|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.254|
|&attachref(./254_2nd.jpg,nolink,陽炎型駆逐艦、嵐のお出ましだ。あぁ、嵐巻き起こしてやるぜ!);|>|嵐(あらし)|>|陽炎型 16番艦 駆逐艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|16|~火力|10 / 29|
|~|~装甲|6 / 19|~雷装|24 / 69|
|~|~回避|44 / 79|~対空|9 / 39|
|~|~搭載|0|~対潜|28 / 62|
|~|~速力|高速|~索敵|6 / 19|
|~|~射程|短|~運|11 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|15|~弾薬|20|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[12.7cm連装砲]]|
|~|>|>|>|[[九四式爆雷投射機]]|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''嵐'' → [[嵐改]](Lv35)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:陽炎型駆逐艦十六番艦、嵐だ。第四駆逐隊を編成して、四水戦で活躍したぜ。&br;ミッドウェーでは、南雲機動部隊の護りについたんだ。その後も最前線を縦横無尽に駆け抜けて……&br;最期の時は、暗い海での前線の輸送作戦。僚艦の萩風と一緒さ。&br;嵐、そして四駆の仲間たち……覚えていてくれよな。頼むぜ。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:茅野愛衣、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:茅野愛衣、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>嵐/定型ボイス]])
#table_edit(嵐/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>嵐/時報ボイス]])
#table_edit(嵐/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>嵐/季節ボイス]])
#table_edit(嵐/季節ボイス)
~
}}


*ゲームにおいて [#about]
-2015年11月18日のアップデートで新規に実装。2015年秋イベント「[[突入!海上輸送作戦]]」にてドロップが設定されていた。
--2016年春イベント「[[開設!基地航空隊]]」にてドロップ艦として拾えるように。
--2018年8月17日、第二期開始と同時に実装された新海域、[[7-1>南西海域#area1]]「[[ブルネイ泊地沖>南西海域#area1]]」ボスマスで''待望の通常海域ドロップ''が確認された。[[萩風]]も同じ場所でドロップを狙える。

**キャラクター設定について [#character]
-[[天龍]]・[[木曾]]に続く3人目の俺っ娘。駆逐艦としては初の俺っ娘枠となる。
-海域モチーフとなった夜間輸送任務時の夜戦が原因か、特に川内のことを恐れている様子。&br;神通については畏敬、那珂については上司への畏怖((第四駆逐隊は主に四水戦の隷下だった。))と思われるが……。
&br;
-かの海戦で[[第四>萩風]][[駆の>舞風]][[仲間>野分]]と共に赤城の雷撃処分を行ない、加賀の最期を見守ったことにちなむだろう台詞も存在する。
--先立って、嵐は野分と共に赤城の生存者を、萩風は舞風と共に加賀の生存者を救出している。
-ゲーム中の容姿としては、ベルトのように腰の前面に装着した探照灯が特徴的。
--そのシルエットから、仮面ライダーのあだ名で呼ぶ提督も多数いる模様。
