|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.170|
|&attachref(./170_2nd.jpg,nolink,私の兵装に、何か?);|>|浜風(はまかぜ)|>|陽炎型 13番艦 駆逐艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|16|~火力|10 / 29|
|~|~装甲|6 / 19|~雷装|24 / 69|
|~|~回避|44 / 79|~対空|13 / 42|
|~|~搭載|0|~対潜|24 / 49|
|~|~速力|高速|~索敵|6 / 19|
|~|~射程|短|~運|15 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|15|~弾薬|20|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[12.7cm連装砲]]|
|~|>|>|>|[[九四式爆雷投射機]]|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''浜風'' → [[浜風改]](Lv30) → [[浜風乙改]](Lv67+高速建造材x10+開発資材x40)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:浜風です。数々の激戦に参加しました。&br;レイテでは金剛を中心とした輪形陣。そして、武蔵や金剛、あの信濃の最期もこの目に焼き付けることになりました。&br;運命の坊ノ岬では、雪風らと共に大和を護って奮闘します。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:小松真奈、イラストレーター:パセリ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:小松真奈、イラストレーター:パセリ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>浜風/定型ボイス]])
#table_edit(浜風/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>浜風/時報ボイス]])
#table_edit(浜風/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>浜風/季節ボイス]])
#table_edit(浜風/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#game]
-2014年3月28日のアップデートにて実装された。第17駆逐隊初期編成艦として初の実装艦。後に順に[[谷風]](14年春イベ)、[[浦風]](14年5月)、[[磯風]](14年夏イベ)が順次実装されている。
//-出現海域として南西諸島海域~西方海域の一部マップと南方海域全域と公式でアナウンスされている。
//--現在確認されている海域は''1-6、2-2、2-4((ただし2-4は2014/04/01現在報告1件のみ。))、2-5((2-5では道中でのドロップも確認されている。))、3-3、3-5、4-4、5-全てのボスマス、6-2''。
//---掘るなら周回が楽な2-2や5-2や5-4が良いだろう。
//--建造での出現は告知もなく、出現報告もされていない。
//2期への移行に伴い、ドロップ情報をコメントアウト
-初期装備で[[爆雷>九四式爆雷投射機]]を装備している珍しい艦。
--改造後に一応[[電探>22号対水上電探]]を持ってくる。
-対空・対潜が高めでかつ穴の小さいバランスの良いステータスを持つ。
--護衛艦として何度も対空戦を経験したことから対空の最大値が高く[[島風]]・[[雪風]]とほぼ同等。代わりに火力が若干低い。
--対潜は[[初風]]、[[舞風]]、[[秋雲]]とほぼ同じ。駆逐艦としては高めだが[[夕雲]]型には届かない。
-激戦を何度も生き延び、加えて運を天に任せて危険な救助を成功させた(小ネタ参照)という逸話から運が高め。
-改造可能レベルが30と高めなので注意。
**キャラクター設定について [#h09df3a0]
-例のアレが[[潮]]と違いそのまま目に見える通りでかい。
--&color(silver){背中の装備品のベルトが谷間に食い込ませるようなグラフィックとなっている。これはいわゆる「パイスラ」(おっぱいスラッシュ)と呼ばれており、ベルトで食いこませて胸の谷間を深く見せることで、上着からでも胸のふくらみを強調する効果がある。特に胸の大きな女性で効果があり、「パイスラ」で画像検索するとわんさか実例が出てくる。};
--そのこともあってか、wiki内や雑談や他所で乳風と聞けば十中八九浜風のことを指す。((同じく胸部装甲が駆逐艦としては大きな[[姉>浦風]][[達>磯風]]以上に目立つ為か、pixiv等の乳風というタグも主に浜風をさしているようだ。))公式四コマ57話の初登場時にも浜風のアレで「みんなからの距離を感じる気が・・・」というネタがあり、潮が「それ、わかる」と納得していた。
-[[磯風改]]の時報にて、「浜風にやり方は聞いてある」という料理を食べた提督がその後轟沈。
[[磯風]]本人の作り方が原因だとは思うが、余計な風評被害を受けかねない事態となった。
--未だ実装されていない時報を以って、是非そんな風評被害を吹き飛ばしてもらいたいものである。
**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#i3e0377c]
-2015年バレンタイン限定で、バレンタイン専用の母港グラフィックが公開された。
--バレンタイン専用グラフィックはあくまで立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
--どうやらクッキーを作っている模様。やはり料理は得意なのかもしれない。
--翌年の2016年バレンタインでは新たに限定ボイスも追加された。
-
#fold(限定イラスト:バレンタインVer.){{
限定イラスト:バレンタインVer.
