|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.153|
|&attachref(./153_2nd.jpg,nolink,そう…私が大鳳。出迎え、ありがとうございます。提督…貴方と機動部隊に勝利を!);|>|大鳳&nobr{(たいほう)};|>|大鳳型 1番艦 &nobr{装甲空母};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|67|~火力|0 / 49|
|~|~装甲|40 / 79|~雷装|0|
|~|~回避|33 / 57|~対空|42 / 79|
|~|~搭載|61|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|47 / 74|
|~|~射程|短|~運|2 / 19|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|70|~弾薬|65|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|18|>|>|[[零式艦戦62型(爆戦)]]|
|~|18|>|>|[[彗星]]|
|~|18|>|>|[[天山]]|
|~|7|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''大鳳'' → [[大鳳改]](Lv40)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:航空母艦「大鳳」です。&br;飛行甲板まで十分な防御を施された最新鋭の正規空母です。密閉型の格納庫も素敵でしょ?&br;え? ガスが溜りやすい…ですって…失礼しちゃう。こ、今度は絶対に大丈夫!|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:能登麻美子、イラストレーター:島田フミカネ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:能登麻美子、イラストレーター:島田フミカネ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>大鳳/定型ボイス]])
#table_edit(大鳳/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>大鳳/時報ボイス]])
#table_edit(大鳳/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>大鳳/季節ボイス]])
#table_edit(大鳳/季節ボイス)
~
}}

*ゲームにおいて [#game]

-2013年 12月24日の「[[大型艦建造]]」と共に実装。
--2014年 02月26日のメンテナンスで[[零式艦戦62型(爆戦)]]が開発可能となるまで、彼女の持参装備が唯一の入手手段であった。
---更に、改造するとSホロ戦闘機、[[試製烈風 後期型]]などを持ってきてくれるのも嬉しい。
--2020年 梅雨&夏イベント『[[侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦]]』[[E-7>侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦/E7]]で初ドロップするまでは入手方法は大型建造のみだった。
--イベントドロップも連合艦隊での出撃が必要なため入手には大量の資材と運が要求されるが、それに見合った活躍はしてくれるだろう。
-大鳳は「タウイタウイサーバ開設記念艦」であり、実装予告はかなり早い段階からされていた。
-[[翔鶴改二甲]]および[[瑞鶴改二甲]]の実装により、味方陣営唯一の装甲空母ではなくなった。

**運用について [#operation]

-ルート制御での扱いは、原則として正規空母扱い。

***装甲空母の特性 [#operation2]

-味方陣営初の装甲空母という艦種であり、他空母系と違って''中破状態でも艦載機を飛ばすことができる''のが最大の特長。
--ただし大破および夜戦時は他の空母と同じく行動不可な上、回避と耐久の問題で中破率自体はほかの空母と同じくらいかそれ以上なので注意。
--後半のマップでは開幕攻撃が効きにくく、砲撃戦が重要なので、大鳳の中破でも攻撃を期待できる特性の恩恵は意外と大きい。
//--例外として、2-2のボス前では正規空母・軽空母扱いされていないとの報告があり、2-3ともども検証中。留意しておきたい。
-大破時や夜戦時は他の空母同様行動できないこと以外に、''改造前後で運用方法が大きく変わる''という点も留意しておきたい。
--未改造時の総搭載数こそ61と改造後の飛鷹型に劣るが、装甲空母の特殊能力もあり、十分に高い戦闘能力を持つ。
--軽空母以上正規空母未満と言った位置の搭載数と五航戦改の燃費も、装甲空母の特殊能力とのトレードオフと考えれば十分住み分けは出来る。&br;改造後は代償こそあれ、86機の艦載機を運用可能な装甲空母となる。((史実の搭載機数は53機とされるがこれは数字のトリック。大型機の烈風や流星、彩雲で計算された数字。大型機を積めば巨大な格納庫の赤城や加賀でも搭載機数は少なくなる。))

***運用上の留意点 [#opetation3]

-装甲空母という特性もあり未改造でも強力な彼女だが、いうまでもなく相応の代償もある。
--史実を反映して運の初期値が非常に低い。未改造時はまさかの''2''、改造後でも''4''である。
---あの[[陸奥]]すら未改造の初期値でも3だったのに、それより下。
--史実を反映しているのか索敵値も低く、軽空母を除く空母系の中でこれまたワースト3位である。
---羅針盤に索敵値が関係する2-5等の攻略や、未知の新MAP攻略時には要注意。
--装甲自体は流石の&color(Gray){国内};空母系最高であるものの、耐久値は正規空母間の比較で下位である。
--回避も[[Saratoga Mk.II Mod.2]]に次いでワースト2位である。
---各種資材を消費しやすい為、改造前後の燃費の差も含め、運用時は留意したい。
-改造レベルは40と比較的高めで、1回目の改造としては[[武蔵]]と同等である。
--改造後は燃費が悪くなり、燃料消費では一航戦改二、Saratoga Mk.II Mod.2に次いで、翔鶴型改二甲などと並び空母系ワースト4位となってしまう。((1戦辺りの燃料消費で[[加賀改]]より2多い。尚、弾薬消費は加賀改の方が多い。))
--燃費の悪化を代償に艦載機搭載数は増加する。
---他の戦力と相談し、うまく活用してあげたい。''2隻目以降''あるいは''戦力に余裕がある場合''は、''敢えて改造せずにLvカンストまで育成''というのも一考である。
--ただし、それでも翔鶴型の改二よりはマシな部類。改造で増える搭載機数などを考えるとそれほど大きなデメリットとは言いづらい。
-改造前は[[天山]]の改修担当が全曜日に振り分けられているが、[[大鳳改]]になると月・木曜日のみとなる点に注意が必要。
--大鳳以外に[[龍鳳]]も毎日天山の改修が可能ではあるが、そちらも[[龍鳳改]]以降は改修できなくなってしまう。
上述の特徴も合わせ、運よく2隻目が手に入った場合は改造前の姿で保持しておくと痒い所に手が届くだろう。

***装甲空母同士の違い [#compare]
-翔鶴型の改二甲が、試製甲板カタパルトと改装設計図を使って改二にした上で、さらにもう一度コンバート改造する必要があることに対して、改二未実装の大鳳を単純に比較はできないが、翔鶴型改二甲は火力や回避が大きく上回る代わりに、搭載機数や燃費は[[大鳳改]]の方が上回る。
-[[試製景雲(艦偵型)]]は未改造の大鳳も装備が可能で、装甲空母専用の艦載機となっている。
-翔鶴型改二甲は「噴式(ジェット)艦載機と大重量艦載機が搭載可能になる」という運営Twitterの予告があったが
2016年12月9日のアップデートで実装された[[噴式景雲改]]は、改造後の大鳳でも装備不可で、同じ装甲空母でも''大鳳(改)は噴式艦載機が装備できない''。
--[[橘花改]]も同様に装備不可である。

