|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.135|
|&attachref(./135_2nd.jpg,nolink,夕雲型駆逐艦四番艦、長波サマだよ!さーいくぜ、オーッ!);|>|長波(ながなみ)|>|夕雲型 4番艦 駆逐艦|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|16|~火力|10 / 30|
|~|~装甲|6 / 19|~雷装|24 / 69|
|~|~回避|47 / 80|~対空|9 / 39|
|~|~搭載|0|~対潜|27 / 52|
|~|~速力|高速|~索敵|6 / 19|
|~|~射程|短|~運|13 / 49|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|15|~弾薬|20|
|~|>|>|>|~装備|
|~|>|>|>|[[12.7cm連装砲]]|
|~|>|>|>|[[25mm連装機銃]]|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|~|>|>|>|COLOR(gray):装備不可|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''長波'' → [[長波改]](Lv30) → [[長波改二]](Lv75+[[改装設計図>改造#blueprint]]+[[戦闘詳報>アイテム#report]])&br; →[[長波改二補]](Lv92+[[工廠資源>アイテム#ArsenalResource]]x3+高速建造材x60+開発資材x48)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:マル4計画で建造されて戦時就航した夕雲型四番艦、長波だ。&br;栄光の第二水雷戦隊で縦横無尽の活躍したぞ。&br;ガダルカナル島では、田中頼三少将の名指揮で、&br;敵の待ち伏せを完膚なきまでに蹴散らしてやったぜ。|
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:竹達彩奈、イラストレーター:藤川 (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:竹達彩奈、イラストレーター:藤川
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>長波/定型ボイス]])
#table_edit(長波/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>長波/時報ボイス]])
#table_edit(長波/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>長波/季節ボイス]])
#table_edit(長波/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2013年10月16日メンテナンスで[[巻雲]]と同時に実装された艦娘。
--武勲艦として名を立てた艦のためか、運の値が高めである。
--改造可能Lvが高いが、[[貴重なホロ装備、三式ソナー>三式水中探信儀]]を持ってきてくれる。
---2017年12月27日、夕雲型初の[[改二>長波改二]]が実装された。改装設計図に加えて''戦闘詳報''も要求される。
//-2014年2月26日のアップデートより5-4のボス、道中ともに入手可能となった。5-3突破済の提督はそちらを推奨。
//--かつては3-2,4-4,5-1,5-3各ボスからのドロップしか判明されておらず入手は困難だったが、5-4は周回が比較的容易なマップである為、入手難易度は大幅に下がったと言える。
//2期移行に伴いドロップ情報をコメントアウト
-かなりの自信家で、一部のボイスでは自身の事を「長波サマ」と自称している。
-とある理由により、「艦隊の育成」を考える際に駆逐艦はおろか&color(blue){''全艦娘でトップクラスの改二優先度''};を持つ艦となっている。
