3万トンクラスにまで減らされたので当然の結果といえるかもしれない。
 条約前とはいえ長門型の設計が無理の少ない優秀なものに仕上がっていたともいえる。
 -そのためか水面下ではガチで警戒されており、嘘か真か、1930年代にルーズベルト大統領が海軍将校に「日本はいつ占領できるのか?」
 と訊いたところ、その海軍将校は「駄目です。日本には長門がいます」と答えたとかいう話がある。
 --大艦巨砲主義が幅を利かせていた時代のことだが、それだけの警戒を受けるに足る性能を持っていたことの証左。
 勿論額面通りに聞く話ではないが。特に古今東西軍関係者にとって「無理=対策予算寄越せ」である。
 **戦前 帝国海軍の象徴だった長門型 [#a0ae82a7]
 -現代においては大和型(というより[[大和]])の圧倒的知名度に隠れがちであるが、開戦時まで陸奥と交替で帝国海軍連合艦隊旗艦を長らく務めていたため、戦前から戦中にかけて長門型の人気はずば抜けていた。
 --そもそも大和型の存在自体が帝国海軍最高機密であったため、国民には噂程度にしか知られていなかった。
 大和型が一般に知られるようになるのは戦後である。もっともその後&color(Silver){アニメや映画になるのは大和ばっかりじゃないかーっ!};の逆転っぷりは凄まじいものであるのだが…。&color(Silver){主に某宇宙戦艦のせい。};
 このため、太平洋戦争が終わるまでは国民にとって長門型こそが帝国海軍の象徴だった。
 --当時の軍オタ少年は戦艦長門派と空母赤城派が二大勢力で、これに水雷戦隊派、時代が下がった後は[[高雄]][[型>愛宕]]派が絡む展開。
 -[[「陸奥と長門は日本の誇り」>http://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/ra232/users/1/1/9/3/aya201502-img600x450-1457867400r1cjbb32227.jpg]]とカルタ(([[講談社の「少年倶楽部」1930年新春号附録の新案物識りかるた。>http://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/ra232/users/1/1/9/3/aya201502-img600x450-1457867400enirig32227.jpg]]この中には[[「鎮守府 横須賀 呉佐世保」>http://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/ra232/users/1/1/9/3/aya201502-img600x450-1457867399yynyax32227.jpg]]という札もあったりする。))に詠まれる程広く国民に親しまれ、一般家庭に写真が飾られるなど人気が高かった。
 -昭和12年(1937年)から14年(1939年)にかけて、グリコ株式會社(江崎グリコ株式会社)が、キャンペーンの景品として軍艦の模型を製作。対象となった軍艦は戦艦「長門」、巡洋艦「熊野」、駆逐艦「吹雪」の3隻で、製品に入っている引換証を一定枚数集めることにより手に入れることができると、写真付きのチラシで国民に周知された。
 --引き換えに必要な枚数は、吹雪60枚 熊野80枚 長門&color(Red){100枚};。&color(gray){長門を貰えた人いたのだろうか…。};
 ---要するに''昔からやってることは同じ''である。
 **開戦 第一戦隊と柱島艦隊 [#lec519b2]
 -台詞にある「第一戦隊」とは日本海軍最強、最精鋭の戦艦部隊のこと。
 連合艦隊司令長官が戦隊司令官を兼務する、日露戦争以来艦隊決戦の要とされた部隊だった。
 長門型は竣工から太平洋戦争開戦まで、整備・近代化改装工事で艦隊を離脱した時期を除き、常に第一戦隊に所属し続けた。まさにエリート中のエリート。
 しかしいざ太平洋戦争が始まると、長門や陸奥に待っていたのは、戦前の栄光とはかけ離れた展開であった。
 -真珠湾攻撃の際の暗号電文を打電したのは彼女であるがその電文は「ニイタカヤマノボレ1208」と色々バレバレな暗号?電文だった。&color(Silver){天然なのかもしれない。};
 この電文に一番驚いたのは米軍の暗号解読部門だったとか。
 ちなみに陸軍は「ヒノデハヤマガタ」と一応は日時がわからないようにしていた。
 
 #region(「新高山登レ」を直接送信した施設について)
 
