Saratoga の変更点


|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.233|
|&nobr{&attachref(./233_2nd.jpg,nolink,Hello! 航空母艦、Saratogaです。提督、サラとお呼びくださいね。よろしくお願い致します。);};|>|Saratoga(サラトガ)|>|Lexington級 2番艦 正規空母|
|&attachref(./233_2nd.jpg,nolink,Hello! 航空母艦、Saratogaです。提督、サラとお呼びくださいね。よろしくお願い致します。);|>|Saratoga(サラトガ)|>|Lexington級 2番艦 正規空母|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|83|~火力|30 / 45|
|~|~装甲|40 / 63|~雷装|0|
|~|~回避|21 / 42|~対空|36 / 73|
|~|~搭載|80|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|40 / 68|
|~|~射程|中|~運|25 / 75|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|65|~弾薬|70|
|~|~艦載|>|>|~装備|
|~|27|>|>|[[F4F-3]]|
|~|19|>|>|[[TBD]]|
|~|19|>|>|未装備|
|~|15|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Saratoga'' → [[Saratoga改]](Lv40) →&br;[[Saratoga Mk.II]](Lv85+[[試製甲板カタパルト>改造#redprint]]+[[改装設計図>改造#blueprint]]) &color(Red){''⇔''};((資材の消費だけで、Mk.IIとMk.II Mod.2をいつでも変更可能)) [[Saratoga Mk.II Mod.2]](Lv85 ((ただしMk.II Mod.2からMk.IIに戻せるようになるのはLv90から)))|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:Hello! アメリカ生まれの大型正規空母Saratogaです。&br;歴史深い由緒ある名前を頂いています。&br;あの大きな戦いでは、最初から最後まで頑張ったんです。&br;戦いの終わったあと、Nagatoさんたちと一緒にある実験に参加しました。&br;これからサラも皆さんと同じ艦隊で、頑張らせてくださいね!((テキストが隠れており、%%下スクロールすると読める。%% 2期からスクロール不可。))|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:伊藤静、イラストレーター:しずまよしのり (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
|~セリフ|~CV:伊藤静、イラストレーター:しずまよしのり|
//絵師ソース:https://twitter.com/m_ars/status/807111932469645314
||370|c
|入手/ログイン|Hello! 航空母艦、Saratogaです。&br;提督、サラとお呼びくださいね。よろしくお願い致します。|
|母港/詳細閲覧|How are you?|
|~|提督、せっかく整備したワイルドキャットが……&br;後にしてくださいね? お願いです。|
|~|はい、サラはここに。|
//|母港/詳細閲覧(新春)||
|母港/詳細閲覧(節分)|これですね!噂のspecialな行事は。セッツブーン!平気です、対策済み。戦闘機隊は直ちに発艦、本艦上空直掩をお願いします。いたっ、いたたっ!|
//|母港/詳細閲覧(バレンタイン)||
//|母港/詳細閲覧(ホワイトデー)||
//|母港/詳細閲覧(春本番)||
|母港/詳細閲覧(四周年記念)|提督、おめでとうございます! 艦隊は&ruby(フォース アニヴァーサリー){Forth anniversary};((4周年))を迎えました。皆さんに、感謝 ですね!|
|母港/詳細閲覧(五周年記念)|提督、おめでとうございます! 艦隊はFifth anniversaryを迎えました。すごい! 皆さんに本当に感謝、ですね!|
|母港/詳細閲覧(周年記念汎用)|提督、おめでとうございます! Saraもこの日をご一緒できて嬉しいです。|
|母港/詳細閲覧(梅雨)|これが噂のツユですね、確かに雨ばかり。&ruby(ユージン){Eugen};((オイゲンの英語読み。プリンツ・オイゲンのこと。サラトガがオイゲンをわざわざ英語読みするのはオイゲンが米軍に接収された際に「プリンツ・ユージン」に名前を変えられたためと思われる。)) それは?え、呪いの人形じゃ・・・。あぁそうなんですね、私も挑戦してみます!|
|母港/詳細閲覧(初夏)|水着ですか。どうしよう…Iowaはオフシーズンでもあんな格好だし。Saraは…う~ん…考えておきますね。|
//|母港/詳細閲覧(夏)||
|母港/詳細閲覧(秋)|この国の秋、いいですね。Sara、この季節好きかもしれません。あれ? 皆さん装備の手入れを初めて…もうすぐ何が始まるんです?|
|母港/詳細閲覧(晩秋)||
//|母港/詳細閲覧(秋刀魚)||
|母港/詳細閲覧(クリスマス)|&ruby(メリー クリスマス){Merry Christmas};!提督。サラ特製の大きな大きなターキーサラダサンドイッチ作ってみたんです。どうぞ、召し上がれ|
//|母港/詳細閲覧(師走)||
|ケッコンカッコカリ(反転)|COLOR(#F0F8FF):|
|ケッコン後母港(反転)|COLOR(#F0F8FF):|
|編成|航空母艦Saratoga抜錨します。続いて。|
|出撃|CV-3、サラ、出撃します!((「CV」は「航空母艦」の略号)) 皆さん行きましょう!|
|~|航空母艦Saratoga抜錨します。続いて|
|遠征選択時||
|アイテム発見|&ruby(オー マイ ゴッド){Oh my god};...|
|開戦|行きます! 航空隊、発艦はじめ!|
|航空戦開始時|行きます! 航空隊、発艦はじめ!|
|~|サラの子たち、お願いします!|
|夜戦開始|艦隊前進、追撃戦に移行します! サラに続いて!|
|攻撃|Attack!|
|~|艦隊前進、追撃戦に移行します! サラに続いて!|
|連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃|サラの子たち、お願いします!|
|小破|あぁーーっ!!|
|~|え、飛行甲板に!?&ruby(ダメージ コントロール){Damage control};を!|
|中破/大破|やだ、もう……飛行甲板とお尻が……|
|勝利MVP|Oh my god! サラの戦果がそんなに?&br;何か申し訳ない気もします。|
|旗艦大破|え、飛行甲板に!?Damage controlを!|
|帰投|作戦完了です、提督。|
|補給|&ruby(センクス ア ロット){Thanks a lot};((どうもありがとうございます))! ありがとうございます。|
|改装/改修/改造|&ruby(ビューティフル){Beautiful};. いい子たちですね。|
|~|いい艦載機。この子もいいですね。|
|~|Oh my god...|
|入渠(小破以下)|Sorry. 少しだけ休みます、提督。|
|入渠(中破以上)|I'm sorry. 後方でお休みを戴きます。ごめんなさい、提督。|
|建造完了|新造艦、就役です。|
|戦績表示|情報ですね。サラが整理してお持ちします。|
