|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.047|
|&attachref(./047_2nd.jpg,nolink,あの……軽巡洋艦、神通です。どうか、よろしくお願い致します……);|>|神通(じんつう)|>|川内型 2番艦 軽巡洋艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|26|~火力|14 / 39|
|~|~装甲|11 / 29|~雷装|24 / 79|
|~|~回避|38 / 69|~対空|13 / 49|
|~|~搭載|2|~対潜|20 / 69|
|~|~速力|高速|~索敵|8 / 39|
|~|~射程|中|~運|10 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|25|~弾薬|25|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|1|>|>|[[14cm単装砲]]|
|~|1|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''神通'' → [[神通改]](Lv20) → [[神通改二]](Lv60)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:神通です。近代化改装を受け、第2水雷戦隊の旗艦を務めました。&br;コロンバンガラ島沖海戦では先頭に立って奮戦します。&br;でも、みんな私の事狙うんですもの…ひどいわ……。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:佐倉綾音、イラストレーター:bob (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:佐倉綾音、イラストレーター:bob
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>神通/定型ボイス]])
#table_edit(神通/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>神通/時報ボイス]])
#table_edit(神通/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>神通/季節ボイス]])
#table_edit(神通/季節ボイス)
~
}}

*ゲームにおいて [#about]
-第三艦隊解放の任務『「川内」型軽巡姉妹の全3艦を編成せよ!』に必要。
-改になると雷装値が他の川内型の改より僅かに高くなる。
-2014年2月26日のメンテナンスにて[[神通改二]]が実装された。 無改造では標準的な性能だが、これによりLV60まで育成することで[[艦これ屈指の高性能軽巡>神通改二]]となる。
-節分ボイスでは、[[鬼怒]]と同様、鬼役の対象であったが、長らくボイスが実装されていなかった。2018年1月17日に節分ボイスが実装されたことにより、「鬼役なのにボイスがない」状態が解消された。

-30/30/30/30で建造すると、4%という最高確率で登場する。((艦これ統計DBより。))
ちなみに妹の[[那珂]]ちゃんも同率1位である。&color(Silver){同確率で出るはずなのに解体されるのはなぜか妹ばかり…};
*小ネタ [#trivia]
CENTER:''コロンバンガラの鬼神''
-[[「夜戦バカ」の長女>川内]]と[[「艦隊のアイドル」の三女>那珂]]というキャラの濃い姉妹に挟まれて、ちょっと存在感が薄くなっている川内型の次女。%%もっともほか2人が濃すぎるってだけな気はする%%
しかしながら史実では、図鑑でのセリフ通り奮戦する活躍を見せている。
&color(Silver){「みんな私の事狙うんですもの…ひどいわ……」流石に灯りを点ければ狙われます。};
--後述のエピソードに反して艦これでは[[羽黒]]と並ぶ内股キャラ。羽黒もまた日本重巡中最高の武勲艦である。
頼りない見てくれや言動に反して土壇場では…というやつなのだろう。
---頼りなさげな感じはスラバヤでの戦闘姿勢を「弱腰」と言われていることが原因かもしれない。((神通が参加した大きな海戦は3つだが、スラバヤでは二水戦は砲撃、雷撃ともに命中弾0、第二次ソロモンではガ島に砲撃したが効果はなく退避中に爆撃され神通は中破・睦月沈没、と初期の苛烈な訓練や最期のコロンバンガラ以外では勇ましいエピソードや武勲、敵艦の撃沈戦果はなく、それだけに最期の奮戦が良い意味で際立っているのかもしれない。))
-ちなみに本来、後に川内型と呼ばれる新型の二等巡洋艦は、[[加古]]、[[那珂]]、[[川内]]、神通の順で命名が内令され、艦艇類別等級別表にも記載されていた。
つまり、従来の慣例では、神通は4番艦になるはずだったのである。
しかしながら、加古の建造中止で3番艦に、さらに那珂の建造の遅れで竣工順では2番艦となる。
そして1926年(大正15年)11月のこのタイミングで、海軍はこれまで別れていた艦艇類別等級別表と潜水艦類別等級別表を廃止し、新たな艦艇類別等級別表を通達した。
ここで[[古鷹]]型、[[青葉]]型と川内型は、これまでの慣例とは異なり、竣工順で類別されてしまったのである。

