|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.124|
|&attachref(./124_2nd.jpg,nolink,鈴谷だよ!にぎやかな艦隊だね!よろしくね!);|>|鈴谷(すずや)|>|最上型 3番艦 重巡洋艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|40|~火力|40 / 59|
|~|~装甲|30 / 59|~雷装|18 / 69|
|~|~回避|31 / 62|~対空|18 / 59|
|~|~搭載|6|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|14 / 39|
|~|~射程|中|~運|5 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|40|~弾薬|65|
|~|~艦載|>|>|~装備|
|~|2|>|>|[[20.3cm連装砲]]|
|~|2|>|>|[[零式水上偵察機]]|
|~|2|>|>|未装備|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''鈴谷'' → [[鈴谷改]](Lv35) → [[鈴谷改二]](Lv84+[[改装設計図>改造#blueprint]]) &color(Red){''⇔''};((航改二→改二への改装では設計図不要(再度航改二にする場合は再び設計図を消費)。)) [[鈴谷航改二]](Lv88+[[改装設計図>改造#blueprint]])|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:鈴谷は最上型重巡洋艦の3番艦。横須賀海軍工廠生まれなんだよ~、ふふ~ん。&br;巡洋艦の名前は川由来なんだけど、鈴谷は樺太の鈴谷川がその由来なの。知ってた?|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

#fold(CV:ブリドカットセーラ恵美、イラストレーター:コニシ  (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:ブリドカットセーラ恵美、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,定型ボイス一覧)
#table_edit(鈴谷/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,時報ボイス一覧)
#table_edit(鈴谷/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,季節ボイス一覧)
#table_edit(鈴谷/季節ボイス)
~
}}

*ゲームにおいて [#about]
-2013年8月1日アップデートの2013年夏イベント『[[南方海域強襲偵察!]]』の[[第三海域>南方海域強襲偵察!#area3]]クリア報酬として先行実装。
--本来は別のイベントで実装される予定だったが、潜水艦[[伊19]]の音声録り忘れというアクシデントで、代わりに先行投入されたとか。

-2013年10月04日アップデートで本実装された。((姉妹艦である[[熊野]]より一足先に建造可能となっている。))
--通常の建造で、いわゆる「戦艦レシピ」などで高くない確率で建造出来る。
--大型建造でも建造できる。

-横須賀生まれの最上型四姉妹三女。[[お嬢様の妹>熊野]]とは対照的にギャルっぽい性格なのが印象的。
&color(Silver){ついでに何とは言わないがある一部分のサイズも対照的。};

-史実では存在しなかった航空巡洋艦への改造も可能。改造可能レベルが妙に高い点に一応注意。
--改造すると低い運(5)が平均並に上がるが、残念ながら[[三隈]]ではないので[[三隈砲>20.3cm(3号)連装砲]]は持ってきてくれない。
--航空巡洋艦が2隻必要なクエストがある。鈴谷は航空巡洋艦の中では入手しやすい方なのでゲットできたら忘れずにこなしたい。

**[[限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2016年12月22日のメンテナンスでクリスマスグラフィックが公開された。
--サンタのくせにプレゼントを要求してくるのがどうでもよくなる刺激的なセクシーサンタコス。
--同グラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
--他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
--ちなみに後に実装された[[鈴谷航改二]]でもグラフィックは共通なので、軽空母でありながら脚部に[[改二>鈴谷改二]]時代の20.3cm連装砲が復活する。
-
#fold(限定イラスト:クリスマスVer.){{
限定イラスト:クリスマスVer.
&attachref(./124_Xmas.jpg,nolink,めりくりめりくり! 提督、めりくりだよー。はい、鈴谷にプレゼント、ちょうだい? ん?);
}}