--ただ、残念ながら改になっても初期装備に探照灯は付いてこない。
-かつての僚艦である[[萩風]]・[[舞風]]・[[野分]]のことはそれぞれ「萩」「舞」「のわっち」と呼ぶ仲。
*小ネタ [#trivia]
-マル4計画仮称第112号艦として舞鶴海軍工廠で誕生した、陽炎型の16番艦である。
実は15番艦の[[野分]]に比べ、起工から竣工まで嵐のほうが早く、お姉さんだったりする。
[[野分]]、[[萩風]]、[[舞風]]と第四駆逐隊を結成し、嵐は駆逐隊司令艦となった。
初代司令の佐藤寅次郎大佐((佐藤大佐はその後、コロンバンガラ島沖海戦で神通艦長として戦死している。))は3か月足らずで転出し、後任の有賀幸作大佐が座乗している。
--有賀大佐(戦死後中将に二階級特進)は、知る人ぞ知る[[大和]]最後の艦長である。
禿頭でヘビースモーカーで水虫持ちというとアレだが、駆逐艦や軽巡洋艦で経験を積んだベテランの水雷屋で、第四駆逐隊での評価は非常に高かった。
戦闘指揮は豪放大胆だが、部下や家族を何かと気遣う優しい人物でもあった。
---「声には凄みがあった。ドスの利いた太いドラ声で『おい艦長』などとみんなを呼んでいた」「部下をかわいがった。兵隊を怒ったところを見たことがない」「ぶっきらぼうだが温かみがあった。天真爛漫な人、邪気のない人だった」「いつも半袖半ズボン草履履きだった。恰好なんかまったく気にしなかった」と、嵐の乗員たちは有賀の思い出を偲んでいる。
-ゲームにおける第四駆逐隊は、先に実装された舞風と野分のコンビのイメージが強くなっているが、もともと野分とコンビ(第一小隊)を組んでいたのは嵐である。桃井涼太氏の公式4コマでも、第四駆逐隊勢の部屋割りという形で、この件に触れている。
-腰のベルトのバックルの位置に探照灯があるが、これは『仮面ライダー』の変身ベルトが元だと思われる。シリーズ初期の仮面ライダーは風力エネルギーで変身する設定から、ベルトはタイフーン、バイクはサイクロン号、続編V3のバイクにハリケーン号と暴風の名前をつけられている。また、同じ石ノ森章太郎原作の『変身忍者嵐』からの連想もあるだろうか。
--公式4コマでは萩風と共に122話で初登場、扉絵では二人一組の仮面ライダーである仮面ライダーWの決めポーズを揃って真似した。その後も嵐は仮面ライダーBLACKの変身ポーズを真似する、バックルの探照灯にスクリューを仕込んで光る!回る!変身ベルトの玩具同様に動かすなど、仮面ライダー関連のネタを多数披露した。
--なお、長年続く仮面ライダーシリーズには剣の『上城睦月』、そのものずばり仮面ライダー響鬼(ひびき)など、艦娘と名前が被るキャラクターもちらほらいる。
--他にも戦隊という言葉に激しく反応する、[[青>朝風]]・[[赤>神風]]・[[桃>春風]]・[[黄>旗風]]・[[緑>松風]]の五色が揃った第五駆逐隊+αを見て悔しがる、萩風に「ハギも白のフリフリならいいだろ!!」とプリティでキュアキュアなアニメの初代っぽい制服を提案する、描き下ろしの艦娘お部屋訪問短縮版を「野球とかでお休みするやつ」と解釈するなどといった行動から、おそらくはニチアサキッズタイム視聴者と思われる。

//仮面ライダーネタを削減しました。過去の文章は一旦、コメントアウトとして残しておきます。
// -腰のベルトのバックルの位置に探照灯があるが、これは『仮面ライダー』のタイフーン(変身ベルト)が元だと思われる。おそらく、嵐と同名のヒーローに『変身忍者嵐』がおり、仮面ライダーと同じ石ノ森章太郎原作作品だからであろう。
// --『変身忍者嵐』は1971年に放送された、特撮作品で『時代劇版仮面ライダー』を意識した作品。
//前半は鷹の変身忍者嵐ことハヤテと悪の忍者集団血車党、後半は西洋妖怪との死闘を描く。
//しかし裏番組の『ウルトラマンA』に比べ視聴率は苦戦を強いられた。
//--なお、仮面ライダーの変身ベルト玩具のキャッチコピーは『光る、回る』であるが、劇中のタイフーン自体に探照灯のような光る機能は無い(演出の関係上光るが)。ベルト自体に強い光を発する能力が本格的に付加されたのはキングストーンフラッシュを使った仮面ライダーBLACKのバイタルチャージャーが最初である。
