|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.085|
|&attachref(./085_2nd.jpg,nolink,駆逐艦、朝潮です。勝負ならいつでも受けて立つ覚悟です。);|>|朝潮(あさしお)|>|朝潮型 1番艦 駆逐艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|16|~火力|10 / 29|
|~|~装甲| 6 / 19|~雷装|24 / 79|
|~|~回避|43 / 79|~対空|12 / 39|
|~|~搭載|0|~対潜|21 / 49|
|~|~速力|高速|~索敵| 5 / 19|
|~|~射程|短|~運|12 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|15|~弾薬|20|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[12.7cm連装砲]]|
|~|>|>|>|[[61cm四連装魚雷]]|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''朝潮'' → [[朝潮改]](Lv20) → [[朝潮改二]](Lv70) &color(Red){''⇔''};((資材の消費だけで、改二と改二丁をいつでも変更可能)) [[朝潮改二丁]](Lv85)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:朝潮型駆逐艦のネームシップ、朝潮よ。&br;バランスのとれた量産型駆逐艦として建造され、戦線を支えたの。&br;私の進化改良型が陽炎型になるわね。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:宮川若菜、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:宮川若菜、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>朝潮/定型ボイス]])
#table_edit(朝潮/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>朝潮/時報ボイス]])
#table_edit(朝潮/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>朝潮/季節ボイス]])
#table_edit(朝潮/季節ボイス)
~
}}
* ゲームにおいて [#about]
-朝潮型駆逐艦のネームシップ。能力は平均的な駆逐艦だが、吹雪型などのいわゆる特型駆逐艦よりも後に造られたモデルのため、装備が一段階強化されている。
-2013年10月23日のアップデートでボイスが一部追加、更に2018年8月1日のアップデートでは時報ボイスが追加された。
これらの追加ボイスをしゃべるようになるのは改になってからなのでご注意。
-2014年1月15日のアップデートで任務『[[「第八駆逐隊」を編成せよ!>任務#id-A31]]』、『[[「第八駆逐隊」出撃せよ!>任務#id-B20]]』が追加された。他に必要な艦は「[[満潮]]」「[[大潮]]」「[[荒潮]]」の3艦。
-2014年10月24日のアップデートで、長らく修正されていなかったダメージ時のグラフィック不具合が修正された。
-ドロップや建造で入手可能。
--周回しやすい序盤の海域では1-1、1-2のボスマスS勝利でドロップする。
---1-5、2-1のボスマスでもドロップするが、前者はA、B勝利、後者はB勝利のみとなっている。
---やや難度が高くなるが、2-4であれば全マスS、A勝利でドロップ(MマスのみB勝利でもドロップ)するため、他の掘りと並行して狙うのも手。道中でもS勝利であれば比較的ドロップ率は高い。
--建造で狙うのであれば、最低値でも建造可能。
//-ネームシップ駆逐艦の例に漏れず、ドロップ率はやや低目となっている。
//周回しやすい序盤海域のうち、1-1はボスS勝利限定かつ低確率、2-2や2-3ではドロップしないため、始めたばかりの提督諸氏にとってはとりわけ見つけにくい。
