|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.585|
|&attachref(./585.png,nolink,あたし、Dace。知ってる?知らない? そう。);|>|Dace(デイス)|>|Gato級 潜水艦 SS-247|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|13|~火力|2 / 11|
|~|~装甲|4 / 20|~雷装|37 / 77|
|~|~回避|18 / 47|~対空|0|
|~|~搭載|0|~対潜|0|
|~|~速力|低速|~索敵|12 / 45|
|~|~射程|短|~運|41 / 81|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|10|~弾薬|20|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|>|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Dace'' → [[Dace改]](Lv50) → [[Leonardo da Vinci]](Lv82)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:米主力潜水艦、Gato class潜水艦Dace。太平洋戦線狭しと最前線に、敵の後方に、縦横無尽に活躍したよ。&br;レイテ沖海戦では僚艦と共に主力栗田艦隊の重要艦を叩き、その出鼻をくじいたんだ。僚艦はその後大変なことになったけどもちろん最後まで見捨てない。あたしのことも知っていて。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:戸松遥、イラストレーター:しずまよしのり (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:戸松遥、イラストレーター:しずまよしのり
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Dace/定型ボイス]])
#table_edit(Dace/定型ボイス)
~

#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Dace/時報ボイス]])
#table_edit(Dace/時報ボイス)
~

#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Dace/季節ボイス]])
#table_edit(Dace/季節ボイス)
~

//セリフ一覧内における外国語の解説の記述方式について→https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/%E8%89%A6%E5%A8%98%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
}}

*ゲームにおいて [#game]
-2025秋イベント『[[逆転!ナルヴィク攻防戦]]』後段作戦E4にてドロップ艦として初登場。
-2回目の改造があり、最終的に3スロになる。

//**装備ボーナスについて [#bonus]


//**性能比較表(?より転送)  [#comparison]


**アップデート履歴 [#update]
-2025/11/10:[[イベントドロップ艦>逆転!ナルヴィク攻防戦/E4]]として実装。

**キャラクター設定について [#character]
-他のガトー級と同様の競泳水着姿の上からぶかぶかのシャツを着用している。また、頭には実艦の艦番号のタグが付いた水兵帽を被っている。頭の潜舵風髪飾りは[[Wahoo]]に次いで小さめ。
-左手には艦これのガトー級共通の艦首風艤装を携えているが、グリップ周辺の形状が先の3隻と若干異なっており、回転式拳銃のシリンダー風パーツが付いている。
-白いガーターストッキングを穿いた両脚にはこれまた共通の艦尾風艤装を纏っているが、さらに艦尾を模した艤装を両脚に挟むように付けている。

//**期間限定グラフィック [#graphic]

*小ネタ [#neta]
#fold(略歴){{
|CENTER:BGCOLOR(#B79FCB):COLOR(#FFFFFF):40|CENTER:BGCOLOR(#FFFFFF):COLOR(#19448E):40|BGCOLOR(#FFFFFF):COLOR(#19448E):650|c
|1942|7.22|エレクトリック・ボート社造船所において起工|
|1943|4.25|進水|
|~|7.34|竣工|
|~|10.20|真珠湾を出港。日本近海方面の偵察を開始|
|1944|7.27|海軍特設艦船「第二共栄丸」を撃沈|
|~|7.31|陸軍船「真珠丸」を撃沈|
|~|10.14|民間船「日鉄丸」を撃沈|
|~|10.14|民間船「永享丸」を全損に追い込む|
|~|10.14|民間船「大善丸」を撃破|
|~|10.23|日重巡「[[摩耶]]」を撃沈|
|~|12.16|インドシナ半島ガンビル島沖で機雷を敷設|
|~|12.28|日給糧艦「[[野埼]]」を撃沈|
|~|12.28|民間船「芝栗丸」を撃破|
|1945|1.26|民間船「第十五多聞丸」を敷設した機雷で撃沈|
|~|6.8|日本の海上トラックを撃沈|
|~|6.8|日本の小型帆船を撃沈|
|~|6.10|海軍一般徴用船「博洋丸」を撃沈|
|~|7.10|7回目哨戒より帰還|
|~|8.15|終戦|
|1946|1.15|予備役となる|
|1951|8.8|再就役|
|1953|12.31|再度予備役となる|
|1954|1.|GUPPY IB改修を受ける(~10.)|
|1955|1.31|イタリア海軍に供与され、レオナルド・ダ・ヴィンチに改名|
|1972|10.15|除籍|
|1975|4.1|スクラップとして売却|
}}