 
 -んなわけない。「ニイタカヤマノボレ1208」は海軍D暗号により暗号化されたのち、柱島中継で東通放送系で送信された。
 --直接電文を発信したのは千葉県の船橋送信所である。
 ---この船橋送信所とは現在の船橋市行田にあった海軍無線電信船橋送信所の事。
 終戦後は進駐軍によって占領され、真珠湾攻撃の発令に使われた施設とあってサンフランシスコ講和条約後も接収状態が続き、1966年に返還された。
 しかし戦時下の空襲と老朽化により送受信塔は危険な状態になっており、保存と言う話もあったが、結局1971年から1972年にかけて取り壊された。
 ---間違っても船橋市''三山''にあるほう''ではない''((現在船橋送信所と言えばこちら。現在も運用中の千葉テレビ船橋送信所である。))。
 -余談だがアメリカが日本の暗号解読で相当苦戦したのは、鹿児島出身者同士の鹿児島弁での国際電話だったという伝説がある。詳しくは[[U-511]]にて。
 --実は暗号ダダ漏れだった海軍に対して、陸軍の暗号はほぼ終戦までワケワカメ状態だった。詳しくは[[あきつ丸]]にて。
 
 
 #endregion()
 
 -開戦後まもなく、長門以下の戦艦部隊は機動部隊収容と称して太平洋上に出港する。
 これは真珠湾攻撃で南雲機動部隊に損傷艦が出ることを想定してのものだったが、機動部隊は全艦無傷だったため不要となり、予定を切り上げて柱島に帰投している。
 -その後重巡や水雷戦隊、そして空母部隊が南方作戦で働きまわる中、長門と陸奥の第一戦隊や伊勢型と扶桑型の第二戦隊は、広島湾柱島泊地でひたすら待機の日々が続いた。
 やがて、無為の日々を送る彼女たち戦艦部隊は揶揄と自嘲を込めて「柱島艦隊」と呼ばれるようになっていく。
 
 
 #region(長門や陸奥が出撃できなかった背景)
 
 
 -開戦後の長門型にしばらく出番がなかった理由のひとつは、長門型が連合艦隊司令部直率の扱いだった点にある。
 日清戦争での連合艦隊旗艦松島、そして日露戦争での連合艦隊旗艦三笠の艦橋至近で敵弾が炸裂する場面は何度かあり、陣頭指揮で最高指揮官と指揮中枢を危険に曝すリスクはやはり大きかった。
 このため連合艦隊司令部の保全上安易に最前線に投入できず、大和型も含め日本海軍最強の戦艦をむざむざ後方で遊ばせる事態を招いてしまう。
 --これが後に連合艦隊司令部が軽巡大淀を経て陸上の司令部施設へと移される要因となる。
 -もうひとつの理由として、長門が統率すべき連合艦隊の規模とその展開海域の大きさにあった。
 日露戦争の時代までは第一から第三の3個艦隊が日本海を展開していたのに対して、太平洋戦争緒戦の連合艦隊は、東南アジア方面の第二、第三、南遣艦隊、中部太平洋方面の第四艦隊、北東方面の第五艦隊、アメリカ西海岸からインド洋まで展開した潜水艦の第六艦隊、そして空母部隊の第一航空艦隊と陸上基地航空隊の第十一航空艦隊があり、活動する海域の広さも艦隊の数も段違いだった。
 連合艦隊司令部はこれら全てを指揮統率しなければならず、これも安易に最前線に出向けない一因となった。
 戦前は連合艦隊司令長官が第一艦隊司令長官も兼任していたのが、連合艦隊司令部は第一戦隊(長門・陸奥)のみを直属とし、第一艦隊司令部が分離独立させられたのも、この大量の艦隊を指揮統制する煩雑さゆえだった。
 -さらにいうと、長門以下の戦艦部隊が出向いて戦うべき相手は開戦後しばらくは存在しなかった。
 宿敵たる米太平洋艦隊の戦艦部隊が真珠湾攻撃で壊滅状態に陥り、イギリス東洋艦隊の戦艦・巡洋戦艦もマレー沖で陸上攻撃機隊に撃沈されており、東南アジア方面に残る連合国軍の海上戦力は巡洋艦以下しかなくなっていたのだ。
 --もっとも、真珠湾攻撃で撃ち漏らした米空母が活動を開始すると、日本海軍はその対処に頭を悩ませることになる。
 ---戦争末期の米軍は、日本軍が有力な艦艇を運用していないとわかっていても容赦なく新造の戦艦や巨大な空母部隊を送り込んでいる。
 全面戦争、総力戦の本質を考えればパワープロジェクションとして戦艦を派手に運用する意味はあったのだが、そこはそれ、一度撃沈されたら再建不可能な上に動かすための物資にも事欠くという台所事情では……&color(Silver){みんなビンボーが悪いんや……。};
 -そして、真珠湾攻撃で空母機動部隊の第一航空艦隊が、マレー沖海戦やフィリピンの航空戦で陸上基地航空隊がそれぞれ強力な戦力として脚光を浴びたことにより航空機の時代が到来したことが、長門たち戦艦部隊が出番を無くした最大の理由として挙げられる事が多い。
 いずれにせよ、連合艦隊司令長官自らが旗艦の艦橋で海戦の指揮を執ればよかった日清・日露の時代とは、もはや別次元の戦争になっていたのだ。
 
