|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.161|
|&attachref(./161_2nd.jpg,nolink,自分、あきつ丸であります。艦隊にお世話になります。);|>|あきつ丸(あきつまる)|>|特種船丙型 揚陸艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|38|~火力|6 / 19|
|~|~装甲|13 / 33|~雷装|0|
|~|~回避|15 / 39|~対空|13 / 29|
|~|~搭載|0|~対潜|0|
|~|~速力|低速|~索敵|3 / 13|
|~|~射程|短|~運|10 / 39|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|40|~弾薬|10|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[大発動艇]]|
|~|>|>|>|[[25mm連装機銃]]|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''あきつ丸'' → [[あきつ丸改]](Lv25)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:自分は、陸軍の特種船…その丙型の「あきつ丸」であります。&br;輸送や上陸戦ならお任せ頂きたいのであります。&br;自慢はこの大発であります。ネズミやモグラな輸送とは訳が違うのであります。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:能登麻美子、イラストレーター:くーろくろ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:能登麻美子、イラストレーター:くーろくろ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>あきつ丸/定型ボイス]])
#table_edit(あきつ丸/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>あきつ丸/時報ボイス]])
#table_edit(あきつ丸/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>あきつ丸/季節ボイス]])
#table_edit(あきつ丸/季節ボイス)
~
}}

*ゲームにおいて [#game]
-2013年12月24日の「[[大型艦建造]]」と共に実装。%%通常海域でのドロップはない。%%
--2023年1月20日に実装された[[7-5>南西海域/7-5]].ジャワ島沖第三ゲージにて初の通常海域でのドロップが確認された。
-航空艤装はあるが、空母類ではなく艦これ初の艦種【''揚陸艦''】としての登場となった。
--正式には陸軍特殊船というカテゴリに属する''船''であり、実は艦娘ではなく初登場の''船娘''なのである(陸軍は「艦」という漢字を使わなかった)。
---図鑑の表記では特殊船ではなく特種船となっているがどちらの資料も存在しており正確な表記はわからない、戦後の資料では特殊船表記が多い。
-カードの英語は''AMPHIBIOUS ASSAULT SHIP''(強襲揚陸艦)。長すぎて収まりきっていない。
~
-[[開発]]時秘書艦としては、空母に近いが開発できるものが若干異なる。
[[流星]]と[[零戦32型>零式艦戦32型]]は出るものの、他のホロ艦載機は開発できず、かわりに上陸用舟艇・対潜哨戒機・回転翼機・陸軍戦闘機といった特殊なものができる。
//-開発時秘書艦としては空母と同等になるらしく、艦載機レシピを利用するとホロ艦載機が出現することが確認されている。
//開発の揚陸艦アップデートで変更
~
-装備可能な兵装は、小口径主砲/副砲/小型電探/爆雷/[[大型ソナー>零式水中聴音機]]/機関部強化/対空機銃/高射装置/艦上戦闘機/[[上陸用舟艇>大発動艇]]/[[ドラム缶>ドラム缶(輸送用)]]/司令部施設/対地装備 、そして[[改造後>あきつ丸改]]に自ら持参する''[[回転翼機>カ号観測機]]''と''[[対潜哨戒機>三式指揮連絡機(対潜)]]''などである。
--ただし未改造では搭載数がゼロであるため、航空機類は装備しても飛ばせず、効果は発揮されない。
