TITLE:Algérie

|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.641|
|&attachref(./641.png,nolink,300x160);|>|Algérie(アルジェリー)|>|Algérie級 1番艦 重巡洋艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|48|~火力|40 / 64|
|~|~装甲|34 / 52|~雷装|30 / 57|
|~|~回避|33 / 59|~対空|28 / 72|
|~|~搭載|8|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|13 / 40|
|~|~射程|長|~運|5 / 35|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|50|~弾薬|65|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|2|>|>|[[20.3cm/50 連装砲 Modèle 1931>20.3cm/50 連装砲 Modele 1931]]|
|~|3|>|>|[[20.3cm/50 連装砲 Modèle 1931>20.3cm/50 連装砲 Modele 1931]]|
|~|3|>|>|[[55cm三連装魚雷 Modèle 1924>55cm三連装魚雷 Modele 1924]]|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Algérie'' → [[Algérie改>Algerie改]](Lv50)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:ブレスト海軍工廠で建造された、フランス海軍の栄光ある重巡洋艦Algérieだ。条約型重巡洋艦として設計され、ザラ級巡洋艦などを攻防において凌駕する新鋭艦として完成。ヴァード作戦にも戦隊を率いて活躍。我の最期はトゥーロン。敵鹵獲を避けるため、艦隊ごと自爆、自沈した。我らのことも、その胸に刻んでおけ。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:井上喜久子、イラストレーター:未発表 (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:井上喜久子、イラストレーター:未発表((CVやイラストレーター加筆時はそれぞれ[[CV・イラストレーター]]に出典を記載))
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Algerie/定型ボイス]])
#table_edit(Algerie/定型ボイス)
~

#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Algerie/時報ボイス]])
#table_edit(Algerie/時報ボイス)
~

#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Algerie/季節ボイス]])
#table_edit(Algerie/季節ボイス)
~

//セリフ一覧内における外国語の解説の記述方式について→https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/%E8%89%A6%E5%A8%98%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
}}

*ゲームにおいて [#game]
-2026夏イベント後段作戦『[[L'Élan de la Flotte Française -フランス艦隊の躍動->反撃!第三十一戦隊の戦い/E4]]』E4にて報酬艦として初登場。
-[[Zara]]級同様、素の射程が長。3隻目の射程長の重巡である。
--射程長の重巡の扱いについては、[[Zara]]のページを参照のこと。

-実装時点ではカード画像が[[Gambier Bay]]のかき氷modeになる不具合が発生していた。
~

-正式な艦名はアクセント符号付きの「Algérie」だが、[[新規ページ作成時の命名規則について>wiki編集について#guide4]]に基づき符号なしで作成している(改造後ページも同様)。

//**装備ボーナスについて [#bonus]


//**性能比較表(?より転送)  [#comparison]


**アップデート履歴 [#update]
-2026/07/19:[[イベント報酬艦>反撃!第三十一戦隊の戦い/E4]]として実装。

**キャラクター設定について [#character]
-声帯の妖精さんは永遠の17歳こと井上喜久子女史。かなり年配気味の外見とのギャップが%%おいおい%%。
-一人称は「我」。

//**期間限定グラフィック [#graphic]