//幸い3-2-1でドロップが確認されている。北方海域を開放するか、それも待てないなら最低値の建造を繰り返すかしよう。
//第一期の情報のためCO
-近代化改修の素材にした場合、朝潮型以降の駆逐艦は雷装+1に加え装甲+1もついてくるのだが、この朝潮だけはなぜか装甲がプラスされない。
臨機調事件(小ネタ参照)を踏まえてのことだろうか。
代わりといってはなんだが、ネームシップ補正の火力+1はついてくる。
-朝潮型の面々、というか駆逐艦の大半は、スポーツブラではなくジュニアブラである。''スポーツブラではなくジュニアブラである。''大事なことなので(ry
ブラではなくインナーキャミソールの娘もおそらく居る。&color(Silver){確認は各自でお願いします。};
-その実直さを買われてか島風主役のコミカライズ「つむじ風の少女」では、島風に「優等生」と揶揄され彼女と激突しつつ成長するメインヒロイン枠として抜擢されている。
-2022/08/27開始の22夏イベで同じ佐世保海軍工廠で建造された[[夏雲]]が実装され朝潮型が全て実装された。
**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2018年10月30日のオンメンテで、期間限定グラフィック【ハロウィンmode】が実装された。
--何気に初の限定グラフィックであるが、いきなり「無印及び改」「改二」「改二丁」の''3バージョンの差分がある''豪華仕様となっている。
--マスト型の杖を携えた魔女コスプレ。ちょっと緊張気味である。
-
#fold(限定イラスト:ハロウィンmode){{
限定イラスト:ハロウィンmode
&attachref(./085_Autumn.jpg,nolink,し、司令官っ! トリック、オア、トリートッ!);
//中破絵は無しで
}}
*小ネタ [#trivia]
#fold(朝潮型一覧 &color(gray){自慢の妹たちです!};){{
朝潮型一覧
|CENTER:50|CENTER:50|CENTER:100|CENTER:100|CENTER:|CENTER:100|CENTER:|CENTER:100|CENTER:100|CENTER:|CENTER:100|CENTER:|c
|&nobr{艦番号};|艦 名|建造所|進水日|順|就役日|順|所属隊&br;(開戦時)|戦没日|順|艦これ実装|順|h
|1|朝潮|佐世保工廠|1936.12.16|1|1937.8.31|1|2水戦・8駆|1943.3.3|4|2013. 4.23|1|
|2|[[大潮]]|舞鶴工廠|1937.4.19|3|1937.10.31|2|2水戦・8駆|1943.2.20|3|2013. 4.23|1|
|3|[[満潮]]|&nobr{藤永田造船所};|1937.3.15|2|1937.10.31|3|2水戦・8駆|1944.10.25|7|2013.4.23|1|
|4|[[荒潮]]|&nobr{神戸川崎造船所};|1937.12.20|10|1937.12.20|4|2水戦・8駆|1943.3.3|4|2013. 4.23|1|
|5|[[朝雲]]|&nobr{神戸川崎造船所};|1937.11.5|7|1938.3.31|5|4水戦・9駆|1944.10.25|7|2014.11.14|7|
|6|[[山雲]]|藤永田造船所|1937.7.24|5|1938.1.15|5|4水戦・9駆|1944.10.25|7|2014.12.26|8|
|7|[[夏雲]]|佐世保工廠|1937.5.26|4|1938.2.10|6|4水戦・9駆|1942.10.12|2|2022.8.26|10|
| 8|[[峯雲]]|藤永田造船所|1937.11.4|6|1938.4.30|8|4水戦・9駆|1943.3.5|6|2018.12.27|9|
| 9|[[霞]]|浦賀船渠|1937.11.18|9|1939.6.28|10|2水戦・18駆|1945.4.7|10|2013. 4.23|1|
|10|[[霰]]|舞鶴工廠|1937.11.16|8|1939.4.15|9|2水戦・18駆|1942.7.5|1|2013. 4.23|1|