**アップデート履歴 [#update]
-2013年 12月24日の実装時より、艦種別の入渠時間が駆逐艦と同列の1.0倍になっていた。
--2014年 01月22日のメンテナンスにて修正され、他の正規空母と同じ2.0倍になった。
---完全に[[あきつ丸]]と修理係数が反対でした。本当にありがとうございました(あきつが実装時、修理係数2倍、大鳳が1倍で、現在は逆)。

**キャラクター設定について [#character]
-艦載機の表現が[[赤城]]系(和弓)・[[龍驤]]&[[飛鷹]][[型>隼鷹]]系(式神)・[[ちと>千歳航]][[ちよ>千代田航]]系(からくり)全てと異なるクロスボウ((形状から連弩、リピーターと呼ばれる連射できるタイプのクロスボウがモデルだろう。中国にもチュコヌと呼ばれる連弩があり、日清戦争まで使用された。))持ち(名前に隠れて見え難いが)という新しい系統になっている。
--腰の飛行甲板に相当する部分は実物の艦には無い大穴が開いているが、ここが手に持っているマガジンの収納場所だと思われる(よく見ると二つ入っている)。
改のほうを見るとマガジンを手にしておらず、飛行甲板下の開口部にマガジンが収納されている。
--マガジンは密閉型の格納庫。艦載機がどのように収納されているのかは謎。
---アーケード版では'やや細くて白い魚雷'的な矢がクロスボウから飛び出し、艦載機に変化するという流れになっている。基本原理は弓矢勢と大差ないようである。
-首元の防具は、ご自慢のハリケーン・バウを模したもの。

~
- 島田フミカネの大鳳デザイン関連の呟き
>「[[脇の下の肌露出部分は、構造上意図的に作られた開口部なので塗りミスではないです>http://twitter.com/humikane/status/415331940690972672]]」
「[[クロスボウは新型強い、というより、「訓練期間短くてもとりあえず前に飛ばすだけはできる」「熟練者の扱う和弓のほうが投射能力高い」というイメージ(公式ではないですが)>http://twitter.com/humikane/status/415704523382857730]]」
「[[だから和弓持たせたら固まるんじゃないでしょうか>http://twitter.com/humikane/status/415708047302864896]]」

*小ネタ [#trivia]
#fold(略歴){{
略歴
|CENTER:40|CENTER:40|600|c
|~1941|7.10|川崎重工業神戸造船所にて起工|
|~1943|4.7|進水|
|~1944|3.7|竣工|
|~|3.10|第1航空戦隊に編入される|
|~|3.28|兵員輸送を兼ねて[[初月]]、若月とともに呉を出港|
|~|4.4|セレター軍港(シンガポール)入港。入港直前に舵取装置故障、配電盤火災により一時操舵不能となる|
|~|4.9|リンガ泊地へ回航される|
|~|4.15|第一機動艦隊旗艦となる|
|~|5.11|リンガ泊地を出港|
|~|5.14|タウイタウイに到着、2航戦&3航戦と合流|
|~|6.14|搭乗員の訓練と燃料補給のためギマラス(フィリピン中部)に入港|
|~|6.15|ギマラス出港、マリアナ沖へ向かう|
|~|6.19|マリアナ沖海戦に参加、戦没|
|~1945|8.26|除籍|
}}

-大鳳は日本が戦前に起工した艦のうち%%最後に完成させた正規空母にして%%((日本海軍での「正規空母」は「当初より航空母艦として計画・完成した艦」を指すので、「日本海軍が最後に完成させた正規空母」は大鳳ではなく[[葛城]]である。))、不沈空母として建造された海軍機動部隊最後の切り札だった。
日本の空母発展史上、就役した艦としては技術的に最も発達を遂げた決定版と言うべき空母である。
-原型は1939年(昭和14年)に策定された第4次充実計画(通称④計画)((正式には「昭和14年度海軍軍備拡充計画」で、略称「④計画〔マルヨン計画〕」と呼ぶ。ロンドン海軍軍縮条約破棄後の軍備計画「①計画」以後続く海軍軍備計画の第4弾で、同時に計画された艦には後に空母に改装されることになる大和型戦艦「信濃(110号艦)」「111号艦」や阿賀野型軽巡の4隻、大淀や陽炎型駆逐艦の最後の4隻に夕雲型の11隻、島風に秋津洲とそうそうたる面々が計画されていた。))において計画された排水量27,000トン級航空母艦「W102」で、この時は「装甲空母」として計画されていなかった。
後に装甲空母として建造された際にも言われ、空母「信濃」でも構想されていた「空母を中継基地として運用する」という構想がこの時からあり、そのため「艦隊の前面に進出するため敵との水上戦闘に巻き込まれやすい」という考えから、15.5㎝連装砲3基を搭載する、かつての「蒼龍原案」のようなものが、大鳳の元々の構想であった。
--だが航空機の高性能化によってこの構想は破棄され、通常の艦隊型空母として建造されることになった際、かねてから言われていた「空母の飛行甲板の惰弱性」を補うために甲板に装甲を張り巡らしてそれを補う事にし、こうして装甲空母としての大鳳の計画が動き出したのである。
---この「中継基地構想」は艦政本部を中心に根強く残っていて、後に信濃の空母への改装の際も再燃している。だがここでも軍令部や連合艦隊といった実際に兵器を運用する側や、航空機運用を指導する航空本部などが猛反対し、結局信濃の時もこの構想は廃棄されている。
---この構想が戦後「決定されていた構想」であるかのように広まり、現在でもそう信じている人は多い。
大鳳に関して言えばこの中継基地構想は基礎研究段階での一案でしかなく、そもそもこの構想が「主流化」した事実もない。この案は1938年(昭和13年)には廃案となっているが、大鳳が装甲空母として開発する事が決定したのはそのあとで「装甲空母」と「中継基地構想」は別々の話である。