 
 #endregion()
 
 
 -1942年2月、長門は新鋭戦艦の大和に連合艦隊旗艦の座を譲った。長年担ってきた栄誉の座を降ろされ、長門の運命は次第に暗転していく。
 -6月のMI(ミッドウェー)作戦で長門は大和や陸奥と第一戦隊を組み、山本五十六連合艦隊司令長官直率の「主力部隊」として出撃する。
 しかし主力部隊は一航戦や二航戦たち第一機動部隊のはるか後方に配置され、正規空母4隻が被弾炎上する悲報に成すすべがなく、引き返すしかなかった。
 アリューシャン、ミッドウェーのどちらに米艦隊が襲来しても対応できる位置を航行していたこともあり結果的に間に合わなかった。
 
 
 #region(MI作戦と戦艦部隊)
 
 
 -MI作戦でほとんど無意味に終わった戦艦部隊の出撃が実施された背景には、「柱島艦隊」と揶揄された戦艦部隊将兵の士気の低下があった。
 作戦の成功のために戦艦が必要だったというよりも戦艦の出撃することそれ自体が目的だったのだ。
 --たとえ主力部隊が機動部隊の近くにあったとしても、低速の戦艦が高速の空母を砲戦距離内に収める可能性は低い。
 実際、高速の金剛型や重巡、水雷戦隊を持つ第一機動部隊や攻略部隊は米機動部隊との夜戦を連合艦隊司令部から命じられるが果たせなかった。
 ただ、夜戦が中止された背景は米空母がまだ数隻健在との情報も受けての判断でもある。
 ---山本司令長官は戦艦部隊の出撃について、参謀に「情だよ」とこぼしたという。
 出撃することで将兵を鼓舞し、航海手当などを与えることができるからだった。しかしこの結果、連合艦隊は平時の一年分ともいわれる大量の燃料を一気に消費してしまい、以降の艦隊運用で燃料のやりくりに苦しむようになっていく。
 とはいえ、日本側は米海軍の戦艦数隻が稼働状態にあるとの予測もしており、日向を応急修理で急ぎ参加させたりするなど将兵の士気維持だけが目的とは言えないとの意見もある。
 --一方、ミッドウェー海戦で米機動部隊を指揮したスプルーアンス提督は「日本が空母4隻を喪失した時点で反転したので、ミッドウェーは防衛できた。もし戦艦部隊が突っ込んできていたら、米側に反撃する余力はなかった」(意訳)と残している。米側にとってミッドウェーでの作戦はアメリカの生産力を信じて日本空母機動部隊にかすり傷でも与えるための悲愴な出撃であり、聯合艦隊ほぼ全力を敵にまわして勝利できるなどとは思っていなかったのだ。
 -ミッドウェーからの帰路で、主力部隊の戦艦は沈没した空母4隻の生存者を機動部隊所属駆逐艦から移乗させている。駆逐艦の貧弱な居住・医療設備で空母の乗員を大量に収容するには難があったための措置だった。これがミッドウェー作戦で長門たち戦艦部隊が果たしたほとんど唯一の貢献といえる。
 
 
 #endregion()
 