|轟沈(反転)|COLOR(#F0F8FF):Oh my god、サラ…ここで沈むというのですか?提督、お別れです… Goodbye...|
|時報|[[改>Saratoga改]]より実装|
|放置時|うん、これで艦載機も問題なし。たくさん積めるから整備は大変。&br;あらナガート! Hi! え? これから演習なの?&br;ごめんなさい、サラは今日は執務室勤務なんです。また誘ってね。|
}}

*ゲームにおいて [#about]
-2016年11月19日実装。2016年秋イベント「[[発令!艦隊作戦第三法>発令!「艦隊作戦第三法」]]」最終海域[[E-5>発令!「艦隊作戦第三法」#area5]]突破報酬。
--その後、[[2018年冬イベントの最終海域E-7>捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)/拡張作戦]]のXマスでドロップ報告がある。
-射程中、夜戦で砲撃など、[[Graf Zeppelin]]と同じ特徴を持つ。
--これらの特徴のうち、前者は[[改造>Saratoga改]]すると&color(Silver){主砲が小さくなるせいで};無くなってしまうが、[[2度目の改造>Saratoga Mk.II]]、及び[[そのコンバート改装>Saratoga Mk.II Mod.2]]で復活する。
後者については、改以降は砲撃による夜戦は出来なくなるが、Saratoga Mk.IIのみ夜間戦闘機か夜戦攻撃機のいずれかだけで夜間航空攻撃が可能となる(他は[[夜間作戦航空要員]]も必要)。
--OTO副砲2個、村田隊2個で夜戦火力110×2の連撃となる。&color(Silver){主砲口径はこっちの方がでかいのにGraf Zeppelin改よりも火力が……。};
--夜戦火力は[[香取型>香取]][[姉妹>鹿島]]や([[島風]]を除いた)未改造駆逐艦と同程度のため、重巡以上の敵艦を仕留める事はかなり難しい。
随伴の駆逐艦程度は倒せるが基本的に夜戦での砲撃はおまけ程度と考えた方がよいだろう。
-艦載機は「搭載:80」の「27/19/19/15」とかなりの大容量を誇る。
--この第2スロット以降がフラットなバランスは[[大鳳]]に近いものだが、第4スロットも15機とかなりの搭載数がある。
敵にツ級がいない海域ならば、第1~第4スロットまで艦攻を搭載して運用できるレベルである。
---ただ、偵察機を運用するには若干過剰な感じになる。
--[[Saratoga改]]になると第2スロット以降が完全に均等になる((36/18/18/18。))。
-2017年9月12日アップデートで「正規空母一隻の改二実装」が予告され、ランカー報酬で配布された装備([[F6F-3N]]、[[F6F-5N]]を参照)や、コンプティーク2017年10月号で「夜戦空母で運用することで、その真価を発揮していきます」とコメントされていたこと、&br;史実で大戦末期に作戦用夜戦空母として合流したことなどから、[[改二に相当するMk.II>Saratoga Mk.II]]が実装されるに至った。しずま艦では、[[長門改二]]以来となる2隻目の改二である。
--これに伴い、大型建造で建造可能となった。ただし、公式アナウンスによれば「特定の条件下」でなければならない模様。
『コンプティーク』2017年11月号では[[神威]]を旗艦にする事で建造できる事が明言されている他、[[Iowa]]旗艦でも建造できる事が確認されている。
//詳細な条件については検証中であるが、[[Iowa]]若しくは[[神威]]を旗艦にする事で建造できる事が確認されている。
---ちなみに建造時間は5:30であり同様艦娘不在のため、引いた瞬間にSaratogaが確定する。
---[[酒匂]]を秘書艦にすることでも建造に成功したという報告が上がっている。 但しこちらについては報告数が少ないため、上記2人を秘書艦にしたときに比べて建造できる確率が低いという可能性もある(要検証)
**キャラクター設定について [#r1be723d]
-レキシントン級空母の特徴である大きな煙突を象った彼女の髪飾りには、黒いラインに白字で「''E''」が描かれている。
黒いラインはレキシントンとの識別用に引かれていたもので、「E」は1938年8月の演習で、サラトガがその技量を称えられて「[[Excellence in Engineering(機関科最優)>https://en.m.wikipedia.org/wiki/Battle_Effectiveness_Award]] 」の称号を与えられたことを記念し描かれたものである。[[参考写真(なお、写真の日付は誤り)>http://www.navsource.org/archives/02/020342.jpg]]
--ちなみに、サラトガは翌年も受賞しており、その際にはEの下に複数回受賞を示すハッシュマークが入れられた。
-艤装の後部には「''SARA''」の文字があるが、これも実際にレキシントンとの識別用に書かれていたものである。レキシントンの方には「''LEX(レックス)''」と書かれており、これはそのままレキシントンの愛称になっていた。
[[参考写真(1932年、ピュージェット・サウンド海軍工廠でのレキシントンとサラトガの空撮)>https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d9/USS_Lexington_%28CV-2%29_and_Saratoga_%28CV-3%29_at_the_Puget_Sound_Navy_Yard_in_June_1932.jpg]]
-彼女が持つ飛行甲板は、「トミーガン」の綽名で知られるトンプソン短機関銃がモデルとなっている。第二次世界大戦の代表的な米軍歩兵火器である他、戦前はギャングと法執行機関双方が使ったことで知られる。
トンプソン短機関銃には多くの種類があるが、イラストのものはフォアグリップ(M1928A1で廃止)とストックのクロスボルト(戦時急造型のみ)、削り出しのセレクター(M1928A1まで)からM1928の戦時急造型に近い。
--艦これスタイル参の公式設定資料によると、[[M1928の米海軍モデル>http://jamesdjulia.com/wp-content/uploads/images/auctions/252/images/org/33459x1.jpg]]がベースになっているとのこと。((実際のM1928海軍型にクロスボルトはないが、艤装に改造する際に追加されたのかもしれない。ちなみに実銃では、第二次大戦勃発後の増産に伴ってストックの補強用に導入された部品である。))
---二重トリガーで甲板へ艦載機を移動、発艦させる等凝った構造であることが判明した。
--実銃だとセレクターは左側に付いているが、左手で操作するためかイラストは右側に付いている。
--太股には30連発の箱型弾倉((30連発と20連発の区別は難しいが、ドラム型弾倉とほぼ同じ長さなのと残弾確認用の穴が6個あることから区別可能。20連発弾倉はより短く穴は4個しかない。))、スカートの裏には50連発のドラム型弾倉が描かれている。後者は軍用としては大きく嵩張り生産性も悪かったため、後に廃止されM1からは取り付け自体ができなくなった。
[[参考写真>https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1b/Thompson_Magazine.JPG]]。右上が50連発ドラム型弾倉、右中段が30連発箱型弾倉、右下が20連発箱型弾倉、左が分解したドラム型弾倉である。
--中破グラでは銃弾型の艦載機がこぼれ落ちているのが確認できる。
--ちなみに、45ACP弾を装填済みの50連発ドラム型弾倉は一個当たり約4.75ポンド、同じく装填済みの30連発箱型弾倉は1個当たり約1.75ポンドある。イラストでは前者を5個、後者を3個持っているため、それだけで''約29ポンド(およそ13キログラム)の重量が掛かっていることに。''意外とタフである。&color(Silver){あとスカートも。};