}}
#fold(艤装員長・駆逐艦長){{
艤装員長・駆逐艦長
//|CENTER:BGCOLOR(#99ffff):55|CENTER:BGCOLOR(#99ffff):210|CENTER:BGCOLOR(#99ffff):570|c
|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):55|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):210|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):570|c
||艦長氏名(期・本籍)&br;配属期間|他の経歴・小ネタ|
//|CENTER:BGCOLOR(#99ffff):55|CENTER:BGCOLOR(#ccffff):210|BGCOLOR(#ccffff):570|c
|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):55|CENTER:210|570|c
|&nobr{艤装員長 };&br;初代|成田茂一 中佐(43・青森) &br;&nobr{1936.12.16~37.8.1(艤装員長)};&br;1937.8.1~37.12.1(艦長)|灘風、澤風、沖風、[[潮]]艦長を歴任。のち、[[神通]]副長、[[大井]]艦長。42年11月に死去し少将。|
|第2代|脇田喜一郎 少佐(48・鹿児島)&br; 1937.12.1~38.12.15|夕月兼[[望月]]艦長、[[村雨]]艤装員長・初代艦長を歴任。在任中[[荒潮]]・[[大潮]]艦長職も一時兼務し中佐昇進。[[吹雪]]、[[朝雲]]、[[雪風]]艦長を歴任。[[第1駆逐隊>神風]]、[[第21駆逐隊>若葉]]の司令ののち、[[第41駆逐隊>冬月]]司令として当初冬月に座乗したが同艦損傷のため移乗した霜月戦没時に戦死。少将特進。|
|第3代|横井稔 少佐(49・高知)&br;1938.12.15~39.5.20|帆風、[[朝風]]、[[時雨]]の艦長を歴任。続きは第5代へ。|
|第4代&br;(兼)|飛田健二郎 少佐(50・鹿児島)&br;1939.5.20~39.10.15|本務は[[大潮]]艦長。朝潮2代艦長が後に艦長となる[[雪風]]の開戦時艦長。ほか、[[望月]]、疾風、[[海風]]艦長。雪風艦長ののち鹿児島航空隊教官、同副長・教頭、同司令、福岡航空隊司令。|
|第5代|横井稔 少佐/中佐(49・高知)&br;1939.10.15~40.10.15|[[江風]]艦長を経て再び朝潮艦長となる。中佐に昇進し開戦時は[[陽炎]]艦長となる。真珠湾攻撃ののち別府海軍病院に入院し死去。|
|第6代|藤田勇 少佐/中佐(50・静岡)&br;1940.10.15~41.9.10|夕月、矢風、[[夕暮]]艦長を経て朝潮艦長。中佐に昇進し[[巻雲]]艤装員長・初代かつ最期の艦長。救出され第14戦隊先任参謀。乗艦[[那珂]]の被弾時に戦死。大佐特進。|
|第7代|吉井五郎 少佐/中佐(50・高知)&br;1941.9.10~43.3.3戦没|早苗、呉竹、夕風、[[有明]]、[[若葉]]艦長を経て開戦時から戦没まで、その艦歴は彼とともにあった。1943年3月3日ダンピール海峡にて8駆司令佐藤康夫大佐と共に戦死(佐藤は中将特進)。大佐特進。|
}}
-ロンドン海軍軍縮条約の中で建造された中型駆逐艦の[[初春型>初春]]、[[白露型>白露]]は、排水量を制限値よりこっそりオーバーさせても海軍の性能要求を満たさない性能だった。
そこで軍縮条約破棄に合わせ、より高性能な駆逐艦獲得を目的とし朝潮型は開発された。
第四艦隊事件や友鶴事件での改善工事を受けた[[特型>吹雪]]と同等の排水量を持つ。
条約破棄に合わせて特型駆逐艦の最新モデルの開発に移行した、とでも言うべき仕様。
-砲の兵装配置を特型、魚雷発射管を[[白露]]型から継承しており、後継艦の[[陽炎]]型共々新世代の帝国海軍駆逐艦の雛形となった。
地味ながら電源が交流に変更されている。これにより電気設備の省スペース化と陸上施設から直接電力供給を受けることが可能になった。