*小ネタ [#trivia]
-木村昌福艦長時代((1940年10月~1942年11月。))の活躍が特に有名な最上型3番艦。

-横須賀海軍工廠にて1934年(昭和9年)11月20日進水、1937年(昭和12年)10月31日就役。
進水式に昭和天皇が臨席した事が乗組員の誇りであった。
-進水後の1935年に第四艦隊事件があり、既に就役していた最上型2隻([[最上]]・[[三隈]])も損傷を受けた。
そこで、竣工前の鈴谷と[[熊野]]は、船体強度を上げるために船体形状の設計が変更された。
そのため、鈴谷と熊野を指して「改最上型」あるいは「鈴谷型」とすることもある。戦中に建造された重巡伊吹(建造途中で空母に改設計されたが、未完成で終戦)などは「改鈴谷型」となっている。
--同じ最上型で艦娘の制服が違うのはこのため。
-艦名の由来は樺太南部の豊原市((現・ユジノサハリンスク。))を流れる鈴谷川((ロシア名Susuya(ススヤ)川。))。ただし、地名としては濁らずに「すすや」と読む。
--書類上は二等巡洋艦だったため、河川名由来である。
--2015年5月時点では、艦これ収録の戦闘艦名としては((戦闘艦以外では間宮海峡が由来である給糧艦の間宮さんも該当する。また2025年3月8日に砕氷艦[[大泊]]も実装された。))、唯一の現日本国外の地名であった(もちろん海外艦は除く)。
---2017年5月2日、北千島列島の占守島の名を持つ海防艦「[[占守]]」、いわゆる北方4島のうちの一つ国後島の名を持つ海防艦「[[国後]]」が実装。
---ちなみに初代である通報艦「鈴谷」はロシア海軍二等巡洋艦「ノヴィーク」((蒸気レシプロ機関時代の当時としては超高速の26ktを発揮した偵察用巡洋艦。ただ日本が修理した際には機関の完全修復はされず、速力は大幅に低下した。))を捕獲・改名したものである。鈴谷川河口よりやや南にあるコルサコフ((日本名大泊))沖で自沈しており、日本の樺太占領時に確保された。
---海外地名という事情もあり、最上型で唯一戦後に名前が継承されていない。
---艦内神社も豊原市に存在した「樺太神社((ソ連占領後に放棄され現存せず。現在跡地は公園に整備され、「栄光広場」他、旧ソ連のWW2終戦を記念する施設に生まれ変わっている。毎年9月初旬に終戦記念式典が開かれる際は、トラブル防止のため日本人観光客は原則立ち入り禁止となる。))」から分祀を受けていた。
--なお、「すすや」という地名はアイヌ語由来であり、艦これ実装艦では他は[[夕張]]・[[神威]]のみである。
「すすや」をアイヌ語で正しく発音すると「''シュシュヤ''」、柳の岸という意味。
(シュシュ=柳、ヤ=岸)
---つまり「鈴谷川」をアイヌ語の原意に沿って和訳すると「岸に柳が生えている川」となる。
意訳すれば「柳岸川」と言えなくもない。
 