--爆雷は2019年8月8日アップデートで装備可能になった。(([[運営tweet>tw.KanColleSTF:1159418722601189376]]))
-現状では砲撃艦としても航空機運用艦としても性能が他艦種より低く、愛が試される仕様となっている。
//--上陸作戦に特化した存在であることを踏まえてか、イベント海域ではルート固定要員として指定されていることがある。
--ルート固定次第で投入可能。改造前の状態で連れて行ってもほぼお荷物だが、[[改>あきつ丸改]]にして艦戦を積むと役に立ってくれる。
-資源獲得量の増える「[[大発動艇]]」を搭載できるので遠征要員に、と言いたい所だが……
--実はあきつ丸自身の燃費があまり良くない。弾薬消費は駆逐艦以下だが、肝心の燃料消費が、重巡・軽空母並。
--艦種の【揚陸艦】は巡洋艦とも空母とも違う独自のカテゴリなので、他の艦で遠征成功条件を満たしておかないといけない。よって全6隻の艦種が指定されている遠征(東京急行など)には出せない。
---実装当初こそ大発動艇を装備できる艦が限られていたため遠征にも使われていたが、その後大発動艇は多くの軽巡・駆逐改二艦などが装備できるようになっており、あきつ丸を起用するメリットは薄れている。
--現在では大発動艇の開発要員になれる。初期装備で増やすのは結構大変なので、開発できると楽。
~
-くーろくろ氏によって初期デザイン案の一つが[[陸軍特殊船丙型擬人化>http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=35773829]]として公開されている。&br;
-2015年4月28日をもって[[秋津洲]]が実装。あきつ丸と同様「あきつ」と言う最初の名前があり混在するかもしれない。
--もっとも単にあきつといえば基本あきつ丸のことになるため、今後呼び名がどうなるかは提督次第だろう。

**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2016年10月21日のアップデートにて「鎮守府秋の秋刀魚祭り」mode及び期間限定ボイスが実装された。
--戦後に日本水産の漁業工船に転用された揚陸艦「摂津丸」をモチーフとしている。
-
#fold(限定イラスト:鎮守府秋の秋刀魚祭りmode){{
限定イラスト:鎮守府秋の秋刀魚祭りmode
&attachref(./161_Autumn.jpg,nolink,これがサンマ漁支援任務でありますか。自分も参加してみたくはありますが…。提督殿、装備によっては可能でありましょうか?);
}}

*小ネタ [#trivia]
-元ネタは、我が大日本帝国&color(Red){''陸軍''};が誇る上陸舟艇母船(強襲揚陸艦)の「あきつ丸」である!
--飛行甲板を持ち、上陸用舟艇も多数搭載できるこの艦は現在の海自の「[[おおすみ>WikiPedia.ja:おおすみ型輸送艦]]」や米帝の「[[ワスプ>WikiPedia.ja:ワスプ級強襲揚陸艦]]」の先祖と言っても過言ではない!&color(Silver){(たぶん)};
--このあきつ丸があれば、1隻で敵前上陸も行えるし、上陸中の航空支援も行えるというまさに画期的な艦だ!

-搭載するのは勿論わが陸軍の誇りある名機、[[九七式戦闘機>WikiPedia.ja:九七式戦闘機]]((「九七式艦攻」とは別物、飛行機の形状的には「九六式艦戦」に似ている陸軍機。中島飛行機製で、後に一式戦「隼」に繋がる。))と[[三式指揮連絡機>三式指揮連絡機(対潜)]]である。搭載数は両者合わせて21機だ!
--上陸用舟艇([[大発動艇]])も27艘が搭載可能!あきつ丸1隻で兵士約1,000名、1個大隊が上陸可能なのだ!((ちなみに、現在の海自の揚陸艦「おおすみ」の最大輸送人員が1,000名(非戦闘員の場合。戦闘員の場合は約330名+車輌・装備)であることを考えると、結構凄い。))
-低速なのが欠点でな、最新鋭の重い機体は発艦できないのが残念だ((元が民間貨物船ベースなので最大速力は21kt。[[鳳翔]]ですら25ktなのにこれでは……。))。
--だが、[[カ号観測機]]というオートジャイロによって偵察や対潜哨戒が行えるようになった!まさにヘリ空母の先駆け!
海自の「[[ひゅうが>WikiPedia.ja:ひゅうが型護衛艦]]」や「[[いずも%%まる%%>WikiPedia.ja:いずも型護衛艦]]」の先祖はこのあきつ丸といっても過言ではない!&color(Silver){(たぶん)};

#fold(''Q.で、実際のところどうだったの?''){{
''Q.で、実際のところどうだったの?''

