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TBF の変更点


 |CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
 |>|>|>|>|~No.256|
 |&attachref(装備カード一覧/weapon256.png,nolink);|>|TBF|>|艦上攻撃機|
 |~|>|>|>|~装備ステータス|
 |~|~火力|+2|~雷装|+9|
 |~|~爆装||~対空|+1|
 |~|~対潜|+6|~索敵|+2|
 |~|~命中||~回避||
 |~|~[[戦闘行動半径>基地航空隊]]|6|>|BGCOLOR(#ccc):|
 |~|>|>|>|~装備可能艦種|
 |~|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):駆逐艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):軽巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):重巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):戦艦|
 |~|軽空母|正規空母|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):水上機母艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):航空戦艦|
 |~|>|>|>|~備考|
 |~|>|>|>|開発不可、改修不可&br;[[Gambier Bay改]]の初期装備&br;任務「[[精強「任務部隊」を編成せよ!>任務#id-A80]]」選択報酬&br;任務「[[精強大型航空母艦、抜錨!>任務#id-B105]]」選択報酬&br;任務「[[夜間作戦空母、前線に出撃せよ!>任務#id-B106]]」選択報酬&br;&color(Red){期間限定任務((2017/9/29~2017/10/18))};「[[秋刀魚漁:どーんっ!揚げ揚げで大漁です!>任務#id-SB26]]」選択報酬|
 //|>|>|>|>|~[[改修更新>改修工廠#item]]|
 //|>|>|>|>|[[]] → [[]]|
 |>|>|>|>|LEFT:重い発動機と頑丈なボディを備えた、太平洋の戦い、その後半の大空を駆けた主力雷撃機「TBF」。&br;復讐者の名を持つこの新鋭艦上雷撃機は、F6Fシリーズの援護下で多くの日本主力艦艇群に痛撃を放つこととなります。|
 
 *ゲームにおいて [#about]
 -2017年09月12日に実装。同日実装された幾つかの任務で入手可能な機会があるが、いずれも&color(Red){選択報酬制};。
 --「精強「任務部隊」を編成せよ!」では新型航空兵装資材との2択。
 --「精強大型航空母艦、抜錨!」では[[夜間作戦航空要員]]との2択。
 --「夜間作戦空母、前線に出撃せよ!」では[[夜間作戦航空要員+熟練甲板員]]、新型航空兵装資材との3択になる。
 -[[TBD]]に比べ火力+1、雷装+4、対空+1、対潜+2、半径+2と完全上位互換で、攻撃力は[[流星]]と同クラス。
 -対潜が比較的高めで火力や対空も上昇するが、本業の雷装が高くはなく器用貧乏になりがち。対潜値も高対潜の上位艦攻などと比べると雷装が低めな代わりに、と言える程高くもない。
 現状では後述の上位機への転換用装備と言える。
 %%%現状では後述の&color(Navy){夜間攻撃機};への転換用装備と言える%%%。
 -同日には&color(Navy){夜間攻撃機型};の[[TBM-3D]]も同時実装されている。
 --任務「[[夜間作戦型艦上攻撃機の開発>任務#id-F62]]」にてTBFから同装備への変換が可能。電探廃棄と大量の資源に加えて、新型航空兵装資材、熟練搭乗員、ネジ10個が必要となる。