*小ネタ [#neta]
#fold(略歴){{
}}
-フランス海軍が最後に建造した重巡洋艦「アルジェリー」。艦名は当時フランス領であったアルジェリアに由来する。
--1930年度計画でフランス海軍はシュフラン級重巡4番艦「デュプレクス」の改良型である設計案”C4”を建造する予定であったが、1929年にイタリア海軍が発表した[[ザラ>Zara]]級重巡洋艦に対抗するにはC4では不可能と判定されたため、設計を全く改めて兵装と防御を充実させた新規巡洋艦として建造することにしたのである。この重巡洋艦こそアルジェリーである。
--また、当時ドイツ海軍が建造していた「ポケット戦艦」への対抗も意識して建造されている。
--以後は[[ラ・ガリソニエール級>Gloire]]軽巡洋艦の建造に移行し、次の重巡洋艦は無条約時代のサン・ルイ級(未成)まで待つことになる。一応フランスはイタリア共々ロンドン条約限定参加のため保有枠に制限はなく、その気になれば追加建造可能ではあったが、財政的な問題や過度な緊張状態を避けるため((ロンドン条約を締結した日米英の間にはエスカレーター条項が存在し、仏伊あるいは独ソの動向次第で建造枠追加がそれぞれ認められていた。))、イタリアと同数の7隻で妥協していた。
**艦容 [#n2171fab]
***船体 [#mf38c200]
-船体は従来のフランス海軍巡洋艦の主流だった船首楼型((船首から続く甲板が途中で一段低くなって船尾まで続く構造。続く長さによって「長船首楼」型「短船首楼」型に分類される。日本海軍でも多く採用されている。戦艦で例えると第三砲塔までしか甲板が伸びない[[伊勢型は短船首楼型>https://tse1.mm.bing.net/th/id/OIP.66lFsT5kE7hsFKIOS3-lbQHaEY?r=0&rs=1&pid=ImgDetMain&o=7&rm=3]]で、第五砲塔まで続いている[[扶桑型は長船首楼>https://tse1.mm.bing.net/th/id/OIP.kLCcWbbfQMUTeEMLsJNKjwHaEU?r=0&rs=1&pid=ImgDetMain&o=7&rm=3]]である))から平甲板型((船首から船尾まで甲板に段差のない構造))に改めた事で艦内容積の確保や重量軽減や工期の短縮化を果たしている。⇒[[左舷からの写真>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC_(%E9%87%8D%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Algerie-2.jpg]]
-艦橋構造物もこれまでの重巡洋艦では三脚マストの途中に見張り台や探照灯台を増設していったので日本海軍戦艦で多用された「パコダ・マスト」のような構造になっていたが、アルジェリーは司令塔を内蔵した二階建ての航海艦橋の上に塔型の上部構造物を持つ近代的なフォルムに更新され、頂上部には対空見張り所があり、さらに上に主砲用測距儀、両側に対空測距儀が配置されている。
--艦中央部には探照灯台とクレーンの台座を兼ねた構造物があり、前後に“へ”の字型の艦載艇用クレーンと棒状の水上機揚収クレーンが1基ずつ設置されていた。後に対空火器スペースをねん出するために後檣を撤去した際に構造物に後部マストの機能を追加させている。
-船体構造において従来のフランス巡洋艦はリベット工法が主体であったがアルジェリーから溶接を大規模に採用していて、船体の軽量化に貢献している。