A.性能はいいんだけど……うん

&br;

-発想自体は現在に「おおすみ」などの例があることから至極真っ当であると言えるし、陸軍が強襲揚陸艦などの大規模船団を持つことはアメリカもやっていた(''というかアメリカ陸軍では掃海艇や魚雷艇などの船艇すら自前で持っていた'')。ついでに言えば現在''陸上自衛隊も真面目に計画している''。&br;設計的にも''揚陸艦としては優秀''なものだった。なのだが……。
-あきつ丸に搭載する航空機は、空母に乗ったことがない''陸軍''のパイロット操る''陸軍''の戦闘機である。
…発艦はまだしも''着艦はどうするんだ''&color(Silver){(貴様は大和魂というのをしry)};
--陸軍「燃料がなくなるころには、我が精鋭なる上陸部隊が着陸可能な飛行場・場所を確保している''はず''なので、そこに下りればなにも問題ない。いざとなれば揚陸地点か味方艦隊の近くに不時着すれば良い。」
---要は''見切り発艦''である。将兵には高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することが求められる。((どのようなメリット・デメリットを考慮した上でどうするか、という運用上の問題。似た例に変態紳士の国イギリスにも[[CAMシップ>WikiPedia.ja:CAMシップ]]が存在する。商船にカタパルトをのせ、戦闘機を射出させ、任務終了後は近場の基地に降りるか乗員が脱出する仕組みだった。でも乗員が脱出しても溺死してしまう例があったところを見るとあきつ丸も…。))
--実際、初期のあきつ丸には着艦に必要な装備が全くない。着艦制動装置?なにそれ食えるの?着艦設備がないのでパイロットも着艦訓練をしていない(できない)。
ゲームで搭載量がゼロにされているのは多分このせい。
---ちなみに甲板上に並ぶトゲのようなものは、砲身の長い高射砲などである。
--因みにその前に建造された[[神州丸]]はもっと潔く、着艦可能そうな設備すら無く、発艦用の射出機しか持っていなかった。
-というか、航空支援なら空母を保有している海軍に頼めばいいんじゃね?と思う方もいらっしゃるだろうが…
--あきつ丸の構想段階から「制空」については海軍の空母搭載機が担当することが想定されていた。あきつ丸の搭載機が担うのは海軍の空母搭載機では不向きな「直協」でありそもそも役割が異なるのである。
---「直協?なんぞそれ」という提督諸兄のために大雑把に解説すると、直協とは直接協同の略語である。要は近接航空支援や弾着観測等を含む地上部隊と航空部隊の連携。
帝国陸軍は戦線拡大を見越してこの手の戦術的な運用が可能な偵察機の開発に熱心で、1938年には[[九八式直接協同偵察機>WikiPedia.ja:九八式直接協同偵察機]]を正式採用している。
本機は操縦性・低速時安定性・整備性に優れ、エンジンまわりの故障も少なかったことから扱いやすい万能機として重用され、翌年には改修機が[[九九式高等練習機>WikiPedia.ja:九九式高等練習機]]として制式採用された。以上余談。
--&color(Silver){海軍「海上護衛?いえ、知らない子ですね…」};
-と、ここまでなら「そう言うこと」で建前が付いた。だが、空母機動部隊の損耗と海軍の基地航空隊シフトにより、海軍の空母がフネだけあるという状態になったため────
「陸軍は航空機運搬船を開発・運用しているが、海軍には搭載する艦載機のない空母がある。なぜ融通しないのか?」
と選りにも依って''昭和帝陛下から直々に問われどえらいことに''。この時詰問された岡新海軍中将は答えに窮し、居合わせた人間曰く「返答に窮する岡中将の背中には見る見るうちに汗染みが広がっていくのが見えた」そうな。実際陛下は陸海軍の確執に''かなり激オコだった''らしい。&color(Silver){昭和陛下は''「フグ食べたい」''エピソードなど結構お茶目さんだったりするのだが、その温厚な人物がこれだけ怒ってるっていうのは尋常じゃないのだ。};