-改になると衣装や艤装の色が黒に変わる。これは大戦中の塗装変更を反映したもの。詳細は[[Saratoga改]]を参照。
*小ネタ [#trivia]
-レキシントン級航空母艦2番艦。艦番号は「CV-3」。
--第二次世界大戦におけるアメリカ海軍最大の航空母艦。極初期に建造された旧式艦でありながら空母としての完成度は非常に高く、すでに近代的空母の要件をほぼ満たしていたと評される。
---1927年11月竣工のサラトガは、艦これ実装済みの空母カテゴリーにおいては[[鳳翔]](1922年12月)、[[赤城]](1927年3月)に次ぐ三番目の古参艦である。
実は一番艦のレキシントン(1927年12月)よりも早いため、今後イギリス海軍の旧式空母((「世界初の空母」アーガス、赤城や加賀の三段式甲板の元になったフューリアス、ドイツのシャルンホルスト級2隻の砲撃で撃沈されたグローリアス、鳳翔と「世界初の新造空母」の座を争い、最期は南雲機動部隊に撃沈されたハーミーズなど、多彩な顔ぶれである。))および、アメリカ海軍初の空母ラングレーが実装されない限り不動となるだろう。
--生涯において延べ''98,549機''もの艦載機が着艦した。これは空母の最多着艦記録である。
-戦前の日本で発行されたカラー絵葉書には、米国製航空母艦としてレキシントンが紹介されているものがあった。
基準排水量33,000t、速力33ノット、搭載機数120とのデータと共に、「サラトガ號と姉妹艦にして同様海軍協定により巡戦より改造せるものにして米国第一線用航空母艦なり」との説明がついていたが、それはサラトガの写真であり、日本側は[[伊26]]同様この姉妹の区別がついていなかった。
--また珊瑚海海戦の戦闘詳報にはサラトガと書かれており、暫くの間沈めたのはサラトガだと考えていた。
-艦名は米独立戦争の「サラトガの戦い」(1777年)から。この戦いは装備に劣る米側が勝利することで英軍に対抗できる実力があることを示しただけでなく、フランスが米側について参戦する契機となった。
--同名艦としては5代目となる。
--ちなみに初代「サラトガ」はスループと呼ばれる帆走船であり、米英戦争時に[[錨を利用した急転舵>秋津洲]]によって英海軍に痛撃を与えた武勲艦である。
-サラトガはアメリカ艦の例に漏れず多くの綽名で呼ばれており、「''サラ''(Sara)」、「''オールド・サラ''(Old Sara = サラお婆ちゃん、ただし古参空母への敬意であり悪意はない)」、「''レディ・サラ''(Lady Sara = サラお嬢様)」、「''シスター・サラ''(Sister Sara = サラちゃん ((この場合のsisterは姉妹というよりも若い女性への親しみを表す単語。)) ) &color(Silver){%%サラっち%%};」、「''シップ・オブ・ハッピーランディングズ''(Ship of Happy Landings)」、「''縦縞煙突のサラ''(Stripe-Stack Sara = レキシントンとの識別用に引かれた黒帯から)」といった愛称から、損傷で主要な海戦に参加できないことから「''サラ丸''(Sara Maru = 米海軍が大変な時に大抵損傷で戦えないことを揶揄し日本の船のように呼んだもの)((理由は様々だが「〇〇丸」という渾名を持つ艦はたくさんある。戦中では戦艦テネシーが“Tenny Maru“、空母ホーネットが“Horny Maru“、重巡洋艦ソルトレイクシティとインディアナポリスが“Swayback Maru“、同サンフランシスコが“Frisco Maru“、戦後も空母コーラル・シーが“Coral Maru・Cruel Maru・Three Screw Maru“、フリゲート フランシス・ハモンドが“Frannie Maru“、原子力潜水艦サンドランスが“Sandbar Maru“等。))」、「''前線へ出たがらない龍''(Reluctant Dragon)」、「''睡蓮''(The Pond Lily=見た目は立派だが浮いてるだけ)」、「''トーピード・ジャンクション''(Torpedo Junction = 何度も雷撃されたことを当時の人気曲のタイトル“[[タキシード・ジャンクション>https://en.m.wikipedia.org/wiki/Tuxedo_Junction]]“に掛けたもの)」という悪意全開のものまであった。&color(Silver){提督諸兄が彼女をどう呼ぶかは自由である。};
-日本人にとっての太平洋戦争というと、一般にはアメリカの物量に一方的に押し潰された戦いというイメージが強いが、それは%%真珠湾で恐怖と怒りを呼び起こされ大慌てで発案した%%アメリカの兵器大増産戦略が結実する大戦後期の話であり、真珠湾~南太平洋くらいまでは大国アメリカであっても「配られたカードで勝負するしかない」状態だった。
そして真珠湾で多くの戦艦を戦闘不能にされたアメリカにとって、レキシントン級・ヨークタウン級といった大型空母はなけなしの切り札であり、緒戦を持ちこたえ、日本軍の短期決戦戦略を頓挫させる一因をもたらした、値千金の功労者だったと言える。
即ち、真珠湾後の再建途上にありながら日本海軍と対峙することを余儀なくされるという、総崩れギリギリの非常に旗色が悪い状勢であっても決して彼女らを出し惜しみせず、むしろドーリットル空襲に代表される、空母の長所を可能な限り活かしきる一撃離脱戦法を継続した。そんな米海軍機動部隊は日本にとって悩ましい存在であり、これを一挙に撃滅すべく連合艦隊司令部がミッドウェー作戦を発動することになったのである((とはいえ乾坤一擲のミッドウェーで日本の主力空母4隻を沈めたものの、同年南太平洋で稼働空母ゼロに追い込まれたりと、実際にはどうにか痛み分けの膠着状態に持ち込んだ感じである。その頃になってようやく反抗のための一大勢力が整い始め、逆転の兆しが見えてきたという流れだった。))。
**設計・性能について [#m4c80811]
***レキシントン級巡洋戦艦 [#da9cdf99]
-日本の八八艦隊計画と規模や構成が似通っているためよく比較されるダニエルズプラン、別名三年計画と称されるアメリカ合衆国の一大建艦計画の中で構想された、大型巡洋戦艦。
--アメリカは低速・重防御の戦艦を好んだことから巡洋戦艦の整備が遅れていたが、各国が次々高速の巡洋戦艦を建造していくうちに追随の必要を感じ、6隻を計画した。
--しかしその設計・性能は確固たるドクトリンに依るものとは到底いえず、列強のものと比較してかなり低い評価を下されている。端的に言えば「巡洋艦を圧倒するための艦」という、巡洋戦艦のコンセプトを突き詰め''過ぎた''設計。当初設計では七本煙突で、機関の一部はバイタルパートの外に置かれるなど、かなりのキワモノだった。
--ユトランド海戦の情報が伝わり、技術の進歩もあって改設計が進められた結果、最終的には二本煙突まで整理され、それなりにバランスのとれた性能に落ち着く。しかし同時期に計画されていた天城型はおろか、当時の時点で時代遅れ扱いだった金剛型以下の装甲防御は、対艦戦を考えると貧弱そのものであった。
実際日本海軍は同級をそれほど脅威とみなしていなかったことが判っている(同じ三年計画で構想された大火力・重防御のサウスダコタ級戦艦については非常に警戒しており、紀伊型以降の設計修正に繋がっている)。
--ご存知、ワシントン海軍軍縮条約にて建造中止。例外規定により二隻を空母化する権利が認められたことから、高速の同級が選ばれ、レキシントンとサラトガが改装・就役した。
--ちなみにサラトガはレキシントン級巡洋戦艦では3番艦であったが、2番艦のコンステレーションよりも建造が進んでいたために解体を免れた。
--レキシントン級巡洋戦艦はキャンセル・解体された姉妹にも逸話が多い。