&attachref(./170_Valentine.jpg,nolink,あの、提督…。これを…これを受け取っていただけますと、幸い…です…。);
}}
-2015年9月7日のアップデートから期間限定で、【秋ボイス】【提督と一緒に秋祭りボイス】と合わせて【季節限定艦娘グラフィック】として浴衣姿で秋祭りを楽しんでいる母港グラフィックが公開された。
--浴衣姿のグラフィックはあくまで立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
--勝利には浮かれないクールな彼女も、お祭りグルメには少々浮かれ気味。%%色気より食い気%%
-
#fold(限定イラスト:秋季限定Ver.){{
限定イラスト:秋季限定Ver.
&attachref(./170_Autumn.jpg,nolink,提督、秋祭りというものは…ん、はむっ、んっ、はむ、はむっ、大変美味しいものですね。浜風、堪能しました。);
}}
*小ネタ [#neta]
#fold(戦歴){{
戦歴
|CENTER:BGCOLOR(#C6C6C6):40|CENTER:BGCOLOR(#E4E4E4):40|BGCOLOR(#E4E4E4):600|c
|1939|11.20|「第29号艦」の名で浦賀船渠において起工|
|1940|11.15|「濱風」と命名|
|~|11.25|進水|
|1941|6.30|竣工。同日附で呉鎮守府及び[[第十>浦風]][[七駆>磯風]][[逐隊>谷風]]所属となる|
|~|9.1|大森仙太郎少将以下[[第一艦隊第一水雷戦隊>阿武隈]]所属|
|~|12.8|真珠湾攻撃に参加|
|1942|1.23|ラバウル攻略作戦に参加|
|~|2.19|ダーウィン空襲に参加|
|~|4.5|セイロン沖海戦に参加|
|~|6.5|ミッドウェー海戦。[[蒼龍]]の救援を行う|
|~|8.16|有賀幸作大佐以下[[第四>舞風]][[駆>嵐]][[逐>萩風]][[隊>野分]]の指揮下に入り、一木清直大佐以下陸軍兵士900名をガダルカナル島へ輸送|
|~|8.17|松山光治少将以下外南洋部隊護衛部隊に編入|
|~|8.24|ラバウルを出撃、ラビ攻略戦に参加|
|~|10.26|南太平洋海戦に参加|
|~|11.7|日本へ帰投|
|~|11.19|[[阿賀野]]と共にトラックへ進出|
|~|12.18|ウェワク揚陸作戦に参加|
|1943|2.1|ガダルカナル島撤退作戦に参加|
|~|3.17|[[満潮]]を曳航し日本へ帰投|
|~|6.16|トラックへ進出|
|~|7.5|クラ湾夜戦に参加|
|~|7.12|コロンバンガラ沖海戦に参加|
|~|8.17|第1次ベララベラ海戦に参加|
|~|8.26|レカタ島撤退作戦に従事中にB-24の襲撃を受け小破、最大速力18ktとなる|
|~|9.21|日本に帰投、呉工廠で修理を行う|
|~|10.20|~|
|~|12.21|輸送船「照川丸」が米軍潜水艦((スケート(USS Skate、SS-305)。))に撃沈される。濱風は乗員救助を行う|
|1944|3.31|第十六駆逐隊の解隊に伴い、[[雪風]]が第十七駆逐隊に編入|
|~|6.9|[[谷風]]が米軍潜水艦((ハーダー(USS Harder、SS-257)。))に撃沈される|
|~|6.14|[[白露]]が油槽船「清洋丸」と衝突、爆沈。濱風は乗員救助を行う|
|~|6.20|マリアナ沖海戦に参加。[[飛鷹]]の乗員救助を行う|
|~|10.24|シブヤン海海戦。[[武蔵]]の護衛・乗員救助を行う|
|~|11.16|ブルネイ出港|
|~|11.21|米軍潜水艦((シーライオン(USS Sealion、SS-315)。))の襲撃により[[金剛]]・[[浦風]]を失う。&br;轟沈・総員戦死した浦風に代わり、濱風が第十七駆逐隊司令艦を務める|