**日本初の装甲空母の性能 [#m1adba6c]
-日本初の装甲空母として建造された大鳳だが、船体及び構造についてはほぼ[[翔鶴]][[型>瑞鶴]]を踏襲したものとなっている。
--翔鶴や瑞鶴が改ニ甲で装甲空母になるのも、この「大鳳の構造は翔鶴型の踏襲」という史実を基にしたオリジナル設定である。
***構造 [#y8fefedf]
-全長は翔鶴型とほぼ同じだが、飛行甲板に装甲を張る事から重心が上がるのを抑えるため、艦内甲板が1層減らされている
艦首は日本空母では大鳳が唯一の採用となったエンクローズド・バウ(ハリケーン・バウ)を採用し、艦首部を強化している。また艦首海面下には翔鶴型同様「バルバス・バウ」を採用している。
--従来では2段ある格納庫層を1甲板分減らしたと紹介されていたが、実際は大鳳も翔鶴型も格納庫は2甲板分の高さ(上下格納庫を合わせると4甲板分)を確保している。
減らしたのは下部格納庫の下の甲板で、翔鶴型は下部格納庫の下にもう1甲板があってその下が機関部となっているが、大鳳にはそれがなく下部格納庫のすぐ下が機関部となっている。
そのため海面から飛行甲板までの高さはかなり低く12.4mほど((翔鶴型は14.2m))で、中型空母である[[飛龍]]と同程度である。
--飛行甲板の表面については「木張り」「ラテックス張り」の2つの説があり昔より論争となっていたが「大鳳甲板上で撮影された写真」((川島まなぶ『日本海軍の航空母艦 : その生い立ちと戦歴』48頁でその写真が紹介されている。山内常夫大尉と田中次男大尉の大鳳艦上で撮影した写真との事))が発見され、そこには木甲板が写っていたので現在では「木張り」が有力である。
---そもそも現存する複数の中央切断図面でも飛行甲板は45mmの木板を張る仕様になっている。一方現存する文書、図面、証言に「ラテックス張り」であるとするものは実は一つもない。実はラテックス張りだったという説は
「戦後福井静夫らの監修のもと川崎神戸で制作された模型がラテックス張りの状態で作られていた」
というだけで、これに「中継基地構想」とかが織り交ぜあって広まってしまったものである。
-艦橋は煙突と一体化したものを採用しているが、採用順でいえば大鳳が日本海軍では「第一号」
--完成順で言えば「[[飛鷹]]型航空母艦」の[[隼鷹]]なのだが、元々客船から改装された飛鷹型は艦橋を設置せず、[[龍驤]]のような「飛行甲板最先端下部に設置」になる筈だった。
だが大鳳の設計が完了して「日本初の艦橋と煙突の一体化した艦橋」を採用した際に、不具合がないか試験する事になり、急遽飛鷹型に搭載するよう変更されている。
--但し右舷に大きな構造物を搭載する事によるバランスの調整のため、大鳳では飛行甲板左舷側を艦橋辺りから艦尾にかけて広げている。そのためよく見ると大鳳の飛行甲板は左右非対称になっている。
-着艦制動索は最新の「三式制動装置」を空母で初採用しており、[[流星]]など大型化した艦載機の着艦にも対応している。

***防御 [#na16c31a]
-防御力については、装甲は飛行甲板の「上部格納庫の天井部分」のみ設置((20mmDS+75mmCNC鋼を設置))していて、実は飛行甲板の全てが装甲化されている訳ではない。長さで言えば飛行甲板全体の半分ほどで、幅も格納庫左右の甲板部分は非装甲である。
--飛行甲板以外にも機関部天井に91㎜((16㎜DS鋼と75㎜CNCの鋼の複合張り))、舷側に55㎜((CNC鋼))の装甲で防御しているが、これは翔鶴型を踏襲したもの((巡洋艦の8インチ砲の砲撃に耐えれるように設定されていた))。但し水平装甲は飛行甲板の装甲も加味して翔鶴型よりも薄くなっている((舷側装甲は翔鶴型の46㎜から55㎜に強化されている))。
--水中防御は艦底の主要部は三重底にしているが、日本海軍では珍しい「液体(重油)層と空気層と装甲を組み合わせた複合防御層が導入されていて、TNT換算で400㎏の炸薬を持つ魚雷を防御できる想定がされていた。
---もっともアメリカ海軍の「Mark13航空魚雷」はTNT換算で400㎏を超える炸薬を搭載可能だったのだが…
-機関は翔鶴型と同様「艦本式ロ号缶((蒸気圧350度))」を搭載しており、これを2列並びに8基搭載。更にその後方に2列で4基のタービンが配置されていた。
--アメリカ等で広く採用されていた「シフト配置」ではないが、大型艦の場合は恩恵はあまりなく((船体規模の関係で缶とタービンを1列でしか用意できない駆逐艦などの小型艦艇の場合はシフト配置による恩恵は大きいが、2列や4列など複数列用意できる大型艦艇の場合は仮に罐室かタービン室かのどちらかが浸水して両方とも使用不可となっても残りの列まで浸水する事はないので、「1本の魚雷命中で1度に動力を失う」などという事態にはならない))、むしろスペースを多く使ってしまうので居住区等を圧迫してしまうマイナス面が大きい((実際大型艦にもシフト配置を採用していたアメリカ海軍では、ただでさえ他国の同種の艦艇と比較してダメコン要員のため乗員数が多いのにシフト配置の影響で居住区画が全然足りず、更に対空兵装の増設で乗員が増えてしまい、廊下で寝ている乗員もいる始末だった))。
大鳳の場合も罐室とタービン室でまとまって配置されているが、各缶は1基ごとに分離された防水区画で覆われているので1基の罐室が浸水したとしても他の缶まで使用不能になる事はない。これはタービン室も同様の構造であるのでシフト配置を態々採用する必要性はなかっただろう。