}}

-陸軍から播磨造船所(現IHI)に発注され、1941年9月24日に進水、1942年1月に竣工。ちょうど対米開戦したばかりの時期であり、竣工とともに実戦に投入された。
竣工から一月あまりで参加した太平洋戦争序盤の蘭印作戦では、ジャワ島上陸作戦での揚陸任務を見事に成功させた。
……のだが、''この後本来の目的である揚陸作戦に参加する機会には一切恵まれなかった''。
--またこの作戦では自慢の飛行甲板や格納庫も''航空支援に使われることなく''、かわりに荷物搭載スペースになっていた。((別途陸海軍航空部隊による航空支援があったため。))
--その後の輸送任務中にもその自慢の飛行甲板&格納庫は本来の役目を果たしておらず、[[一式戦闘機「隼」>WikiPedia.ja:一式戦闘機]]などの陸軍機やトラックなどの格納所として機能していた。ホントに「おおすみ」みたいな子である。
--蘭印作戦以後はその輸送能力を活かし輸送任務に活躍した。
&br;
-だが、戦局が悪化するとあきつ丸に光が射す。
--米帝の無制限潜水艦作戦により日本のシーレーンはズタボロに。これを何とかせねばと考えた日本陸軍はあきつ丸をまさかの''ヘリ空母化''((正確にはオートジャイロ母艦。))。
--カ号観測機に対潜爆弾を搭載し護衛空母として大活躍!……''しなかった''。
---カ号観測機の生産が進まなかったこと、訓練が進まなかったこと、「やっぱり固定翼機のほうが強くね?」などなどの理由で、カ号観測機が搭載されることなくヘリ空母化は断念された。
--その後は代わりに選ばれた三式指揮連絡機が対潜哨戒機に改造されて対潜任務で活躍する……ことも''なかった''。何度か試験哨戒はしたものの、戦果無し。
---本作の[[あきつ丸改]]はこの時の状態。航空艤装を強化して固定翼機の着艦に対応した。
-結局、あきつ丸は対潜任務から外れ、自慢の飛行甲板も本来の役目を発揮することはなく輸送船として輸送作戦に従事し続けることになる。
-1944年11月、あきつ丸はフィリピン防衛のため、陸軍の精鋭部隊「[[第23師団>WikiPedia.ja:第23師団 (日本軍)]]」を輸送するという重要な任務を任される。
--あきつ丸がこのとき所属したヒ81輸送船団には、「[[神州丸]]」「吉備津丸」「摩耶山丸」という彼女の姉妹とも言える他の陸軍特殊船も参加しており、
さらには海軍の軽空母「[[神鷹]]」、駆逐艦、海防艦なども護衛につくという厳重な護衛の中、彼女たちは九州伊万里湾より出撃する。
--が、あろうことか&color(Red){''海軍の暗号が米海軍に傍受され''};、ヒ81船団に米潜水艦が群がり始めた。&color(Silver){また海軍のせいか!};
--その結果、あきつ丸は五島列島沖で米潜水艦「クイーンフィッシュ」に雷撃される。
輸送していた弾薬や自衛用の爆雷に誘爆、乗員達が逃げる暇もなく、あきつ丸は輸送中の陸軍第23師団の兵士2000名以上と共に海に沈んでいった。
対潜哨戒艦だったはずなのに…。
---この時のあきつ丸は、輸送任務の邪魔になると言う理由から対潜哨戒機は積んでいなかった。
---''暗号に関しては完全に海軍の落ち度である''。
陸軍も海軍も所謂エニグマ暗号器である九七式欧文暗号器を使っていたが、海軍はその管理が非常にルーズで、コードブックの交換時期にはまだコードブックが配布されていない部隊のために
新旧のコードで同時に発信していたため、早期のうちにコードパターンを割り出され破られた。
しかも当時の機械式暗号は一度コードパターンが割れると暗号器の性格を知られてしまい、一気に暗号強度が下がるのだが、海軍は「ドイツの最新鋭暗号機が簡単に破られるはずがない」と過信していた。
それに対して陸軍は機械式暗号に原始的な換字式暗号を重ねることで暗号強度を強くしていた。例えコードパターンを割り出して通信文を取り出しても、