|~|11.28|航空母艦「信濃」の回航の護衛に従事|
|~|11.29|信濃戦没|
|~|12.31|ヒ87船団および[[龍鳳]]の護衛を行う|
|1945|1.8|油槽船「海邦丸」と衝突、小破。第十七駆逐隊司令艦を[[磯風]]に継承|
|~|3.26|天一号作戦発令|
|~|4.6|徳山沖を出撃|
|~|4.7|坊ノ岬沖海戦に参加、戦没。戦死100名|
|~|6.10|除籍|
}}
#fold(歴代艦長){{
歴代艦長
|CENTER:BGCOLOR(#C6C6C6):55|BGCOLOR(#E4E4E4):150|BGCOLOR(#E4E4E4):290|c
|第1代|折田常雄 中佐|1940年11月28日~1941年6月30日(艤装員長)|
|~|~|1941年6月30日~1942年7月20日(艦長)|
|第2代|上井宏 少佐→中佐|1942年7月20日~1943年9月20日|
|第3代|前川万衛 少佐→中佐|1943年9月20日~1945年4月15日|
}}
-「浜風」とは海風の別称。なお正しい艦名表記は「''濱風''」となる。((「浜」は新字体で「濱」は旧字体。大和ミュージアムの展示物である坊ノ岬沖海戦時の陣形図や艦上写真も同様に旧字体である。同様の例は連合艦隊(聯合艦隊)、[[探照灯]](探照燈)、[[神通]](神通、通は二点しんにょう)等がある。))
--しばしば試合内容を左右する、甲子園球場の浜風は有名である。
--本艦は2代目。磯風型の初代では[[レイテ沖海戦>雑学#LEyte]]で著名な栗田健男、第三水雷戦隊司令官になった山内豊中や秋山輝男が艦長を務めている。従って、前世(初代「濱風」)に続き当代でも磯風とは姉妹であり僚艦であった。そして最期の日も…。
--『浦賀船渠』で建造された。同造船所で建造された陽炎型は他に[[不知火]]・[[早潮]]・[[時津風]]・[[萩風]]・[[秋雲]]の全6隻。
-竣工後に東宝映画「''八十八''年目の太陽」(滝沢英輔監督、1941年11月公開)に建造中の駆逐艦「ハヤカゼ」役((実際の「早風」は改マル五計画で建造予定だった秋月型駆逐艦に割り当てられたが、建造中止されている。))として出演している。&color(Silver){駆逐艦らしからぬ胸部装甲はひょっとして…?};
-開戦時は『浜風』『[[谷風]]』と『[[磯風]]』『[[浦風]]』で第十七駆逐隊を編成。空母機動部隊の護衛役としてハワイ沖、ラバウル、ダーウィン、ミッドウェーと各地を飛び回っていた。
--夜戦台詞の「対空戦だけじゃつまらない」という台詞は、十七駆のこの経歴も影響しているものと思われる。
-ミッドウェー海戦では、[[蒼龍]]の壮絶な最後を見届け、『蒼龍沈没セリ 一六一五』の電文を発した。
--南雲中将からは、[[磯風]]と共に「蒼龍を護衛しつつ後退せよ」と命じられたのだが、当の蒼龍は機関停止、消火能力喪失の上に激しく炎上中で、命令の履行は不可能であった。その為、代わりに救助活動を実施していたのだが、助けようのない蒼龍の傍らにずっといた彼女と磯風の無念は、いかばかりのものだったか…。
-1943年1月10日には姉妹艦の[[舞風>舞風]]、[[磯風>磯風]]、[[浦風>浦風]]、[[谷風>谷風]]と貨物船を護衛中、米潜水艦アルゴノートと遭遇し、舞風、磯風、九九艦爆の攻撃により急な角度で浮上してきたアルゴノートを舞風、磯風、浜風の三隻で取り囲み、三隻は582海軍航空隊と共に引き続き攻撃を行い共同で撃沈している((木俣滋郎 『敵潜水艦攻撃』より引用))
-同年2月にガダルカナル島撤退作戦に参加した後、一度内地で3ヶ月ほど整備してから再びソロモン方面へ進出。