-同じく川崎造船所生まれの[[大井]]や[[鬼怒]]同様、姉妹のなかで唯一タービン方式が違っている((川内・那珂がパーソンス式なのに対し、神通はブラウン・カーチス式))。
-開戦時、神通の所属は「聯合艦隊 第二艦隊所属第二水雷戦隊」。そして同戦隊旗艦。
&color(Blue){神通「どのような部隊か?……ですか?………わかりました、ご説明致します…」};
--帝国海軍において、前衛部隊として敵艦隊に真っ先に突入していくのは第二艦隊である。((最重要な艦隊は最強の戦艦で構成された第一戦隊・第二戦隊を擁する第一艦隊だが、こちらは最終局面で投入される決戦部隊であり、これに属する第一水雷戦隊はその護衛という趣が強い))その中でも、突撃の先陣として魁を務めるのが同艦隊所属の第二水雷戦隊(通称:二水戦)と第四水雷戦隊(同四水戦)。
--このため、二水戦と四水戦には常に最新鋭の駆逐艦、最高練度の乗組員が集められ、ここに配属されることは装備、人員ともに最も名誉なこととされていた。
酸素魚雷一つを武器に勇壮な突撃戦を敢行する華々しさと、船乗りらしい逞しさと暖かさに満ちた家庭的な雰囲気は、青年士官たちの憧れであったという。
---「ガンルームの皆からひどくうらやましがられて、一ヶ月の俸給をそっくりハタいて、ビールを寄贈させられた。
だが、ビールの10ダースや20ダースには替えられないほど、この転勤は素晴らしいものだった。
二水戦といえば、若い士官のあこがれのマトであった。」
『壮烈!水雷戦隊』より。著者吉田俊雄が、戦艦[[長門]]通信士から二水戦所属の[[天津風]]へ転勤と決まった時の述懐である。
彼がこのあと神通(の田中司令官)にどの程度シゴかれたかは天津風の小ネタを参照してほしい。
--二水戦は常設部隊であり、四水戦は戦時のみの臨時編成部隊という違いがある。
---具体例として、二水戦含む水雷戦隊が%%ガンガンぶっ放した%%敵に引導を渡すために放ち続けた九三式酸素魚雷は、当時の値段で4万円。
当時の税収が植民地分も含めて約12億円、平時の国家予算が概ね27億円。これらから勘案し、現在価格にしてみると1本約3億円。
そして二水戦の戦術の一つである異方向同時魚雷戦を実行した場合、[[朝潮]]型や[[陽炎]]型の駆逐隊4隊16隻で128本、神通の片舷4門を合わせて合計132本の魚雷が敵艦隊を串刺しにする。
つまり1度の攻撃で現代価格にして実に400億円近くを撃ち出す勘定になる。もちろん各艦は予備魚雷を持っているので、次発装填再突撃すれば更に倍プッシュである。
また現在、海上自衛隊が使っている魚雷は2千万円、諸外国は数百万円なので、日本は伝統的に魚雷に%%アホみたいにお金を使って%%重点を置いている。
--四水戦は、海軍の駆逐艦の損耗と、開戦当時の艦隊決戦思想が時代にそぐわなくなったこともあって、昭和18年に解隊され、二水戦に吸収されてしまったが、((四水戦は実は二水戦以上に激戦に投入され続けており、開戦から二年足らずで旗艦由良はじめとして主力の第二、第九駆逐隊も半数が戦没し、戦力維持が困難になってしまった。そんな部隊の旗艦勤めてた某アイドルも相当の武闘派である。))
二水戦は最後まで敵艦隊にいの一番に切り込みをかけて直接漸減を敢行する、帝国海軍最強のみならず''全世界最強''の艦対艦雷撃能力を有する%%クレイジー%%超々精鋭集団だった。
人呼んで''『華の二水戦』''。その旗艦を聯合艦隊編成以来最も長く務めたのが、他でもない彼女なのだ。


~
-神通誕生から2年後の1927年(昭和2年)8月24日、島根県美保関沖。
徹夜で行われた夜間無灯火演習中に、神通は樅(もみ)型駆逐艦「蕨(わらび/艦これ未実装)」と衝突事故を起こしてしまう。((事故を起こした場所に因み「美保関事件」と称される。))

//直リンクはいろいろと危険なためとりあえず不可視にしています。
//『[[美保関事件>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BF%9D%E9%96%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6]]』