//--公式4コマでは萩風と共に122話で初登場。その扉絵にて萩風と共に仮面ライダーWの決め台詞『さあ、お前の罪を数えろ!』のポーズを披露(なお萩風は右手で、嵐は左手で行なっていた)。
//更に四水戦のポーズを考案した際には仮面ライダーBLACKの変身ポーズを決めていた。
//--ちなみにこの作品ではベルト側の探照灯は仕込んだスクリューにより光る!回る!という設定。この装備を見た[[初雪]]と[[深雪]]はカッコイイと評している(余談であるが、仮面ライダー龍騎には同じ『みゆき』読みの仮面ライダー変身者がいる。その他仮面ライダー剣に『上城 睦月(かみじょう むつき)』、フォーゼには『如月 弦太朗 (きさらぎ げんたろう)』など、艦娘と名前が重なる登場人物は多い)。嵐自身は[[天龍]]や[[龍田]]の髪飾りを「カッケー!」と評している。



&br;
#fold(略歴){{
略歴
|CENTER:BGCOLOR(#e8383d):COLOR(#ffffff):40|CENTER:BGCOLOR(#ffa07a):40|BGCOLOR(#ffa07a):600|c
|1939|5.4|舞鶴海軍工廠で起工|
|1940|4.22|進水|
|1941|1.27|竣工。横須賀鎮守府籍となる|
|~|3.31|[[萩風]]竣工を機に第4駆逐隊に編入|
|~|8.1|第4水雷戦隊に編入|
|1942|2.21|ジャワ南方機動作戦に参加|
|~|3.7|スターリング湾に帰投|
|~|4.4|ペナン島を出撃し、インド洋に進出|
|~|4.11|シンガポールに帰投|
|~|4.17|横須賀帰投。翌日ドーリットル空襲にて対空射撃を行う|
|~|6.5|ミッドウェー作戦に参加。翌日[[赤城]]を雷撃処分|
|~|7.14|正式に第3艦隊・第10戦隊に編入|
|~|8.16|ガダルカナル島の戦い開始によりトラック泊地を出撃。陸軍揚陸に従事|
|~|8.27|ラバウル入港。翌日よりラビの戦いに参加|
|~|9.13|駆逐艦輸送作戦(鼠輸送)に投入|
|~|10.26|南太平洋海戦に参加|
|~|11.8|11.15まで横須賀で修理|
|~|11.21|内地を出発し、12.1ラバウル到着|
|~|12.3|第2次ガダルカナル島輸送|
|~|12.7|第3次ガダルカナル島輸送。空襲に遭遇し小破。ショートランドに退避|
|~|12.11|第4次ガダルカナル島輸送。自沈する[[照月]]の救援に当たる|
|1943|1.10|第5次ガダルカナル島輸送|
|~|1.15|第6次ガダルカナル島輸送の帰路、米軍機の攻撃により航行不能になる。[[舞風]]の曳航でショートランドへと帰還|
|~|2.1|トラックで応急修理後、ケ号作戦に支援隊として参加|
|~|2.20|横須賀に帰投。修理に入る|
|~|6.21|ニュージョージア島の戦いのため横須賀を出撃|
|~|7.25|レカタ(サンタイサベル島)輸送を実施|
|~|8.1|コロンバンガラ島輸送作戦を実施中、米軍魚雷艇群と交戦|
|~|8.6|ベラ湾夜戦にて雷撃を受け戦没|
|~|10.15|除籍|
}}

#fold(艦長){{
艦長
|CENTER:BGCOLOR(#e8383d):COLOR(#ffffff):55|BGCOLOR(#ffa07a):120|BGCOLOR(#ffa07a):290|c
|第1代|渡邉保正 中佐|1940年9月16日~1940年11月25日(艤装員長)|
|~|~|1940年11月25日~1942年11月15日(艦長)|
|第2代|杉岡幸七 中佐((戦死による特進で大佐。))|1942年11月25日~1943年8月7日|
}}

-艦首で波を切り裂き艦尾よりウェーキを吹き上げた、公試時全力航走の印象的な写真が有名。彼女は「ふぉとじぇにっく」なのである。
--この写真、よく見ると艦橋の上に人が立っている。公試の写真で人が写っているものは珍しい。