なるべく早めに探し当てて育成したい。
#fold(長波改二の重要性について){{
[[長波改二を必要とするクォータリー(3か月に1度)の任務>任務#id-Bq6]]があり、それで[[''戦闘詳報''>アイテム#report]]というアイテムが獲得できる。
この戦闘詳報、[[改装設計図>改造#blueprint]]と同様に様々な艦娘の改装に使用するだけでなく、装備の更新にも使用する機会の多いアイテムである。
ないならないなりのやりようはあるが、戦闘詳報を使わないと受けられない恩恵が増えており、かなり大きな制約を受けた艦隊運営を迫られることになる。
尚、この任務には[[高波]]改・[[沖波]]改・[[朝霜]]改のいずれかも必要。
}}
-何とは言わないが中破時に''かなり存在感のあるもの''を持っていることが暴かれる。&br;通常時はほとんど目立たないので余計にインパクトがでかい。
--同様の傾向は[[姉>夕雲]]や、そっくりさんの[[この子>秋雲]]にも見られる。
制服は全員同じなので、もともとそういうのが目立ちにくいデザインの服なのかもしれない。
-2017年7月14日のアップデートで実装された[[戦闘糧食]]の改修役に、[[阿賀野]]姉ぇ共々抜擢。&color(Silver){%%チャーハン勢。%%};
--あちらと違い毎日改修可能なので、おにぎりを潤沢に所持していれば、改修任務で日にネジ1個を増やすことが出来る。&color(Silver){%%毎日チャーハン。%%};
**[[期間限定グラフィック>艦娘カード一覧(期間限定グラフィック)]] [#graphic]
-2016年4月22日のアップデートより、三周年記念春の花束modeグラフィックが実装された。
--毎年同時期にも実装されているが、花束や指に細かな違いがある。
-
#fold(限定イラスト:春の花束(2016年)mode){{
限定イラスト:春の花束(2016年)mode
&attachref(./135_Hanataba.jpg,nolink,マジかよ3周年って~、ひぃ~なんかちょっちすげぇなぁ。);
}}
#fold(限定イラスト:春の花束(2017年)mode){{
限定イラスト:春の花束(2017年)mode
&attachref(./135_Hanataba_2017.jpg,nolink,嘘だろ四周年って?! ひぃ~有りえんなぁ…ま、いいか。);
}}
#fold(限定イラスト:春の花束(2018年)mode){{
限定イラスト:春の花束(2018年)mode
&attachref(./135_Hanataba_2018.jpg,nolink,まぁ、なっちまったものは仕方無い。);
}}
#fold(限定イラスト:春の花束(2019年)mode){{
限定イラスト:春の花束(2019年)mode
&attachref(./135_Hanataba_2019.jpg,nolink,今年もいっちょ暴れるかぁ、なっ提督!);
//中破絵は無しで
}}
#fold(限定イラスト:春の花束(2020年)mode){{
限定イラスト:春の花束(2020年)mode
&attachref(./135_Hanataba_2020.jpg,nolink,嘘だろ七周年って?!);
//中破絵は無しで
}}
#fold(限定イラスト:春の花束(2021年)mode){{
限定イラスト:春の花束(2021年)mode
&attachref(./135_Hanataba_2021.jpg,nolink,マジか八周年って!? ひぃ~なんかちょっち驚きだよ。);
//中破絵は無しで
}}
#fold(限定イラスト:春の花束(2022年)mode){{
限定イラスト:春の花束(2022年)mode
&attachref(./135_Hanataba_2022.png,nolink,まぁじかぁ、九周年って!? ひぃ~! ありえるかフツー!?);
//中破絵は無しで
}}
-2023年4月23日のアップデートで、十周年を機に新規グラフィックの花束modeが実装された
-
#fold(限定イラスト:春の花束(2023年)mode){{
限定イラスト:春の花束(2023年)mode