 &br;
 -最初の編成任務&color(Green){「精強「任務部隊」を編成せよ!」};の報酬選択で、''TBFを[[TBD]]と勘違いして新型航空兵装資材を選択する提督多数''。
 TBFは2つある出撃任務の方でも入手できるが、そちらも選択報酬制となっており、そこでTBFを選択した場合は他の新装備である[[夜間作戦航空要員]]か[[夜間作戦航空要員+熟練甲板員]]の&color(Red){いずれかを入手できなくなる};。&br;
 ''実装日((2017年09月12日))の時点では''、TBDからTBFに改修更新することはできず、なおかつ夜間作戦航空要員と夜間作戦航空要員+熟練甲板員は出撃任務報酬で各1つずつ1度しか入手できないため、&color(Red){TBF・夜間作戦航空要員・夜間作戦航空要員+熟練甲板員を全て入手する場合は、最初の編成任務報酬では''TBF''を選択するように};。
 --なお、TBM-3Dへの機種転換まで行う場合、常設任務のみではこの装備を手元に残しておくことはできない。
 %%TBM-3D以外に完全に上位互換となる装備は無いが無いと困り得る程特殊な性能でもない為、その為に代用が効かない上図鑑にも載せられなくなる航空要員を諦めるのは中々採りにくい選択だが、どうしても取っておきたい提督は注意。%%
 ---2018年2月17日実装の[[Gambier Bay]]を入手できていれば[[改造後>Gambier Bay改]]の初期装備としてTBFを持参してくるため、
 上記選択任務で夜間航空要員を全て取りつつ本装備を手元に残せるようになった。
 -期間限定イベ:鎮守府秋刀魚祭り2017((2017/9/29~2017/10/18))において、TBFが選択報酬となった。
 -最初の編成任務&color(Green){「精強「任務部隊」を編成せよ!」};の報酬選択で、%%%''「TBF」を「[[TBD]]」と勘違いし''「新型航空兵装資材」を選択する提督が多数発生した%%%ので&color(Red){''要注意''};((TBFは2つある出撃任務の方でも入手できるが、そちらも選択報酬制となっており、そこでTBFを選択した場合は新装備である「[[夜間作戦航空要員]]」か「[[夜間作戦航空要員+熟練甲板員]]」のいずれかを入手できなくなる))。&br;
 -''実装日の時点では''((2017年09月12日))、TBDからTBFに改修更新することはできず、なおかつ夜間作戦航空要員と夜間作戦航空要員+熟練甲板員は出撃任務報酬で各1つずつ1度しか入手できない。
 &color(Red){TBF・夜間作戦航空要員・夜間作戦航空要員+熟練甲板員を全て入手する場合は、最初の編成任務報酬では''TBF''を選択するように};。
 --なお、TBM-3Dへの機種転換まで行う場合、%%%&color(Red){常設任務のみでは};この装備を手元に残しておくことはできない。%%%
 現状では代替機がいないTBM-3Dを取得する為の必須装備なので、どうしても取っておきたい提督は熟慮の事。
 ---18冬イベントE4突破報酬の[[Gambier Bay]]を入手していれば、[[改造後>Gambier Bay改]]の初期装備としてTBFを持参する。
 ---17秋の鎮守府秋刀魚祭り((2017/9/29~2017/10/18))において、TBFが任務「[[秋刀魚漁:どーんっ!揚げ揚げで大漁です!>任務#id-SB26]]」の選択報酬だった。
 **性能比較表([[装備最大値/艦攻上位早見表/テーブル]]より転送) [#i5c7fd80]
 #table_edit(装備最大値/艦攻上位早見表/テーブル)
 
 *小ネタ [#trivia]
 -元ネタは、アメリカ海軍の艦上雷撃機TBF「アヴェンジャー((復讐者の意。ちなみに、マーベル・コミックのほうのリーダーであるキャプテン・アメリカは、1941年の初登場から1945年までは、ナチスや大日本帝国相手に戦っていた「真の愛国者」であった。))」。完成後の機体のお披露目が12月7日(現地時間)と真珠湾攻撃当日であるためか、稀に文献等で機体名のアヴェンジャーは、「日本の真珠湾攻撃に対する復讐」として、戦意高揚の為名付けられたと散見する。しかし実際にはアヴェンジャーという機体名は10月の時点で決まっており、関係は全くない。