--神通の艦首は&color(Silver){イ級の顎のような形に};えぐり取られ、蕨はボイラーが爆発しわずか26秒にして轟沈、92名の犠牲者と共に海に消えていった。

---Wikipedia等に於いて「美保関事件」で検索をすると、艦首をえぐり取られた神通の画像を見ることができる。
--さらに、[[那珂]]も回避行動を取ろうとして樅型駆逐艦「葦(あし/艦これ未実装)」と衝突。
沈没こそ免れたものの28名が死亡という大惨事に。
---この事件により起訴された神通艦長・水城圭次大佐は「全て自分の責任」と述べ、判決前日に自決してしまった。
過重な訓練を課した連合艦隊上層部は、その責を問われなかったと言う。
---兵学校同期の嶋田繁太郎((太平洋戦争開戦時の海軍大臣。))は水城の特別弁護を買って出ている。
また同じく兵学校同期の山本五十六も部下の伊藤整一((大和特攻時の第二艦隊司令長官。))が事故直後に、水城の自決を意味が無い事だと論じたところ、これを叱りつけて撤回させる逸話も残っている。
//直リンクはいろいろと危険なためとりあえず不可視にしています。
//[[水城圭次>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%9F%8E%E5%9C%AD%E6%AC%A1]]

---なお、蕨の艦長だった五十嵐恵少佐(殉職後中佐)は海軍大学校時代、水城大佐の教え子であった。自分が教え子を死なせてしまったという事実が、水城大佐の精神をさらに追い詰めたのだった。
また、五十嵐艦長は原忠一((後の五航戦指揮官。))、山口多聞((後の二航戦指揮官。))とは海軍大学校の同期であり友人同士でもあった。
五十嵐の死後も彼らは五十嵐邸に度々訪れたという。
--視界不良の暗夜、戦艦部隊から[[探照灯]]を直射され一時的に目潰し状態になったことや、難聴の水城大佐が乗組員の警告を聞けなかった((水城大佐は砲術の専門家で、若き日の訓練で左耳を完全に潰してしまっており、右耳もよく聞こえなかった。衝突直前に航海長が絶叫して危急を知らせたのだが、艦長の耳が聞こえない左側で叫んだため声が届かなかったのである。))ことが直接の原因ではある。
しかし、根本的には危険な猛訓練の繰り返しが引き起こした事故であった。
---その訓練とは、実戦を想定どころではなく、両軍の巡洋艦が高速で駆け回る中を、駆逐隊が間隙を縫って突撃するという、実戦以上に過酷且つ想像の範疇を超えた状況を想定したものであったという。
当時はワシントン軍縮条約の建造制限の中、東郷元帥の言った「訓練に制限なし」が合言葉。
しかも、条約反対派だった時の司令長官加藤寛治大将はこの演習の際「まだ足りん、まだ足りん」と水雷戦隊を叱咤し、更なる猛攻撃を要求。
水雷戦隊側も「今度は長官をギュッと言わせてやる」と目の色を変えていきり立っていた。
---おまけに、蕨と葦の所属する第二十七駆逐隊はスケジュール消化の都合で臨時に二水戦に編入された部隊で、暗夜の航海訓練すら未実施だった。
計画書を見た一水戦の小沢治三郎参謀は「指揮系統も練度も違う駆逐隊を入れるのは危険だから外すべき」と進言したが、上層部は「もう発令済みだから」と強行させたのだった。
その結果がこれである。神通艦長だけの責任でなく、ありとあらゆる無理がついに破綻した結果の大事故であった。
---この時といい最期といい、探照灯とは切っても切れない何かがある艦だったのである。
---因みにこの駆逐艦蕨は93年後の2020年9月に海底で発見されている。
--公式4コマで肝試しの際、神通と那珂がそれぞれ蕨と葦の藪に突っ込んでいる場面があるが、その元ネタがこの事件である。この為公式四コマの神通は夜間無灯火の状態が若干苦手になっている模様。
---ただ『[[これさえこなしておけばあとは何も起こらないでしょ>那珂]]』と笑顔で言えるかどうかは読まれた各提督の判断に任せる次第である。