-同年7月5日にはクラ湾夜戦に輸送隊として参加し、一応輸送には成功したのだが、物資が全部揚陸できずに終わってしまった。
-7月12~13日にはコロンバンガラ沖夜戦で警戒隊として参加し、第一合戦と第二合戦でアメリカ海軍と交戦、第一合戦では清波、[[夕暮]]と共に距離6000m、[[雪風]]は距離4800mから合計31本の魚雷を発射、彼女たちが放った魚雷は軽巡リアンダーに一本が命中し大破している。
--ちなみにリアンダーは最終的に修理を受けるも、戦場に戻ることはなかった。
--第二合戦では浜風、清波、[[夕暮]]、[[雪風]]ら二水戦は魚雷の次弾装填を終えたあと戦場に戻り、第36.1任務群を発見し戦闘を再開、砲撃戦と雷撃戦が起きた。この時二水戦の雷撃により、軽巡セントルイス、[[ホノルル>Honolulu]]、駆逐艦グヴィンが被雷し大破、結果日本海軍は[[神通]]と第二水雷戦隊司令部を失うも、作戦目標であった輸送作戦は成功する。一方アメリカ海軍は一隻沈没し五隻が大破しており、艦隊の半分が戦闘不能になったアメリカ海軍は当面魚雷艇、駆逐艦、航空機でコロンバンガラ島への輸送作戦を妨害するしか手段が無かった為日本の勝利となっている。
-さらに浜風はコロンバンガラ夜戦の数日後の7月23日に雪風、[[三日月]]と共に再びコロンバンガラ島へ物資を輸送するため輸送隊として参加している。この時魚雷艇12隻に襲われるも、これらを撃退して初めてベララベラ島とガノンガ島間のウィルソン海峡を通過し、コロンバンガラ島へ物資を揚陸したあとラバウルへ帰還した
-修理後の1944年にはリンガへ進出し、編入された[[雪風]]と共に主に船団護衛等に従事。6月のマリアナ沖海戦と10月のシブヤン海海戦にも参戦している。
--シブヤン海では浜風は損傷を受けたため、大破した[[武蔵]]の護衛につけられ、武蔵の沈没に立ち会うことになった。この時に約800名、隣にいた[[清霜]]を含めれば計1,423名の武蔵乗員を救助しマニラヘ撤退した。
-11月に日本へ帰ったのだが、その途中で[[浦風]]と[[金剛]]を潜水艦「シーライオン」の襲撃により失う。
このとき、第十七駆逐隊司令の谷井保大佐が浦風で戦死したため、最も先任である浜風艦長の前川万衛中佐が第十七駆逐隊司令代行と司令艦の役目を託されている。その後、[[長門]]の護衛をして横須賀へ帰り着く。
--中破カットインで下記の信濃と並び金剛の名前を挙げるのは上記の件に拠る。
-帰ってすぐに呉へ回航される空母『信濃』(未実装)の護衛で横須賀を出発、呉に向かうも『信濃』は雷撃により戦没。僚艦と合わせて約1,400名の信濃乗員を救助し、翌日呉へたどり着いた。
--この時信濃は、第十七駆逐隊が進言した潜水艦警戒重視の「昼間・沿岸航路」を取らずに空襲対策重視の「夜・沖合航路」を選択。それが裏目に出て潜水艦に撃沈された。クリック時に信濃に言及するのはこの一件が元。
--この船の救出活動は短艇を利用しない独特の方法を取っていた((艦を風上に持っていき、そこに停止。 すると艦は風を受けて漂流者のほうへ流されていく。そこで風下舷の艦首から艦尾までロープを垂らし、ロープを掴んだ生存者を引っ張るというものだった。))。確実だが時間がかかり、もし敵襲を受けたら極めて危険なことになる。不安になった武田水雷長((武田光雄。[[隼鷹]]の項参照。[[あの戦い>雑学#Savo]]のときは[[あの娘>青葉]]に乗艦、脚に重傷を負っている。義父(実は外祖父)は艦船エンジンの権威だった。))は前川艦長に救助を切り上げるよう具申したところ、艦長は「ここに泳いでいる人達は、我々が助けねば誰も助けてくれないだろう。それははっきりしている。 だが我々が救助の中で敵の攻撃を受けるかは''運''だ。だったら最後の一人まで助けようではないか」と静かに答えたという。
