|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.365|
|&attachref(./365_2nd.jpg,nolink,福江、呼んだ? 配置についてるから。);|>|福江(ふかえ)|>|択捉型 10番艦 海防艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|9|~火力|4 / 16|
|~|~装甲|4 / 16|~雷装|0|
|~|~回避|41 / 84|~対空|7 / 28|
|~|~搭載|0|~対潜|35 / 72|
|~|~速力|低速|~索敵|3 / 13|
|~|~射程|短|~運|36 / 78|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|10|~弾薬|10|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[12cm単装砲]]|
|~|>|>|>|[[25mm連装機銃]]|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''福江'' → [[福江改]](Lv48)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:択捉型海防艦、福江だ。&br;横須賀の近く、浦賀生まれだ。配備についた頃は、戦局はそうとうに傾いていたが、できることを、できる限り頑張った。&br;戦いが終わった後、もう一踏ん張りした。もっともっと働きたかったな。司令、よろしく……頼む!|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:小松真奈、イラストレーター:赤坂ゆづ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:小松真奈、イラストレーター:赤坂ゆづ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>福江/定型ボイス]])
#table_edit(福江/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>福江/時報ボイス]])
#table_edit(福江/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>福江/季節ボイス]])
#table_edit(福江/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2018年5月15日に開始した『[[主計科任務ミニイベ>期間限定ドロップイベント#Food2018]]』で実装。
--この時は2-4ボス、6-3ボスでドロップ。運営からは「※今年中に再邂逅できる予定です。こちらも物凄く無理する必要はありません。」と[[告知>https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/996394849115848705]]されていた。
--その後、2018初秋イベントや2018秋刀魚祭りイベントでドロップした。&color(Gray){「今年度」にならなくて良かった…。};
//--その後9月の初秋イベントや10月の秋刀魚イベントでもドロップする可能性があり、イベント時限定ながら邂逅する機会が発生してきている。
-過去には何度か期間限定任務の報酬になったこともある。
--2019年には『鎮守府「秋刀魚&鰯」祭り』限定任務『[[【特別任務】大丈夫、鰯があるじゃない!>任務/過去の期間限定任務#Q2019-6]]』選択報酬になった。
---[[択捉]]、[[松輪]]、[[佐渡]]、[[対馬]]との選択だった。
--2020年には『[[桃の節句!沖に立つ波]]』限定任務『[[【桃の節句作戦】主力オブ主力、駆ける!>任務/過去の期間限定任務#Q2020-3]]』(ウィークリー)選択報酬になった。
---[[択捉]]、[[松輪]]、[[佐渡]]、[[対馬]]との選択だった。
--2021年には『桃の節句任務群』限定任務『[[【桃の節句:拡張作戦】春の攻勢作戦!>任務/過去の期間限定任務#Q2021-4]]』(ウィークリー)選択報酬になった。
---[[択捉]]、[[松輪]]、[[佐渡]]、[[対馬]]、[[平戸]]との選択だった。
-名前の呼び方は『ふくえ』ではなく『ふかえ』である。理由は後述。