 **戦争中盤 第二戦隊への転落 [#m081b451]
 -[[武蔵]]の就役を一ヵ月後に控えた1942年7月、長門と陸奥は編制替えで第二戦隊に転じることとなる。
 この時期の第二戦隊は、航空戦艦改造が決定した伊勢型の離脱により、長門型2隻と扶桑型2隻の4隻体制だった(''主力戦艦部隊「第二戦隊」編成せよ!任務はこれを再現したものと思われる'')。
 --陸奥は整備中の[[金剛]][[姉妹>榛名]]に代わって第二艦隊に一時編入され第二次ソロモン海戦に参加したが、低速がたたって金剛型の復帰ですぐ交替となり、長門や扶桑型は日本本土で待機する日々が続いた。
 -第二戦隊が所属する第一艦隊には、1943年1月に新造駆逐艦練成部隊の[[第十一>龍田]][[水>電]][[雷>雷]][[戦隊>響]]が新設されており、このころには第一艦隊自体が訓練部隊という扱いになっていた。
 というのも、第一艦隊は所属していた艦を最前線の艦隊にあらかた引き抜かれてしまい、残されたのは使いどころに困る低速戦艦だけという有様で、その活用法として考えられたのが補充される新しい艦や将兵たちの訓練だったのだ。((古鷹型や青葉型重巡の第六戦隊はソロモン諸島の戦いで青葉を残して壊滅、第三水雷戦隊はソロモン方面の第八艦隊、第一水雷戦隊は北方警備の第五艦隊へと転属、重雷装艦の第九戦隊は用途なく解隊、鳳翔は訓練空母となり、瑞鳳と金剛型は第三艦隊所属となっていた。))
 --その後練習艦任務に就いていた長門だったが、真珠湾での打撃から復活を果たしつつある米戦艦部隊に対抗するため前線復帰が決まり、電探の装備や船体の整備を施した。
 その矢先の昭和18年6月、事件は起こった。陸奥の爆沈である。
 ガダルカナル攻防戦において大和と共にトラック泊地で待機していた陸奥だったが、第二次ソロモン海戦以降は出番のないまま日本に戻り、整備を終えた長門と繋留位置替えの準備を行っている最中に、突如原因不明の大爆発を起こして沈没してしまったのだ。
 妹の突然の最期に、長門にできることは救助艇を出して救援にあたることだけだった。
 -陸奥を失った長門は、[[扶桑]]([[山城]]は当時練習艦任務)とペアを組んでトラック泊地に進出し、1943年10月には大和・武蔵や第三艦隊の一航戦(お馴染みのあの[[二>赤城]][[隻>加賀]]ではなく[[翔鶴]]・[[瑞鶴]]・[[瑞鳳]])と共に米機動部隊との決戦を求めて出撃したこともあったが、空振りに終わっている。
 これは「連合艦隊の大散歩」とも揶揄され、またしても燃料を浪費するだけの出撃であった。
 --この影響で、直後の11月に米軍がソロモン諸島ブーゲンビル島に侵攻した時、連合艦隊は戦艦や空母を動かせず、一航戦の飛行機隊を空母から分離させてラバウル基地に派遣する「ろ号作戦」という苦肉の策を強いられることになる。
 この作戦で、一航戦の飛行機隊は壊滅。さらに派遣された第二艦隊の重巡部隊もラバウル空襲で軒並みボロボロになり、その隙に米太平洋艦隊主力が中部太平洋のギルバート、次いでマーシャル諸島に侵攻、連合艦隊は手も足も出ないという悪循環を招いてしまう。燃料無駄遣いの代償はあまりに大きかった。
 -1944年2月、マーシャル諸島の陥落によりトラック島に空襲の危機が迫ると、武蔵以下の連合艦隊主力は退避することになった。
 米機動部隊と戦うべき第三艦隊が飛行機隊の再建中である以上、戦艦部隊だけではどうにもならなかったのだ。((連合艦隊はろ号作戦の後、飛鷹・隼鷹・龍鳳の二航戦飛行機隊もラバウルに派遣してこれも消耗させてしまっていた。))&color(Silver){制空権喪失状態で水上部隊が戦うキツさは艦これでもすっかりお馴染み。};
 長門や扶桑もかつて機動部隊を率いた南雲忠一第一艦隊司令長官の指揮でパラオ泊地へと撤退する。そして連合艦隊主力が逃げ出したトラック泊地は、その後まもなく米機動部隊の攻撃で壊滅した。
 -その直後の2月25日、第一艦隊廃止をもって第二戦隊もまた解隊された。
 これは、水上砲戦部隊を第二艦隊、空母機動部隊を第三艦隊にそれぞれ集約し、両者を統一指揮する第一機動艦隊を編制するためであった。
 かつては帝国海軍連合艦隊の中核を担った栄誉ある第一艦隊の不遇な末路は、海の戦いの主役が戦艦から航空機へと変わりゆく時代を象徴していた。
 --なお、第二戦隊は数か月後に扶桑と山城で再編制され、レイテ沖海戦で西村艦隊として出撃することになる。
 -いっぽう、連合艦隊司令部は長門から大和、武蔵と移り、最後の旗艦[[大淀]]を経て、遂に1944年9月には慶應義塾大学構内(現 日吉キャンパス)の地下防空壕へと移っている。
 //&color(Silver){%%実は慶応も立派な艦娘たる資格があるのだ。%%};←流石に「旗艦」ではないものをそう言ってしまうと変な誤解を生んでしまう。
 