 -アメリカ海軍は1939年3月、[[TBD]]に代わる新型TB((なんのひねりもなくTorpedo Bomberの略でつまりは雷装可能な爆撃機の意味である。))の要求仕様を提示した。これに幾つかのメーカーから13の案が提出されたが、そのうちの2つ、一つはグラマン社案、もう一つは奇しくもチャンスボート社案であり、その2つを試作、比較することになった。
 --1940年4月8日にグラマン社に対し、XTBF-1が発注、12日にはチャンスボート社にXTBU-1が発注された。艦上戦闘機の開発、生産は手慣れていたグラマン社も、艦上攻撃機の開発は初めてであり、リロイ・グラマンは冒険を避けた堅実な設計を行った。なおここでも堅実なグラマンと革新的なチャンスボートというのは同じである。1941年8月7日にXTBF-1と呼ばれる試作機が2機完成したが、試作機2機のうち1機がニューヨーク州のブレントウッドで墜落してしまう。だが、前年12月にはもうTBF-1として286機が発注されていた。((米海軍の場合、新型機は図面審査の途中の機体でも、初期量産型として発注を出してしまうことは珍しくなかった。これは正式採用された場合、すぐ量産体制に入って実戦投入を早める目的があった。一方で、正式採用されたものの、その後実戦投入されることなく終わった機種もかなりある。このTBFの競争相手だったTBUも正式採用されたものの、生産の遅れや空母での制約のために実戦投入はされなかったが、先行量産機として180機が納入されてしまった。))
 --そして1941年12月7日、日本時間では12月8日の午後にグラマン社は新工場の建設式典でTBFをお披露目している。奇しくもこの日は早朝に日本軍による真珠湾攻撃当日に、復讐者を意味するアヴェンジャーがお披露目されたということになる。式典後、新しくできた工場はただちに稼働を開始し、ミッドウェー海戦までにTBFを100機ほど生産した。
 --量産一号機は1942年1月30日に出荷され、その年の終わりまでには645機が生産された。なおあの[[クソッタレ艦爆>SBD]]は同じ年たったの50機であった。このようにグラマン社での生産は順調であったが、F6Fの生産に専念させるため海軍は早い段階から生産を別の会社に移管することを決めており、1944年1月からは自動車メーカーのGM社の航空機生産部門イースタンエアクラフトで生産することになった。GM製の機体は例によって機種記号が異なり、[[TBM>TBM-3D]]が割り振られている。詳しくは該当項参照。
 -旧式化しつつあるTBDの後継なので、TBDで欠点として挙げられた航続距離の短さも解消された。TBDの頃は雷装時の航続距離が700kmとあんまりにも短すぎた為、[[SBD]]隊と連携が取りにくいという欠点があったのだ。
 --動力はWW2に参加した雷撃機が搭載したエンジンとして最も重い、ライトR-2600-8 サイクロン14エンジンを搭載し、離昇馬力は1700馬力と機体重量と比較してパワー不足であった。また、燃料タンクの増設とアメリカ海軍からTBに爆弾倉内に魚雷を搭載できることを要求されたので、魚雷を格納する為機体を拡張した結果、全長12.48m、全幅16.51m、全高4.70mと双発戦闘機のP-38以上の大型機になってしまった。しかし[[折り畳み機構>https://www.youtube.com/watch?v=6bh3CKw_HLk]]をアメリカにおいて初めて((F4F-4より早い、というか本機の機構をF4Fに移植したので当然も当然。))((主翼外側の前縁を下げつつ後縁を上げながら、機体後方に折りたたむ機構。油圧動作のため、所要時間はわずか20秒ほどだった。))採用したことにより空母でも運用できるようになっている。