-対潜値は択捉と同じ。Lv3で四式ソナー2つ、Lv14で四式ソナー+三式投射機で先制対潜ができるようになる。
--改造可能になるまでLv48が必要と、育成には若干時間がかかる。
**キャラクター設定について[#character]
-実装5隻目となる択捉型。 実装時点で姉妹内では最年少だが、かなり気の強い性格。
--しっかり者の長女に似た真面目な海防艦娘。一方で態度は見掛けに寄らずけっこう武骨。[[連合艦隊旗艦のビッグ7>長門]]や[[陽炎型12番艦>磯風]]を彷彿とさせる勇ましい口調をしている。
--&color(Silver){ただし書棚には手が届いていない。};&color(White){かわいい。};
-フカの音から同じ音を持つ''「鱶(フカ)=&color(blue){鮫(サメ)};」''を連想させる海色のグラデーションの青い髪、期間限定グラフィックでたびたび口元から覗く八重歯がチャームポイント。
--実際、五島列島はシャークウォッチングの名所としても知られている。
-CVはなぜか実装から9か月近くの間発表されてこなかったが、『コンプティーク』2019年3月号の誌上でようやく小松真奈氏が担当していたことが判明した。
--同誌のインタビューによると、これまで真奈氏が演じられた艦娘よりもさらに小さいため、演じ方には苦労されたよう。また、上述した書棚に手が届かない戦績ボイスは真奈氏も印象深かったと述べている。
**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#e663e72e]
-2018年6月13日の更新で、梅雨modeの限定グラフィックが実装された。
--同時に実装された限定ボイスによると[[占守]]のことを「しむしゅしゅしゅ」とあだ名で呼んでいる。
-
#fold(限定イラスト:梅雨mode){{
限定イラスト:梅雨mode
&attachref(./365_Tsuyu.jpg,nolink,あっ。雨……か。最近はよく降るな。しむしゅしゅしゅ、それは何だ? てるてる坊主ではないよな。……新しい何かの欺瞞装置というわけか!? 違うのか? ふっ、怒るな。);
}}
-同年10月10日の更新で、秋刀魚modeの限定グラフィックが実装された。
--同時に限定グラフィックが実装された択捉とお揃いの法被姿で、秋刀魚を前に満面の笑みである。
-
#fold(限定イラスト:秋刀魚mode){{
限定イラスト:秋刀魚mode
&attachref(./365_Autumn.jpg,nolink,秋刀魚漁支援か、任せてくれ。大湊、そして北の海は私のベースだからね。頑張るよ。まずは、明かりだッ!);
//中破絵は無しで
}}
-同年12月21日の更新で、Xmasmodeの限定差分グラフィックが実装された。
--一応通常グラフィックの差分ではあるが、赤いもこもこサンタ服なので印象が大きく異なる。%%袋の中には大量の爆雷が詰め込まれているが、誰にプレゼントするつもりなのか。%%
-
#fold(限定イラスト:Xmasmode){{
限定イラスト:Xmasmode
&attachref(./365_Xmas.jpg,nolink,ふーん、クリスマスっていうお祭りか。綺麗ね。しむしゅしゅしゅ、あれは何? …ふーん?);
}}
-2019年2月27日の更新で、桃の節句modeが実装された。
--[[対馬]]とペアで実装。こちらは男雛。
-
#fold(限定イラスト:桃の節句mode){{
限定イラスト:桃の節句mode
&attachref(./365_Hinamatsuri.jpg,nolink,司令。どうも慣例みたいだ。);
}}
-2020年2月7日の更新で、バレンタインmodeが実装された。
--ビターな爆雷チョコらしい。
-
#fold(限定イラスト:バレンタインmode){{
限定イラスト:バレンタインmode
&attachref(./365_Valentine.jpg,nolink,……あまり甘くないよ?);
}}
*小ネタ [#trivia]
-名前の由来は五島列島の福江島(ふくえじま)である。福江島は戦後ふくえじまに改称されるが、戦前はふかえじまと読んでいたため、この艦も戦前の「ふかえ」読み・表記である((ただし、古い一部のミリタリ書籍では「ふくえ」表記されているケースが有るので注意したい))。
戦後、二代目として海上自衛隊のたかみ型掃海艇16番艇『ふくえ』(MSC645)が1976年に就役。掃海母艇MST476→掃海管制艇MCL721と変遷を経て1999年に除籍された。