 
 **マリアナとレイテの戦い、そして終戦 [#h5658f13]
 -第一艦隊第二戦隊の廃止により、長門は大和や武蔵の所属する第一戦隊に復帰。大和が整備を終えるまでのわずかな間であったが、かつての第一戦隊旗艦の座に再び就いている。
 -1944年6月のマリアナ沖海戦では、前衛部隊の大和型と離れて機動部隊乙部隊の護衛任務に就く。
 これが長門初の実戦となった。
 乙部隊には軽空母[[飛鷹]]・[[隼鷹]]・[[龍鳳]]が所属しており、6月20日に米機動部隊からの空襲を受けると、長門は米雷撃隊に襲撃された隼鷹を守るべく主砲射撃を行いこれを撃退、隼鷹を被雷から救ったとされる。
 しかしその後被弾炎上した飛鷹を長門は曳航して救おうとするも失敗、飛鷹は沈没してしまい、長門が護衛した飛鷹姉妹の明暗は分かれることになった。
 -10月のレイテ沖海戦では、大和・武蔵・長門の第一戦隊は栗田艦隊の主力として出撃。
 --この時、低速の長門は扶桑姉妹と共に第二戦隊へと戻される案があったのだが、第一戦隊司令官・宇垣纏中将が長門の分離に強く反対したため実現しなかった。
 もし宇垣司令官が反対しなければ、長門は西村艦隊の一員としてスリガオ海峡で敵戦艦と撃ち合うという、戦艦としての本懐を果たす機会を得られたかもしれない。
 -出撃した第一戦隊はシブヤン海の空襲で武蔵を失い、長門と大和も爆弾で損傷する苦闘を強いられた。
 サマール沖では米護衛空母を追撃しようとするも、旗艦大和が米駆逐艦の魚雷に両舷を挟まれて退避を強いられるという不測の事態に振り回され、やっと再び敵空母を捕捉というときに栗田司令部は追撃は打ち切り、長門はその砲火力を十分発揮できずに終わってしまう。
 その後、レイテ湾突入も断念した帰路でさらに空襲を受け被弾するも、どうにかブルネイ泊地への帰投に成功する。
 -1944年11月、第一戦隊はついに解隊。帝国海軍栄光の歴史の象徴がまた一つ消滅した。((ただし、1945年1月にごく短い間だけ第一戦隊は再編成されているが、その翌月には大和以外の戦艦運用は放棄され再び廃止。戦争末期の海軍上層部の迷走ぶりがうかがえる。))
 第三戦隊へと移った長門は、第二艦隊旗艦大和の指揮下で、[[金剛]]、第二水雷戦隊の[[矢矧]]と第十七駆逐隊の[[浦風]]、[[磯風]]、[[浜風]]、[[雪風]]たちと共に日本帰還を命じられる。
 しかしその道中、台湾沖で米潜水艦「シーライオン」からの雷撃を受けるが当たらず、その流れ弾が[[浦風]]を直撃・轟沈、同じく被雷した[[金剛]]も沈没している。&br;
 -日本に帰還した長門を待っていたのは、あまりに残酷な処遇だった。
 海軍上層部の方針は二転三転したのち、南方資源地帯からの輸送路途絶による燃料欠乏から、戦艦の積極的運用を放棄することが決定されたのだ。
 --ただし、大和のみは例外として第二艦隊第一航空戦隊に残され、その後沖縄に出撃することになった。
 -動けぬ長門から航海長が消え、航海科の士官は前年12月末に着任したばかりの予備士官の航海士の少尉が一人っきりとなった。
 燃料が使えず、[[隼鷹]]から異動してきた艦長の渋谷清見大佐が岸壁に石炭だきのボイラを設置してくれと依頼したくらいだ。
 2月、長門は横須賀鎮守府の警備艦となり、6月には特殊警備艦に艦種変更となる。
 --特殊警備艦とは、洋上行動を完全に諦めて浮き砲台としてのみの運用が考慮された、戦艦の成れの果てであった。
 副砲の全てと機銃の大半、電探、主砲方位盤、カタパルト、[[探照灯]]など装備品の大半を撤去された。
 --[[榛名]]も相当数の兵装が撤去されており、兵装が比較的まともに残っていたのは[[伊勢]]・[[日向]]くらいであった。
 しかし航海用の艤装までも撤去されたのは、当時生き残っていた戦艦4隻のうちでも長門のみである。→[[戦後撮られたカラー映像>http://www.nicovideo.jp/watch/sm22237951]](2:00-4:10)
 --5月、渋谷艦長は少将に昇進して長門を退艦し、次の艦長は応召(予備役になって再度招集された)の大塚幹少将であった。4年前の連合艦隊旗艦の艦長が予備役士官になったのである。
 7月18日に米空母「エセックス」「シャングリラ」「ベロー・ウッド」「ランドルフ」搭載機の攻撃を受け、爆弾3発が命中して艦橋が破損、大塚艦長、副長兼砲術長の樋口大佐以下が戦死し、艦の指揮は先任士官で発令所長の奥田少佐がとることになる。
 ---7月末、奥田少佐の指揮で擬装のために煙突頂部や後部マストは切断され、長門と岸壁の間に黒く塗った板が張られ、その姿はあまりに無惨だった。被弾した艦橋は修理もされず、[[12.7cm連装高角砲]]と[[91式高射装置]]も全て撤去されたという。
 --後任艦長に発令されたのは、[[球磨]]や大鷹の艦長を務めた杉野修一大佐、日露戦争時旅順港閉塞作戦で犠牲になった軍神として有名な広瀬中佐と共に戦死した杉野兵曹長の長男であった。結果的に、戦艦長門が米軍に接収される前の最後の日本人の艦長となった。
 ---ところがこの段階で杉野大佐は旅順におり、転勤すら困難な状態だったので、艦長代理として池内正方少将が着任した。[[千歳]]の初代艦長などを務めて退役し、応召して北海道地区の軍需工場の監督官であったが病気休養中であったため、歴代艦長に数えられていない幻の艦長である。その状態で長門は終戦を迎えたのであった。結局、杉野艦長が着任したのは終戦後であった。
 **戦艦長門の最期 クロスロード作戦 [#n95d04ba]
 -終戦後アメリカに接収された長門は、1946年7月にビキニ環礁にて実施された原爆実験「オペレーション・クロスロード」に、[[酒匂]]とともに標的艦として参加。同じくドイツから[[Prinz Eugen]]も参加している。&color(Silver){そしてアメリカから空母2、戦艦4他50隻以上。%%沈め方も米帝プレイ。%%};
 --1回目(ABLE:空中爆発)の爆心地([[酒匂]])に近い戦艦の順番はネヴァダ(本来の爆心地)700m程度・アーカンソー700m程度・長門1,500m程度の順。
 1回目終了の時点で長門は健在だったが、酒匂は後部を無惨に破壊され沈没した。
 2回目(BAKER:水中爆発)では、ネヴァダは爆心から遠く離れた所に居たため沈まなかったが、爆心地近くのアーカンソーは沈没、長門とほぼ同じ距離にいた正規空母[[サラトガ>Saratoga]]も7時間後に沈没した。
 --このうち2回目の水中爆発による実験時の爆発と水煙に呑み込まれていく実験艦の映像は、%%原爆の映像なのに%%水爆実験の映像としてテレビや映画でよく使用されている。例えば2度に渡りハリウッドで制作された「Godzilla」では、冒頭でこの映像が使われているが、その画面右端に長門の最期の姿が映っている。
 -しかし、''長門は爆心地にある程度近い位置にいながら二度の核実験に僅かに傾斜するも耐えた。''特にBAKER時には機雷を艦体に括り付けられたという念の入れようである。
 