-設計ベースを特型に差し戻しただけあって十分な性能を備えていたのだが、当の水雷屋は設計時の航続距離等に不満があったらしく、
朝潮が竣工した1937年に陽炎型の開発を決定。贅沢ってレベルじゃねーぞ……。
ちなみにその際の建艦計画(通称マル三計画)での建造予定には大和型も入っていたりする。と言うかメインは[[大和]]と[[武蔵]]の建造。
--航続距離延伸は、想定決戦海面が小笠原沖からマーシャル・ミクロネシアへ遠くなったという戦略的要求によるものである。
--実際のところは公試で設計値を遥かに上回る、後の陽炎型に匹敵する数値を叩きだした。実際第十八駆逐隊は朝潮型(霰、霞)・陽炎型(陽炎、不知火)の混成運用となっている。
-朝潮は竣工からわずか4ヶ月で蒸気タービンの翼が破損している事が発覚、姉妹艦にもやはり破損が見られた。
当初タービン翼車の共振説が原因として挙げられ、他の艦にも同様の問題があると思われ、海軍全体での大調査となった(臨機調事件)。
--もし原因が翼車共振ならば、是正のためには日本海軍全艦艇のタービンを改良する必要があり(必要費用は4,000万円。現在の貨幣価値で1,200億円にのぼる)、さらにタービン改良のために既存艦を順次入渠させると、今度は艦船の建造を暫く止める必要があるため、本当に大問題である。
そのため海軍も慎重になり、試しに[[日向]]、[[最上]]、[[吹雪]]、[[初春]]などで長期間の耐久試験を行ってみたところ、それらには全く問題がなかった。
結局朝潮型で採用された新設計タービン固有の問題であることが明らかになり、姉妹揃ってのタービン改造で済んだ。
---その後、戦時中まで朝潮型のタービン翼切損事故の調査は続けられ、1943年になってようやくタービン翼の2節振動が原因と結論づけられたのであった。
---この事件の影響で、当時製造が行われていた大和型のタービンも耐久性を重く見た改設計が行われ、やや燃費が悪くなっている。
--この他にも舵の問題で旋回半径が妙に広かった(後の改装で是正)など、足回りに不調が多い艦型だった。
---足回りの不調は陽炎型でも残り、最終的に朝潮型の系譜の集大成である[[夕雲型>夕雲]]で全面的な解決に至る事となった。
-1942年2月には、バリ島攻略に伴って発生したバリ島沖海戦に参加。優勢な敵に対して果敢に反撃し、撃退に成功している。
--バリ島攻略に参加したのは、朝潮、[[大潮]]、[[満潮]]、[[荒潮]]と輸送船2隻。「空襲が懸念されるため、揚陸完了後は直ちに避退すべし」と言われていたが、
1隻の揚陸作業が長引いたため、やむなく作業が完了した輸送船1隻と満潮、荒潮は先に避退し、朝潮と大潮は作業完了まで残ることになった。
--そこに、バリ島に日本艦隊発見の報を聞き、オランダとアメリカの共同艦隊が攻撃を仕掛けてきた。
総兵力は軽巡3隻(すべてオランダ海軍)、駆逐艦7隻(1隻のみオランダ海軍)という大所帯だったのだが、
軽巡2隻、駆逐艦3隻、軽巡と駆逐艦4隻という逐次投入をした上、最初の軽巡2隻は一撃をかけたあと戦域から急速離脱してしまったため、朝潮と大潮は劣勢にもかかわらず健闘することができた。
--とはいえ、第三波の軽巡と駆逐艦の戦隊はそれなりに連携が取れていたために苦しめられ、じり貧になっていったのだが、
先に避退していたはずの満潮、荒潮が救援に来てくれたため、なんとか持ち直して敵艦隊の撃退に成功した。
---ただし、救援に来たはずの満潮がアメリカ海軍の旧式駆逐艦2隻にボコられ、さらにその後にB-17にボコられ結果的に大破したのは秘密。
--同海戦での戦功により、第八駆逐隊には連合艦隊司令長官山本五十六より武勲顕著の感状が授与された。水雷戦隊に対するものとしては開戦後初の感状だったという。
さらにこの功績は天皇の上聞に達し、3月には両陛下から侍従武官を派遣の上、恩賜の煙草が下賜されている。
-1942年6月、ミッドウェー海戦では荒潮と共に衝突した最上と三隈の護衛に就く。撤退中に三隈が空襲で大破したため生存者の収容などを行っている。
-1943年3月、朝潮は第八駆逐隊司令艦として水雷戦の猛将・佐藤康夫司令が座乗。ラエ方面への輸送作戦である[[八十一号作戦>雑学#No81]]での護衛が、朝潮の、佐藤司令の最期の奉公となった。