-1942年4月2日進水。同年6月28日竣工。横須賀鎮守府に配属され、パラオ、グアム、トラック、テニアン、基隆、花蓮港、呉淞、上海、サイゴン、バンコク、葫芦島、沖縄を駆け巡った。
-1944年7月18日、大湊警備府部隊に編入。その後1945年1月27日、佐世保鎮守府司令長官の指揮下に入る。
-2月23日、沖縄戦に向けて石垣島へ兵員を輸送するべく、佐世保発宮古島・石垣島行きの輸送船団であるサイ01船団(宮古島行き貨物船2隻、石垣島行き貨物船1隻・貨客船1隻、護衛は宮古島行き敷設艇燕、石垣島行き福江、敷設艇怒和島、燕、第19号駆潜艇、特設駆潜艇三興丸)が編制され、名前の由来となった福江島にある富江港を出発し、那覇を経由して石垣島へ向かい、宮古島行きは3月1日早朝に、石垣島行きも同日それぞれ目的地に到着した。
ところが、同日米海軍第58任務部隊が南西諸島を空襲した。昼過ぎから空襲が始まり、宮古島ではまず特設運送船とよさか丸が被弾し積荷のドラム缶詰めガソリンに引火、大音響とともに大爆発を起こし、黒煙を残して轟沈。陸軍輸送船大建丸も回避行動をとったものの被弾炎上し沈没。護衛の燕も回避行動をとりつつ沖合へ向かうが直撃弾を受けて夕方頃に沈没。石垣島でも江戸川丸と護衛の福江と怒和島がいずれも損傷する。
翌2日、サイ01船団は佐世保へ向け石垣島を出港するが、尖閣諸島北方で哨戒中のPB4Y-2 プライバティアの空襲を受けて日輪丸が被弾沈没。14日に船団は佐世保に到着している。宮古島行きの船団は護衛艦を含めて全滅、石垣島行きも佐世保に到着できたのは海軍一般徴用船江戸川丸ただ1隻という大損害を受けた。
-24日、福江は大湊警備府に復帰、直卒部隊に編入。4月10日、占守、国後、八丈、択捉、福江、笠戸の6隻で104戦隊が編成、大湊警備府に編入される。6月18日、104戦隊は第12航空艦隊に編入。
--なお第12航空艦隊と大湊警備府の幕僚はほぼ同一であり、この変更は書類上の意味しかなかった。
-6月頃、オホーツク海や北海道、東北地方の太平洋でアメリカ潜水艦の目撃情報が相次ぎ、船舶の被害が増大した。大湊警備府はこれら潜水艦を撃破し、あわせて宗谷海峡、津軽海峡における通過阻止を意図して6月30日に対潜作戦を計画、7月3日より開始した
--宗谷海峡方面をS61号作戦、津軽海峡方面をS62号作戦と呼び、択捉と笠戸を除く第104戦隊所属艦は宗谷海峡方面のS61号作戦に従事した。
-1945年7月14日から15日にかけて、米海軍第58任務部隊が北海道全土と青森県を空襲した。青函連絡船全12隻のうち8隻沈没、2隻大破、2隻航行不能となった。
--ほかにも津軽海峡方面を中心に青森と北海道沿岸にいた艦船が多数沈没損傷し、これによりS62号作戦は中止となった。
--福江も7月15日に中破と記録されているが、福江が配属された宗谷海峡方面はアメリカ軍の空襲はなく、同じS61号作戦に参加していた同僚艦にもこの両日には損害はなく、戦闘ではなくなんらかの事故による損傷ではないかと思われる。
---なおセリフでは青函連絡船や八戸を口にしているが、八戸にはいったことがなく、連絡船も青函ではなく稚泊連絡船のほうが関わりが大きい
--自力航行が可能であったため、大湊へ帰還、7月31日まで修理を行う。この時、北海道で座礁し、修理中だった[[稲木]]がいた。福江と稲木が会ったのはこの時だけである。
--その海防艦稲木は8月9日、八戸港蕪島沖で空襲にあい壮絶な戦いの末に沈没した。
-修理完了後は、宗谷海峡方面で継続中であったS61号作戦に復帰したと思われる。
-8月9日、ソ連対日参戦。日本は13日から樺太からの緊急引揚輸送を開始、付近の艦船を招集。択捉、国後、占守、福江と104戦隊も招集される。なお択捉と占守は8月15日を稚内港で迎えているため、福江も稚内港で終戦を迎えたと思われる。残されている記録では8月21日に引揚者700名を運んでいる
-戦後は復員輸送として多数の引揚者を運んだ。1947年7月にシンガポールでイギリスに戦時賠償艦として引き渡され、その後解体された。
--これは戦時中英国で大量に建造された護衛艦艇達(護衛駆逐艦やコルベット、フリゲート)は数が多すぎて終戦後かなりの余剰が発生したため。このうち状態の良いものは多くの国々へ供与されたが、それでも余ったものは退役、解体された((それでも50年代まで使用されたため、戦後すぐに退役したものが多数いるイギリスやアメリカの護衛駆逐艦よりは長く活躍した。))。
-引揚輸送の最中に、福江艦上で赤ちゃんが、それも二人産まれた。
--昭和21年2月20日、テニアンから沖縄へ向かう途中で男の子が生まれた。崎川重男軍医長は艦長室を臨時の産室にして、ただ一人で初めての出産に対した。この時は、海上は平穏、分娩も正常で安産、一時間半後に元気な男の赤ちゃんが産まれた。
