九七式艦攻 の編集差分ログ

2021-02-19(金) 08:02:301BaBDuQO1TASh9gMedit
太平洋戦争が始まってアメリカ海軍が対峙したのは、  %%%・本来雷撃不可の速度、高度、環境でも問題無く高速で突入してくる%%%  %%%・危険を顧みず見事な動きで肉薄雷撃を敢行してくるうえ、雷速も速くて避けられない%%%  %%%・当たり所が良ければ1~2発から戦闘不能になった米空母も多い%%% という、恐怖のトンデモ雷撃隊だったと言えば凄さが分かるだろうか。まもなく米海軍が対空砲火を急発達させたのも当然かもしれない。 ---が、この性能が活かせたのは実のところ真珠湾ぐらいであった。距離1000mで投下すると命中までに42秒、その間に転舵されれば回避される。そこで目標を半円形に包囲して一斉投下することで回避の余地をなくし、必中となる…はずであった。包囲するまでの過程は目標に接近すると編隊を解き単縦陣となり、目標後方から接近して艦首を回り込み、包囲した時点で目標を向いて一斉投下し離脱する。 ---が、包囲のため低空低速で一列にならんで飛行する雷撃機をボフォース機銃で狙い撃つのは容易であり、サンタクルーズ諸島沖海戦でエンタープライズは、射撃場に並ぶ金属のアヒルのごとく片っ端から撃ち落としたのである。さらにいえば、無事投下できたとしても目標前方の一点に攻撃した全機が集まる瞬間がある。訓練でもよく空中衝突して死者がでたが、そこを対空砲火に撃たれればどうなるかはいわずともわかるだろう。雷撃のたびに全滅に近い損害を出し、技量は急降下し当たらなくなっていった。当時、生きて3度雷撃したものは居ないとまで言われていたのである。 でも装着作業が難儀だった。というのも、爆弾と魚雷の懸架装置の共通化がなされておらず、特に照準器は各機体の個性に合わせて熟練整備員が1機づつ手作業で調整するというもの。 このへんが日本の工業力の限界だったのだ。 ---と、言ってもアメリカでもさすがにこのあたりの事情はさほど変わらなかった。たしかに照準器は高精度のノルデン式照準器があったが……差異を吸収して自動調整する、なんてのは戦後の半導体時代が来てからの話である。 でも装着作業が難儀だった。...