---5番艦コンスティテューションは米英戦争における武勲艦である帆走フリゲートの襲名艦として建造されたが、当の[[先代コンスティテューション>http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/75bb53462f2541e8a86bfff2c4e25b0b]]はその当時も記念艦としてアメリカ海軍に在籍していた。
このままでは同じ名前の艦が2隻在籍することとなるため、アメリカ海軍は1917年に先代を「オールド・コンスティテューション」と改名させたのだった。
が、コンスティテューションの建造がキャンセルされたため改名の意味がなくなり、1925年に結局先代は元のコンスティテューションに再改名されることとなったのである((コンスティテューションは2016年現在でも大補修を経て健在で、アメリカ海軍に在籍・動態保存扱いされている。ちなみに航海が可能な軍艦では現存する世界最古の艦である。))。
---6番艦ユナイテッド・ステーツはこの後ずっと襲名艦が建造中止になったり(CVB-58ユナイテッド・ステーツ)、別の名前と差し替えられる(→CVN-75ハリー・S・トルーマン)など「その名前の艦が就役しない呪いの艦名」の始祖となるのである。
***航空母艦として [#n8ac9323]
-前述の通り、当初から非常に完成度の高い大型航空母艦として就役。
--エンクローズドバウや全通甲板、アイランド式の艦橋など、同時期に完成した日本の[[赤城]]・[[加賀]]と比べても遙かに近代的なシルエットを形成していることがわかる。
--3万トンを超える巨大な船体は数々の改装を受け入れるキャパシティを十分に有しており、アメリカ航空母艦の技術的発展に大いに寄与することになった。
--就役当時の航空機の技術水準と水上艦艇への対策から、同時期の各国空母同様に対艦兵装として[[8インチ(203mm)砲>8inch三連装砲 Mk.9]]をアイランドの前後に合計8門搭載していた((真珠湾攻撃後撤去され、のちに同位置に5インチ両用砲が装備されている。))。この配置は両舷に全門を向けられるため、水上戦闘には向いているが、上構の肥大化につながり航空作業上は好ましくないため一長一短である(まあ砲塔以前にアイランドと煙突がすでに十分デカ……げふんげふん)。
-機関には蒸気タービンで発電機を回し、発電した電力を制御器を介してモーターへ送って推進力を得るターボ・エレクトリック方式を採用している。
--燃費の向上や軸回転数の細かい調整などが簡単な利点があったこともあり、ターボ・エレクトリック推進は戦艦ニューメキシコ以降軍縮での戦艦建造中断までアメリカ戦艦で採用され続けた。
1910~20年代にこんな技術をものにできたのも、ひとえに当時のアメリカが電気技術先進国だったからである。
//---逆に言えば当時最先端のギアード・タービン技術で日英に立ち後れていたからこそ、こんなキワモノを開発する羽目になったわけで……げふんげふん
--ターボ・エレクトリック方式の特色のひとつとして、推進用モーターを逆回転することにより別途後進用ギアを用いる事無く全力で後進が可能となる。レキシントン級は''後進全速で30ノット以上を発揮可能''であり、実際に試験が行われた実測値である(ヨークタウン級も同じく試験され、17.5ノットを記録)。
何故こんなことが実際に試験されたのかというと、飛行甲板後部に艦載機が満載された状態に備えて、艦首側から着艦可能とすることが想定された為であり、着艦制動装置も前部飛行甲板に装備された。また、後のエセックス級空母の船体設計時でも後進時の造波抵抗低減を考慮して艦尾形状を艦首と同じように形成していたりする。
だがしかし、前進状態から着艦可能なほどの後進速力へ加速するのは相当の時間を消費する訳で、実用性があったのかは疑問符がつく。実戦で行う機会はもちろん''無かった''。((実戦では使われなかったシステムだが、後年製作された映画「トラ!トラ!トラ!」や「ミッドウェイ」などの撮影で赤城や飛龍役の空母が後方から艦載機を発艦出来たのはこのシステムのお陰なので、リアルな戦争映画の製作に寄与した点では評価できる。))
--搭載する電気モーターもその総出力は21万馬力を誇り、最大速力は公試運転で姉のレキシントンは34.59ノット、サラトガ自身は35.6ノットという速力を発揮したとされる。これは第二次世界大戦に参戦した空母では最速である。
--定格18万馬力の蒸気タービンで発電機を回すためその総発電量は下手な発電所並で、レキシントンが1929年12月から1930年1月までの1ヶ月の間電力枯渇に陥ったタコマ市に電力を供給し続けたという伝説すら持っている。&color(Silver){うおォン 私はまるで艦娘火力発電所だ。 };
---後にアメリカ政府はこの事例を範にとって、有事の電力供給を行う「海に浮かぶ火力発電所」発電船の建造を行った。
発電船はアメリカ統治時代の沖縄本島でも使用されていた。
-格納庫は一段で長さは船体の半分ほど。格納庫は前部エレベーターから始まり後部エレベーターを挟んで船体後部まで続いている。格納庫の長さだけなら1万トンのイギリスの空母ハーミーズ(初代)と同じくらいである。
-またレキシントン級では後の米空母と異なり格納庫は密閉式を採用している。そのためか珊瑚海海戦では姉のレキシントンが被雷時の航空燃料の漏洩で格納庫に充満した気化ガスが引火して爆発、致命傷となるという、後の&color(Gray){[[某日本空母>大鳳]]と同じ?};末路を辿っている。
-水中防御は巡洋戦艦時代の設計が引き継がれ、対TNT火薬227kgほどが想定されていたと言われる。サラトガは大戦中にバルジの大型化をして幅が増えており、パナマ運河の通行が出来なくなった。
**艦歴について [#u3cba5ef]
-1925年4月7日にカーティス・D・ウィルバー海軍省長官の夫人により命名され進水、1927年11月16日に竣工する。なおどちらも姉より早かった。
就役時には、旗艦艦橋(flag bridge)などの旗艦設備はサラトガのみに設けられ、レキシントンにはなかった。((そのため旗艦での艦長勤務を嫌ったアーネスト・ジョゼフ・キング大佐はレキシントンの艦長を選んだ。))
--フィラデルフィアを出港した際、Evening Star紙は「アメリカの一線級空母に対抗できるものはどこの海軍にもない」と書いている。
--1928年1月には、当時41歳の飛行長マーク・A・ミッチャー少佐(後の[[Hornet]]初代艦長)がサラトガに初着艦する。
-サラトガはレキシントンとともに、アメリカ太平洋艦隊第一航空戦隊に編入、サンディエゴを母港に活動する。戦間期には映画に出演する事もあった。
--1931年に海軍の協力の元に製作された「Hell Divers」では、サラトガを舞台にしたロケが行われ、艦内の様子や艦載機の発着艦シーンと行った貴重な映像が、軍事機密により一部検閲を受けながらも撮影され、映画にリアリティと迫力をもたらした。但し、いくつかのシーンではレキシントンの映像がゴッチャにされて使用されている。
---時を経て2014年に公開された映画「GODZILLA」では、一枚の写真として、しかもわずかな時間の登場ではあるが、再び映画出演を果たした。さらには別のシーンで登場する架空のニミッツ級原子力空母の艦名がサラトガだったりする。
-戦間期のサラトガはサンディエゴを拠点とし、姉のレキシントンと共に演習に明け暮れ、パナマ運河や真珠湾への攻撃訓練を行った
--因みに1938年から1年ほど、戦闘部隊航空群司令官((Commander, Aircraft, Battle Force: 略称COMAIRBAT]))としてレキシントンとサラトガを率いた人物にアーネスト・ジョゼフ・キングがいる。後に彼は真珠湾攻撃後にアメリカ海軍史上初めて置かれた艦隊指揮権を持つ大統領直属の合衆国艦隊司令長官((統合参謀本部のメンバーで日本海軍の軍令部総長に相当))と海軍作戦部長((海軍省を担当。実質的には海軍作戦副部長フレデリック・ジョゼフ・ホーンに委任))を兼任し、第二次大戦終結までアメリカ海軍を率いる大物提督である。彼は山本五十六より6歳上の古参にもかかわらず、パイロットの資格を持つ航空機重視の提督でもあった((レキシントン艦長の経験もある))。
