|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.595|
|&attachref(./595.png,nolink,戦闘とは違うやり方で、皆さんを守ります。);|>|大泊(おおとまり)|>|大泊型 砕氷艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|20|~火力|2 / 8|
|~|~装甲|11 / 31|~雷装|0|
|~|~回避|14 / 48|~対空|6 / 18|
|~|~搭載|0|~対潜|12 / 18|
|~|~速力|低速|~索敵|7 / 14|
|~|~射程|短|~運|40 / 80|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|15|~弾薬|5|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[7.7mm機銃]]|
|~|>|>|>|[[7.7mm機銃]]|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''大泊'' → [[大泊改]](Lv55+高速建造材×8+開発資材×12)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:砕氷艦、大泊と申します。北方で起きた悲劇を契機に北の冷たい海を渡れる砕氷艦として日本で初めて建造されました。大湊を起点に、北方海域で活動する皆さんの支えとして、警備、救援、支援に努めました。&br;戦後はあの宗谷へと繋がっていきます。覚えていてくださいね。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。&br;最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:結川あさき、イラストレーター:ほづか (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:結川あさき、イラストレーター:ほづか
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>大泊/定型ボイス]])
#table_edit(大泊/定型ボイス)
~

#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>大泊/時報ボイス]])
#table_edit(大泊/時報ボイス)
~

#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>大泊/季節ボイス]])
#table_edit(大泊/季節ボイス)
~

//セリフ一覧内における外国語の解説の記述方式について→https://wikiwiki.jp/kancolle/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF/%E8%89%A6%E5%A8%98%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%A1%A8%E8%A8%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
}}

*ゲームにおいて [#game]
-砕氷艦という艦種として初の艦娘。内部的な''仕様上は補給艦扱い''。
-2025春イベント前段作戦『[[北海道防衛作戦]]』E1にてドロップ艦として初登場。
--砕氷艦のフレーバーのためか、当イベント前段海域では多くの分岐条件にて大泊を加える事で条件が緩和される場面があった。
---特に[[E3-1>北海道防衛作戦/E3]]では史実艦や北方バルジの個数を無視できるという特殊な一面を見せた。
-未改造の時点では[[12cm単装高角砲]]([[+25mm機銃増備>12cm単装高角砲+25mm機銃増備]]を含む)、小型電探、小型ソナー、爆雷・爆雷投射機、機関部強化、対空機銃、応急修理、上陸用舟艇、[[北方迷彩(+北方装備)]]、探照灯、ドラム缶、照明弾、熟練見張員、戦闘糧食、洋上補給、発煙装置、阻塞気球が装備可能。


//**装備ボーナスについて [#bonus]


//**性能比較表(?より転送)  [#comparison]


**アップデート履歴 [#update]
-2025/03/08:[[イベントドロップ艦>北海道防衛作戦/E1]]として実装。

**キャラクター設定について [#character]
-川崎造船所で建造された神戸艦娘。隣では[[加賀]]や[[鬼怒]]や[[神通]]を建造していた。
--北方での活動がメインとはいえ、観艦式に何度か参加、良い位置に配置されている。太平洋戦争以前に就役していた日本の %%艦娘%% 艦艇とは、みんな顔見知り。
-就役直後、日本陸軍を乗せての出動が『韃靼海峽氷原航海 大正十二年二月』として映画化されている((国立映画アーカイブ歴史映像ポータルで閲覧可能。大泊の雄姿が堪能できる。&color(Silver){すっごく寒そう…};))。つまり[[L.d.S.D.d.Abruzzi]]と同じく女優艦。

**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-イベント海域実施中の2025年04月23日、フォーマルmodeが実装された。
イベント実施中の期間限定グラフィック実装は[[De Ruyter]]、[[伊47]]に続く三人目。ドロップ艦限定なら二人目となる。
--白のドレスで軽食の載った皿を両手に持っている。
--中破するとドレスが一部焦げてしまうのだが、そのせいで大泊自身がドレスの裾を持ち上げてしまって太ももが丸見えに。
-
#fold(限定イラスト:フォーマルmode){{
限定イラスト:フォーマルmode
&attachref(595_Anniversary.png,nolink,艦隊は十二周年、おめでとうございます。素敵ですね♪);
}}