&attachref(./135_Hanataba_2023.png,nolink,うっそだろ!? マジ、十周年って。ひぃ~! ガチで驚いた);
}}
-2016年9月16日のアップデートで季節限定グラフィックとして浴衣modeが実装。
--自身が戦没した季節でもあるためか、反応が若干テンション低めである。
-
#fold(限定イラスト:鎮守府秋祭りVer.){{
限定イラスト:鎮守府秋祭りVer.
&attachref(./135_Autumn.jpg,nolink,うげぇ、ついにこの季節だよー。なんかもう空見上げちゃうねー。いつもさあ、って敵機かっ!なんだ瑞雲か。なんか最近増えたな瑞雲。);
}}
-2017年7月31日のアップデートにてローソンコラボとして【炒飯mode】が実装された。
--すっごいキラキラしてる。&color(Silver){%%そんなに好きなのか、チャーハン。%%};
-
#fold(限定イラスト:炒飯mode){{
限定イラスト:炒飯mode
&attachref(./135_Lawson.jpg,nolink,おぉ!提督、チャーハンつくるの上手だなぁ~、ありがたい!);
}}
-2018年2月17日のアップデートにて【エンガノ岬決戦mode】(差分)が実装された。
--改二以前にも用意されており、中破時の表情が違う。
--通常の立ち絵は他の限定グラフィック同様、冬イベント終了後に図鑑に格納されたものの、
通例は併せて格納されるはずの、カード状態に加工されたイラスト及び中破立ち絵は何故か図鑑に格納されていない。
-2025年08月27日のアップデートにて、【水着mode】が実装された。
--夏を満喫しており、大きなスイカを抱えてはしゃいでいる。%%これがホントの長波Summer%%
-
#fold(限定イラスト:水着mode){{
限定イラスト:水着mode
&attachref(./135_Summer.png,nolink, うぇ~。夕雲姉、なに水着とか用意しちゃってるの~? へぇ~、やるねぇ。あ、なに高波? 私はやんないよ! やんないからね!!);
}}
*小ネタ [#trivia]
#fold(戦歴){{
戦歴
|CENTER:BGCOLOR(#000000):COLOR(#FFD285):40|CENTER:BGCOLOR(#FFD2B5):40|BGCOLOR(#FFD2B5):650|c
|1941|4.5|藤永田造船所において「第119号艦」の名で起工|
|~|12.17|「長波」と命名|
|1942|3.5|進水|
|~|6.30|竣工。舞鶴鎮守府籍|
|~|7.17|大海令114号により7月5日の海戦で損傷した[[霞]]・[[不知火]]の救援に向かう(20日発27日キスカ島着)。8月4日横須賀帰着|
|~|8.31|[[巻波]]と共に清水利夫大佐以下第31駆逐隊新編(清水大佐以下隊司令は巻波に座乗)。[[第2艦隊第2水雷戦隊>神通]]編入|
|~|9.6|[[第3>榛名]][[戦隊>金剛]]を護衛し呉を出撃|
|~|9.10|トラック泊地に到着|
|~|9.14|B-17 10機と交戦|
|~|10.1|[[高波]]が第31駆逐隊に編入。司令駆逐艦を高波に移す。|
|~|10.11|トラック泊地を出撃|
|~|10.14|第1次ヘンダーソン基地攻撃に参加。魚雷艇と交戦|
|~|10.15|第2次ヘンダーソン基地攻撃に参加|
|~|10.26|南太平洋海戦に参加|
|~|11.3|トラック泊地を出撃|
|~|11.7|B-17の爆撃に遭遇し死傷10名|
|~|11.16|第2水雷戦隊旗艦を拝命|
|~|11.30|ルンガ沖海戦に参加|
|~|12.7|第2水雷戦隊旗艦を[[照月]]に継承|
|~|12.12|[[照月]]の戦没に伴い第2水雷戦隊旗艦を継承|
|~|12.29|第2水雷戦隊司令官として小柳冨次少将が着任|
|1943|1.2|エスペランス岬沖において魚雷艇と交戦|
|~|1.10|第6次ガダルカナル島輸送作戦。1日だけ第2水雷戦隊旗艦を[[黒潮]]へ継承|
|~|1.24|第2水雷戦隊司令官として伊崎俊二少将が着任、旗艦を[[神通]]へ継承|
|~|3.8|トラック泊地を出港|
|~|3.17|舞鶴に入港、入渠整備|