太平洋戦争時の太平洋艦隊司令長官を務めたチェスター・ニミッツは彼の直属の部下にあたる。
---キングは大の「日本嫌い」としても有名。アジア艦隊所属の巡洋艦「シンシナティ」に配属されていた時、浦賀に寄港して鎌倉見物をした際にスリにあい、財布を盗まれてしまう。鎌倉駅について盗まれたことに気づいたキングは、仕方なく駅員に事情を説明して、後で払うから横須賀までの切符を欲しいと願い出たが、駅員は認めずトラブルとなった。
この一件以来、キングは日本に悪印象を持ったようで、その後海軍大学在籍時には鎌倉での体験を元に日本が奇襲をかけてくるだろうと推測してレポートを出したりしている。太平洋戦争末期、以前は反対していた陸軍の「日本本土攻略作戦」を、突如賛成に転じたキングに、ニミッツが賛成の理由を聞いたとき、キングは「40年前に盗まれた財布を取り返せるかと思ってね」と答えてすらいる。
-1941年1月6日、ワシントン州ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍造船所に改修のため入渠する。この時飛行甲板の幅を拡大し前方に延長した。また右舷にバルジを装着、さらにRCA CXAMレーダーを搭載した。この改修は4月に終わり、その後同年11月ピュージェット・サウンド海軍造船所に修理のため戻るまでハワイにとどまっていた。母港のサンディエゴに戻ったのが12月7日であり、その日が開戦の日であった。
-太平洋戦争開戦時、太平洋艦隊に所属していた3隻の空母のうちの1隻((残りはエンタープライズとレキシントン。))。
-開戦の翌日にハワイに向けて出港、ウェーク島の海兵隊へのF2Aバッファロー戦闘機18機の輸送の命令を受ける。しかし途中で荒天にあい、護衛の駆逐艦の燃料が不安になったオーブレイ・W・フィッチ少将は作戦を中止し引き返した。「フィッチ少将は意気地なし」という噂が広がると共に、サラトガも「ファイトに欠ける空母」という目で見られることになった。これがサラトガへのケチのつきはじめであった。
-開戦からひと月ほど経過した1942年1月12日、サラトガはいきなり日本潜水艦の雷撃で大破してしまう。
#fold(サラトガ対伊6){{
サラトガ対伊6
--真珠湾攻撃の際、日本海軍潜水艦部隊は25隻の伊号潜水艦を派遣してオアフ島を包囲、湾を入出港しようとする米艦艇を捕捉撃滅すべく監視哨戒を続けていた。しかし米軍の重要拠点である真珠湾の警戒は厳重で戦果を1隻も挙げれぬままに月日がたち、逆に開戦翌日には伊70が哨戒任務中の空母エンタープライズの艦載機の返り討ちを受けて撃沈されてしまう。そうこうするうちに燃料搭載量の少ない海大型の潜水艦は燃料が乏しくなり次々と後退、伊6など航続能力の高い巡潜型7隻だけで監視哨戒を継続する羽目になってしまう。
--そして1942年1月12日夕刻、監視哨戒を続ける伊6の見張り員が25,000mの先に米艦艇を発見する。これが護衛艦艇を従えてエンタープライズらと合流すべく真珠湾を出港したサラトガだった。艦長の稲葉通宗中佐は直ちに潜航、追撃に移る。しかし潜航速力6ノットの伊6に対して、サラトガの巡航速力は14ノットであり、追いつけるはずもなく、2万mの距離を中々縮める事が出来ない。しかし追撃を開始してから1時間後に、幸運にもサラトガら米艦隊は突如針路を変更、伊6の斜め前方から横切る形になる。距離は4,300mまで詰めるがそれ以上は縮まらない。伊6は酸素魚雷を搭載しておらず、この時は通常の89式魚雷、射程はぎりぎりだった。
--日没も近づき、時間があまりないと判断した稲葉艦長は攻撃を決断、艦首発射管4門全てを発射する。遠距離雷撃であり命中はまず無理だろうと考えていたが、命中予定時間を大分過ぎて命中音2発が響き渡った。命中を確認した稲葉艦長は速力を2ノットに落として無音航行にして戦場を離脱。恐れた護衛艦艇による爆雷攻撃もなく、付近が静まってから浮上する。洋上は何もない暗夜で漂流物もなく、艦長は「レキシントン型空母1隻を概ね撃沈確実と推定する」と報告する。
--稲葉艦長らはレキシントンだと思っていたが、実際はサラトガだった。しかしこの時のサラトガの損傷は、破孔が左舷中央10番ボイラー付近の1カ所だけだったので、記録では魚雷1発を被弾したとされている。これにより舷側壁を内部に押し込み、その内側のフレームや配管を損傷し浸水を誘発、3つのボイラーが満水となり1つに浸水、その量は1,100tに及んだ。結局サラトガは真珠湾に舞い戻って応急修理の後アメリカ本土のプレマートン軍港にて本格的に修理する事になる。その修理は約5か月に及び、そのため苦戦する太平洋戦争緒戦で米海軍は貴重な大型空母の1隻を戦力外とされてしまう。
---因みに真珠湾からプレマートンに向かう際、搭載する航空隊は陸上にあげ、戦力として活用できるようにしたのだが、同隊は珊瑚海海戦で航空隊を損耗したヨークタウンにそのまま移籍してミッドウェー海戦に参戦、艦爆隊は蒼龍を撃沈(加賀にも攻撃したという説もあり)、またエンタープライズ艦爆隊と合同で飛龍も攻撃、エンタープライズ隊の攻撃が飛龍の回避で失敗する中、見事爆弾4発を命中させ飛龍は沈没、猛将山口多聞率いる二航戦を壊滅させる戦果を挙げる。
---またこの時にそれまで搭載していた20センチ連装砲塔4基も陸揚げし、12.7センチ両用砲を搭載している。陸揚げされた20センチ砲はオアフ島要塞の沿岸砲として使用された。
--攻撃した伊6の稲葉通宗艦長らは命中音を2つ聞いているが、サラトガの破孔は1カ所だけであり、そのため記録も命中は1発となっていて日米双方の記録が食い違っていた。しかし戦後になってその真相が判明する。
終戦後、佐世保鎮守府でアメリカ海兵隊との連絡将校として勤務していた稲葉艦長のもとに、一人の通訳がやってきて「従軍牧師が『貴方を連れて来い。思い切りノックアウトしてやる』と言っている」と言う。何のことかわからず別棟の教会に通訳と共にやってきた稲葉を迎えたのは、見上げるような巨体の従軍牧師だった。それが件の稲葉を連れて来いと言っていたクック牧師だった。
彼は稲葉に会うなり「こんなうれしいことはない」と言って握手し、稲葉が1942年1月にサラトガを攻撃した日本潜水艦の艦長だと確認すると「貴方は日本の潜水艦艦長の中で一番攻撃が上手だ」と言って褒め称え出した。その理由を聞いた稲葉艦長は驚愕する。
クック牧師によると、彼はその時サラトガに乗艦しており、伊6の魚雷は最初に1発が命中した後、間髪入れず次の魚雷が、開いた破孔の中に飛び込んで炸裂したそうである。つまり同じ個所に続けて2発が命中したので、破孔が1つしかなく、それで米側では「1発命中」と記録されたのであった。
---米側も当初は1発命中にしては余りにも大きく破壊されている破孔から「日本の魚雷は米軍よりも1.5倍~2倍の炸薬を詰めているのでは?」と疑ったようだが結局確定されず、以後のソロモン諸島での一連の戦いで日本海軍の水雷戦で初めて認知することになる。
--クック牧師は「あの時、仲間たちともしこの戦争に生き残り勝つことが出来たなら、あの時の潜水艦長を見つけ出して思い切りノックアウトしてやろうと語り合ったものです。ですが戦争がすんで、こうして敵同士が一堂に会して話し合うことが出来るようになると、実に懐かしく愉快なものだと思うようになりました。日本には『昨日の敵は今日の友』という言葉があるそうですが、アメリカにも同じような言葉があります。今日はしみじみとそういう気持ちになれました」といって嬉しそうに語り、稲葉艦長を歓待してくれたそうな。
}}

-ミッドウェー海戦では、サラトガ所属航空隊が珊瑚海海戦で飛行隊を喪失したヨークタウンに搭載され活躍したのは上記の通り。しかしその代償に爆撃隊と雷撃隊が壊滅してしまい、以降再建までヨークタウンやホーネットからの寄せ集めで編成することになる。