-2025年9月26日のアップデートで、【浴衣mode】が実装された。
-
#fold(限定イラスト:浴衣mode){{
限定イラスト:浴衣mode
&attachref(595_Autumn.png,nolink,少し涼しいけれど、浴衣兵装です。ご一緒に涼みませんか?);
}}

-2025年11月10日のアップデートで、【秋刀魚mode】が実装された。
-
#fold(限定イラスト:秋刀魚mode){{
限定イラスト:秋刀魚mode
&attachref(595_Autumn_2.png,nolink,	鎮守府秋祭りの季節ですね。提督、もしよかったら……);
}}

-2026/01/01のオンメンテで、【新春】modeが実装された。
--他の2026年の正月限定グラフィックと同じく巫女装束姿だが、前天冠と千早が追加された神楽舞仕様のためか、新春mode名義になっている。
-
#fold(限定グラフィック:新春mode){{
限定グラフィック:新春mode
&attachref(./595_Nenshi_2026.png,nolink,本年も、砕氷艦をよろしくお願いいたします。);
//中破絵は無しで
}}

-2026年2月13日のアップデートで、【Valentine】modeが実装された。
-
#fold(限定グラフィック:Valentine mode){{
限定グラフィック:Valentine mode
&attachref(./595_Valentine.png,nolink,);
//中破絵は無しで
}}