浜風が通常より高い運に設定されているのは、この救助中に襲撃を受けなかった「運」が関係しているものと思われる。
-1945年1月8日、ヒ87船団([[龍鳳]]の項を参照)の護衛のため台湾にいた浜風は、濃霧の中でタンカー「海邦丸」と衝突したが、2隻とも軽傷で済んだ。しかし、この損傷により第十七駆逐隊の司令駆逐艦の座を『[[磯風]]』に譲ることとなる。
-4月7日、戦艦[[大和]]をはじめとした海上特攻部隊の1隻として坊ノ岬沖海戦に参加。これが浜風の最期となった。
--第一次空襲のさなか、船体後部に爆弾が命中。火災が発生するとともにスクリューが吹き飛ばされ航行不能となる。
左舷に投下された魚雷を取舵一杯でかわしたところ、艦尾が右に振れ、本来なら外れるはずだった爆弾が命中してしまったのだった。
近くの[[矢矧]]の艦橋からは「浜風、がんばれーっ!」と叫び声があがり、浜風もそれに応えるかのごとく「ワレ火災鎮火」と気丈に信号を発した。
--だが、その直後、魚雷が右舷船体中央部に命中。艦は火柱とともに前後に分断され、鰹節を二本突き立てたようにして海に消えていった。
他艦からはまさに「瞬沈」のように見えたという。航行不能になってから僅か3分の出来事であった。(航行不能12:45→沈没12:48)。
戦死100名、前川艦長以下256名は[[初霜]]などに助け出された。
--この時に『[[磯風]]』も戦没し、『[[谷風]]』も1944年6月9日に戦没しているため、残る陽炎型は[[雪風]]&[[天津風]]の2隻のみとなった。その天津風も数日後には自沈するのである。
---坊ノ岬沖海戦出撃前夜、いくつかの艦でネズミが姿を消したことが確認されているが、浜風もその一隻だった。((ちなみに確実な記録が残るもう一隻は[[磯風]]。2隻とも坊ノ岬沖海戦で沈んでいる。))
先任将校へ先任下士官が「ネズミが艦からロープを伝って陸上へ出て行きました」と小声で報告し、先任将校は不吉な予感を感じ「誰にも言うな」と固く口止めした。
結果として、この不吉な予感は当たってしまったのだった。
---2021年12月、大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」が2013年より回収・調査を続けていたアメリカ国立公文書館に収蔵されている戦時中のガンカメラ映像から、昭和20年4月7日の東シナ海における戦闘記録で撃沈される直前の浜風の姿が確認された。同じ映像の中では主砲を発砲する[[冬月>冬月]]の様子も写っている。その後も同団体の調査により同年3月の呉空襲において回避運動を行う[[大和>大和]]も確認された。
-彼女の慰霊碑は広島県呉市の呉海軍墓地(長迫公園)に「第十七駆逐隊之碑」と並んで建っている。そこには
「第二次大戦中作戦参加の最も多い栄光の駆逐艦であり、数々の輝かしい戦果をあげると共に、
空母[[蒼龍]]、[[飛鷹]]、信濃、戦艦[[武蔵]]、[[金剛]]、駆逐艦[[白露]]等の乗員救助およびガダルカナル島の陸軍の救助等、人命救助の面でも活躍をして帝国海軍の記録を持った艦である」
と、数多くの生命を救ってきた彼女の軌跡が記されている。
--戦友会の「浜風会」では、彼女の救助した人数について、正確な数の判明している[[武蔵]]、[[金剛]]、信濃等の救助者を合算して約1,500名としている。
しかし資料のない[[蒼龍]]、[[赤城]]、[[飛鷹]]、[[白露]]生存者を合わせればおそらく3,000名。さらにガ島撤退で救った将兵が約2,000名。
浜風はその小さな体で、実に5,000名にも及ぶ生命を救ってきたのである。
-彼女の着ている制服は[[雪風]]のものと同デザインの半袖版で、それに[[陽炎]][[型>初風]]共通のスカートを合わせてある。ただしスカートのラインが一本だけ(陽炎のものは二本線)と細部が異なっている。