同作戦のあまりに高い危険性は出撃前から船団中に知れ渡っており((輸送船団では任務逃れの仮病ではなく本当に発狂する者が出ていた。))、輸送船の一隻として参加する給炭艦野島の艦長松本亀太郎大佐は「脚の遅い野島は必ず犠牲になります。骨は拾ってください」と旧知の仲の佐藤司令に対して語った。
-大型高速の優秀船はこれより前のガダルカナル輸送作戦で多数を消耗し、本作戦参加船は比較的小型・鈍足の船が多かった。野島もまた大正時代竣工の鈍足老朽艦であり、助かる見込みは無きに等しかったのである。
それに対し佐藤司令は「私の朝潮が護衛する限り、決して見殺しにはせん。野島の乗員は必ず拾いにゆく」「やられたらお互い必ず救ける」と固く約束を交わしたのだった。
--はたして3月3日、輸送船団は護衛艦艇ともども連合軍の新戦法である反跳爆撃(低高度で爆弾を投下し、水切りの要領で海面上を滑らせ命中率を上げる方法)の前に為す術なくズタズタにされたが、
朝潮は奮戦のすえに爆撃を回避しきることに成功し、生き残った。
船団が壊滅状態に陥る中、瀕死の旗艦[[白雪]]から木村昌福司令官らを託され指揮を執る[[敷波]]は、敵機再来襲の情報を受け「救助作業中止、全艦一時避退セヨ」と命令を発した。
だが朝潮は先の約束を守り''「ワレ野島艦長トノ約束アリ、野島救援ノ後避退ス」''と具申、
炎上漂流状態の野島と妹の[[荒潮]]のもとへ向かい、両艦の生存者救出を敢行した。
しかし救助作業を終えた直後、敵機は再び来襲。付近で唯一無事だった朝潮は集中攻撃の的となってしまい、
速力が上がりきらないまま荒潮の目の前で被弾。総員退艦命令が出されるも、弾薬庫爆発後数分にして撃沈された。
---単艦救助に向かった経緯は、木村司令官による具申承諾((佐藤司令の要請を承認し、朝潮は単艦で野島の救助に向かった旨が「戦場の将器 木村昌福 連合艦隊・名指揮官の生涯」「戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収後」に記されている。))が真相のようである。
--松本大佐はその後潜水艦「呂101」に救助され生還。その後も無事大戦を生き残り、1972年までご存命であった。
-抑も八十一号作戦自体、敵制空権下を昼間強行突破させるという無謀で杜撰な作戦であった。
護衛を担当する第三水雷戦隊の参謀は「敵空軍のため全滅のおそれがある、中止したほうがよい」と申し入れたが
それに対し、作戦発案者の第八艦隊参謀神重徳大佐は''「これは命令である、全滅覚悟でやってもらいたい」''と言い放って作戦を強行させた。
その結果が輸送船8隻全滅、駆逐艦4隻沈没。犠牲者は護衛の駆逐艦乗員を除いた陸軍将兵及び船員だけでも4,543名にも達し、
更に現地部隊の待ちわびた火砲41門、自動車89両、物資2,500トンのすべても喪失。
神大佐の大穴博打癖で立案された作戦の代償は、あまりに高く付いた。
--「ビスマルク海海戦」はアメリカ側の呼称である。一方的にやられただけの日本側は正式名称をつけておらず、一般に''「ダンピールの悲劇」''と呼ばれている。
-約束通り救助された松本大佐は生還した。しかし佐藤司令は周囲の退艦を勧める声に「俺はもう疲れたよ、このへんでゆっくり休ませてもらうよ」と寂しく笑い、
前甲板に腰を下ろすと、空を見上げながら悠然とタバコを吸いつつ、[[朝潮]]と運命を共にした。
--この時、三水戦司令官として指揮を執っていた木村昌福少将は、佐藤司令の振る舞いに感銘を受けるとともにその戦死に大きな責任を感じ、横須賀鎮守府司令長官の古賀峰一大将(後の連合艦隊司令長官)に佐藤の二階級特進を願う上申書への口添えを懇請した。
その甲斐があったのか、佐藤康夫大佐は中将に特進することとなり、その知らせを聞いた木村少将は「佐藤康夫君二段進級ノコトトナルト由欣懐々々」と喜びのメモを残している。
太平洋戦争時の日本海軍で、大佐から中将への二階級特進を果たしたのは、佐藤を含めて5名だけであった。