***武装 [#s42c352f]
-主砲はそれまでの艦で使用していた「[[50口径20.3㎝砲>20.3cm/50 連装砲 Modele 1931]]」を連装砲塔で4基搭載している((過去には新型の55口径砲を搭載していたという説があったが、現在では否定されている))。この砲塔はM 1931(1931年型砲塔という意味)へと更新されており機構や装填機が改良されて信頼性が向上している。
-高角砲は新型の「1930年型10㎝50口径高角砲」を連装で6基搭載と各国の重巡洋艦と比べて強化されている((殆どの重巡洋艦は連装4基で、当初から6基も搭載しているのはアルジェリーとザラ級のみ))。
--但し同砲は性能的には前型の「1926年型9㎝50口径高角砲」より危害半径((砲弾が炸裂した際に破片が散乱する範囲のこと))は広く破壊力も上がっていたが、一方で劣る面もあり((1例として最大有効射高は9㎝砲と変わらない1万mであったが射撃速度と砲身を上下させる速度は低下している))、後に同砲を積んだ[[リシュリュー>Richelieu]]からは「9㎝砲のほうがいい」と酷評されている。対空射撃装置は「1m測距儀」を内蔵した対空射撃装置が主砲用測距儀の片側1基ずつの計2基搭載している。
-魚雷は55㎝のものを[[3連装発射管>55cm三連装魚雷 Modele 1924]]で舷側甲板上の船体中央部に片舷1基ずつ計2基装備している。
--欧米の魚雷は52~53㎝のものを採用する例が殆どだが、フランス海軍はそれよりも大きめの55㎝クラスを採用していて、実はフランス海軍も「魚雷戦思考」の強い海軍ともいえる。この55cm魚雷は酸素魚雷を除けば第二次世界大戦での最強クラスの能力を持っていた。
---元々フランス海軍は1880年代から「青年学派」といわれる魚雷を主武装とした小型艦艇を多用する戦略思想があり、水雷艇を大規模採用した最初の国もフランス海軍だった((それに危機感を覚えたイギリス海軍が対抗兵器として開発したのが「駆逐艦」である))。
その流れでフランス海軍も魚雷戦を重視しており、ライバルであるザラ級などのように「魚雷を積まない」重巡洋艦もあるなかで魚雷装備は外さず、アルジェリーも装備し続けている。
***防御 [#sf31935a]
-防御性能はザラ級重巡洋艦に対抗するため前級よりもかなり強化されており、軍縮条約での「1万t以内」という制限の中で排水量の四分の一にあたる約2,600tを防御重量に充てている。
舷側水線部防御は110mmに達し、最上甲板に張られた水平防御も最厚部で80mmから最薄部の30mm、機関区装甲は別個に95mm、主砲塔防御は前盾装甲が110mm、側面装甲と天蓋装甲が共に70mm、司令塔が最厚部で100mmが奢られ、条約型重巡洋艦随一の重防御艦となった。⇒[[1942年11月米海軍省発行の「海軍艦船識別用図」より>https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/53/Algerie-1.jpg?utm_source=commons.wikimedia.org&utm_campaign=index&utm_content=original]]
機関部をはじめとする主水線部装甲適用部分では水中防御として船体の外板と機関部隔壁の間に空層と重油タンクを含めた多層液層防御を採用しており、艦底部から二重底を水線部装甲までぐるりと持ち上げる構造になっている。
#fold(同時期の重巡洋艦との防御力比較){{
--同時期の重巡洋艦との防御力比較
|~艦名|~竣工年|~舷側装甲(最大厚)|~水平装甲|~主砲塔(前盾.天井.側面)|~司令塔|h