-現在では海上保安庁「すずかぜ型巡視艇(現:ひめぎく型巡視艇)」の一隻として第三管区(横浜)で活躍している。番号「CL50」。
なお、彼女は通常勤務のほかに「[[鑑識業務指定船>http://www.kaiho.mlit.go.jp/03kanku/yokohama/gyoumu/sentei.htm#siteisen]]」として科学技術を駆使して的確な証拠を集める機能を持つ船舶に指定されている。
また、161隻いる姉妹の中には「[[しまかぜ>島風]](CL59、第二管区・石巻)」、「[[はつかぜ>初風]](CL73、第二管区・宮古)」、「[[ゆきかぜ>雪風]](CL81、第一管区・花咲)」、「[[さつき>皐月]](CL119、第十管区・宮崎)」「[[すずかぜ>涼風]](CL11、第一管区・小樽から第五管区・姫路に配置換えに伴い「ひめぎく」に名称変更、その後CL143、第一管区・小樽が再襲名)」もいる。
-また、大阪と山陰方面を播但線経由で結ぶ陰陽連絡特急が「はまかぜ」を名乗っている。現在、うち1便が香住([[かすみ>霞]])行。
--艦名から列車名へ転身(?)した仲間では「[[いそかぜ>磯風]]」・「[[あさしお>朝潮]]」、「[[まつかぜ>松風]]」、「[[ながと>長門]]」が同じ山陰本線で接続または併走したことがある(まつかぜ以外は現在は廃止)。
--そして、ここでも「しなの」と意外なつながりがあったりする。「はまかぜ」はキハ181系気動車のグランドフィナーレを飾った列車なのだが、そのキハ181系のデビュー列車が中央線特急「しなの」((世界初の振り子式車両381系のデビューも当列車。))((かつては大阪-京都間ではまかぜと並走していたこともあったが、2016年3月にしなのが大阪までの乗り入れを廃止したため、現在は見られない))だったのだ。
「しなの、貴方の想い、果たされました」
-
#fold(余談-「気動車界のドレッドノート」になれなかったキハ181系に贈る花道「はまかぜ」。){{
-同用途の電車である181系に匹敵する走行性能を引っさげ((そもそもエネルギー密度の観点において、パンタグラフを介して外部からエネルギーを取り入れて走る電車・電気機関車に対し、熱機関とそのエネルギー源を自ら搭載する蒸気動力車・内燃動力車は不利なのである。))、「しなの」で颯爽とデビューを飾ったかに見えたキハ181系だったが、登場直後から、特にDML30HS系エンジンのオーバーヒートとガスケット割れに悩まされ続けた。
--そもそもDML30HS系エンジン自体それまでの旧型エンジン(原設計は戦前に遡る)であるDMH17H系から大幅に刷新された設計というわけではなく、旧態化した構造のエンジンをターボチャージャーで無理やり大出力高回転化しようという設計思想で作られていた((同じ発想で作られた機関車用のDML61S系エンジン(DD51形のエンジン)はそれである程度うまくいってしまったというのもある))。
さらに、DML30HS系の試作車として製造されたキハ90系で採用した屋上配置の自然通風式ラジエーターにも問題があった。
--と、キハ181系に否定的な意見にはこのようにDML30HS系エンジンの設計と自然通風式ラジエーターにその主因を求める声が強いのだが、より深刻な問題は''変速機の多段化の失敗''にある。この為、特急形であるキハ181系においては85km/hまで、変速段、自動車の感覚で言う「セカンドギアで引っ張る」状態になっていた。''これではエンジンに負担が来るのは当然である''。
--「しなの」では線形の悪さから直結段に入れられずエンジンは過熱し、その上電化前は国鉄の中でも狭隘トンネルが連続したため屋上のラジエーターからうまく排熱できなかった。