なおフルスピードで走る駆逐艦の上では、無風だったとしても毎秒18mの台風並みの風を受けているはずであり、なかなか難儀である。
-就役時よりあて先不明の郵便物・書類に悩まされていた。駆逐艦「[[山風]]」が存在していたからである。縦書きだと「[[山風]]」は「嵐」とも読めてしまう。
第六駆逐隊の[[雷]][[電]]コンビも同様に誤配に悩まされていたが、こちらは同駆逐隊・同小隊なのでいつも一緒、交換は簡単である。
しかし、嵐の場合は違っていた。陽炎型駆逐艦「嵐」は第四水雷戦隊第四駆逐隊、白露型駆逐艦「[[山風]]」は第四水雷戦隊第二十四駆逐隊に所属しており、必ずしも一緒にいるとは限らないからだ。
>吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ        文屋康秀

-開戦時の所属は第四水雷戦隊。つまり公式四コマで言うところの、[[那珂]]ちゃんの「真の四水戦のポーズ」要員である。
&color(Silver){この「四水戦のポーズ」は、ヒーローっぽくしようという嵐の提案が那珂ちゃんに採用されたものだったことが四コマ122話で判明した。};
--ただし、那珂の被雷損傷と四駆の第十戦隊転属により、那珂の指揮下だった時期は意外に短い。というか、開戦時から四駆は第二艦隊旗艦愛宕((南方攻略作戦の海軍側総指揮官である近藤信竹提督の旗艦が愛宕であり、高雄、金剛、榛名と護衛の駆逐艦で南方部隊本隊、いわば南方作戦の本陣である。))の護衛に配置されていて、四水戦本隊とは別行動をとっていた。
-南方作戦中に、ジャワ島近海で連合軍の軍艦や商船を多数撃沈している。この時、英籍タンカー((後述の水雷長は貨物船と証言したが、貨物船と同様の三島型形状のタンカーだった。))を砲撃で開いた穴に爆雷を放り投げて撃沈している。
--大型商船相手では駆逐艦の主砲弾程度の炸薬量では大した傷にならず、業を煮やした有賀司令は確実に撃沈可能な魚雷を使えと命令したのだが、嵐の田中一郎水雷長((後に筑摩水雷長・駆逐艦椿(艦これ未実装)艦長。))が「魚雷を使うのはもったいないから、爆雷を使いましょう」と提案。嵐をタンカーに並行させ、相対距離100mの位置から爆雷投射機を撃ち込んだ。
1射目はタンカー船尾後方に爆雷が落下し失敗、反航して行った2射目も船首前方に落下して失敗。だがこの2発の爆発の衝撃で船体が捻れて砲撃で開いた穴が広がり、3射目の爆雷がその穴に見事入って撃沈したと言う。
--爆雷をボールのように扱っているイラストは、これが由来と思われる。また初期装備が[[九四式爆雷投射機]]な上に、改造すると[[三式爆雷投射機]]を持参するという爆雷推しっぷりである。(持参する艦娘は他に五十鈴改二と龍田改二しかいない)
-ミッドウェー作戦に先立って、四駆は軽巡[[長良]]を旗艦とする第十戦隊の指揮下に組み込まれた。((この時点では臨時の措置で、第十戦隊への正式な編入はミッドウェー海戦後。))
--この第十戦隊、最新鋭の陽炎型と夕雲型、後に秋月型も集中配備された、艦これにおけるレア駆逐艦の宝庫である。((四駆以外のメンバーが、雪風・初風・天津風・時津風・浦風・浜風・磯風・谷風・秋雲・夕雲・巻雲・風雲。このうち手に入れやすいのは、建造できるようになった秋雲か2-3でドロップする巻雲、あとは2-2でたまにドロップする浜風か、レア駆逐艦としては建造やドロップが比較的しやすい雪風ぐらいと言う、新米提督泣かせのラインナップである。))
ちなみに嵐と萩風の実装により、&color(Silver){開戦時の四水戦より早く};1942年4月新編時から同年7月の四駆正式編入時にかけての第十戦隊所属駆逐艦が艦これで全て揃うこととなった。
-ドーリットル中佐指揮下の[[B-25]]爆撃機16機による日本本土初空襲の際にはちょうど横須賀に帰還しており、横須賀軍港に飛来したB-25を迎撃するが撃墜できず、ドック内で空母改装中の[[大鯨]]が被弾してしまった。
その後ドーリットル隊を発艦させた米空母の追撃を命じられるも、会敵することはできなかった。