-ベンガル湾における通商破壊戦で、捕捉した商船から船員が脱出するのを目撃、全員脱出してボートが充分に離れたのを見届けてから砲撃して沈めるという、人命尊重の戦いをしていた。「撃っちゃあいかんぞぉ!」
--その際高角砲で船底を狙い撃ち、出来るだけ人的被害をおさえ、船だけを撃沈する戦法をとっていた。
--又、コロンボ襲撃の際には消費弾数、[[熊野]]の主砲333発、高角砲186に対して、鈴谷は主砲190、高角砲64発とその的確な判断力が見て取れる。
-[[ミッドウェー海戦>雑学#MidWay]]で、第七戦隊の一員として最上型四姉妹揃って出撃。敵潜水艦をさけるための変針指示で戦隊が混乱、鈴谷が陣形から離れてしまい、これが最上・三隈の衝突につながった。
--衝突事故の際、戦隊旗艦[[熊野]](司令官は栗田健男少将(階級は当時))が「我ニ続ケ」と鈴谷に信号を送るが、鈴谷の木村昌福艦長(カイゼルひげのあの人)は「我機関故障」と偽って大破した三隈の救助にあたり、三隈姉の介錯をした。
--…という話を、当時の鈴谷運用長であった前田一郎氏が証言しているのだが、実はこの話は前田氏「しか」証言しておらず、他の当事者たちの証言とは全く食い違っている((と言うか他のあらゆる報告・証言とも食い違っている))。三隈乗員を救助したのは[[朝潮]]、[[荒潮]]であり、三隈生存者や、この2隻の駆逐艦乗員、どこの誰も「鈴谷が救助に来た」事を見ていないし証言もしていない((これに関して、退避中の第八駆逐隊が発した「敵艦見ユ」の「敵艦」が鈴谷であった可能性がある。該当する米艦が存在しないからだが、今後の考証が待たれる。))
---なお、鈴谷は[[朝潮]]が救助した崎山釈夫三隈艦長以下乗員を、朝潮と合流した8日に収容した事が記録されている。前田氏はこの出来事と、その他の記憶とが混同して、このような証言をしたのでは?とも考えられる。
なにせこの証言は戦後40年、明治40年生まれの前田氏が喜寿に近い高齢の時に収録されたもの。記憶に曖昧な部分が出るのも仕方がない話である。
---戦記物など、後年当事者によるインタビューなどでは、往々にしてこういった勘違いは起こる。戦闘を繰り返す激戦の中、個人的に当時の記録や日記を克明に残しているような人はまずおらず、書いていたとしても戦後何十年も経ってからのインタビューでは亡失していたりしている事も多い((そういった意味では開戦前から終戦まで、ほぼ毎日日記を残していた宇垣纏提督の「戦藻録」がいかに重要な記録であることがわかる))。そのため戦時中経験した色んな出来事がごっちゃになってしまっている事が多くあるので、当事者の証言といえども単純に「当事者が言っているのだから間違いない」とは考えない方が良い。どうしても事実かどうか知りたいのなら、他の生存者の証言や記録などを比較して自分自身で判断するのをお勧めする。

-地味な所では第3次ソロモン海戦において、[[比叡]][[霧島]]の砲撃が失敗したのを受けて、代わりに[[摩耶]]とともにヘンダーソン飛行場に[[20センチ砲>20.3cm連装砲]]を叩き込んだりしている。
ただ、[[戦艦>金剛]][[2隻>榛名]]の[[35.6cm連装砲]]ですら米軍のレポートで「空襲に依る被害が甚大で、艦砲による損害は大したことなかった」と言われており、威力不足は否めず、また米軍もブルドーザーを投入していたため、戦果は航空機多数撃破にとどまっている。
-南太平洋海戦で雷撃機の集中攻撃を受けたことがある。7本の魚雷をことごとく回避してみせた木村艦長だったが、そこに両舷から挟み撃ちのように魚雷を撃たれて、もはや回避不能な状況になってしまった。
--ここで木村艦長は「真っすぐ行け」と命令した。これは、どうせ当たるのだから、せめて操舵手には「命令通りにやったら当たった」と言い訳できるようにしてやろうという艦長の配慮だったという。
なおこの時の木村艦長の述懐が「信頼する部下が迷ったときは、艦長として何らかの指示を与えて自分の立場、自分の責任を明確にすべきだと思った」。人の上に立つ者の重い言葉である。
しかし、左から来た魚雷は信管過敏で早爆、右から来た魚雷は深度が深すぎて艦底をくぐり抜けていったと言う豪運を発揮した。
-最後の戦いとなったレイテ沖海戦でも、当たらなければ(ryを押し通す見事な回避を見せていたが、至近弾により右舷魚雷発射管付近で火災が発生。
同じ頃被雷大破した[[熊野]]の第七戦隊司令部からは、鈴谷は健在のように見えたので鈴谷に移乗してしまう。
鈴谷の状況を移乗後に知った第七戦隊司令部は、無事な[[利根]]へさらに移乗しようとしたが、利根は既に筑摩と共に米艦隊に向けて突撃しており、鈴谷は痛めた身体を押して利根を追いかける羽目になる。
-漸く追い付いた鈴谷は利根に横付けを求めたが、鈴谷の魚雷発射管室付近から炎が噴き出しているのを見た利根は危険と判断、距離を置いて短艇を派遣することにした。
--はたして、利根の危惧は現実のものとなった。まもなく鈴谷の酸素魚雷は大爆発。その様子はまるで桜島の噴火のようだったという。
爆発は付近の構造物を跡形もなく吹きとばしたのはもちろん、さらには下の防御甲板を貫き、右舷機械室を爆砕して舷側を突き抜け、巨大な穴を開けた。
--この一撃がすでに致命傷だった上に、高角砲弾と機銃弾が次々と誘爆を起こし、さらに左舷の魚雷まで大爆発。
彼女は手の付けられない大火災と爆発に包まれた末、沈んでいった。
命中弾を受けずに沈んでしまったという不運さが「運5」に現れてるのかもしれない。
---何気に不幸(扶桑)姉妹と同じである。
--この時、第七戦隊司令部は駆逐艦[[雪風]]と[[沖波]]に鈴谷乗組員の救助を命じた。
ところが、雪風は所属する第十戦隊司令部から戻ってくるように命じられて離脱してしまった後であり、鈴谷の救助は沖波一隻だけで行うことになった。
沖波は空襲と波浪に苦労しながらも、約6時間かけて鈴谷艦長・寺岡正雄大佐を含む鈴谷の生存者412名と利根の短艇乗員を収容することに成功する。
しかし、その間に沖波は栗田艦隊からはぐれて単艦になってしまい、日没をもって生存者の救助は打ち切られることになった。
だが、救助された鈴谷の乗組員の半数はフィリピンの地で陸戦隊員となり、その多くは戦死。日本に帰国できた者はごくわずかであった。