--一方、奥羽本線特急「つばさ」では上野駅から福島駅まで東北本線を120km/hでぶっ飛ばし、その後奥羽本線の最大33.3‰という国鉄2番目の難所板谷峠を自力登坂する(上りはその逆)という%%普通に考えて頭のおかしい%%運用が組まれた((ちなみに奥羽本線の該当区間のトンネルは、煙害対策で先に電化されていたためさほどの狭隘トンネルではない))。板谷峠で低速で全力運転するという条件的に最悪な酷使が祟ることになり、国鉄検車陣の夜を徹しての整備にもかかわらず、どうしても直らない1両程度をエンジンカットで送り出したという無念が『鉄道ファン』誌1992年7月号の特集で記述されている。
一方、1両程度のエンジンカット状態でも東北本線内では回復運転のため120km/hまでの速度計を振り切って運転していたのを目撃されている。DML30HS系エンジンの底力は確かだった。
とは言え、ダイヤが乱れるのは不可避であり、結局、板谷峠では電気機関車EF71形の補機連結で乗り切ることになった。
-結局、キハ181系は半ば失敗と国鉄上層部も認め、その製造数も国鉄車両としては小所帯であった。重要幹線である中央本線、奥羽本線は結局、電化することになった。
だが、この両線の電化によりキハ181系の性能は逆説的に証明されることになる。
--「しなの」では線形があまりに悪すぎ、当時の181系電車・183系電車を投入してもキハ181系より時短効果がないことが解った。この為、振り子式の381系が開発されることになるのである。
--「つばさ」では同世代の同用途の電車である485系でも定格の編成である6M5T(モーター付き車両が6両:ない車両が5両)では巻線過熱で営業運転不可能とされ、共通運用の他の東北特急とは別に6M3Tの強力編成が組まれた他、重量が大きく編成組成に制約のある583系の入線は断念された。
---元々、181系や183系、485系や583系のMT54型主電動機((1時間定格出力120kW))は25‰程度の勾配でMT比1:1を前提として採用されたものであったため、33.3‰という国鉄2番目の難所であった板谷峠を通過する長距離列車運用がいかに過酷なものであるかうかがい知れよう。ちなみに、板谷峠に次ぐ難所とされる瀬野八(山陽本線瀬野~八本松の勾配)は485系定格で問題なかった。((地方私鉄には確かに箱根登山鉄道の90‰をはじめとしてさらなる難所も存在するが、それらの私鉄の延長は短く最大速度は5~60km/h出ればいいというもので国鉄優等列車とは前提が違いすぎる。))((更に奥羽本線改軌・新在直通化(山形新幹線)の際にも、400系は200系より車体が小さく軽いにもかかわらず200系より強力なモーターを全電動車で装備した。E3系も「こまち」用R編成が4M2Tであったのに対し、「つばさ」用L編成は5M2Tとなっている。))
-こうして幹線を追われたキハ181系は主に西日本の陰陽連絡特急や四国の特急整備など亜幹線に回されていくが、エンジンをデチューンして安定化させるなどの紆余曲折もあったものの、国鉄車両の殆どが失速する25‰程度までの緩い勾配線においては、旧型エンジンのキハ80系に比べて大幅な時短効果をもたらした。
-そしてキハ181系最後の定期運用列車となったのが「はまかぜ」だが、この''「はまかぜ」こそキハ181系のために用意されていたかのような列車だった''。
--「はまかぜ」は新快速が飛び交う山陽本線を120km/hで走る必要があり、また播但線は陰陽連絡線の中では比較的線形が良く車体傾斜機構を持たない車両でも飛ばすことができた。さらに新快速が国鉄117系やJR世代の221系、さらには最高時速130km/hにまで引き上げた223系に置き換わってもなんとかではあるが追随することができた。