 #region(艦体に括り付けられた機雷の意味)
 
 
 -実は[[米海軍歴史センター(Naval History and Heritage Command)>http://www.history.navy.mil/our-collections/art/exhibits/conflicts-and-operations/operation-crossroads-bikini-atoll/japanese-battleship-nagato.html]]によると:
 &br;Despised by the sailors at Bikini for its role as flagship of the Pearl Harbor attack force, mines had been strapped to her sides to facilitate her sinking.&br;(真珠湾攻撃時の連合艦隊旗艦であったため、嫌がらせで沈むのを加速するよう機雷を付けた)
 &br;''完全にただの嫌がらせ''です、はい。%%真珠湾攻撃に参加していないながもんにとっては完全にとばっちり。%%
 -真珠湾攻撃の発案者である山本五十六連合艦隊司令長官搭乗機の撃墜、日本の真珠湾と謳われたトラック泊地への爆撃、日本海軍の母港たる呉軍港や横須賀軍港への爆撃、そして長門のこのエピソードなど、米海軍の「真珠湾の復讐」の徹底ぶりは凄まじいものだった。
 それは「リメンバー・パールハーバー」のスローガンに象徴される、米海軍の憎悪と屈辱に塗れた闇の根深さを物語っているのかもしれない。
 
 
 #endregion()
 
 
 -長門は中破判定を受けた状態で、母国を蹂躙した非人道的兵器に対する無言の抗議の如く二度の被爆に耐えた長門はBAKER実験後も4日間は海上に在り続けたが、
 1946年7月28日深夜から29日未明の間に、''誰にも看取られることなく新月の闇夜に消え去るように静かに眠りにつく。 ''
 ''&color(Blue){母国を護り切れなかった贖罪、日本の誇りを背負い最後の意地で敵に自らの死に際を晒すことを拒むように自決した武人のような最期だった。};''
 