***火力 [#l9a44a8b]
-対空火器として日本の空母で唯一[[六五口径九八式一〇糎高角砲>10cm連装高角砲(砲架)]]を搭載しているが、翔鶴型と比べて飛行甲板の装甲化で重量増加、高重心化した事もあって2基減らされて6基12門になっている(但し[[秋月]]型のとは違い此方は「砲架」型)。
--日本海軍では定番の対空火器である[[25mm三連装機銃]]を17基搭載しているが、この他に[[25mm単装機銃]]が25基用意されており、普段は格納庫壁面に格納されているが対空戦闘時はこれを昇降機で飛行甲板に上げ、飛行機固定用の金具を利用して設置して運用する事になっていた。
-空母として一番大きな「火力」である搭載機は、竣工頃に海軍航空隊が採用しだした「空地分離」のため、大鳳は航空機を最大まで積むことがなかったので「どれだけ積めるのか?」という事については実はよく分かっていない。
--空地分離とはそれまでの航空機は空母にしても基地にしても「母艦や基地に所属している」もので、指揮や運用もそれらの長(空母で言えば艦長)が行っていた。そのため航空戦を指揮する艦隊司令長官ら司令部が航空隊を直接命令したり運用に関わる事が出来ず、戦場での状況如何で臨機応変に対応するのにも支障が出ていた。
---そこで各国では航空隊は航空隊で独立した部隊とし、それを艦隊司令部の指揮下にいれて空母らと離し、「作戦毎に空母に派遣する」という形にして司令部が直接航空隊に命令したり、臨機応変運用したりしやすいようにした。これが「空地分離」というもので、日本海軍でも大鳳竣役頃より空母航空隊に本格的に採用されだしたのである。
--このため大鳳は竣役以降「固有の航空隊」を持ったことがなく、空地分離により分かれた「601空」の所属機から分派された機を搭載し続けていた((最初に搭載したのは零戦18機、彗星23機、天山5機の計46機で、この他移送用に積んだ月光やら零式水上観測機なども含むと計63機搭載した))。
この状態でリンガ泊地に向かい、その後タウイタウイ泊地に移動してマリアナ沖海戦を迎えるのだが、同海戦での搭載数は[[零戦52型>零式艦戦52型]]20機、[[彗星11型>彗星]]10機、[[九九艦爆>九九式艦爆二二型]]8機、[[天山12型>天山一二型甲]]13機、[[二式艦偵>二式艦上偵察機]]3機の計54機を搭載しているが、これも「601空が投入できる航空戦力を1航戦の空母3隻で振り分けて収容した」結果の数であり、搭載限度いっぱいまで積んだうえでの数値という訳ではない。
---かつては「装甲化した事で格納定数が減少した」とされ、定数も50機台程度にされている事が多かったが、現在では母体となった翔鶴型よりは若干減るものの、同時期に建造されていた雲龍型(格納庫面積は飛龍と一緒)よりは多い搭載能力を持っていたと考えられている。
--このほか航空機用の搭載兵器として、800kg爆弾72発、500kg爆弾72発、250kg爆弾144発、60kg爆弾144発、九一式航空魚雷改48本、他艦載機の補給用に別に250kg爆弾144発が搭載可能だった。また航空機用燃料も990t搭載可能だったが、これは翔鶴型の494tよりもほぼ倍増している。
---これが前述した「中継基地構想」の根拠の一つとされ、「自身が保有する艦載機以外にも補給する必要があったから倍増している」といわれていたが、実際は搭載を予定している[[烈風>試製烈風 後期型]]や流星が従来機よりも燃料搭載量が増えているから((例えば零戦21型は胴体や主翼の燃料タンクで最大442ℓ、落下式増槽を合わせると900ℓ弱だが、烈風では機体内搭載量だけで800ℓ~900ℓ))で、他空母からの艦載機を収容して補給するのを想定した数値ではない。
---航空機用弾薬にしても、大鳳の搭載している量は同時期建造の[[雲龍]]型中型空母や前級の[[翔鶴]]型と大差はない((翔鶴型は800kg爆弾90発、500kg爆弾なし、250kg爆弾306発、60kg爆弾540発、九一式航空魚雷改45本))。艦載機は爆弾や魚雷を「搭載した」状態で着艦するのは危険((着艦の衝撃で爆弾や魚雷が機体から外れる危険がある事を、機体構造がそういった重量物を搭載した状態で着陸する事を想定していないので主脚が折れたりする可能性がある))なので、大鳳が中継基地として運用する事が想定されていたのなら、自艦が収容している機体分よりもはるかに多い魚雷や爆弾を用意していないといけないのだが、そういった事はされていない。
---こういった事からみても「中継基地構想」なるものは、企画段階でいわれた案の一つでしかなかったことが伺える((海軍技術会議の席上、大鳳運用の説明で航空本部側の代表者は「現有空母の防御薄弱なるを強化するが主眼。『飛び石』的用法を主目的とするものにあらず。従って将来、空母は皆このような重防御のものとする考えなり」と明快に「大鳳は中継基地として運用などしない」と発言している。後に空母に改装された「信濃」の際にもこの構想は再燃し、最近まで「信濃と大鳳は中継基地としての運用する」が正規の案であったかのように流布していたが、実際は信濃の場合も「中継基地案」は艦政本部内の一提案でしかなかったようで、軍令部や航空本部から猛反対を受けた挙句放棄された案であった))。
**他の装甲空母との比較 [#h1ba0470]
-空母の一番のウイークポイントであった「飛行甲板の無防備さ」を改善するために考えられた「装甲空母」だが、第二次世界大戦でこれを運用したのは日英の2カ国。
-日本は本艦と信濃、イギリスは[[イラストリアス>Victorious]]級の6隻が装甲空母として運用されている。
--なお、正式に「装甲空母」というジャンルがあるわけではなく、大鳳も信濃もイラストリアス級も正式には「航空母艦」である。
-同じ装甲空母といっても3者3様で実は構造の違いが大きい。
--大鳳については記述しているが、信濃は元々「大和型戦艦」を空母に改装しているため、船体構造はそれを踏襲しており、過度な分は撤去されたがそれでも舷側装甲で最大270m((大鳳は55㎜))、水平装甲で最大190㎜((大鳳は91㎜))と十分すぎる性能を持っている。
飛行甲板も格納庫上部とエレベーターのみと一部のみの装甲化であった大鳳と比べ、装甲自体は格納庫の上部のみだがそれ以外の箇所も含め飛行甲板全体に鋸屑入セメントを張っており、大鳳よりも強化されている。
---この他にも格納庫舷側が一部開放式になっていて、アメリカ空母のように格納庫内で火災が発生しても、可燃物を海上投棄できるようになっている。
--対してイラストリアス級は「格納庫を装甲ボックス化」というスタイル。格納庫直上の飛行甲板と床は76㎜、格納庫側面は114㎜、前後は64㎜の装甲で覆っている。
また格納庫直上以外の飛行甲板は日本と異なり薄いながら38㎜の装甲が張られており、一応「飛行甲板全てを装甲化」はしている。
---だが日本の大鳳、信濃では装甲化していたエレベーターについてはイラストリアス級はされていない。
---船体の防御に関しては前級の[[アークロイヤル>Ark Royal]]を踏襲していて所謂「バイタルパート」構造になっている。舷側で114㎜、前後で64㎜、水平で76㎜の装甲で主要区画を覆っていて、これも大鳳を上回っている。
-こういった飛行甲板の装甲化という考えの正しさは特にイラストリアス級が実績をもって示した。
太平洋戦争末期に太平洋戦線に投入されたイラストリアス級は、日本海軍機による特攻を受けても飛行甲板は貫通されず、大事に至った艦はなかった((3番艦フォーミダブルでは1日に2度の特攻機が飛行甲板に激突するも貫通されず、艦長は「敵機を飛行甲板で撃退」と報告している))。
一方で同じ特攻を受けたアメリカ海軍では装甲空母は採用されず、主力であったエセックス級の飛行甲板は「5㎜の特殊処理鋼に10㎝のチーク材を張る」というもので、特攻機が直撃すると簡単に貫通して格納庫内で爆発。多くの乗員が犠牲となってしまった。
--開放式格納庫の採用で、格納庫内で爆発炎上しても炎上物を艦外に投棄できることで艦の損害を抑えれるとはいえ、格納庫内の機体や乗員を「最初の一撃からは守れない」という構造はアメリカ海軍では問題視され、次級の「ミッドウェイ」級で飛行甲板の装甲化が採用され、これは現在に続いている。
-実は戦間期にイギリス海軍が建造した空母イーグル((元々戦艦として計画されたがWW1によって中断、1924年に空母として完成))も構造としては紛れもなく装甲空母である。
飛行甲板は最大38mmの装甲板で構成されており、さらにバイタルパートは随所が戦艦の防御を残している。
--だがイーグルを「装甲空母」と認識している者はイギリスも含めて多くはない…''&color(silver){何故だ…};''