-修理を受けて戦列復帰し、第2次ソロモン海戦では[[龍驤]]を撃沈。
--この時[[翔鶴]][[瑞鶴]]の攻撃隊はサラトガに気づかず、エンタープライズに殺到したため、サラトガは無傷であった。
-こうして第二次ソロモン海戦を無傷で切り抜けたサラトガだが、その後ふたたび[[潜水艦>伊26]]の雷撃を受け損傷する。
#fold(サラトガ対伊26){{
サラトガ対伊26
--1942年8月30日夜半、ソロモン諸島クリストバル島東方に展開して監視哨戒をする伊26は大型艦2隻、小型艦多数の集団を発見。この日は夜半でも真っ暗ではなく、水平線も見ることができたという。接近する伊26はその中にレキシントン級特有の巨大な煙を視認。艦長の横田稔少佐は攻撃を決意する。それは重巡ミネアポリスらを従えて哨戒行動をしていたサラトガだった。
--潜望鏡を挙げて接近した横田艦長は3000ⅿもの近距離に接近してサラトガの左舷正面方向から雷撃する。ところが攻撃に夢中だったせいか、潜望鏡の狭い視界のためかサラトガの左舷正面を航行している駆逐艦マクドノーに伊26は気づかなかった。潜望鏡に突如視界一杯に現れたマクドノーの船首に艦長は驚きすかさず急速潜航を指示、危うく衝突するところだった。しかし放った魚雷のうち2発がサラトガに命中、サラトガに乗艦していたフレッチャー少将ほか12名が負傷し、同艦も航行不能に陥る。ミネアポリスに曳航されてトンガのトンガタプ島へ退避、そこで応急修理を受けて真珠湾に退却、ソロモン諸島で激戦が続く中、再び戦力外となってしまう。
---これにより負傷したフレッチャー少将は、以後空母部隊の指揮官として復帰することはなかった。
--ガダルカナル戦が始まった8月7日時点で米海軍が太平洋で保有する空母は「サラトガ」「エンタープライズ」「ワスプ」「ホーネット」の4隻、そのうちホーネットは整備改修中で実働部隊は3隻だけだった。8月23日の第二次ソロモン海戦で空母「エンタープライズ」が中破、修理のため戦線離脱し、30日にはサラトガが前述の様に損傷してこれも戦線離脱、入れ替わるようにホーネットが前線に合流するも9月15日にはワスプが[[伊19]]の雷撃で沈没。米海軍はガダルカナル戦開始から1か月ほどで太平洋の稼働空母がホーネットだけになってしまう。慌てた海軍は真珠湾で修理を行うエンタープライズとサラトガの復帰を急いだが、&color(Silver){さすがに米帝といえども};2隻の早期復旧は困難だったようで、エンタープライズは10月23日に、サラトガは12月5日に前線復帰した。しかし戦線復帰したエンタープライズは僅か3日後に南太平洋海戦で再び中破し戦線離脱、ホーネットも撃沈され、今度は稼働空母がゼロになってしまう。日本ではガダルカナルの戦いは日本軍が苦戦ばかりしているイメージが強いが、実際は米軍も苦戦を強いられ撤退も真剣に検討されている程だった訳である。
--実際のところ、サラトガは主要な海戦の大半は損傷修理中で不参加に終わっており、米軍が苦境だった前半戦では第二次ソロモン海戦ぐらいしか参戦できていない。
---その分、所属航空隊が基地に展開したり他の空母に間借りしたりで大活躍しているのは上記の通りである。
}}
-1942年末に再び戦線に復帰し、翌年には本格的な修理と改装のため前線を退いたエンタープライズ((1942年10月の南太平洋で中破→応急修理の後1942年11月の第三次ソロモンに転戦し、ヌメアに修理の後に哨戒活動を開始し、1943年1月のレンネル島沖海戦に参加した。1943年5月に真珠湾に帰港し、同年7月に本国に帰国した。本格的な修理と改装を受けて1943年11月に復帰。))に替わって、ソロモン海域で唯一の米正規空母として機動部隊再建までの戦線を支え続けた。
--この期間には、大西洋から一時的にイギリス海軍の装甲空母ヴィクトリアスが応援に駆けつけた。同艦は米軍から貸与されたワイルドキャットやアベンジャーを搭載して共同作戦を行った。サラトガとヴィクトリアスは第14任務部隊(のち第36.3任務部隊に改称)を編成し、約2ヶ月間共に数多くの任務をこなした。
---この間ヴィクトリアスは「''ロビン''(ロビン・フッドから)」のコールサインで呼ばれたことで知られている。
--サラトガの特筆すべき戦果としては、たった2隻((もう一隻は後に比島沖海戦で戦没したUSS Princeton(CVL-23)))の空母で当時難攻不落と思われていたラバウル基地への空襲を敢行、ブーゲンビル島上陸部隊への反撃を期して集結していた日本第二艦隊主力の重巡7隻中5隻を撃破して退去に追い込んだことだろう。
#fold(サラトガの晴れ舞台・ラバウル空襲){{
サラトガの晴れ舞台・ラバウル空襲
--[[愛宕]]をはじめ7隻の重巡を束ねる日本第二艦隊の出現は、南太平洋軍司令官のハルゼー提督をして「在任中もっともきびしい」と言わしめるほどの緊急事態だった。
彼の手元にある有力な艦隊は、軽巡と駆逐艦のみの水上部隊と、空母が旧式のサラトガと中部太平洋方面から応援にきていた軽空母プリンストンしかなく((この空母群の護衛も軽巡と駆逐艦のみだった。))、前者はブーゲンビル島沖海戦((妙高や羽黒、川内を主力とする日本艦隊と交戦、川内や初風を撃沈した海戦である。))を戦ったばかりで後方に下がっており、なけなしの空母2隻も中部太平洋方面に戻す期限が迫っていた。
---ギルバート諸島攻略作戦を間近に控えていたアメリカ海軍は、新鋭のエセックス級やインディペンデンス級を南太平洋に派遣することを渋り((習熟訓練が不十分な新鋭空母を、日本の有力な航空部隊がいるソロモンに送るのは危険だと判断されたのもソロモンへの派遣が渋られた理由である。))、ハルゼー提督がニミッツ提督に強く要望して、やっと軽空母1隻を期間限定で貸し出してもらっていたのである。
--この苦しい状況の下、空母2隻によるラバウル空襲が発案される。
1943年11月5日、危険な賭け((空母によるラバウル空襲は、姉妹艦のレキシントンが1942年2月に日本海軍陸攻隊の反撃により未遂に終わって以来、一度も成功したことがなかった。))だと思われていたこの作戦は成功し、日本第二艦隊は無為に主力重巡の大半を傷物にされてトラック基地に逆戻りする羽目になった。
---日本側の損害は、重巡[[摩耶]]が大破、愛宕が艦長戦死、[[高雄]]、[[最上]]、[[筑摩]]、軽巡[[阿賀野]]、駆逐艦3隻が中小破と惨憺たるものだった。
摩耶の損傷は艦の放棄も一時考えられるほどのものだったが、辛うじて日本本土への回航に成功した。そしてこの損傷修理時に[[対空兵装の大幅な強化>摩耶改二]]が施されることととなる。
--この成功に乗じて戦果を拡大すべく、ハルゼー提督は空母3隻をニミッツ提督から借り受け、2つの空母機動部隊は11月11日に再びラバウルを攻撃した。
大損害を受けた日本第二艦隊はすでに後退しており、また悪天候により陸上基地航空隊の支援が中止になったことや、日本側航空隊の反撃で第二次攻撃が中止になったことで前回ほどの戦果はなかったが、それでも駆逐艦涼波(夕雲型・未実装)撃沈、[[阿賀野]]と[[長波]]を大破させた。
---これまでアメリカの空母は、比較的守りが手薄な基地相手の攻撃で経験を積んではいたが、ラバウルのような大規模な航空隊が駐留する基地を攻撃できた例はなかった。
古参のサラトガが成功させたラバウル空襲で自信をつけた空母機動部隊は、これ以降日本軍の陸上基地相手に猛威を振るうようになるのである。
またサラトガにとっては、亡き姉のレキシントンがかつて果たせなかったラバウル攻撃の任務を代わりに果たした形となった。
--一方、日本南東方面艦隊司令部はラバウルに水上部隊を駐留させることは危険と判断し、これまで水上戦闘や輸送作戦で奮闘してきた水雷戦隊の大半をトラック基地に後退させた。
これにより、ガダルカナル島争奪戦以来、ソロモン諸島で無数に繰り広げられた水上戦闘は事実上の終焉を迎えることとなる。
}}