 ---できるだけサイズを抑えることが要求される艦載機でありながら魚雷を格納できる艦上雷撃機は非常に珍しい。当時交戦国であった日本は九七艦攻はもちろん、天山や流星でも魚雷は依然吊り下げ式であった。
 ---Mk13魚雷が全長4m程度に対して、九一式魚雷は全長5m以上((参考までに九七式艦攻が10.3m、天山は全長10.865m、流星が11.49 m。機体全長の半分近い長さの魚雷だったので格納するのはかなり難しい。ちなみに一式陸攻が19.97m))と巨大なので、格納するには一式陸上攻撃機や銀河など中型双発機サイズになってしまうのもあるのだが…
 --ちなみに乗員は操縦手・無線士・銃塔内機銃手の3名で、固定武装が7.62mm機銃が機首に1挺、1C型以降は12.7mm機銃が主翼内に2挺、後部に電動旋回式の銃塔がありその中に1挺が装備されている。((360度旋回し、最大仰角85度、最大俯角30度の射撃が可能で、見た目以上に広い射界を持っていた。グラマン社とゼネラル・エレクトリック社の共同開発による傑作。デファイアントとは違うのだ。))また機体下部にも引き込み式の7.62mm機銃が搭載されており、無線手が爆撃手を兼ねる傍ら操作した。
 ---戦争後半になると、敵戦闘機の脅威が減り機体下部の機銃が不要になる一方装甲が薄い後部にいる無線士が対空砲火による死傷の危険が増大した。そこで多くのVTでは操縦手と銃塔内機銃手の2名のみになった。無線や爆弾、魚雷の操作が必要な時は、機銃手が後部に降りていって操作した。3名なのは写真家やニュース特派員を乗せる時ぐらいであった。
 --ちなみに長距離航法に耐える為、操縦者と無線士の間に大出力の通信機を搭載している。しかもこれが相当大きいモノである。
 ---現存する機体では、通信機がより小型のものに換装されて余ったスペースにもう一人搭乗できるようにしてあるのが多い。
 -登場時は間違いなく世界トップクラスの雷撃機であった。しかし、後述するように魚雷の性能が低かったのが足を引っぱった。
 --初飛行が同い年の[[天山]]と比較すると、防弾性((天山は防弾装備について不明だが、今のところ消火装置が搭載されていたことが分かっている))、武装・搭載量では勝っているが、速度、航続距離、運動性・操縦性では天山が勝っている。
 -実戦ではTBFはミッドウェー海戦が初陣だった。本来なら空母に搭載される予定だったのだが間に合わず、CV-8ホーネットの艦攻隊である「VT-8」に配備予定だったTBFから6機がミッドウェー島に分派され、南雲機動部隊への攻撃に出撃、しかし結果は6機中5機が被撃墜、18名中15名戦死という惨憺たる結果となった。
 --TBFが届かなかった米空母群は旧式のTBDで出撃する事になり、直掩の戦闘機隊との連携の失敗もあり、各空母の艦攻隊はどれも壊滅してしまった。件のVT-8では出撃したTBD14機全てが撃墜され、生還したのは脱出に成功したジョージ・ゲイ少尉1人のみだった。
 --一方、第二次ソロモン海戦ではサラトガ、エンタープライズの雷装、爆装されたTBFが投入された。まず最初に索敵機であったエンタープライズのTBF数機が龍驤を発見し雷撃するが命中弾は無く零戦に1機撃墜されてしまった。次にサラトガのTBFとSBDを含む攻撃隊により、爆弾と魚雷が命中し航行不能に追いやっている。最終的には7機の犠牲と引き換えに龍驤は機関が全て使用不能により第八戦隊司令官命令で第16駆逐隊により乗員退去後、魚雷処分されている。
 ---第三次ソロモン海戦では比叡を攻撃、最終的に同艦は乗員移乗後にキングストン弁を開いて自沈処分となった。
 ---マリアナ沖海戦では飛鷹を雷撃し、一本の魚雷を命中させて航行不能に追い込んでいる。
 ---以降[[大和]]、[[武蔵]]などの攻撃にも参加し、第二次世界大戦終結まで第一線で働き続けた。
 ---最終的に、大破着底を含めて日本海軍の戦艦6隻、空母11隻、重巡洋艦10隻、潜水艦8隻の撃破に貢献した。
 ---また対潜哨戒にも使われ、特に陸上からの哨戒機が飛べない中部大西洋での潜水艦攻撃の主力となり1943年5月22日のU-569を最初に、1945年5月6日のドイツ降伏までにUボート53隻を沈め、一隻を捕獲した。なおその中に伊-52も含まれている。