**竣役後の大鳳 [#cb958cce]
-1941年(昭和16年)7月10日、川崎重工神戸造船所で起工。命名前の仮称名称は「第130号」。
--神戸造船所では1939年(昭和14年)11月27日に進水した[[瑞鶴]]が艤装工事中で、大鳳起工から間もない8月14日に仕上げのため呉海軍工廠に向かったので、短期間ながら大鳳と瑞鶴は共に神戸造船所で工事を受けていた事になる。
-起工から約半年後には太平洋戦争が始まり、130号艦は「期待の新鋭空母」として工期の繰り上げが求められた((当初の予定では1943年(昭和18年)秋の進水だった))。
結果130号艦は1943年(昭和18年)3月5日付で「大鳳」と正式に命名され、4月7日に高松宮宣仁親王臨席のもと進水、12月23日には初代艦長となる菊池朝三((海兵45期で同期には大和最後の艦長となる有賀幸作や、その際共に戦った森下信衛や古村啓蔵、レイテ沖海戦時の伊勢艦長中瀬泝などがいる。初期の航空士官として鳳翔、赤城、加賀の分隊長や飛行長を歴任。搭乗員用落下傘実験を自身で行い「日本海軍初の落下傘降下」を成功させている。開戦時は館山海軍航空隊司令であり、以後主に地上勤務であったが、大鳳艦長になる前に瑞鶴の艦長(1943年6月20日から同年12月18日までの約半年)を務めている。大鳳沈没の際生還し、その後第二航空艦隊参謀等を務め、海軍総隊参謀副長として終戦を迎えた。戦後の公職追放後は土浦市の市議会議員を務めている。))を迎えている。
--進水後も神戸造船所で艤装工事を受けていた大鳳だが、1月20日に進水式に昭和天皇の名代として臨席された高松宮が視察にきている。これは呉海軍工廠で19日に進水した[[葛城]]の式典に臨席した帰りに立ち寄られたもので、宮は大鳳に愛着でも持たれたのか気にされていて、川崎重工業専務取締役の吉岡保貞(彼自身も海軍予備役中将)が態々工事の進捗状況を軍令部にいる高松宮に報告したりしている。
---宮の視察後、大鳳は備讃瀬戸と来島海峡を通過して呉軍港に移動して最終的な艤装を受けている。
同年3月7日に大鳳は竣工、正式に舞鶴鎮守府所属となり、菊池も正式に艦長に補職されている。
---因みに舞鶴鎮守府はかねてより「所属の正規空母が一隻もない((潜水母艦時代は呉鎮守府に籍を置いていた[[龍鳳]]が空母に改装後の1942年(昭和17年)10月20日付で舞鶴鎮守府に籍を置いてはいるが、正規空母となると1隻もなかった))」という状態であり、大鳳は念願の第1号であったそうな。

-3月10日には大鳳は第一航空戦隊(1航戦)に編入され、早速瀬戸内海で訓練を開始する。前述した「空地分離」により2月に編成された「第601海軍航空隊」((空地分離により編成された航空隊。だが母体となったのは1航戦の翔鶴、瑞鳳の飛行隊で、瑞鶴の飛行隊は3航戦の直轄航空隊となる第653海軍航空隊の母体になっている。なお601空は正式には1航戦の直轄ではなく、その司令部が兼務している第三艦隊司令部の直轄という扱いになっている))の司令に『陸攻の神様』『海軍の至宝』と謳われた入佐俊家((海兵52期で、同期には大鳳に愛着?のある高松宮や、伊19でワスプを沈めた木梨鷹一、連合艦隊航空参謀として山本五十六を支えて共に散華した「秋山真之にも匹敵する名参謀」と称された樋端久利雄などがいる。日中戦争時から陸攻隊を率いて活躍し、開戦時は鹿屋航空隊司令、その後内地に戻って兵学校教官を務めており、601空司令就任は久しぶりの前線勤務となった。))中佐が大鳳飛行長との兼務で着任している。
-3月28日、大鳳は兵員や陸上機の輸送も兼ねて呉を出航、駆逐艦[[初月]]、若月の護衛を受けて南方に進出する。
4月5日にシンガポールに到着し輸送物を荷揚げすると9日にリンガ泊地に移動、ここで第一機動艦隊に合流して15日には同艦隊旗艦となり小沢長官の将旗を掲げる事になる。
--5月になると米軍の反攻に備えて艦隊はタウイタウイ泊地に移動する事になり、大鳳は14日には同泊地に到着、ここで2航戦((隼鷹、飛鷹、龍鳳))と3航戦((千歳、千代田、瑞鳳))の到着を待つことになる。
以降大鳳は「あ号作戦」で出撃するまでの間、同泊地で過ごすことなるのだが、この泊地には機動部隊の艦載機を収容できるだけの規模の飛行場がなく、泊地内で発着艦訓練をできるだけの広さもなかった。泊地外に出て訓練しようにも周囲に米潜水艦群が出没して多くの駆逐艦が撃沈されており((この期間だけで駆逐艦[[水無月]]、[[早波]]、[[風雲]]、[[谷風]]が撃沈されている))、訓練で外に出るのは危険な状況だった。
このため大鳳ら空母達は缶詰となってしまい、航空隊の訓練が長期間出来ず連度低下を招いてしまい、後の「あ号作戦」に大きな影響を与えてしまった。
---なお、大鳳の写真の多くはこのタウイタウイ泊地で停泊中に撮影されたものである。