|アルジェリー(仏)|1934年|205㎜((水線部防御に110㎜、機関部は更に95㎜の装甲を追加))|30~80㎜|110㎜.70㎜.70㎜|70~100㎜|
|シュフラン(仏)|1930年|100㎜((水線部防御に50㎜、弾薬庫は側面部に50mm装甲を追加している。なお2番艦「コルベール」からは水線部の装甲を54mm~60mmへと増加))|25~37㎜|30㎜|30㎜|
|高雄型(日)|1932年|127㎜((水線部防御に102㎜、弾薬庫舷側は更に25㎜の装甲を追加))|34~46㎜|25㎜.25㎜.25㎜|なし|
|ニューオーリンズ級(米)|1934年|127㎜((水線部防御に76㎜、機関部は更に51㎜の装甲を追加))|32~57㎜|203㎜.38㎜.38㎜|127㎜|
|ヨーク級(英)|1930年|178㎜((水線部防御に76㎜、弾薬庫舷側に更に102㎜の装甲を追加))|25~64㎜|25㎜.25㎜.25㎜|25㎜|
|ザラ級(伊)|1931年|150㎜((水線部防御に100㎜、弾薬庫舷側に更に50㎜の装甲を追加))|20~70㎜|150㎜.75㎜.75㎜|70~150㎜|
}}
***機関 [#m2b0f553]
-アルジェリーから新型のアンドレ式重油専焼高温高圧水管缶を採用した。これにより従来では9つあったボイラー数を2/3の6基に減じることができ重量軽減につながった。艦橋の直下からボイラー室は横隔壁2つにより3室に分けられておりボイラーが2基ずつを1組で計3組6基を配置した。
--船体を小型化するためにフランス海軍の重巡洋艦でそれまで採用していたシフト配置を廃止し、ボイラー室、タービン室と順番に配置した日本海軍の重巡洋艦に似た構造となっている。
ただし日本海軍の重巡が中央部隔壁を用いているのに対して、アルジェリーは横隔壁に強度を与えている。これは船体の幅が狭い巡洋艦で片舷に浸水が集中したときに中央部に隔壁があれば傾斜がひどくなり最悪転覆する恐れがあるため、フランス海軍ではアルジェリーの機関区には中央部隔壁は採用されてはいない。
---シフト配置を不採用としたことに「生存性を下げているのでは?」と思う提督諸氏もいるだろうが、シフト配置には「機関区画が大きくなる」というデメリットがあり、機関区に仕切りを設けて左右に分けるスペースがある中大型艦艇の場合、シフト配置を採用するメリットはあまり((シフト配置は魚雷攻撃等でボイラーやタービンが使用不可となった場合、一度に動力を失う危険性があるのを防ぐ意図で採用されるのだが、中大型艦の場合はそもそも機関や機械を隔壁で覆っているので、シフト配置を採用する主原因である「一撃で動力を喪失する」という事態が起こりにくい))ないのが実情だった。中大型艦艇にもシフト配置を採用したアメリカ海軍はその分居住区が圧迫されてしまい、そのくせ他国の同一艦種よりも乗員数が多い(ダメコン要員のため)のでこの問題は他国よりもかなり問題となっている。
どんな技術にも長所短所はあり、採用しないのはしないなりに理由があるのだ。
-タービンは新型のラトゥー・ブルターニュ式ギヤード・タービンを採用した。ボイラー室の背後に外軸用2基と横隔壁で隔てられて内軸用2基の計4基が配置された。タービン数が増加したのは1軸当たりの負担馬力を軽減して小型化かつ軽量化するためである。その結果出力は84,000馬力と前級の90,000馬力から6000馬力減少したが船体形状の改善により速力31ノットを維持している。燃料搭載量は2935トンと若干増大したに過ぎないが高温高圧缶の採用と新型タービンの採用で燃料消費量が大幅に改善されたため航続性能は15ノットで8,000海里を航行できた。また27ノットで航行した時の航続性能は4,000海里である。