 -乗員からは機体の安定性、頑丈性が高評価で、「トラックのよう」と言われた。&color(Silver){褒めてるのか・・・?};
 --実際トラックのように、人員や物資の輸送も行っている。その他にも機雷の投下、レーダーを積んでの索敵、対潜哨戒、爆撃、弾着観測、空戦、夜間攻撃となんでも行っている。雷撃機というより雷撃もできる万能機といったほうが実情にあっていたりする。((機体の右側、主翼の後ろには、人が乗り込むためのドアが設けられていた。本来は通信員や旋回機銃の操作員のためのドアだが、内部容積が大きいので、ここからいろいろ荷物を積み込むこともしばしばあったんだとか。))
 ---当初想定していた爆撃は水平爆撃であるが、なんとこれは35度から40度と緩い角度ではあるが降下爆撃が可能であった。水平爆撃はほとんど行われず、水平爆撃用のノルデン爆撃照準器は爆撃照準ではなくオートパイロット代わりに使われ、後にはノルデン爆撃照準器は外されオートパイロットを装備した。
 ---緩い角度とはいえ、降下爆撃ができるなら、急降下爆撃もできないかと考えるのは自然であり、実際に急降下爆撃可能なXTBM-4が試作されたが、量産開始前に戦争が終わったため生産はされなかった。
 ---空戦においては戦闘機を撃墜した例もある。なお、TBFを単座にした戦闘機バージョンFTBFというのも試作されたが、さすがにまったく使い物にならなかった。
 --元々アメリカ海軍は日本と違って雷撃にはあまり関心がなく、自分たちが雷撃した場合、逆にされた場合両方において雷撃は役に立たないと思い込んでいたこともあってMk13航空魚雷が低性能のままだった。しかし、Mk13航空魚雷が低性能だったためミッドウェー海戦後では甚大な被害を被ったので改善命令が出され、第三次ソロモン海戦辺りからMk13が改善する1944年までは航空雷撃を控えるようになったのでTBFの任務も雷撃より爆撃のほうが多かった。特に夜間に急降下爆撃はできないため、夜間攻撃にはSB2Cは使われずTBFが行っていた。
 ---戦争後半になると魚雷は改良され、緩降下からの高速(760km/h)かつ高々度(730m)での投下が可能となった。坊ノ岬沖海戦での大和乗組員は、TBFの魚雷投下を最初に見た時雷撃ではなく爆撃としか思えず、なんであんなところに爆弾を落とすんだろうと思ったと証言している。
 --ちなみにTBFは戦後に日本の海上自衛隊でも供与されており、天山に乗ったことがある日本海軍の搭乗員がTBFに乗ったところ、あまりの操縦性の悪さに驚いたらしい。「こんなのに負けたのか?」「情けないほどの鈍くささだ」そう語ったという。
 ---だが、TBFは[[F4F>F4F-3]]譲りのシンプルかつ頑丈な構造で生産も整備もしやすく、大柄な機体は飛行安定性も良く、操縦席からの視界も良好で、&color(Silver){F4Uと比べると大幅に};操縦しやすかったことから、前線のパイロットには愛された機体の一つだった。防弾装備も設計当初から盛り込まれており、地上からの砲撃には操縦席の下にある爆弾倉も防弾板として有効だった。あえて欠点を挙げるとしたら、主翼折り畳み構造との兼ね合いから、主脚が機体中心に向かって開く構造のため、やや着艦しにくかったことだろうか。&color(Silver){それでもBf109よりかは遥かにマシだが};
 
 -
 -大戦中はイギリス、ニュージーランドに対し本機が供与され、また戦後はウルグアイ、カナダ、フランス、オランダにも余剰機が供与された。
 発足したばかりの海上自衛隊で運用されている時期もある。
 さらには民間にも多くが払い下げられ、旅客機、輸送機、空撮機、果ては空中消火機として、1990年代まで現役の機体もあったという。
 --そのため現在も多くの機体が飛行可能で現存しており、英語版Wikipediaには[[現存するTBFの一覧>https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_surviving_Grumman_TBF_Avengers]]というページがあるほど。