漢字の発音をバラバラにして組みなおした意味不明の発音の羅列しか出てこず、まして漢字文化のない連合軍には解読は難航を極めた。
最終的に連合軍が陸軍暗号の法則性を知るのはもう戦争の趨勢も決まった1944年の末。完全な解読はついに終戦まで出来なかった。
---ただ、陸軍の暗号は計算機による生成ではなく手作業によるもので、暗号の生成・解読のため各部隊に莫大な人員が要求された。また、その難解さからケアレスミスが起こりやすく、その場合文脈が支離滅裂になったりする難点もあった。
---船舶暗号に関してはめくり暗号の導入などが困難なこともあり陸軍の船舶暗号も解読されている。船舶暗号は1942年12月に特別計算表の導入が行われたが、半年ほどで本文まで解読された。それでも海軍方式に比べれば堅固だったと言われる。
ただ解読されているといっても暗号機のアルゴリズムが割れただけで、陸軍暗号のコードブックは海軍のようにずさんな管理をしていなかったため、コードを変更されるとコードの取得はゼロからやり直しであった。
この為陸軍の動きは「手に取るように」は解らなかった。
一度だけ、ニューギニアで第二〇師団が“暗号乱数表を遺棄する際は焼却すること”の鉄則を破り沼に沈めたため((やむを得ない場合は、埋没処分なども認められてはいた。))、オーストラリア軍に鹵獲されるという失態を犯しているが、それでも広域用とニューギニア管区の3種の暗号が割れただけであり、しかもわずか2ヶ月でコードは更新され役立たずになった。
1944年1月の第二〇師団の暗号遺棄の件はこれにより陸軍暗号の解読がかなり進んだという説もある。
鹵獲されたのはコードブックの陸軍暗号書4号、乱数表甲乙、使用規定でそれらにより連合軍が解読できた電文が月300通ほどから20000通ほどに増えた。
コードブックを更新しなければならなかったが、焼却処分されたと誤って伝えられたため、1945年2月の陸軍暗号書5号まで更新はされなかった。
1944年4月の乱数表と計算表変更で解読不能になったが、ホーランジア上陸時に入手した資料からコードブックは変更されていないと判明したため、連合軍は解読作業を続行できたという。
解読例としては1944年6月の第18軍のアイタペ攻撃計画の電報があり、参加兵力や準備状況などが連合軍に知られることになった。
--その後、ヒ81船団は「摩耶山丸」と空母「神鷹」も米潜水艦の攻撃で失っている。
-強襲揚陸艦の先駆けとして誕生しヘリ空母モドキとなることも計画されるなど、良い艦であったことは確かである。
だが、彼女は時代に翻弄され続け、計画に見合った成果を上げることなく沈んでいった悲劇の艦である。
--艦これで現状(改を含んで)どう運用しても他艦種の下位互換になってしまい、結局遠征にしか出してもらえない事態になりがちなのは史実通りと言えるかもしれない。((改では羅針盤のせいで空母を使えない海域に艦戦を持ち込むという離れ業もできるが……愛が試される。))
-ちなみに船砲隊第二聯隊所属、ヒ81船団であきつ丸船砲隊隊長として参加なさった冬木兵三郎氏が戦後に寄稿した「ミ二七・ヒ八一船団の記録 哀しき鹿島立ち」と「船舶砲兵-血で綴られた戦時輸送船史」という書籍がある。興味がある方は読んでみてはいかがだろうか。
&br;

-モノクロかつのっぺりとしたほかの艦娘と明らかに異なるその姿に驚愕する提督も多いが、これは''史実でモノクロ迷彩されていたことがある''のが由来。この迷彩は立体感の喪失などの効果があるので余計そう見える。
--改になると本来の天然色になり違和感がなくなる。また改の中破絵で見える肌はもっと色がついているので、顔は白粉を塗っているのかもしれない。
--ちなみに、胸部装甲は意外と厚い………どころか、[[愛宕]]さんや[[隼鷹]]と同じくらいデカイ。
-正式名称は陸軍特殊船丙型''船''。基本構造は民間の貨客船をベースにしている。
--丙型の他には試作型特殊船の[[神州丸]]、通常の貨物船・貨客船と変わらない外観を有する甲型、甲型より少し小ぶりで砕氷能力も有する乙型、戦時標準船をベースとしたM甲、M丙型がある。