-元になったのはガトー級潜水艦の35番艦、「デイス」(USS Dace, SS-247)である。
-艦名は当時の米海軍の慣例に基づき、コイ科の淡水魚デイスの名前からとられている。
-エレクトリック・ボート社造船所にて建造され、1943年4月25日進水、同年7月24日に就役。初代艦長は後にバラオ級のアーチャーフィッシュの艦長として空母信濃を撃沈することになるジョゼフ・F・エンライト少佐が着任した。

-10月20日、日本近海へ向け戦闘哨戒に出発。11月、デイスと近在の潜水艦に、「近くを空母[[翔鶴]]が通過するため、これを撃沈せよ」という指令が下った。15日、デイスは翔鶴と護衛の駆逐艦3隻を発見したが、攻撃することはできなかった。
結局、デイスは初戦果を挙げることができないまま12月11日にミッドウェー島に帰還。エンライト艦長は意気消沈したまま司令部に報告。報告は「自分は艦もスタッフも担当海域も、あらゆる優れたものに恵まれた」で始まり、「今回の哨戒任務が不作だったのは自分の責任ですから」と、自ら自分をデスクワークに廻してくれるよう要請した。この要請は受理され、28日に潜水艦救護隊隊長に任じられてデイスを去った。
-艦長が交代したデイスはダバオ・ミンダナオ方面での第4次哨戒で初戦果を挙げ、1944年9月1日に姉妹艦のダーターと共にオーストラリアのブリスベンを出港し、ダーウィンを経由してパラワン島方面へ向かった。途中ジャイロコンパスの故障でミオス・ウンディ島に移動し、整備と訓練の後ボルネオ島北岸方面へ向かった。
-10月13日、デイスはマニラからミリへ向かっていたミ19船団を発見した。
--このミ19船団は9月9日に門司を出港し、途中姉妹艦のサンフィッシュの雷撃で応急タンカー1隻を失いながらも18日に高雄に到着。しかしフィリピン方面の空襲で出港できないまま後続のミ21船団((9月23日門司発、29日高雄着。))を吸収し、編成変更の後30日に出港。マニラを経由してミリに向かっていたが、10月9日にバラオ級のベクーナ、ホークビル((11月に[[桃]]を雷撃し撃沈した潜水艦。後には駆逐艦[[神風]]との激闘でも知られる。))の攻撃でタンカー1隻が撃沈されていた。
-14日未明、デイスは魚雷を合計10本発射し、午前2時8分に逓信省K型鉱石輸送船改装応急タンカー日鉄丸の右舷に魚雷が命中してこれを撃沈し、2時9分に陸軍配当船大善丸および2AT型戦時標準応急タンカーの永享丸にほぼ同時に魚雷が命中した。大善丸は右舷船首に被雷し大破。永享丸は右舷3番船倉に被雷し損傷する。
--ミ19船団はキマニス湾に先行し、損傷した大善丸、永享丸の合流を待ってから航行を再開するが、航海中永享丸が転覆しそうになったため夜になってブルネイ湾に到着。ここで永享丸は修理を受けようとしたものの、20日に戦艦[[大和]]、[[山城]]他を中心とする艦隊が入港するためという理由で湾内での入泊修理を拒否されてしまった。
結局、永享丸は船団に続行せざるを得なくなり、16日にラブアン島ビクトリア港に到着した時には沈没しかかっており擱座を敢行。擱座には無事成功して沈没せずに済んだものの、応急修理がままならないまま度重なる空襲を受けて12月16日に船体放棄となった。このため、永享丸はデイスの戦果として認定されている。
燃料不足のためわざわざリンガ泊地に待機していた第二艦隊がこの期に及んでなお貴重なタンカーを粗末にする有様は、この戦争を引き起こした軍部の独善思想の一つの象徴とも言えよう、と戦時輸送船研究家の岩重多四朗氏は記述している。
-その後、パラワン水道に移動したダーターとデイスだったが、22日夜にダーターのレーダーが複数の目標を探知したため、2隻はこの目標を追跡。やがて相手が日本海軍の艦隊、第一遊撃部隊であることが分かり、ダーターの無線報告の後2隻は分かれて攻撃に移った。朝になり、ダーターの雷撃で[[愛宕]]が被雷。続いて[[高雄]]も被雷した。魚雷2本が命中した高雄は大破し、魚雷5本が命中した愛宕は沈没していった。
愛宕が沈没した1分後、デイスは「金剛型戦艦」と識別した目標へ向けて魚雷6本を発射。6時56分、魚雷は目標こと[[摩耶]]に4本が命中し、摩耶は約8分で沈没していった。デイスでは7時1分に「海底が爆発したかのような爆発音」、その2分後に大きな破壊音を聴取している。
-日没後、ダーターとデイスは浮上して手負いの高雄を追跡したが、長時間潜航していたためどちらも自艦の進路の方位が分からなくなってしまった。雲量が多く天測航法も断念せざるを得ず、2隻は最初の攻撃位置とおぼしき位置にとりあえず戻ろうと反転したが、24日午前1時5分にダーターが岩礁に乗り上げて座礁してしまった。
デイスはダーターとは少し異なる進路をとっていたため座礁せずに済み、すぐにダーターの救援を始めた。しかしダーターを離礁させようという試みはことごとく失敗し、25日未明にデイスはダーターにロープを投げ、ゴムボートも活用してダーターの乗組員をデイスに移乗する作業が開始された。ダーターの全乗員の移乗完了後、デイスはダーターを処分しようと魚雷4本を発射したが、全て岩礁に当たって爆発しただけに終わった。そのため4インチ砲21発をダーターの水線に命中させたが、日本軍機が飛来してきたので潜航し退避した。
潜航中もダーターの様子を窺っていたデイスは、日本兵が[[長波]]からダーターに乗り込むのを確認した。長波が去り、夕方になってからデイスは浮上して再度ダーターを破壊しようとしたものの、正体不明の音を探知したため作業を断念。ダーターの処分を他の艦に依頼するよう報告し、乗員ですし詰め状態になりながら帰途についた。デイスはダーター処分時に魚雷を撃ち尽くしたため艦内には余裕があったが、それでもダーターの全乗員を立ったまま詰め込んだため身動きもままならず、乗員がトイレに向かう時だけ僅かに空間が出来る有様という、首都圏の朝ラッシュの電車の車内のような状態だったという。
-11月6日、オーストラリアのフリーマントルに到着し、ダーターの全乗員を降ろした。
-12月28日、デイスは仏印バレラ岬沖でサイゴンから海南島へ向かう輸送船団を発見し、魚雷を6本発射。魚雷は給糧艦[[野埼]]と貨客船芝栗丸に命中し、野埼は沈没、芝栗丸は損傷した。残った芝栗丸と護衛の第四十三号駆潜艇は次の目標になることを防ぐため、救助をせずそのまま航海を続けた。
-1945年6月8日には国後島沖で海上トラックと小型帆船を浮上砲戦により撃沈した。この頃になると輸送船の沈没により深刻な輸送船不足に陥っていた日本は500トン以下の小型海上トラックや、それよりも小さな帆船や木造船まで使って海上輸送を辛うじて維持していると言っていい状態で、それらの小船でさえアメリカ潜水艦の攻撃で次々に海底に消えていくという悲惨な状態であった。7月10日、7回目の哨戒を終えてミッドウェー島に帰還。8月13日に次の哨戒に向けてサイパンに到着したが、ほどなく15日の終戦を迎えた。