***あ号作戦 [#m1168a7f]
-米軍の反攻に備えてタウイタウイ泊地に進出していた第一機動艦隊だったが、元々海軍が想定していた予定戦場は西部ニューギニア方面であり、実際5月27日にアメリカ陸軍を主体とした連合軍がビアク島に上陸し、連合艦隊も同方面を注視して部隊展開を行い、マリアナ方面の第一航空艦隊にも90機をビアク島支援に向かわせるなどしており
「ニミッツはマッカーサーの西部ニューギニアでの反攻に策応して同方面に大部隊を送り込むのではないか」
と考えるようになっていた。
--だが6月11日、第58任務部隊(指揮官:マーク・ミッチャー中将)がマリアナ諸島へ大規模空襲をしかけ、西部ニューギニア方面へ航空部隊の約半数を動かしていた第一航空艦隊は瞬く間に壊滅、一転して連合軍のマリアナ侵攻が現実味をおびてきた。急遽部隊展開を取りやめてマリアナ方面への侵攻に備えた連合艦隊だったが、第一機動艦隊も「渾作戦」のため一部の艦艇を西部ニューギニア方面に向かわせており、それを呼びもどすのに日時を要している。
---艦隊の出撃は連合軍のサイパン上陸と同日の15日となる。囮役をかねた前衛部隊((第二艦隊(司令長官:栗田健男中将)を基幹とする水上部隊に、第三艦隊から3航戦が加わった部隊))が進出し、その後方100浬辺りを主力の2部隊((1航戦を中心とした甲部隊と2航戦を中心とした乙部隊))が進撃するという形だった。
-だがこうした第一機動艦隊の動きは当日中に米潜水艦によって発見報告されており、米第5艦隊司令長官のレイモンド・スプルーアンス中将にも報告が届いている。一方で日本側は米機動部隊の動勢を把握できておらず、18日には40機もの索敵機で三段索敵を行っている。
これにより昼過ぎに米機動部隊を発見し、3航戦から攻撃隊が出撃したが、このタイミングでの出撃は夜間攻撃、夜間着艦になる事から小沢は帰艦を命じ、攻撃隊はトンボ帰りする事になる。だが爆弾を捨てて帰還した攻撃隊は技量が未熟な事もあり着艦失敗をする機が続出、推定でも4機が失われている。
--一方でアメリカ側は当初は第一機動艦隊を捕捉していたがその後接触に失敗して見失っており、この段階では第一機動艦隊の位置も、攻撃隊が出撃した事も把握していなかった。
夜間爆撃だと直掩の戦闘機も出せれない事から奇襲攻撃が成功する可能性もあり、帰還が困難になるからとはいえ、小沢長官は先制をのチャンスを逸する決断をしてしまったともいえる。

