艦娘達の史実

Last-modified: 2019-05-07 (火) 19:09:53

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あと詳しく知りたい場合、ウィキペディアで調べるのをお勧めします

大日本帝国海軍の大まかな歴史

寄せ集めに近い艦隊で日清戦争に勝利後、連合艦隊の基礎を築く。
日露戦争では戦艦2隻を失ったものの、対するロシア帝国海軍と激戦を繰り広げバルチック艦隊を撃滅し日本近海の制海権を確立。同時に世界有数の海軍国となる。
日露戦争以降の日本海軍は利害が対立するアメリカを仮想敵として戦力整備に乗り出す。
ワシントン条約やロンドン条約での軍縮条約の結果英米に劣る戦力整備を余儀なくされ、潜水艦および航空戦力に活路を見いだす。
大日本帝国海軍の基本戦略は、日本近海で米艦隊を漸減邀撃するというもの。
そのため開戦時の艦の性能は航続力よりも戦闘力重視で太平洋で行動をする事が出来る艦艇が少なかった。

1936年

6月29日 電と衝突した深雪が沈没

1937年

1938年

1939年

9月1日 ドイツ、ポーランドに侵攻、第二次大戦開戦

1940年

11月11日 タラント港空襲

1941年

5月24~27日 ビスマルク追撃戦
12月8日 真珠湾攻撃(ここから大東亜戦争が始まる)

1942年

1月20日 バリ島沖海戦
2月19日 ダーウィン空襲
2月20日 バリ島沖海戦
2月27~28日 スラバヤ沖海戦(主戦)
3月1日 スラバヤ沖海戦(掃討戦)
3月1日 バタビヤ沖海戦
4月5~9日 セイロン沖海戦
5月7~8日 珊瑚海海戦
6月4~8日 アリューシャン作戦
6月5~7日 ミッドウェー海戦
8月9日 第一次ソロモン海戦
8月24日 第二次ソロモン海戦
10月11日 サボ島沖海戦
10月13日 ヘンダーソン基地攻撃
10月26日 南太平洋海戦
11月12~14日 第三次ソロモン海戦
11月30日 ルンガ沖海戦

1943年

2月1日 ガダルカナル島より日本軍撤退
4月18日 海軍甲事件、山本五十六元帥戦死
6月8日 戦艦陸奥、柱島泊地にて爆沈
7月12日 コロンバンガラ島沖海戦
7月29日 キスカ島撤退作戦
9月8日 イタリア、連合国に降伏
10月6日 ベララベラ海戦
11月20日 伊175潜水艦、米空母リスカム・ベイを撃沈(中部-1のモデル)

1944年

2月17日~18日 トラック諸島空襲
3月30日~4月1日 パラオ大空襲
6月6日 ノルマンディー上陸作戦
6月19日~20日 マリアナ沖海戦 、絶対国防圏が陥落、以降本土空襲激化
10月23日~25日 レイテ沖海戦
12月26日 礼号作戦

1945年

2月19日 米軍、硫黄島に上陸
3月10日 東京大空襲
3月19日 呉軍港空襲
3月26日 米軍、慶良間諸島に侵攻
4月1日 米軍、沖縄本島に上陸
4月7日 天一号作戦により、戦艦大和、軽巡矢矧、駆逐艦霞、浜風磯風朝霜を喪失
5月8日 ドイツ第三帝国、連合国に降伏
6月23日 沖縄本島陥落
7月24、28日 呉軍港空襲
8月6日 広島に原爆投下
8月8日 ソ連、対日宣戦布告
8月9日 長崎に原爆投下
8月14日 日本政府、ポツダム宣言を受諾
8月15日 玉音放送

トラ・トラ・トラ~真珠湾攻撃~

 1941年、石油禁輸等の経済制裁により大日本帝国は米英との戦争を開始した。
作戦内容は6隻の空母を旗艦とする第一航空艦隊により真珠湾に在泊する艦艇を攻撃するというもの。
真珠湾の水深は12mしかなく航空雷撃が不可能、またハワイのある6500kmまでの隠密行動かなり難しいという極めて困難な作戦だったものの魚雷の改良、新型徹甲爆弾の開発、猛訓練、艦内に燃料を積めるだけ積む事で各問題を解決した。
12月2日に南雲機動部隊は連合艦隊司令部から「ニイタカヤマノボレ一二○八」の電文を受信。これは「予定通り真珠湾攻撃を決行せよ」を意味する電文である。
12月8日0752時に淵田少佐は「トラ・トラ・トラ」(我奇襲ニ成功セリ)と打電。
淵田少佐が信号弾を撃ち奇襲を決行、結果戦艦4隻を撃沈し、1隻を大破、3隻を中破、さらに300機もの航空機を撃破した。これによる損害は航空機29機のみである
 真珠湾攻撃は成功したものの、日本外務省の不手際により宣戦布告が遅れ、真珠湾攻撃は文字通り「奇襲」となってしまった。
これにより嫌戦的だったアメリカ国民は激怒し国を挙げて戦争へと動き出したのであった。

~ミッドウェー海戦~

日本軍最後の水上特攻~坊ノ岬海戦~

終戦

玉音放送

以下原文と口語訳

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク(私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。)
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 (私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言『ポツダム宣言』を受諾することを通告するよう下命した。)
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク(私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。)
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 (私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言『ポツダム宣言』を受諾することを通告するよう下命した。)
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
(そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾『無条件降伏』するよう下命するに至った理由なのである。)
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
(私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。)
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
(私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。)
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ(私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。 あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。)

艦娘達の戦後~いつか静かな海で~

  • 敗戦した日本は1945年中に軍が解体され、海軍省は海外の邦人の復員を支援する「第2復員省」となった。終戦時に残存していた艦の内、比較的損傷が軽度だった空母「葛城」や軽巡「酒匂」などが復員輸送に参加、特に「葛城」は延べ5万人にも及ぶ在外邦人を輸送した。
    • 残存艦には軍港内で着底状態だったものも多く(榛名日向等)、
      これらの艦は解体され、鋼材は戦災復興の資源となった。
    • 中には解体されず賠償艦として外国に渡ったもの、例えば駆逐艦「雪風」(台湾海軍で駆逐艦「丹陽」として活動)や船体を防波堤として埋めたもの(駆逐艦「涼月」、今のところ未実装)がある。
      • その他には巡視船として1948年に発足した海上保安庁で活動した艦(海防艦「鵜来」、未実装)があるが、日本が旧海軍に相当する組織を持つのは1954年の防衛庁設立まで待たなければならなかった。

海上自衛隊~現代の海を守る日本海軍の末裔達~

余談 日本以外の国(ドイツ イタリア アメリカ)の実装艦の解体、轟沈の日付