*小ネタ [#neta]
CENTER:''間宮に匹敵する功労艦''
-20年以上に渡って北洋をたった一隻で守り続けた陰の功労艦である。日本海軍はもとより、日本で建造された初めての砕氷艦。
--ロシアの砕氷船「ドブルィニャ・ニキーティチ」をモデルに設計され、砕氷艦らしく艦首に衝角状の突起を設けて艦首の強度を高めるなどの対策が施された。
---約1mの厚さの氷盤を割るときは、艦首を氷盤の上に乗り上げてから、艦首部の海水タンクにポンプで海水を満たし、艦自身とタンク内の海水の重量で氷を上から押し曲げて割っていた。2mの砕氷能力を持つとされたが、実際の砕氷能力や連続砕氷能力はこれより小さいはずだった。((初の砕氷艦という事で、建造当初は北洋での運用に向かない仕様がいくつかあった。羅針艦橋が開放式で防寒防風波浪への対応には天幕を張るだけだったこと、冬季における寒さ対策が十分でなかったこと、船体の強度が不十分だったことなどがあり、後に羅針艦橋を全周密閉式として室内に木材を張りガラス窓としたり等、後に改装工事が行われている。))
-日本海軍は健軍以来、北洋警備の重要性は認識していたものの、大泊就役以前は氷海を安定して航行できる専用の「砕氷」艦を持つことが出来ていなかった。
#fold(砕氷とは){{
-砕氷とは、冬季に氷結する海域を氷を砕きながら航行することで、それに特化した艦船を「砕氷艦」「砕氷船」と呼ぶ。
--手順としては、まず前進して氷に衝突して割る。ここまでなら普通の船でもできないことはないが、砕氷船はここからが違う。なんと氷の上に乗り上げるのだ。そして船の自重で割るのである。
--このため、砕氷船の船首は「そり」のように緩やかな傾斜を描いている(乗り上げ「過ぎない」よう、途中から角度を変えた「スケグ」という構造を併せ持つ)。
--一度に割れる量に限りがあるため、何度も衝突と乗り上げを繰り返さねばならないことから、前進と後退を素早く行えるよう、機関部にも手が加えられ、また船体の姿勢を安定させるため、船内の燃料を移動させてバランスを取る。
-北極圏の海域で冬季に発生する氷は、実は船舶にとってはとてつもなく大きな脅威であり、かの有名なタイタニック号も処女航海で氷山と衝突して沈没していることからも、どれだけ危険なものかということが分かる。
--タイタニック号が衝突したのは氷山であり、あくまで氷の塊でしかなかった。しかし、凍結した北極海はその氷山や流氷が海面を見渡す限り覆い尽くしているという船乗りにとっては、最悪と言っても過言ではない状態なのだ。
-世界初の実用的な砕氷船は1871年、ドイツのハンブルクで造られた「アイスフックス((意味はホッキョクキツネ))」で、第二次世界大戦後の1956年まで運用されている。
-海上自衛隊では、海上保安庁から南極地域観測隊の輸送・支援任務を引き継ぐのに伴い、1965年に同任務を担う初の砕氷艦「ふじ」(AGB-5001)を就役させた。旧日本海軍の大泊以来、実に44年を経ての砕氷艦の建造であった。
その後、1982年には後継の初代「しらせ」(AGB-5002)が就役して2008年まで活動、現在は2009年就役の2代目「しらせ」(AGB-5003)が毎年南極観測のための輸送・支援任務に就いている。
--南極観測を行う文部科学省での呼称に合わせてマスコミ報道等でも「南極観測''船''」と呼ばれることが多いが、正式には海上自衛隊所属の「砕氷''艦''」である。
-海上保安庁では、南極観測支援任務を解かれた「[[宗谷>宗谷(南極観測船)]]」(PL107)が巡視船として北海道の第一管区海上保安本部に配属され、1978年の解役まで北洋での漁業監視、救難、流氷観測等に活躍した。その後、後継として海保初の新造砕氷巡視船「そうや」(PLH-01)が就役、1995年には2隻目となる500t型砕氷巡視船「てしお」(PM15)が就役した。現在は「そうや」の後継となる2代目「そうや」(PLH-01)の建造が進められている。
-最近では、この砕氷艦の機能を駆逐艦に取り入れようとする研究がアメリカで進められている。
--計画としては、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の後継として現在開発中の次世代イージス艦DDG(X)の艦首を砕氷構造にすることで北極圏での活動を可能にするというものである。
}}
--なおその性質上、非常に横幅が広い&color(Silver){ずんぐりむっくりとした};艦型をしており、''「オスタップ」(洗濯桶)''というあだ名がついていた。ちなみに「オスタップ」は[[大和]]にもつけられたあだ名である。
**建造経緯 [#s8df63ed]
-大泊が建造された理由、それは自身が自己紹介で述べている北方で起きた悲劇「尼港事件」が契機であった。
