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Spitfire Mk.V の変更点


 |CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
 |>|>|>|>|~No.251|
 |&attachref(装備カード一覧/weapon251.png,nolink);|>|Spitfire Mk.V|>|陸軍戦闘機|
 |~|>|>|>|~装備ステータス|
 |~|~火力|+1|~雷装||
 |~|~爆装||~対空|+9|
 |~|~対潜||~索敵||
 |~|~対爆|+3|~迎撃|+2|
 |~|~[[戦闘行動半径>基地航空隊]]|5|>|BGCOLOR(#ccc):|
 |~|>|>|>|~装備可能艦種|
 |~|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):駆逐艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):軽巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):重巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):戦艦|
 |~|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):軽空母|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):正規空母|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):水上機母艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):航空戦艦|
 |~|>|>|>|~備考|
 |~|>|>|>|開発不可、改修不可&br;2017年夏イベントE-4甲、E-5乙作戦突破報酬&br;実装時点では全ての艦娘に装備不可、[[基地航空隊]]にのみ装備可能|
 |>|>|>|>|LEFT:紅茶の国を代表する主力戦闘機、「Spitfire」。&br;バトル・オブ・ブリテンでは見事な本土防空戦を戦い、その空を守り抜いた名機の性能向上量産型です。&br;様々な性能向上型が生まれ、やがて艦上戦闘機型の「Seafire」も誕生します。|
 
 *ゲームにおいて [#about]
 -2017年8月10日実装。
 -[[Spitfire Mk.I]]、[[Mk.IX>Spitfire Mk.IX(熟練)]]と同様、艦これにおけるカテゴライズは''&color(Green){陸軍};''戦闘機となっているが、厳密にはイギリス王立''&color(Blue){空軍};''の戦闘機である。
 -詳しい使用方法は[[基地航空隊]]を参照。
 --「出撃時」の制空値((対空+迎撃×1.5で計算))は対空+12相当で[[烈風改]]と同列、「防空時」の制空値((対空+迎撃+対爆×2で計算))は対空+17相当。
 
 //出撃時の性能について削除しないでください。
 //無断削除が続くようだとガイドラインに則り対処します。
 
 ---出撃時は行動半径5であり、基地航空隊専用の烈風改ともいえる性能。
 ---防空時の性能は[[三式戦 飛燕一型丁]](対空:16)以上、[[雷電]](対空:18)未満といったところ。
 
 **性能比較表([[装備最大値/局戦・陸戦早見表/テーブル]]より転送) [#g82ef0e0]
 #table_edit(装備最大値/局戦・陸戦早見表/テーブル)
 
 *小ネタ [#trivia]
 -元ネタは、スピットファイアの派生型の1つ「スピットファイアMk.Vb」であると思われる。
 --スピットファイアの型式は機体やエンジンに変更があった場合はMK.○○。武装に変更があった場合はa.b.c.e。エンジンの適性高度設定によってはLF,HFなどと付く。
 ---アルファベットの小文字は、Aウィング=7.7mm機銃×8門、Bウィング=20mm機関砲×2門+7.7mm機銃×4門、
 C,Eウィングは武装選択型で、前者はBウィングと同じ武装か20mm機関砲×4門、後者は20mm機関砲×2門+12.7mm機銃×2門か20mm機関砲×4門かを選んで装備することができた。
 ---本機は主翼に突き出たイスパノ機関砲と翼のラウンデル(蛇の目マーク)の前に赤く塗られた部分(機銃口)が二つ見えるのでBウィングと判別できる
 ---ちなみにDウィングは偵察専用機のもので、武装を撤去した代わりに燃料タンクが追加されている。
 --イギリス王立空軍の主力戦闘機であったスピットファイアMk.I/IIは、ドイツ空軍の[[Bf109E>Bf109T改]]に対しては互角ないし優勢を保っていた。しかし、ドイツ側が改良型のBf109Fを実戦投入するとその優位は覆され、特に速度や上昇率、高度5,000m以上における機動性などで劣っていることが判明した。
 --そこでイギリス空軍は、Mk.IIをベースとし、エンジンをロールス・ロイス製水冷V型12気筒「マーリンII」から、その改良型である「マーリン45」に換装し、さらに羽布張りだった補助翼を全金属製に変更したMk.Vを急遽開発、1941年3月より生産に入った。
 --Mk.Vが搭載するマーリン45エンジンは、マーリンIIと同様の1段1速過給ではあるものの、流体力学に長けたスタンレー・フーカー技師((氏は後に各種ジェットエンジンの設計も手掛け、その功績を認められ"Sir"の称号とヴィルヘルム・エクスナー勲章を授与されている))の手で各部に改良が施されたモデルである。
 エンジン出力や過給機の性能、さらに高速域でのロールレートが向上したことで、スピットファイアMk.VはBf109Fと同じ高度で互角に戦える性能を持った。しかし、1941年秋頃以降、ドイツ空軍が新型戦闘機[[Fw190A>Fw190T改]]を投入するようになると、またしてもイギリス空軍は厳しい戦いを強いられるようになった。
 それでも、Mk.Vがイギリス空軍の主力戦闘機であったことに変わりはなく、イギリス本土のみならずマルタ島や北アフリカでの戦闘でも活躍した。生産数は約6,500機で、スピットファイア全シリーズ中最多である。
 