 --長門沈まずの報を聞いた元艦長夫人は 「幾万もの英霊たちが水底をささえているのですよ」と語ったそうだ。
 --とは言え、この原爆実験で沈んだ艦というのは案外少なく、小型の駆逐艦や潜水艦も多数生き残っているため「軍艦を核兵器で沈めるのは現実的ではない」というのが米軍内で認識され、以降核兵器による艦隊攻撃は熱線や放射能汚染による艦隊の無力化に重点が置かれるようになる。そして冷戦時代の核競争時に核兵器の小型化にともない冷戦期には戦略的な使用のみならず戦場などで使用される戦術核兵器も開発され、核爆雷、核魚雷、対艦/対潜核ミサイルなどが開発され、配備されていた。
 --なお、「この光景を見たアメリカの調査団が長門のことを"Old Navy Never Die"(海の古強者は死なず)と評した」という話が広く伝わっている。
 ※クロスロード作戦で標的艦となったが最後まで沈まなかった米戦艦「''ニューヨーク''」のことを"Old Sailors Never Die"と評したという逸話と混同されたとの説もある。
 ---ただし、その言葉は長門の艦橋に書き残されたと言われているが、ニューヨークの文字が書かれたところは左舷。別々の逸話の可能性もあり、真相は分かっていない(ちなみに戦艦ニューヨークの方が古参である)。
 ---戦艦ニューヨークに書かれた文字は[[こちら>http://www.navy.mil/ah_online/archpdf/ah194608.pdf]]のPDFの4~6ページ目付近で確認できる。
 
 --また、[[沈没状態とはいえ船体の現存する唯一のビッグ7>http://www.flickr.com/photos/rjdiver/88877473/]]で、同地の貴重な観光資源。ただし核実験の影響を鑑み接触禁止。
 ---もっとも[[こちら>http://divinfo.blog.fc2.com/blog-entry-21.html#comment1]]の資料によるとそもそもそう簡単には到達できないらしい。現実世界においても、彼女に会うためには米帝プレイと運、そして高い%%司令部レベル%%潜水経験が必要なようである。
 沈没地点の水深は約50~60mであり、ダイビングの上級ライセンス所持者でなければ潜るのは困難。減圧症などの危険もあるため、通常のスキューバダイビングでは数分程度しか見ることは出来ない。
 --なお、クロスロード作戦の1回目の実験の直後に発表された水着が「ビキニ」である。その大胆さが周囲に与える破壊力を原爆にたとえたものだという。
 「水爆実験になぞらえて」と説明されることがあるが、これは誤り。ビキニ環礁での最初の水爆実験は1954年であり、このときは日本の遠洋漁船「第五福竜丸」が被曝している。
 