-「月月火水木金金、日々是訓練」と言う、常軌を逸した猛訓練の末に惨事を起こした神通だが、その後も危険な訓練を繰り返し続ける。
#fold(1935年(昭和10年)5月に行われた襲撃演習での典型的な例){{
1935年(昭和10年)5月に行われた襲撃演習での典型的な例

-1935年(昭和10年)5月に行われた襲撃演習は、かつての美保関事件の時と同じく視界の利かない暗夜での訓練だった。
--出会い頭に戦艦[[山城]]が探照灯を照射するや、神通も照射し返してお互いに目潰しを食らわせつつ、真一文字に突撃していった。
速力全開の反航戦を以って一気に肉薄し魚雷を叩き込む、二水戦司令官有地少将((有地十五郎。通称「猫さんま」。型破りな言動が多く海軍きっての奇人として有名だが、同時に生粋の水雷屋で、この逆落とし戦法に代表されるような勇猛果敢、真っ向唐竹割り型の捨て身の戦術を得意とした。))考案の通称「逆落し戦法」である。
---反航戦とは、艦隊同士がすれ違いざまに砲雷撃を行う状態を主に指す。
%%少なくとも諸外国では、艦艇で真一文字に突撃していく様を反航戦とは言わない。それ特攻や。%%
---主砲や魚雷管は通常、艦側面に向けて撃つことを想定して配置されている。
艦正面の相手に対しては、大抵の艦が前面に配置された砲塔のみでしか応戦出来なくなる訳だが、戦艦等の格上を相手取る水雷戦隊からすれば、離れた場所ですれ違うよりも真一文字に突撃したほうが被害を抑えられる可能性が高い訳である。((この記事が、四コマ単行本内小ネタ補足ページにほぼそのまま掲載されている))
--目潰し状態のまま山城も神通も互いに一歩も譲らず、チキンレースの様相を呈しつつあっという間に距離3000を切ってしまう。
---山城では危険を感じた参謀長((近藤信竹参謀長。奇しくも数年前、小沢参謀の進言を「もう発令済みだから」と退け、結果美保関事件の引き金を引き、神通の艦歴に消えない傷を刻んだ本人である。))がたまらず「艦長、取舵!」と叫んだが、南雲忠一艦長(当時)((のちの南雲機動部隊が有名だが、この人も本来は生粋の水雷屋。専門外の空母機動部隊の指揮をするよりは、自ら水雷戦隊を率いて敵戦艦へ魚雷をブチ込みに行く方が性に合っているタイプだった。有地と南雲、負けん気の強い猛将同士が対峙すると、演習でもここまでヤバいことになるのである。))は「参謀長に指揮権はない!面舵一杯!」と怒鳴りつけたと言う。
---同時に神通もようやく面舵を切り、山城と神通はわずか数十メートルの距離を''相対速力100km/h以上''ですれ違った。
これと同時に、神通指揮下の駆逐隊の発射した演習魚雷が数本、燐光を発しながら山城の艦底を通過。実戦なら見事命中である。
--両者ともにあと数秒舵を切るのが遅ければ、また山城がもし取舵を切っていたら、間違いなく神通が真っ二つになるところだった。
---演習後、神通からは「ヒヤヒヤさせるじゃないかいな」と冗談めかした発光信号が発せられたが、誰も笑わなかったという。
--このような殺意剥き出しの激烈な訓練を繰り返していたのである。そりゃ事故も起こる。
--上述の例はまだ避けられたからよかったものの、[[深雪様>深雪]]&[[電ちゃん>電]]の衝突事故や、[[北上様>北上]]vs[[阿武隈]]の衝突事故など、美保関事件の後も度々視界不良下や夜間演習中の事故は頻発していた。