 -ちなみに、1945年12月にバミューダで遭難した5機のTBFが、後にバミューダ・トライアングルでの消失事件として扱われるようになる。
 -F4F、F6F、そしてこのTBFが第二次世界大戦で大活躍したことから、グラマン社は''『艦載機のグラマン』''としての名声を確固たるものとし、米海軍の艦載機を次々と開発していく。だが、F-14の後が続かず、グラマン社は深刻な業績不振を理由に社員のレイオフを連発。1994年にノースロップ社に吸収合併されて「ノースロップ・グラマン」となったが、2018年現在でも、空母搭載型の早期警戒機E-2((原型初飛行は1960年。陸上機としても扱いやすく、航空自衛隊でも採用されている。))(と、派生型の輸送機C-2)が空母から飛び続けており、「グラマン艦載機」の血筋は今なお生き続けている。((細かいことを言うと、ボーイングF/A-18の原型となったのは、ノースロップ社のYF-17コブラであった。この機体は空軍でYF-16との選定競争に負けてしまったのだが、双発エンジンの安定性と空母で使うには程よい機体サイズだったことから、海軍がYF-17に目を付けた。だが、当時のノースロップ社には海軍機の開発経験がなかったため、F-4のヒットで飛ばしていた当時のマクダネル・ダグラス社が機体を再設計し、ノースロップ社が下請けという形で共同開発を行った。))
 
 -グラマン社は、後に1963年に実戦配備されたA-6艦上攻撃機((1958年に開発契約が結ばれており、当初の形式名はA2F-1であった。))に「アベンジャー」の名前にあやかって「イントルーダー」(Intruder、侵略者の意)という名前を付けた。こちらも、大柄で頑丈なグラマン社らしい設計、そして全天候攻撃能力を持つ優秀な機体として重用された。1990年にはベトナム戦での活躍を描いた『イントルーダー 怒りの翼』という映画も公開された。
 --さらに、派生型の電子戦機EA-6AやEA-6Bも、日本では嘉手納基地や岩国基地でよく目にすることができたが、海軍では後継のEA-18Gに置き換えが完了しており、残る海兵隊所属機も2019年までに全機退役の予定となっている。((…が、そのEA-18Gの電子戦士官への負担が大きいことから、却ってA-6の優秀さが知られることとなった。EA-6Bでは電子戦機器の操作をパイロット以外の3人で分担していたが、EA-18Gではベース機の機体の制約上、機器の能力を変えずに1人での操作に集約したためである。もっと簡単に言えば、予算をケチった為に、EA-6Bが使っていた外付けの電子戦ポッドをそのままEA-18Gに持ってきたのが原因。とはいえ、EA-6系はもともと改造機であり、頑丈とはいえ機体の寿命が近づいていたこと、またF/A-18E主体の空母飛行隊の足についていける電子戦機が必要だったのも事実である。))
 
 -アメリカ合衆国第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ(パパブッシュ)はインディペンデンス級空母9番艦サン・ジャシント(CVL-30)に乗り組む本機のパイロットだった。彼はマリアナ沖海戦で日本軍機に、小笠原諸島沖で対空砲火に撃墜されるが2回とも味方に救助され生還している。((パイロットキャリアは飛行1228時間、空母離着艦126回、実戦出撃は58回で、戦果も記録されている。))
 --2009年に彼の名前を冠したニミッツ級原子力空母10番艦(CVN-77)が就役した。この空母の記章([[インシグニア>https://commons.wikimedia.org/wiki/File:CVN-77_insignia.png]])には、F-35(赤)、F/A-18(黒)、そしてパパブッシュの愛機だったTBF(黄色)のシルエットが重ねられている。
 *この装備についてのコメント [#comment]
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