-1944年3月から5月にかけてはサラトガが逆にインド洋へ赴き、イギリス東洋艦隊と合同で作戦にあたった。
--前述のヴィクトリアスの同型艦であるイラストリアスとともにサバン島(コックピット作戦)、スラバヤ(トランサム作戦)を空襲し、日本軍基地へ損害を与えた。[[共に映るサラトガとイラストリアス。>https://www.youtube.com/watch?v=rrafiaH9ru8]]

-大戦後半にはエセックス級以下、新鋭空母群の大量就役を受けて二線級化するも、巨大なキャパシティは相変わらずで、新たに油圧カタパルトも設置、ハワイで[[夜戦空母>Saratoga Mk.II]]の訓練部隊として活動することに。
--夜戦空母としては、インディペンデンス、エンタープライズに続く3隻目であった。
-1945年1月、サラトガはミッチャー中将率いる第58機動部隊に作戦用夜戦空母として合流する。かつてサラトガに初着艦した飛行長は、最強の艦隊を率いる中将になっていた。
-硫黄島攻略作戦を支援するため、1945年2月16日と17日、関東地方を空襲する。迎撃する日本陸海軍航空隊と大航空戦が行われた。この時千葉県・茂原基地の252空戦闘311飛行隊所属の岩本徹三少尉も出撃した。
-そして硫黄島攻略戦。日本が繰り出した特攻機の集中攻撃を受けて大損傷。沈没は免れるも、今度こそ戦線復帰はならなかった。
--この時の特攻隊は、第601航空隊から編成された村川弘海軍大尉率いる第ニ御盾隊[[零戦>零戦52型丙(六〇一空)]]12機、[[彗星>彗星(六〇一空)]]12機、[[天山>天山(六〇一空)]]8機であった。
--この時の雲高は1,000m、視界が効かずサラトガにとって不利な状況であった。16時59分、6機の日本機が突入対空砲火により先頭の2機は発火するがそのまま右舷中央部喫水線付近に激突、3番機が揚錨機に、5番機がカタパルト、6番機が炎に包まれたままクレーンに激突、わずか3分の間のことであったと記録されている。
---これにより前部飛行甲板が大損害を受け、格納庫では火災が発生した。だが元が巡洋戦艦であるサラトガの機関に問題はなく25ノットで航行可能であった。
--さらに18時45分、再び5機の日本機に攻撃され、4機を撃墜するものの、最後の一機が投下した爆弾により飛行甲板に7.5mの大穴が空いた。
---サラトガは死者及び行方不明者を合わせて124名、負傷者192名、36機を焼失、3機が不時着した。それでも20時15分には後部甲板への着艦が可能となった。この時、護衛空母から発進し誤ってサラトガに着艦したパイロットがいた。「危なかったぜ、俺はサラトガに乗ってなくてよかったぜ」駆けつけた整備員は「よく周りを見ろ、ここが地獄(サラトガ)だ!」と言い返したという。((その機体は護衛空母ビスマルク・シーの艦載機であり、ビスマルク・シーはそのころ、同じ特攻隊の別の機に突入され大炎上の末沈没していた。彼は結果として命拾いしたことになる。))
-その後、自力でピュージェット・サウンド海軍造船所に3月16日に帰還、3ヶ月で修理は終わった。その後は前線に戻ることはなく、ハワイにて練習用空母となった。
--さしもの巨体も、度重なる電探・対空機銃をはじめとする装備の追加等で、満載排水量が推定5万4千トンに達し、格納庫甲板が喫水線以下となってしまった。当たりどころが悪ければ大量浸水の危険もあったとされる。また、換装の機会を得ぬまま使われ続け航空機運用に支障を来たしていた小型の後部エレベータは最終的に撤去されて甲板と一体化されてしまった。格納庫の後半部も、居住区に改装されてしまった。
-マーク・A・ミッチャー少佐が初着艦してから1945年8月5日までにサラトガに着艦した機数は延べ89,195機である。
-戦後、クロスロード作戦で原爆の標的として使用される事になる。
殊勲艦として博物艦という途も無くは無かったが、いかなアメリカといえどこんな巨大なものを引き受けるのは州レベルの広域自治単位ぐらい。
地元ニューヨーク州は首を縦に振らず、戦艦ニューヨーク(BB-34)共々ビキニ送りにされてしまったのだ。
-1回目の空中投下による核実験「エイブル」では軽微の損傷ですんだのだが、続く水中での核実験「ベーカー」で船体に致命傷を受ける。
元来巡洋戦艦として造られた強靭な船体も、爆雷6万6千発分と見積もられた核兵器の破壊力には耐えきれるものではなかった。
被害状況調査のために曳船による曳航も検討されたが、船体も周囲の海水も高線量の放射能に汚染され、手がつけられない状態だった。
実験から3時間後には艦尾を海水に浸しはじめ、7時間30分後に完全にその姿を没し、アメリカ海軍の屋台骨を支え奮闘した「オールド・サラ」は長き眠りについた。
数々の激戦に命永らえたサラ嬢がこのような形で最期を迎えるのを、支援艦隊の米海軍将兵は複雑な思いで見守ったという。
--現在もサラトガはほぼ原形を留めた状態でビキニ環礁の海底に眠っている。浅海であり、放射線障害の危険性も低下したことから、ダイビングスポットとして人気を集めている。
--なお、太平洋戦争開戦時に就役していたアメリカ海軍の7隻の空母こと「セブンシスターズ((第二次世界大戦前に建造されたラングレー、レキシントン級、レンジャー、ヨークタウン級、ワスプから、開戦当時既に水上機母艦に改造されていたラングレーを除いた7隻))」のうち、戦後まで沈没せずに残った3隻の空母のうちの1隻((残りはエンタープライズとレンジャー。))である。
---ちなみに大本営発表では4回「撃沈」されている。9回「撃沈」されたエンタープライズには及ばないが。
---当時の戦記の珊瑚海海戦の項では、サラトガが「撃沈」された他になぜか[[ウォースパイト>http://wikiwiki.jp/kancolle/?Warspite]]も撃破されたことになってたりする。
**受け継がれる艦名 [#rd5a7564]
-歴代サラトガの名を継いだ艦艇は6隻あり、それぞれが活躍している。
#fold(初代 戦場を駆け抜けた短命の艦){{
初代 戦場を駆け抜けた短命の艦
1780年4月にスループ船として竣役。
独立戦争さ中の竣役であり、名前も3年前に大陸軍が勝利した「サラトガの戦い」を記念して名付けられた。
初任務はヨーロッパに向かう外交特使を乗せたフリゲート艦の護衛任務。しかし艦の不具合から速力が落ちはぐれてしまい。フリゲート艦は警戒していたイギリス艦隊に捕獲されてしまう。その後も遭遇したイギリス軍艦と3時間にわたり交戦するも決定打を与えられなかったり、嵐に遭遇して損傷したりと不運が続くも、その嵐で自身の不幸がはらわれたのか、同じ嵐で商船団から逸れたイギリス軍艦2隻を発見して交戦、これを降伏させると、本隊である商船団を追尾して発見、これまた攻撃して船団自体を降伏に追い込むなど大活躍。
1780年12月には友好国であったフランスの軍艦とタッグを組んでカリブ海に向かいイギリス艦艇狩りを始めるが、1781年3月、急な大風に船体が煽られて転覆し沈没、1年に満たない生涯を終えた。
}}
#fold(2代目 米国の危機を救った英雄艦){{
2代目 米国の危機を救った英雄艦
1814年4月にコルベット艦として竣役。
主にカナダ~アメリカ近海の沿岸警備任務に就く。唯一の実戦経験は米英戦争、1814年4月のニューヨーク州北部でのブラッツバークの戦いである。このときサラトガはトーマス・マグドノー提督指揮の下、天下のロイヤルネイビーを相手取ることに。このときのサラトガの惨状は「水兵の練度が低すぎて船酔いする者が続出」するレベルで悲惨だったため、マグドノーは湾の入り口で碇を降ろし、どっしり腰を据えて敵を迎撃する構えを見せた。そこに突っ込んできた英艦隊と交戦。碇を降ろしたためサラトガは揺れが少なく砲を撃つことが出来たが、逆に英艦隊は風に翻弄されて満足に射撃することができなかった。数時間の激戦の後、サラトガは敵に晒していた舷側の殆どの砲が使用不能となる。だがここでマグドノーが「艦首の碇を切って風の力で180度転換、無傷の逆舷の砲を使って敵をボコる」という奇策を実行。この戦法の結果戦闘能力を回復させたサラトガの奮闘により、英艦隊を降伏せしめることに成功したのである。1825年に退役。