|~|5.8|トラック泊地に進出|
|~|5.13|横須賀に帰投|
|~|7.7|第1次キスカ島撤退作戦に参加|
|~|7.15|作戦中止|
|~|7.22|第2次キスカ島撤退作戦開始が下令|
|~|7.26|[[初霜]]と多重衝突事故を起こす|
|~|8.7|舞鶴に帰投、入渠修理|
|~|9.15|[[摩耶]]と共に第64防空隊を護衛し横須賀を出港|
|~|9.27|トラック泊地に入港|
|~|11.1|ブーゲンビル島沖海戦に参加|
|~|11.5|第1次ラバウル空襲に遭遇|
|~|11.11|第2次ラバウル空襲。大破航行不能となる|
|~|12.3|[[夕張]]・[[文月]]の護衛を受け水無月に曳航されラバウル出港|
|~|12.8|トラック泊地に入港|
|1944|1.15|[[長良]]に曳航されトラック泊地を出港|
|~|1.25|呉に入港、入渠修理|
|~|6.19|修理完了|
|~|7.9|白杵湾を出撃|
|~|7.16|リンガ泊地に入港|
|~|10.18|捷一号作戦参加のためリンガ泊地を出撃|
|~|10.24|米軍潜水艦((ダーター(USS Darter、SS-227)))を鹵獲。鹵獲品の13mm機銃を装備|
|~|10.26|コロン湾に入港|
|~|11.8|多号作戦第4次輸送部隊を護衛しマニラを出撃|
|~|11.10|輸送船2隻が沈没。[[霞]]・[[朝霜]]と共に救援に当たる|
|~|11.11|第38任務部隊艦載機の攻撃を受け[[島風]]らと共に戦没。230名戦死|
|~|12.11|第31駆逐隊解隊|
|1945|1.10|除籍|
}}
#fold(艦長){{{
艦長
|CENTER:BGCOLOR(#000000):COLOR(#FFD285):55|BGCOLOR(#FFD2B5):120|BGCOLOR(#FFD2B5):290|c
|第1代|隈部傳 中佐|&nobr{1942年5月20日~1942年6月30日 (艤装員長)};|
|~|~|1942年6月30日~1943年11月25日 (艦長)|
|第2代|森卓次 少佐|1943年11月25日~1944年2月10日|
|>|>|CENTER:BGCOLOR(#000000):COLOR(#FFD2B5):以後1944年6月1日まで艦長不在|
|第3代|&nobr{飛田清 少佐((在任中に中佐昇進))};|1944年6月1日~1944年12月5日|
#fold(歴代艦長のその他の略歴){{
歴代艦長のその他の略歴
-''艤装員長・初代艦長'':隈部傳 中佐(兵50、163/272熊本)&br;砲艦熱海艦長、駆逐艦夕霧艦長在職時に中佐昇進し、長波艤装員長・初代艦長。離任後の44年5月大佐昇進。
-''第2代艦長'':森卓次 少佐(兵56、66/111佐賀)&br;峯風艦長を経て開戦時は秋風艦長。[[響]]艦長の後ラバウル空襲で傷ついた長波の艦長に着任。[[長良]]らの支援のもと呉まで長波を連れ帰る。44年2月に離任し、以降復帰する6月まで艦長は欠員。
-''第3代艦長'':飛田清 少佐→中佐→海自1佐(兵56、86/111茨城)&br;開戦時は[[北上]]水雷長。舞鶴での修理を終えた[[初春]]艦長を経て修理を終えた長波艦長に着任。レイテ沖海戦を前に中佐昇進。第三次多号作戦での長波戦没後生還(([[浜波]]や[[竹]]の記事も参照されたい。))し水雷学校教官兼研究部員。終戦後復員事務官を47年2月依願免官。&br;海上警備隊に入隊し横須賀航路啓開隊司令。海上自衛隊への組織変更に伴い1佐、あさかぜ艦長、第2練習教育隊司令。1958年10月退官。
}}
}}}
-本人がいうマル4計画での仮称は第119号艦。ただし回転灯はついてない。なお第110号艦は元世界最大の空母([[ア>大和]][[レ>武蔵]]の妹)である。
-夕雲型の[[巻波]]・[[高波]]により第31駆逐隊を編成し、第二艦隊第二水雷戦隊(二水戦)に所属した。
-長波といえば[[ルンガ沖海戦>主な海戦・作戦#Lunga]]が有名。[[田中頼三司令官>雑学#Tanaka]]座乗の第二水雷戦隊旗艦として、戦隊合わせて米重巡1隻撃沈3隻大破、戦隊の損失は高波のみという圧勝を得た((高波の就役は1942年8月31日で、戦没は同年11月30日。つまり僅か三ヶ月で生涯を終えてしまったのである。))。