 #Region(本国以外の運用)
 -ちなみに、イギリス空軍の他にも、オーストラリア空軍(RAAF)が''砂漠仕様''((これが後に問題となる))のMk.Vを受領しており、クライヴ・コールドウェル中佐((ドイツ軍機を20機以上撃墜したエースパイロットでもある))指揮の第1戦闘航空団((第54飛行隊、第452飛行隊、第457飛行隊の三個飛行隊から編成した部隊。オーストラリア人のコールドウェル少佐を始め第54飛行隊以外はオーストラリア人部隊である。))に配備し、1943年には日本海軍の零式艦上戦闘機二二型や一式戦闘機二型と空戦を交えている。
 第1戦闘航空団は、43年3月の日本海軍202空・753空の迎撃において初めてMk.Vで迎撃に上がり、戦闘で5機を失うも、日本海軍機((機種不明))を6機から10機撃墜したと報告した。
 しかし、戦闘以外でも5機のMk.Vが燃料不足やエンジン故障といったトラブルで不時着し、戦線復帰できたのはわずか2機であった。
 --この日以降、ポートダーウィンにおいて数次に渡って零戦との空戦が行われたが、長時間の飛行で疲労した状態でやってくる日本海軍をレーダーで待ち伏せるといったRAAFに有利な状況にも関わらず、実際の両軍の損害を照らし合わせてみると、零戦は未帰還3機((帰還後廃棄含んだ場合は5機~7機))の喪失に対し、RAAFはMk.Vを未帰還機のみで26機((故障、燃料切れによる不時着及び帰還後廃棄は含まず。含んだ場合は34~42機となっている。ここらへんは資料によって差異あり))喪失という、非常に厳しい結果であった。
 --また、日本陸軍航空隊の一式戦闘機とも交戦しており、結果は一式戦が護衛していた百式重爆1機の撃墜と引き換えに、Mk.Vを2機撃墜されるというものだった。
 ---何故このような戦闘結果になったかを簡潔に示すと、「機体と環境のミスマッチ」「RAAF側パイロットの固定観念と技能不足」が挙げられる。
 ---まずは上で述べた通り、RAAFは砂漠仕様のMk.Vを配備されている。この砂漠仕様タイプには、エンジンへの砂塵吸引を防ぐフィルターが装着されていたのだが、このフィルターが大型であった為に、フィルター無しのMk.Vよりも大幅に飛行性能が低下していたのである。輸送中の不手際もあって腐食が進んでおり、さらに性能が低下していたとの話もある。また、高温多湿の太平洋では高空に上昇すると急激に温度が低くなるため、定速装置のオイルが固まって暴走してしまい、エンジンが故障し戦わずして未帰還・不時着となるケースがが続出したという。
 さらに、生産工場が英国本土というとてつもなく遠い地にあったので、予備エンジンや各種部品といった、機体を維持する上で重要なモノが不足していた。
 ---他にも、上述のように第1戦闘航空団はコールドウェル少佐自身も、射撃技量の高い者を選抜して作戦に参加させているのだが、実態は実戦経験があるものは三分の一程度であり、多くのパイロットは偵察部隊出身か、多少戦闘経験のある者、もしくはまったくの新兵という有様だった。元々イギリス人部隊である第54飛行隊はバトルオブブリテンに参加した歴戦部隊なのだが、オーストラリア派遣に際して指揮官2名以外は戦闘経験の無い偵察部隊出身の搭乗員に置き換え、歴戦パイロットは別部隊に配置転換となっている。オーストラリア人部隊の第452飛行隊はベテランパイロットたちは第1戦闘航空団に先んじて派遣された第76飛行隊(P-40キティホーク装備)に配置転換され、人員は新人か、もしくは新人に毛が生えた程度のパイロットだったという。