}}
#fold(3代目 サムライと出会った艦){{
3代目 サムライと出会った艦
1843年1月に帆走スループ船として竣役。
しかし初出撃した翌日に強風に煽られてマストを破損し&color(Gray){あわや初代と同じ末路か!};と思われたが無事に母港に帰投した。
修理を終えて再出港し、アフリカ艦隊の旗艦となる。司令官は後に日本にやってきて日本の運命を変えることになるマシュー・ペリー代将。そしてサラトガも彼と共に大きくかかわることになる。リベリアに到着した同船はアメリカ人やその商業活動の保護と、奴隷貿易の牽制を担当する。ペリーは後に旗艦をサラトガから替えるが引き続きサラトガはペリーの指揮下で行動を共にする。
1845年、サラトガは新たな任務の為ペリーの指揮下から離れ本国に帰還。欧州方面で活動するはずだったがテキサス併合を巡ってアメリカとメキシコが対立、艦隊はメキシコ湾に派遣される事になり、サラトガも出撃する。更にブラジル艦隊所属となりリオデジャネイロに向かった。
その後はカリフォルニア沿岸で活動したり、本国艦隊に配備されてベラクルス沖で活動したりしていたサラトガは、1850年新たな任務を受けて東インド艦隊配属となり西太平洋に向かう。極東の島国に開国を迫るため、かつての上司であるペリー提督の指揮下に入ったのだ。1853年7月、日本に来た最初の黒船4隻の一つがこのサラトガである。艦隊は翌年の幕府の返答を待つため上海に移動。サラトガも上海で権益保護の任務に就く。
翌年サラトガは再びペリー提督の指揮のもと日本に来航、日米和親条約が締結され、その親書をアメリカ本国に運ぶ任務に就く。最もサラトガはハワイのホノルルまでで、親書をもった使節団はそこで下船して別の船で本国に向かったのだが…。

-日本では黒船と呼ばれるこれらの船舶だが、当然ながらそれぞれ名前を持っている。
ペリーが乗船していたのは蒸気外輪フリゲート艦「サスケハナ」で、他にサラトガの他に蒸気フリゲート艦「ミシシッピ」、帆走スループ船「プリマス」が随行した。2度目の来航の際は1回目の4隻のうちプリマスが外れてサスケハナと同型船の艦隊旗艦「ポーハタン」、帆走スループ船「マセドニアン」、帆走輸送艦「サザンプトン」「サプライ」「パンデーリア」そして後の5代目サラトガの姉と同じ名をもつ「レキシントン」が加わった。

サラトガはその後ホーン岬を経由してボストンに帰還、ノーフォークで数年間待機の状態となる。その後メキシコ湾の警戒任務に就くが南北戦争が勃発した事で本国に舞い戻り、デラウェア湾の封鎖任務に就く。後にカロライナ沖に移動して海上封鎖を実施、時には乗員を上陸させて南軍の拠点を攻撃し捕虜や物資の奪取を行っている。
南北戦争後はアメリカの海軍兵学校のあるアナポリスに移動し、砲艦として活動、更に練習船となり若い士官候補生たちの訓練を手助けした。海外への遠洋航海にも参加している。1888年に退役後はフィラデルフィアの州海事学校の練習船となり、1907年に売却された。
}}
#fold(4代目 3つの名前を持つ艦){{
4代目 3つの名前を持つ艦
1893年に装甲巡洋艦ニューヨークとして竣役。
竣役後は南大西洋戦隊に所属しリオデジャネイロで活動。1898年の米西戦争に参加し、ウィリアム・T・サンプソン提督の旗艦となる。サンチャゴ・デ・キューバ海戦ではアメリカ艦隊旗艦として活躍する。

-この海戦には各国の観戦武官が従軍しており、日本からは後の連合艦隊作戦参謀として日露戦争に臨む秋山真之がいた。この海戦での閉鎖船による港湾封鎖作戦を見た秋山のレポートを元に、後に旅順港閉塞作戦が立案されることになる。

ニューヨークは1901年にアジア艦隊への配属となり、横浜にも来航、ペリー提督来航記念碑の除幕式にも参加する。1903年には太平洋戦隊所属となり日露戦争中は戦隊旗艦として中立の立場を貫く。その後は予備役と再竣役繰り返すが、1911年に新造される超ド級戦艦に名前を譲ることになり、代わりの名前を名乗ることになる。それが「サラトガ」であった。
サラトガに改名後は極東で活動するが、世は第一次世界大戦が始まり、アメリカも連合国側として参戦すべきという世論が高まり、サラトガも1917年に完全に再竣役。メキシコへ向かうがその間にドイツの商船を拿捕している。
ハンプトン・ローズで大西洋艦隊と合流したサラトガは、ここで再び艦名を新造予定の巡洋戦艦に譲ることになり、名をロチェスターに変更する。1918年3月から船団護衛任務に就きそのまま終戦を迎える。その後は太平洋艦隊所属となり極東に舞い戻る。1933年4月、フィリピンのカヴィテで退役しオロンガポ造船所に8年間係留、1938年10月28日に除籍され、1941年12月に日本軍によって撃沈された。鹵獲を恐れスービック湾で自沈したともいわれる。かすかにではあるが、二代に渡って太平洋戦争に関与した、ともいえる。
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6代目 色々とやっちゃったドジっ子艦
1956年に航空母艦として竣工。
フォレスタル級航空母艦の2番艦として完成。全長は先代をおよそ50m上回り、満載排水量は8万トンを超える巨大空母である。2016年11月現在、艦これ実装艦で戦後に艦名が受け継がれた艦艇では最大。
この6代目サラトガはベトナム戦争や湾岸戦争で活躍した後、1994年退役、2014年に解体のため民間業者に1セントで売却された。
-ちなみに、この6代目サラトガは度々大事故を起こすドジッ娘でもあった。
--1987年9月22日、地中海でのNATO演習中に、サラトガ搭載のF-14戦闘機が米空軍のRF-4C偵察機を誤射して撃墜してしまった。幸い乗員2名は負傷しながらも脱出に成功した。
--1992年10月2日、NATO演習中にヒューマンエラー((本来シミュレーションのみのはずが、担当者が実際にミサイルを発射するものと勘違いした。))によってシースパローミサイルを誤射、トルコ海軍の駆逐艦ムアヴェネトに直撃させ、死傷者20名を出す大惨事となった。
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-現役でその名を継ぐ艦艇はないが、2014年公開のハリウッド映画「GODZILLA」には架空の「ニミッツ級航空母艦 サラトガ」が登場した。この船を“演じた”のはニミッツ級航空母艦9番艦のロナルド・レーガン。劇中では太平洋を泳ぐゴジラに並走する姿を見ることができる。またオープニングで記録映像流用という形でクロスロードの映像が使われている…
--なお、護衛に付いていた2隻の架空のイージス艦には「ペンサコーラ」と「ソルトレイクシティ」と名付けられていたが、この2隻の先代になるペンサコーラ級重巡2隻もクロスロード作戦で沈んでいる。
--更に、2017年11月公開予定の「GODZILLA 怪獣惑星」の前日譚である「GODZILLA 怪獣黙示録」でも同じくニミッツ級のサラトガが登場。記録上13体の怪獣と交戦し、多くの空母が沈む中生きながらえ、一部の怪獣は撃破する武勲を誇っている。もしかしたら長門以上にゴジラとの関わりが深い艦故の大抜擢であろうか。

-上記架空ネタでもうひとつ。2017年2月25日より公開の「宇宙戦艦ヤマト2202第1章」にも「サラトガ」がちょっとだけ登場している。最も宇宙空母?ではなく村雨改型の1隻の宇宙巡洋艦としてであり、地球帰還のためディファイアンスと月面へのワープアウト直後に後方からその2隻を追撃しワープして突っ込んできた%%暴走大型トラック%%敵大戦艦(カラクルム級)にディファイアンス共々激突されて轟沈という悲劇的な結末を迎えたのだが...
*この艦娘についてのコメント [#comment]
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