播但線は最急勾配こそ25‰((「生野峠」長谷駅~生野駅間。))と板谷峠よりも緩かったが、寺前駅以遠は終点の和田山駅まで勾配の連続する区間になっている。蒸気機関車時代は貨物は単機で走破することが無理で補機を必要とした((が、碓氷峠や板谷峠がそうであったように山間部に断続するトンネルがあるため、煙害による乗務員の健康被害が相次いだことから、DD51形の増備で不要になったDF50形やDD54形などを送り込んで補機とする「本務機蒸気機関車・前補機ディーゼル機関車」という日本鉄道史上類を見ない体制が取られた。))。旅客列車は補機は使わなかったが、軸重と線形の関係で入線できる機関車はC57形が最大であり、厳しい勾配線区だった。しかしキハ181系にとっては直結段に進段でき、あとはDML30HS系エンジンの力でねじ伏せる事が可能な条件だったのだ。
関西地区から山陰地区への連絡特急としては遠回りの設定のため乗り通す乗客こそ少なかったが、兵庫県内に限れば南北を縦断する唯一の優等列車であり、一方で阪神区間では新快速の混雑を嫌って「逃げて」くる乗客がいた。特に大阪を18時台に発車する「はまかぜ5号」の乗車率は推して知るべしである。この為所定4連のところ、5・6連で運転していることが多く((この頃になるとJR在来線特急は「新幹線の付属物」状態であり、細切れの短距離運用や2・3連の短編成など普通だった。例外は幹線である常磐線を走りながら並行新幹線のない「ひたち」や同様に並行新幹線のない日豊本線を経由する「にちりんシーガイア」ぐらいである。))、全室グリーン車も連結しており栄えある''特別急行''であった。
-キハ181系否定派には「列車ごと廃止」などと陰口も叩かれたりしたが、実態は上のようであり、結局、幹線用特急形気動車という“直系”キハ189系((ただしグリーン車はなくなった。))を製造して置き換えることが発表された。
2010年、決して恵まれた生涯とはいい難かったキハ181系にとって''最後に贈られた花道''である「はまかぜ」での定期運用を終了。翌2011年3月、ファンに惜しまれながらその歴史に幕を下ろした。
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--現在、「はまかぜ」として走るのはキハ189系で、「天空の城」として名高い竹田城跡(兵庫)の人気を受け、最寄り駅の竹田駅(兵庫)に臨時停車している。
---余談だが、キハ189系はディーゼル車両ながら最高時速130km、加速も電車並みといういわば''%%ゲテモノ%%''である。&color(Gray){そもそも世界的には幹線用気動車は電気式ディーゼルが主流であるにもかかわらず、液体式ディーゼルで総括制御を実現させた上、電車並みの加速と速度でぶっ飛ばす日本がおかしいのだが。};((キハ181系のトラブルは確かに(海軍や陸軍にも見られた)国鉄の技術的偏執に原因があるのだが、そもそも要求された性能が同時期の同用途用電車である485系を超えるものという炎上確定の代物であった。それでもお師匠様の国のAPTの様に全てを無駄にしなかったところは色んな意味で異常である。))((最近はもっと進んでいて、ディーゼル発電機でモーターを回すことで走る「電気式ディーゼル」を進化させた、JR貨物のHD300型ハイブリッド機関車やDD200型ディーゼル機関車といった最新鋭機がある。JR東日本のE001系『TRAIN SUITE 四季島』に至っては、直流1500V、交流20000V・50Hz、交流25000V・50Hzに加えて、非電化区間では先頭車に積んだディーゼル発電機で交流モーターを回して自力走行できるという「怪物」である。))
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