第457飛行隊が唯一マトモと言うべきか、彼らは元々フランスにて船団護衛を行っており、まだ実戦経験がある方だった。とはいえ当時のフランスでは空戦は稀であり、その中で最も空戦経験あるパイロットは12回だった。また、訓練においてもスピットファイアが第54飛行隊にしか届かず、少ない機体の中パイロットは交替して訓練するしかなかった。仕方なくブーメラン戦闘機やウェラウェイ練習機も使い訓練をしていたようだが、実戦機であるスピットファイアとは違うので基本訓練はできても慣熟訓練に関してはあまりにも酷い有様だった。第一戦闘航空団は、一線級部隊ではあっても、「精鋭」とは到底呼べない部隊だったのが実態であった。実戦において彼らは格闘戦に固執する傾向があったという。そして、零戦や一式戦に格闘戦を挑んだ結果、返り討ちに遭ってしまったのである。
 ---他にも、上述のように第1戦闘航空団はコールドウェル少佐自身も、射撃技量の高い者を選抜して作戦に参加させているのだが、実態は実戦経験があるものは三分の一程度であり、多くのパイロットは偵察部隊出身か、多少戦闘経験のある者、もしくはまったくの新兵という有様だった。元々イギリス人部隊である第54飛行隊はバトルオブブリテンに参加した歴戦部隊なのだが、オーストラリア派遣に際して指揮官2名以外は戦闘経験の無い偵察部隊出身の搭乗員に置き換え、歴戦パイロットは別部隊に配置転換となっている。オーストラリア人部隊の第452飛行隊はベテランパイロットたちは第1戦闘航空団に先んじて派遣された第76飛行隊(P-40キティホーク装備)に配置転換され、人員は新人か、もしくは新人に毛が生えた程度のパイロットだったという。第457飛行隊が唯一マトモと言うべきか、彼らは元々フランスにて船団護衛を行っており、まだ実戦経験がある方だった。とはいえ当時のフランスでは空戦は稀であり、その中で最も空戦経験あるパイロットは12回だった。また、訓練においてもスピットファイアが第54飛行隊にしか届かず、少ない機体の中パイロットは交替して訓練するしかなかった。仕方なくブーメラン戦闘機やワイラウェイ練習機も使い訓練をしていたようだが、実戦機であるスピットファイアとは違うので基本訓練はできても慣熟訓練に関してはあまりにも酷い有様だった。第一戦闘航空団は、一線級部隊ではあっても、「精鋭」とは到底呼べない部隊だったのが実態であった。実戦において彼らは格闘戦に固執する傾向があったという。そして、零戦や一式戦に格闘戦を挑んだ結果、返り討ちに遭ってしまったのである。
 司令のコールドウェル少佐は、パイロット達に一撃離脱戦法を取るよう説き、P-40を装備する他の飛行隊からも戦法の助言があったが、それでも戦況は好転しなかった。日本側もスピットファイアを警戒していたが、わざわざ格闘戦を挑んでは返り討ちにあうRAAFを見て、陸軍第59戦隊の第一中隊長が非常に不審がったと言われている。ちなみに、ポートダーウィン空襲に参加した零戦の搭乗員は、日中戦争に参加したベテランや、飛行時間が1,000時間以上に及ぶような熟練パイロットが集められており、これもRAAF第1戦闘航空団にとって不幸なことだったと言えるだろう。
 ---RAAFがこの状況を脱するには、1944年にスピットファイアの更なる改良型であるMk.VIIIが配備されるのを待たねばならなかった。
 #endregion
 *この装備についてのコメント [#comment]
 #pcomment(./コメント,reply,15)