-戦後はサイパンを出発して真珠湾、パナマ運河を経由してニューロンドンに移動。1946年1月15日にポーツマスで予備役となり、1947年2月12日に退役した。1951年8月8日に再就役し、大西洋岸、カリブ海で活動。1953年12月31日に予備役となり、1954年1月15日にGUPPY IB改修のために退役。
改修の後イタリア海軍に供与されることが決まったデイスは、1954年10月22日に再就役してイタリア海軍の乗員の訓練に従事し、1955年1月31日に退役してイタリア海軍へ供与された。
-イタリア海軍に供与されたデイスは[[レオナルド・ダ・ヴィンチ>Leonardo da Vinci]](Leonardo da Vinci, S-510)に改名。50年代から60年代末にかけて姉妹艦のエンリコ・タッツオーリ((元は[[雲鷹]]を撃沈したバーブ。))と共にイタリア海軍潜水艦部隊の中核として活躍し、1972年10月15日にアメリカ海軍を除籍。
翌年イタリア海軍を除籍され、1975年4月1日にスクラップとして売却された。
--アメリカ・ミシガン州の都市マーケットにあるエルウッド・A・マットソン・ローワー・ハーバー・パークに、GUPPY改修で交換されたデイスのオリジナルの司令塔が現存している。
-デイスは第二次世界大戦で合計7回の哨戒を行い、10隻・28,689トンの敵艦船を撃沈。第二次世界大戦の戦功により海軍殊勲部隊章と7個の従軍星章を受章した。

-戦後「デイス」の艦名は「パーミット級原子力潜水艦」の一隻として引き継がれたが、現在は退役している。
--2代目「デイス(USS Dace, SSN-607)」は1964年就役の原子力潜水艦で、1988年に除籍された。

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