}}

-5,500トンクラスの軽巡洋艦群としては最新型に位置する川内型ではあったが、ベースはあくまで大正一桁時代設計の艦である。
昭和に入り設計レベルでの改善が施され航行能力と攻撃力に優れた新型駆逐艦が次々と登場するにつれ、旗艦としての性能の陳腐化が目立つようになっていった。
麾下の新型駆逐艦より航洋性に難があり、また度重なる近代化改装による重量増と老朽化により速力も低下、昭和十年代に至ると水雷戦隊旗艦としてかなりの無理を重ねている状態になっていた。
しかし、[[後継の艦>阿賀野]]の登場が遅かったこともあり、太平洋戦争開戦に至るまで、彼女たちは第一線の水雷戦隊指揮官としての重責を担い続けた。
ちなみに阿賀野型が順当に二水戦旗艦に万全の状態((実際の歴史では隊の壊滅等を経ている為万全の状態ではない))で交代した場合、神通は一水戦旗艦になる予定だったとの事。
--この頃、第二水雷戦隊旗艦としての任を懸命に果たしていた神通の姿を、吉田俊雄海軍中佐は後年このように描写している。
>「いかにもスマートな、いかにも強そうな新鋭駆逐艦群の先頭に立ち、白波を蹴立てて突進していく「神通」の姿は、むしろ優美であった。」
>「当時の私の印象からすると、スイスイと飛ばしていく大型駆逐艦に負けまいとして、端正なシルエットを、まえこごみに、懸命の努力を傾けていたのが「神通」だった。」

-なお、古めの資料では神通は魚雷発射管が川内と同じ八年式連装発射管両舷二基のままとされているが実際は九二式四連装発射管両舷一基ずつに換装されている。これは長年書類上の処理のみではないかと疑われていたが2019年の深海調査で沈んだ船体から発見されたのは四連装発射管であり換装の事実が確認された。

~
#fold(スラバヤ沖海戦){{
スラバヤ沖海戦

-スラバヤ沖海戦では二水戦の旗艦として参戦しており直接的な戦果を取れなかったが日本海軍の勝利に貢献している
--第一次昼戦で神通は2月27日の17時頃に神通が九四式水上偵察機を射出し、弾着観測に当たらせている。17時45分より神通は同航戦で距離17,000mより砲撃を開始し、イギリス海軍の駆逐艦三隻に挟叉したが回避行動により命中弾は得られなかった。17時48分より連合国艦隊は二水戦に砲撃を開始、初弾から挟叉受けた神通は煙幕を炊いて回避行動を取り退避した。18時より四水戦の雷撃に続き、外側から神通は雷撃を敢行、四水戦と神通は雷撃後煙幕を炊いて退避していった。しかし、これら二水戦と四水戦から放たれた31本の魚雷は命中しなかった。((しかし四水戦、神通共に敵艦の撃沈を報告している))このうち3分の1は自爆した為、日本海軍は周辺に機雷群があると考え接近戦を諦めた。その後、那智、羽黒は遠距離よりお互い当たらない砲撃((一応那智、羽黒の砲弾は何発か連合国側に命中していたのだが不発弾だった))を続ける中、羽黒と思われる20cm砲弾がエクセターの機関部に命中し同艦は8基中6基の缶を破壊し、さらに18時22分に羽黒が秘密裏に放った魚雷8本のうち1本((この魚雷は四水戦の魚雷とする異説も存在する))がコルテノールに命中し轟沈させた。
--第二次昼戦では那智、羽黒が2万6000mよりアウトレンジ砲撃を続ける中、軽巡那珂に続いて雷撃を敢行している。那珂は1万2000m、四水戦指揮下の第2駆逐隊は距離7500m、神通は1万8000m、二水戦指揮下の駆逐隊は9000mで魚雷を発射し反転した。
---これらの砲撃・魚雷は連合国艦隊に回避されたが、第四水雷戦隊指揮下にあった第9駆逐隊[[朝雲]]と[[峯雲]]は駆逐隊司令の佐藤大佐の独断でなんと距離5000mまで肉薄し雷撃した。しかし、この雷撃も命中しなかった。しかしそれでも二隻は接近を続け、3000mの距離より砲撃戦を展開するという文字通り''殴り合い''を始め、エレクトラを撃沈した。
--第一次夜戦では神通より射出された九四式水上偵察機(機長:高木清次郎大尉 海兵64期偵察専修((海軍水上機隊63ページ、元熊野飛行長高木清次郎著「艦載水偵<発進→帰投>全行程マニュアル」より引用)))が避退している連合国艦隊に張り付き監視し、逐一同行を艦隊司令部に報告していた。20時46分より避退していた連合国艦隊が急きょ反転し、一転して味方輸送船団を攻撃しようとした時も神通機の通報で第五戦隊司令部は察知し、指揮下の艦船にこれを迎え打つよう命令した。この時四水戦はおらず、羽黒と那智は水上機の回収作業中で砲塔旋回用の電力を切断、缶も二つまでに落としていた為退避したので、この迎撃に向かったのは神通と隷下の駆逐隊だけだった。
---20時50分より神通水偵が連合国艦隊に照明弾を投下、二水戦は突撃して神通が21時07分より1万9000mで魚雷を四本発射したが、魚雷の接近に気付いた連合国艦隊は先頭艦より順次回避機動を取り、命中しなかった。しかし、偵察機を持たなった連合国艦隊はこの急な会敵は予想外であり、急きょ変針してジャワ島沿岸へ向かい南下を始めた。神通達がこの襲撃を撃退したのである。
--第二次夜戦では二水戦は神通水上偵察機と交代した那珂水上偵察機が連合国艦隊を見失ったことにより索敵の為羽黒・那智より南西方向を航行中、羽黒と那智が会敵した形となった為戦闘には参加していない。結果は那智と羽黒のみで第二次夜戦に突入し、日本軍が勝利した。
--表立って活躍こそしなかった神通だが、それでも連合艦隊の勝利に貢献したことはこの事実から明らかである。
---この海戦では神通のみならず、日本海軍、連合国海軍全体の命中率が低く、結果的に第9駆逐隊司令独断の突撃と
第二次夜戦の羽黒、那智の四隻しか命中弾を得ていないのである。しかし、これらの勝利を得れたのはそれ以外にも神通・第16駆逐隊、那珂、第2駆逐隊の働きなくしては不可能である。
}}