--''艦ではない。''よってこのフネを掌握している指揮官は艦長ではなく船長と呼ばれることになる点を抑えておきたし。
--[[アオシマのプラモデルの箱絵>http://hobby.dengeki.com/ss/hobby/uploads/2016/04/044905083012284_3.jpg]]を見ての通り、海軍の航空母艦のような大層なものではなく、実態としては輸送船(大発の母艦である特殊船舶だが)の甲板に飛行甲板と簡易なエレベーターを付けたもの。
空母の格納庫のような大層なものはなく、搭載機は飛行甲板と船体の甲板の隙間に押し込まれている。&br;

--陸軍特殊船はいずれも、本来貨物倉や客室があるべき船内デッキ部分に大発艇の収納スペースが存在。船尾の開口部から27~30艘の大発艇を発進させることが可能であった。
--丙型はあきつ丸の他、にぎつ丸という二番船が存在(航空艤装なし)。また戦時標準タイプとして建造されたM丙型に[[熊野丸]]&color(Silver){([[セレブな彼女>熊野]]は特に関係ない)};がある。
--また海軍にはちょっとした縁を持つ艦娘がいる。[[長月]]。あきつ丸の機関は「石川島製2段減速タービン」とされており、おそらく長月と同じ、ツェリー式陸用タービンを%%無理矢理%%ベースに作られた船舶用タービンと思われる。
---ちなみにあきつ丸の機関は同型のものが商船にも採用されている。日本初のタービン機関搭載タンカー「黒潮丸」がそれで、後の1TL型戦時標準油槽船の原型にもなった。また[[速吸]]も原型となったTL型標準船の機関にこれが採用された関係で同型の機関を搭載する。
-なお、あきつ丸含む量産型陸軍特殊船は、書類上は''民間商船を陸軍が徴用した扱い''になっている。
あきつ丸の場合、本籍は陸軍ではなく日本海運という会社。日本海運については書類上ではあるが後輩の[[しまね丸]]を参照。
船の運行なども、陸軍の軍人ではなく陸軍軍属の商船会社船員によって行われていた。
--そのため、艦これでは2015年3月現在唯一の陸海軍艦艇ではない、戦時徴用民間船だったが、2022年2月に[[山汐丸]]が実装されたため、唯一ではなくなった。
&br;
-ちなみに、あきつ丸の「あきつ(秋津)」とは「&color(Red){トンボ};」のことである。
かつて神武天皇が日本の形を見て「なんかトンボが子作りに励んでるような形した島だなー(要約)」と言ったので、そこから日本のことを''秋津洲''(あきつしま)と呼ぶようになった。((人工衛星どころか飛行機もない時代のことなので、日本列島(もしくは本州)全体を見てこう言ったわけではもちろんない。奈良盆地を見わたす山に登って国見をしたくだりなので、トンボの交尾に例えたのは奈良盆地のことである。後に、大和国を指す「大和」が日本全体の呼称となったのと同様に、秋津洲も日本全体を指すようになった。))
--つまりあきつ丸は、[[扶桑]]と、あきつ丸の先輩である[[神州丸]](神州=日本のこと)と同じく名前の由来が日本そのものなのである。
---小説「陽炎、抜錨します!」の3巻で、[[叢雲]]から渡されたマストを槍のように用いてワ級3隻を瞬く間に葬り去ったが、これは恐らく戦国最強武将・本多忠勝と彼が愛用した槍が「蜻蛉切り」と呼ばれている事にひっかけたのだろう。
--一方で海軍にも''秋津洲''の名を持つ艦があり、艦娘たちと同世代のものとしては秋津洲型水上機母艦1号艦[[秋津洲]]があげられる((他に、第一次大戦期の防護巡洋艦がある。))。
分類こそ水上機母艦だが、[[千歳]][[千代田]]とは違い、「二式大艇」などの大型飛行艇の母艦として造られたものである。
「秋津洲」の名は、2013年に竣工した海上保安庁のヘリ搭載型巡視船「あきつしま」(PLH32)に受け継がれた。準同型のネームシップ「しきしま」(PLH31)とともに、2015年まで世界最大の巡視船だった。((この「しきしま」の船名も秋津洲と同様の日本の古称「敷島」を由来としている。また、しきしま型の先輩格にあたるヘリ搭載大型巡視船みずほ型2隻(PLH21:みずほ、PLH22:やしま)の船名も日本の古称である「瑞穂」「八島」を由来としている。))