この時出撃していた[[祥鳳]]が護衛の駆逐艦([[潮]]、[[曙]]、[[漣]])と合流できずに単艦で航行していたため、代わりに嵐と野分が合流を命じられて、祥鳳と共に横須賀に帰港した。
-南雲機動部隊の直衛艦として知られており、南太平洋海戦では旗艦被弾により南雲忠一中将以下艦隊司令部の移乗を受けて臨時旗艦となっている((ただし駆逐艦の通信設備では機動部隊旗艦としての指揮を十分に果たせないため、航空戦の指揮を南太平洋海戦では「隼鷹」座乗の角田覚治少将がそれぞれ引き継いでいる。))
--ただし、ミッドウェー海戦時の南雲司令部移乗については記録や証言が錯綜しており、野分もしくは[[風雲]]を経由して長良に移乗した説や、長良に直接移乗した説もある。
-ミッドウェー海戦において、嵐が[[赤城]]・[[加賀]]・[[蒼龍]]被弾炎上の惨劇を招いたのではないかという説がある。
アメリカ側の証言や記録によると、潜水艦を追跡・攻撃した嵐が艦隊に戻るところを米艦爆隊が発見、嵐を追跡したら南雲艦隊を発見、攻撃したというのである。つまり嵐の分離行動がなければ、米艦爆隊は南雲艦隊を発見できなかったかもしれないのだ。
ただし嵐の乗組員たちは、そのような事実はないと否定している。日本側の記録ではこの潜水艦「ノーチラス」を攻撃したのは午前6時10分から30分にかけてで、空襲前の午前7時(爆撃は7時20分以降)には旗艦赤城の直衛に復帰していたという。
-被弾炎上した赤城は自力航行が不能となり、艦長は総員退去を命じて自沈処分の要請をする。
しかし、機動部隊のはるか後方にいる連合艦隊旗艦大和の山本五十六司令長官から「処分待て」の命令が届き、嵐以下の第四駆逐隊は乗員がいなくなった赤城をしばらく警戒して回る。
--この間、有賀司令は赤城の航海長や飛行長と共に赤城艦長・青木泰二郎大佐を説得して嵐に移乗させた。
しかし青木大佐は帰還後予備役編入・即日招集の措置で閑職を転々とすることになる。((四空母の艦長で生還したのは、赤城の青木のみである。余談だが、終戦時に朝鮮半島元山で航空隊司令を務めていた青木は飛行機で脱出してソ連軍の捕虜になることを免れており、この行動が敵前逃亡ではないかと非難する声もあるという。))
有賀司令はこのときのことを悔やみ、「俺は『赤城』と運命を共にしたいという青木さんをむりやり『嵐』にお連れした。しかし青木さんは同期の人たちから『おめおめ生き残るなど、貴様はクラスの面汚しだ』と罵られ、盃を投げつけられたり、酒をぶっかけられたりしたそうだ。俺は青木さんの顔に泥を塗ってしまった。しかしお詫びのしようもないのだ」と長男に話したという。
そして後に、有賀は大和艦長となり、沈む艦と運命を共にするのである。
--赤城の処分を躊躇っていた山本司令長官だったが、飛龍の被弾炎上、新たな米空母の発見情報((飛龍が米空母ヨークタウンを二度攻撃したのを空母2隻撃破と誤認し、残る米空母は1隻と判断して夜戦を挑もうとしたところに、米空母2隻(4隻と誤認したという)発見。))により、夜戦の見込みがなくなったことで作戦中止を決定。そして赤城の処分も命令した。
第四駆逐隊の4隻は魚雷を1本ずつ発射し、そのうち2~3本が命中した赤城は6月6日の日の出直前に沈没した。
-なおこの時、救助されていた米軍のパイロットが嵐の艦内で殺害される事件が起きている。
赤城から救助された心身ぼろぼろの乗員が溢れかえる無残な光景に激昂した一人の水兵が、独断で捕虜を連れ出して、夜陰に紛れて刀で斬殺、海に投棄したという。
戦後GHQからこの事件を追及されるが、有賀司令も渡辺保正艦長もすでに戦死し、先任将校で捕虜管理責任者の松浦勉砲術長も戦後まもなく自決してしまっていた。
ここで元水雷長の谷川清澄大尉(嵐乗員の生き残りで最先任の将校)は「生存者から戦犯を出したくありませんので、どうぞお許しください」と心の中で詫びながら、GHQの三年に渡る厳重な尋問に対して「捕虜殺害命令を出したのは司令と艦長と砲術長」だと言い張り、犯人の氏名を最後まで明かさなかった。
「この件にたいして、有賀司令、渡辺艦長、松浦先任将校に責任は全くない」と谷川は語っている。
