| 名前 | クロンク・アンド・ハーウィック鉄道 |
|---|---|
| 英名 | Cronk and Harwick Railway |
| 開業年 | 1855年 |
| 廃止年 | 1947年 |
| 説明 | ・1435㎜軌間の標準軌鉄道*1。 ・1850年代以前、ハーウィックは密輸業者のたまり場となっていた。 ・彼らは近くのティッドマスの密輸業者と同様に漁師を装い、ハーウィン・オイア渓谷に点在する多くの洞窟に隠れて商品を取引していた。 ・その後、当局による「貿易」の最終的な抑圧により、ハーウィックは経済的に低迷し、貧困が蔓延した。 ・それから鉄道が建設されることとなり、渓谷の人々にまともな仕事を提供できると期待された。そして、クロンク・アンド・ハーウィック鉄道は議会法によって1855年に設立された。 ・鉄道の目的は、ピール・ゴッドレッドにソドー・アンド・メインランド鉄道へ接続する標準軌の線路を建設することで、S&Mはクロンク経由でピール・ゴッドレッドまで線路を敷くことを約束した。 ・最初はハーウィックに橋が作られ、その材料は近くにあるドロハン・イ・クラガンの採石場から提供され、橋と採石場の間に6マイルの線路が敷かれた。線路はそれほど急勾配ではなく、馬で運行された。 ・S&Mがピール・ゴッドレッドまでの線路を敷くという約束を果たし、ガーフウィル*2の尾根を通る為のトンネル掘削の重労働をC&Hが節約できることを期待して、鉄道はこれ以上東には進まなかった。 ・しかし、1870年にはS&Mは倒産寸前に陥り、ピール・ゴッドレッドまでの支線が建設されることはないと悟る。 ・C&Hには、これ以上拡張する資金がなかったが、クレッグヴィルに新しい石切り場が開かれ、まだ希望があるとそこまで路線を延長することが決定。しかし、クレッグヴィル採石会社は、急勾配のルートを標準軌で延長する為の費用を支払うことに反対し、採石場までの線路は鉱物路面軌道として、1フィート11インチ(585㎜)軌間の狭軌の線路が敷かれ、今までのルートも敷設し直され運行された。 ・C&Hがピール・ゴッドレッドへ鉄道路線を建設する計画はそこで頓挫したが、これがミッド・ソドー鉄道建設への道を開き、C&Hの野望を実現させる道が開かれた。ミッド・ソドー鉄道は1880年に完成し、C&HとMSRをピール・ゴッドレッドで接続する案もあったが、実現には至らなかった。 ・結局、MSRに合わせるためにC&Hを2フィート3インチの軌間にするだけでなく、ガーフウィルの丘を越えるかトンネルを掘るかするには費用がかかりすぎる為、C&Hはそのまま残され、谷に住む少数の住民が建設の為の費用を支払ったが、建設の費用には足りなかった。 ・やがてノース・ウェスタン鉄道が、1923年にようやくピール・ゴッドレッドへ標準軌の線路が敷かれたが、この時点では、C&Hが軌間を変更して接続するにはすでに遅く、1935年に採石会社は鉄道を使うよりもトラックの方が便利であることに気づき、鉄道はクレッグヴィルの東のごく短い区間を除いて廃止された。 ・この区間は、採石場から約2マイル先の村に通じており、ほとんどの砕石労働者が住んでいた為、鉄道は労働者が仕事の行き帰りに使用していた。 ・しかし、線路は老朽化し、安全ではなくなったため、1947年頃から採石場の作業員は皆、代わりに自転車や車を使うようになった。鉄道の線路の多くは今もそのまま残っているが、草木が生い茂り、荒廃している。 ・多くの場所で農民が線路の上に畑を広げ、レールや枕木を引き上げて土地を耕している。また、回収された材料の多くはフェンスや門柱を作るために再利用され、住民の中には椅子をコテージの戸口に使うなど、その他さまざまな用途に使用した者もいる。 ・採石場自体は1950年代まで採石を続けて採掘されていた。 |
| その他 | ・『The Island of Sodor:Its People, History and Railways』に書かれている内容と、ウィルバート・オードリーがC&Hについて書いたメモの内容は少し矛盾しており、そのメモでは、鉄道は1850年代の時点ですでにクレッグヴィルに到達しており、資金が尽きる前に12マイルの線路を建設したと述べられている。 ・また、メモには1945年を過ぎても線路はそのまま残っていたと書かれているが、この鉄道は第二次世界大戦中に廃線になったとも書かれている。それにもかかわらず、1973年の地図では、この路線は廃線として示されている。 |
| 路線図 |
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