--台詞で「長波に続け」と言っているが、夜戦当時は隊列の中央にいた。米海軍から攻撃を受け高波が被弾する中、部隊の態勢を立て直しヒットアンドアウェイのような形で魚雷を放った後退避したのだが、これらの行動が上層部や僚艦から後で白い目で見られる事に。
--原因の一つとして、田中少将は高波の救援を[[黒潮]]らに命じて戦闘海域に再突入させ、自身は後退してしまったことがある。
魚雷を撃ち尽くして丸腰同然だった黒潮らは敵巡洋艦と遭遇((中破したペンサコラと言われている))し救助を打ち切る羽目に。そのため現場からもこの指揮ぶりは賛否両論だった。[[僚艦を撤退させ、旗艦自ら救助にあたった、後の二水戦司令官木村少将>霞]]とは非常に対照的である。
---ただし、本来乗員の救助は旗艦でなく僚艦が行うのが通例((旗艦は麾下の艦艇への指揮責任があり、それを放棄して沈んだ艦の乗員の救助作業をするのは部下の艦への責任放棄でもあるため))であり、木村少将の事例は寧ろ異例中の異例である。そういった異例の判断と、田中少将の判断を比較する事はできない。
---また、「長波は予備魚雷を持っていながら丸腰の僚艦に救助を向かわせたという」と非難する表現もあるが、厳密には長波が予備魚雷を積んでいたかは不明。
というも高波の江田航海長の証言によると警戒艦である高波も予備魚雷を下ろしており、また第三一駆逐隊が輸送作戦前に予備魚雷を陸揚げしたという記録もある(ただし二水戦旗艦という役割を兼ねていた長波が第三一駆逐隊として魚雷を下ろしていたとも断定できない)。
--そもそもの作戦は輸送任務であって戦闘ではなかった。戦闘には勝利したものの、肝心な輸送任務には失敗している。
--また田中少将の発した突撃命令は「損失軽減のための一撃離脱」を目的とするもの(敵は戦艦1を含むと推定されていた)で、要は「兎も角敵に一撃を与えて混乱させ、その隙に離脱する」というものだった。だが駆逐艦長や隊司令の中には命令の趣旨を理解できず、「戦艦襲撃」に勇躍固執してしまい、結果大戦果をあげた事で趣旨を理解していなかった事はかき消され、目的通りの行動をした田中少将が「逃げ腰し」だったように見えてしまった事も少将の評価を下げてしまう一因となった。
--とはいえ米艦隊に発見され攻撃を受ける寸前であり、機関停止している場合ではなかった。
しかも米軍側は、日本軍の輸送作戦を予測して重巡4隻含む10隻以上の艦隊で待ち構えていたという事情があり、この局面ではやむを得ないことだったが、
根本の問題は作戦の指揮官である田中司令官が「水雷戦隊の本分は敵艦隊の撃滅であり、制空権すら確保できない状況での輸送任務で消耗するなど以ての外である」として、海軍の作戦方針である鼠輸送に猛反対していた点にある。
確かに正論ではあり、一部の部下からも肯定する声が上がっていたのだが、当時のソロモン海域の情勢はそれを許さなかった。
---反対していたとはいえ、命令を受けた以上は輸送任務に注力していて、ルンガ沖夜戦においても「あと少し時間があれば揚陸に成功したのだが」と悔やむ姿も見られたとか。
--台詞で「ドラム缶」を連呼してるが、これは浮くように中に食料とかを半分つめた[[ドラム缶(輸送用)]]。これを予備魚雷を下ろしてまで艦上に240個位(数十トン)積んで、ガダルカナルの沖合いにロープで数珠繋ぎにして投げ入れて陸上から引き揚げる計画だった。
しかし数珠繋ぎにしすぎて重くなり、飢餓状態の陸軍さんにそんなものを引き揚げる力はなく、4回やって2回投入に成功しているが結局翌朝アメさんに機銃掃射で大半が沈められてしまって失敗した。ついでにいうと長波はルンガ沖夜戦ではそのドラム缶を積んでなかった(旗艦だったので)((詳しい戦闘の経緯は[[雑学]]及びWikipediaなどを参照してください。))
//--この戦いは、日米で評価が全く異なり、日本海軍の評価は田中少将に対して辛辣なものであった。要約すると
//---日本海軍の評価
//「作戦目的の物資輸送を放棄して戦闘に固執しすぎた」
//「旗艦長波は隊列の中央にあり、指揮官先頭の伝統に反する」
//「魚雷発射後はとっとと離脱して戦闘指揮を放棄してしまった」