なお、[[戦時徴用輸送船「あきつ丸」(阿波国共同汽船)>http://ww6.enjoy.ne.jp/~iwashige/akitsumarukyodo.htm]]も存在した。
---漢字の「[[秋津丸>http://jpnships.g.dgdg.jp/senreki03/009763.htm]]」も存在していた。こちらは日本サルベージの救難船で、大戦中は救難船として海軍に徴用され「い号秋津丸」という名前に変更され活動。戦後にラバウルで連合軍に接収され、インドネシアの救難船として2004年頃まで活動した
-彼女や[[まるゆ]]が運用された「陸軍船舶部隊」の秘匿名は''「暁部隊」''。%%某レディー親衛隊のことではない。%%
--ただし、まるゆは陸軍の中でも存在が秘匿されており、また、陸軍船舶部隊は広島市宇品港に本部を置いていたのに対し、まるゆの運用拠点は愛媛県伊予三島にあったため、あきつ丸関係者はまるゆのことを知らなかったと思われる。20時の時報ボイスはそういうこと。
--秘匿名とは、部隊の名称を秘匿するために用いられた暗号名のこと。
帝国陸軍においては漢字1文字(大戦末期には2文字)を使った。
「秘匿名」と言いつつ、近衛師団の「宮」、第1師団(東京)の「玉」、第5師団(広島)の「鯉」((広島城の別名「鯉城」から。広島カープの名も鯉城に由来する。))など、''隠す気ないだろ''という秘匿名も多かった。
帝国海軍では秘匿名は使用せず、英数字による軍隊符号(6駆=6dg、2水戦=2Sdなど)を使用した。
-台詞での提督呼称に「殿」が付く。微妙な差のようだが、当時陸軍では「殿」を階級呼称等に付ける慣習的呼び方があった(ちなみに将官以上は「閣下」)。「提督」「司令」と「殿」をつけずに呼ぶ海軍艦娘とのれっきとした差である。
--海軍では階級に「殿」を付けて呼ぶのは相手に対する侮蔑を意味する。陸軍と同じだと思って「殿」を付けると''海軍精神注入棒の餌食になる''のでご注意を。
-時報ボイス等で、海軍艦娘が「フタ」と読んでいる「2」を「ニー」と読んでいる。「フタ」が海軍式、「ニー」が陸軍式で、同じ陸軍の[[まるゆ]]も「ニー」と読んでいる。
-「ちゃくだーん(着弾)、今」は、陸軍砲兵部隊で使われる弾着観測の言葉である。
海軍では「だんちゃーく(弾着)、今」と言っており、現在の陸上自衛隊でも「弾着」と言っている。なお、着弾も弾着も、ほぼ同じ意味である。((「着弾」は当たった弾丸自体や当たるまでの過程を、一方「弾着」は弾丸が当たった事実を中心に据えたニュアンスがある。))((陸自が「弾着」というのは大正・昭和初期から戦後にかけて蔓延した「陸軍悪玉論」からくる国民の反感を抑えるため、徹底的に旧陸軍を否定したことによる。なお海軍は国民のアレルギーも比較的弱かったため、海自は旧海軍の後継者という自負を持った。))
-「であります」は陸軍で使われる特有の語尾であります。地方出身者がそれぞれの地域の方言で話していて言葉が通じなかったので、それを統一するために使われ出した、一種の標準語であります。なお、元は長州弁の言葉であります。
--これは陸軍が長州閥の軍人が主導で陸軍を創生したため。それに対して海軍は薩摩閥((戊辰戦争で長州とともに倒幕に活躍したが、後に西南戦争で藩士が反乱したため一気に冷や飯食いに。))だった。さらにそこへ会津閥((薩長とは逆に最後まで徳川方についたため明治政府成立後はとことん排斥されていたが、西南戦争でいきなりズタボロになってしまった新政府軍は会津の処分をなあなあにするしかなくなった。))