-第四駆逐隊が救助した赤城や加賀の生存者たちは、狭い駆逐艦の艦内に収まり切れず甲板上で吹きさらしになっていた。
それを見かねた有賀司令は「重傷患者を含む二千名が波しぶきに濡れている。人道問題なり。見るに忍びぬ。一刻も早く収容されんことを望む」と連合艦隊司令部に宛てて手旗信号を送らせ、戦艦[[陸奥]]に(舞風と萩風が収容していた加賀乗組員は[[長門]]に)移乗が行われた(嵐と野分から赤城乗組員が移乗したのは[[榛名]]だという説もある)。
-ガダルカナル島攻防戦が始まるのと前後して、ニューギニア東部ミルン湾ラビに連合軍の飛行場が見つかり、海軍はここがラバウル基地攻撃の拠点になることを恐れて攻略に動く。((ラバウルの海軍航空隊も、このラビを空襲するために出撃準備中だったところに、ガダルカナル島米軍上陸の報が入り、攻撃目標をガ島に急きょ変更している。ガ島への対応は、第八艦隊も基地航空隊も良くいえば臨機応変、悪く言えば泥縄的なものだった。))
嵐は第十八戦隊([[天龍]]・[[龍田]])の指揮下に入ってラビ攻略作戦に参加する。
しかし上陸した海軍陸戦隊は連合軍の反撃で壊滅状態に陥り、陸軍部隊を増援しようとしたが、同時進行のガダルカナル島攻防戦の影響で十分には増援できず、戦況は悪化の一途をたどり、ついに海軍は撤退を決定。
嵐は撤収作業に従事する傍ら、龍田と共にミルン湾に突入。貨物船1隻を撃沈するが、陸戦隊は収容漏れが出てしまった。
攻略作戦は完全に失敗、ガダルカナルと二兎(さらにポートモレスビー陸路攻略も含めて三方面)を追うことをやっていたのだから当然と言えば当然の結果である。((宇垣纏連合艦隊参謀長は「ガダルカナルの問題も解決していないのに軽率だ」とラビに手を出した第八艦隊司令部の対応を非難しているが、何をか云わんやである。))
--余談だが、ゲームにおいて一人称が「俺」である嵐の口調は、どことなく天龍を思わせるものがある。
-一方、ガダルカナル島の戦況も悪化し、駆逐艦による[[ドラム缶輸送>ドラム缶(輸送用)]]が行われることになった。
嵐は、第二次の輸送作戦から参加するが、米軍の妨害によりドラム缶の輸送はなかなか上手くいかなかった。そして第四駆逐隊((萩風がすでに、ガダルカナル島攻防戦序盤の輸送作戦中に損傷して戦線離脱していた。))にも、次々と災厄が降りかかる。
--第三次輸送作戦では、野分が空襲で機関室浸水を起こして航行不能となり、嵐も小破。長波に曳航される野分を護衛して嵐もショートランド泊地に引き返した。
その後舞風が野分の曳航を引き継ぎ、嵐も一緒にトラック泊地に帰還。そして応急修理を行う野分を残し、嵐は再び最前線へと戻る。
これが開戦時から同じ小隊でコンビを組んできた野分との、決別となってしまった。
--第四次輸送作戦では、第二水雷戦隊旗艦[[照月]]が魚雷艇の雷撃で航行不能となり自沈。嵐は照月乗組員救助にあたったが、駆逐隊司令と艦長は移乗できずにガダルカナル島へ流れつくことになった。
--第五次輸送作戦では、[[初風]]が魚雷艇の攻撃で大破。嵐と[[江風]]、[[時津風]]が護衛してショートランド泊地への回航に成功し、照月の二の舞は辛うじて避けられた。
--第六次輸送作戦では、とうとう嵐自身が空襲で航行不能に陥り、舞風の曳航でショートランドへと帰還した。
---この時、最初に曳航を申し出たのは十五駆の[[黒潮]]だったが、有賀司令が「ご厚意を深謝す。我が隊に曳かせる」と返信し、同じ四駆の舞風に救援を命じたことに、黒潮の砲術長は「その責任感と指揮ぶりに深い感動を覚えた」と回想している。((戦後、海上自衛隊自衛艦隊司令官になった本村哲郎大尉が、嵐の水雷長だった谷川清澄大尉に宛てた手紙より。谷川大尉も海上自衛隊の草創期から関わり、佐世保総監になっている。))
--損傷した嵐は応急修理の後、最前線の増援部隊ではその任に耐えられないとして、後方支援の空母隼鷹の護衛に移った。有賀司令は舞風に移乗してガダルカナル撤退作戦に参加し、第二次撤退作戦ではその舞風が損傷して航行不能に陥り、第四駆逐隊は全ての艦が長期修理を必要となってしまった。