//「長波だけ予備の魚雷を持っていたのに再攻撃しようとせず、さらに魚雷を撃ち尽くした第十五駆逐隊の[[黒潮]]・[[親潮]]のみを高波の救援に向かわせ、危険な目に合わせた」
//「先頭で集中攻撃を受けた高波が独り粘ったから挙げられた戦果であり、二水戦司令部の手柄ではない」
//---アメリカの評価
//田中少将の突撃命令のタイミングが絶妙で、米巡洋艦部隊はこれに翻弄された形となった。撃沈された高波は、むしろ射撃が早すぎたために集中攻撃の的になった。田中司令官こそは不屈の闘将である。
//--これらの双方の評価はそれぞれ後世の反論も結構あったりするので、興味があれば調べてみよう。
//--なお、この海戦で田中少将が更迭されたという話は必ずしも正しくない。この後1ヶ月ほど第二水雷戦隊司令官職にとどまっているからである。
//更迭されたのは、鼠輸送第四次輸送作戦で、部下の反対を退けた上での判断により旗艦「照月」(秋月型駆逐艦/未実装)を喪失した直後。だが、これも契機に過ぎない。
//田中司令官はそれ以前のスラバヤ沖海戦でも上層部から消極的指揮を批判されていた上に、ルンガ沖夜戦での批判はむしろ部下から出た声のほうが大きく、いわば板挟み状態になっていた。
//そもそも田中司令官は鼠輸送作戦自体に批判的だった。更迭はこれらの戦闘評価が積み重なった結果と見るほうが正しいであろう。
--当時の日本側は酷評し、一方アメリカ側はベタ褒めと、田中少将と長波の行動に対する評価は日米で180度異なる。((米側では「太平洋戦争において日本の名将を二人あげるとするならば、陸の牛島・海の田中」と評されるほど。ただ、このモリソン評に代表される評価は、戦術指揮面に傾倒しており、作戦遂行面など日本海軍側の事情をほとんど考慮していない。))
このまるで異なる2つの評価が、彼女の表裏で異なる独特の髪の色という形で現れている…のかもしれない。
--ちなみに当の田中少将はドラム缶輸送に猛反対していたが、ルンガ沖夜戦後も何度も行うはめになる。
その後戦力増強のために編入された新鋭防空駆逐艦[[照月]]に旗艦を移し、再びドラム缶輸送作戦を行うが、照月は米軍の魚雷艇によると思われる魚雷で致命傷を負ってしまい自沈。
照月の喪失により長波が再び二水戦旗艦を継承するが、ドラム缶輸送はまたしても失敗に終わり、直後に田中少将は更迭されてしまう。桃井涼太氏の公式4コマ初登場の30話で「ドラム缶の代わりに、魚雷下ろせ。と言われないよな?」と発言する場面がある。
---このエピソードのためなのか、照月の時報では長波は照月の調子を気にかけている様子で、「さん」付けで呼ばれている。
-ルンガ沖夜戦に先立つヘンダーソン基地砲撃でも活躍していて、[[金剛]]と[[榛名]]が[[ファイヤー!>三式弾]]してる最中に、群がってきた魚雷艇を蹴散らしてたりする。
-ルンガ沖夜戦後もしばらく南方作戦に従事し、さらに北方部隊に編入され[[キスカ島撤退作戦>雑学#kiska]]に参加した。
--だが濃霧のために[[国後]]が[[阿武隈]]に激突、さらにその混乱の影響で[[初霜]]が[[若葉]]に頭から突っ込む事故が発生。
さらに若葉から艦首を引き抜こうともがいた初霜の尻が長波めがけて突進し、そのまま突っ込んでしまった。
幸い長波の損傷は軽微で作戦に支障なく、奇跡の作戦成功に貢献した。
-その後ソロモン方面作戦に舞い戻るが、昭和18年11月11日ラバウルにて爆撃を受け艦尾損傷、航行不能になる。
[[水無月]]によってトラックまで曳航され、トラックからは同じく爆撃にて魚雷頭部が誘爆し多数の死傷者を出していた[[長良]]によって日本まで曳航された。
--この2週間後、僚艦であった[[巻波]]・大波(未実装)がセント・ジョージ岬沖海戦で沈没し、第三一駆逐隊は新たに3隻が編入する2ヶ月半の間、長波ひとりぼっちになってしまった。
-長波が損傷修理中の間に、[[岸波]]・[[沖波]]、そして[[朝霜]]が第三一駆逐隊に編入された。
-[[捷一号作戦>雑学#Leyte]]では、[[愛宕]]を撃沈した米潜水艦ダーターが座礁しているのを発見し、砲撃後に艦内に乗り込み、機銃や写真などの鹵獲品を得ている。
-レイテへの輸送作戦「多号作戦」に参加し、第4次作戦からの帰還中、進撃途上の[[島風]]率いる第3次作戦輸送隊((第4次作戦の方が先行実施された))に合同。