-鈴谷の慰霊碑は昭和52年10月23日、広島県呉市の旧海軍墓地(長迫公園)に建立された。
また碑の敷地内には鈴谷沈没時に乗組員の救助を行い、10月26日に米軍機による攻撃を受けた駆逐艦沖波の戦没者慰霊碑も建立されている。

-歴代艦長には[[木村昌福>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%98%8C%E7%A6%8F]]のほか、最後の軍令部次長・[[高柳儀八>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9F%B3%E5%84%80%E5%85%AB]]、三水戦司令官・伊集院松治大佐の弟であり、[[大和]]艦長もつとめた[[大野竹二>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E%E7%AB%B9%E4%BA%8C]]などがいる。
-秘書艦設定時の台詞は「甲板艤装」が正しいと思われていたが、何度聞いてもニーソに聞こえる。どちらが正しいのか、ちょっとした議論にもなった。
--公式による「【9月作戦】提督人事発表」のコメントでは、運営も「甲板ニーソ」という言葉を使っているが、やはり甲板ニーソだったのかそれとも単にネタに乗っかっただけなのかは判断の分かれる所である。
--『艦娘型録』では、鈴谷のページでは「甲板ニーソ」、鈴谷改のページでは「甲板艤装」と書かれている。ますます謎が深まる。&color(silver){単なる修正ミスかもしれんが。};
-スリムになった艦橋のせいかぺたんこ揃いの最上型以降の重巡において、筑摩と並び''ぶっちぎり''の胸部装甲を誇る。%%対のはずの利根と熊野は泣いていい%%((が、利根は「隠れ巨乳」の主張も根強い。利根改二のクリスマスグラフィックの中破絵を見る限りそれなりのサイズはあるようである。))。
*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
#ls(./)
}}
#pcomment(./コメント3,reply,15)
&size(13){''&color(Red){建造成果の報告は[[建造レシピ]]内にあるコメント欄に、&br;ドロップ報告に関しては[[出撃ドロップ]]内にあるコメント欄にて行なっていただけると幸いです。};''};