-コロンバンガラ島沖海戦(第二水雷戦隊の旗艦として参戦)は、神通の名を世界に知らしめた海戦である。
--神通は、味方駆逐艦の雷撃照準を助けるべく探照灯による照射射撃を敢行する。
---なお、この際よく「神通は先頭に立って突進した」という表現がなされるが、実際この時先頭にいたのは[[この娘>三日月]]で、神通は二番手に位置していた((陣形は三日月を先頭に神通、雪風、浜風、清波、夕暮の順))。&color(Silver){''「砲雷撃戦、いっきまーす!」''};
神通は二番手に位置しつつ2308時に敵発見を受けて探照灯を照射、陣形を維持して距離6,000mまで接近した2313時に魚雷戦、砲戦を開始。その後左に反転して距離をとりつつ砲戦を継続するが程なく舵が破壊され戦列から其れている。
--もちろん敵艦隊から見れば絶好の的であり、軽巡三隻から合計2,600発余の集中砲火を浴びて大破。
しかし、神通が被害担当艦となったお陰で味方艦への砲撃は殆ど無く、第二水雷戦隊はほぼ無傷のまま接敵に成功。雪風はじめ僚艦乗組員たちは集中砲火を浴びつつ探照灯を照らし続ける神通に合掌せんばかりの思いであった。
雷撃により、敵駆逐艦一隻を撃沈、((厳密には次発装填完了後の第二合戦で駆逐艦「グウィン」が機関室に被雷、大破炎上。夜戦終了後の復旧作業も間に合わず沈没している。))軽巡三隻と駆逐艦二隻を大破させた(ただし駆逐艦二隻の大破は、魚雷を回避しようとして衝突したのが原因)。
--神通以外の唯一の被害は、[[雪風]]が後部甲板に不発弾を受けたのみ。&color(Silver){雪風は沈みません!};
--上記のように自ら身を挺した彼女であったが、ただ囮になっていただけではない。
---大破炎上しながらも反撃で7本の魚雷を発射し、更に大爆発で真っ二つになりながらも、沈没の瞬間まで生き残った砲で盛んに砲撃戦を続行した。
その凄まじい闘志がこの戦果を呼び込んだのであろう。
---なお、敵軽巡「リアンダー」を大破させた魚雷のうち1本は、神通が発射したものであると言われている。
リアンダーの損傷は甚大で、1945年まで長期入渠する羽目となり、戦争中二度と前線に戻れなかった。
---因みに川内型の魚雷発射管は片舷4門。7本発射してるということは、真っ二つになった状態で艦の向きを変えるか、人力で再装填してまでぶっ放したということでもあったりする。
--余談となるが、本海戦での米海軍唯一の喪失艦であるグウィンは、第三次ソロモン海戦第二夜戦で[[綾波]]無双の結果中破し戦線離脱を余儀なくされ、
最終的に同夜戦に参加した米軍駆逐艦で唯一喪失を免れた幸運の持ち主だった。
結果的に帝国海軍の[[武闘派>霧島]][[筆頭>綾波]]たち%%&[[異能生存体>雪風]]%%と立て続けに交戦するはめになったことが、彼女最大の不幸といえるのではないだろうか。