しかし1944年11月11日、第3次作戦部隊は敵機347機の熾烈な空襲を浴びる。迎え撃つはわずか5隻の駆逐艦と1隻の駆潜艇。
激戦の末、長波は島風らとともに枕を並べて戦没。船団は駆逐艦[[朝霜]]ただ1隻を残し壊滅した。
--長波は弾薬0になるまで奮闘している。機関損傷により速力が低下したところへ大型爆弾が直撃、真っ二つに分断され沈んでいったという。
生存者は放棄漂流していた[[浜波]]に一時避難の上((長波生存者が浜波に移乗し機関の再起動に成功したものの、帰還に必要な真水が足りないことがわかり、浜波に残された食糧を採った上で一晩を過ごし、その後救助に来た大発動艇に移乗した。))、最終的にはレイテ島へ上陸した。
---救助された生存者は40数名だった。しかし、彼らもまた陸戦隊に編入されマニラ地上戦に投入、玉砕して果てた。
戦後に生き残った長波生存者はわずかに3名だけだったという。
--長波喪失の2日後には沖波がマニラ湾空襲で沈没、さらにその2日後には朝霜が[[清霜]]((この時点で清霜は駆逐隊の僚艦を全て失っていた。))のいる第二駆逐隊に転出、最後に残った岸波は1か月後に潜水艦に撃沈され、第三一駆逐隊は年明けに解隊された。
-ちなみに夕雲型の中では最も長命。同型艦の中で長女の夕雲から末女の[[清霜]]まで全て面識(就役時期が被っている)があるのはこの長波1隻のみ。
南太平洋海戦やレイテ沖海戦に参加しているため殆どの姉妹と作戦行動を共にしているはず。その経歴は立派なものだが同時に他の夕雲型の儚さを感じずにはいられない。
--公式4コマでの長波は、夕雲型ではつっこみ役とされているが、89話の朝霜、101話の高波、133話の沖波の登場回に登場しており、面倒見のいいところを見せている。ただ、朝霜には痛い目にあわされる一幕が多い。
-キスカ島撤退戦、トラックまでの重巡護衛、多号作戦と、二水戦内でも駆逐隊を組めずたらいまわしにされた島風となんと3回も作戦行動を共にした。
その事が時報での仲良し発言に繋がっていると思われる。良かったね島風。
-[[子日]]のこともよく話しているが、子日は長波の竣工から僅か5日後に戦没しているため、実は面識がない。
--ただし、初代水雷長の西村正直大尉(当時)の前任は子日水雷長であり、全く縁がないわけでは…
-よく「何とも不思議な髪色」と形容されるが、髪の内側と外側で色が違う髪型は実在する(いわゆる「インナーカラー」)。
--後に実装された妹の[[清霜]]と[[朝霜]]も、同じように内側と外側で色が違う髪型をしている。
-先述の通り、長波最終時乗組員のうち、戦後まで生き残った生存者はわずか3名だけだった。
しかし結束は固く、戦後間もない昭和24年11月11日より毎年、京都の霊山護国神社で欠かさず慰霊祭が実施されてきた。
--昭和41年の第18回慰霊祭においては、遠く山口県から老体を押して、田中頼三元少将が参列している。
「立派な若い駆逐艦乗りを多く失った。
そうして今、亡き戦友をこのように慰めていただくこと、有難いことである。駆逐艦の慰霊祭ならば連絡があればどこでも行きます」
と、田中元少将は駆逐艦乗りたちへの尽きせぬ愛惜の念を語っていたという。
--その後昭和56年11月8日、元乗員や遺族多数の臨席のもと、霊山護国神社に長波の慰霊碑が建立された。
なお同神社には坂本龍馬の墓などがあるため、碑を参拝するには拝観料が必要なので留意されたい。
---余談だが、石碑の裏には寄贈者として元京都府知事であり元海軍軍人でもある林田悠紀夫氏及び「海軍潜水母艦 [[大鯨]]」の文字が掘られている。これには林田悠紀夫氏が大鯨の乗組員だった、や長波の元乗組員が後に大鯨に異動になり「大鯨一同」から参加した、などの説が上がっているが真偽は不明である
-艦名は「波長の長い波」のこと。&br;なお、「ちょうは」と音読みすると30~300kHzという低い周波数の電波のことになり、対潜水艦通信や電波航法システムなどに使われるが、艦名とは関係ないと思われる。
*この艦娘についてのコメント [#comment]
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