**艦歴 [#fdc644c7]
-1931年3月19日、アルジェリーはブレスト海軍工廠で起工され、1934年9月15日に竣役。フランス海軍の最新鋭重巡洋艦として活動した。
-第二次世界大戦が始まった1939年9月の時点で、アルジェリーはフランス地中海艦隊所属の第3艦隊旗艦を務め、直卒する第1巡洋艦戦隊((アルジェリー、デュプレクス、フォッシュ))と第2巡洋艦戦隊((デュケーヌ、トゥールヴィル、コルベール))、第3軽戦隊(日本でいう水雷戦隊に相当)を率いていた。
-開戦後、南大西洋ではドイツ海軍のポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」が通商破壊戦で大暴れしだした。英仏海軍は共同してこれの捕捉殲滅作戦を実施、アルジェリーもフランス戦艦「ストラスブール」やイギリス空母「ハーミーズ」と共にダカールを拠点に活動している。
-1940年6月10日にイタリアが枢軸国として参戦すると、アルジェリーら重巡部隊ははイタリア本土各地に分散して艦砲射撃を実施。アルジェリーはフォッシュと共にサヴォ―ナ県ヴァ―ド・リーグレに艦砲射撃を実施している。
--だがフランスの命運は既に尽きようとしていた。6月22日、フランスはドイツと独仏休戦協定を結んで降伏。24日にはイタリアとも休戦協定を結び、親独政権のヴィシー政府が樹立された。フランス海軍の多くの艦艇はこのヴィシー政府の所属となり、アルジェリーもこれに所属する。7月3日に発生したメルセルケビール海戦ではトゥ―ロンから出動し、イギリス海軍の追跡を振り切ってきた戦艦プロヴァンスを保護してトゥ―ロンまで護衛している。
-その後はヴィシー政権のもとでトゥ―ロンを拠点に活動し、その間対空兵装の強化やレーダーの設置などの改装を受けている。
だが彼女らトゥ―ロン港にいたフランス艦艇たちの最期は悲劇的な結末を迎える事になる。
--1942年11月8日。連合軍は「トーチ作戦」を発動して北アフリカのフランス領に侵攻を開始した。同地にいたフランス海軍艦艇は[[ジャン・バール>Jean Bart]]をはじめ多くが撃破され、たまたま現地に居合わせたヴィシー・フランス軍総司令フランソワ・ダルラン元帥((現地に駐留していた子息が重病を患い、その見舞いに偶々北アフリカのアルジェを訪れていた))が連合軍と停戦交渉を行い11日には交渉は成立して戦闘は終結する。
だがこれがドイツ側にヴィシー政府への疑惑を持つきっかけとなってしまう。ヒトラーはヴィシー政府の内通を疑い、フランス全土をドイツの直接占領下に置く「アントン作戦」を発令、トゥーロン港にも占領の部隊が派遣された。
--元々ヒトラーはフランス降伏の頃より「フランスの直接占領」の考えはあったが、この時点ではドイツ軍にそれを実施できるだけの戦力はなく、ヴィシー政権を樹立させた理由にもなっていた。だが1941年12月にアメリカが参戦してきたことで北アフリカ侵攻の脅威が増した事で占領作戦を再検討、1942年5月には占領計画「アントン」はほぼ策定を終えている状況だった。ドイツにとってフランスの直接占領はすでに既定路線であり、ダルランの停戦交渉はそれを実施する際の体のいい理由となったのだった。
-11月11日よりアントン作戦は発動されドイツ第一軍(第7戦車師団、第327歩兵師団)が大西洋沿岸をスペイン国境まで南下、第10戦車師団、第161歩兵連隊からなるフェルバー支隊が政権中枢のなるヴィシーを強襲してこれを占拠する。だが当初ドイツ軍はトゥ―ロン占領はしないと明言し、フランス艦隊を刺激しないようにしていた。
--だがそれはトゥ―ロン占領のために時間稼ぎであり、27日には兵力約16,000名、戦車200両の大軍がトゥ―ロン占領に向けて動き出す。
しかしフランス軍は「アントン作戦」の存在を1942年6月頃には察知しており、自沈に関する手続きが既に各艦艇に配布されていた。そのためドイツ側の不穏な動きを察知したヴィシー政府のウファン海軍大臣は11日14日には自沈準備を命じており、27日にドイツ軍の侵攻を確認した現地指揮官のド・ラボルド司令官はドイツ軍侵攻開始から1時間半後の5時35分、各艦艇に自沈命令を出す。
---各艦が一斉に自沈作業を開始、アルジェリーも乗員を脱出させたのちに仕掛けていた爆薬を点火、艦は爆発と共に火災が発生してそのまま沈没。海面に出たままの箇所はその後20日間に渡り燃え続けたという。
こうして当時トゥ―ロンに在泊していた戦艦3隻、重巡洋艦5隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦29隻他の艦艇たちはその殆どが自沈した。艦これ実装艦ではコマンダン・テスト、[[モガドール>Mogador]]、[[ヴァトール>Vautour]]、が共にこの時自沈している。
-その後アルジェリーは1943年にドイツ軍によって浮遊されているが想像以上に損害が大きく、結局修理は断念されスクラップとして解体された。

*この艦娘についてのコメント [#comment]
//#fold(過去ログ){{
//#ls
//}}
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#pcomment(./コメント1,reply,30)
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''&size(16){[[&color(white,orange){提案意見掲示板};>提案意見掲示板]]からのお知らせ};''
-ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、''[[wiki内神社]]というページが設置''されました!ぜひご利用ください。
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-&size(13){''&color(Red){建造成果の報告は[[建造レシピ]]内にあるコメント欄に、&br;ドロップ報告に関しては[[出撃ドロップ]]内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。};''};