-後にアメリカの戦史研究家サミュエル・モリソン元海軍少将から''「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」''という賞賛をうけた。((ただしモリソン氏の発言記録及び著書にはこの言葉は存在しておらず、実際に発言されたかは怪しいとされている))
--米軍資料によると、彼女の最期の戦いとなったコロンバンガラ島沖海戦では、艦首以外が沈んだ状態で2時間以上も1番砲のみで砲撃を続けていたらしく、その様子は畏敬をもって激賞されている。
--モリソンの賛辞はこの時の奮戦ぶりと、開戦以来の武勲に対するものであろう。
美保関事件で沈んだ蕨の思いもこれで遂げられたかもしれない。
-昭和18年7月13日午前1時30分、沈没。

-夜戦において旗艦が探照灯をつけることは危険な任務であり、司令部要員に危険が及ぶ事例も多い
事実、神通に乗っていた第二水雷戦隊司令部&艦長以下の艦橋要員も、艦橋に命中した敵弾によって壊滅した。
またそれにより退艦命令を出す者がいなくなってしまい、最後まで戦っていたのはこの辺りも関係している。
神通の生存者は米軍輸送艦に救助された2名、および味方伊号潜水艦に救助された21名程度であるといわれる。
また、この時神通の副長として戦死した近藤一声中佐は、キスカ島撤退や礼号作戦などで有名な木村昌福提督の実弟である。木村提督自身も、戦前に神通の艦長を務めたことがあった。
--6日前のクラ湾夜戦においても、第三水雷戦隊旗艦新月((秋月型駆逐艦で三水戦臨時旗艦。ちなみに本来の旗艦である川内はこの時改修入渠がようやく済んで隊に復帰する為に移動中だった。))が探照灯を使って司令官(秋山少将)が戦死しており、たった6日間で水雷戦隊司令官が二人も戦死しているのである。
神通個艦としては大健闘であったが、たやすくは再建できない司令部が短期間に2つも潰滅してしまったのだった。
--また第三次ソロモン海戦の比叡の例もあって探照灯を使うのは控えて星弾([[照明弾]])を使うという通達があり、それが全軍に行き渡っていなかったという説もある。
この戦い以降、日本海軍は第三水雷戦隊司令部全滅(新月)、第二水雷戦隊司令部全滅(神通)を重視したのか、
旗艦が探照灯を使って戦うという行動を起こさなくなり、その代わりに照明弾の使用を本格化させている。
クラ湾夜戦後においても照明弾の補充を求める駆逐艦[[谷風]]の報告も上がっていた。
この後のブーゲンビル島沖夜戦(姉妹艦[[川内]]が沈んだ夜戦)においては旗艦の[[妙高]](+[[羽黒]])は探照灯を使わずに照明弾を使用している。
なお第一次ソロモン海戦では、同様に戦った旗艦[[鳥海]](第八艦隊司令部)の戦闘詳報には「探照灯&被害の分散」を記載していて、
一方的な勝ち戦においても旗艦が探照灯をつけて戦う危険性を戦訓として残していた。
--もっとも、当夜の日米の戦力比は隻数で6対13、しかも巡洋艦3隻のうちホノルルとセントルイスは[[最上]]型に対抗して設計された艦で、15センチ3連装砲塔5基もの攻撃力を誇る。
巡洋艦の砲力だけ見ても14センチ砲7門対15センチ砲38門と圧倒的に連合軍が優勢で、しかもレーダーを搭載している。
そんな相手にもし正面切っての撃ち合いを挑めば、日本艦隊は手も足も出ずに殲滅された可能性が高いことも考慮する必要がある。

-『華の二水戦』。その代表旗艦「神通」というイメージは強いが、1942年8月23日より生起した第二次ソロモン海戦では爆撃により中破し、前線からしばらく退いている。
この間、二水戦旗艦は先代で経験も有った[[五十鈴]]が代理していた。そして、神通が復帰した後に起こった戦い、それがコロンバンガラ島沖海戦であった。