***悲運の6月19日 [#y1a23f29]
-翌6月19日、第一機動艦隊は早朝3時半より索敵機を出動させ、アメリカ機動部隊の早期発見を目指したが、その効果は早速現れ、6時半にサイパン島西部で展開するアメリカ機動部隊を捕捉、小沢長官は直ちに攻撃隊を出撃させる。
--先に出撃したのは前衛部隊にいる3航戦で、それに続いて大鳳ら甲部隊より128機が7時45分に出撃する。
だがこの航空隊、前を進む前衛部隊上空を通過しようとした際、無線封鎖でこの部隊の敵味方の判断がつかなかった一部の艦が敵と判断して発砲、同士討ちをしてしまう((最初に発砲したのは当時第一戦隊旗艦だった[[大和]]ともいわれる))。結果4機が撃墜されてしまい、あまりの出来事に怒り心頭の攻撃隊の指揮官の一人は「国賊大和に突っ込め!」と命じたという逸話も残っている((こんな逸話が残っているあたり、やはり最初に発砲してしまったのは大和だったのかもしれない…))。
-アメリカ側に対して絶対の自信を持っていた「アウトレンジ戦法」で先制できたことに、司令部内には楽観的な雰囲気があり、大鳳でも出撃する攻撃隊を「手空き乗員は上甲板で見送るように」と指示が出ていた。だがこの慢心が大鳳に接近する伏兵の事を誰も気づかないという失態に繋がった。
--話を少し戻すが攻撃隊を出撃させていた大鳳に、1隻の潜水艦が忍び寄っていた。ガトー級潜水艦「アルバコア」で、同艦は8時10分に距離4800m辺りから計6本の魚雷を大鳳に向けて発射する。
この魚雷は大鳳側は全く気付いていなかった。だが発艦して編隊に合流しようとしていた小松幸男兵曹長が操縦する[[彗星]]がこれに気づき急降下、体当たりを試みる。
機体は海面に激突して魚雷の1本は阻止できたが、残りの数本は大鳳に向かっていた。ここで漸く魚雷に気づいた大鳳は取舵をとり回避しようとしたが、8時10分に1本が右舷前部に命中する。
---この時点で大鳳は艦首をやや下げ速力も26ノットが限界となった。傾斜自体は注水によって改善されたがこの雷撃で前部エレベーターが下部格納庫から1mほどの処で零戦を乗せたままの状態で停止してしまう。
重量100㎏もあるエレベーターを応急で修理するのは不可能だったため、発着が出来るようにするため艦内の角材((応急処置用に搭載していたもの))や食堂の机や椅子をかき集めてエレベーター上に積み上げ、14m四方の穴を塞ぐことに成功する。
だがこれが、大鳳に更なる危機を呼び込むことになってしまう。
-エレベーターの応急処置が完了した大鳳だったが、重量のある魚雷や爆弾を乗せた状態で艦載機が発艦するのは危険だったので、9時20分より零戦1、彗星1、天山5機が未武装の状態で発艦して瑞鶴に移動、1航戦が用意していた第二次攻撃隊((零戦4機、零戦爆戦10機、天山4機))は10時30分に瑞鶴から出撃している。
-こうして以後は帰艦する航空機の収容や直掩戦闘機の発着にのみ終始した大鳳だったが、アルバコアの1撃は大鳳の別の箇所に深刻なダメージを与えていた。
--停止した前部エレベーター直下にはガソリンタンクが大鳳では設置されていた。踏襲元である翔鶴型ではそうなってはいないのだが、大鳳では真下に置くよう修正されていた。また前述のように翔鶴では下部格納庫の下に1層あったのが大鳳ではそれを減らしていたので、タンクのすぐ上にエレベーター機械室があるという形だった。
100tあるエレベーターが故障停止してしまうような衝撃だったからか、すぐ下にあるガソリンタンクも相当な衝撃を受けた。そしてつなぎ目が外れ、そこからガソリンが漏れ出したのである。
---つなぎ目が外れた事については「工期の短縮のため不完全な状態だった」「電気溶接の強度に問題があった」などといわれているが確かな証拠は不明である。但しこの雷撃で大鳳のガソリンタンクに穴が開いたのは事実であり、気化したガソリンが大鳳の船内に充満していく事になる。
--まずタンク後方の区画(弾薬庫など)はガス侵入のため在室が困難となり退去を余儀なくされた。更に発着艦のため前部昇降口を封鎖したため換気も困難となり、格納庫内にもガスが流れ込んでしまう。
応急工作員もガスへの引火を恐れて工具の使用が憚られ、タンクの修理や応急的に換気口を造るための側壁の破壊も難航した。
---ちょうどこの頃第一次攻撃隊の生き残りが帰還しだしたが、大鳳は着艦のみを引き受け直掩機の発着は禁止された。11時20分には[[翔鶴]]が米潜水艦カヴァラの雷撃で落伍したため同艦から出た航空隊の収容も引き受ける事になったが、帰ってくる航空機は少なく、最終的に大鳳が収容した機は5機のみだった。
-艦内のガス対策に難航する大鳳だったが、14時32分遂に破局が訪れた。艦橋配置で生還した方の証言では14時過ぎより第二次攻撃隊が帰還しだし、大鳳も収容作業をしていたが、1機が着艦に失敗して胴体着陸をした直後、大鳳が突如大爆発したと証言している((大鳳爆発時の状況については他の生存者の証言や、付近を航行していた重巡[[羽黒]]乗員の目撃談などで若干の違いがある。別の大鳳乗員の方の証言では着艦に失敗した1機が既に着艦を終えて飛行甲板前部にいた艦載機と激突した直後に爆発が起こった。としている。着艦機が異変に気付いてタッチダウンせずに飛行甲板上を通過した直後に爆発が起こったという証言もある。着艦した機も第二次攻撃隊ではなく前路偵察に出てた哨戒機だという説もある))。
--この爆発で飛行甲板の装甲は飴板のように盛り上がり、飛行甲板は瞬時に炎に包まれた。[[羽黒]]からは大爆発により火柱が大鳳の側壁を突き破り、無数の艦載機と乗員が海面に吹き飛ばされる様子が見えたという。また当時飛行甲板上にいたと思われる601空司令(兼大鳳飛行長)の入江中佐もこの爆発により戦死したと考えられている。
-艦橋では航海士が直ちに消火装置を作動させるが全く作動せず、機関室との連絡も途絶したので消火栓のバルブが開けられず、消火活動は全くはかどらなかった。やがて船足もなくなり艦は停止。機関部は全滅したと判断された((実際は一部生存者がおり脱出に成功している。))。
周囲にいた羽黒や若月には接近して支援するよう命令がくだるが、あまりもの大爆発で近づくことが出来なかった。絶望的状況となった事で小沢長官は司令部の瑞鶴への移動((この時点で翔鶴は沈没している))を決断、唯一無事だった大鳳搭載のカッター((大鳳艦橋右舷にあったので大爆発の爆風も艦橋が壁になった事で無事だった))で脱出して若月に移動、16時過ぎには羽黒に移動した。
--残された大鳳では爆発が続き、かけつけた[[磯風]]や[[初月]]も洋上に漂う脱出者の救助にあたった。特に磯風は比較的安全だった大鳳艦尾に接舷して乗員救助にもあたっている。だが左舷に傾斜しだした事で磯風は接舷を解くと、午後4時28分頃、彼女は左舷に傾斜しながら沈没した。沈没と共に艦内に残置していた艦載機13機((内訳は零戦5機、99艦爆1機、彗星4機、天山3機))も失われ、約660名の乗員が戦死した((なお、大鳳の沈没当時の乗員数については詳細は不明であるが、竣工時の乗員定数は2,038名である))。
---艦長の菊池朝三大佐は艦と運命を共にしようとし、磯風が接舷した艦尾の後部デッキから離脱する生存者を見送ったのち、ハンモックの紐で身体を固定したが沈没の衝撃で紐が切れたようで、意識不明の状態で浮かんでいるところを磯風に救助されている((当時大鳳乗り組みだった近藤敏直少尉の証言より。その際菊池艦長は近藤が持っていた煙草をあるだけもらい、笑いながら「沈むまでまで時間があるだろうから一服する」と退艦を見送ったという。因みに近藤少尉はかつてキスカ島を守備する第51根拠地隊の司令部付だった人物で、「キスカ島撤退作戦」で奇跡的に生還した人物。そして今回の大鳳爆沈も奇跡的に生還した))。