--1920年(大正9年)1月24日、ニコラエフスク(尼港)に駐屯中の日本軍は、パルチザンの攻勢に対し海軍陸戦隊の派遣を要請、海軍は救援として三笠と見島を送り出す。
#fold(砕氷海防艦「見島」){{
--日露戦争後、拿捕したロシア軍艦艇の中でもバルチック艦隊(バルト海艦隊)所属艦艇は、元々ある程度自力で砕氷できるようになっていたため、砕氷艦への転用も期待できた。そして鹵獲艦の中の1隻、海防戦艦「アドミラル・セニャーヴィン」を海防艦「見島」と改名の上、第一次世界大戦たけなわの1918年に砕氷艦に改造した((シベリア出兵を視野に入れての砕氷艦への改造であった))。
---内容は武装の一部変更((前部主砲の撤去))、艦首の砕氷構造化、艦橋の耐寒令設備の設置等であったが、所詮は間に合わせの急造でしかなく、能力的には心もとないものであった。
}}
-見島の砕氷能力では氷海を突破することができず、日本兵及び民間人の虐殺後に救援部隊が到着することになる。これを受け、大正9年度計画の能登呂型給油艦のうち1隻を砕氷艦に変更、大正10年度軍備補充費で建造されたのが大泊である。
#fold(尼港事件){{
-尼港はシベリア出兵により一時的に日本人統治下にあったアムール川の河口にある港町で、ロシア系、中国系、朝鮮系、そして日本人が雑居している12000人ほどの都市だった((事件前年の1919年6月時点で領事以下353人(男169人、女184人)の日本人が居住していた))。ロシア革命後の治安悪化で日本軍が進出し、この時点では水戸歩兵第2連隊第3大隊の約300名と海軍関係者((無線電信隊が常駐していた))約40名、ソビエト政府と対立するコルチャーク政権白衛軍系の守備隊(約350名)が治安維持に努めていた。
-1919年11月、コルチャーク政権崩壊を受けハバロフスク地方アナスタシエフカ村で、沿アムール地方パルチザン部隊指揮官協議会が催され、ソビエト権力復活のためにアムール川下流地帯にパルチザン部隊を派遣することが決定する。ヤーコフ・イヴァノーヴィチ・トリャピーツィンを指揮官とするパルチサン(以後赤軍と表記)約4000名が組織され尼港方面に向けて進軍を始める。
白軍の弱体化を受け、尼港防衛は日本側が中心に行う事になる。1920年1月10日には夜間外出禁止令が出され、1月23日には300人ほどのパルチザン部隊が氷結したアムール川の対岸から尼港を襲撃してくるがこれを撃退する。翌24日、副領事である石田虎松や三宅駸吾海軍少佐らの陸戦隊派遣要請を受け、尼港救援部隊の派遣が検討される事になる。
--陸軍戦力で尼港に一番近かったのはハバロフスクに駐屯していた第14師団主力((もともと水戸歩兵第2連隊は同師団所属である))であったがパルチザンが横行するようになった1919年の末ころから尼港との交通は困難になっていた。また、尼港の陸路の入り口を守るチヌイラフ要塞が赤軍側に占領((兵力的に差があったのと、都市部と寸断され孤立するのを恐れた等もあって日本側が撤収した))されたことで尼港は完全に包囲されてしまう。
海軍側は前述の砕氷艦「見島」と戦艦「三笠」((日本海海戦で連合艦隊司令長官東郷平八郎大将と秋山真之参謀が座乗し、今は横須賀で記念艦となっているあの「三笠」のこと。ちなみに大泊と朝日は観艦式で幾度か対面している))を現地に派遣する事を決めたが、尼港は堅氷に閉ざされて艦船の近接、上陸は不可能だった。結局、兵力の増援は延期され、これが悲劇の始まりとなる。
---結局尼港はこれ以上の戦闘による民間人への被害を考慮して2月28日正午に開城する。白軍側の武装解除及び住民も含めた生命の保証、資産と個人の安全保障等は行われたが、日本軍側は赤軍入城後も居留民保護のため武装駐留していた。
だが赤軍側は駐留後に白軍将兵や出入り商人、企業家、資産家、立憲民主党員、公務員、知識人、聖職者、個人的にパルチザンの恨みを買っていた者など400名が、女性も年少の者も区別無く次々と投獄拷問され処刑までされ始めた。このため尼港はパニック状態となり、日本領事館に助けを求めてきた。また赤軍側が中国朝鮮系の住民を集めて日本側を攻撃するという風聞も流れた。
末松副領事と守備隊長の歩兵第2連隊第3大隊長石川正雅少佐は3月10日、トリャピーツィンに暴虐行為をやめるように勧告したが、かえってトリャピーツィンは日本軍に武器弾薬全部の貸与方を要求して、翌12正午までの回答を迫った((『ニコラエフスクの破壊』の著者アナトリイ・ヤコフレビッチ・グートマンはトリャピーツィンにとって日本軍は邪魔だったので、挑発して片付けてしまうことを目論み、武装解除と武器引渡しを求める最後通牒をつきつけたとしえいる))。