 --艦娘「長門」は、この出来事を曖昧かつ強烈な印象として残しており、事あるごとに言及する。ほぼ記憶を失い当時の恐怖のみを持ってきた[[酒匂]]や、断片のみを残すらしい[[Prinz Eugen]]との有り様の違いは、不可解かつ議論の余地ある事柄である。
 **幻の「捕鯨戦艦長門」と「護衛艦ながと」 [#u7f70c99]
 -戦後、大洋漁業(後のマルハ、現マルハニチロ)が捕鯨を再開するに当たり、捕鯨母船((捕獲した鯨を解体・加工するための船。戦前、大洋漁業は小笠原諸島の母島に捕鯨基地を有していたが、戦後、小笠原諸島への日本人の立入が禁止されたため、捕鯨基地の代わりとなる船が必要となった。))に使える船を第二復員省(旧海軍省)から借りようとしたが、その時に渡されたリストのトップに長門の名前があった。
 --当然ながら戦艦が捕鯨母船に適するはずもない。捕鯨業者は「港でスロープの付いた軍艦を見かけた」という情報を聞いて、「それなら捕鯨ができる。名前がわからないけどそれを借りに行こう」と交渉を持ちかけたのだ。
 結果、名前がわからないため第二復員省からGHQへ「横須賀軍港にいる艦船全部」のリストが渡され、そのトップに長門の名前があったのだ。
 ---実際に捕鯨船として借りたのは、当たりをつけていた第一号型輸送艦(第9号、第19号など 排水量1,500トン)であった。
 ---大洋漁業は他にも海軍と縁があり、横須賀軍港の隣接地に工場を構えていた。後に、この地に大洋漁業の子会社であった大洋ホエールズの練習場が作られた。大洋漁業(マルハ)の手を離れた今でも「横浜DeNAベイスターズ総合練習場」(ベイスターズ球場)として使われており、球場から護衛艦を見ることもできる。
 --……が、2014/6/6のアップデートで実装された[[大鯨]]の入手方法が後半海域でのドロップ限定であったことから、長門を編成に組み込んで掘りに出掛ける提督も出現。まさかの''捕鯨戦艦長門''実現である。
 -さらに時は流れて21世紀。ひゅうが型に続く新しい&color(Silver){%%ヘリ空母%%};ヘリコプター護衛艦「22DDH」が建造された。
 この艦名の選定時、一時は有力候補として「ながと」が浮上したが、最終的には2度の大戦を潜り抜け、半世紀活躍し続けた巡洋艦「出雲」から「いずも」と命名されることとなり((名前が見送られた原因として、大戦時の連合艦隊旗艦であったこと、帝国海軍の象徴だったことによるネームバリューの大きさがあげられる。近隣諸国に配慮したという説もあるが、そもそも「出雲」は日中戦争の上海派遣艦隊の旗艦を務めた艦である。))、およそ70年ぶりの長門復活は幻となった。
 --2015年8月27日に進水したいずも型2番艦「24DDH」には「[[かが>加賀]]」が命名された。&color(Silver){でもアメリカは怒んないどころか、方々から祝辞が届いたぞ。''あの''テキサス親父氏とか。};
 2015年は北陸新幹線開業などで北陸地方が盛り上がった影響もあるのかは定かではないが、またしても「ながと」復活はならなかった。&color(Silver){もう永久欠番扱いにしたいんじゃ…。};((長門が命名困難なのはもうひとつ、僚艦の「陸奥」が悪エピソードばかりなので、偶数建造が原則の軍艦にあって付けづらいのである。理由は異なるが今後姉妹関係になりにくい間柄に「古鷹」と「加古」がいるので、今後のDDGの建造計画次第によっては今度は彼女の妹になるかも……?))
 --なお「ながと」の名は山口県警の警備艇に名づけされてるほか、民間では「ながと丸」と言う名の船も数多く存在する。戦後「陸奥」を引き上げたのは深田サルベージ((深田サルベージが保有する起重機船は戦艦と同名なものが多く、武蔵・金剛・大和等がいます。))の起重機船長門、なお既に長門は引退している。
 また、川原礫氏のライトノベル「ソードアート・オンライン」に架空の汎用護衛艦「ながと」として登場している。%%命名基準のツッコミは禁止。%%
 **還ってきた軍艦旗 [#r3da043a]
 -遺構はあまり残っていなかった長門だが、終戦時の接収作業を指揮した米軍将校がフルサイズの軍艦旗((高さ=八幅=43cm×8=3.44m、横幅=5.16m))を独自にアメリカに持ち帰っており、その親族によって日本のTV番組「開運!なんでも鑑定団」に出品された([[放送>https://www.youtube.com/watch?v=PtZf4IoO3tY]]は2005/09/27)。
 同番組の司会を務めるタレントの石坂浩二氏はこの品を私財で買い取り((評価額の1,000万円で購入。石坂浩二氏は自他ともに認めるミリタリー・モデラーである。))、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)に寄贈した[[(寄贈式典の様子)>http://web.archive.org/web/20061109161049/http://www.kure-news.com/news/000114.htm]]。現在同館のメインホールに、詳しい経緯とともに展示されている。
 --なお軍艦旗とは、その名の通り、海軍所属の艦船であることを表すために艦尾に掲げる旗のことである。長門の軍艦旗の大きさから、彼女がいかに大きかったか、諸提督の想像力をかきたてること、請け合いである。
 ---ちなみに、海上自衛隊では海軍旗と呼ばず、%%同じ規格なのに、大人の事情で%%自衛艦旗と呼ぶ。
 国籍を識別する旗ということで、''軍艦旗/自衛艦旗の格式は国旗と同等''であり、たとえば現代でも、他国国旗と自衛艦旗が並列に並んで行進したり、自衛隊観閲式では内閣総理大臣が自衛艦旗に対し敬礼する姿が見られる。
 ---なお、軍艦旗とは国際法で掲揚を要求される所属旗である。((信号旗の一種なので、意図が伝わらない、という事態はNG。但し、恣意的に欺瞞して誤った意図を伝える事(騙し討ち)はOKで、宮古湾海戦やドイツの仮装巡洋艦などの事例がある。))
 汚れたら洗濯し、やれてきたら新品に取り替える消耗品であり、新品を含め常時複数枚が艦内に用意されている。((そのため、現存品も結構ある。[[漣]]所蔵の軍艦旗が艦これオンリー同人誌即売会に掲げられた事すらある。が、一方で「どのフネの、どういう経緯で今に残った旗か」という証明が難しい事態が起きることもある。))
 ---武勇の歴史として、歴戦により原型を留めないほどズタボロになっても、1枚の旗を大事にする陸軍の連隊旗とはその性格が異なる。((但し[[比叡]]のように武勲を上げた艦の名を継ぐ艦が、先代が武勲を上げた海戦の時に掲げていたズタボロの軍艦旗をハレの日に上げるということはあった。))
 --船体こそ遠く離れた異国の海底に沈んだ長門であるが、軍艦の魂ともいえる海軍旗だけは日本に帰ってくることが出来た。しかし、彼女の海軍旗は汚れ、血のようなものも確認できる。諸提督はそこに何を思うだろうか。
 *この艦娘についてのコメント [#f9df2551]
 #region(過去ログ)
 #ls(長門)
 #endregion
 
 #pcomment(./コメント9,reply,30)
 &size(13){''&color(Red){建造成果の報告は[[建造レシピ]]内にあるコメント欄に、&br;ドロップ報告に関しては[[出撃ドロップ]]内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。};''};