(([[榎本武揚>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8E%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E6%8F%9A]]は会津藩士でこそないが、徳川幕府側の艦隊奉行であり、慶喜が敵に下った後も土方歳三らと徹底抗戦をつづけ、箱舘戦争でいわゆる蝦夷共和国総裁に就任した人物であった。そのため蝦夷共和国が降伏した後は投獄されたが、彼ほど近代海軍に通じる人物はいないとして政府内部の有力者から次々と助命嘆願がなされ、後釈放、さらに男爵の爵位と海軍卿の称号を賜っている。))や土佐藩((薩長とともに幕末において活躍したが、当初は朝廷も幕府も立てる第三案を持っていたなど穏健派であった。薩長土肥と呼ばれる藩閥政治にも関わっているが、薩長に比べるとその勢力は小さく、薩長に反発する者も少なくなかった。))の勢力が入り込んだ。要するに陸軍と海軍という枠どころか、それ以上に四分五裂してムチャクチャだったのが大日本帝国陸海軍なのである。もっとも、四分五裂ぶりでいい勝負なのはアメリカ合衆国陸海軍((大統領選になると、合衆国軍での従軍経験のない候補はそれがハンデになるきらいがある。日本軍がガチガチに固めている島へ強行上陸しては夥しい犠牲者を出したりしているのも、陸海軍内部のパワーゲームの結果であることが多い。ただ陸軍のパットンや海軍のハルゼーのような単純な戦闘バカもいるが……。))でもあるのだが……。
---だが陸軍も大正期に山県有朋や大山巌ら維新以来の薩長閥の長老が鬼籍に入ると、長州閥と薩摩閥の士官らが主導権を巡って本格的に衝突し、更にその後分裂や併合を繰り返して新たな派閥を形成((いわゆる「皇道派」と「統制派」。))し、最終的に[[殺人事件>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%B2%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6]]や数々の[[クーデター未遂事件>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6]]まで発生する深刻な内紛を起こすこととなる。
ほぼ同時期、ワシントン軍縮条約を起因として海軍も大きく2派閥((「艦隊派」と「条約派」。))に別れた。陸軍と違って流血こそなかったが[[「貴様のような奴は殺してやる!」>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%9B%B2%E5%BF%A0%E4%B8%80]][[「俺を殺しても俺の信念は曲げられないぞ!」>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%88%90%E7%BE%8E]]などと怒号が飛び交う剣呑な有様であり、条約派で親友の堀悌吉を予備役送りにされた山本五十六も艦隊派にかなり強い恨みを持っていた(しかし山本自身はロンドン軍縮条約時は艦隊派)((南雲忠一は艦隊派であり、山本と南雲の軋轢は後にハワイ作戦での南雲の消極的な行動やミッドウェイでの敗北につながったともされる。山本が一航艦長官に希望した小沢治三郎は戦術面では航空主兵論者として山本一派に近い立場にいたが、軍の政治的な干渉を嫌いその面ではどちらとも距離をとっていた。))。
しかもそれぞれ主導権を取り損ねた側が相手の軍に接近した((たとえば「東條の男妾」と呼ばれた嶋田繁太郎は艦隊派だし、戦後「陸軍でも良識的で海軍とも親しかった」とされる山下奉文は皇道派で2.26当時はかなり過激な人物だった。))((特にこの派閥抗争で陸海軍を超えて協力し合っていたのが、陸軍皇道派首領の真崎甚三郎大将と、海軍艦隊派首領の加藤寛治大将))のでさらにややこしいことに……まさに陸海軍 互ニ相争ヒテ 余力ヲモッテ 米英ト対ス。かたや米軍だって似た者同士なのだが物量が圧倒的に違いすぎた。
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