-3月12日午前2時頃、追い詰められた日本軍側は遂に決起する。約150名ほどが二手に分かれて赤軍本部を襲撃、90名ほどが監獄を襲撃して捕らえられていた市民の開放を目指したものと考えられている。赤軍本部ではっ参謀長が戦死し、トリャピーツィンも足に負傷しつつも脱出に成功する。一方でラプタは司令部にいなかった事で難を逃れ、直ちに付近の赤軍を集めて反撃、日本側は石川少佐が戦死、監獄襲撃も失敗して多くの将兵が戦死した。
3月14日、赤軍は日本領事館を包囲して火を放ち、ガトリング砲などで攻撃、石田副領事は赤軍説得中に銃撃を浴びて死亡、その妻子((妻と長男、次女の2児。なお長女のみ小学校就学のため日本の祖母の元にいたので惨劇から免れた))、領事館にいた在留邦人、軍関係者、その全てが皆殺しとなった。
日本軍守備隊の壊滅に伴い、赤軍は生き残った将兵や在留居留民への逮捕、虐待、殺戮をエスカレートさせていった。彼らの行った残虐行為を書くことは控えるが、女子供関係なくほとんどの住民が虐殺され、生還者は10数名しかいなかった((領事館が焼失した事により、この時点で尼港に日本人が何人いたのか正確な記録はない。石塚経二『尼港事件秘録 アムールのささやき』では軍属を含む陸軍関係者336名、海軍関係者44名、石田領事とその家族4名、判明している民間人347名。合計731名が犠牲になったと推測しているが、これ以上の日本人が犠牲になっている可能性もある。))((生還者の人数についても諸説あるが、命からがら尼港から脱出した毛皮商人の男性1名、避難する中国人の一団に匿われて共に脱出した子女16名のみ判明している。また郊外に住んでいた日本人の中にもトリャピーツィンの勢力から逃れるロシア人に保護されて、後に日本軍に保護された夫婦2名も判明している))。
--惨事を知った日本軍は、赤軍との妥協点は見いだせないと判断、4月4日、日本軍は軍事行動を起こしてウラジオストクの赤軍は瞬く間に降伏、6日にはハバロフスクの赤軍も武装解除され、同日にはウラジオストクに共和制の臨時政府が樹立される。極東共和国の樹立は、トリャピーツィンには想定外であり、彼らは住民を防御態勢の構築を行ったが、彼らの虐殺行為は中国系や朝鮮系、ロシア系の住民にも及び、しまいには「パルチザンとその家族をアムグン川上流のケルビ村に避難させ、残ったニコラエフスクの住民を絶滅し、町を焼きつくす」計画を実行しようとまでする。結局解氷後の6月3日に日本軍が尼港に到着するまでの間、赤軍は尼港を焦土にして、推定約6000名の住民((日本人だけでなく中国系、朝鮮系、ユダヤ系、ポーランド系などの多国籍な住民も虐殺された))が虐殺されていた。
---赤軍は日本軍到着前に撤退していた。当初ソビエト政府はトリャピーツィン側の主張「赤軍の正義と日本軍の裏切り」を言い立てていたが、尼港からの避難民が周辺都市にたどり着いて状況を伝え、尼港での住民虐殺が世に知られると、「日本人以外の住民も大量に殺されている」事を初期に壊滅した日本軍守備隊のせいにすることなどできるわけもなく、ソビエト政府もトリャピーツィン側の主張に疑いを向けだす。危機感を持ったソビエト代表団は、6月の終わりにアムグン地域に出向き、反トリャピーツィングループと接触する。そして7月3日の夜、ムグン川に停泊する蒸気船にあったトリャピーツィンの司令部を襲って彼らを逮捕して裁判にかける事になる。9日、人民裁判が行われトリャピーツィンと相棒のニーナ・レベデワ以下7名が銃殺となった。ソビエト政府は「ニコラエフスク管区赤軍司令官として在職中、ソビエト政治の方針に従わず、職権者を圧迫し、ロシア共和国政府のもとで活動していた労働者間の共産主義に対する信頼を傷つけた」ことを罪状に上げ、彼らを反逆者として処罰している。
}}
**北洋戦線異状なし [#b05c9c75]
-1921年6月24日に川崎造船所にて起工。同年8月2日、日本海軍は艦船令を改正し、大泊の就役に備えて特務艦の区分に「砕氷艦」という艦種を追加する。11月7日に大泊は竣工した。
--竣工後、舞鶴鎮守府、次いで横須賀鎮守府に籍を置いた。
春季から夏季にかけて函館や大湊、横須賀に帰投して修理や乗員の交代を行い、それ以外は一貫して北洋で行動((その活躍ぶりはサガレン州派遣軍の時期に撮影された大泊のドキュメンタリー映画で観ることができる。))
した。日本海軍唯一の砕氷艦として、北方全般の警備、航路啓開、漁業の保護に多大な貢献を果たしている。
---変わったところでは、1930年から1941年までの間、断続的にオホーツク海での流氷原の調査を行なった。1933年から1934年にかけて阿頼度島の噴火で新島が出来た際には、本艦が派遣されて乗組員が火山島を探検した。
-太平洋戦争中は大湊警備府附属として宗谷海峡などで活動し、ソビエト船籍の船の臨検等を行っていたが、軍事行動に参加する事はなく、1945年7月20日、補修整備のため横須賀に入港し、同地で終戦を迎えた。
--戦中、[[若葉]]も大泊のお世話になっている。詳しくは若葉の記事参照。