#fold(実は……){{
実は……

-コロンバンガラ島沖戦を含めた最後の改修時以降の神通の資料(文献・写真)は乏しく当時の装備状態が判明していなかったりする。
--一応姉妹艦の[[川内>川内改二]]と[[那珂>那珂改二]]の最終時を参考にし折衷した物を「最終時の神通」とする場合が多い。特に爆雷投下軌条や投射機等の対潜装備の有無や[[14cm砲>14cm単装砲]]の[[高角砲>12.7cm連装高角砲]]換装については諸説紛々レベルだったりする。

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-戦没から75年を経た2019年4月26日、数々の戦没艦艇を発見してきた故ポール・アレン氏の遺志を継ぐチームにより、コロンバンガラの海底に眠る神通が発見された。
伝えられる最期の模様のとおり船体は破断し前半部が横転しているものの、保存状態は非常に良好である。
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-公式色の強い漫画「いつか静かな海で」の8話~9話では少なくとも第16駆逐隊([[雪風]]・[[初風]]・[[天津風]]・[[時津風]])と第18駆逐隊([[霞]]・[[霰]]・[[陽炎]]・[[不知火]])へ訓練を施していた。
--初風や天津風からは畏怖されているが、神通なりに駆逐艦の事は大事に思っているようである。
--ノベライズ「陽炎、抜錨します」では18駆へ、桃井涼太氏の公式四コマでは42話で16駆に対してそれぞれ訓練を施しており、主に開戦直前の二水戦の編制を軸に据えているようである。後者では天津風を心配するあまりにぽろぽろと泣き出してという一幕が。当の天津風は「神通先輩は優しいけど、度を越して心配性なところがある」と称している。
-名前の由来は富山県を流れる神通川(岐阜県内では宮川)。
--川の名前は「じん''づ''う」と読むが、軍艦としての彼女は「じん''つ''う」と読むこととされた。
---ただし、河川法第四条第一項に定められた一級水系としては「じん''つ''う」と読む。
そのため、国土交通省をはじめとする公的機関の文書中には「じん''づ''う」と「じん''つ''う」が混在している。
---[[北上様>北上]]の%%名前読み間違いというか%%独自の訛りとは似て非なるものなので注意。
---彼女の名を受け継いだあぶくま型護衛艦の2番艦も「じん''つ''う」と同じ読み方である。&color(gray){ちなみにじんつうカレーは佐世保の護衛艦カレー大会で第3位となった。};
ニックネームは「Glorious Passage」(栄光の航跡)、陽炎型駆逐艦程の小さな艦体に、先代「神通」の栄光を背負って、今日も日本の海を守り続ける。
---富山市消防局には消防艇「神通」、救命艇「じんつう」がある。
--艦内神社は艦名に縁の有る神社(河川名由来の艦は流域内の神社)から分霊を受ける場合が多いが、神通川の場合は直接縁の有る神社が無いという事で、当初は皇大神宮(伊勢神宮内宮、天照大神)のみを祀っていた。
後に、富山県からの推薦により、高岡市の射水神社の分霊を祀るようになった。射水神社は神通川の流域ではないが、越中国一宮の内の一社である。
--富山県に縁の有る名前をもつ帝国海軍の艦は神通のみであり((海自では、上記の「じんつう」の他、黒部峡谷に由来する訓練支援艦「くろべ」がある。))、地元富山の岩瀬港((富山市中心部とは富岩運河で結ばれており、現在は遊覧船が運行されている。また、かつては造船所(日本海船渠)があり、丙型海防艦(艦これ未実装)を複数建造している。))に寄港した際には多くの見学者で街が賑わい、艦の乗員に銭湯券が配られたりと、その盛況振りや艦長のインタビュー記事が当時の富山新報(地元新聞)に載った程である。

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//---特にスラバヤ沖海戦では神通の消極的過ぎる戦術指揮が災いして、戦いの先陣を切ったのに全く戦果を挙げられず、遅れて到着したものの肉薄攻撃を敢行して勝利を決定づける働きをした[[那珂]]率いる四水戦に大きく水を開けられてしまった。
//--実際には戦争中盤まで三水戦や四水戦のほうが遥かに激戦を経験して戦果も挙げており、二水戦はむしろ他水雷戦隊に遅れを取ることが多かった。
*この艦娘についてのコメント [#comment]

#fold(過去ログ){{
#ls2(神通/コメント)
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#pcomment(./コメント2,reply,15)