-この一連のガダルカナル攻防戦は、駆逐艦に多大な負担と犠牲を強いたため、多くの司令や艦長は出撃回数が増えることを次第に嫌がるようになった。
しかし「有賀司令と[[叢雲]]艦長の東日出夫少佐はイヤな顔を少しもせず『おお行こう』と出かけていった」「元気のない艦長は、スクリューと艦体の接点にある軸受け部品が摩耗したので『交換しないといけません』と出撃を拒否したが、有賀司令の隊のフネは、軸受の部品(リグナイバイダー)が絶対に減らなかった」と嵐の二代目水雷長田中大尉と三代目水雷長谷川大尉が回想している。
しかしその奮闘の代償なのか、有賀司令の少ない頭髪は撤退作戦の頃にはすっかり白くなってしまったという。
-ガ島撤退作戦終了後、嵐は日本へと帰国して本格的な修理に入った。同時に有賀司令も後任の杉浦嘉十司令((重巡羽黒最後の艦長である。羽黒の沈没により戦死し、中将に進級している。))と交代している。
-戦線復帰した嵐は、今度はブイン基地への輸送任務に就くが、水上機母艦[[日進]]が空襲で沈没し、その救助に当たっている。&color(Silver){僚艦の萩風にとっては、ミッドウェーの加賀と合わせてこれが痛恨の記憶となっているようだ。};
-その後、嵐はソロモン方面の増援輸送作戦を取り仕切る第三水雷戦隊旗艦[[川内]]の指揮下に入り、ブイン基地やコロンバンガラ島への輸送作戦に就き、ついに運命の時を迎えることとなった。
-1943年8月6日夜、コロンバンガラ島への輸送任務中に米駆逐艦6隻の襲撃を受け、先制雷撃で江風が撃沈、さらに砲撃で嵐と萩風も立て続けに撃沈された。生き残ったのは[[時雨]]1隻のみであった。
--嵐は弾火薬庫に引火して大爆発を起こし、溶けた鉄片が流星の雨のように飛び散るのを時雨が目撃している。また28マイルも離れた米魚雷艇隊乗員も嵐の大爆発の火焔を目撃し、コロンバンガラ島の火山の噴火かと思ったという。
被弾炎上しつつあった萩風は嵐の爆発により一層くっきりと照らし出される格好となり、集中砲火の末、嵐沈没のの8分後に枕を並べて沈みゆくこととなった。
付近には多くの生存者が浮かんでおり米駆逐艦たちは30分間現場にとどまり救助を試みたものの、誰一人として応じる者はなく、英語が聞こえると必ず誰かが笛を吹いて泳ぎ去ったという。
--嵐では乗員のうち178名、相乗りしていた陸兵も多数が犠牲になった。駆逐隊司令の杉浦大佐と艦長の杉岡中佐は共にベララベラ島へ泳いで向かったが、杉岡中佐はあと一歩のところで力尽き、沈んでいったという。
--この惨事は、「東京急行」撃破のためバーク中佐が考案した波状攻撃作戦を、同期で後任のムースブラッガー中佐が引き継ぎ、天候不良の中、レーダーを駆使して完璧な奇襲を実現したことによる。
---しかしそれ以前の問題として、輸送隊は米軍偵察機によって日中に発見されており、その動向は米軍に筒抜けであった。
しかもコロンバンガラ島への輸送は何度も繰り返していて、日本側に危機感はあったものの、水上機による偵察が前述の天候不良で中止された不運もあり、米軍の動向についての事前情報はほとんどゼロに等しかった。
これだけの格差があっては、レーダーどころか情報戦の時点で、日本は負けるべくして負けた戦いといえる。
&br;
-「嵐」の艦名は初代でかつ、戦後も継承が無いため今のところ一代限りである。
-Google画像検索で他の艦名が艦娘の絵で占領される中、「嵐」はジャニーズ事務所に所属する同名のアイドルグループがあまりに有力すぎるためか''ほとんど侵食されていない。((そのグループのメンバーが[[この>C.Cappellini]][[人>伊503]]のドラマに出演してたりはする))''
--艦娘による侵食が少ない艦としては、他に[[綾波]](EVA0号機の某パイロットが有名)が挙げられる。
*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
#ls(./)
}}
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