**砕氷特務艦は辛いヨ [#s10f5677]
-ただでさえ整備が後回しになりがちな特務艦((日本海軍では補助艦艇たる特務艦の扱いは概して悪く、給油艦など検査の結果「船体異常あり」「サビ落としは強くやらないように」とただし書きのついた、半分腐った艦を平気で運用していたりもした。))、しかも唯一の砕氷艦のために酷使され続け、なおかつ艦の性質上全力の前進・後進を頻繁に繰り返すだけに機関の傷み方は激しかった。
--1939年10月にはもはや全く馬力が出ず、わずか4時間に18リットルもの潤滑油を浪費してなお軸受が過熱するという状態に陥った。
この修理に海軍工機学校高等科卒の一上等兵曹、斎藤兼之助氏に白羽の矢が立った。
そもそも大泊のような特務艦は高等科卒という専門教育を受けた人材を配置するような艦ではない。氏も人事担当も「これは何かある」と訝しんでの着任であった。
案の定、氏が着任するや艦長から機関修理の特命が下ったのである。斎藤氏にしても旧式ピストン機関は専門外、教科書と首っ引きで機関を点検したところ、状態は惨憺たるものだった。
---ろくに修理もされず使い倒された機関はまさに満身創痍。小さな故障は数知れず、状態を検査するための木型すら紛失しており、つまりは検査もされず酷使されていたということを示している。
また、潤滑油を大量消費しても軸受が過熱したのも道理で、潤滑油の通る油溝が摩耗しきってそもそも跡形も無かったのである。
主軸受に至っては遊びが規定では1000分の10ミリまでとなっているところ、なんと10ミリ(!)以上もすり減っていたという。
---下士官兵を動員して巨大な機関のあちこちを分解しては修理し、油溝をタガネで彫り、正常な状態を誰も知らないので実際に動作させて記録調整しと、悪戦苦闘すること1ヶ月。
公試運転の結果、問題なく全速が出せ潤滑油も4リットルで済むなど、大泊の機関は見事に復活を果たした。艦長は一下士官である斎藤氏に固く握手をしてその労をねぎらったという。((『海軍かまたき出世物語』所収のエピソードである。))
-なお、先にも述べた通り大泊は非常に横幅が広くずんぐりした艦型をしている。
このため転覆しづらい代わりに、荒天ではハンパじゃないローリングをして乗員を苦しめた((これは艦型だけが原因ではなく、氷海で破損するため砕氷船は揺れを軽減するビルジキールを装備できないという理由が大きい。))。60度まで測れる傾斜計が振り切ってしまうことも度々だったというから凄まじい。
このほか氷山に阻まれにっちもさっちもいかなくなれば氷山にワイヤーを巻き付けて漂流を決め込んだり((こういうとき錨を下ろすと氷山に押されて錨鎖が切られたり、最悪氷山に挟まれて艦が潰される恐れがある。氷山は海面下が巨大になっているので、ワイヤーでぴったり寄り添っていれば安全なわけである。))、水が欠乏すれば氷原の窪地に溜まっている水を探して汲み上げたり。
他の艦とはまた違う、独特の苦労がある艦でもあった。
--ちなみに北方海域勤務艦の例に漏れず、[[秋刀魚の缶詰]]の小ネタにあるような釣りを大いに楽しんだりもしていた。
釣り竿も使わず、塩鮭の頭を餌に手製の釣り針をつけた糸を放り込めば、錘が海底につく頃にはもう食いついているという入れ食い状態。
獲物は主にカレイでたまにタラ、一斗缶をいっぱいにするのに30分とはかからなかったという。
このほか警備対象の漁船が大量の生鮭やカニをプレゼントしてくれたり、北方海域勤務ならではの役得もあった模様である。
**大泊の終戦 [#nf9f5307]
-1945年12月1日、横須賀地方復員局所管の特別輸送艦に指定されるも、老朽化が著しく使用に耐えず、岸壁に係留されたまま1946年には復員船としての指定も解かれ、1949年10月から1950年3月にかけてひっそり解体された。
--本艦の退役により、日本は再び砕氷能力を持つ艦を失った。再び日本が本格的な砕氷能力を持つ艦を手に入れるのは1960年、海上保安庁の巡視船となり南極観測船として運用するべく砕氷能力を付与された[[宗谷]]まで待つことになる。
---なお、宗谷はそもそも新造砕氷艦((1942年の改⑤計画にて大型砕氷艦「恵山」の建造が計画され、設計までは行われていたものの、建造にまでは至らなかった。))を建造するまでのつなぎとして、北洋での輸送・測量任務を補助的に行わせるべく民間から購入、海軍入りしたという経緯がある。一説には日本海軍も宗谷を本格的な砕氷艦へと改装するつもりだったと言われているが、それが海軍が健在なうちに実現しなかったのは周知のとおりである。
-厳しく広大な北洋を、たった一隻で守り続けた大泊の貢献は目を見張るものがあり、「間宮に匹敵する功労艦」と評された。彼女と彼女に関わった人々の思いは、確かに後輩の砕氷艦を通して今にも受け継がれている。