---佐藤の他に中将へ二階級特進した海軍大佐は、大和沈没時の艦長・有賀幸作、長良沈没時の艦長・中原義一郎、米西海岸通商破壊や特殊潜航艇シドニー攻撃に参加した第三十四潜水隊司令・松村寛治、ニューギニア島ブナで玉砕した陸戦隊指揮官・安田義達の4名。軍人は戦死すれば二階級特進というイメージがあるが、尉官クラスならまだしも佐官・将官クラスともなると、二階級どころか一階級ですら無条件に特進というわけではなく、艦隊司令長官の中将が戦死しても大将に進級できなかった例((中将に進級してから二年未満での戦死が大将昇進の条件を満たさなかったとされる第一航空艦隊司令長官・角田覚治中将、玉音放送後に部下を引率して特攻を行ったことが問題視された第五航空艦隊司令長官・宇垣纏中将は戦死後も大将にはなれなかった。また西村艦隊でお馴染みの第二戦隊司令官・西村祥治中将も大将に昇進はしていない。))もあったりする。この特例中の特例によってこそ、佐藤司令の生前の武勲や貢献が評価されたとは言えるだろう。
-朝潮と荒潮の戦没により、第八駆逐隊は修理中の[[満潮]]を残し全滅、解隊。またネームシップ喪失にともない、朝潮型駆逐艦は満潮型駆逐艦と改名された。
-ダンピールの悲劇があったのち、現地の陸海軍将兵の間では、次のような歌がひそかに歌われていたという。
--''森の繁みに 月影淡く ''
''どこで鳴くのか 虫の声''
''砲音(つつおと)絶えて ひとときは ''
''瞼に浮かぶ 亡き戦友(とも)の顔''
''恨みは深し ダンピール''
~
-ちなみに、朝潮の名は海上自衛隊の潜水艦に受け継がれており、白雲型駆逐艦「朝潮」と本艦、あさしお型潜水艦「あさしお(SS-562)」、「はるしお」型潜水艦7番艦「あさしお(SS-589/TSS-3601)」と通算4代に達するが、すべて退役している。
--意外と知られていないことだが、4代目「あさしお(SS-589現TSS-3601)」は、先進潜水艦としてのテストベッドを務めていた。各種自動化・遠隔操作システム・ソーナードームの材質変更等があるが、特質すべきはAIPシステムとしてスターリングエンジンを搭載、各種試験を行ったことである。
---このスターリングエンジンはスウェーデン「[[ゴトランド>Gotland]]」級潜水艦に搭載されたモデルを、日本が試験用に輸入し搭載したものである。このあさしおによる運用試験により有効性が認められたので、後に16SS(そうりゅう)から、スターリングエンジンが標準搭載された。
そうりゅうとあさしおはまさに、[[島風]]と[[天津風]]のような存在なのであった。
(なので正確には、そうりゅうは海上自衛隊で初のスターリングエンジンを搭載した実用潜水艦であって、スターリングエンジン自体を初めて搭載したのはあさしおと言う事になる。)
ちなみに、あさしおは上記のシステム等(特にAIPシステム)を搭載するために艦尾を9m延長し、基準排水量が増加した。その結果全長87m・基準排水量2,900t・満載排水量3,700tになり、全長のみで比較するとそうりゅう型(全長84m)をわずかに上回り海上自衛隊では最大の大きさを誇る。(基準排水量は同等、満載排水量は500t下回る。)しかし、船舶は普通基準排水量か全長で比較されるのでそうりゅう型と同等かそれ以上となる。
---この4代目「あさしお」は三菱重工神戸造船所にて建造中、進水前の船台上で阪神淡路大震災に遭遇している。それが影響したのかどうかは定かではないが、就役後僅か3年で練習潜水艦籍に編入され、以降、2017年2月27日の退役まで、上述のテストベッドを兼ねた練習艦として運用されていた。
--「あさしお(III)」「あらしお(II)」「おおしお(II)」「みちしお(II)」(※数字は初代駆逐艦からの通算)の4隻がすべて現役という、''潜水艦に転生した''かつての八駆メンバーが全員揃っていた時期があった(1964~1981)。
-日本海側を結ぶ列車に「あさしお」があった。
--初代(1964~1968)はディーゼル急行で、宮津線経由で金沢~出雲市を走っていた。
--二代目(1972~1996)はディーゼル特急で、京都~東舞鶴・城崎、鳥取(倉吉・米子)を運行されていた。
ルートが多様なことで有名だったが、電化により列車名が行先別に分けられて廃止された。
*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
#ls(./)
}}
#pcomment(./コメント3,reply,15)