「室温36度、湿度80%、蒸し風呂のような艦長室からバスルームに飛び込み、汗まみれの全身を洗い流し、上甲板に出て心地よく潮風に吹かれながら、テニアンで米軍医からもらったキャメルを胸いっぱい吸い込んだ旨さは今もって忘れられない」と軍医長はのちに語っている
--艦内は喜びに沸き、田ヶ原義太郎艦長は福男と命名した。
--もう一人はそれから約20日後の3月10日、台湾から鹿児島へ向かう途中で女の赤ちゃんが産まれた。
--前回と違い、今度は荒天であり、艦は上下左右に激しく揺れ、引揚者の大部分は船酔いでダウンしていた。産気づいた妊婦は後部引揚者収容室におり、医務室や艦長室に運ぶこともできなかった。そこで、その収容室にマットを重ね、毛布を張り巡らして一畳半ぐらいの急場の産室を造った。
--苦心して運んだ産湯も揺れまくり、引揚者の中にいた助産婦も船酔いで動けず、軍医長はまたしても一人で対処することになったのであるが、妊婦の陣痛は微弱であり、陣痛促進剤など福江にはなく、できることは艦の揺れにあわせて力むよう応援することだけであった。
「空転するスクリュー音、耳をつんざき咆哮する強風、逆巻く怒涛の音、波を枕にとは申せ、あの光景は二度と経験することはないでしょう」
--3時間余りの苦闘のすえに女の子が産まれ、艦内は再び喜びに沸き、艦長は福江と命名した。
--福江も福男も母子ともに健康で、数日で内地に上陸、乗組員一同すくすくと元気で成長することを祈って別れを惜しんだ
-昭和45年に引揚艦福江の親睦会福江会が発足し、年に一回幹事各地持ち回りで行われ、全国から30名前後が参加していた。昭和59年は第15回にあたり、これを記念して福江島を訪問した。
--福江会では福江艦の歌を書いた揃いの浴衣を全員着用し、最後はこの歌を全員で合唱していた。
#fold(福江艦の歌){{
福江艦の歌
1.祖国日本を船出して 遠き南に戦いて
真蒼き海に飛ぶ魚を 寂しく眺め今帰る
勇士を乗せる ああ福江艦
2.ああこの空よこの海よ 散りにし幾多の戦友の
御霊安らにみそなわせ 静かな海を今帰る
勇士を乗せる ああ福江艦
}}
その福江会で福男さん、福江さんを懐かしむ声が大きくなり、第15回の記念事業として取り上げられ、昭和60年2月28日の朝日新聞「消息求む」欄に投書したが、反応もなく半ば諦められていた。
--しかし、長野に住んでいた上島久人氏の「福男・福江さんや~い」が平成2年1月10日の朝日新聞「こどもテーマ談話室」欄に載ったことで事態は大きく変わる。その21日後の1月31日の同欄に「艦長さんが名付け親の福江です」の見出しとともに福江さん自身の文章が載っていたのである。福江さんはそのころ鹿児島に在住し教員と結婚して3人の子を持つ主婦となっていた。
--また翌年2月6日、沖縄タイムズに福男さんお元気ですか、関係者が消息たずねるの記事が掲載されその3日後に同じ沖縄タイムズに「引揚げ船で生まれたのは私です。福男さんが名乗りでる」の記事が福男さんと両親の写真とともに掲載された。
---それによると福男さんの出生予定は石垣島到着以後のはずであったが航海中に早まったこと、今は同島の市役所に勤務しており、5人の子供にも恵まれた。「生まれたいきさつは聞いていたのでいつかこの日が来ると思っていた」と喜んでいるとのことであった。
--平成2年9月22日、四国高松市で開かれた第21回福江会で乗組員と福江さん福男さんは再会した。あれから44年が過ぎていた。伊藤会長をはじめ会員たちは再会できた喜びとお二人誕生のころの思い出を語った。かつての軍医長は産婆役はこの二回しかなかったが、お二人を取り上げたときのぬくもりは忘れないと語り、他の会員達は産湯を浴びる当時のスケッチ、往時の航路と誕生地点を記した海図、福江艦の写真、福江会の浴衣を贈った。
--福男さんは
「こんなに盛大な歓迎を受け、皆さんの心の温かさに言葉もありません。お話を聞くたびに感激が体中を走る感じです。幸い両親も健在なので、ぜひ皆さんに石垣島に来ていただきたい」
と述べ
福江さんは
「この日を楽しみにしていました。私の出生の様子がすべてわかりこんなうれしいことはありません。皆さんにお会いして私の名前の尊さを感じました。本当に良い名前です。母が生きていてくれたらと残念です」
と語ったのであった
*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
#ls(./)
}}
#pcomment(./コメント2,reply,15)