**艦名について [#jaf0613b]
-艦名の由来は樺太の玄関、大泊港。往時は稚泊連絡船などが発着し、稚内港と同様に鉄道が桟橋まで乗り付け、活況を呈していた。
-艦名としての読みは「おほとまり」((旧仮名遣い。実際の読みは「おおとまり」でよい。))であり、同様に地名としての読みも内務省に「おほとまり」((前項に同じ。))と布告されてそう読まれたのだが、地名は「おおどまり」と濁って読まれることも多かった。
--なお艦名の由来を載せている『日本海軍艦船名考』には艦名が「おほどまり」と記載されている。
---&color(#999999){これは誤記なのかそれとも俗にそう呼ばれていたのか。((実は日本海軍の場合、長年の間にいつの間にか艦名の読みが変わってしまった例があったりもする。[[朝日]]と同年代の巡洋艦八雲が代表的で、建造当初は「やくも」だったはずが、昭和期にはいつの間にか「やぐも」に変化していたという。終戦直後復員船任務中の映像を見ても横腹の艦名は「YAGUMO」となっている。))詳しい方がいたら是非ここを追記修正してほしい};
-艦これ収録の艦名としては[[間宮>NPC娘の一覧#c54c67c8]]、[[鈴谷]]に次ぐ三艦目の樺太地名に因んだものである。
--そして鈴谷、[[神威]]、[[夕張]]などの例に漏れずこの名もまたアイヌ語由来である。
アイヌ語名は「''ポロアントマリ''」、大きな港という意味。(ポロ=大、アン=ある、トマリ=港)
他の艦娘の由来地名の例に反して音訳ではなく意訳である。(日本語において泊は港の意)
---何故かトマリ→泊の部分だけ意味も音もすんなりハマるなと思わなかっただろうか?
それもそのはず、アイヌ語のトマリという言葉は日本語の泊からの借用語である。
-なお、大泊の露名は現在コルサコフであるがこれは直ちにコルサコフとアイヌ語地名のポロアントマリが対応することを意味するものではない。
--大泊(広義)に対応するのがコルサコフ(広義)であり、大泊(狭義)に対応するのがポロアントマリなのである。


*この艦娘についてのコメント [#comment]
//#fold(過去ログ){{
//#ls
//}}
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-ドロップ祈願や海域攻略祈願のために、''[[wiki内神社]]というページが設置''されました!ぜひご利用ください。
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