***敗因 [#v3e546b5]
-こうして期待の新鋭空母だった大鳳は約3か月という短い生涯を終えた。就役日数わずか104日の沈没で、2018年3月現在の実装艦の中では[[照月]]と並び、3番目に短い((最短は日振型海防艦「[[日振]]」の57日、その次は夕雲型駆逐艦「[[高波]]」の92日。未実装では橘型駆逐艦「榎」が87日というのもある。大和型改装空母「信濃」に至っては世界の艦船史上最短の10日で生涯を終えている。))。
たった1本の魚雷で沈んでしまった事については、今現在も多方面で議論されている。
--この大鳳の喪失は科学技術振興機構(JST)のまとめた[[失敗知識データベース「失敗百選」>https://www.shippai.org/fkd/lis/hyaku_lis.html]]に[[選ばれている>https://www.shippai.org/fkd/cf/CB0011023.html]]。
空母の防火対策(ダメージコントロール)に限らず、船上での可燃性物質漏出事故など現在に到るまで技術面で示唆に富む話として扱われ、特に空母のダメコン話では必ずと言っていいほど引き合いに出されるようになっている。
---米海軍でも空母[[レキシントン>Lexington]]が大鳳の沈没に先駆けること2年前、[[珊瑚海海戦>雑学#CoralSea]]で[[翔鶴]]・[[瑞鶴]]の艦載機攻撃で魚雷2本、爆弾2発を受けた。
元来が巡洋戦艦としての設計であったレキシントンには沈没に至るほどのダメージではなかったが、やはりガソリンタンクからのガソリン蒸気漏れを起こし、それに発電機のスパークが引火して誘爆、大火災となり放棄、雷撃処分に至っている。
レキシントンは飛行甲板の装甲化はされてはいなかったものの、大鳳と同じくエンクローズド・バウ、閉鎖式格納甲板、航行には問題ない程度の損害→その後の応急作業の不手際で沈没等、共通点は多かった。
尚、米海軍はこれを教訓として空母に対策を施しており、太平洋戦争を通じて同様の損害は出していない((例えば同型艦のサラトガは、大戦末期に特攻機の突入を受けて大破したものの戦後まで生き残り、最後は長門・酒匂とともに原爆実験の標的艦として没した。))。
-攻撃した[[アルバコア(Albacore,SS-218)>俗称・スラング集/あ#albacore]]は大鳳以外にも[[天龍]]・[[大潮]]・[[漣]]を撃沈している。&color(Silver){また君か! 厄介な奴だよ君は!};

-同じくマリアナで大鳳に先立って潜水艦からの攻撃で沈んだ[[翔鶴]]もそうだが、そもそも潜水艦部隊に先回りされた上、それらを護衛艦艇で排除できなかった時点で、空母のダメコンのみならず防諜・対潜などにも問題があったと言える。
これは長らく日本海軍が艦隊決戦を重視してきた故の弱点なのだが、開戦から数年が経過してなお補充・強化が遅々として進んでいなかったことを加味すると、この海戦における日本海軍の衰勢は明らかだった。
&color(Silver){%%要するに「ダメだこりゃー」ということ%%};
-また前述したように「手開きの乗員を飛行甲板に集めて攻撃隊出撃のお見送りをした」など、当時の機動部隊内で『アウトレンジだから攻撃されないよねー』というような油断があったのも大きい。対潜哨戒がおろそかになっていたのでは?については戦争末期の1945年(昭和20年)4月30日に天皇陛下が米内海軍大臣に対して
「''あ号作戦はあの辺に敵潜水艦の出没せることは判って居ながら之を強行して失敗に了ったが、あれは連合艦隊長官がさせたのか、機動部隊長官が自ら決行したのか''」
問いたしており、陛下自身もこの時の機動部隊の行動に疑問を持たれている事が分かっている。
--艦隊司令部についても、司令長官の命令で大鳳に態々軍楽隊を乗艦させるなどしており、航空参謀として小沢を支えた田中正臣は「戦う前から「勝ち戦だ」と信じて疑わない」という風潮が司令部にあったと証言している。だが田中氏曰く小沢の航空戦についての知識は
「艦隊司令官でなく艦長が持っている程度の知識」
であったとしており、飛んでいく飛行機を魚雷や砲弾と同じようなものと思っていたかのようにも感じていたという。
--2航戦の参謀として参戦した奥宮正武氏も当時の小沢や司令部を批判しており、アウトレンジ戦法事態をそもそも批判しており、戦法が失敗した原因を「搭乗員の技量不足」とする意見についても激しく反論しており
「当時の練度では成功は困難であることは事前にわかっていたのに、失敗要因を搭乗員のせいにするのは筋違い。払った犠牲にふさわしい戦果を挙げることが出来なかったのは指揮官の責任」
と主張している。
---もっとも奥宮氏の証言では海戦後に小沢司令部の幕僚から「勝敗は時の運だ」という言葉が出たともいわれており、敗因を自身らの作戦指導のまずさ、油断であることを認めてはいなかったかもしれないが…&color(silver){油断、慢心、ダメ絶対};
司令部側からはこういった意見に反論((先任参謀だった大前敏一など))もでているが、アウトレンジ戦法が「無棒」であったのは間違いなく、真珠湾攻撃時にいた熟練搭乗員でも難しいこういった作戦を、練度未熟だと知っていて行い大敗したのは事実である以上、やはり艦隊司令部の判断の甘さ、理解不足があったのは間違いないだろうし、油断もしていたであろうことはほぼ確定されている。

**余話 [#kcbfadac]
-20:00の時報に出てくる「あの彗星」とは、大鳳を発艦直後に母艦に接近する2本の魚雷を発見し、その内の1本に目掛けて体当たりを敢行した彗星・小松幸男兵曹長機のこと。
だが犠牲むなしく、残り1本の魚雷が大鳳の右舷前部に命中、爆沈へと繋がってしまう。
--なおこの逸話についてはいくつか諸説がある。詳細は[[彗星(六〇一空)]]を参照。
-1974年(昭和49年)9月23日、母港のあった舞鶴市の海軍墓地に慰霊碑が建立。毎年6月19日に遺族や元乗組員による慰霊祭が執り行われていたが、2003年をもって終了した。
--なお、折角舞鶴鎮守府初の正規空母であった大鳳だが、舞鶴に立ち寄る事はないまま戦没してしまった…

-%%お触り%%クリック時の「甲板の色が気になる?」という発言は、大鳳の飛行甲板の構造についての論争が行われていたことから来ている。
--まず第一の論争として「飛行甲板は木が張られていたのか、装甲板そのままだったのか」というものであった。かつては装甲板説が主流であったが、現在は大鳳の飛行甲板が木甲板であった事を示す写真や図面が発見されており、ほぼ木甲板で間違いないだろうと結論付けられている。
--第二の論争は「木にラテックス加工はされていたのかどうか」。ラテックス加工説は現在証言や物証が発見されていない。
---ちなみに本ゲームの大鳳の絵は「木製・ラテックス加工無し」説を採っている模様。
ただし改造後は木の板らしき縦線が見えるのでおそらく「木製・ラテックス加工済み」である。どちらの説も潰さないニクイ変化。

*この艦娘についてのコメント [#comment]
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※コメント欄を畳むのが建造報告予防に効果が有る(有意差が出るほど建造報告の増減が有る)か確認するめに、畳むのを一時的に解除しています。 2015-07-02 ~
 
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